「ごちそうさま。いや〜、今日は美味かったよキョーヤ」

「…………」



 今日も変わらず、主従の反応は正反対だった。



 二日目。時の庭園の食環境に愕然とした恭也が、見たこともない食材と格闘しながら食事

係を申し出ること数日。食に拘りはないのに味覚は鋭敏という、素人泣かせのアルフと協力

しながら見たこともない食材に挑み、一週間目にして漸くパートナーのアルフから美味しい

という言葉を引き出したのである。



 これでフェイトからも美味しいと言ってもらえたら言うことはなかったのだが、件の少女

は無言のまま食事をし、無表情のまま去っていく。食事時に限らず、事務的なものを含めて

も会話らしい会話をした記憶がない。嫌われるのもここまで行けばいっそ清々しいが、だか

らこそ、こちらからアプローチを続ける必要があるのだ。



 例え話しかけて何も答えてくれなくても、無視をされてもだ。



「何か作って欲しい料理はないか、二人とも。残念ながらすぐには作れないが、研究は進め

てみようと思う」

「美味ければ何もいうことはないよ。元々ここの連中はあたしを含めて、腹に入れば何でも

いいってタイプばっかりだからね」

「実は同じタイプの俺が言うのも何だが、栄養にはもっと気を配った方がいい」

「少しだけどそういうことは考えてたんだけどさ。食い物作ってるのに難しいこと考えてた

ら飯が不味くなるじゃないか」

「解らないでもないが……」



 実家には何時だって必ず、料理の得意なものがいた。贅沢な環境もあったものである。お

かげで料理をする機会には恵まれず、料理の腕はそれほどでもないのに、舌だけが肥えると

いう有り難くもない体質になってしまったが、明確な味の指針が定まってくれたと考えるな

らばそれほど悪いことでもない。



 現に、こうして食に拘りのなかった女性達を救うことができているのだから。まだまだ改

善の余地はあるが、研鑽を積めばもっと満足してもらえることだろう。母が喫茶店を続けて

これた理由の一つが、理解できたような気がした。自分の作った料理を美味しいと言っても

らえるのは、気分のいいものだ。



『剣士を止めて料理人にでもなるか?』

(料理界での戦いは、お前が想像している以上に苛烈だぞ? 相棒。剣を持って戦う俺を見

るよりも楽しいかもしれないな)



