かつ、かつ……机を叩く音が響く。がらんとした部屋に響くのはその音だけ。誰も喋ろう

としないせず沈黙が続いているせいで、喉が乾いて仕方がない。



 背後には赤髪の女性と、金髪の少女。どちらも男として聊か目のやり場に困るような格好

をしている。正面――神経質そうに机をこつこつ叩いている黒髪の女性も、恭也の基準では

中々奇抜な格好をしていた……この世界では、彼女達の間ではこれくらいが普通なのかもし

れない。ならば、この世界で露出過多な女性というのはどういう格好をしているのだろうか

……



(中学生か、俺は……)



 翼をつけて何処か遠いところへ羽ばたきそうになった詮無い妄想を無理やり押し込める。

他にもっと考えなければならないことがあるのだ。黒髪の女性の決定如何では、ここで人生

が終わる可能性もある。一挙手一投足、油断はできない。



「名前は高町恭也。管理外世界出身。男性。年齢は26歳……」



 書き留めず、記憶の中に留めたものを確認するように黒髪の女性が呟く……が、年齢のと

ころで一度言葉を区切り、頭の天辺から爪先まで見やる。



「私は嘘を吐かれるのが嫌いよ。サバを読むのも大概にしてちょうだい」

「サバを読むも何も事実です」

「ならばお前が相当に若く見えるのか、それともそういう種族なのか……まぁ、あまり興味

はないけれど」



 黒髪の女性にからかっているような様子はなかった。老けて見えるとはよく言われるが、

若く見られたことは一回もない。何かおかしなところでもあるのかと手を持ち上げてみて初

めて気付いた。



 一回り……いや、半周りほど小さくなっている気がする。体の具合を確認するように、一

度、二度、軽く飛んでみて確信した。明らかに体が縮んでいるのだ。



「鏡があれば」



 女性が腕を振ると、どこからともなく鏡のようなものが出現。覗き込むとそこには十年前

の自分の姿があった。手足が伸びきる前の自分がどこか頼りがない。



「言われて見れば服も心持サイズが大きいような……」

「他人にそういう姿にされたと言うのなら、お前の与太話にも信憑性が出てきたわね」

「俺は本当のことを言っています。与太話ではありません」

「なら客観的に分析してごらんなさい。お前の世界よりも不可思議に溢れているらしいこの

世界でも、お前の話は与太話でしかない。お前の世界で、お前が同じ話を聞いたら?」

「……精神状態を疑います」

「そうでしょう。でも、お前の話には信じるに足る部分がある」

「信じていただけるようで、何よりです」

「もっとも、それとお前を雇うかどうかということには関係のないことだけれど」



 黒髪の女性の言葉は冷たい。世界は特に、自分には優しくないようだった。



「計測の結果、魔力値はそれなり。リンカーコアはなし……この文字が読める?」



 中空にパネルが浮かび、単語が三つ浮かび上がる。その瞬間、背後の赤髪の女性が噴出し

た。見たこともない文字だったが、バカにされているというのは理解ができた。



 しかし、読めないものは読めない。どうせ読めないだろうという顔をしている黒髪の女性

に、とてつもない敗北感を感じながらも、正直に告白。



「読めません」

「そう。これは『バカ、愚図、間抜け』と書いてあるのよ。これから良く言われることだろ

うから、覚えておくことね」

「努力します……これから、ということはもしかして雇っていただけるので?」

「まさか。文字も読めない、魔法も使えないような人間を置いておく理由はないわ。何処で

も好きな所でのたれ死になさい。フェイト、この男を放り出して」

「はい、お母さん。アルフ、お願い」

「はいよ、フェイト」



 金髪の少女――フェイトの言葉に従い、赤髪の女性――アルフに羽交い絞めにされる。人

間の膂力ではなかった。人の力で骨がへし折れるかと思ったのは、巻島老人に寝技をかけら

れた以来だったが、アルフの頭には獣の耳、尻には獣の尻尾。人外というのなら女性でこの

膂力というのも頷ける。



 しかし、頷いているだけでは路頭に迷う。ここで何かをしなければ、故郷を捨ててきた意

味がない。ざからは自分を導くと言った。その言葉を信じるのなら、ここに来たことには何

か必ず意味があるのだ。藁しべ長者ではないが、ここで追い出される訳にはいかない。



「こう見えても腕っぷしには自信があるのですが」

「ただ戦うだけでもいいのなら、お前よりももっと使い勝手のいい兵士が腐るほどいるわ。

私に飼ってもらいたいのなら、気のきいた芸を見せることね」

「芸……」



 ここにいてもペット扱いということだ。首輪を付けられて目の前の女性に『飼われて』い

る自分を想像して背筋が凍ったが、それでも恭也の決意に揺らぎはなかった。



『汝は女に飼われるためにここに来たのか?」

(最終的に目的を達成できるのなら、屈辱くらい甘んじて受け入れてやるさ。相棒、何かあ

の女性をあっと驚かせるような『魔法』はないのか?)

