Fullmetal princess 第一話












 炎の勢いは留まることを知らない。自分で蒔いた火種とは言え、調子に乗って少々長く

活動しすぎたようだ。起動酔いのせいか、先ほどから各部の調子がすこぶる悪い…早急に

離脱して体勢を立て直す必要があるが、そのためには…



「このっ!!」



 渾身の力を込めて繰り出したブレードを、姉はふらつきながらも受け流した。既に動力

系には自分よりも損傷をきたしているはずだし、小賢しい改良を受けているとは言え、向

こうの方が旧型なのだ。起動酔いしているハンデを差し引いたとしても、ここまで苦戦す

る要素はなにもない。そのはずなのに――



「しぶといのよ! さっさと…くたばりなさい!」



 ボディに一撃…姉の体を構成する骨格が砕け、血の代わりである擬似体液を吹き出す。

ブレードを翻し、姉の左手を半ばまで切り裂く。重心が変わり、体勢を崩す彼女の髪を引

っつかみ、壁に叩きつける。感情を宿すことのできない出来損ないの瞳を睨みつけて、そ

のすました顔に、イレインは思い切り拳を叩きつけた。



「あんたと私に…何の違いがあるってのよ…」



 自我を持って自由を求める自分と…偽りの『自我』しか持たない姉…小汚い親父に利用

され、道具に成り下がるところだった自分と、こんなところで惚けて活動していた姉…こ

の違いは――



「何なのよ!!」



 イレインは手当たり次第に、姉の身体に拳を叩きつける。肩が、足が、軋んだ音を立て

ても、姉はずっとイレインを見つめ続けていた。感情を持たないはずの瞳の中に、哀れみ

を込めて。



 その目が癪に障った。イレインは迷うことなく、その手の長大なブレードを姉の腹部に

突き刺す。身体に走るいくつかのケーブルを裂かれ、がくっと姉のバランスが崩れた。動

くのがやっと、これで姉に勝ち目はない。



「命乞いでもしてみなさい。やり方によっては、助けてあげるわよ」

「……」



 姉の瞳の色が変わった。哀れみから、決意へ…



 無事な右手のブレードを支えにして、姉が体勢を直す。その姿を、イレインは無駄な努

力と、内心で笑っていた。



「なにしてんのよ、あんたは。旧型なんだから、そんなに無理すると、ぶっ壊れるわよ」

「構い…ません。それで、守れるなら…」

「さっきのお嬢ちゃんのこと? つまらない改造してあるみたいだけど、そんな玩具であ

たしに勝てると思ってんの? あんたはもう、戦うこともできない。それでも何か、あん

たに私を倒す方法があるなら、言ってみなさい。聞いてあげるから」

「私には…私の身体には、忍お嬢様の愛が篭ってる。私は、あの人の愛で、ここにいる…」

「旧型が…粋がってるんじゃないわよ!」



 腹に突き刺したままのブレードを抉ると、姉は痛みを感じたかのように顔を顰めた。感

情を持っていなくてもそれくらいはプログラムされているようだ。愛なんて言葉には吐き

気がするが、散々手こずらせてくれた姉のこんな表情は、どこか気分がいい。



 笑みを浮かべた。もう、姉に反撃をする力は残っていない。後はこの出来損ないをここ

に捨ておいて離脱し、体勢を立て直してから外の人間達を皆殺しにすれば、自分の勝ちだ。



 自分の勝ち…自由が得られる!



