時が瞬くように過ぎてしまう。最初にそれを強く感じたのは、末の妹のなのはが高校に上

がった時だった。



 狐の久遠を抱えて走り回っていたのが、ついこの間のように思える。母方の血なのだろう。

いつまでたっても幼さの抜けない顔立ちを気にしているようだった、兄である自分の目から

見ても美人になった。帰ってきたハーヴェイとも仲睦まじく、いずれは二人で翠屋を切り盛

りしてくれるだろうと、母である桃子などは今から孫の顔を楽しみにしているほどだ。


 レンは家族が本格的に日本に腰を据えることを決めた時に、高町の家を出て行った。昔は

背丈を気にしていたが、今では見違えるように背も伸び、体つきも女性らしくなった。これ

に関しては宿敵と書いてトモと呼ぶ間柄の晶と、争いの種になっているらしい。身長でも体

つきでも、彼女は今レンに負けているのだ。



 その晶も、今は大学生だ。空手の世界のホープとして、世界に当確を現し始めている。テ

レビでも時々、元気な姿を見かけるようになった。これで浮いた話の一つでもあれば女性ら

しさの問題は解決するのだろうが、まだまだ空手が恋人らしい。



 美由希は剣を振るうべき道を見定め、香港へ旅立った。実母である美沙斗にはまだまだ及

ばないそうだが、警防隊でも十指に入るほどになったと聞いている。後は銃器の扱いや指揮

などに気を配れるようになれば一流とのことだったが、そちらは目下勉強中とのことだ。



 フィアッセはティオレの死と同時に、イギリスに渡りその校長職を継いだ。慣れないこと

の連続だそうだが、優秀な補佐役であるイリアと同期の歌い手達が連携して彼女をフォロー

しているらしい。また、歌い手としての活躍も目覚しく世界中を飛び回る毎日だと聞いてい

る。前ほどは顔を合わせなくなったが、それでも年に一度は時間を作って、高町の家に遊び

にくる。



 忍は自らの知識欲を満足させるために、ノエルを伴ってドイツへと渡った。屋敷の管理は

今は綺堂の家の者がしている。いない間は自由に使ってくれていいとも言われていたが、忍

もノエルもいないあの家に、用などなかった。電子網の発達したこの時勢に、たまに写真と

手紙が送られてくる。油に塗れた彼女の姿は、とても幸せそうだった。



 那美は実家に戻り、家業に従事するようになった。日本中を飛び回る生活が続いており、

ここ久しく声を聞いていないが、元気だという話は今もさざなみ寮にいる神咲姓の少女から

聞き及んでいた。



 人がたくさんいた自分の周囲は、昔に比べ少しだけ寂しくなった。自分が守ると誓った大

切な人達は、皆それぞれの道を見つけて歩き始めた。



 自分はどうなのだろう。妹と同じように剣を振るい、人を守ることを仕事にしている。腕

は昔よりも上がっただろう。献身的な治療のおかげで、膝も完治することができた。剣士と

して何も問題はない、皆も元気に過ごしてくれている。これ以上望むべくもない、幸せな時

間のはずだった。



 なのに何故だろう。胸の置くから、空虚なものが抜けないのだ。



 その意味を考えるために、山に篭ってもみた。一月二月誰にも会わず、己と向き合っても

みた。



 だが、答えは出ない。どう考えても自分は満たされているはずだった。それなのに、心は

乾きを訴えている。



 それが半年も続いた頃には、精神の病なのではないかという疑いも持ち始めていた。環境

にも自身にも不満はない。上手く行っていないことは何もないのだ。それなのに、胸の空虚

は消えない。乾きも消えない。





 夜中、居た堪れない気持ちになって、恭也は部屋を出た。夜の鍛錬も終了して、既に深夜

である。明日も早い母や学生の末妹は、既に床についているだろう。自分と母と末妹……今

はこの三人が、この家の住人だった。



 武装をしようかとも思ったが、やめた。習慣のように身に着けている小刀も、鋼糸も外し

ていく。身一つで外を歩いてみたい。何故だかそんな気分になったのだ。



 行く先も特に決めていなかったが、とにかく全速力で走り続けた。



 人には会いたくなかった。だから、人のいない方へと駆け続け、気付けば山中にいた。美

由希がまだ海鳴にいた頃に良くキャンプを張った場所だった。ここで山篭りをし、二人で腕

を磨いたものだった。



 昨日のことのように思い出せる。だがそれは、もう手の届かないものだった。



 あがった息を整えながら、山中を歩き続けると、開けた場所に出た。ここにも来た覚えが

ある。透明度の低い中途半端な大きさの、湖とも沼ともとれる水溜りである。泳ぐにも釣り

をするにも向かないと、今まで見向きもしなかった水溜りに、恭也は引かれた。



 湖面を見ながら、ゆっくりと淵を歩く。ニュースにありがちなゴミの投棄などはなく、周

囲は綺麗なものだった。さざなみ寮のオーナーの私有地が近いと聞いていたから、その影響

なのだろうか。あそこの住民はたまにボランティアで、山の清掃活動などを行っている。住

