恭也・テスタロッサは、珍しく混乱していた。男に背負われている。それも、褐色の肌で

銀髪の、頭に犬だか何かの耳をつけた筋肉質の男だ。地元の世界の街中で見かけたら、視線

を合わせずに道を譲るだろうタイプの格好だった。アルフと同じタイプの使い魔なのだろう

が、男の頭に耳が生えていることに激しい違和感を覚えた。



「目が覚めたようだな」



 男女の外見に対する、世界観の違いについて内心で葛藤していると、隣を歩いていた女が

顔を覗き込んできた。桃色の髪をポニーテールにした、先ほどまで斬り結んでいた剣士――

シグナムだった。



「放っておいたらそのまま死んでもおかしくない怪我だったが、調子はどうだ?」

「少しダルい感覚はあるが、痛みはそれほどでもない。普通の生活を送る分には支障はなか

ろう。治療はお前達が?」

「ああ。勝手かとは思ったが、そのままにしておく訳にもいかなかったのでな」

「いや、助かる。流石にこの年で死にたくはなかったからな」



 男の肩を叩き、地面に足を降ろす。二本の足で立つと全身に小さな痛みが走ったが、崩れ

落ちるようなことはなかった。おぼろげな記憶で重症だったと記憶しているが、中々どうし

て、彼女らの治療の腕は大したもののようだった。



「服装が変わっているようだが……」

「流石に穴の開いた服を復元することはできなかったのでな、こちらで用意させてもらった。

盗んできたりしたものではないし、代金はこちら持ちだから心配しないでほしい」

「そうか。何から何まですまないな。それでは、俺はこれで失礼する。縁があったらまた会

おう」



 十年来の友人にするように片手を挙げて挨拶をし、命の遣り取りをした敵達に背を向ける。

このまま帰してくれるとは思わなかったが、当座従う意志はないということを示しておくこ

とは必要だった。



 案の定、背中に殺気がぶつけられた。心中でどう思っているかは別にしても、四人のうち

の誰一人として、自分をこのまま帰してくれる気はないようだった。





「申し訳ありませんが、貴方をこのまま行かせる訳にはいきません」



 殺気に足を止めた恭也の正面に現れたのは、緑色の衣を纏った金髪の魔導師。先ほどの戦

闘で、自分が腕を切り落としかけた女魔導師だった。その瞳には十分過ぎる程に知性的な光

が宿っている。先の雪辱に燃えているのかと思ったが、物腰は穏やかで、四人の中では最も

話が通じそうな相手ではあった。



「貴方をここで帰しては、私達の居場所が管理局に知られてしまいます。貴方には今後、私

達と行動を共にしていただきます」

「異論は認めない、そんな顔ですね……」

「察しが良くて助かります。具体的には、貴方の体に『爆弾』を仕掛けさせてもらいました。

私達の主と、私達全員の半径50メートルから離れれば、貴方の体は爆散します。もちろん、

私達の意志でもその『爆弾』を起動することはできますが……」

「選択の余地なし、ですね」



 自分の命を盾にした、言わば脅迫である。常人ならば苦々しく思っているところだろうが、

恭也は不思議と腹は立たなかった。それは目の前にいる女魔導師が、敵というイメージから

は程遠かったからかもしれない。



 すんなりと自分の物言いを受け入れたことが意外だっようで、緑色の魔導師は子供のよう

に目を丸くした。



「私達をお責めにならないので?」

「責めたところでどうにもならないでしょう。俺が貴方がたに捕まったという結果は、俺が

どう言ったところで覆らない。ならば現在の状況を好転させるべく動いた方が、俺にとって

も貴方がたにとっても良いことなのではないかと」

「ドライな考え方のできる方なんですね、少し意外です」

「男としては、貴女を傷物にした対価くらいは、支払わなければなりません」

「対価?」



 と、金髪の魔導師は首を傾げ、忘却の彼方にあったらしい記憶を掘り起こした。袖を捲く

って、恭也が斬り付けた場所を見せ付ける。切断するくらいのつもりで斬りつけたはずのそ

こには、傷らしい傷など存在しなかった。



「魔法というのは、実に便利な能力だ……」

「殿方に傷物にされたという事実をなかったことにできますものね」



 上品に微笑む金髪の魔導師に、恭也は素直に頭を垂れた。年上の女性と相性が悪いのはい

つものことであるが、眼前の魔導師もその例に漏れないようだった。後方で戦場全体を見回

して指示を出すタイプなのだろうから頭の回転は速いのだろうが、口で負けたのはそのせい

だけではないだろう。



「つまるところ俺は、貴方がたに着いていけばいいので?」

「お前を主に紹介する。先述の理由で我々はお前を監視しなければならないが、我々にも仕

事がある。新たに監視場所を増やすことも出来ん故の苦肉の策であることを理解してもらい

たい。解ってるとは思うが、お前の命は我々が握っている。不必要なことを主に吹き込んだ

場合は、即座に首をはねてやるから、そのつもりでいろ」

「命を助けてくれたのだ、そんな不義理はしない。それよりも、お前達の主にどうやって俺

を紹介するつもりだ? まさか、命の遣り取りをしてきました、と紹介する訳にもいくまい」

「そこなのだ……」



