物心ついた時から、高町美由希は本が好きだった。まだ刀を握ることが許されていなかっ

た頃、義兄と義父が鍛錬をしている間、美由希がすることと言えば読書だった。自分からど

の本が欲しいと義父に強請ったことは一度もないが、気がつけば自分には義父から本が与え

られていた。



 義父も、構ってあげられないことに後ろめたさを感じていたのだろう。義父は事あるごと

に本を買い与えてくれた。義父が仕事で大怪我をし、引退を余儀なくされた頃には、美由希

の部屋は本で埋め尽くされていたほどだ。



 義兄に倣って刀を振り始めてからはそれまでよりは本を読む時間は減ったが、自分の部屋

で大人しく読む時間が減っただけで、本そのものへの愛着は消えなかった。委員会活動は図

書委員で、友人もそれほど多くはなかったから、鍛錬をする時以外はいつも本を読んでいる

ような生活は今でも続いている。



 高校生になった今では専ら図書館を利用していた。当然のことではあるが、学園の図書室

よりも蔵書量は多く、新刊も定期的に読むことができる。何より懐にダメージを与えること

なく読書欲を満たせるという事実が、美由希の本好き魂を刺激していた。バイトも鍛錬もな

い時は、図書館にいると言ってもいい。どの司書よりも、館内の配置に詳しい自信もある。

誰に呼ばれたこともないが、まさに図書館の主であった。



 そんな美由希にも、図書館で必ずと言っていい程に顔を合わせる少女がいる。義妹の友人、

月村すずか。兄に付き合って月村の家を見せてもらったことがあるが、あの家の書庫は既に

図書館の域に達していた。経済的にも恵まれたあの家ならば、例え家から一歩も出ることが

なくても、読書欲を満たすことができるだろう。



 事実、今までのすずかは美由希ほど図書館に顔を出していた訳ではなかった。よく顔を見

るようになったのは、ここ半年のことである。



 半年前に何があったのか……深く思考するまでもない。美由希の脳裏に浮かんだのは、義

兄に良く似た少年の姿だった。義兄よりも暴力的で、洗練された動きで暴漢を叩きのめした

あの少年。



 彼はすずかに言ったのだ。『また、図書館で!』と。その言葉を律儀に守っているのだと

したら、何とも乙女ではないか。忙しい合間に時間を作って、図書館で一人相手を待つ。



 これが小学生の姿だろうか。美由希は同じ年齢であるはずの義妹の姿を脳裏に思い浮かべ、

そのあまりの子供っぽさに嘆息した。正直自身にも、年相応の大人っぽさが身についている

という自身はないが、義妹は年齢以上に見た目が幼い気がする。



 それは、義母の遺伝子を正しく受け継いでいるという証明でもあるのだが、半年もすずか

の乙女っぷりを見せ付けられている身としては、義妹の将来が心配でならなかった。



 美由希はすずかの正面の席に座りながら、見るともなしに彼女の姿を眺めた。



 緩いウェーブのかかった紫色の髪に、真っ白なヘアバンド。物憂げに本に視線を落として

いる様は、まさに深窓の令嬢。古典的なその表現が当てはまる程、眼前の小学生は大人びて

いた。



 これが、男を待つ女の姿かと、未だに浮いた話の一つもないわが身を空しく思いながら、

美由希は今日もページを捲っていた。



 すると、今まで本から目を逸らすことのなかったすずかが、ぱっと顔を上げて振り返った。

美由希も釣られて、視線をそちらの方に向ける。



 車椅子の少女がこちらにやってくるところだった。義妹やすずかと同じくらいの年齢だろ

う、淡い茶色の髪をした少女――一人で来ることが多かったが、最近は人目で外人と分かる

女性と一緒に来ることの多い、美由希と同じく図書館の常連だった。



 だが、今回車椅子を押していたのは女性ではなかった。黒一色の服装に、眼つきの悪い面

構え。反社会的な雰囲気を出している訳でもないのに、他人を寄せ付けない空気を持った少

年。



 見覚えのありすぎる顔、そして、すずかの待ち人。



 椅子を蹴飛ばすような勢いで立ち上がったすずかは、彼のもとに駆け出そうとして、ここ

