「……状況は?」



 目覚めは最悪だった。いっそのこと記憶が混濁してくれていたらどんなにか、と思ったが、

不愉快なことに恭也の頭脳は、誰に何をされてここ――アースラ医療室に自分がいるのかを

推察できる程度には明瞭だった。



「アースラが詳細不明の救難信号を拾って八神家に急行し、君を発見した。その後に君をア

ースラに収容。それから一時間ほどになる。魔力によるダメージを受けていたようだが、現

段階では問題なく、戦闘を行えるほどには回復している」

「丈夫な身体に産んでくれた両親には感謝しなければならんな……続けてくれ」



 ともすれば横柄とも言える恭也の言に、バリアジャケット姿のまま壁によりかかっていた

クロノは不愉快そうな表情になるものの、今はそんな時ではないと首を振り、居住いを正し

た。



 そういったクロノの態度は、形の上では見舞いに来ているはずなのに物々しく、また、見

舞われる立場であるはずの恭也に対する思いやりは欠片も感じられなかったが、クロノは特

にそれを悪びれる様子もなく、恭也にも彼の態度に目くじらを立てる様子もない。



 他人が見たら、相当に仲が悪いと勘違いするだろう。実際に、決して二人の仲は良好とは

言えなかったが、相手を排除しようなどの実力行使に出るようなことも、仲を改善しようと

することもない。



 二人と同席することの多いエイミィやリンディには極めて不評な間柄であったが、当人達

は特に気にするでもなく、出会った時からそれが宿命でもあったかのように、こんな関係を

続けていた。



 体中からコードを引き剥がし、ベッドから起き上がる。病人着を脱ぎ、仏頂面のクロノが

差し出した着替えに袖を通しながら、淡々と続く彼の説明に耳を傾ける。



「闇の書の反応は再びロスト。主と思われる少女及び、四人のヴォルケンリッターの所在も

不明だ。現在、君の持っていたデバイスに残っていた情報を元に捜索を続けているが、残念

なことに成果は芳しくない」

「八神家には盗聴器のようなものが仕掛けられていたと思うのだが、そこから犯人の足取り

は掴めないか?」

「調査班がそれらしき物を発見したが、どれも第97管理外世界の技術で作られた物ばかり

だった。解析に回しはしたが、そこに突破口があるとは思えない。仮に何か出たとしても、

その頃には何らかの形で今回の事件は収束しているだろう」

「手がかりはデバイスだけか……シャムに感謝しなければならんな」



 数秒。瞳を閉じて、黙祷を捧げる。感謝はそれで、終わりだった。



 袖を通した服は、管理局の陸戦服だった。鉄火場に立つのは武装局員であるため、バリア

ジャケットを着用するのが普通の彼らに、こういった服を着る機会は少なく、実際にこの服

を着ている局員を見たのは、地上本部での数度のみ。



 魔導師というよりも、魔導師と共に戦場に出るヘリパイロットや輸送車の運転手が主な着

用者である。勿論恭也自身袖を通したことなどなかったが、身に纏ったそれは自分のために

誂えたかのように、体にフィットした。着心地だけなら、最高である。 



「それは特共研から送られてきた、試作型の戦闘服だ。既存の物を改造して、どこまでバリ

アジャケットまで近付けられるか研究しているんだそうだ。バリアジャケットに比べれば防

御力は大分落ちるが、君の私服や陸士制服に比べればその防御力は雲泥の差だ。レポートを

提出するよう、クロフォード部長からきつく言われている。今回の事件が終わったら、きち

んと提出ように」

「レポートだけでパワーアップできるのなら、安いものだ」



 言って、左手が空振りしたことで、相棒の姿がないことを思い出した。忘れていた等と彼

女に思われたら、戦場でストを起こしかねない。



「プレシアは何処だ?」

「妃殿下はとてもデリケートなようでね。メンテナンスルームの特別室におられる。君以外

にエスコートされるつもりはないようで、フェイト以外は触れることもできなかったよ。僕

なんて口を聞いてももらえなかった……」

「……相棒が迷惑をかけたな」

「こちらの用事が済んだら、なるべく早く回収に行ってくれ。放っておいたら、アースラの

技術官の胃が使い物にならなくなる」



 何をしたのだ……とも思ったが、気にしないことにした。技術官については気の毒だった

が、恭也とてプレシアの手綱を完全に握れている訳ではない。



 シグナム達に攫われ、アースラを空けたことだって態とではないし、技術官の胃に穴が開

いたというのが、クロノなりのジョークではなく事実であったとしても――九割方事実であ