 脅迫じみた口調でいたシグナムが、押し黙る。残りの三人も同じような顔をしていた。



「まさか、何もアイデアがないのか?」

「主は人の良い方だ。我らの友人であると言えば、歓待してくれることだろう」

「歓待はしてくれるだろうが、それでは疑問が残る。お前達の素性に興味はないが、いきな

り友人を連れてきた、という物言いがすんなり通るほど、お前達は有り触れた存在か? 少

なくとも生物学的な意味で、お前達は人間ではないのだろう?」



 当たり前のことを言ったつもりだったが、シグナム達にとってはそうでなかったらしい。

言葉が終わるか終わらないかというところで、恭也の喉元にはレヴァンティンが突きつけら

れていた。



「……何故、そう思うのだ?」

「俺は『気』というものを探ることができる。デバイスなどがなくてもな。お前達流に言う

のなら、魔力の質をより細かいところまで判別できる、というところか。その能力で判断す

るとだ、お前達の気は人間のそれとは異なる。気そのものが意識を持ち肉体を持てば、お前

達のようになるのだろうと判断したのだが、どうだ? 当たらずとも遠からずと言ったとこ

ろだろう」

「貴様、ただの剣士ではないな? それとも、管理局の魔導師の質は我らの知らぬ間にここ

まで進歩したとでも?」

「管理局においては、俺がイレギュラーだ。師匠に言わせれば、俺の技量なぞ出来損ないら

しいが、管理世界では俺の技術などマイナーもマイナー。管理局の中で俺と同じことが出来

る魔導師は、片手の指でも足りるだろう。それよりも、その物騒なものを納めてくれないか

? せっかく命を拾ったのだ。こんなところで死にたくはない」



 完全に納得した様子ではなかったが、シグナムはレヴァンティンを消した。射殺せそうな

視線は変わらず恭也を射抜いていたが、意外なことに助け舟が出た。



「なー、さっさと帰ろうぜ? はやてが待ちくたびれちまうよ」

「しかしな、ヴィータ。これをどうやって主に紹介するか決めないことには――」

「お前が言ってた案でいいだろ? 『あたし達の友達です』って言えば、はやても納得して

くれるさ。こいつもあたし達も全部を話せる状況じゃねーんだ。はやてに心配させる訳にも

いかねーし、それでいいだろ?」



 まるっきり子供の容姿であるヴィータの物言いに、シグナムが唸る。背の高いシグナムが

ヴィータの言葉を真剣に受け止めているというのもシュールな光景だったが、ヴィータが見

た目通りの年齢であるはずもない。集団である以上一応の上下関係はあるようだったが、個

人として考えた場合、シグナムとヴィータの立場は対等なようだった。



「わかった。そうしよう。お前の案を採用する」

「よし。じゃあ帰ろうぜ。あたしはもう腹が減ったよ」

「すまない、少し待ってくれ」



 念願叶って、機嫌良さそうにのしのしと歩き始めたヴィータは、無粋なその声で一気に氷

点下に達した気分の悪さを隠そうともせず、声の主――恭也を睨みやった。



「捕虜のくせに何か文句があるのかよ、てめー。つまらないこと言ってると、あたしのアイ

ゼンで叩き潰すぞ!」

「文句ではない、提案だ。俺に話をあわせてくれるのなら、上手く納めることができるかも

しれない」

「失敗したらどうするつもりだよ」

「冗談だ、とでも言えば良かろう。外様で初見の俺の言よりも、お前達の方が信頼は厚かろ

う。不味いと判断したら冗談として落とせばいい」

「……どうする? シャマル」

「どんな案か聞かないことには何とも……」

「いや、驚きがないと成立しない話だからな。実際に話すまで秘密だ。それが不満というの

であれば、お前達の案を採用しても構わない。どうする? 俺はどちらでも構わないが……」



 シグナム達を見回して、言う。誰も即座に言葉を発しはしなかったが、その雰囲気から自

分の案が採用されたことを悟った恭也の気持ちは、既にまだ見ぬ彼女達の主に向かっていた。



 彼女らに忠誠を尽くされており、はやてという名前らしいことしか分からない現状では、

何も解っていないに等しかったが、それでもその主と自分の数奇な運命を感じずには要られなか

った。



 夜の帳が落ちて、異なる世界ではあったが、そこは紛れもない海鳴市であったのだから。






























「おかえりー、みんなー」



 決して粗相のないようにと、くどいくらいに念を押されながら踏み込んだ八神と表札の出

た家で恭也達を待っていたのは、関西系のイントネーションの、車椅子の少女だった。



 凄腕の魔導師であるシグナム達に傅かれる主なのだからと、もっと無骨な人物像を思い描

いていた恭也は、その儚げな雰囲気に拍子抜けしていた。通されたリビングで間抜けな顔で

その少女を見続けていると、脛を思い切りヴィータに蹴られる。



 痛む脛を摩りながら、促されるままにシグナム達の前に出た。そこで初めて車椅子の少女

は恭也に気づいたようで、ともすれば不審者に見える人相の悪い黒尽くめの青年の登場に目

を丸くする。驚いただけで悲鳴を挙げられなかったのが救いだった。



「はじめまして。俺は恭也・テスタロッサと申します」

「ご丁寧にどうもー。私は八神はやていいます」