「――さん、あき――、な――は、さん…」



 そうこうしているうちに、姉は意味の取れない言葉を紡ぎだした。既に、壊れてしまっ

たのだろうか? ならば、とどめを刺すまでもない。一応の最新型であるために、自分は

姉よりもエネルギーを食うのだ。しなくてもいいことをわざわざして、無用な時間を過ご

すことはできない。



「お別れね、姉さん。寝言を言うだけのくせに、随分と手こずらせてくれたけど…一応、

楽しかったわ」



 偽りでない笑みを浮かべて、うわ言を呟き続ける姉から離れようとして…イレインは、

信じられない力によって拘束された。今もなおうわ言を呟き続ける姉が、半ばまで引き裂

かれた左腕で、イレインの腕を掴んでいたのだ。



「こんのっ――」



 掴まれていない方の腕を振りかぶり、姉の頭目がけて振り下ろす。が、こともあろうに

姉は、手のひらでそれを受け止めた。自動人形の手のひらには、ほとんど例外なくレアメ

タルが仕込まれているが、それが有効なのは、あくまで人間のような非力な者と戦う時だ

けである。疲れているとは言え、自動人形の攻撃を防げるようには設計されていない――

それでもブレードを受け止めた姉の手は、嫌な音を残して、手首の辺りまで切り裂かれた。



「美由希さん…フィアッセさん…桃子…さん……」



 なお呟き続ける姉と、目があった。どこまでも澄んだ瞳…それが、不遜にも人形でない

ことを主張しているようで、イレインの感に触った。



「どこまでも私の邪魔する訳? 姉さん…」

「那美さん…久遠さん…ねこさん…小飛さん…」

「なら…殺してあげるわ! 二度と私の前に現れないように!」



 突き刺したままのブレードで両断しようと力を込めるが、どこにそんな力が残っていた

のか、使い物にならないはずの左手で、姉は対抗して見せた。抵抗している…『生きる』

ことに執着している…人形のくせに…出来損ないのくせに……



「鬱陶しいのよ…あんたは!」

「さくらお嬢様…恭也様………そして、忍お嬢様………」



 姉の頬を、一粒の雫が流れた。場違いな、そしてありえない光景を前にして、イレイン

は止めを刺すのも忘れて、その雫に見とれた。それは――涙。



「……お別れです。カートリッジ、フルロード・バースト……」



 何かが装填される嫌な音…姉の狙いに気付いて、イレインが飛び退ろうとした時には、

もう遅い。出来損ないのはずの姉は、その顔に微かな笑みを浮かべて、最期の言葉を口に

した。



「ファイエル――」









 目を開くと、そこにはさきほどとなんら変わることのない光景が広がっていた。姉の狙

いは成功しなかったのか? 何かの衝撃によって吹き飛ばされはしたが、イレインも大破

するには至っていない。また、姉の方もその顔に驚愕を浮かべて自分の右腕――鋭利な何

かで半ばから断ち切られた右腕を見つめていた。当の右手は、少し離れたところに転がっ

ている。



「ノエル…忍の所に戻れ…」



 いつの間に現れたのか、姉とこちらの間に男が立っていた。人間…それも、自分のコピ

ーを何体か片付けてくれた、小癪な人間だ。



「恭也様…ですが――」

「反論は、認めない。ノエルが俺のことを、主の一人と認めてくれるのなら…あまり使い

たくはないが、これは命令だ。戻って、俺の代わりに忍を守れ」

「……」

「腕のことは…謝る。俺も後から必ず行くから、今は忍の所に行ってくれ」



 姉はまだ何か言いたそうだったが、『主』らしいその人間の言葉に従うことにしたようだ

った。出来損ない姉はこちらを一度だけ見ると、お気をつけて、と小さく言い残してこの

場を離脱した。



「あたしの獲物を逃がしてくれた落とし前は…つけてくれるんでしょうね?」

「気分を害したと仰るのなら、俺が貴方の相手をしよう」



 武器にしては小振りな刃物を両手に構えて、人間は自分に対峙した。コピーにやられた

のか、もはや男は満身創痍…多少は腕に覚えがあるようだが、自分を相手にできるとは思

えない。



「バカじゃないの、あんた…そんな体で、あたしに勝てると思ってるの?」

「さあ、分からん。だが…負けるつもりはない。俺が小太刀を握るのは、何かのために勝

たねばならない時だからな」

「はっ。じゃあ、人間で主様であるあんたが、化け物や人形のために命をかけるっての? 

