1、



 目覚めることはないと、思っていた。目が覚めることそのものに驚いたのは、初めての経

験である。強敵二人と戦って、傷を負い、血を流して、彼女らを倒すこともなく倒れたのだ。

その後に殺されたとしても、文句は言えないだろう。今自分が生きているということは、運

が良かった、ただ、それだけのことだ。



 怪我は、治療されている。身体を起こしてみようと力を入れてみたものの、力は入らない。

以前に、湖で起きた症状に似ていた。あの時よりも重症だったが、十六夜に命を落とすと脅

された上でこの結果なのだから、自分は本当に運が良かったのだろう。



 身体の状態を確認して、初めて周囲を気にする余裕が出てきた。今いる場所に、見覚えが

ない。鍛錬の際に怪我をすることも多く、海鳴の病院は日常的に利用していたが、そことは

違うようだった。



 危機は、脱していないのかもしれない。



 自分を攫うことにメリットがあるとも思えなかったが、喧嘩をする相手がどういう素性な

のかを調べもしなかったのは、失敗だった。意思を持った相手に力を振るったのだ、報復さ

れることは十分に考えられる。



 自分の身は自分で守らなければならないが、十六夜と御架月を使ったツケが、身体に現れ

ている。今襲われたら、相手がどんなヘボであっても抵抗できそうにない。



 視線を動かす。自分が寝かせられたベッドは部屋の隅にあり、ベッド脇にはテーブル。テ

ーブルの上にはリンゴが置かれており、美由希が目を向けると、横から伸びた手がひょいと、

一つを取り上げた。



 さらに、それを目で追う。黒ずくめの少年が、足を組んで椅子に座り、ナイフを片手に器

用にリンゴを剥いているところだった。



 見られていることに気づいたのか、少年は手元に落としていた視線を上げ、美由希の方を

見た。



「気は確かか?」

「開口一番がそれ? か弱い女の子に、もう少し気を使った物言いは出来ないのかな」

「気を使うような仲でもなかろう。それに、お前はか弱くはない」



 少年――恭也は、剥き終えたリンゴを綺麗にカットすると、そのうちの一つを摘み、美由

希の口元に持ってきた。気だるかったが、ベッドの上で身体を起こし、そのリンゴを口にし

た。口の中に広がる――苦味。それがリンゴだと思っていた美由希は、思わぬカウンターパ

ンチに、口の中のものを床に吐き出し、咳き込んだ。



「な、何これ……」

「リンゴ……だと思って買ったのだがな。匂いが違ったのでお前を毒見に使ってみた」



 美由希が床に吐き出したものを手早く片付け、サイドテーブルのウェットティッシュで手

を拭くと、恭也も一欠け口にし……顔を顰めた。



「苦いな」

「せめて味見してから食べさせてほしかったな」

「食用としか解ってない未知の食物を、自分で最初に口には出来ないだろう。見ての通り、

まだこれだけ余っているのだが、もう少し食べないか?」

「気持ちだけ貰っておくよ」

「そうか……ならば仕方がない」



 そのリンゴもどきは恭也の口にも合わなかったようだが、剥いた責任くらいは感じている

のか、膝上の皿に乗ったものを、次々と自分の口に放り込んで行く。



「深刻な容態ではないそうだ。医療局の連中が調べた所によれば、明日には退院できる程度

らしい。良かったな。十六夜さんには、使ったら死ぬとか脅されていただろう」

「それは、運が良かったよね……私も死ぬかと思ったもの。こうしていると、生きてるって

素晴らしいって実感できるよ」

「それに関しては、同意しておこう」



 空にした皿をサイドテーブルに戻し、恭也はナイフを弄ぶ。



「さて、ポンコツには養生してほしいところではあるが、俺個人として聞かなければならん

ことがある」



 恭也のナイフ捌きは、ただ眺める分には見事だった。指の間を通し、掌で回転させ、手首

の辺りでさらに回転させては跳ね上げ、もう片方の手で回収し、同じことを繰り返している。



「お前があの二人と戦った、それはいい。霊剣を二本も使ってお前の腕があれば、それくら

いは出来るかもしれない。俺と、あの二人がいる場所を見つけた。それもいい。これも霊剣

があれば、解決できる問題かもしれない。問題なのは、それよりも前、根本的なことだ」



 再び跳ね上げられたナイフは宙を飛び、サイドテーブルに刺さる。



「何故、霊剣を手に取るに至った。俺の危機を察知したのはそれからでもいいだろうが、あ

れだけ釘を刺されたのに、お前がその禁を破るとは、俺には思えない」

「実は、好奇心に負けて……私も恭也と同じような力を使ってみたくなってさ」

「ダウト。お前はそこまで短慮ではなかろう。話したくないというのならそれでもいいが…

…俺に隠し事をすると、ためにならないぞ」



 だから何をする、と恭也は言わなかったが、右手は虚空に向かってのデコピンの素振りを

開始していた。風を切る音が、美由希にまで聞こえる。直撃すれば、額に皹くらいは入るか

もしれない。



「私、今動けないんだけど」

「それならいい的になってくれるだろう。俺としては、手間が省けて助かる」

「わかったよ、白状する。と言っても、覚えてないんだよね、これが」

「……まぁ、額が割れる音をどうしても聞きたいというのであれば、止めはしないぞ。幸い

ここは医療局だ。怪我をしても治してくれる奴は大勢いる」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」