『ないではない。右手を出せ。焔を出してやろう』



 アルフに引き摺られたまま、黒髪の女性に右手を向ける。攻撃動作――そう感じたらしい

フェイトが駆け寄ろうとするが、恭也の身体の中の『何か』が炎に変わる方が早かった。



(おい待て、まさかあの女性に攻撃するつもりか?)

『あっと驚くのは間違いなかろう。なに、死にはしないだろう』

「待――」



 声に出してとめるよりも早く、自分の手から自分の力が他人の意思で発動する。全てを焼

きつくさんとする紅蓮の炎……それは黒髪の女性を中心に収束していく。



「母さん!」



 フェイトの声が部屋に響く――黒髪の女性はそれを五月蝿そうにみやると、腕を一振り。

鈍い光を放つ壁が女性の周囲に出現、舐めるように炎は殺到するが壁は揺るぎもしない。



 もう一度、腕を振る。それで炎はあっけなく消え去った。後には炎を発したことが夢では

なかったという証の焦げた床と、乾いた空気の臭い。



『驚かせることはできただろう。後は勝手にしろ』

(何かをするなら最後まで考えてからにしてくれ)



 頭の中の相棒に毒づきながら実際にはため息をつき、降参の意味を込めて両手を挙げる。

首筋には光り輝く刃を持った大鎌が突きつけられていた――持ち手はフェイトである。その

目には明らかな敵意。



 フェイトは黒髪の女性を母と呼んだ。即座に殺されなかっただけ、マシな対応と言えるだ

ろう。



「信じてもらえないかもしれませんが、これは不慮の事故という奴でしてね……」

「ああ、そうなのでしょうね。私を殺すにしては随分とお粗末な攻撃だった。魔法を習いた

ての学生でも、もっとマシな攻撃をするでしょう」



 駆け出し以下、ということである。他人が勝手にやったこととは言え、体外的に見れば自

分の行いである炎がそう断じられ、複雑な気持ちになる。



「質問に答えなさい。これは……お前の仕業?」

「そうであるとも言えますし、そうでないとも言えます。先ほどの話しましたとおり、俺を

この世界にまで連れ込んだ奴が、俺の中にいましてね。先の炎はそいつの力です。俺の魔力

とやらを元にして撃ったようですが、俺の意思で撃ったのではありません」

「リンカーコアに依存しない魔術ということね……それなりに興味深いわ」

「芸としては如何です?」

「暇つぶし程度ね」



(受けがよくないみたいが?)

『知らん。これでダメならば汝の力では不可能ということだ。やろうと思えば出来なくもな

いがな、この場で気を使い尽くして木乃伊にでもなりたいか?』

(木乃伊は勘弁だが、ここで芸を披露しなければ明日と言わず今すぐにでも路頭に迷うこと

になるのだぞ?)

『野の獣は雨露が凌げる場所と、その日を過ごせる食物があれば良い』

(俺は獣ではなく人間だ、相棒)

『宿無しの異邦人が何を言う。だが、汝が死ねば我も死ぬ。未来のために死ぬ気で喰らいつ

け』

(簡単に言ってくれる……)