ると確信してはいたが――不可抗力というものだろう。



「さて、アースラの人手不足も深刻でね。真に遺憾ではあるけれど、君にも仕事を頼まない

とならない。さしあたっては、リンディ提督が呼んでいるから、僕と一緒に出頭してくれ」

「出頭か……管理局の規則では、敵方に捉えられていたことは処罰の対象になるか?」

「状況を考慮するだけの余地はある。君の持っていたデバイスが、『君が奪取した』という

ことで処理されるようだ。ここ最近の君の行動は、自発的に潜入調査をしていた……そんな

ところで落ちるだろう。提督の技量なら、マイナス査定を付けられることはないと思う。ど

れだけ好印象を上に与えられるかの勝負だな。少しでも出世を狙っているなら、くれぐれも

よろしくと、提督に頭でも下げておくといい。こういうことは、上司の胸三寸だ」

「俺の視線は上を向くようには出来ていないよ。無駄な責任を背負うようになっても面倒だ。

提督には、あまり褒めるなと言い含んでおかないとな」

「……管理局で、あまり友人を作るんじゃないぞ、恭也・テスタロッサ。君のように上昇志

向のない人間が量産されると、色々と面倒だ」

「これでも人見知りをする性質だ。それは無用な心配というものだろう」



 クロノはつまらなそうに息を漏らし、恭也を促した。先にたって医療室を出、随分と久し

振りに感じるアースラの内部を、右、左と眺めてみる。



 当たり前だが、特に変わった様子もなく、廊下を行きかう局員もいない。漂う張り詰めた

空気が、今が非常事態であるということを否応なく感じさせた。



「フェイト達はどうした?」

「分析班と一緒に今後の対応について話し合ってるよ。君の持ち出したデバイスを元に、有

効な手段を検討してる。闇の書が相手では、それもどれだけ役に立つか解ったものじゃない

が……」

「戦うのか? 闇の書と」

「よほど事態が好転しない限り、戦わないで済むということはないというのが、僕と提督の

共通見解だが……彼らとしばらく共にいたのに、まるで戦うことを想定していないような物

言いだな、恭也・テスタロッサ」



 からかっているような様子はクロノにはない。自分と彼とで、闇の書に関しての情報に、

重大な齟齬があるのが解った。



「……どうやらそこから説明しないとならないようだな。でも、先にこちらの話から聞いて

もらう」



 提督執務室。クロノは儀礼的に三度のノックをし、



「クロノ・ハラオウンニ等海尉、恭也・テスタロッサニ等海士を連れてまいりました」

「入りなさい」



 共に一礼し、今度はクロノに先導されて部屋に入る。机の前に並んで立つと、およそ一月

振りに見るリンディの顔が目に入った。常に若さを感じさせる女傑というのが、恭也のリン

ディに対する印象だったが、やけにやつれて見える顔が、彼女の近日の激務を物語っていた。



「復帰早々悪いわね、恭也君」

「お気になさらず。閣下同様、これが俺の仕事ですので」

「そう言ってもらえると助かるわ……休んでくれて結構よ。エイミィ、今からこちらから解

除するまで、提督執務室に一切の干渉ができないよう、処置を」



 了解、というエイミィの声から、数秒。指示した内容が実行されたことを、端末を操作し

て確認したリンディは、恭也、クロノを順に眺めると、



「これから話すことは、軍規に基づいた秘匿事項となります。口外した場合には処罰の対象

となりますので、特に恭也・テスタロッサニ等海士は注意するように」



 その言葉と共に、恭也の前にモニターが出現する。現れたのは、ある管理局員のデータだ

った。何も言葉をかけられなかったが、目を通せということなのだと理解し、そのようにす

る。恭也の目では、特に不審な点は見受けられなかったが、



「彼が、今回の事件の最有力の容疑者です。名前はギルバート・グレアム。そこに書いてあ

るように階級は少将。掻い摘んだ言い方をすれば、私の上司に当たるわ」



 リンディの言葉に目を向く。経歴だけを見たら相当な辣腕家であり、現在の地位も管理局

でも屈指のものだ。管理外世界出身であるにも関わらず、ここまで出世をしたということは

尋常ならざる非凡さを示している。



 加えて、付け加えるように記されていた項目に、恭也は目を引かれた。



「使い魔がいるとのことですが。それも、二人」

「ええ。リーゼロッテにリーゼアリア。双子の猫の使い魔よ。管理局に登録されている使い

魔の中では、各々最強の一角に数えられているわ」

「主が容疑者ということは、この使い魔も容疑者ということで?」

