必要であるからそうしているという人間はいても、やられっぱなしが性分にあっていると

いうマゾ気質の染み付いた人間は数少ない。高町美由希は必要であるから、というよりはそ

うならざるを得ないからやられっぱなしになってはいたが、機会さえあれば反逆しようとい

う気概は持ち合わせていた。



 今日も今日とて、その反逆のために義兄と共に腕を磨いていたが……悲しいかな、反逆し

たい相手の一人である義兄にさえ、一矢報いる目処はたっていなかった。この調子では、今

最も反逆したい相手――義兄と同じ名前をした、あの眼つきの悪い少年をぎゃふん、と言わ

せるのは、一体何時のことになるのか検討もつかない。



 義兄は先に家へと帰った。あんな兄でも一応こちらを女の子として扱ってくれるらしく、

明確な理由を語らずに残りたいと言い出した自分を心配はしてくれた。



 無駄に心配をさせてしまったことに胸は痛んだが、一人で鍛錬をしたいということもある。

競争相手と同じことだけをしていたのでは、決して相手を超えることは出来ないことは義兄

も理解をしてくれるだろう。



 だが、自分には才能がないと思い込んでいる義兄は、『物事を可能な限り噛み砕いて理解

し、出来るまでそれを実践する』ということにかけては右に出るものがいない。実戦刀術を

教育する腕は、既に義父を超えていることだろう。



 指導者としてこれほどの存在は日本中を探してもそういないはずである。それだけに、彼

の世話にならずに彼を超えようとする者にとっては、高い高い壁となっていた。



自分の才能が箸にも棒にもひっかからない程度しかないとは思わないから、努力し続けて

いればいつかはもう一人の恭也を超えることが出来る……と信じるしかない。あの少年を右

足で踏みつけて高笑いをあげるその日まで、鍛錬を休む訳にはいかないのだ。



「まったく……どっちの恭也もデリカシーの欠片もないんだから」



 兄の恭也の方がいくらかマシだが、どちらも負けず嫌いであることに変わりはなかった。

自分に華を持たせるなんてことは考えもしないだろうし、特に『あっち』の方の恭也はこち

らが弱みを見せたら喜んで突いてくるだろう。



 どこをどうしたらあんな残虐超人になれるのか理解に苦しむ。兄の方の恭也も似た性質を

持っている訳だから、もしどこかでボタンを掛け違ったとしたら、兄の方の恭也もああなっ

ていたのか思うと、ぞっとする。



「私はこんなに普通の性格をしてるのにね」



 言ってみて、自分で悲しくなってきた。普通というのは地味ということでもある。それが

自分のカラーなのだと割り切るには、美由希はまだまだ幼かった。



 気を取り直して荷物を担ぎなおし、周囲を見回す。



 秘密の場所。地元の人間だって足を踏み入れないだろう、山奥の湖。足場は決して良くは

ないが、人目につかない場所というだけで、美由希を始めとした高町一家には重宝する。



 鍛錬の場所は広く、そして数があることに越したことはないが、物騒な世の中であるから、

いくら模造刀とは言え、刀を持ってうろついたり、あまつさえ実戦形式の鍛錬などをしてい

たりすると、普通の感性をした人間は何事かと思うのだ。



 義父の伝手で警察には既に話が通っているが、それが末端まで行き渡っているとは限らな

いし、何かの間違いで一般市民から通報されてしまっては警察としてもスルーする訳にはい

かない。



 後ろくらい事など何一つないが、無理に自分達から波風を立てる必要もない。大手を振っ

て鍛錬のできる広大な場所が欲しい、というのは美由希に限らず義兄や義父も考えているこ

とだった。



 この湖も、海鳴に越してきたばかりの頃に義兄や義父と共に発見した場所だった。特に見

るべきところがないために使うことも少ない場所であったが、誰にも知られたくない鍛錬を

やるにはもってこいの場所でもある。



 自分以上に自分の体のことを知っている義父や義兄以上に、効率のいい鍛錬の方法など美

由希には思いつかなかったが、どれほど苛め抜いたら身体が壊れるか、というのは今までの

鍛錬で理解していた。



 今は身体を動かしていたいのだ。身体を壊すようなことがなければ、どんな鍛錬をしたと

あの二人も認めてくれるだろう。



 差し当たって、型を三通りほどやることにした。既に義兄と鍛錬をした後であるし、体力

もそれほど残っている訳ではない。こんなことをしていて『あっち』の恭也に勝てるのか疑

問ではあったが、何もしなければ追いつけないどころかどんどん差が開いていくのは目に見

えている。何もしないという訳にはいかないのだ。



 自分は出来る、という前向きな考えと、いくらやっても勝てないのでは、という弱気な考

えが同時に脳裏に渦巻く。心を沈め、それらを強引に追い払うと、剣士の顔になり感覚を研

ぎ澄ませた。



 左の小太刀を抜いて、背後に一閃。



 型の動作ではない。それは、望外の行動だった。自分の体のことであるのに、何よりもそ

れを成した美由希本人が驚く。



 何に反応したのか――考えても結論は出ない。しかし、何を感じたのかは身体が覚えてい

た。殺気である。



 自分を攻撃するという意思を感じたのだ。それも、即座に攻撃しなければ対処できないと、

剣士としての本能が感じるほどの。



 何かがいる。慌てて美由希は周囲を警戒した。襲われるような覚えは自分にはないが、そ

れは襲われないということの保証にはならない。どんなに品行方正に生きていても、人間、

襲われる時は襲われるのだ。そんな時のために今の世の中でも自分達のように武術を修める

人間がいる。



 五感を総動員して、周囲を探っても『誰かがいる』という結論は出せなかった。咄嗟に手

が出てしまった以上、攻撃を加えられるような位置に誰かがいたはずである。勘違いである

はずはない。



 人を殺すような力を振るう以上、それを無闇に振るってはならない。そういった精神論は、

御神流を習い始めた時に、嫌というほど叩き込まれた。


「誰! 出てきなさい!」



 声を張り上げても、周囲に気配は出てこない。人を襲うような獣でもいるのかとも思った

が、そんな獣がここまで見事に気配を消すことが出来るはずもない。獣が動けば後が残る。

地面にも空気にも、そんな痕跡はなかった。



 身体が、何かにぶつかった。周囲を警戒したままで、少しずつ動いていたらしい。視界の

隅でそれを捕らえる。



 古い、社のようだった。この湖には何度か来たことがあるが、初めて見るものだった。由

来も何もない。故に、何が祭ってあるのかも分からない。管理する者すらいないのだろう。

打ち捨てられた昔の建造物など、海鳴では珍しくもない。



 これもその一種だろうと適当に片付けて、周囲の警戒に戻る――背後から、殺気。



 もう一度、今度は理解を伴って小太刀を振るい、『社の扉』を破壊した。



 