が図書館であることを思い出したのか、ぱっと頬を染めて俯いた。



 少年と車椅子の少女の視線が、すずかに向く。少年の方はすずかの顔をしっかりと覚えて

いたようで、車椅子の少女に二三言声をかけると、揃ってすずかの方へ、つまりはこちらへ

とやってきた。



「お久し振りです、すずか。お変わりはないようで」

「恭也さんも、お元気そうで。今日はカードはお持ちですか?」

「相変わらず持ってはいませんが、連れがいまして。今日は彼女のカードを借りるというこ

とで話がついているのですよ」

「もう……自分のカードを使わないと駄目なんですよ?」

「なるべく早く作ることに致します。さて――」



 少年――恭也はすずか、車椅子の少女、そして自分と順に見回した。



「ひとまず場所を変えましょうか。図書館で自己紹介というのも、如何にも不味い」

























 ヴォルケンリッターの面々は、各々理由をつけて家を空ける。額面通りに彼女らの言葉を

信じるはやては、四人のうち誰か残った者と一緒に彼女らの帰りを待つ。



 しかし、先の戦闘で管理局に目を付けられたことを知った彼女らは、目的達成のための作

業をペースアップすることを決定した。主を残していくことに後ろめたさを感じてはいるよ

うだったが、ちょうど手頃な話相手を獲得していたことに、遅まきながら気づいたのだ。



 一応捕虜の身分である者と主を一緒に残していくことに抵抗を覚えたシグナム達だったが、

はやての、自分は大丈夫だから、という言葉に負けて、各々身支度を整えて家を出て行った。

今頃、どこの世界とも知れないところで、知らない生物とでも戦っているのだろう。



 シグナム達に思いを馳せてみたものの、戦う手段を持たない今の自分ではどうすることも

出来ない。せめてはやての孤独を癒す手助けをしようと思うに至り、どこか出かけたい場所

はあるかと聞いてみたところ、いの一番に出てきたのが、図書館だった。



 図書館と聞いて思い出すのは、半年前。社会のクズのような連中を叩きのめす羽目になっ

た、小さな事件。あの後すぐに管理世界に旅立ってしまったせいで、事の顛末を恭也は知ら

ないでいた。



 まさか、あの少女とメガネに限って下手を踏むということはないのだろうが、それでも、

気になるものは気になっていた。携帯電話など持たず、まさか彼女らの家に押しかける訳

にもいかなかった恭也にとって、はやての図書館行きは渡りに船だったのだ。



 案の定、車椅子を押していった先で、少女達二人に出会うことが出来た。無事であること

は解った。あの事件に関しては、それだけで十分だった。



 場所を図書館近くの公園に移し、自販機から買ってきたホットの紅茶をはやてとすずかに

配る。自分もプルタブを空けて一口飲んだところで、メガネの少女が恨めしそうにこちらを

睨みやっていることに初めて気づいた……振りをした。



「なんだメガネ。何か用か」

「……本気で言ってる? そこまでの気遣いが出来る人なんだから、はっきりと喧嘩を売っ

ってるって解釈でいいのかな。何だか私、今の貴方になら勝てそうな気がするんだ」

「子供の前で殴りあいをするのは気が引ける。決着をつけるのはまた次の機会だ」



 武器もない今の状態では美由希にも勝てないだろう。足場を作って空中まで逃げれば負け

ることはないだろうが、眼前のメガネを相手にそういった逃げの戦法を取ることは恭也の矜

持が許さなかった。



 自分の分のホット紅茶を美由希に差し出す。手持ちの金は、シャマルから預かったもので

新たに紅茶を買い与えるなどという無駄使いはできない。



 美由希は実に不満そうに紅茶とこちらの顔を見比べていたが、これ見よがしの大きなため

息をつくと、大人しく紅茶を受け取った。



「あっ」



 小さな声が恭也の耳に届いた。見ると、すずかが紅茶を手に持ったまま、小さな口を半開

きにして美由希を――彼女の手元の紅茶を見ていた。



