Fullmetal princess 第二話












「こちらの仕事は、あらかた終わった…」



 広い部屋の中に、きざったらしい声が響く。ブランド物のスーツをこれ見よがしに着込

んだその声の主は、テーブルの上に持っていた資料を放り投げ横柄に足を組んだ。その整

った顔には、今の状況に対する不満がありありと浮かんでいたが、使命感のようなもので

その感情を無理やり押し込むと、男は言葉を続けた。



「奴の資産はすべて凍結させた。今回の襲撃に関わったと思われる者はほとんど、こちら

で捕縛している」

「ほとんど?」



 男の放った資料を見ていた女性が、片方の眉を器用に跳ね上げた。男はああ、と面倒く

さそうに答えて、言葉を補足する。



「奴の部下のうちの何人かが、金目の物をいくつか持ち出して逃走した。足取りは今のと

ころ掴めていないが、間もなく補足はできるだろう」

「そう…一応、ご苦労様。こういう仕事は嫌いでしょう、遊」

「当たり前だ。何故僕が、あんな下種の後始末などしなければならない…」

「私が指名したからよ」



 女性は臆面もなくそう言ってのける。遊と呼ばれた男は、一瞬殺気を含んだ目で女性を

睨みやったが、彼女はまったく取り合わずに資料を見続けていた。そんな自分を滑稽に思

ったのか、遊は大きくため息をついてソファに背中を預けた。



「あら、少しは我慢強くなったのね」

「義兄に対して毛ほどの敬意を持っているなら、せめて成長なさったとか言ってもらいた

いものだな、さくら」

「残念ね。私は貴方のこと嫌いよ」

「……言葉遊びをするだけなら、帰らせてもらうが?」

「そうね。いくつか質問があるのだけれど、答えていただけるかしら、義兄さん?」



 睨みあう兄妹を取り巻く空気は、まるで剣のようだ。二人は言い合っているほど仲が悪

い訳でもないが、彼らの会話はいつもこんな物だった。



 不満をありありと浮かべながらも遊は頷く。



「安次郎のせいでこの家が燃えてしまった訳だけど、修理費は忍が出さなければならない

のかしら?」

「ツケは自分で支払わせる。どうせ奴の資産は解体されるんだ、そこから幾ばくかの金が

消えても誰も不思議に思わないだろう」

「いい返事ね。それから、安次郎があれを買い付けたルートだけど…」

「金に困った没落貴族だそうだ。一応探りは入れてみたが、正規の取引以外の金は動いて

いないようだ。これ以上叩いても、無駄だろう」

「そう…じゃあ、最後の質問。ここで破壊されたコピーのオリジナル、イレインの本体と

彼女を相手どった男性の行方は?」

「…不明だ」



 自分の力が及ばないことがあるのが気に食わないのか、遊は苛立たしげにブラックのコ

ーヒーに口を付つけた。



「奴の資産としてもっとも価値があるのがその『イレイン』だからな、最も力を入れて捜

索させているが、不明だ。消えた奴の部下が接触を持ったと考えるのが妥当だろうが…」

「じゃあ、男性の方はもう殺されている?」

「人間のことなど、知らん。だが、僕が奴らなら生かしておく。上手く使えば逃亡の助け

になるかもしれないからな。忍の僕なのだろう? その男は…」

「恋人、よ」



 遊はからかいを含めて言葉を紡ぎ、さくらは殺気を込めて彼を睨みやる。相変わらず、

嫌な空気が彼らを取り巻いていた。



「とにかく、報告するべきことは以上だ。何か進展があった場合は連絡する。連絡先は…

ここでいいのか?」

「ええ。しばらくはここにいることになってるわ。私達の代わりに頑張ってお仕事をして

くださいね、義兄さん?」



 最後に一瞬だけ睨み合い、遊はさっさと踵を返して屋敷を出て行った。彼の残していっ

た資料に目を通しながら、彼がいる間には目も向けなかった紅茶に口を付けた。少しぬる

くなってしまったが、さすがにいい葉を使っているだけに、美味しい。



 ちなみに好きな紅茶を飲む時は、大切な人と一緒か一人で、というのが、彼女のささや

かなこだわりだった。