 寄って来る恭也の腕をなけなしの力を振り絞って掴み、体力を削って声を挙げる。ここが

医療局というのなら、その声を聞いて人がやってきてくれても良さそうなものだったが、現

れるどころか、ノックの音さえも聞こえなかった。



 これで自分の命は大丈夫なのか、と不安になりながら、ようやく諦めて腕を引っ込めた恭

也からベッドの上で距離を取りつつ、自分の記憶を掘り起こしながら、答えた。



「本当に覚えてないんだって。湖に行った時には、もう『恭也が危ないんだ』って思ってた

の」

「すると、何か。お前は自分が超能力者だとでも言うつもりか?」

「この年になって、そんな大げさなこと言わないよ……勘とか、虫の知らせってことで、納

得しない? お互いに助かったんだしさ」

「助かったというには、お互いに怪我を負い過ぎていたと思うのだが……」

「そのはずだよね。私も結構怪我してたと思うんだけど、今は痛みとか全くないよ。恭也が

治してくれたの?」

「いや、そっちは医療局の連中がやった。単純な切り傷ばかりだったからな、魔法で傷を塞

いで、輸血したらしい」

「君の怪我も?」

「そのようだな。俺には記憶がないが……」



 美由希の見た限り、恭也の動きに淀みはない。立って歩いているところを見ればボロは出

るのかもしれないが、ベッドに寝たままではそれも叶わない。



「とにかく、どうしてかは覚えてないと、そう言うんだな」

「もしかして……信じてない?」

「まさか。お前の言うことを疑うものか。本人が分からないことを、俺が知ることもないだ

ろうし……まぁ、お前の言う通り、お互いこうして『無事』なのだからな。細かいことは、

気にしないことにする」

「今度は、私から質問。何であの猫耳美女コンビと戦ってたの?」

「そういう言い方をされると、自分がただの馬鹿に思えてならんのだが……まぁ、いい。五

人ばかり、仲間を殺されてな。その復讐のために、戦っていた。最初は首を飛ばしてやろう

かとも思っていたが、言葉で責めた方が後悔の度合いは高そうだったから、無抵抗を貫いて

みた」

「タコ殴りにされてたのは、そういう事情だったんだね……」

「済んだことだ。言っておくが、この件に関しては蒸し返してくれるなよ。俺とお前が寝て

た時に事情が変わって、どうでもいい戦いに成り下がってしまったからな」

「どうでもいいって、そんなことないよ。殺された仲間のために戦ったんでしょう?」

「その仲間が、生き返ったとしてもか?}

「…………生き返ったってなに」



 普段にもまして、美由希は間抜けな顔をした。当然である。殺されたから、復讐するに至

ったのだ。生き返るのなら、これほど不毛なこともない。



「生き返ったというのは、生き返ったということだ。ゾンビとかそういう不完全なものでは

なく、俺の記憶にある状態で復活していた。魔法に詳しい連中によれば、厳密には死んでな

かったらしいのだが……」

「じゃあ、君は勘違いでタコ殴りされたわけ?」

「そういうことになるな……」



 これで痛み分けだったのならまだ良いが、恭也は一方的に痛めつけられただけである。ど

うせならば、少しくらいは殴っておけば良かった……と思っているかもしれない。聞いてみ

たいとは思ったが、今までの経験から、それが命取りであることは良く理解していた。



「さて、目も覚めたようだし、俺は去ることにする。何か不都合があったら、枕元のボタン