民を巻き込んでの運動だから、業者もここには踏み込みにくいのだろう。



 住民は入れ替わっても、その性質までは変わっていない。恭也の周りにあって、数少ない

変わっていないものの一つだった。



 ふと、古ぼけた社があることに気付いた。名前が書いてあるらしい板もあるが、風雨にさ

らされすぎたのか、社の前の数文字が霞んでいる。手入れをする人間もいないのか、今にも

崩れてしまいそうだった。今も何かを祭っているのだとしたら、何かが化けて出てきそうな

感すらある。



 罰当たりな行為だとは思いつつも、恭也は扉に手をかけた。淀んで湿った空気が僅かに流

れ出す中、そこに在ったのはこれまた古ぼけた石……自然石ではない。明らかに人の手の入

ったと思われる滑らかな石だった。出来の悪いマスコット、というのが恭也の感想である。

社を建てた人間には悪いが、あまり神々しさは感じない。



 一体何を期待していたのか……ため息をつき、扉を閉じる――





『何を求める、剣士よ』



 声が聞こえた。頭の中に響くような声……気配は周囲に満遍なく広がっている。何かがい

るというのは解るが、それがどこにいるのか解らない。以前、那美に付き合って退魔の仕事

に出た時に感じた悪寒に、感覚が似ている。これは、



「人でないものが人間である俺に何のようだ?」

『我に近しい存在の臭いを感じた故」

「近しい存在?」



 人間離れしているといわれたことは何度もあるが、生物学的には高町恭也は人間である。

退魔師である那美にもHGSであるフィリスにも、そういう区分では普通の人間だと太鼓判

を推された。オカルティックな力は何一つ持っていないはずである。



「お前の心の在り様、何かを求める心、乾いたそれが我を呼んだ。お前は、居場所を探して

いる。自分は、ここにいるべき人間ではないと」



 恭也は答えない。ただ、空を見上げて瞑目する。



「俺には守るべきものがある」

「だが、汝は思っているのだろう? 己は真に必要とされてはいないと」

「必要とされていないからと言って放り出していいものではない。それが人間の責任という

ものだ」

「お前の心は求めているのだ。己を心の底から必要とする存在を。己の力を必要としている

場所を。今の世に真なる意味でのそれはない。汝はそれを理解しているが故に、その心に空

虚を抱えている」

「今の世にそれはないと言ったか、妖? ならば、人間の俺にはどうしようもない」

「汝にはな。だが、妖である我にはそれが出来る」



 悪魔の取引とは、こういうものなのだと思った。姿の見えない妖が、確かに笑ったのが見

えたような気がした。



「取引をしようではないか、人間の剣士よ。我は汝を、汝を望む存在がいる場所まで運んで

やろう」

「妖、お前はその代わりに何を望む?」

「知れたこと。我も連れて行け。汝が我を内包すること、それが条件だ」

「俺に妖になれとでも?」

「受け継ぐのは我の力と精神だけだ、汝の体を変質させるのではない。寿命は人と変わらん。

刀で斬られれば死ぬし、炎で焼かれれば死ぬ」

「俺は出来れば天寿を全うして死にたいのだがね」

「構わんよ。好きに生きて、好きに死ねばいい。だが、我の力は汝の数ある宿命の中から一

つを選び、汝を望む者のいる場所へ運ぶ。異なる時代でも、異なる世界でも、何処へでも、

だ。汝の宿命は『他人のために戦う』こと。汝が行く場所は、確実に戦場である。それがど

んな形でも、汝は戦うだろう。我が望むのはまさにそれだ。我はもう一度、死力を尽くした

闘いの中に在りたいのだ」

「勝手に外に出て、勝手に戦えばいいだろう。昔と比べたら人間個人は弱いのだろうが、種

族全体としてみれば遥かに強力になっている。お前がどれほど強いのか知らんが、死力を尽

くした闘いは可能だと思うが」

「闘いには縁というものがある。我にとってのそれは、骸であり、雪とそ仲間達だった。解

るか? 人間の剣士よ。我の宿命付けられた戦はそれだけなのだ。だが、汝の宿命は数え切

れぬほどある。この世界だけ、この時間だけでなく、異なる世界にまで及んでいる。戦うこ

とを宿命付けられた、戦うためにあるような魂なのだ。輪廻転生を何度繰り返したとしても、

お前は人のために戦うのだろう。お前は、そういう存在だ」

「……戦バカといわれているような気がするのだが?」

「言い得て妙だな。まさに汝のためにあるような言葉だ」



 考えた。空虚を埋めるものを、差し出してくれるという。対価は高町恭也として生きてき

た全ての過去、そして未来だ。



 ここにいれば、幸せに過ごすことができるだろう。家族がいて、平和がある。人のために

戦うこともできる。だが、それだけなのだ。誰も自分を真に求めてくれない。誰も自分を心

の底から求めてくれない。



 他人のために戦っていたはずだった。それが自分の剣の誇りであると思っていた。そのは

ずなのだ……