「随分としぶとかったけど、これで安次郎も終わりね」



 口を開けば金のことしか言わなかった男の姿を思い浮かべて…吐き気がしてきたので、

途中でやめた。とにかく、これでもう彼と顔を合わせることはないだろう。とりあえず人

間として罪を償った後は、一族が彼を拘束する。彼が大好きな大金を手にすることはある

まい。



 普段は嫌ってさえいる一族としての結束だが、こういう時だけはありがたかった。日本

の一族の主だった三家(氷村、綺堂、月村)のトップは皆社会的に力を持っているため、

こういった小競り合いが起きた時には、警察にも先手を打てるし、情報も流れてくる。



 こういった事後処理をするのは、各家の次期頭首がするのが慣例となっているため、今

回は『一応』氷村の跡取りである遊が行っている。順当に行けば忍はいずれ月村のトップ

に立つ身であるので、安次郎に対する追求の手は厳しいようだ。



 もっとも、遊に仕事を押し付けた時点で、血の薄い安次郎が無事に済むとも思っていな

かったが…



 それよりも、さくらが心配しているのは、忍である。彼女は今、大破寸前まで破壊され

たノエルの修理を寝る間も惜しんで行っていた。少々根を詰めすぎていると思わないでも

ないが、恭也が行方不明という事実を突きつけられ、潰れられるよりは遥かにましだ、と

いうことで、多少の無理には目を瞑っている。



 遊の人間性と関係なく、夜の一族の持つ情報網は伊達ではない。最初から計画があった

のならまだしも、いきあたりばったりで逃走を企てたのなら、あと一週間も経たずに残党

(というにはあまりにも惨めであるが)は掴まるだろう。



 恭也が生きているのなら、イレインがまだ活動をしているのなら、その連中と行動を共

にしている可能性が高い。何にしても、さくら達に時間はあまり残されていなかった。恭

也に――忍の大切な人に危害が及ぶ前に、なんとしても助けださなくてはならない。



 盟約を交わすことの痛みとその幸せをさくらは誰よりも理解しているから、今は地下に

篭っているかわいい姪を何とか助けてやりたいと思う。そのためには――



「ちょっと…眠いわね」



 う〜ん、と伸びをして、さくらは欠伸を噛み殺した。仕事に忙殺させている遊ほどでは

ないが、さくらはさくらで仕事もしているのだ。ここで自分まで倒れてしまってはお話に

もならない。とりあえず、仕事は義兄に押し付けることにして、さくらは月村邸の自分用

の客室に足を向けた。



















『なんだかんだであたしが面倒みることになったけど、本当あんたって無愛想ね…』



 外から持ってきたりんごの皮を器用にくだものナイフで剥きながら、イレインは独り言

のようにぼやいていた。目の前のベッドには、まだ包帯だらけの剣がベッドのふちに背中

を預けて、イレインの手際を眺めている。ちなみに、このりんごが三個目だ。



『顔は悪くないんだからさ、もう少し笑うくらいのことがあってもいいんじゃない? 思

いつきとは言え恋人なんて言ったあたしの立場はどうなるのっての…」



 剥き終わった三個目のりんごを六つに切り分けて、皿に載せる。それらに適当に爪楊枝

をさすと、イレインはその皿を無造作に剣に突き出した。



「ああ、すまない」



 剣は短くそう言って、りんごをつまみ始めた。あくまで無表情にこりこりとりんごを食

べる彼の顔を見て、イレインはわざとらしくため息をつく。



「どうした? 調子でも悪いのか?」



 まったくりんごに手をつけないこちらを不思議に思ったのか、剣が顔を覗き込んでくる。



「さっきからぶつぶつ何か言っているが、疲れているのか?」

「別に…疲れてなんかいないわよ」



 自動人形であるイレインに食事など必要ない。恋人宣言をしてからというもの、一応甲

斐甲斐しく剣の世話をしていたが、自分の正体に関しては何も話してはいなかった。故に

彼の心配は本物なのだが…心配など生まれてこのかたされたことのないイレインにとって

は、そんな剣の言葉すら、どこか恥ずかしかったのである。