を押すように」

「…………もしかして、ずっと付き添ってくれてたの?」



 椅子から立ち上がろうとしていた恭也の動きが、一瞬、止まった。恨みがましい視線を向

けてきた恭也は、何かを言おうと口を開いたが、長い呻き声を挙げると、何も言わずに踵を

返した。



「あ、ちょっと待って!」



 からかい過ぎた。恭也の性格を考えたら、そのまま出て行ってしまっても可笑しくはなか

ったが、一応、足は止めてくれた。ただ、右手は既にドアにかかっており、いつでも出て行

けるということを、こちらにアピールしている。



 早く言え、と恭也の背中が促してきた。声を交わさなくても、相手の意図していることが

分かる……そう思えることが、何処か嬉しかった。



「話があるの。私の、兄の話。兄と言っても義理の兄で、正確には従兄弟……私の叔父さん

の、前の奥さんとの息子なんだけど」

「……随分と複雑な家庭環境なのだな」

「こんなの序の口だよ? その叔父さんが私の義父さんだし、義母さんはその再婚相手で、

義妹はその二人の実の娘」

「既に混乱してる」

「そう?」



 疑問の声を挙げると、恭也が振り返る。機嫌は悪そうだった。あまりこの話題を続けて欲

しくはなさそうだったが、途中で止める理由もない。



「私の兄はね、誰かを支えてないと、生きられない人。誰かを支えるためには、どんな自己

犠牲も出来て、いつか身を滅ぼすんじゃないかって、義妹にいつも、心配させてる人。ちな

みに、私の初恋の人」

「……最後の部分は、話に関わってくるのか?」

「別に、ちょっと言って見たかっただけ。あー、今はそういう対象としては見てないんだか

らね? 彼女もいるし、昔の話だから」

「別に言い訳なんぞしなくてもいい。それで?」

「まぁ、そんな兄なんだけど、彼女が出来てから、少し変わったの。誰かを支えてないと、

っていうのは変わってないけど、危うさ? みたいなのが消えた感じ。前は放っておいたら

支えられる誰かを探しに、何処かに行っちゃいそうな気配があったんだけど。今は、彼女さ

んが大事みたい。毎日、楽しそうにやってる」

「まるで、今までが楽しそうではなかったみたいな物言いだな」

「そういう訳でもないんだけど……ごめんね。上手くは説明できないかな。本人を観察して

ると、良く分かるとは思うんだけど……」

「残念だが、お前の話を理解するために兄上を観察する時間は捻出できないな」

「そこまでは、私も期待してないよ。でね、君は、そんな義兄に似てる感じがするんだ」



 恭也は相変わらず不機嫌そうな表情で腕を組み、こちらを見つめている。



「顔が似ているという話は、前にお前としたな。兄上と、内面まで似ているというのか?」

「感じた危うさは、似てる……というか、同じかも。でも、だからって恭也が消えそうとは

思わないよ? 地に足が着いてるのは、何となくだけど分かる」

「確証のない物言いばかりだな……要するに、何が言いたい?」

「うん。だから君は、うちの兄と内面が同じで、似たようなことを考えていたんじゃないか

って、そう思ったの。それで、今は地に足がついてるってことは、何があっても手放したく

ないものがあるってことだよね? だから、安心してますってことを、君に伝えたかったん

だ」

「……言いたいことは、理解はした。だがそれは、俺にどうしても言わなければならない話

だったか?」

「言われてみれば、そうかもね」

 