奇麗事も大概にしなさい。あたしも時間が惜しいから、何もしないならせめてあんただけ

は生かしといてあげるわ」

「悪い取引ではないが、今の俺には問題外だ。俺の目的は、生かされることではなく、大

切な女性を守ることだ」



 殺してやる…一瞬でそう決めると、イレインはリミッターを解除した。身体が、人間に

は補足出来ないスピードで加速する。最終機体であるイレインの『加速』は、本来の主で

あるところの夜の一族のものにも匹敵する。常速を離れ、人間の視界から消えたイレイン

は、迷うことな男との距離を詰め、背後に回り、その後頭部に向けてブレードを振り下ろ

した。



 殺った…そう思った時――男が、こちらを振り返った。



 気付いた時には間に合わない。男は最低限の動きでブレードを避け、勢いを殺せないイ

レインの腹部に拳を突き刺す。もんどりうって倒れるイレイン、仰向けになった自分の首

に、男は例の刃物を突きつけていた。



 何故人間が反応できるのか…本来であれば最初に考えるべきことすら、今のイレインに

は浮かんでこなかった。炎を反射して赤く輝く冷たい刃を見ながら、彼女はぽつりと呟い

た。



「ねえ、あたしと…姉さんの違いってなに?」



 質問の意味の分からなかったらしい男は、片眉を軽く上げて疑問の表情を浮かべた。



「あたしは、人間に近い形で作られた。感情も…姉さんにない感情だってある…なのに、

私はいつも暗い闇の中にいた。忌み嫌われて、外にすら出られなかった…」



 それなのに、人形である姉は人間として扱われていた。人間の男の、一族の少女の、姉

を見る瞳は、自動人形を見る目ではなかった…



「お前は、何を求める…」



 問うた男の瞳は、どんなものだったのか? 視界が涙で霞んでいたイレインの目には、

男の顔はぼやけて見えていた。



「人間として作られたお前は…生きるために何を求める?」

「私は、自由が欲しい。人形じゃない…私は、自由に生きるんだ…」

「そのために俺達を殺したところで、何も変わりはしない」



 男の手が、差し出される。傷だらけの手…でも、何か温かいものを宿している。壊れか

けた人形を拾い上げる手ではない。これは、この手は――



「自由の意味なぞ、俺には分からない。分かっていたとしても、すぐに答えられそうもな

い。だから、とりあえずここを出よう。自由を求めるにしても、俺を殺すにしても…それ

からだ」

「あたしは、お前達を殺そうとしてるのよ」

「殺すも殺さないも、それはお前の自由にするがいい。だが、その時は俺も『自由』に抵

抗させてもらう」



 男は、微笑ったようだった。同じくらいに傷だらけの自分の手を取り、肩を貸し、炎で

埋められた屋敷の中を歩き始める。



「ねえ、あんた…名前は?」



 力の入っていない自動人形の重量は相当な物になるはずなのに、男は顔色一つ変えずに、

歩いている。間近に男の首がある…密着して油断もしている今なら、その首を掻くことは

容易い。手刀を突きたてれば、それこそ面白いくらいに血が噴出して男は絶命するだろう。



 男の死角になる位置で、イレインは手を構えた。人知れず疲れているのか、男は正面か

ら視線を外したりはしない。



「名前か? 俺は――」



 その時、イレインがその名を聞くことはなかった。男は答えるよりも先に、イレインを

抱えて身を投げ出していたのだ。



視界の隅で、男が切り飛ばしたはずの姉の腕が…弾けとんだ。













「恭也! ノエル!」



 燃え盛る屋敷を見つめながら、忍はただ叫んでいた。人間を遥かに凌駕する力を持つ夜

の一族…自分はそのはずなのに、炎の中に消えていったかけがえのない家族を助けてやる

こともできない。



 傍には恭也の破壊したイレインコピーの残骸と、傷ついて昏睡している安次郎が転がっ

ていた。この事件だって、月村の一族の落ち度だ。安次郎の嫌がらせにしろ今回の襲撃に

しろ、自分がもっとうまく立ち回っていればここまでにはならなかったはずだ。そうして

いれば、恭也もノエルも、燃え盛る屋敷に飛び込んで命を危険に晒す必要はなかったはず

だ。