 古い細かな木片とかび臭い空気が舞う中、美由希は社の中を見た――見たような気がした。





























「――シャム。今、何か感じましたか?」



 夕飯の買い物の帰り。八神家への帰りを急いでいた買い物班の一人であった恭也は、不意

に感じたその悪寒に、一家の参謀役である女性に声をかける。



 ちなみのその女性の名前はシャマルという。恭也以外の家族はそのままシャマルと呼ぶが、

過日戯れで口にしたあだ名が大層お気に召さなかったらしく、顔をつき合わせて『どう呼ば

れるのが一番可愛らしいか』協議を行った結果、妥協案ということで採用されたのが『シャ

ム』だったのだ。



 現在は不愉快にさせた罰として、シャマルが満足するまでその名前で呼び続けるという罰

ゲームが実行中である。別に呼び方一つ……と恭也は思うが、譲れない一線というものが彼

女にはあるらしい。



 ともあれ――恭也の半分ほどの袋を抱えたシャマルは、恭也からの質問に驚くでもなく周

囲の気配を魔法を用いて探った。時間にして数秒の後、



「いえ、周囲3キロに魔導師及び魔法が使われた気配はありません。もっとも、隠蔽されて

いる可能性はなきにしもあらずですけど……」

「シャマルの索敵は我々の中で最も優れているぞ。そのシャマルがないと言っているのだか

ら、私ならば気のせいだと判断するところであるが……どの方角だ」



 何か感じたという曖昧な表現であったから、明確な答えが返ってくることは期待していな

いのだろう。シグナムは、とりあえずといった風に質問を口にしたが、その意に反して恭也

は、その気配を感じた方角を指差した。



 軽く目を見開き、今度はシグナムがその方角の気配を索敵してみるが、結果はシャマルと

変わらなかった。



「魔導師の気配はないな。無論、シャマル同様隠れている可能性は否定できんが、仮にいた

としても戦闘態勢にないことは明白だ」

「いや、俺が感じたのは魔導師などではなく、もっと別の……」



 別の、何なのか。シグナム達と恭也では育った文化が違う。あれを指して何という言葉を

使えばいいのか、恭也はしばし逡巡して、脳裏に浮かんだ中で最もアバウトな言葉を口にし

た。



「良くないモノ……だろうか」

「良くないでは分からん。それは主はやてや我々にとって、害のあるモノか? もっと手っ

取り早い言い方をするなら、お前の身内か?」



 シグナムから見て恭也の身内と言えば、管理局だ。もし恭也の感じた気配というのが管理

局の手の者であるのなら、管理局と敵対しているシグナム達にとっては脅威となる。シグナ

ムが警戒するのも尤もな話だったが、シグナム達に連れ去られた時点でプレシアは置いてき

てしまったし、魔法的な発信機がないことはシャマルが入念に確認した。



 それに恭也の行動はシャマルがある程度は監視している。通信したり何かしらの信号が発

せられれば、シャマルが気づかないはずがないのだ。



 ちなみにそれらの監視状態に関しては、シャマルから詳細な説明を受けた。プライバシー

を侵害することが心苦しい様子だったが、戦いに負けて連れ去られたのだから、命があるだ

けでも恭也は助かっている、と説明したらどうにか納得してくれた。



 いずれにせよ、恭也が内応しているということはない。それはシグナムも分かった上での

質問だった。自分の知らないところで、そういう活動をしている可能性はあるか、という意

味での質問だったが、作戦指揮をしているだろうリンディとはそれほど一緒に仕事をしてい

た訳ではない。



 この世界にシグナム達がいると確定させる要素はなにもないし、実際に色々な次元世界を

転戦しているのだから、この世界にだけ的を絞ることもできない。管理局の魔導師がいたと

しても、それは作戦行動に基づいたものではない。それは恭也にも断言することができた。



「いや、少なくともミッドチルダ式の魔導師の気配ではない。だが、近隣の住民にとっては

脅威になるだろう。被害が拡大すればはやてにも危険が及ぶかもしれない。だが、明確に危

険が及ぶとは保証しかねる……そのくらいの規模の『良くないモノ』だ」

「微妙なところだな。お前の意見は?」

「排除するべきだ。どうも嫌な予感がする」



 その良くないモノは今のところ移動する気配はないが、その有効範囲に生きた人間が入れ

ばどうなるかは、想像に難くない。それを討つような使命を負っている訳ではないが、どう

にか出来る力があるのに見過ごすことは、恭也には出来そうになかった。



 恭也の意思としては、どうにかしたい。しかし、傷はほとんど癒えたとは言えデバイスも

なく、本調子とは言い難いのもまた事実だった。相手が人間であればこの状態でも遅れを取

ることは早々あるまいが、今も感じる良くないモノの気配は、明らかに純粋な人間の気配で

はない。倒すにしてもそれ以外の手段を取るにしても、シグナムの協力は必要不可欠なのだ

った。



「将は主と仲間の安全、全てを考えて行動しなければならない。予感などという曖昧なもの