「証拠は掴めていないのだけれどね、彼女達が実行犯であると見ているわ。つまり、八神家

を襲撃したのも、彼女達……」



 言葉を切ったリンディの視線が、恭也に向く。有益な情報を期待してのことだったのだろ

うが、間髪居れずに首を横に振った。目に見えてリンディは落胆するが、持っていないもの

はしょうがない。



「入れ違いになりましたのでね。八神家で鉢合わせた訳ではありません。襲撃した旨を伝え

る念話がシャム――ヴォルケンリッターの一人に届き、俺はそれを一緒に見たに過ぎません」

「念話を一緒に見るというのも珍しい経験だけれど、とにかく、犯人の姿を見たのね?」

「ええ。ですが、偽装でしょう。変身魔法で一人はフェイト、一人は高町なのはの姿に変え

ていました。他にもいたかもしれませんが、俺が見たのはその二人だけです」

「あの二人なら、それくらいは簡単にやってのけるだろう……他に何か、襲撃犯に関する情

報はないか?」

「他には何も……いや、彼女らの気配を覚えました」

「……つまり、どういうこと?」

「変身していても隠れていても、よほど上手く立ち回っていない限りは、近寄れば同一人物

だと分かるということです」

「その能力で、第97管理外世界に隠れている容疑者を探すことは可能かしら?」

「動き回る必要はありますが、海鳴市くらいの広さであれば俺一人でも可能です」

「では、貴方はクロノと一緒にリーゼロッテ、リーゼアリアの両名の発見、及び拘束を当座

の任務とします。なのはさん達は闇の書の対応に回ってもらうことになっているけど、場合

によってはそちらの補佐もお願いすることになるから、そのつもりでね」

「その闇の書についてなのですが……」



 今更そういった質問をされるとは思っていなかったのだろう、リンディは少女のように首

を傾げる。恭也の隣にあったクロノが歩み寄ると、耳打ち。間をおかずに事情を理解したリ

ンディは眉間を押さえると、深々とため息をついた。



「齟齬があるということは、守護騎士の方々から闇の書に関して聞いた、ということよね?」

「そうです。はやての病気の進行を止めるために魔力を蒐集、ページが最後まで到達すれば、

膨大な魔力を手に入れ、最終的には病も完治すると聞きました」

「彼女達が貴方に嘘を伝えたということは考えられる?」

「それはありえません。俺に真実を伝えなかったとも考え難い。故に、何か重大な記憶違い

が彼女らに起こっていたものと考えます」

「貴方が彼女達をそこまで信用するに至った、その経緯が知りたいものだけど……それは追

々ということにしましょう。闇の書の件だったわね」



 リンディが手を翳すと、モニターが出現し、闇の書のデータが呼び起こされた。何しろつ

い先頃まで、オリジナルを間近に見ていたのだ。客観的なデータを見るのは初めてのことだ

ったが、スライドするデータを読み進めて行くうちに、それが想定していた以上のロストロ

ギアであることを思い知る。



「十年前の事件で……暴走?」

「その時の最終的な被害は戦艦一隻に死者数名……それまでの過程で出た被害も合わせても、

ロストロギアによって発生した被害としては、決して多い方ではないけれど、今回、八神は

やてさんの元に闇の書が転移するに至った、大本の事件がそれよ。事件を担当していたのは

戦艦エスティアのクライド・ハラオウン提督――」

「……ハラオウン?」

「私の夫よ。その事件で殉職したわ」



 珍しく、リンディの目が憂いを帯びる。



「暴走した闇の書は戦艦エスティアを取り込み、暴走を拡大。それ以上の被害拡大を恐れた

クライド提督は、友軍にエスティアごと闇の書を攻撃するよう指示。その場しのぎではあっ

たけれど、十年前の事件は一応の収束を迎えたの。その時にエスティアを攻撃したのが、当

時まだ前線で指揮を執っていた、ギルバート・グレアム提督よ」



 事も無げに言うが、本人がそれを望み、他に方法を見出せなかったとは言え、夫を、父親

を死に追いやった人物を、上司として推戴できるものなのか。



 それが顔に出ていたのだろう、恭也の顔を横目で見たリンディは、苦笑を浮かべてひらひ

らと手を振ってみせた。



「悪かったわ。昔の話。恭也君が気にすることでもないのよ」

「俺の父は護衛任務の途中、依頼人親子を守って死にました」



 今度は、ハラオウン親子が、先ほど恭也がしていたような表情を、揃って恭也に向けた。

リンディと同じように苦笑を浮かべ、手を振る。



「昔の話です。お気になさらず」

「……話を元に戻すわね。その際、艦載砲を喰らって四散した闇の書は、再生して転生し、