「……どうかしましたか?」

「いえっ、なんでも、ないです……」



 顔を真っ赤に染めたすずかは慌てて視線を逸らし、体ごとそっぽを向いてしまった。何か

が彼女をそうさせたのだろうが、恭也には原因が解らない。



 仕方なしに残りの二人の少女に目をやると、彼女らもまた恭也を見つめていた。首を傾げ

て疑問の意を示すと、揃って驚いたような表情を見せる。二人は何故こうなったのかが分か

るようだったので質問しようとすると、はやてが器用に車椅子を小さく動かして、美由希に

顔を寄せた。



「美由希さん、恭也さんはこんなお人なんですか?」

「付き合い短いけど、そうなんじゃないかな、と今確信したところ。駄目人間だよね、恭也」

「内緒話をするのなら、内緒になるように努力しろ、二人とも」



 頭を叩く様な仕草をすると、またもはやては車椅子を華麗に操り、美由希の影に隠れる。

恐々とこちらを見るはやてを見たら、彼女を叩く気は失せてしまった。ヴィータ辺りにそん

なことをしたのがバレたら、グラーフアイゼンで頭を潰される。



 仕方がないので、はやてを庇う形で立っている美由希の頭を叩くことにした。特に技術を

使うでもなく、ぽかりと一発。どうにかして防御を抜いてくる、そんな工夫をこちらがして

くると思っていたらしい美由希は、そのやる気のない一撃に拍子抜けしていた。



 その表情が気に障ったので、もう一度、今度はやや力を込めて叩いてやる。



「文句があるのなら口に出して言うことだ、メガネ」

「いや、文句ってほどじゃないんだけどね……どうかした?」

「目に見える通りだ。大事はない」

「大事ないならいいんだけど……」

「……解らない奴だな。全力全開で相手をすることを所望なら、考えんでもないが」

「それは遠慮しとく」



 苦笑して、美由希は小さく両手を挙げた。降参の意を読み取った恭也は面白くなさそうに、

空になった紅茶の缶を美由希からひったくると、ゴミ箱に向かって放り投げた。空き缶は綺

麗な放物線を描き、乾いた音を立ててゴミ箱に収まる。すずかとはやてから小さな拍手が上

がった。



「それはそうと、はやてとすずかは以前から知り合いだったのですか?」

「話したことはなかったんですけど、前から図書館で見かけてました。私と同じ年くらいの

娘だなぁ、って」

「わたしも同じです。お友達になれたらなぁ、ってずっと思っとったんですけど、それは今

日叶ってまいました」



 読書という共通の趣味がある二人は瞬く間に打ち解け、メールアドレスの交換なども既に

済ませていた。今日初めて会話をしたとは思えないほどに、仲睦まじく見える。自分には出

来ない芸当だと素直に感心していると、隣の美由希が携帯電話を差し出してきた。



「何の真似だ、メガネ」

「携帯電話持ってないの? はやての家にお世話になってるってことみたいだし、連絡は取

れるようにしておいた方がいいかなって」

「ふむ。するとお前は迷惑メールのようで、全く意味のない適当な文字で埋め尽くされたメ

ールを、俺から送られることを望んでいる訳なのだな?」

「どこをどうしたらそういう解釈ができるのかな……そうじゃなくて、普通にアドレスの交

換したいだけだって。で、持ってないの?」

「持ってはいたのだがな……つい最近ゴタゴタに巻き込まれてな。紛失した」



 管理世界ではデバイスが通信装置をかねるために携帯電話は持っていなかったし、この世

界に留まったのは通算しても一週間に満たない。第一今は先立つ物を持っていない。携帯電

話など持っているはずもなかった。



 だからと言って、大人しく持っていないというと美由希など突っかかってくるに決まって

いる。仕方がないから紛失したと嘘をついたら、横で話を聞いていたはやてがぽん、と手を

打って話に加わってきた。



「そんなら、私が恭也さんに電話買うてあげます」

「気持ちは嬉しいのですが……」



 自分よりも年下の、小学生の少女に金を工面してもらうという現実が悲しくて、恭也は思