 自己紹介は、そこで終わった。不思議そうなはやての目が、恭也を見上げている。現状、

はやてから言うべきことは何もない。話すべきは恭也の方だ。まずは、自分が何者なのかを

彼女に明かさなければならない。



 シグナム達の背中にひしひしと感じながら、自分で練った案を口に乗せた。自分を攫って

くれたシグナム達に対する、ささやかな意趣返しを持って。



「俺は、シグナム達と同郷でしてね。一人旅のつもりでこの世界に来たのですが、偶然街で

シグナム達を見つけたのです。あまり違う世界で同郷の者に会うことはないもので、嬉しく

なりましてね、声をかけようと思ったのですよ」

「恭也さん、めっちゃ日本人に見えるんやけど」

「父が日本人なので、そう見えるのでしょう。どういう事情で父と母が知り合ったのかは知

りませんが、知人はよく父に似ていると俺を評します」



 父に似ている、というのは嘘ではない。昔から付き合いのあった知人は皆、口を揃えて士

郎に似てきたと言ったものだ。それ以外は大嘘もいいところであったが、淀みなく話してみ

せたことが功を奏したのか、はやてはふむふむ頷きながら聞き入っていた。疑っている様子

は、今のところない。



「それで、恭也さんが声をかけた訳なんやね」

「いえ、声をかけようと思ったのは事実ですが、声をかけたのはこれが先でして」



 これ、と言いながら後ろ手にシグナムを示す。意趣返しも本番だ。これから発する言葉を

聞いて、彼女がどんな顔をするのかと思うと、胸が熱くなる。それはここ久しく感じていな

かった、日々故郷で感じていた思いだった。



「往来で堂々と、情熱的な愛の告白をされました」

「愛の告白って……ほんま?」

「ほんまです。俺は冗談は頻繁に申しますが、嘘はそれほどではありません」



 決して嘘を付かないと言っている訳ではないが、告白、という単語が少女の興味を多いに

引いたのか、話が丸ごと冗談や嘘である可能性に気づくでもなく、身を乗り出してきた。食

いつきは上々だった。落とし方によっては、多いに笑いを取れることだろう。いざとなれば

シグナム本人が冗談です、と言いながら自分をドツけばいいだけの話なのだから、どんな大

嘘でも平気でつけるというものだ。



「彼女が見目麗しいのは貴女もご存知のことであると思います。正直、告白されたことは嬉

しいことではあったのですが、俺にとってはいきなりのことで、急には返事をしかねまして

ね。それならば互いを知る期間を設けてはどうか、とザフィーラに言われて、こうして貴女

の前に参上した次第です」

「はー……」



 それ以外に、はやてに言葉はない。小さな口を大きく開いて、呆然と恭也と、その背後を

見比べていた。想像よりも遥かに大きなリアクションだった。ここまで信じ込んでくれるな

らば、嘘をついた甲斐もあったというものだった。



「俺もシグナム達と同郷。父の係累はこの世界にないそうなので、特に行く当てもありませ

ん。差し出がましいお願いとは解っていますが、どうか宿をお貸しいただけませんでしょう

か」



 そう言って、話を締めくくる。話の流れに大きな破綻はない。往来での告白など出来すぎ

てはいるが、作り話ならばこんなものだろう。本気で信じられてしまったら、笑い話で落と

せばいいのだから、大嘘をつく恭也にしても気は楽である。



 ぽや〜、としたままはやては恭也と、その後ろのシグナムを見比べていたが、そのうち真

剣な表情を作ると、恭也の視線を真っ向から受け止めた。



「私は、うちの子達がどういう恋をしても、本人達が満足してるなら、止めるつもりはあり

ません。恭也さんもきちんと考えてくれてるようやし、私としてはしっかりと応援してあげ

よう思います」

「恐縮です」

「でもな、世間体ってのもやっぱり重要だと思うんですよ。わたしは二人が愛し合ってるな

らそれでいい思うんですけど、こう、年の差のあるカップルって、やっぱり変な目で見られ

るものやないですか?」

「まぁ、そうでしょうな」



 自分とシグナムの外見年齢にそれほど差があるようには思えなかったが、自分の姿が今十

代後半の姿になっていることを思い出し、恭也は唸った。長身で纏う空気も剣のように鋭い

シグナムは眼前の少女から見たら大層大人に見えることだろう。



 恭也も実際も年齢よりも高く見られることが常であったが、今の容姿とシグナムと比べる

といくらか年下と判断されても可笑しくはない。



 しかしそれにしても、年齢差のあるカップルと評されるのは納得がいかなかった。少女に

は一回りくらいは差があるように見えるのだろうか、と自分の示した先にいる少女の姿を見

て――絶句する。



「でも、うちはヴィータがそう言うんやったら、何も言いません。少し口は悪いですけど、

根はとってもいい娘なんです。せやから恭也さん、ヴィータと仲良くしたってくださいね」



 話題に上ったヴィータは顔を真っ赤に染めていた。その理由は乙女らしく照れているとか

甘酸っぱい理由ではない。純粋な、臨界点を遥かに超えた怒りに寄るものだ。本当ならば彼

女のボキャブラリィの限りを尽くして、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせていたのだろうが、