で危険を冒すなどもっての他だ。それは理解しているな?」

「解っている。だが、今はお前を頼るより他はないのだ。力を貸してくれ、シグナム」

「…………すまんな。意地の悪い言い方をしてしまった。日頃から人を食った物言いをする

お前だからな。少し仕返しをしたくなったのだ」

「協力してくれるのか?」

「無論だ。ヴィータ辺りはどう思っているか知らないが、私は主はやての認めた人間を認め

ないほど、度量の狭い存在ではない。主はやてが認めた以上、お前は私の、私達の家族でも

ある。家族が困っている時は助けるものだ」

「助かる。ありがとう、シグナム」

「礼など不要だ。さて……シャマル、私達はその危険を排除してくる。すまないが荷物を持

って先に帰っていてくれないか?」

「フォローが必要になるかも……私も行きましょうか?」

「万難は排すべし、とは思うが主はやてを待たせる訳にもいかん。何かあったら念話を飛ば

す。汚い格好で帰る訳にもいかんから、その時に改めてフォローを頼む」

「わかったわ。二人とも、気をつけてね」

「申し訳ありません、シャム。それではこの荷物を」



 抱えていた大きな三つの袋を、シャマルに預ける。それに倣ってシグナムも、自分の持

っていた袋をシャマルに預けた。ザフィーラを除けば、八神家の肉体労働担当の二人であ

る。その二人が持てるだけ持ったのだから、袋も相当な重量があった。



 流石にひっくり返るということはなかったが、顔を真っ赤にして言葉もなく耐えるシャ

マルを他所に、シグナムは恭也に向かって無造作に手を出す。



「飛べないお前のために、私が現場まで案内しよう」

「手間をかけてすまないな。ところで、女性にエスコートされる男をお前はどう思う?」

「甲斐性なし」



 その答えに、時間がないことも忘れて走って行きたくなった。不満が顔に出ていたのだろ

う。恭也の顔を覗き込んでいたシグナムが苦笑を浮かべるが、からかいの口調はそのままだ

った。



「甲斐性があろうがなかろうが、お前は私の仲間だよ。仲間の誇りを、我々は重要視してい

るが、それと飛び難いというのは別の問題だ。手を差し出しておいて何だが、抱きかかえて

飛ばせてもらうぞ」

「……手を繋ぐだけではだめなのか?」

「時は一刻を争うのだろう? ここで問答をしている時間はあるのか、正義の騎士よ」

「…………ないな。それでは、よろしく頼む」

「了解した」



 そう言うとシグナムは恭也の後ろに回り、抱きしめた。身長はシグナムの方が若干低いた

め少しだけ背伸びをしている様が、恋人同士のようで非常に微笑ましい光景だったが、その

場で唯一その様を楽しめるはずの立場にいたシャマルは、今だに荷物の重さと格闘していた

のだった。



「行くぞ、しっかり捕まっていろ」



 その言葉と共に宙に浮かぶと、二人は弾丸のように夜空へと消えていった。


































 その悪寒の元を辿って行くにつれ、恭也はまた別の感情が心の中で大きくなっていくのを

感じていた。



 父が再婚をし海鳴に腰を落ち着けてから、この辺りの自然という自然はほとんど踏破した

と言ってもいい。無論、ここは自分が過ごしたあの海鳴ではないので、些細な違いはあるの

だろうが、管理世界に旅立つ前、人目につかぬように街を歩いてみたところ、敢えて指摘す

るほどの違いは発見できなかった。



 詰まるところ、現時点でこの海鳴と恭也の知っている海鳴は、立地条件的には同じもので

あると言ってもいい。



 そして、何もかもが同じであるのなら、自分が向かっている先には――遠い何処かに消え

てしまった相棒から授けられた力の示す先には、あの湖があるはずだった。



「誰か人間がいるようだが……あれが元凶か?」



 恭也の指示に従って降下しながら、シグナムが問うてくる。



「元凶の一つだろうな。あれだけで俺に何かを感じさせたのではないようだ。ここにはそう

いった要因が複数あると見て間違いはない」

「お前のみで対処できそうか?」

「解らん。だが、当座俺が何とかしてみるつもりだ。お前は俺だけでは対処しきれないと判

断したら、加勢してくれ」

「最初から協力して事に当たれば、すぐにでも解決できると思うが……」

「騎士は仲間の名誉を重んじてくれるのだろう? 可及的速やかに対処すべし、と判断した

らそれを優先してくれて構わないが、それまでは俺の好きにさせてくれると嬉しい」

「……それも尤もな話だ。これはお前が見つけた、お前が対処すべき事柄だからな。お前の

好きなようにやるといい。屍は私が拾ってやる」

「助けてもらう身分で贅沢はあまり言いたくないが、助けるつもりがあるのなら、俺の命が

あるうちにお願いする」

「善処しよう」



 着地して、辺りを見回す。確かめるまでもなく、そこは元の世界で最後に見たあの湖だっ

た。ただ、世界を捨てて旅立つ時のような圧迫感は感じない。薄く引き延ばしたような悪寒

が周囲に満ちているような、不愉快な感覚だけがそこにあった。



 目に付いたのは、破壊された社である。周囲の状況から見て今さっき破壊された物のよう