わず渋い顔をする。シグナム達はザフィーラを除いて持っているようだから、彼女らの世話

をしているはやてにとって、自分にも携帯電話を買い与えることは自然な流れなのだろうが、

素直に頷けるほど、ヒモになりたい訳ではなかった。



 しかし、いざという時の連絡手段がないというのも、確かに困るのだ。プレシアの補助が

あれば念話の送受信は出来るが、恭也単体では行使することが出来ないし、それでは何より、

はやてや……連絡することがあるとは思えないが、美由希に連絡を取ることが出来ない。



 なければ困るのだ。しかし、おいそれと頷く訳にはいかない。男としての矜持と実用性の

間で恭也が唸り声を上げていると、すずかがおずおずと手を挙げた。



「はやてちゃんからプレゼントされることが角が立つのでしたら、私からプレゼントさせて

もらえませんか?」

「貴女からプレゼントされることの方が、よほど角が立つと思うのですが……」

「とんでもないです! 私、まだ半年前のお礼を恭也さんにしていません。これくらい、助

けてもらったことに比べたら何でもないです!」

「しかしですね……」



 携帯電話というのは買ったらそのまま使えるというものではない。使用するためには月々

金を払う必要があり、この話の流れではそれまでもすずかに面倒を見てもらうことになる。



 全てに片が付いて、自分で料金を払う目処が付いたらそうするにしても、それまでこの儚

げな少女に面倒を見てもらうことは、はやてに頼る以上に抵抗があった。



 しかし、この儚げな少女の瞳には明確な決意が宿っている。ちょっとやそっとでは、自分

の言葉を翻したりはしないだろうことは、容易に想像が出来た。大したことをしたとは思っ

ていないが、自分が彼女を助けたというのは事実なのだ。



「今は手持ちがないのでどうすることも出来ませんが、いずれ貴女に返します。それまで借

りておくということで、手打ちにしてはいただけませんか?」

「私は別に、差し上げてもいいんですけど……」

「それでは俺の気がすみません。俺の男を立てると思って、お願いします」



 恭也が小さく頭を下げると、すずかもようやく納得したようだった。



「じゃあ、これから電話を見に行きませんか? 私、姉の影響で少しだけ機械には詳しいで

すから、恭也さんに合った機種とか説明できますよ」

「自分は逆に機械に疎いものでしてね……貴女の説明を参考にさせていただきます」

「だったら……その、恭也さんが良かったらなんですけど、お揃いの電話にしませんか?」



 それは同じ機種にしようという誘いなのか、さらにその上で同じ色、機能にしようという

誘いなのか判断に困るところではあったが、すずかが頬を染めながら懐から取り出したのは

深い紫色をしたシックなデザインの携帯電話だった。



 少女趣味のごてごてした物が出てきたら難色を示したのだろうが、これならば中身がどう

であっても関係がない。まさか、電話やメールをするにも複雑な手続きの必要な電話、とい

うことはいくら『あの』月村忍の関係者と言ってもありえないだろう。



 どうせ自分のセンスで物を買うと、女性人からはやたらと評判が悪いのだ。『そのセンス

はありえない』とか『とにかく地味』とか何度言われたか知れない。実用一点張りで誰にも

相談せずに自分で手配をすることが多かったため、他人に、それも女性に物を選んでもらう

という発想はなかった。



 目の前の少女なら、少なくとも自分よりは普通なセンスをしているだろう。安心して全て

をすずかに任せようとした矢先、さっ、と流された形になったはやてが抗議の声を挙げる。



「ちょーっと待ってください。すずかちゃんがおっけーなら、私にだって恭也さんに携帯買

うてあげる権利はあります! どんな携帯にするかは、私のオススメを見てからでも遅くは

ないはずです!」



 何やら妙に力が入っている様子のはやてである。突然の物言いに恭也と美由希は目を丸く

するが、ある程度予想がついていたのか、すずかは必要以上に満面の笑みを浮かべると、は