「でも、実験動物程度の価値はあるでしょう。私の興味が続く間の滞在を許可するわ。私が

呼ぶ時に私のもとにすぐに来ることを守れば、お前が馬鹿をしない限り生存を保障しましょ

う」

「待遇の改善を要求した場合は?」

「聞くもののいない遺言でも考えておくことね。別に私はお前の生死に興味はないから、反

抗したければしても構わないけれど」

「仰せに従います、マスター」

「フェイト。この男を小屋まで案内なさい。出来るだけお前の部屋に近い部屋に」

「わかりました、母さん」



 端的な支持を出して、黒髪の女性は姿を消した。フェイトは女性がいた空間をしばし眺め

ていたが、やがて光刃を消すと向き直る。



「案内します。ついてきてください」



 すぐに歩き始める。こちらが何を言う暇もない。フェイトは黒髪の女性を母と言った――

不慮の事故とは言え、母を攻撃した人間に振りまく愛想はないということだろう。幸先の悪

さにため息をつく。こんなことでやっていけるのだろうか。



「あんたも思い切ったことするねぇ。あのプレシアに牙をむくなんてさ」



 だが、捨てる神があれば拾う神もある。先程までフェイトの命で自分を押さえつけていた

アルフが妙に馴れ馴れしく寄って来る。



 それほどあの黒髪の女性――名はプレシアというらしい――を攻撃したことが、嬉しかっ

たのだろう。態度、雰囲気からそれが強く感じられる。取り付く島のないフェイトとは真逆

の反応だった。



 事実、アルフのその軽い態度にフェイトはわずかに不機嫌そうな顔を見せていたが、アル

フがそれを気にした様子はない。人好きのする笑顔を浮かべたまま、ばしばしとこちらの肩

を叩いてくる。腕力のせいか、怪我や痛みになれているはずの身体にも少しだけ痛い。



「あたしはアルフって言うんだ。よろしく頼むよ、同類」

「高町恭也。こちらこそよろしく……同類?」

「あたしはフェイトの使い魔だからね。プレシアの使い魔みたいなもののあんたは、あたし

の同類さ」



 同類と呼んでくれることは嬉しいのだが、果たして素直に喜んでいいものなのか。屈託の

ない笑顔を見せるアルフを見せると、そんなことはどうでもよくなってくる。差し出された

手を握り返し、握手。人間として何か大切なものを失った瞬間かもしれない。



「さて……貴女も。俺は高町恭也です。お名前を伺っても?」



 あまり歓迎されていないことは知っている。しかし、無視する訳にもいかない。仲良くで

きるのならそうした方がいい。彼女以上に酷い出会い方、酷い状況に陥った人間関係を恭也

はいくつも知っていたし、体験したことがある。多少避けられた程度でめげるような柔な神

経をしているつもりはなかった。



 差し出された恭也の手を、フェイトは戸惑いと共に見つめる。助けて……と言いたげな瞳

をアルフに向けるが、恭也の隣でアルフは笑顔のままで首を横に振る。孤立無援。覚悟を決

めたらしいフェイトは、おずおずと手を差し出した。



 握る力は弱々しかったが、それでも握手は握手だった。



「フェイト・テスタロッサです。よろしく」



 それだけを言うと、さっさと手を離して歩き出すフェイト。柔らかな感触の残る手を見つ

め、恭也は肩をすくめる。友達への道のりは遠そうだった。



「気にしないでおくれよ。あの娘は少し引っ込み思案なところがあるのさ」

「そういう女の子と向き合うことには、聊か自信がある。そのうち仲良くなれるだろう。気

長にやるさ」

「あんた、そんななりで手が早いのかい? それならフェイトとの付き合いを考えないとい

けないんだけどね……」

「安心しろ。俺はどちらかと言えば年上趣味だ」



 何気なく言った言葉に、渋面をつくっていたアルフが無言で距離を置く。顔が少し赤い。



「ここは綺麗に流すところだ。そういう反応をされると俺も……困る」

「そうだねぇ……なにやってんだろ、あたし」

「…………水に流すか」

「そうだね」



 意見の一致をみて、並んで歩き出す。しかし先の発言は思いの他尾を引いていたようで、

あれだけ明朗快活だったアルフが一言も発してくれなくなってしまった。



 距離のあいてしまった自分達を待っていたフェイトが、妙に静かなアルフを不審そうに眺

める。聡明な彼女はすぐに原因に気付いたようだった。じっ、と攻めるような視線を向けら

れ、どうしたものかと途方に暮れる。



『慣れぬことはするものではないな』

(相棒ならば忠告くらいしてくれてもいいと思うのだが?)

『雌雄の間の戦は専門外だ。良い子孫を残せるよう丈夫な異性を選べ、としか言えん。その

基準で言えばそこの赤髪は有望だな。丈夫な子供を生みそうだ』





 つっこみが出来ないのが辛いと思ったのは、生まれて初めてのことだった。



 












後書き
続きがかけました。後一話アップすることができましたら、隠しページから引き上げようかと思います。
最初はヒロインにリニスを考えていたはずなのに、今では影も形もありません。世の中わからないものです。
サブキャラ好きが私の性分なので、そう考えるとヒロインは自ずと絞られそうなものではありますが……
書いてる私も先が少し楽しみです。