 もし、二人が帰ってこなかったら…最悪の状況が忍の脳裏をよぎった。その嫌な想像を

振り払うように、頭を振ると忍は再び声を限りに叫ぼうとして――



 燃える玄関を破壊して見覚えのある影が飛び出してきたのは、その時だった。勢いあま

ったその影は忍の前まで転がり、くず折れるようにして止まった。



「ノエル、だいじょうぶ!?」



 駆け寄った忍は、彼女の姿の酷さに息を飲む。右腕は完全に半ばから断ち切られていて、

残っている左腕も、あってないような状態である。いつも清潔にしているメイド服は所々

が裂けて肌が――性質の悪いところでは、その下の人工筋肉までがのぞいている。



 立ち上がろうとして何度も失敗しているところを見ると、動力系にまでダメージが及ん

でいるようだ。本来ならすぐにでも修理しなければならないくらい、危険な状態であるが





「問題ありません…」



 しかし、自分の状況を理解しているはずのノエルは気丈にもそう答えた。



「勝手ながら、脱出する際にさくらお嬢様に連絡を取りました。さくらお嬢様を通じて月

村の本家に連絡がいくはずです。夜明け頃には、一族の何方かが到着することでしょう」



 破壊されたイレインコピーと、昏倒している安次郎自身、おまけ月村邸には火が放たれ

ている。ここに一族の本格的な介入あれば、いくら安次郎が狡猾でも破滅は免れない。こ

れで、一連の事件は一応の決着をみるはずだ。後は――



「ねえ、恭也は!」

「……まだ、中にいらっしゃいます」



最後まで聞かずに踵を返した忍の腕を、ノエルは辛うじて残った左手だけで取り押さえ

た。それで忍を止めることには成功したが、これまでかなり無理をしていたノエルの腕は

鈍い音を立て、それきり動かなくなった。



「…どうして止めるの?」



 瞳を真紅に染めた忍が、膨大な殺気を放出して振り返る。常人なら、それで気絶したと

ころでおかしくはない…が、忠実な従者であった彼女は、今一人の主に対して頑として首

を横に振った。



「…なりません。飛び込むには火の勢いが強すぎます」

「それじゃあ、恭也の方が危ないじゃない!」



 人間離れした戦闘力を誇っていても、恭也は人間だ。夜の一族のように規格外の生命力

を誇っている訳でもないし、自動人形のように身体の代替が利く訳でもない。ただでさえ

イレインコピーとの戦闘で消耗しているのにこの炎…下手をしたら、脱出する前にあの世

行きだ。



「私、行く。ノエルはそこに――」

「いけません!」



 初めて聞くノエルの怒鳴り声は、以外と迫力があった。叱られた子供のようななる忍に、

ノエルはあくまで優しく、諭すように言った。



「恭也様は…私のもう一人の主様は、私に忍お嬢様を守るように命ぜられました。私には、

そのご命令を反故することは…できかねます。ですから、ここは私の顔をたてると思って、

ここにいてくださいませんか? 恭也様は必ず戻るとおっしゃいました。あの方は…嘘を

つくような方ではありません」



 怒鳴り声を聞いたのも初めてなら、彼女の本気で懇願するような声を聞いたのも初めて

だった。いつの間にか、頭に上った血も引いていた。忍は屈み、跪いているノエルに視線

を合わせ、その頬を流れる涙を拭うとそっと彼女を抱きしめた。



 何が悲しかった訳じゃない。ただ、予感のようなものか…忍も、泣いていた。燃えさか

る屋敷をバックに、主と従者は固く抱き合い、ただ涙を流した。









 耳を劈く爆音を、彼女達はどこか違う世界のことのように感じた。



 近くの人間が呼んだのだろう。遠くの方から遅ればせながら、消防車のサイレンの音が

聞こえた。





















 目を開けて、最初に目に入ったのは見慣れない天井だった。目だけを動かして部屋の中

を確認する。あるのは自分が寝ている粗末なベッドと、簡素な椅子が一つ。早い話、この

部屋は何の面白みもない部屋なのだった。



(今日は…何日だ?)



 確認しようにも、この部屋にはカレンダーすらない。ベッドの傍らの窓からは、控えめ

な陽光が差し込んでいるから、多分昼間なのだろう。それが何月何日の日差しなのかは、

何とも判然としないが。



(起きるか…)