怒りのためにそれらは言葉にならないらしく、恭也を指差し目に涙を一杯に溜めたまま、ヴ

ィータは口を開いては閉じるという、無意味な行為を繰り返していた。



 予定外の事態に何でそこにいないのだ、と恭也がシグナムを見れば、こちらもまた事態に

ついていけていないらしく、シャマルやザフィーラ共々、呆然と恭也を見返していた。



 そのシグナムに、何とかしろ、と視線で返す。このまま話が纏まれば、年端もいかない少

女の告白を受け入れたロリコン野郎ということで終わってしまう。しばらくこの家に置いて

くれと言ったばかりで、儚げで純朴そうな少女からロリコン扱いをされるのは如何にも不味

い。



「嬉しいなぁ、まさか家族が好きな人を連れてくるー、なんてイベントを、こんなに早く迎

えられるとは思わんかったわ。これはお祝いせなあかんなぁ、シグナムはどんなお祝いがい

いと思う?」



 はやての矛先が、シグナムに向く。冗談です、と落とすのはこれが最後のチャンスだった。

ロリコンにされてはたまらない恭也と、乙女にされては困るヴィータの殺気すら込めた視線

を受けて、シグナムが一歩前に出る。



 だが、彼女はヴィータの仲間であるよりも先に、忠義に厚い騎士であった。仲間の社会的

な危機よりも主の期待を優先する、そんな女だった。



「歓迎の意を示すには、家庭の味を披露するのが一番です。ここは主はやてが腕を振るうの

が、得策ではないかと」

「そうか? せやったら張り切らんといかんなぁ。シグナム、お手伝いしてくれる?」

「主はやての仰せのままに」

「ちょっと待てよシグナム!」



 一人で勝手に騎士の務めを果たすシグナムでは埒が明かないと、ヴィータ自らが食って掛

かるが、既に話が完結してしまっているはやてには、それが照れ隠しにしか写らない。膝の

上にヴィータを抱きかかえて、まるで母親のようにヴィータを諭す。



「ヴィータ、男の人に恋してるんやったら、もうちょっと言葉使いは丁寧にせんとあかんよ」

「ちげーよはやて! あたしは別にあんな奴のこと好きじゃねーんだって!」

「最近はそういうツンデレ? 言うのも流行ってるみたいやけど、好き〜ってのはアピール

しとかんとあかんと、私は思うんよ。ここは私が人肌脱ぐしかないかなぁ、シグナム」

「元気なのはいいことではありますが、聊か騎士としての品格に欠けるのも事実です。私も

過去に微力を尽くしたことはありますが、この様です。しかし、主はやて直々のご指導とな

れば、ヴィータも少しは態度を改めることでしょう。ヴォルケンリッターの将として、感謝

に絶えません」

「そんな訳やから、ヴィータはこれからご飯の準備をなるべく手伝ってな? 女の子のアピ

ールポイントとして、お料理は外せへんで?」



 何やら喚き続けるヴィータを膝に乗せたまま、車椅子のはやては台所に消えていった。



 後に残された恭也は、何故助けてくれなかった、という視線をシャマル、ザフィーラに向

けるが、彼らは揃って視線をそらすだけ――いや、シャマルに至っては何がおかしいのか、

こちらをちらちら見ながら、笑みまで浮かべている。



「我らの身内になることには、成功したな」

「俺とヴィータの名誉という多大な犠牲を支払ってな。俺がロリコンにされてしまったぞ、

どうしてくれる」

「主はやての反応をみるに、お前の話がすんなり通っていたら、私がお前に愛を囁いた愚か

者になっていたのだ。今となっては、これが最善の方法だったと確信している」

「冗談です、とでも言えばいいだろう」

「驚いてはおられたが、主はやては大層喜んでおられた。臣下として、それに水を差すこと

など出来るはずがあるまい」



 正論じみたことを言ってはいるが、要はシグナムもこの状況がおかしくて仕方がないのだ

ろう。先ほどまで殺し合いを演じていた相手と、ともすれば取っ組み合いになりそうな距離

で言い合いをしているのに、桃髪の騎士は楽しそうに笑っていた。



「これで部屋までヴィータと同じにされてみろ、俺は奴のハンマーで粉々にされる」

「なに、主はやては奴を乙女にすると仰られた。お前にも奴にも、節度ある行動を求められ

ることだろう。残念ながら空き部屋はないが、奴と同じ部屋になるということだけはあるま

い」

「そうか……それならば安心だ」



 破格の待遇で迎えられているとは言え、現在の恭也・テスタロッサは敵に命を握られた捕

虜なのだ。そんな中であのヴィータと『好きあっているもの同士』と目され、同じ部屋で暮