だが、恭也の記憶の中にはそんなものは存在しなかった。こちらの世界にのみ存在する物な

のだろう。中も荒らされているようだったが、その中に小太刀大の何かがあるのが見て取れ

た。



 そして、シグナムの言っていた人間である。降下し始めた時から何となくそんな予感はし

ていたが、これもまた見覚えのある少女だった。



「おい、メガネ。こんな時間に何をやっている」



 何でもないように話しかけるが、眼前の少女が無事でないのは素人目に見ても明らかだっ

た。昔、深夜の鍛錬に出かける時によく来ていた服装に、左手には刃を落とした模造刀。右

手には人目で業物と分かる小太刀。



 普通に考えれば悪寒の発生源はそこから、と考えるのだろうが、恭也の感覚は美由希その

ものが悪寒の正体であると告げていた。白い妹に良く似た生物が桃色破壊光線をぶっ放すよ

うな世界である。眼前の少女が実は妖怪の血を引いていたと聞いても驚いたりはしないが、

何か要らないトラブルに巻き込まれたと考えるのが妥当な所だろう。



「お前は本当に、改善されて欲しいところだけは改善されないのだな……」



 美由希の料理はご馳走になるまい、と強く心に決めながら、美由希と周囲の観察を続ける。



 原因は美由希そのものにあるとして、右手の小太刀は何なのだろうか。美由希から発せら

れる気配は邪なモノのそれだが、あの小太刀からは聖櫃な気配を感じる。退魔の一品なのだ

ろうが、それならば何故美由希がそれを持つことが出来るのか……



(もし、もし……)



 聞こえたその声に、発せられた場所よりも先に恭也はシグナムを見る。シグナムは意外そ

うな顔をして、こちらを見返していた。シグナムにも聞こえたらしい。幻聴ではない。だが、

ミッドチルダの念話のような物でもない。



(私の声が聞こえますか、剣士のお方)



 空気を振るわせるような声ではないが、その声が発せられているのは社の中からだった。

破壊された社の中には、ご神体か何かなのだろう、小太刀サイズの刀しかない。社から聞こ

えたというのが確かなら、声を発したのはその刀ということになるが、美由希が邪な気配を

纏っている現状でさえ、それを認めるのには聊か抵抗があった。



「呼んでいるぞ、シグナム。剣士というのはお前のことだろう」

「武勇で劣るつもりはないが、客観的に見れば私よりもお前の方が剣士という面構えをして

いる。剣士と呼んだのならば、それはお前のことだ」

「その武勇が滲みでているのだろう。解る人間には解るのだろうさ。お前が如何に優れた剣

士であるかということが――」

(そちらの殿方。私の声を聞いてください)



 殿方という指定に、恭也の望みは立たれた。いくら性格が巷の男よりもよほど男らしいと

は言え、シグナムの容姿を見て男であると思う存在は、例え人間でなかったとしてもいない

だろう。



 面倒ごとに巻き込まれたことに嘆息すると、社に歩みながら恭也は声をあげた。



「貴方は刀、ということで間違いはないのですか? この社で、何かを封じていたので?」

(私は弟と共に、この地で倒れた多くの邪なモノの瘴気を浄化するために、この地に在りま

した。以来、数百年。その浄化も終わり、ただ朽ちて行くのみと思っていたのですが、ここ

最近、急に雑多な霊が集まり始めまして……)

「美由希……あのメガネの女に取り憑いたという訳ですね。一応確認させていただきますが、

奴だから取り憑かれた、ということはありますか?」

(いえ。たまたま近くにいたから目を付けられたのでしょう。不安を煽って社を破壊させ、

私共の力が弱まったところに、あちらの女性に憑く算段だったようで)



 運のない女である。湖以外に何もないこんな場所に来て、一体何をするつもりだったのか。

足場は決して良くはないから、鍛錬に向いていると言えばそうなのかもしれないが、自分と

違って鍛錬の相手には不都合しないだろうに、こんな時間に一人で来るような理由が恭也に

は見出せなかった。



 まぁ、メガネなりにメガネな理由なのだろう。深く考えたところで、自分に解るはずもな

いと思うことにして、眼前の問題に対処するべく、恭也は社の中の小太刀を手に取った。



「全くもって不本意なことではありますが、あれは俺の関係者なのでね。ここで会ったのも

恩を売っておく好機。知恵をお貸しいただきたいのですが、何か妙案はおありで?」

(普通、邪なモノに意識を支配されれば、衝動の赴くままに生者を襲うものでございますが、

現在は弟がそれを抑えております。剣士様にはその間に、あちらの女性を斬っていただきた

いと――)

「寝言は寝てから言っていただきたい」



 鞘を握り締め、鍔の部分を口元に近づけ、囁くようにする。



「あれは俺の関係者だと言ったはずです。貴方がその選択を俺に強いるのなら、どのような

被害が出ようとも、俺はあれの命を助ける方向で話を勝手に進めます。つまり、貴方の手な

ど死んでも借りないということですが……それでも宜しいので?」

(……あの女性を助けるために、罪もない人々が犠牲になってもいいと?)