 確かに、これは美由希の義兄の話であって、似ているだけの恭也には関係のない話だった。

いくら内面まで酷似していると言っても、考えたことやその人生まで同じなど、普通は考え

ないだろう。



 苦笑すると、恭也はこれ見よがしにため息をついた。こちらの神経を絶妙に逆なでするタ

イミングは、もはや玄人と言ってもいい。



「もういいか?」

「もうちょっとだけ待って、恭ちゃん」



 恭也の片眉が、ぴくりと動いた。怒りのサイン――デコピンが来る、と直感した美由希は、

反射的に腕を挙げて防御する。が、実際に恭也は僅かに腕を持ち上げただけだった。大げさ

な反応をしたこちらを見て、小馬鹿にした笑みを浮かべている。



「騙すなんて、酷くない?」

「お前にあだ名で呼ばれる筋合いはない。どちらが上の立場にあるか、この辺りで解らせる

のもいいかと思った。中々面白い見世物だったぞ?」

「へー、恭ちゃんって呼ばれたこと、あるんだ」

「恭也という名前のあだ名なら、その辺りで落ちるのではないか? 仲間の中には、キョウ

と呼ぶ奴がいるが、今までそう呼ばなかった奴が、いないでもない」

「ちなみに恭ちゃんって呼んでたのは、どんな人?」

「さあな。それこそ、お前には関係のない話だ」



 ではな、と吐き捨てるように言うと、恭也はそのまま部屋を出て行った。



 白い、白すぎる病室に一人になると、途端に身体の力が抜けた。睡魔も、襲ってくる。疲

れているのに喋りすぎたからだ、と思い至って、美由希はゆっくりと瞼を閉じた。



































2、



 自分を理解してくれる人間がいる、というのは素晴らしいことだと思うが、理解され過ぎ

るというのも、問題だった。



 美由希は、流石に『美由希』なだけある。このまま付き合いを続けたら、全てを見抜かれ

るのでは、という危機感すら、恭也の中に生まれていた。



 素性に関しては、隠さなければならないということはない。話すまでもないことであるか

ら、話していないだけだったが、話さずに看破されるというのも間抜けな話である。それが

あの美由希に気づかれたとあっては、尚更だった。



「半殺しにでもするべきか……」

「医療局で何を物騒なことを言っているんだ、恭也・テスタロッサ」



 振り返らずに歩いていると、声の主は勝手に並んで歩き始めた。執務官、クロノ・ハラオ

ウン。執務官が具体的に何をやるのかすら知らず、また、働いているところを見た記憶がな

かったため、恭也の中でクロノというのは、適当に暇を持て余しては自分と衝突する、から

かうと面白い人間、とカテゴライズされていたが、今日のクロノは、手にファイルやデータ

ディスクを抱え、歩き方も、口調も、見るからに忙しそうではあった。



「お前は仕事か? クロノ・ハラオウン」

「これで遊んでいるように見えるのだったら、このまま真っ直ぐ進んで、突き当たりを右だ。

腕のいいカウンセラーが常駐してるから、世話になってこい」

「精神は至って健康なつもりだ。誰かさんのせいで、身体の調子はイマイチだが」

「その身体の件で、グレアム提督が話があるそうだが、どうする?」

「本音を言えば会うのも嫌なのだが、そういう訳にもいかんのだろう。出来る限り引き伸ば

しておいてくれ。そして、いよいよ避けようがないと判断したら、俺の方から会いに行くと

返事をしておいてほしい」

「何故僕が、君と提督の遣り取りを仲介しあければならないんだ……」

「会いに行く時は、お前も一緒にいるのだから、当然と言えば、当然だろう」

「……一人で行ってくれないか? 好き好んで胃の痛くなりそうな空間に顔を出す趣味は、

僕にはないんだ」

「俺に、一人で行けというのか? 今更どんな顔をして、彼らと会話をすればいいんだ」

「世間話でもしたらどうだ。提督はバラを育てるのが趣味とも聞く。紅茶を入れるのも中々

の腕前だぞ? そういう殊勝な趣味を共に楽しんでみるのも、いいかもしれない」



 クロノはそれほど事態を深刻に考えていないようだったが、死ね、とまで言った相手の主

とテーブルを囲むことには、流石に抵抗があった。自分のやったことを何ら後悔はしていな

いが、まさかの事態が起こってしまうのが、世の中だった。人間は、吐いた言葉を引っ込め

る訳にはいかないし、気持ちも急には変えられない。



「まぁ、他ならぬ君の指名だ。提督のことは追々熟考するとして……今日はこれから第97