らすなど、肉体的にも精神的にも耐えられそうにないことだった。



 目が覚めてから初めて心の底から安堵のため息をつき、ソファに腰を下ろす。犬の形態で

とてとて近寄ってきていたザフィーラが、前足でぽん、と恭也の膝を叩いた。



 デバイスもなく、念話も聞き取れないために正確には何を言っているのか分からなかった

が、同じ男として励まされていることは何故だか理解ができた。その前足を、しっかりと握

り返す。女性ばかりの敵地の中で、この男とだけは上手くやっていけそうな気がした。

































「お前の剣について聞いてもいいだろうか?」



 ヴィータの罵詈雑言と容赦のない拳と、それをやんわりと指摘するはやての声が絶えなか

った夕食の時間が終わると、各々が風呂に入った。



 女性ばかりの家庭で、客人でしかも男性である恭也が風呂に入るのは当然最後であり、お

まけにザフィーラの体を洗うことまで命じられた。言葉が通じることもあってザフィーラは

大人しく洗われてくれたが、眼前で大人しくしている犬が実は筋骨隆々の大男であると知っ

ているだけに、複雑な気分ではあった。



 それから多大な疲れの溜まった体を入念に解し、シャマルの用意してくれたパジャマに袖

を通した。これまたどこから調達してきたのか知らないが、特別な飾りのないシンプルなデ

ザインで色も黒。おまけにサイズまでぴったりだった。



 寝る準備も万端である。程よい疲れもあって、今すぐ布団に飛び込めばいい夢が見られそ

うだったが、普段は鍛錬のための準備をしているような時間である。時空管理局に入って生

活のサイクルは変わったが、それでも長年の習慣は変わる訳でもない。シグナムの質問は願

ったり叶ったりであった。



「答えられることなら。俺も剣士として、お前の力量には興味のある」

「ふむ。お前は私を剣士として扱ってくれるか? 自分では剣の使い手であるつもりだった

のだが、お前の戦いと比べては、自分が魔導師であることを実感せざるを得んところだ」

「お前をして魔導師とするなら、俺だって剣士ではない。剣にのみ寄って立つ者しか剣士と

呼べんのなら、剣士と名乗る人間などいなくなってしまうぞ」



 苦笑しながら言っても、シグナムに納得したような気配はない。先の戦闘で魔導師として

は半人前もいいところの自分に遅れを取ったのが気に食わないのだろう。さらに剣士として

の矜持を傷つけられたのだから根に持つのも解らないでもない。



 だが、恭也とてたまたま祖先が戦闘のための合理的な手段として二刀の剣術を選んでいた

から剣術を修めただけだ。自ら戦闘技術を突き詰めて剣に行き着いたのではなく、最初から

用意されていたものが剣だったに過ぎない。



 もし先祖が鎖鎌を得手としていたら、自分も鎖鎌の技術を修めていたのだろう。それを運

命的と言ってしまえばそれまでだが、育った世界の環境の違いを説いても、眼前の純朴な剣

士は納得してくれないことは予想がついていた。



「俺は魔法使いとの戦闘経験が少ない。幸か不幸か、これからは時間を持て余しそうだから

な。お前が暇な時で構わないから、稽古の相手になってはくれないだろうか?」

「力量はお前の方が上だろう? 私などが相手で満足できるのか?」

「強さが相対的な物であるということは、お前も解るだろう? 先の展開は俺とお前が初見

で、且つ、俺の得意な距離で戦闘が行われたから導きだされたに過ぎない。お前の得意に合

わせていたら、俺が瞬殺されたところで不思議はなかった」

「それはお前が勝っていたから言える台詞だ。逆の立場だったら、お前は納得するか?」

「……しないだろうな」



 より強くあろうとする者が、自分の歩いている道で壁にぶつかって、心中穏やかでいられ

るはずがない。況して負けた相手に情けをかけられたとあっては立場もない。



 シグナムは恭也の人生の中でも珍しい武人気質の女性だった。女性に大きく偏った交友関

係を持つ恭也でも数える程しか出会ったことはない、色々な意味で気の置けない間柄になれ

そうな女性で、会話をしていても、気難しい年頃の少女を相手にするよりはずっと楽ではあ

ったが、そういう自分に近しい存在のシグナムだからこそ、考えていることも理解できた。



 不貞腐れているのだ。理屈では解っているのだろうが、目の前の男に負けそうになったと