「どちらか一つを選べというのなら、名前も知らない他人よりもあれを選ぶということです。

無論、名前も知らない誰かだって死んでほしいと思っている訳じゃない。助ける方法がある

というのならそちらの方法を取りたいと思っています……話が逸れましたが、俺が言いたい

のは、あれの犠牲を前提とするのなら、貴方の力なんぞいらない、ということです」

(言葉が悪うございましたね……剣士様には、あの女性を斬るという真似事をして頂きたい

と申し上げておるのです。私共姉弟は魔を祓う刀。人を斬るには刃を引く必要がありましょ

うが、魔を祓うには必ずしも必要ではないのです。見たところ剣士様は、ある程度霊力の扱

いを心得ている様子。それを私が制御いたしますので、剣士様は私で、あの女性を斬る真似

事をして頂きたいと、こう申し上げておるのです)

「俺の力を使うと? それであのメガネを確実に助けることが出来るのですか?」

(出来ます。私共は退魔の力を持ちますが、それは使い手あってこそ。あの女性が今日、邪

なモノに憑かれることが運命ならば、剣士様がこの場所に現れたこともまた、運命なのでし

ょう。剣士様の存在が、あちらの女性を救うのでございます)

「元々アレがこんなところにこなければ、俺がこんな面倒を負うこともなかったのですがね

……」



 誰にともなくぼやく。



 多分に面倒くさくはあったが、この分を美由希に貸しに出来ると思えばそれほど悪くもな

い。厳密な話をすればこんな場所を漂っていた邪なモノが悪いのだろう。美由希がそれに憑

かれたのは事故のようなものだが、巻き込まれた恭也にそれは何の関係もない。



 正気を取り戻した美由希に事情を説明し、大きな利子をつけて貸し付ければいいのだ。そ

う、これは大きなチャンスなのだ。



「貴女の務めに協力しましょう。俺の仕事は、あれを斬る真似事だけでよろしいのですね?」

(あれらの存在は私共の不始末でもあります。剣士様方にこれ以上のご迷惑はおかけ致しま

せん)

「重畳です。では、務めを果たすとしましょう」



 小太刀を鞘から抜き放つ。月光に煌く刀身を眺め、なるほど、確かにこれも業物であると

思うに至る。こんな状況でなければ惚れ込んでいたであろう、その綺麗な刀身に見とれてい

ると、それまで動きを見せなかった美由希が無粋な叫び声をあげた。



 女性としてどうか、と思わずにはいられないその咆哮に顔を顰めながら、抜刀した小太刀

を右手に、半身に構えた。



 経過を見守っていたシグナムが、思い出したように茶々を入れる。



「無様を晒すなよ? そして、出来ることならさっさと済ませろ。帰りが遅いと主はやてが

心配される。冷えてきたからな。心労は病の元だ」

「世話になっている上に病気をされては、居候の立場もない。善処する。シャムから念話が

あった時には、俺は頑張っていると伝えてくれ」

「もう既にあった。恭也は女と遊んでいると、ありのままを伝えておいたぞ」



 美由希は私刑、と心の中で判決を下した。身体のこともある。戦闘を長引かせる訳にはい

かない。短期決戦を心に決めて、美由希に対して一歩踏み込むと、神速を発動した。



 モノクロに染まる世界の中、ゼリーの中を進むように美由希に近づいて行く。並みの人間

では知覚することも出来ない速度。高速戦闘を得意としているフェイトで同速、それに慣れ

ているアルフで何とか対応できるという程度。地上本部にはこの速度についてこれる人間は

両手足の指で数えられるほどしかいなかった。



 地面に足をついての速度勝負ならば、管理世界の魔導師の中で、恭也のスピードはトップ

クラスであると言ってもいい。



 だが、美由希は反応する。神速は、御神の剣士であるのならば誰でも使える技能である。

元の世界の美由希よりも指導者に恵まれていたこの世界の美由希ならば、使えるとしても可

笑しなことはない。そのくらいは、恭也も織り込み済みだった。武装の差もあって、平常な

らば苦戦もしたことだろう。



(だが、間が悪かった!)