『如何にせん。乗るのか、乗らぬのか』

「乗ったとして、ここに帰ってくることはできるのか?」

『不可能だ。我の力は宿命を辿る。ここにはもう、お前が戦うべき場所はない』

「皆を捨てて共に旅立てと、お前はそう言うのだな」

『代わりに魂の充足を約束しよう。お前の在るべき場所が、そこにはある』



 もう一度、考えた。自分が在るべきところはどこなのか。自分の力は、何のために存在し

ているのか。求める人がいるのならば、そこに行くべきではないのか。それは今を放り出し

てまで望むべきものなのか……



 それは果てしない自己満足なのかもしれない。此処にいるのは、間違いなく愛している家

族なのだから。自分を愛してくれる人間達がいるのだから。それをおいてまでまだ見ぬ何か

を求めることが、恭也にはどうしても正しいことには思えなかった。だが、



「…………お前の甘言に乗ってやろう、妖よ。俺の全てをお前に預ける」

「感謝しよう、人間の剣士よ。私の全てを賭けて、汝を導こう」



 恭也はただ、その胸の空虚を満たしたかった。もう一度、真に誰かのために戦えるという

のなら、利己的にもなろう。だから今この時だけは、自らのためだけに力を使う。



 空虚を満たすものはまだない。だが、決断したこの瞬間、恭也は自分の中で何かが変わっ

たのを確かに感じた。



 目を閉じ、姿の見えない存在に呼びかける。





「自己紹介がまだだったな。俺は高町恭也。察しの通りただの剣士だ」

「我は妖。名はざから。死する時まで、よろしく頼む」



 湖自体が淡く輝き、その光は恭也の中に吸い込まれる。段々と強くなる光……ざからの感

情、この地で起こったこと、様々なものが恭也の中に流れ込む。



 一度だけ、恭也は振り返った。長年を過ごした高町の家がそこにあるはずだった。そこに

は、母と妹がいる。自分の帰りを待っているはずの、大切な家族。自分はそれを、たった今

捨てるのだ。



 寂しさはない。後悔も……しないと心に決める。自分が生きるのは、ここではないのだと。







 それが例え逃避なのだとしても。



































 侵入者発見の一報の聞いた時、フェイト・テスタロッサは耳を疑った。使い魔のアルフは

それ以上だったようで、人の姿で気分良く惰眠を貪っていた彼女は、けたたましく響く警報

がなった瞬間、その場でひっくり返った。



「った〜……何事だい、フェイト」

「侵入者。母さんから念話が来た。北部ブロックに侵入者あり。今、傀儡兵が迎撃に出てる」

「まさか……こんなところに誰が来るってんだい」

「解らない。でも、それを迎撃するのが私達の仕事」



 寝巻きの上から瞬時にバリアジャケットを装着し、時の庭園の廊下を飛翔する。アルフは

本来の狼の姿に戻り、フェイトの前に出た。訓練は嫌になるほど繰り返してきたが、実戦の

経験はあまりにも少ない。



 心の中の恐怖を打ち消すように、繰り返す。侵入者を排除しなければ、母に迷惑がかかる。

母の不利益になることは、絶対に排除しなければならない。フェイト・テスタロッサは、そ

のために生きているのだ。



 目標区画に到達する。どれほどの魔導師が進入してきたのかと、勇んで飛び込んだフェイ

トが見たのは、居並ぶ傀儡兵の姿だった。戦闘があったようには見えない。傀儡兵は本当に

並んでたっているだけだった。



 拍子抜けしたフェイトは、その場でぽかん、と立ち尽くす。



「……なんだってんだい、一体」



 人型に戻ったアルフが、背伸びをして傀儡兵の囲みの内側を覗こうとする。彼女には指揮

権がない。一応の権利を持っているフェイトは、傀儡兵達に道をあけるように命じた。



 フェイトの意に従い傀儡兵が道をあけた先には、一人の青年がいた。



 年の頃は十代の後半くらいだろうか。まだ辛うじて少年と呼べるような外見だった。黒い

髪に黒い瞳、着ている服まで真っ黒だったが、魔導師には見えないし、デバイスを持ってい

るような気配もない、戦闘を行う意思があるようにも見えない。



「…………貴方は、何者ですか?」



 母を守護する者としての義務感で、フェイトは少年に問いかけた。



 少年は両手を頭の後ろで組んだまま、居並ぶ傀儡兵と、人型のアルフ、それからフェイト

を順番に見つめ、その姿勢のまま器用に肩をすくめてみせた。









「俺の名前は高町恭也。突然だが、俺を雇う気はないか?」




















 習作のつもりで書いたものが、予想外のまとまりを見せましたので、こちらに乗せます。
タイトルの通り彼女にスポットを当てるつもりで始めましたが、続きが出るなら趣味全開の
話になるはずなので、おそらくなのはにはスポットが当たりません。アリサか、すずかか
下手をしたらそっちの方が目立つのではないかと思います。

少しでもお楽しみいただけたら幸いです。