自分で思ってしまった事実は消しようがない。



 シグナムを『立てる』必要がある。それも、彼女が心の底から納得する形で。女性として

ではなく、剣士として、というのがせめてもの救いなのかもしれない。これに女心などとい

う不可解な物が絡んできたら、恭也では修復不可能だったろうから。


「俺の傷が癒え、お前達の望みが叶ったら、再戦してもらいたい」



 少考の後、恭也は型通りの言葉を口にした。それに対するシグナムの反応はやはり型通り

のもので、



「……私に今度こそ負けろ、というのか?」



 感情の沸点に到達しそうな気配があったが、侮辱とは取らなかったようである。それ幸い

と恭也はやはり型通りの言葉を続けた。



「俺は負けるつもりで戦いに臨んだことは一度もない。『戦えば勝つ』というのが俺の根幹

にある。剣を持って戦う以上、その背中にある者のことを考えれば、負けてはならないとい

う戒めであると思っている」

「私にも騎士として剣を捧げるべき主がいる。それがお前の信念に負けているとは思わない」

「俺が今話しているのは、そういう信念とは関係のない。剣士として求める、純粋な強さの

話だ。主義も主張も別にして、俺に負けそうになったのが悔しいのだろう? ならば、雪辱

の機会を与えようじゃないか。ヴォルケンリッターでもはやての従者でもない、ただのシグ

ナムに、俺は再戦を申し込む。その上で勝ってやる、という話をしているのだ」



 この上もないほど解り易い挑発である。それがテであることは理解は出来ても、武人であ

るのならば無視することは出来ない。舐められたまま終われないのが、武人だ。特に騎士で

あるシグナムは、名誉を重んじる。挑戦を断るような理由は存在しなかった。



「どうする? 嫌ならば無理強いはしないが――」

「騎士を舐めるな、恭也・テスタロッサ。挑まれた勝負に背を向けるなど、騎士にあっては

ならないことだ」

「では、俺の申し出を受けるのだな?」

「無論だ。積み重ねた私の技を見せてやる――と、先ほどから気になっていたのだが」

「なんだ――」



 言うが速いか、『背後』に立ったシグナムは恭也の頭に手をやると、手の力だけで強引に

恭也を振り向かせようとする。その意図を知った恭也は全力で抵抗するが、怪我をしている

今の状態で烈火の将を相手にするには分が悪い。



 結局、シグナムの目論見どおりに恭也は振り向かされた。ちょうど視線を合わせるように

屈んでいたシグナムと視線が合うが、凄まじい勢いで首を――そらせないため、視線だけを

逸らせる。



「……会話をする時には相手の目を見ろ。いつまで背中を向けたまま私と話すつもりだ?」

「俺には俺の流儀がある。口を挟まないで貰おうか」

「ならば私は私の流儀を口にしよう。ここは私の部屋。主は私で、お前は間借りしているに

過ぎない。ここでは私がルールなのだ。その私が命ずる、私の目を見て話せ」



 命令とまで言われては、従わない訳にはいかない。シグナムを正視したくないのっぴきな

らない事情が恭也にはあったが、なけなしの精神力を注ぎ込んでシグナムを見る。



 自分の要望どおりにことが進んだシグナムは満足そうに頷いて、恭也が異常なまでに汗を

かいていることに気づいた。追い詰めるような真似をした覚えのない彼女は、より顔を近づ

けて目を覗き込み、首を傾げる。





「どうかしたか、テスタロッサ」

「どうしたもこうしたも……」



 視線を逸らしたいが、命令されているので出来ない。それ以前に現在の状態では抵抗した

くても力技で押さえ込まれてしまうだろう。そうなっては目も当てられない。ワーストより

はワースということでの選択だったが、恭也にとって今の状況は拷問に等しかった。



 何も喋らず、ただ滝のように汗を流す恭也を訝しげに眺めるシグナム。恭也は律儀に視線

を逸らさないままであるので、自分に何か原因があるのではと思い至り、体を捻って確認し

てみるが特におかしなところはない。ないのだが……



「そんな子供のような反応をするな。お前も一人前の剣士だろう。女を前に慌てていては、

沽券に関わるぞ」

「俺の沽券を慮ってくれるのなら、もう少し控えめな格好をしてほしいのだが……」



 誰の発想なのか知らないが、シグナムは男物のワイシャツ一枚という、男であれば誰しも

視線のやり場に困るような格好をしていた。流石に下着は着ているようだったが、目線を合