 訳のわからないものに操られているような、勝負を投げた状態で、剣士としての勝負で負

けるはずもない。史上最高の剣士の身体を持ったとしても、それを動かすのが違う人間であ

れば、妙技も児戯になる。何となく人間に取り付くようなレベルのモノに、御神の剣士の身

体を存分に扱う技能があるはずもない。



 力と速さに任せた一振りを何なく避け、すれ違い様に美由希を斬り伏せる――真似事をす

る。自分の中の気が小太刀に吸い上げられ、体外に放出される。それは明確な意思を持って

形となり、美由希の身体に入り込み……弾けた。



 素人の目に見えかねないほど美由希の身体は光を発し、それが消える頃には、美由希は力

なく地面に崩れ落ちた。その手から零れ落ちた業物の小太刀は、地面に付く前に恭也の手に

収まる。



 ぱちぱち、とシグナムのやる気のない拍手が辺りに響いた。



「見事なものだな」

「まさに、『またつまらぬモノを斬ってしまった』」



 自分の投げ出した小太刀の鞘を拾い上げ、美由希が持っていた方の小太刀も、その辺りに

転がっていた鞘を拾い上げ、納刀する。



「さて、これでよろしいので?」

(ご迷惑をおかけいたしました、剣士様。この返礼は、いつか必ず)