 ちなみに、先ほどの独り言は全てドイツ語だ。剣が意外にも無教養であることは既に調

査済みので、抱え込むということを知らないイレインは、ことあるごとに剣への不満をあ

あいう独り言でぶちまけるという癖がついてしまったのだ。



「それより、疲れてるのはあんたでしょ? 遅くまで起きてるの、あたしが分からないと

でも思ってんの?」



 少し強めに問い詰めてやると、剣はうっと言葉に詰まって目を逸らした。その頬を一筋

の汗が流れている。その視線の先に回りこんで睨みつけてやると、



「すまない…」



 顔に似合わず、剣はあっさりと観念した。



「謝るなら最初からしなくきゃいいでしょ? で、何でさっさと寝ないの」

「何故だかは分からないが…寝付けない。何か、寝る前にしなければならないことがあっ

たような気がするのだが…」



 腕を組んで剣は考えるが、それで思い出せるほど彼の記憶喪失は軽くはなかったらしい。

彼はものの数秒で考えることを放棄し、まだ残っていたりんごに手を伸ばすとイレインに

問うてきた。



「なあ、イレイン。俺は一体何を忘れているんだ?」

「へ? 何であたしに聞くのよ」

「いや…その、お前は俺の恋人なんだろう? もしかしたら、知ってるかと思ってな」



 無論、知っているはずもなかった。検討くらいはつくが、今ここでそれを言っても誰の

利益になる訳でもない。本当のことを言ったら、剣が元に戻ってしまうかもしれない。そ

うしたら、ただでさえくだらない今の生活がより色を失ってしまう。それを恐れていると

思っているイレインは、その検討を頭の外に追いやった。



『…言える訳ないじゃない』

「どうした?」

「何であたしがそんなこと説明しなきゃいけないのよ。剣が思い出せば済むことでしょ?」

「それはもちろんそうなのだが…恋人というのは、もう少し歩み寄るものではないのか?」

「恋人らしいこと何もしないくせに、よくそんなことが言えるわね…」

「……では、恋人らしいことをすれば歩み寄るのか?」

「まあ、考えなくもないわね」

「…そうか」

「でもまあ、あんたに恋人みたいなことなんて――」



 できる訳がないとたかをくくっていたイレインは、その言葉を笑い飛ばそうとして…で

きなかった。自分の口が、柔らかい何かで塞がれている。しばらくして、それが剣の唇で

あると気付いたイレインは、とっさに彼を突き飛ばしていた。



 突き飛ばした勢いで椅子から転がるように立ち上がって、剣と距離を取る。顔を真っ赤

に染めて、とんでもないことをしでかしてくれた彼を睨みやる。彼女自身は殺気すら込め

ていたつもりだったが、傍からみればそれは照れ隠しにしか見えない。



 だが、突き飛ばされた時に傷に触れられた方はそれどころではなかった。ベッドの上で

何やら深刻そうに呻き声を上げる剣はイレインを見上げて…去り際に彼女が投げてよこし

た皿を頭に食らって、あえなくダウンした。



















「……はぁっ!」



 剣の部屋から逃げるように飛び出したイレインは、近くの壁にもたれて粗い息をついて

いた。身体が不自然に熱を持っているせいで、気分がすこぶる悪いうえに眩暈がする。そ

れもこれも――



(…あいつのせい!)



 心の中で叫び声をあげ、手近な壁を力任せに殴りつける。不幸にも八つ当たりを食らっ

た壁は当然のごとく数センチばかりへこむが、イレインはそんなことはお構いなしに足音

を立てて歩き出した。



 自意識下のことではないが、イレインは男というものを知っている。悪い言い方をすれ

ば単に慰み物にされただけであるが、それでも人並み以上に経験はあるつもりだった。少

なくとも、朴訥な男一人を手玉に取るくらいには。それが、どうだ? ただ唇を重ねられ

ただけなのに、こうまで取り乱している自分がいるではないか。



(あたしが手玉に取られてどうすんのよ! て言うかなに? あいつはそんなに女の扱い

に慣れてたっての!?)