管理外世界に行くのだろう?」

「美由希が目覚めてくれたのでな。これから行く。他の連中は皆現地にいるからな、遅れな

いように――」

『主様、第97管理外世界から通信です』



 プレシアの言葉に、恭也は肩を竦めた。苦笑するクロノに別れを告げて、転送ポートに向

けて歩き出す。



「恭也だ。シグナムか?」

『ああ。予定は滞りなく実行される。お前はまだ本局のようだが、間に合いそうか?』

「懸念は解消された。これから、そちらに向かう」

『ふむ……あの少女が意識を取り戻したか。だが、放って置いてもいいのか?』

「無駄に頑丈なのが取り得だ。気にすることはない」

『柄にもなく取り乱していた男の台詞とは、思えんな』



 向こうでシグナムと、シャマルの笑う声が聞こえた。先頃まで、もう二度と聞くことはな

いと思っていた声だが、それでも、からかわれれば腹も立つ。人間など、現金なものだ。



『お前のために戦ってくれた娘子だ。我々も、何か礼をしなければならんかな』

「下手に出ると図に乗るぞ。そんなことは、しなくてもいい」

『当事者のお前が言うのなら、私にはもう言うことはないが』

「とにかくこれから向かうが、俺の到着は待たなくてもいいと、他の連中にも伝えておいく

れ』



 言って、通信を切ると、足を速めた。



 改造服のレポートや、八神家にいた時分の報告など、恭也にもやらなければならないこと

が色々あったが、闇の書の事件は、まだ解決していない。最後の、最後の重要な仕事が、ま

だ残されていた。



「プレシア、お前はこの解決方法を、どう思う?」

『私が彼女と同じ立場なら、同じ行動をしますわ。主様が第一ですもの。彼女の気持ちも、

解ります』

「どうにかならないものかと、俺は思うのだが」

『どうにかならないから、こういうことになっているのでしょう。ならば最後くらい、彼女

の気持ちを組むべきですわ』

「解っているつもりだが……」



 理屈では、割り切れぬこともある。ここまで、奇跡が起こったのだ、最後まで付き合って

くれたって、というのが人間の感情だ。



 しかし、これも散々話し合ったことだ。リスティ達や、リンディの息のかかった技術部の

連中とも話し合い、全員で『これしかない』という結論を出した。



 奇跡は、確かに起こった。人の思いが、はやての心が、奇跡を生み出した。それをもう一

度、期待する訳にはいかない。納得は出来ないが、駄々をこねて解決する問題でもない。



「少し急ごうか、プレシア。現地の天気は、どうなっている」

『レイジングハートの話では、雪が降っているそうですわ』

「雪か……」



 旅立ちの日に、雪が降るというのも悪くはない。12月25日。あの世界に限っては、特

別な日だ。 



































3、



 本局の転送ポートを使い、第97管理外世界へ。先にクロノが見つけておいた、海鳴山中

の空き地に転送されると、そこで待っていたユーノと合流。彼を伴って現地に向かう。



 この空き地は人目にはつかないが、市外から遠いのが難点だった。専用のポートがあれば

いいのだが、使う人間と言えばアースラのスタッフか、この世界に住んでいるなのはのみ。

そんな場所にポートを建設する予算を、管理局が認めてくれるとも思えない。



 協力者でも出来れば話は別だったが、そうでもない限りは、こうした人目を忍んだ来訪が

続くのだろう。世界を移動するというのも、手間がかかることだった。



「俺もお前のように、転送魔法が使えればいいのだがな」

「その代わり恭也さんは、戦えるじゃありませんか」

「魔導師ランクも、貰えていないがな。勤めに出る前は、他人の決めた格付けなど大した意

味があると思っていなかったが、流石にフェイトよりも下というのは格好が付かないと、遅

まきながら気づいたところだ」



 フェイトは嘱託だが魔導師で、恭也は正規の職員だが魔導師ではない。どちらがより多く

の場面で役に立つか、という点で比較すれば、魔導師がそうでない人間よりも重宝されると

いうのは、魔法と縁のない世界で育った恭也にも解るのだが、給料や待遇などの、目に見え

る形でその差を突きつけられると、そして、その比較されるのが大事な家族であったりする

と、魔導師にあらずんば人にあらずと言われている気がして、やるせない気分になる。



「そのうち、一緒に外食に行っても、会計はフェイトが持つようになるのかと思うと、泣く