「その気持ちがあるのでしたら、今後こういうことがないようにお願いしたいものです」



 この辺り一体は、高町の家の鍛錬場所である。今日こんなことがあったのだから自分から

近寄ろうとは思うまいが、それでももしも、ということはある。美由希に何かあれば面倒ご

とに巻き込まれる可能性が生まれるのだから、それに繋がる要素を出来る限り排除したいと

思うのは、間違ったことではないだろう。



「お優しいのですね、剣士様」



 だが、手の中の小太刀はそう思ってはくれなかったらしい。その言葉を受けて、外野のシ

グナムが小さく笑った。睨みやると、肩を竦める。



「お優しい剣士様におかれては、これからこちらの女性をお送りするのだろう?」

「これの腕は立つ。それはお前も理解しているだろう?」

「性別に、腕の立つ立たないは関係があるまい。シャマル達には上手く取り成しておく。失

礼のないよう、丁重にお送りしよう」



 女性であっても、シグナムは騎士である。守られるべき立場にある者に対しては紳士的で

なければならず、美由希は剣士であっても女性で、先の言葉のように不測の事態に巻き込ま

れた。その態度にも不審な点はない。



 だが、恭也もシグナムの意図するところに気づかないほど間抜けでもない。言葉には不審

な点はなくとも、態度にはある。にやにやと笑いながら言われては、馬鹿でも気付くという

ものだ。



「俺を八神の家で笑い者にする気か?」

「とんでもない。仲間を売るなど、騎士として最も恥ずべき行為だ。私はただ、私の知らぬ

女性を如何に勇敢にお前が助けたかということを、主はやてに面白おかしくお話するだけだ」

「お前達に夕食の話題を提供するために、こんなことをした訳じゃないぞ? これを何とか

することは、はやての安全にも繋がる。それが解らないお前じゃないだろう」

「だが、それ以外の要素があるのもまた事実だ。暴れる要因を持ったのがその女性でなけれ

ば、お前もそこまで気を入れなかっただろう?」



 そんなことはない、と口を開きかけたが、言葉が続かなかった。その通りだ、と心の中の

自分が言っている。認めるのは悔しいが、そうでないとは言い切れない。それくらいには、

地面にうつ伏せに転がるメガネの少女のことを、恭也は考えていた。



「俺一人でもどうとでもなる。お前は先に帰ってくれてもいいのだぞ?」

「私はそれでも構わんが、爆弾の事実を忘れた訳ではあるまいな。私達がお前から離れると、

お前の身体は爆散するのだぞ」

「忘れていたよ。それもこれも、お前達が良くしてくれるからだな」



 普段は八神家の誰が近くにいても邪魔になることはなかったが、人に見れらたくない時と

いうのは確かに存在する。シグナムとて、親切心だけでこういうことを言っているのではな

いのだろう。にやけた顔が全てを物語っていた。



 時間をかければかけただけ、シグナムに突っ込む隙を与えることになる。恭也に出来るの

は、美由希をさっさと送り返し、八神の家に帰ることだった。



 しかし、高町の家には妹に似た生物がいる。あの少女は正式な管理局員ではないが、リン

ディのことだ、既に協力要請はしているだろう。身内のこととなれば執務官であるクロノ辺

りがすっ飛んでくるかもしれないし、不測の事態となればシグナム達も爆弾を起動する可能

性がある。



 不測の事態は予測できないから不測である。父親と同じ道を歩むと決めた時から不幸な死

に方をする覚悟はしていたが、いくらなんでもこんな詰まらない理由で死にたくはない。



「おい、起きろメガネ。いつまで寝ているつもりだ」



 倒れている美由希に歩み寄り、靴を脱いで背中を踏みつける。ふげっ、かえるの尻に爆竹

を突っ込んだ時のような音が、美由希の口から漏れた。それから美由希は盛大に咳き込むと、

地面をごろごろと転がる。



「転がる気力があるのなら、歩くことはできるな。抱えて歩くことになるかと肝を冷やした

ぞ」

「……それなら、私がお嫁にいけなくなることを心配してくれてもいいんじゃないかな」



 左手で腹部を押さえながら、右手で身体を支えて立ち上がり――かけて、バランスを崩し

て地面に倒れこむ。



 そうなった美由希本人が信じられないようで、地についた右手を握ったり開いたりしなが

ら、呆然とした表情を浮かべる。



「…………ねえ。私の右手、調子が悪いんだけど。これはもしかして、恭也のせい?」

「何でもかんでも俺のせいにするな。お前が間抜けだから引き起こされた事態だそうだ。右

手だな? 貸してみろ」



 無言で差し出される美由希の右手を握り締め、気を流し込む。気の状態が不全であるから

引き起こされている事態なので、それを元に戻せば右手の機能も元に戻る。気を治療に使え

ないものかと独自に研究はしているが、自分の体の不具合はある程度治せても、他人にやる

とこれが全く上手くいかない。



 未知の技術ということで、本局においてリスティ達の食いつきは良かったが、その彼女達

の実験の協力があっても、『何となく身体にいいらしい』という程度の効果しか完全に発揮

することはできなかった。



 美由希に対して行ったのも、その程度のものだ。右手に不具合が起こるほどの不全が起き

ている以上、既に恭也の力量で何とかできる範疇を超えているのだが、それでも何もしない

よりはマシと、美由希の右手に気を送り続けた。



「どうだ? 少しは楽になったか?」

「……ような、気はする」

「どれくらい不味い状態だ」

「肘から先に全く力が入らない……こんなこと、生まれて初めてだよ。どうしたんだろう」

「その件については、こちらの方から説明がある」



 美由希の前に、自分が操っていた方の小太刀を掲げて見せる。恭也の奇行に、美由希はま

ず眉を顰めると、不機嫌そうな顔になり、何かに思い至ったのか、気の毒そうな表情を恭也

に向けた。



 その表情が甚だ不愉快だった恭也は、柄頭で美由希の額を軽く、徹を込めて突いた。声も

なく額を抑えて再び地面を転げまわる美由希の背中を、やはり靴を抜いで踏みつける。仄か

な快感が、恭也の中を駆け巡る。何度もやると癖になりそうだった。



「これから起こること、聞くことは全て真実だ。俺の頭がおかしくなったということは在り

えないが、お前の頭がおかしくなった訳でもないので、心配はしなくてもいい。それでは改

めて説明していただこう。背筋を伸ばして拝聴するように」

(剣士様には女性を痛めつける趣味でもおありなのですか?)

「ここまでするのはこれの時だけです。誤解のないようにお願いします」



 誤解はなくとも問題のある発言だった。特に美由希は吐いて捨てるほどの文句がありそう

だったが、踏まれて喜ぶような趣味はないし、自分の身体の不具合のことならば聞いておか

ないと困る。恭也に対する謝罪と賠償の要求は後できっちりするとして、彼の言葉の通りに

地面に正座し、背筋を伸ばす。



(貴女様は、邪なモノに取り付かれ、本来なら辻斬りにでもなっていたところでした。そこ

にたまたまお傍に私共がおり、そのような事態を回避させていただきました。貴女に弟をお

持ちいただいて、弟が貴女に霊力を注ぎ続けることで邪なモノの活動を抑えていたのですが、

霊力を扱う下地の出来ていない貴女様に無理やり霊力を注いだ結果、そのような状態となっ

ているのでございます)

「んー、霊力の扱い方を覚えたら、これは解消されるってこと?」



 刀から声が聞こえたら自分の正気を疑いそうなものであるが、美由希は小太刀が喋ること

を当たり前のように受け入れていた。まだ意識がおかしいのかと小太刀ごしにその瞳を覗き

込んでみるものの、そこにはしっかりと理性の光がと点っていた。



(そこまでをする必要はございません。剣士様のお力添えもあり、貴女様の右腕は明日、明

後日には完治するものと思われます)

「それを聞いて安心したよ……でも、そういう力があるなら、私も覚えてみたいって思うん

だけど……」



 どう思う? と美由希が問うてくる。



「お前がどういった力を使うかは、自分で決めろ。俺は教えるつもりはないから、覚えるつ

もりがあるのなら、他の師を探すのだな」



 と言ってはみるものの、恭也とて人に教えられるほどの技術を修めている訳ではなかった。

消えた相棒には才能がないと太鼓判を押されたような身。加えてこの能力に触れてから、ま

だ一年も経っていないのだ。



 教えなければいけなかった、自分にとっての最初の弟子に対する状況と、今の状況は違う。

教えてもらうつもりだったらしい美由希は大層不満そうな顔をしてみせたが、殺気を込めた

視線を送ると、不承不承押し黙った。



(いずれにしても、貴女様はまだ霊力を扱う下地が出来ておりません。私共のような高位の

式具に触れることや、その力を無理に引き出すことは命に関わることでございます。努々、

忘れることのなきよう……)

「……自分に眠った才能が、何て都合のいいことってないよね。何か、恭也に負けてるって

宣言されたみたいでちょっとムカつくけど」



 苦笑を浮かべると、服についた土を払いながら美由希は立ち上がる。



「私、もうここには近寄らない方がいい?」

(今日のようなことがもう一度起こらないとも限りません。私共の力を外に向け、この一帯

の浄化に努めますが、しばらくは近づかない方が宜しいかと)

「だよね。あわよくば貴女に霊力? の使い方を教えてもらおうと思ったんだけど……また

の機会にするよ。貴女の弟さんにお礼を言いたいんだけど、話せる?」

(力を使い果たしているようで、小太刀の中で眠っております。次に貴女様が来られる時に

は意識も戻っておりましょう。感謝の言葉など私共には過ぎたものでございますが、次にお

会いした時にでも声をかけていただければ、弟も喜ぶと思います)