第97管理外世界……つまりは八神はやてさんの元に現れる。すぐに活動を開始しなかった

のは、艦載砲で受けたダメージを回復し、万全の状態で展開するため。その間、魔力を補填

するために主であるはやてさんの体を少しずつ侵食したことが、彼女の半身不随の根本原因

と考えられます。つまり、恭也君が守護騎士から聞いた話は、間違いでもないの。無限書庫

のユーノ君が調べたところに寄れば、あれが作られた当時は確かにそういう機能であったそ

うよ」

「それが何故、暴走など」

「原因は定かではないの。それに、目下の問題はそこじゃない。暴走した闇の書が、主の体

をベースにして出現する。此度のそれがどれほどの力を持っているか、現状では予想が立ち

ません。対抗手段の目処は立っているけれど、いずれにしても、一度はアースラの戦力だけ

で相対することは避けられないでしょう」

「俺とクロノの任務は、できるだけ早く、下手人を挙げること?」

「時が来れば向こうから見つけてくれと言ってくるのでしょうけど、早いに越したことはな

いわ。戦力の割り振りは、こちらの方で指示します。まずは索敵に専念してほしいの」

「了解しました。話は以上で?」

「復讐は駄目よ? 貴方には理性的な行動を期待します」



 周囲は身内ばかりのリンディであるが、法を蔑ろにする行為を、身内だからと見逃したり

はしない。沈黙は罪。ここでイエスと答えないことには、出撃を許可されない可能性もある。

管理局が治安維持を目的とした組織である以上、その構成員が私怨で動くことを、建前の上

には認める訳にはいかないのだ。



 復讐などしない。自分は任務を忠実に実行する。そう答えればいいのだ。心にもないこと

であったとしても、それでこの場を治めることが出来る。



 そうなれば、後はもう起こってしまったことだ。それをなかったことにすることは、誰に

も、リンディ・ハラオウンにだって出来なはしない。



 だが、恭也は頷くことすらしなかった。怪訝な顔をするクロノ。リンディは目を逸らそう

ともしない。真っ直ぐ、恭也の瞳を見つめ返している。



 先に根負けをしたのは、恭也だった。



「……貴女には、敵わない」

「年上を、煙に巻こうとするからよ」

「最低限のラインを守ることは、お約束します。俺への処分は、いかようにでも」

「せっかく入った管理局を、馘首になるかもしれないわよ?」

「仲間から願いを託されてしまったので。若輩の身にも、守らねばならないものがあるので

すよ」

「フェイトさん、悲しむんじゃないかしら」

「痛いところではありますが、それも、覚悟の上です」

「男の子ねぇ、貴方も……」



 普段のリンディであれば、頑張って、と続いただろうが、言葉はそれで終わりだった。退

出してよし、という言葉に、提督執務室を去る。



「索敵任務の際、君には一人で行動してもらう」



 共に提督執務室を出てきたクロノは、やはり視線も合わせない。不機嫌を隠そうともしな

い、恭也にとってはいつもの表情。



「君に合わせて行動したら、僕の動きが制限されてしまう。だから、なるべく僕には近付く

な」

「部下を選ぶとは、執務官様々だな」

「羨ましかったら君も出世することだ。後、彼女達を見つけたら、直ぐに僕に連絡すること。

君一人で戦おう何て思うんじゃないぞ。戦ったことのない君は分からないかもしれないが、

あの二人を相手にして最後まで立っていられた魔導師は、ただの一人もいないんだからな」

「ならば、俺が最初の一人になるかもしれないな。俺は魔導師ではないらしいが、その場合

でも、記録は破られたことになるのだろうか」

「そういう心配は、破ってからしてくれ。それからいいか、恭也・テスタロッサ。くれぐれ

も、僕に、付きまとうんじゃないぞ? 彼女達を探すのは、一人でやれ。話は以上だ」



 フェイト達が作戦会議をしているらしい部屋に向かうのは一緒だ。なのに、クロノは最短

距離とは反対方向に向かって歩き出した。明確な拒絶、しかし、それもクロノらしい。



「感謝する。クロノ・ハラオウン」

「君は馬鹿か? 今の会話のどこに僕に感謝する要素があるんだ。馬鹿も休み休みに言って

くれ。僕は君ほど、時間を持て余してる訳じゃない」



 クロノは足音も高く去っていく。背中を見ただけで心情を察せる程、彼と付き合いがある

訳ではなかったが、恭也には去っていくクロノが、拗ねた子供に見えた。



 恭也の感覚では、要するにいつも通りということだったが、彼がそう振舞ってくれること

が今は嬉しい。