に泣けん」

「恭也さんも苦労してたんですね……」

「お前程じゃない。調べ物で扱き使われたそうじゃないか。無限に本が続く無重力空間での

作業だったと聞くが、俺では一分と耐えられんな」

「僕には天国のような空間でした。そこで働かないかって打診もされてるんですよ。条件も

いいですし、決めてしまおうかと思ってるんですが」

「こうして、俺は知人の中で最低収入になっていくのだな……」



 額に手を当てて、天を仰ぐ。普段と比べれば大仰な身振りだったが、ユーノには好評だっ

たようで、小さな笑い声を挙げた。これがクロノであれば、憎まれ口の一つも叩き、恥ずか

しさも手伝って取っ組み合いになったことだろう。



「さ、この先ですよ」



 ユーノが促したので、先に立って歩いた。一歩、一歩。積もった雪を踏みしめながら、歩

いていく。



 開けた場所。リインフォースを中心に、左右になのは、フェイトとアルフ、背後には守護

騎士達が並んでいる。ユーノが当たり前のようになのはの後ろに立ったことで、フェイトが

こちらを見つめてきたが、すまんな、と小声で謝ると、シャマルの隣に並んだ。残念そうな

顔をするフェイトに、むくれて見せるアルフ。



 無用な争いが発生したのを見て、シャマルが小声で話しかけてきた。



「フェイトちゃん達、大丈夫ですか?」

「問題ありません。今日は、こちらに並ぶべきと判断したのでこちらに来ましたが……向こ

うの方がいいでしょうか」

「そんなこと!」



 雪の日でも、シャマルの声は響いた。じろり、とヴィータに睨まれて、赤面しながら縮こ

まる。



「貴方はもう、私達の仲間じゃないですか。遠慮する必要なんて、ありませんよ。フェイト

ちゃん達との家もそうですけど、八神家も、貴方の家なんですから」

「そう言っていただけると嬉しいです。いや、シャムから仇を討てを言われて、勢い込んで

挑んではみたものの、中途半端な結果になって申し訳が立たなかったところです。いや、仲

間と言っていただいて、安心しました」

「仇なんて……皆こうして無事なんですから、私は、恭也さんが無事なだけで……」



 いい話だったが、そこまで言ったところでシャマルが凍った。先の事柄を引き摺っている

ので、顔は赤いままだったが、自分達の言葉の意味に思い至り、人体の限界に挑むかのよう

に、顔がさらに染まっていく。



「つかぬ事をお聞きしますけれど……どこまで?」

「Auf Wiedersehen」



 驚こうとしたのだろう。しかし、呼吸することすら上手くいかなかったらしく、小さく息

を吸い込んだだけで、シャマルは後退った。そのまま照れ隠しに、隣にいた人型ザフィーラ

の肩をグーパンチで叩き続ける。



 唐突に仲間にどつかれることになったザフィーラは迷惑そうにシャマルを見やるが、見た

だけではどうにもならないのは、明らかだった。ため息をついたザフィーラは無言のままシ

ャマルの肩を掴み、強引に場所を入れ替える。それでシャマルも我に返って慌てたが、ザフ

ィーラも恭也も取り合わなかった。仲間ではあるが、ここで仲間と思われるのは嫌なのだ。



「さて……」



 そのままでは、ここが何処でどういう場面なのかも忘れて、小さな乱闘が発生しかねなか

ったが、遣り取りを見守っていたリインフォースが気を取り直して発した言葉が、場を救っ

た。拳を握り締めていたシグナムが唸りながら拳を下ろし、居住いを正した。



 出来の悪い生徒のようだった。リインフォースが、教師である。その教師は苦笑を浮かべ

て恭也を含めて守護騎士達を、順に見やった。そして、続ける。



「守護騎士達よ。夜天の書から切り離されたお前達は、今やただ一つの生命であり、真の意

味で主はやての騎士となった。もはや無限の命はお前達にはない。限りある命と共に、主は

やてと、同じ時を過ごして欲しい」



 その言葉に、シグナム達は背筋を伸ばし、騎士としての返礼を返した。一分の隙もない。

子供然としたヴィータですら、待機状態のデバイスを手に立つ姿は、堂々とした騎士の物だ

った。



「私は、この世界を去る。美しく成長していくであろう、主はやてを見れないことは残念で

はあるが、私も分も、お前達には生きて欲しい。これは騎士としてではなく、友人としての、

私からのお願いだ」



 返礼を解く。涙を流している、シャマルとヴィータ。無言で佇む、ザフィーラ。努めて仏