「うん。じゃあ、次に会うのを楽しみにしてるよ」



 美由希と小太刀の会話が終わるのを待って、恭也は破壊された社の中に二振りの小太刀を

戻した。おそらくは美由希によって破壊されたのだろうが、社のしての体裁すらなしていな

いそれに、無神論者である恭也も流石に不安になる。



「日曜大工でもした方がいいのでしょうか」

(装いなど、私共には不要でございます。お気持ちだけで結構です)



 大丈夫とも思えなかったが、そこにある本人がそう言うのだったら部外者である恭也には、

今日のような問題でも起こらない限りは、何も言うべきことはない。



「それでは、俺達はこれで失礼します。今晩は本当にご迷惑をおかけしました」

(迷惑など。剣士様にあられましては、健やかにお過ごしくださいますよう)

「また、ご縁があれば。それまでおさらばです、かなぎの前のお方」

(……剣士様。貴方様はどういったご身分のお方で?)

「別に。特別な者ではありませんよ。ただ、故郷で貴女に似た方を見たことがありましてね。

そんな風に呼んでみたくなっただけです」



 それでは、と今度こそ本当の別れの言葉を告げて、社に背を向ける。



 荷物を広い集めた美由希がその後に続き、事態を傍観していたシグナムがそれに続いた。



「さて、これから帰ることになる訳だが、私が送ろうか?」



 シグナムのその問いは、飛行魔法を使ってもいいかという問いでもあった。飛行魔法の存

在を知っている恭也にはその意が伝わったが、知らない美由希にとっては車を出す、くらい

の意味にしか取れない。



「こんなところに車があるの?」

「残念ながら私は免許を持っていないのだ。だが、車よりは速く、そして便利であることは

保証しよう」



 お互いに図書館で顔を見たことはあったが、会話をするのは初めてだった。シグナムは努

めてにこやかな表情を浮かべて手を差し出す。



「こうして会話をするのは始めてだな、シグナムだ。名前を伺ってもよろしいか」

「高町美由希です。はやての家族の方ですか?」

「家族……というのは恐れ多いとは思うが、まぁ、そのようなものだ」



 正気の人間に、いい年をした大人が小学生の子供を主と呼んでいるという事実を話すこと

は出来ない。彼女の妹が魔法使いをやっていることを考えると、美由希を普通の人間とする

ことには抵抗があったが、話に聞いた限りではあの妹に似た生物は家族に魔法のことを告白

していない様子である。



 御神の流派を修めており、今さっき不可思議な出来事に直面したとは言え、魔法を公開す

るのは早計なように思えた。



 シグナムに向かって、『魔法は不可』という意味を込めて首を横に振る。さっさと帰るつ

もりだったシグナムは、これで帰りが遅くなるな、と苦笑を浮かべた。



「女性の一人歩きは物騒だからな。恭也一人というのも不安だろうから、私と二人でお前を

今まで送ろう」

「んー、でも、私こう見えて腕に覚えはありますから、そこまで貴女の手を煩わせることも

……」



 ちら、と美由希は恭也を見た。その視線を追い、シグナムの視線も恭也を向いたが、送ら

ないという選択肢は恭也にもシグナムにもなかったし、ここで別れるということは恭也の死

を意味した。



 シグナムが説得は任せる、と肩を竦めた。



「認めるのは癪ではあるが、あちらの女性は俺よりも腕が立つ。いずれにしてもお前に護衛

は必要だ。そして、戦力というのは多いに越したことはない」

「なら、私だけでも大丈夫だよ。私の腕も、恭也が分かるでしょう?」

「お前は被害者で、俺達が助けた。助けられたお前に選択肢はない。大人しく俺達に送られ

ろ」

「一応、私も女の子だから、男の人に送られるかどうかっていうのは、選択肢があっても良

くない?」



 尤もらしいことを言うものだと思う。美由希とこういう言い合いをすることは珍しくなか

ったが、今日ほど気を入れた物言いをすることは珍しかった。言葉に勢いはあるのに、視線

には迷いがある。真剣だが、不安に揺れている。そんな顔だった。



 だが、言うべきことは言う。美由希に対して手加減するような理由は、恭也にはなかった。



「お前に限ってそんなものはない。これ以上口答えをするなら、簀巻きにして担いででも連

れていくぞ。自分で歩くのがいいか、それとも米俵のように運ばれるのがいいか、好きな方

を選べ」

「自分で歩いたら、恭也がエスコートしてくれる?」



 普段であれば、額に全力デコピンでも叩き込んでいたところだろう。事実、腕は動きかけ

たが、寸前で止めた。



 妥協することは必要だ。そのためには、美由希の願いを聞いてやるのもいいだろう。



「……………………まぁ、大人しくしてるなら考えないでもない」



 出来るだけ嫌そうに見えるように言ってやったのに、美由希は顔を綻ばせた。その理由が

解らず、恭也はますます渋面を作る。



 それがまた可笑しいらしく、笑みを深くする。流石に美由希の額を狙うべく腕が動いたが、

その時には美由希は、射程範囲の外に出ていた。



「そう。なら、いいや。今日くらいは大人しくしてあげるよ」

「話が早くて助かる。何がおかしい、シグナム」

「お前にも素直なところがあると思ってな。私の前でもそうでいてくれると助かるのだが…

…」

「ですよね。恭也ってかわいくないところありますからね」



 人の話を肴に、女二人は歩き出す。言葉に出来ない疎外感。男であることを後悔する一瞬

だった。