わせるために屈んでいるため、寄せて挙げられた胸部が扇情的に強調されている。



 見ようによってはシグナムに迫られているようにも見えるのだろうが、誰がいつ来てもお

かしくないこの状況では――特にヴィータにこの現場を押さえられた日には、冗談抜きでグ

ラーフ・アイゼンで頭を潰されてしまう。



「この服は主はやてからの賜り物だ。この姿でいる私を眺めることが幸せの一つだと、仰ら

れた。この場で私に違う服を着ろというのは、主はやてを侮辱するに等しい。どうしてもと

言うのであれば聞いてやらんでもないが、その時はお前の命を貰い受ける」

「俺の命は、そのワイシャツに等しいのか」

「現時点で私がお前に払える、最大限の敬意だ。小さな命令ではあるが、主命と等価とした

のだ。誇りに思ってほしいくらいだ」



 言って、シグナムは恭也の頭を放るとベッドに腰掛けた。部屋にベッドは一つしかなく、

部屋の主であるシグナムがベッドを使っているのだから、当然恭也の寝床は床に敷かれた客

用の布団だった。



 風雨を凌げる場所に温かい食事と寝床。戦いに負けて連れてこられたことを考えれば破格

の待遇だろう。目の前で足を組むシグナムがいなければ、涙を流してはやてに感謝したかも

しれない。



 精神衛生を考えるのなら直ぐにでも部屋割りの変更を願い出ているべきなのだが、八神家

には自由に使える部屋は四つしかなく、その全てはザフィーラを除いた四人の女性に既に割

り振られていた。



 当然、後からやってきた恭也に部屋を割り振る余裕はない。恭也としては生かしてもらっ

ている以上、それ以上の待遇を望むことはないのだが、はやての辞書にはお客様を居間で寝

かせるという選択肢はなかったらしく、誰かの部屋に泊めようという結論と相成った。



 そんな訳で急遽開催された八神家緊急会議の議題は、恭也・テスタロッサのルームメイト

を誰にするか、となった。



 まず最初に却下されたのが、はやての部屋。これは、はやてを除いた全員からの意見であ

る。はやてから見ればお客様だが、事情を知っているヴォルケンリッターにとって恭也は敵

だ。ある程度信用しているからこそ八神家まで連れてはきたが、主の命を預けることとはま

た別の問題である。



 次点として挙がったのがヴィータだったが、これにははやてが強行に反対した。先の発言

が尾を引いていたらしい。男女は節度のある付き合いをしなければならないという鶴の一声

で、ヴィータ本人が乗り気でなかったこともあり、ヴィータとの同室案は却下された。



 残りはシグナムとシャマルであるが、矛先を向けられた時点でシャマルが難色を示した。

恭也自身に思うところはないと弁解はしたが、男性と同じ部屋で寝泊りするのは抵抗がある

というのが、シャマルの主張だった。



 そういう感情は無論シグナムにもあったが、怪我の回復していない恭也は脅威でもなんで

もなかったし、それとは別に直接剣を交えたシグナムは、その人間性を何となくではあるが

理解していた。



 悪い人間ではない。シグナムのその認識で、シグナムは恭也のルームメイトとなった。



「興味半分で聞くのだが、テスタロッサ。お前、女を知っているか?」

「知っていたら何だというのだ」

「ベルカでは、伴侶を持たない男は半人前とされる。騎士、それも前線にて戦うような者は

特に名誉を重んじるため、叙勲された時には既に伴侶を持っているのが普通だ。伴侶を持っ

ているが故に色香に惑わされず、ただ主命のために生きることができる……というのが建前

だ。実際には女遊びをする騎士もしれば、浮気をする騎士もいた。夫が戦場に出ているのを

いいことに、男を連れ込む妻もいた……私が何を言いたいのか分かるか?」

「強い剣士は女を知っている……」

「それがお前にとって正しい解なのか知らんが、私にとっては常識だ。私程度を前にしてう

ろたえているようでは、器が知れるぞ」



 足を組み変える。視線を逸らすどころか凝視してしまい、それがシグナムの苦笑を誘った。

嘲っているような雰囲気がなかったのが、せめてもの救いだろう。その程度と言っておきな

がら自分がどの程度なのか正確に知っているのだから、始末に負えない。



 こんなことになるのならあの時、無駄な我慢をしないでアルフを押し倒しておけば良かっ

たと後悔する恭也であったが、後悔したところで破裂しそうなほどに鼓動する心臓はどうし

ようもない。余裕ぶるシグナムを前に返す言葉は、何もなかった。