「さて……いつまで隠れているつもりだ、フェイト」



 クロノが去ったのとは逆方向に向かって声を上げると、角からおずおずと姿を現すフェイ

ト。他には気配はない。いつも一緒にいるはずのアルフまでいないようだった。



 一人で会いに来た、ということなのだろうが、それにしては隠れているというのも解せな

い話だった。何か後ろめたいことでもあるのか、とフェイトが切り出すのを待っていると、

彼女は下を向いてもじもじしているだけで、言葉を切り出そうとはしない。



「その……なんだ、出来れば何かを言って欲しいのだが」

「…………おかえり」

「ああ、ただいま」



 それで、会話が終わってしまう。久し振りということもあって、恭也の方も何から切り出

したらいいのか分からない。



 もしかして嫌われたのだろうか、とフェイトに寄り、俯いたままだったので下から顔を覗

きこむが、フェイトは慌てて顔を逸らしてしまう。



 あまりの反応に、思わず天を仰ぐ。洗濯物を一緒に洗われたくない、と言われる中高年の

父親の気持ちが、この年にして少しだけ分かったような気がした。



「……作戦会議をしているとクロノから聞いたが、何か上手い案は出たか?」

「特には、出てない。恭也が持ち帰ったデータを使って、レイジングハートとバルディッシ

ュの調整をしてるくらい。後は出現ポイントの割り出しと、結界を展開するための準備を進

めてる」

「では、俺に手伝えるようなことはないな」



 事務的な会話なら、付き合ってくれるようだった。



 フェイトから当座必要な情報を引き出しながら、会議室に向かって歩き出す。フェイトは

恭也の後ろと、ちょこちょことついてくる。



「俺のいない間、特に問題はなかったか?」

「シグナム達と何度か戦闘はあった。私となのは、アルフ、ユーノ、クロノが出撃して、対

応した。なのはが魔力を持っていかれて以降は、アースラには特に被害は出てないよ」

「奴らも苦戦していたようだったからな……アースラの方が頭数が多かったとは言え、良く

そこまで対応できたものだ。流石は管理局と言ったところか」



 肩越しに、恭也はフェイトを見やる。こちらを見つめていたらしいフェイトが、慌てて目

を逸らすところだった。苦笑を浮かべながら、思い出したように付け加える。



「シグナムも、お前には苦戦したと言っていた。頑張っていたみたいだな。家族として、俺

も鼻が高かった」



 うぇ、とただの呻きなのか驚きなのか分からない声をフェイトが発するのと同時、瞬時に

体の向きを入れ替え、その場で固まっていたフェイトの両脇に手を差し込み、高々と持ち上

げ――抱きしめる。



 腕の中に収まった瞬間、フェイトは体を大きく跳ねさせたが、背中をぽんぽん、と二度撫

でると大人しくなり、肩に頭を預けると大きく息を吐いた。



「苦労をかけた分は、これからの働きで挽回する。お前を守ると言いながら危険に晒してし

まったこと、許してほしい」

「恭也は、悪くないよ。悪いのは……」



 顔を上げたフェイトの赤い瞳が、恭也の瞳を真っ直ぐに覗き込む。微かな怒りの混じった、

フェイトらしからぬ視線。



「悪いのは、恭也を攫ったあいつらだ」

「……確かにな」



 実際にはどうあれ、管理局員の恭也・テスタロッサを連れ去ったという客観的事実に変わ

りはない。そこだけを見たら、恭也は被害者で、シグナム達は犯罪者だろう。



 無論、当事者である恭也自身には、被害者として名乗りでるつもりなどなく、仲間であり

家族でもあるシグナム達のことを、同じく大切な存在であるフェイトに悪く言って欲しくは

なかったが、自分が八神の家でどういう待遇であったのか、リンディにすらまだ報告してい

ないような段階で、フェイトにそれを察してくれというのも無理な話だった。



「だがな、フェイト。奴らはいい奴だったよ。腹を割って話し合えば、きっと分かり合える

はずだった。お前とだって、仲良くなれた……俺はそう思う」

「今の恭也みたいな状態を、なのはの世界ではストックホルム症候群って言うんだって」

「…………」

「恭也を奪っていったあいつらを、すぐには許せない。いくら、恭也の頼みでも」

「ではいつかで構わない、許してやってくれ」



 最後に一度、強く抱きしめて、フェイトを降ろす。残念そうに呻いたフェイトの視線に合

わせ、膝を折る。細い肩に両手を乗せ、今度は自分から、フェイトの瞳を覗き込んだ。



「いいか、フェイト。仲間は大事だ。それは、理解できるな?」



 不思議そうな顔で、フェイトは頷いた。優しい、いい娘だ。そんなこと、今更言われるま