 そしてふと、唇に触れる。



 そこにさきほど、剣の…あの男の唇が重ねられた。無論、深い意味があってのことでは

ないだろう。自分の本当の名前すら思い出せないあの男は、『恋人だったらするであろうこ

と』の最初に思い浮かんだことを自分にしたに過ぎない。押し倒されなかったところを見

ると、それほど女の扱いには慣れていないようだ。



 でも、それとこれとは話が別だ。自分からしかける分には構わないが、向こうから触れ

られるのは我慢がならない。例え、さきほどの行為に今までの『主』にはあった不快感が

なかったのだとしても――



「イレイン」



 無遠慮な男の呼び声に、イレインは熱くなっていた頭が急速に冷めていくのを感じた。

なるべく不愉快そうに振り向いた先には、子悪党を絵に描いたかのような男。



「なによ…」



 あまり認めたくはない事実であるが、今のイレインの行動の決定権を持っているのはこ

の男だった。しばらく前に切り捨てた名前も覚えていない男の右腕だったらしいこの男は、

爆発を逃れ山中を歩いていた自分と『剣』を回収した。姉との戦闘で消耗していたとは言

え、ほとんど人間と変わらない雑魚の集まりなど、自分の敵ではなかったはずだ。



 だが、イレインは今、ここにいる。この男の戯言に付き合ってしまったために…



「仕事だ。ここに書いてある所に行って、暴れてこい。なんなら、何人か殺しても構わん」

「やることが根暗ね。あたしを使って今までの恨みを晴らそうっての?」

「嫌なら断っても構わないが?」



 こちらが断らないと確信している嫌な笑みで男は問い返してくる。差し出されたままの

地図といけ好かない男の顔を交互に睨んで、イレインは地図をひったくると、さっさと歩

き出した。



「それでいい…」



 吐き気のする忍び笑いが背後から聞こえる。正直、あんな男の命令なんぞ聞きたくもな

い。『呪われた最終機体』たるこの身だ、いつもなら間違いなく殺している。



 だが、その殺意を押し殺してでも、イレインは男の戯言に付き合うしかなかった。それ

も、すべて『剣』のせいだ。自分を出し抜いて見せたのに、先に爆発に気付いたのに、自

動人形に劣らない戦闘能力を持っているのに…あんな部屋に収まっている『剣』が悪い。



「やれば…いいんでしょ…」



 恨みの篭ったその声は、誰にも聞こえることがなかった。何の楽しみもない破壊の報酬

は、何の面白みもない戯言の落ちは…なんのことはない、彼女を庇って大怪我をした『剣』

の身の安全だったのである。

















「……これで……どう?」



 睨めっこしていたモニタから顔を上げ、忍は傍らのノエルを見た。髪はぼさぼさ、目の

下にはくまができている……いつも、どこか気品を感じさせる彼女にしては、随分とやつ

れた格好だった。



 そんな主に言葉を振られたノエルは、腕、足、指の先まで念入りに動かしてみた。そん

な動作を数分も行った後に、ノエルは小さく頷いて見せた。静かに微笑む彼女を見て、忍

は久方ぶりに笑顔を浮かべると、椅子に身を投げ出して大きく伸びをした。



「よかった……徹夜した甲斐があったわ……」

「それでも、まだ戦闘は厳しいかと思われます。相手が普通の方だったら、まだ何とかな

ると思われますが、夜の一族、もしくは、恭也様のような達人が相手では、今の私の力で

は対応しきれません」

「それはしょうがないか……でも、やれるだけのことはやるよ。ノエル、動けるようにな

って早々で悪いんだけど、何か軽い食べもの作ってきてくれないかな? お腹すいちゃっ

た」

「わかりました。疲れに効くお茶も用意してまいります」



 優雅に一礼して出て行くノエルを見送って、忍は工具だらけの机に突っ伏した。徹夜続

きの作業で、かれこれ三日は寝ていない。欲を言えば、風呂にでも入ってさっぱりしたい

が、残念ながら、これからが正念場である。





安次郎の襲撃から一週間、いまだ恭也とオリジナルイレインは行方不明……今は遊とさ

くらの部下が怪しいと思われる場所を虱潰しにしているが、何も成果は上がってきていな

い。普通なら意気も消沈するだろう。だが、忍には確信があった。身体の中に流れる恭也

の血が、希望を与えてくれている。



 生きているなら助ける機会は無限にある。そのためには、いざという時のための戦力を

用意するにこしたことはない。ノエルの身体は、だいたい六割くらいの出来。恭也発見の

知らせがいつ来るか分からない以上、せめて今日中に八割くらいには持っていきたい。



 疲れた体に鞭をうって身体を起こした忍は、机の端から昔書いたノエルの図面を取り出

し、目を走らせた。今欲しいのは全体的な強度ではなく、スピードである。多少の無理は

かかっても戦闘はできるようにしたい。そのためには、『遊び』の部分は可能な限り削除し

なければならない。



「こりゃあ……また徹夜ね……」



 詰められそうな箇所をいくつかリストアップした忍は、たまりに溜まった疲れを吹き飛

ばすかのように、頬を強く叩くと、再びモニターに向かい作業を始めたのであった。