「言い返してこないのか?」

「女を知らないのは事実だからな。お前がそこを突いてくる限り、俺には抵抗のしようがな

い」

「知れば良かろう? さしあたって、私が相手ではどうだ?」

「…………俺は今、お前の正気を疑っているぞ。捕虜を手篭めにする騎士は、外道と言うの

ではないか?」


「お前は捕虜ではなく、客分だ。主はやてがそう認めた以上、我々は最大限その意思を尊重

する。尤も、我々の利害と主はやての利害は完全に一致している訳ではない。主命は本来何

よりも優先すべき事柄であるが、主の生命より優先する事柄は我々にはない。人道に寄って

我々はお前の命を救ったが、お前がそれを踏まえない行動をするというのなら、私は躊躇い

なくお前の首を刎ねるだろう」

「それと俺が女を知ることに、何の関係がある?」

「つまるところ、主はやてとそのご命令に関わることでなければ、我々は自分の主義主張を

貫くということだ」



 ベッドから立ち上がったシグナムは、野菜でも引っこ抜くかのように恭也の腕を持ち上げ、

ベッドに放り投げた。この部屋は二階にあり、はやての部屋は下にある。このまま落下すれ

ば下のはやてに気づかれる、と恭也が戦慄したのもつかの間、電光石火の早業で恭也の脇と

膝の裏に腕を差し入れるとベッドに横たえ、その上に覆いかぶさった。



 男の身で所謂『お姫様だっこ』を女にされるという屈辱を始めて味わった恭也は、余裕の

表情でマウントポジジョンを取るシグナムを睨みつける。



「……お前が男で俺が女であれば、悲鳴を挙げるべきところだな」

「しかし現実には私は女で、お前は男だ。悲鳴を挙げれば、お互い不名誉なことになる」

「はやてはこんなことを望むと思うか?」

「知られなければ、望むも望まないもない。私はお前が主はやてに密告するような男ではな

いと、確信している。行動を起こすには、それで十分だ」

「俺は、お前という存在がよく解らない」

「私は、お前という存在をもっと知りたい」



 無言のまま見つめあい、数秒の時間が過ぎる。先に動いたのは、恭也だった。明確な意思

を持ってシグナムの肩を押しやり、ベッドから降りる。シグナムが盛大にため息をつくのが

聞こえた。



「臆病者と罵るべきところか?」

「理性的だと褒め称えるべきところだ。俺はもう寝る」

「女を知らないまま、一生を過ごすつもりか? これが最後の機会かもしれんぞ?」

「それでも、知るべき時は俺が決める。小僧の戯言と思いたくば思えばいいさ」


 話はこれで終わりとばかりに布団に飛び込み、シグナムに背を向ける。追ってこられれば

抵抗は出来ないが、明確に拒否という意思表示をしたことで、シグナムも踏み込んでこない

ようだった。苦笑し、ベッドに入る。



「……禁欲も度が過ぎると健康を害するぞ」

「俺は寝ると言った」

「小僧にしか聞こえない魔法の言葉だ」



 それきり、シグナムは言葉を発しなかった。話はこれで終わり。からかった小僧が乗って

こなかった。恭也にとっては大事件だったが、シグナムにすればその程度のことなのだろう。



 言いたいことは山ほどあったが、小僧の立場ではそれを言うこともできない。今度この話

を蒸し返されたら、抵抗できる自信は恭也にはなかった。



 降伏の姿勢を見せて全てを受け入れることが出来たら、どんなに楽だろうか。おそらくは

極上の快楽を味わえるのだろうが、その後に待っているのは地獄だ。攫われたその先で不埒

なことをしていたことがアルフ辺りにばれたら、耳くらいは齧られて持っていかれてしまう。



 申し出を受けるにしても、せめて開放されるまでは待たなければならない。ガタのきてい

る体でも、それくらいなら持つだろう。持たなければ耳がなくなるのだから、持たせなけれ

ばならない。



(攫われても女難か……俺に安住の地はないのか)




 問いかけても、答えてくれる相棒はいなかった。









後書き

迫られてもドキドキはするのに状況には流されない男、恭也。
別に特殊な趣味をしている訳でも不能な訳でもありません。まだ全てのフラグを回収していないため、
エロシーンが発生しないのです。
アンケートの結果はシグナムの格好は圧倒的多数で裸ワイシャツになりました。この格好は愛されてる
んだなぁと実感する結果に。
これからしばらくは原作の裏側を縫う形で、第97管理外世界編が始まります。魔王様がきちんと台詞を
言うのはいつのことになるのか……