頂面をしたシグナムが、一同から一歩だけ前に出て、拳を握った手を正面に差し出した。



 なのは、フェイトの物も含めて、既に魔法陣は展開されている。打つ合わせるために出さ

れた手でも、それが叶うことはない。



 だが、リインフォースは微笑みながら、同じように拳を握った手を差し出した。それで、

終わりである。踵を返したシグナムは、何事もなかったかのように守護騎士の列に戻り、

不動の姿勢を取った。



「恭也・テスタロッサ」



 呼ばれて、一歩前に出た。



「お前には、本当に感謝している。お前の存在は、主はやてと守護騎士達の心を潤してくれ

た。騎士でも、魔導師でもないのに、お前は、我々のために怒って、戦ってくれた。いくら

感謝しても、足りない」

「感謝など。俺はお前達のことを仲間だと思っている。何度も言っていることではあるが、

仲間のために戦うのは当然のことだ」

「そう断言し、行動できる人間はそうはいない。私に騎士叙勲する権限があれば良かったの

だが……今はそれが、残念でならない」

「仲間が、ここにいる。それ以上に何を望むことがある?」

「…………主はやてを、頼む」

「了解した。良き旅を」



 交わしたい言葉は、いくらでもある。呪縛から開放され、名前を与えられた。これからだ

ろう。リインフォースは主と共に、仲間と共に、歩んでいかなければならない存在だった。

全てが幸せになるように、世界は出来ていない。その仕組みによって世界から弾き出された

存在がリインフォースであるのなら、恭也はやはり、世界というものが好きになれなかった。



 大事な存在が、また遠くに行ってしまう。それが、自分の運命なのだろうか。本来居るべ

き世界を、捨ててきた。主も、最初の相棒も、もう傍にはいない。そして今また、仲間が去

ろうとしている。



 見っとも無く泣いて、引き止めたかった。こんなことは間違っていると、叫びたかった。

守護騎士達も、同じ思いだろう。シグナムやザフィーラは何でもないように振舞っていたが、

シャマルとヴィータは、溢れる涙を止めようともしていない。



 仲間一人が犠牲になるなど、彼女らに認められるはずもない。それでも、仲間の旅立ちを、

黙って見送ろうとしている。主を思い、主のために戦った。仲間なのだ……リインフォース

が決めたことを、彼女の誇りと名誉にかけて、認めない訳にはいかなかった。



「高町なのは、フェイト・テスタロッサ。始めてくれ」

「……リインフォース」



 だが、譲れないものも、恭也にはあった。旅立つ決意を固めたリインフォースに、顎で、

こちらへと続く道を示す。



 雪の降る中、はやてがやってくる。彼女にだけは、知らせたくなかった。主の悲しむ顔は

見たくない。それがリインフォースの、唯一つの我侭だった。はやてには誰が知らせた訳で

もない。去り行く者の希望だ。誰一人、彼女のことを裏切ってはいなかった。



 それでも、はやては来た。こんな奇跡くらいは、あってもいいだろう。はやての、リイン

フォースを呼ぶ声。車椅子から、はやてが落ちる。駆け出そうとしたヴィータを、シグナム

が抑えた。魔方陣の中、リインフォースはゆっくりと、はやてに向かって歩み寄る。



 恭也はそこで、背を向けた。声は聞こえてくるが、それを努めて排除する。別れの言葉は、

二人の間だけで交わされればいい。他人が関わるのは、無粋というものだろう。



「何をしている、お前は」



 シグナムが、隣に立つ。視線はやらずに、海を見続けた。遠くの水平線を見つめながら、

煙草でもあればいいのに、と生まれて初めて思う。会話をしなくても間が持つというのが、

とても魅力的に思えたのだ。



「海を見てる。いいものだな」

「異論はないが、今でなくてもいいのではないのか」

「言葉は、そのまま返す。お前も同じ気分だから、こうしているのだろう」

「……まぁな」



 光が、天に昇る。そんな気配がした。はやての慟哭と、皆の駆けて行く足音。ヴィータと

シャマルの泣き声も聞こえた。



「行くか?」

「ああ……」



 並び立ちながら、皆に遅れてゆっくりとはやてに歩み寄る。



「お前の敵討ちに関して、言っておかなければならんことがある」

「お前達とまたこうして会話できることは喜ばしいことだが、おかげで俺は殴られ損の言い

損だ。格好悪いことこの上ない」

「お前は、私達の誇りを守ってくれた。これ以上のことがあるものか。シャマルもザフィー

ラも感謝している。ヴィータも、お前を褒めたりはしないだろうが、心の内ではそう思って