やての正面に立ってその手を握った。



 その背に炎が見えた気がするのは、完全に気のせいという訳ではないだろう。



「勝負です、はやてちゃん。私、負けませんから」

「わたしだって負けません。恭也さんだって家の子やもん、プレゼントは私の役目や!」



 友達になったばかりの少女二人は、握手した腕を二度、三度ぶんぶん振り回すと、その瞳

に炎を燃やしてこちらに振り返った。



「……年下キラー?」

「格好悪い言い方をするな」



 呆れた顔で肩を竦める美由希に、それだけを返す。確かに元の世界では、周囲に年下の女

性の方が多かったが、その縁を取り持ったのは基本的に自分ではない。晶を連れてきたのは

美由希であったし、レンは元々家族ぐるみの付き合いをしていた。



 まぁ、それを置いておいたとしても、何故か自分の人生は奇妙な縁に塗れていたが、自分

が世間を知らないだけで、世の男性というのは皆そういう物なのだろうと思っていた。多か

れ少なかれ、誰にも運命的な出会いというのはあるもので、自分は特殊な家系と特殊な仕事

をしていたため、それが少しばかり多かったに過ぎないのだと。



 元の世界にいる間に、それが見当違いだとついに気づかなかったことは、彼の周囲を取り

巻いていた女性達の不幸の一つであったのだろうが、その感性は世界を移動した程度で変わ

るほど軟な物ではなく、恭也の魂の気質と言うべき物もまた同様だった。



「で、どうするの? どっちを選んでも角が立たない?」

「それを店に着くまでに考えねばならん。忌憚のない意見を募集する」

「いっそのこと携帯二つ持てば?」



 投げやりに答えた美由希に、恭也は明確な答えを返せない。最終的にはそうするしかない

と、今の今まで考えていたからだ。








































 結果だけを言うと、携帯に関する勝負は家主であるはやてに軍配が上がった。あくまでも

自分と同型機にすることに拘っていたすずかよりも、恭也の好みと機能性を考えたはやての

機種の方に魅力を覚えた故のチョイスだったのだが、目に見えて落ち込んでしまったすずか

を見てたら流石に気の毒になり、『二人きりで休日の買い物に行く』、『アドレスの登録は

一番最初』などの条件を飲むことになってしまった。



 今度は逆にその程度で済むことに違和感を覚えてしまった恭也であったが、涙すら浮かべ

ていたのにすぐに笑顔になったすずかを見ると、これでよかったのだ、という気分になった。

美少女というのは笑顔でいるのが一番である。



「テスタロッサ、主はやてから携帯電話を賜ったのか?」



 八神家での夕食も済み、居間で説明書を見ながら携帯電話を弄っていると、風呂上りのシ

グナムが肩越しに覗き込んできた。



 相変わらずの男物のワイシャツ一枚という危険な格好だったが、二度目となるともう慣れ

た。『その通りだ』という無難な対応をすると、からかうつもりも多少あったらしいシグナ

ムはつまらなそうに小さく舌打ちをすると、恭也の左隣に座ってチャンネルを変えた。



 特に見たい番組があるでもないらしく、行き着いた先はニュース番組だった。見るとはな

しにニュースを読み上げるアナウンサーを見ながら、携帯を閉じた。



「いざという時のために、番号を交換しておきたいのだが」

「念話を使えばいいではないか。主はやての負担になることは、我々は極力避けねばならん。

捕虜であるお前とて、例外ではないぞ?」

「魔法が当たり前の世界で生まれたお前達と俺を一緒にするな」



 シグナムと同郷とはやての前で言ってしまった手前、聞かれては不味いとシグナムの耳元

に顔を寄せる。傍からみたら愛を語らう恋人同士のようで、実際にその現場を何気なく見て

しまったシャマルは、間抜けな声を挙げて洗っていた皿を取り落とした。



 慌てて皿に欠けた箇所がないかチェックするシャマルを胡乱な目で眺めやりながら、強引

にシグナムから聞き出した番号をコールし、登録させる。