でもない。



「だが同時に、同じくらいに大事な物も世の中には存在する。管理局の立場で言えば、それ

は正義であったり、秩序であったり……俺も難しい話は得意ではないが、とにかくそれらは

守らなければならない物だ。これも、分かるな?」



 今度は、神妙な面持ちで頷く。



「それらも、仲間も共に大事だ。どちらが大事かというのは、人によって違うと思う。興味

本位で聞くが、お前なら仲間と正義、どちらを取る?」

「仲間」



 迷わずに答えたフェイトに恭也は笑みを浮かべ頭を撫でるが、それを正解だとは言わなか

った。



「そして、どちらかしか選べない時というのも、往々にして存在する。そういう時にどちら

を選ぶのか、選ぶことが出来るのか……」



 選ばなかった、そして、選ぶことも出来なかったものが、恭也の脳裏を過ぎる。後悔して

いないと言えば、嘘になる。自分にもっと力があれば、そんな選択をしないでも済んだかも

しれないのだ。



「選択しなければいけない時は、お前にも必ず来る。選択を後悔する時も来るかもしれない。

だが、選択をする、その時だけは……迷ったりしないようにな。迷ったまま行った行動を後

悔するのは、中々に最悪だぞ」

「恭也はあるの? 最悪なこと」

「両の手に、余るほどな」



 子供にする話ではなかった、と最後にフェイトの頭を撫でて立ち上がる。



 いい加減、会議には合流しなければならないだろう。先に行ったクロノと時間が開くよう

では、彼に文句を言う口実を与えることになる。



 しかし、先にたって歩き出そうとした恭也の袖を、フェイトが掴んだ。



「最悪な、ことになっても。私も、アルフもいるから」



 僅かに半年前、アースラで。打ちひしがれていたフェイトを前に、自分が言葉をかけた。

今度はフェイトが、自分に言葉をかけようとしていた。



「私達じゃあ、頼りないかもしれないけど。恭也は、恭也のやりたいことを、やってもいい

と思う。誰が恭也を駄目だって言っても、私とアルフは、恭也がやりたいって思って、やっ

たことだったら、絶対に応援する。だから……」



 袖を離して、両手をぎゅっと握りこむ。それを胸に抱えて、祈るように、フェイトは瞳を

閉じた。



「頑張って」



 ただ、一言。それが、馬鹿に嬉しい。

































 類は友を呼ぶ、という言葉がある。



 Aの性質を持った人間の周囲にはAの性質を持った人間が集まるという諺で、人間関係に

当てはめてい言えば、大人しい人間の友達には、大人しい人間がいる、となる。



 月村すずかは自他共に認める大人しいタイプの人間で、小学校に上がるまで、家族を除け

ば周囲にいるのは、自分と似たようなタイプばかりだった。



 それに不満があった訳ではない。



 ただ、こんなことを考えていたと知ったら、自分を知る人間は腰を抜かすかもしれないが、

ずっと、心の中ではずっと、自分を連れ出してくれる、白馬の王子様のような存在を望んで

いたのだ。



 そういう種類の人間もいるにはいた。



 しかし、彼女らは大抵その腕にお姫様を抱えていて、すずかにまで手を差し伸べてはくれ

なかった。自分から、声をかける勇気もない。



 不満があった訳ではないのだ。



 ただ、少しだけの刺激を望んでいた。それだけならば世間を知らないお嬢様にはよくある、

栓のない願望。それだけの話のはずだった。



「寒いわ。寒い! 私をこんな目に合わせるなんて、天気を決めてる神様は、あたしの美貌

が憎いのよ!」



 しかし、運命を決める神様に多少の目をかけてもらえる程度には、すずかは愛されていた

らしい。出会いこそ詩的ではなかったが、今は王子様と呼べなくもない友人が、隣にいるの

だから。



 マフラーに顔を埋めたまま、寒さに顔を真っ赤に染めて、隣を歩くアリサ――白馬に乗ら

ない、少しだけ乱暴な王子様――は、どこにいるのかもしれない神様に文句を言い続けてい

た。



「それに、なのはもフェイトも友達甲斐のない……せっかく皆で集まって楽しくやろうって

話だったのに、急にパスだなんて」

「二人にも大切な用事があるんだよ、アリサちゃん」

「親友の私達にも話せないような、『大事』な用事?」



 アリサの表情に、険が差す。



 お互いの全てを知っているのが、親友という訳ではない。誰だって過度に干渉されたくは

ないだろうし、秘密にしておきたいことだってあるだろう。