いるだろう。我々の中で最も血気盛んなのは、奴だからな」

「ヴィータに褒められたら、何かあるのではないのかと疑ってしまう。それくらいで、丁度

いいのだろう。褒められるようなことを、したつもりはないしな。自分でやっておいて何だ

が、復讐というのはどうも好かん」

「報いというのは、受けるべきだ。そしてそれを成すには、当事者が最も相応しいと思う」

「文化の違いかな……そちらを支持したいという気持ちも、俺にはあるのだが」

「いずれにせよ、過ぎたことだ。私達も、主はやても、お前も生きている。今はそれで、良

しとしようではないか」

「そうだな」



 シグナムに先立って、歩き出す。泣くはやてと、一緒に泣くヴィータ。他の面子は彼女ら

を囲み、物思いに耽っている。旅立ったリインフォースは、ここにいる人間達の心に、影を

落としていた。これは、彼女が最も望まなかった光景なのだろうが、今この時くらいは、悲

しみに浸ることがあっても、許されるだろう。



 一度立ち上がれば、きっと胸を張って歩いていける。ここに居るのは、心にそんな強さを

持った人間ばかりだ。



「それはそれとして、英雄的行為には褒美があるべきだと思うのだが、お前が復讐に手を染

めたことなど、主はやてに報告する訳にはいかん」

「当然だろう。それに、俺としてはあまり広まってほしくない事実だ。出来ればお前も、胸

のうちに仕舞っていてくれると助かる。三人にも、そう伝えておいてくれ」

「うむ。話を戻すが、報告できない以上、主はやてから褒美を与えることは出来ん。よって、

我ら守護騎士から、お前に感謝の意を示すことにした。受け取ってもらえるか?」

「気を使わなくてもいいのだがな……」



 だが、その程度なら受けておいてもいいだろう。感謝してくれるという気持ちを、無碍に

する必要もない。何を言ったところで、感謝されるのは気分がいいものだ。



「Jaと解釈するぞ」



 そう宣言するが早いか、シグナムは恭也の顔を両手でホールドすると、強引に顔を自分の

方へ向け、唇を重ねた。目を見開いて驚いているのを他所に、唇を舌で舐め挙げ、驚いた所

で舌で強引にこじ開け、口内に侵入してくる。



 奇跡的に、他の連中はこちらに注意を払ってはいない。暴れようと身体が動きかけたが、

こんな所を見られたら人生の終わりだ。こんな理由でフェイトにもう一度汚物を見られるよ

うな目で見られたら、いくら恭也でも生きてはいけない。



 声も挙げずに我慢していると、やがて、開放された。ふむ、と何事もなかったかのように

頷いているシグナムが、今はとても小憎らしい。



「少しは、こちらの気持ちも考えてもらえんかな……」

「身体で払った方が望ましかったか? どうしてもというのなら、シャマルと協力してとい

うのも吝かではないぞ」

「いや、これで満足した。褒美の件は、これで完結してくれると嬉しい」



 言ってやりたいことは沢山あったが、そうでも答えないと本気で言葉通りのことを実行し

そうな気配すらあった。からかったことで満足したのか、恭也に興味はなくしたかのように、

シグナムははやて達に合流する。自分が入り込めそうな気配ではない。



 一歩、二歩とはやて達から距離を取り、空を見上げた。リインフォースが、旅立った空で

ある。もっと、色々なことが語れたはずだった。はやても、シグナム達も帰ってきたのに、

彼女だけが旅立った。



 主を守って逝けたのだ。臣下として、これ以上のことはない。忌み名と共に長い時を過ご

してきたリインフォースが、最後に光を得た。いつまでも女々しく悲しんでいる訳にはいか

ない。彼女のことを思い出す時に、悲しみがあってはいけないのだ。



 目を閉じる。心の中で、リインフォースの旅の無事を二度、祈った。目を、ゆっくりと開

けた。世界が少しだけ、変わって見えた。



 だがここに、リインフォースはいない。


















後書き

ここまでお付き合いくださってありがとうございました。
これでA’sの時間軸の話は終了です。
リクエストの話を書いた後、次回からまた短編連作になり、2、3話かけて闇の書事件の事後
処理になると思います。
やろうと思っている話だけで10話ほどあるので、StS軸に移れるのは先の話になるのでは
ないかと。

ですが、なるべく早く更新しますので、短編連作共々、よろしくお付き合いください。




2008年12月21日 M2