「後でヴィータにも教えておいてくれ」

「シャマルには伝えんでもいいのか?」

「シャマルさんには俺が自分で伝える。ヴィータは……俺はどうも、あれには嫌われている

ようだからな、普通に番号を交換しようと言っても聞いてはくれんだろう」

「何しろ、お前に愛を囁いた猛者だからな」



 喉の奥で笑うシグナムに新聞を押し付け、ザフィーラを連れて立ち上がる。女所帯では男

の風呂の順番は最後なのだ。時間を気にせずゆっくり入れるかとも思ったが、不経済だとい

うことで入浴時間は決められている。そして男なのだからそれほども必要なかろうと、恭也

達に割り振られた時間は八神家の中で最も少ないのだった。



 長風呂をしたと感じた時でも、シグナムの入浴時間の半分にも満たないのに、急かされる

というのは理不尽な気も多分にしたが、こういう時に男が何を言っても女に勝てないことは

経験として知っている。



 元より、風呂にそれほど拘りがある訳でもない。自分の体を洗うのもそこそこに、ザフィ

ーラを洗うことに重きを置こうと居間のドアに手を伸ばすと、ちょうど寝ぼけ眼のヴィータ

が入ってきた。



「シャマルー、牛乳ー」



 天敵である恭也を無視して、ふらふらと台所に向かう。皿の検分を終えたシャマルは、苦

笑しながらコップに牛乳を注ぎ、ヴィータに差し出す。妙におっさん臭い仕草で牛乳を一気

に飲み干すと眠気も少しは飛んでようで、一連の行動を恭也に見られていたことに気づいた

ヴィータは、顔を赤くして『跳んだ』。



「死ね!」



 体の小ささにしては存分に力の乗った蹴りであったが、魔法戦闘はともかく格闘技術に関

しては素人に近いらしい。繰り出された右足を片手で掴み、勢いを殺して逆さにつるす。パ

ジャマ姿のまま釣られる羽目になったヴィータは、捲れ挙がる上着を気にしながら、さらに

顔を赤くして、無事な右手で突き、突き――



「はやてが起きる。暴れるのなら明日にしろ」

「うっせーキョウ! お前に命令される謂れはねーぞ!」



 静かにするつもりはないようで、ヴィータのエキサイトは止まらない。仕方なく逆さ釣り

にしたまま口を塞ぐと、容赦なく指を噛み千切らんばかりの力で噛み付いてきた。



「…………痛いのだが」



 返事はなく、噛み付く力を強めるばかりである。嫌われたものだと苦笑しながら、残った

手でヴィータの口を強引に開き、指を開放する。歯型と涎のついた指をヴィータに見せ付け

ると、彼女は忌々しそうに顔を背けた。



 そのまま足を離すと、ヴィータは空中に器用に身を捻って足から着地する。撒き目も振ら

ず駆け出すヴィータの背中に、



「キョウとは何だ? 俺の名前は恭也だ。そこまで言ったのなら、最後まで言え」

「お前なんてキョウで十分だ!」



 そんな捨て台詞を残して、ヴィータは居間から消えた。



「災難だったな」



 新聞を小脇に抱えたシグナムが寄ってきて、ヴィータの噛み痕を見る。



「傷痕は残らないだろうが用心しろ。しかしあだ名で呼ばれるとは、知らぬ間に随分と仲良

くなったものだな」

「名前を縮めて呼ぶだけで仲の良さを証明できるのなら、お前もそう呼んでやらんこともな

いぞ、シグ」

「……不思議な感覚だが、悪くはない。あだ名で呼ばれることなど生まれて初めだ」

「あら、それなら私のこともあだ名で呼んでくれますか?」



 エプロンで手を拭きながら、気体に満ちた目でシャマルが歩み寄ってくる。恭也は中空に

視線を彷徨わせると、最初に浮かんだ名前を口にした。



「シャマルですから、マルとか――」



 言い終わるより早く、恭也の右手は弾丸のような速度ですっ飛んできたフォークを握り締

めていた。直撃すれば頭蓋骨まで到達しそうな速度であったそれは、シャマルから放たれた

物だった。



「その名前をあと一度でも口にしたら、臓物をぶちまけますのでそのつもりでいてください

ね?」



 無表情に微笑む、という器用な表情をしたシャマルに、恭也はただ首を縦に振るしかなか

った。