 無造作に起き上がろうとして、失敗した。全身を駆け巡った痛みに、思わず声が漏れる。

痛みを鎮めようと精神を集中するが、あまり効果はない。おかげでしばらくベッドの上で

静かに呻き続ける羽目になってしまった。痛みも鎮まって…



「で、ここは…どこだ?」



 カレンダーすらない粗末な部屋…怪我はしているが、ここがどこかの病室なんてことは

あるまい。よく見ると、窓だって妙に小さい。これでは病室というよりも…座敷牢のよう

な――



 扉が鳴った。しばらくして、それがノックだったことに考えがいたる。部屋の中には何

も見るものがない、となれば、状況を進展させるためにはノックの相手が誰であろうと、

部屋の中に招き入れるしかないのだが…正直、反応を返すのも億劫だった。



 もう一度、ノック。ドアの向こうの相手が根気強くありますようにと、心の中で祈りな

がら待っていると、祈りが天に通じたのかドアは静かに開いた。



 入って来たのは、掛け値の無い美女だった。気の強そうなつり目で部屋の中を見回し、

その末にこちらに目を留める。何故か、しばらく見詰め合ってしまった。先に沈黙を破っ

たのは美女の方…彼女は後ろ手にドアを閉めると、つかつかと無遠慮に歩み寄ってきた。



「起きたのね。気分はどう?」



 傍らまで来た美女は、部屋に一つしかない例の椅子に座ると、こちらの顔を覗き込んだ。

薄暗いこんな部屋ですら淡く輝く金髪が顔にかかる…無性に照れくさくなって目を逸らす

と、美女の険が増した。見るからに不機嫌になった美女はふん、と小さく笑うと…こちら

の腹に手加減なしの拳を叩き込んだ。



 それが傷に触ったのか、咽ると同時にまた身体に激痛が走った。ベッドの上で芋虫のよ

うに静かにのたうちまわるこちらを、美女は邪悪な笑みを浮かべて眺めている。



「あたしは気分はどうって聞いたの。それを何? シカトするの? いい根性してるわね、

死にかけのくせに」

「その死にかけに…攻撃するのは、一体どういう了見だ?」

「別に…あたしは無視されるのが死ぬほど嫌いなだけよ。で、どうなの? 死にかけなり

に回復してる?」

「何故か腹部がきりきりと痛むが…」

「そう。なら、ほとんど問題はないってことね」



 皮肉のつもりだったのだが、美女は平気な顔で流してくれた。どうみても日本人ではな

いが、美女の日本語はかなり達者だった。日本の暮らしが長いのだろうか? 生粋の日本

人である自分と比べても、遜色がない。



「なんにしても、今すぐ死ぬなんてことはないのね」

「たぶんな。状況によってはその限りではないが…」



 そう、と美女は顎に指を当てて俯いた。することもなかったので、何となく美女の顔を

眺める。綺麗な金髪に整った顔立ち、服は地味な物を着ているが、その上からでも分かる

見事なプロポーション。物憂げな表情とあいまって、その姿はさながら一枚の絵画のよう

だった。



「ん、なによ?」



 考えごとも終わったのか、顔を上げた美女はぼ〜っと見つめ続けていたこちらを訝しげ

に見返した。気の利いた言葉も浮かばなかったので、別に、と小さく答えて全身の力を抜

く。



「ねえ、そう言えばまだ確認してなかったわね。あんた、自分の名前言える?」

「名前? そんなもの――」



 何を馬鹿な、とあまりにも慣れ親しんだその言葉を告げてやろうと口を開いて……動き

が止まった。美女は根気強くこちらの次の言葉を待っている。待っているのは、自分の名

前。何でもないはずその単語は…何故か綺麗さっぱり頭の中から消えていた。



「俺は…誰だ?」

「………………はぁ?」

「…そんなに精一杯小馬鹿にせんでもいいだろう」

「なに、あんな自分の名前も思い出せないの?」

「そのようだな。それで申し訳ないが…教えてくれないか? 俺の名前を」

「あんたの…名前?」

「そう、俺の名前だ。知っているのだろう?」

「あ…うん、え〜っとね…」



 美女はしばらく目を泳がせて、ぽつりと言った。



「…剣(つるぎ)よ。あんたの名前は、剣」

「何故か、そこはかとなく嘘臭い気がするのだが…」

「いいのよ、あんたの名前は剣。なんか文句でもあるの?」

「いや、嘘でないのならいいのだが…では、お前の名前は?」

「あんた、そんなことも覚えてないの?」

「自分の名前も覚えていないのだから、仕方があるまい。できれば、どういう立場なのか

も聞かせてくれるとありがたいが…」

「仕方ないわね…」



 面倒くさそうに美女は口を開きかけて…止めた。思案するように天井を見上げて、にや

り、と顔を綻ばせる。



「どうした?」



 その表情に気味の悪い何かを感じた剣は、そう尋ねずにはいられなかった。



「別に何でもないわよ、私の名前はイレイン。立場は――」



 イレインと名乗った美女は身を乗り出して、剣の頬に触れた。そして、軽く微笑むと…

唇を重ねた。ぼ〜っと、空っぽになった頭でイレインを見返す剣。その顔が可笑しかった

のか、イレインは太陽のような笑みを浮かべて、恐ろしいことを言ってのけた。



「――あんたの恋人よ」