 だが、本格的に付き合いを始めたのがごく最近であるフェイトはいざ知らず、なのはは絵

に描いたような親友だ。嘘はつかない、話せることは話してくれる。自分のことは、出来る

だけ知っておいてほしい……友達として信頼されていることを、心で感じられる存在だった。



 そのなのはが、遠まわしな嘘をついている。半年前にもあったが、今度はフェイトまで一

緒だった。



 二人が、自分達の知らない『何か』に関わっていることは明白である。



 だが、なのはが自分達に話してくれないというのは、すずかにも解せないことだった。話

せることなら、話してくれているはずなのだ。何処に行って、何をするのか。それを言えば

いいだけなのだから。



 今度に限っては、何も言わない。



 自分の知らないところで、何かが起ころうとしている……親友が大変なことに巻き込まれ

ているかもしれない。そんな不安を、アリサも感じているのだろう。努めていつも通りに振

舞おうとしているが、時折見せる不安そうな表情が、アリサの内面を語っていた。



 だからこそ、自分までアリサに追随する訳にはいかない。揃って不安を口にしたら、転が

り落ちるように疑心暗鬼になってしまうから。



 何があっても、親友のことは信じていたい。それはアリサだって――ここにはいない、な

のはやフェイトだって同じ思いだろう。



 二人が何も言わないのなら、言ってくれるまで待てばいい。言えるようになったら、あの

二人ならきっと打ち明けてくれる。すずかはそれを、確信していた。



 しかし、まずは目の前の王子様を宥めないといけない。喧嘩腰のアリサは、難物なのだ。

なのはが相手ではアリサも、どこまでも突っかかっていってしまうから、彼女を宥めるのは

すずかの役目と言っていい。



 王子様にしては困った相手だったが、これほど頼りになる友人を、すずかは他に知らない。

多少の苦労は、助けてもらっている者の勤めだろうと思い、口を開き――





 軽い、頭痛を覚えた。



 次いで、目に見えない何かが自分達を通り過ぎていったのを知覚する。それが去っていっ

た方に視線を向けて見るが、周囲にも自分にも目立った変化はない。



 錯覚だったのだろうか……それを確かめるためにアリサに目をやるが、彼女はすずかの方

など目もくれず、周囲をきょろきょろと見回していた。



「アリサちゃん、どうしたの?」

「……急に音が聞こえなくなったの。変ね、何かあったのかしら」



 その言葉を受けて、耳を澄ませる。すずかの耳でも、一切の音は聞こえなかった。それど

ころか、人の気配すらまるで感じられない。



「携帯まで圏外になってる……ほんと、どうしたのかしら」



 その場に留まったまま、携帯を弄ったり周囲を見回したりと、今が緊急事態であるには違

いないのに、アリサにはあまり怯えた様子がない。



 根っこのところでは小心者であるすずかには羨ましい限りであったが、今はその胆力に肖

ることも出来そうになかった。



 遠目に見える、桃色の光球。徐々に大きくなっていくそれが何故か、こちらに向かって放

たれるのだということが、理解できてしまったのだ。



 あれがどんなものなのか解らなかったが、自分達に幸せを運んできてくれるとも思えない。

逃げなければならないが、人間の足でどこまで逃げられるか……



 アリサはまだ、光球に気づかない。逃げるならさっさと逃げなければならないが……アリ

サは決して鈍くさい訳ではないが、すずかに比べると運動能力は大きく劣る。並んで走った

としても、数秒もしないうちにアリサが大きく遅れることになるだろう。



 はっきりと言うなら、安全に逃げることを考えたらアリサは邪魔だ。自分一人で逃げるな

ら、あの光球がどんなものであったとしても、生き残ることが出来るだろう。確実に生き残

るのなら、アリサは切り捨てるべきだったが……



 腹を括る。友達を見捨てて逃げるなんて、そんな格好悪い真似が出来るはずもない。



「逃げよう、アリサちゃん」



 有無を言わせずにアリサの手をとり、背負い上げる。驚きの声を挙げるアリサだったが、

無視して全力疾走。諸事情あって、後ろのアリサに顔を見せないよう気をつけながら走るも

のの、当の彼女はマシンガンのように文句を言いながら、後頭部をグーでぽかぽか叩いてく

る。



 地味に痛いが、アリサに納得してもらえるような説明をする自信がすずかにはなかった。

あの光球は危ないから、出来るだけ遠くに逃げないと……では、気の強い彼女は大人しくお

んぶされてはくれないだろう。



 アリサの攻撃は効果音と諦めて、すずかは足を動かし続ける。



 ちら、と振り返ると、背後で光球が放たれるところだった。走り続けたおかげなのか、直

撃は避けられたようだが、安心できる距離でもない。



 この段になってアリサもようやく、背後の光球が危険であること、すずかが自分を背負っ

て走る意図に気づいたようで、言葉なく背中にしかとしがみ付いた。



 危機的状況にあって友達に信頼してもらえるのは嬉しいことだったが、二人揃って無事に

脱出できるという自信はすずかにはなかった。見通しが立たない以上、後は全力で走り続け

るのみ――



「取り込み中のところ、失礼します」



 と、覚悟を決めたところで、すずかに併走する気配があった。走ることに専念していたと

は言え、今の今まで気づかなかった。どこから降って沸いたのか……しかし、当たり前のこ

とを気にするよりも先に、すずかの耳はそれが誰の声であるのかを理解していた。



 危機的状況も忘れ、声の主に笑顔を向ける。



「恭也さん!」

「ええっ!」



 二人の少女の反応は対照的だった。別人であると認識しているすずかにとっては受け入れ

られることでも、アリサにとって『恭也』とはなのはの兄の一般人だ。腕がめっぽう立つこ

とは知っているが、それだけでこんなところに現れる理由にはならない。



「安全なところまでこちらで案内します。ひとまず足を止めていただけると嬉しいのですが

……」



 言葉の通りに、土煙を上げてすずかはブレーキをかけた。急停止によって振り落とされそ

うになったアリサが抗議の声を挙げるが、今のすずかには何処吹く風である。



「あの、恭也さんはどうして……」


 と問うてから、自分が今どんな顔をしているのか思うにいたり、慌てて顔を隠す。顔を隠

したその意図までは、いくら恭也でも気づかないだろうが……既に顔を見られた今となって

は手遅れかもしれないが、気分的にはしないよりはマシである。



「仕事で近くを通りかかったもので。差し出がましいとは思いましたが、助けに参りました。

色々と聞きたいことはあるかと思いますが、詳しい話は後日、ということで」



 そんなすずかの心情を知ってか知らずか、一気にまくし立てた恭也が手を挙げると、二人

の人間が空から落ちてくる。



 赤い髪のヘソだしルックの女性と、自分達と同じくらいの年齢に見える、少女のような少

年。何故かどちらも、どこかで見たことがあるような気がしたが、二人は努めてこちらを無

視すると、迫り来る光球に向けて両腕を突き出した。



 光球が地面に着弾するのと、彼らの意にしたがって壁が現れるのは同時だった。



 激しい光と、暴風。自分の足だけで逃げていたら無事ではすまなかったろう威力のそれら

を、二人が生み出した壁は、何とか受け止めているようだった。



 初めて経験する異様な光景に、流石のアリサも悲鳴をあげる。普段ならすずかも一緒にな

って騒いでいたのだろうが、せめて被害を少なくしようと自分達を抱きしめる恭也にときめ

くのに忙しく、それどころではなかった。



 やがて光と暴風が収まると、恭也はすずか達を解放した。恭也は相変わらず訳が解らない、

という顔をするアリサと、残念そうな顔をするすずかを交互に見やる。



「これから元の場所までお送りします。あちらに帰れば目に見えて危険なことはないと思い

ますが、寄り道などせず、真っ直ぐ家に帰ってください」



 では、と恭也が手を挙げて合図をすると、すずか達の周囲に幾何学文様が浮かび上がる。

それで用事は終わったとばかりにすずか達から視線をはずし、周囲を見回す恭也の視線が、

一つのビルの屋上に固定される。



 その視線を追うと、人影が見えた。すずかの目でも、細かな容姿までは分からない。小さ

な影ではなかったから、おそらく男性だろう……その程度である。



 だが、どういう方法なのか、その人影が正確に誰であるのか判別したらしい恭也は、すず

かの前では見せたことのなに、酷く獰猛な笑みを浮かべた。紳士然とした普段の振る舞いと

違う。その笑みはまるで、映画の中の殺し屋のようだった。



「恭也さん――」



 その人影に向かって走りだした恭也が、肩越しに振り返った。地面の文様が輝きを増し、

恭也の姿が遠くなっていく中で、何か重大なことをしにいく恭也に、何も出来ない自分を重

ねながら、それでも、恭也のために何か出来ることを、と思ったすずかは、ありったけの思

いを込めて、叫んだ。





「御武運を!」



 すずかの言葉には何も答えず、恭也はただ左腕を掲げて見せた。