 尤も、剣を捨ててまで他人のために料理を作るという自分を、恭也は想像できた試しがな

いのであるが。



「まぁ、明日からも期待してるよ」

「励ましの言葉として、丁重に受け取っておこう。アルフ達は、これから訓練か?」

「そうだよ……ってキョーヤ、あんたもだろ?」

「俺はまだ用事があるのだ。今日の食事は好評のようだから、プレシアにも届けてくる」



 母の名前に、こちらに背を向けていたフェイトの肩がぴくりと動いた。恭也の発する話題

に基本的に興味を示さないフェイトだったが、ほとんど唯一の例外がプレシアのことだ。



 興味がなさそうにしながらしっかりと聞き耳を立てているフェイトと対照的に、プレシア

とうまが合わないらしいアルフの機嫌はじわじわと下降していた。先ほどとは逆の按配であ

る。



「キョーヤもよくやるねぇ……あいつはあたし達の中で一番、食べることに拘らないよ?」

「だからこそ、とも言えるな。そういう女性に美味しいと言ってもらえれば、俺も俺の作っ

たものに自信が持てるというものだ」

「あたしが美味いって言っただけじゃ不満だってのかい?」

「人間、しばらく同じことを続けていると欲が出るものなのだ。もちろん、アルフに美味い

と言ってもらえたことはとても嬉しい。これからも努力は続けるから、明日もそう言っても

らえるか?」

「そいつはキョーヤの腕次第だねぇ」

「言ったな。絶対に美味いと言わせてやる。明日を楽しみにしていろ」

「期待しないで待ってるよ」



 じゃあね、と訓練場隅に無理やり運び込んだ設えた食卓を離れるアルフ。食ったら眠くな

るのが常だが、彼女の場合は身体を動かしたくなるらしい。その勢いには手を引かれるフェ

イトの方が、困惑している程だ。



 ふと、そのフェイトと目があった。こういう機会は何度もあったが、その度に温度のない

瞳で数瞬見つめられ、興味はないとばかりに目を逸らされる。そんな対応にもそろそろ慣れ

てきたところだったが、今回は何故か目を逸らされないどころか見つめられていた。



 これだけフェイトに見つめられたのは、初めてのことである。しかし、彼女は口を開かな

い。何かを言いたいらしいのは理解できたが、よほど会話をしたくないのだろう、その顔を

徐々に困惑と苛立ちの色が染め上げていく。



「フェイト、どうしたんだい? お腹でもいたいのかい?」

「ううん。何でもないよ、アルフ。始めようか」



 困惑と苛立ちは、一瞬で霧散した。結局何も言わぬまま、アルフと共にフェイトは中空へ。

魔法を用いた高速戦闘を始めた二人を見やりながら、予め作ってラップ(のようなもの)を

かけておいた、プレシア用の食事に手を伸ばす。



 今まで作った中では改心の出来という自負はある。しかし、相手は難物だ。プレシアに食

事を持っていくことはまさに、恭也にとっての戦いなのだった。



『先の赤髪の娘ではないが、お前もよくやる……』

「やり始めた以上、御神は勝たねばならんのだ。勝ち負けも解らんままというのは、いかに

も拙い」

『何をもって勝ちとするのだ?』

「料理においての勝ちなど、一つしかあるまい」



 料理を持って立ち上がる。歩みはさながら、自らの戦場へと赴く決闘者のように――





「あのプレシアに、美味いと言わせることだ」





















「プレシア、食事を持ってきました」


 研究室のドアを開けると同時に体を僅かに左に開く。一瞬の後、殺人的な威力の衝撃波が

先ほどまで恭也がいた空間を通り抜けていった。



「……相変わらず手荒い歓迎だ」 



 嘆息し、研究室の中へ。乱雑な雰囲気をプレシアは好まないと思っていたのだが、その部

屋は色々な媒体の資料らしきもので散らかっていた。研究者というのは、どこの世界でも似

たような感性を持っているらしいと、何回か足を運ぶにつれて思うに至った。



「駄犬を呼んだ覚えはないのだけれど?」



 胡乱気に振り向くプレシアの顔色は、相変わらず死人のようだった。睡眠不足による疲労

だけではない。体内の気が乱れているのが、今の恭也にははっきりと理解できた。病、それ

も命に関わるほどの重病である。



 本人が気付いていないということはない。プレシアがその病の常備薬を持っていることを

恭也は知っている。治療の先延ばしは、彼女の意思なのだ。



 恭也がプレシアの病に関して問うたのは、一度だけである。



「呼ばれた時だけ来るのは、良く訓練された犬だけです。駄犬は主人の都合など構いもしな

いで、纏わりつきます」

「自分で駄犬と言っていては世話がないわね」

「劣っていることを自覚しているところだけは、褒めていただきたいものですがね。さて、

食事ですよ、プレシア。この一週間で貴女の好みも漸く掴めてきました。量は少なめ、味も

薄めにしてありますから、全部食べてください」

「嫌だと言ったら?」

「貴女の口の中に無理やりにでも押し込みます、命にかえても。自分で食べるか、俺に食べ

させられるか、その前に俺が死ぬか、これから起こるのは三つに一つです。プレシア、決断

を」



 妥協するか、屈従するか、さもなければ殺人をしろという乱暴な三択である。日常的に衝

撃波を撃ち込めるプレシアも常識外の感性をしているが、その彼女に対してこういう提案の

出来る恭也も既に、常識外の住人である。命が惜しかったら、こんな提案など出来るはずも

ないのだ。



 確かにプレシアは真性のサドだ。おまけに社会的に見れば悪の側に寄っているのは間違い

ない。気の弱い子供など、研究に没頭する彼女の姿を見ただけで泣き出すことだろう。恭也

ですら、プレシアの存在そのものが禍々しく見えることすらある。



 しかし、どれほど人間よりも妖怪に近く見えようとも、見ているだけで不安になることが

あろうとも、プレシアは科学者であり、さらにそれ以前には人間なのだ。。科学者としての

プレシアは非合理的なこと、無駄なことを好まない。



 そして、人間であるプレシアは……アルフ辺りは信じてくれないだろうし、自身でもこの

結論に対して疑問に思うおとがないでもないが、それでも敢えて強引に結論付けるなら……

『優しい』のだ。



 それは高町恭也が家族ではなく、たまたま拾って傍に置いているような他人だからこそ向

けることのできる優しさなのだろうが、プレシアはどれだけ口汚くこちらを罵っても、うっ

かりすれば殺しかねない衝撃波を放っても、最後には『しょうがない』という内容の言葉を

吐きながら、食事を食べてくれる。



 この世にこれ以上不味いものはない、といった顔で食事をすることを除けば、プレシアの

対応には概ね満足しているた。彼女と付き合う上で最も必要なものは、鋼のような揺ぎない

心なのだ。彼女とまともに会話ができるようになれば、世の中の大抵の人間とは良好な関係

を築くことができるだろう。対人のスキルが無駄に向上していることを、ひしひしと感じる

恭也だった。



「そう言えば、貴方もあれと一緒に訓練をしているようね」



 幸せとは何なのかという哲学的な命題に人知れず向かい合っていると、今日も不味そうに

スプーンを動かしながら、プレシアが問うてきた。



 ぽつぽつと、それも事務的な内容ばかりであるが、プレシアから話しかけてくれるように

もなった。どんな会話だったとしても、それは仲良くなるための第一歩だ。当然嬉しくはあ

るのだが、その十分の一でもフェイト達へ向けてくれればと思う。事務的な会話すら、彼女

らの間には存在しないのだ。



「一日も早く戦えるようになりたいもので。フェイトやアルフに比するとまだまだなのは否

めませんが、これでも成長はしていると自負しています。今しばらくすれば、プレシアのお

役に立てるのではないかと」

「駄犬が手柄を立てることを期待するほど、堕ちてはいないつもりよ」



 言いながら、空になった盆を押し付けてくる。食事時間は、僅か10秒。ほとんど噛まず

に飲み込んでいる。食事に対する冒涜とも言える行為だったが、プレシアには気にする様子

もなく、さっさと帰れとばかりに犬をい追い払うとうな仕草をし、部屋に入る前にやりかけ

にした研究に意識を戻す。



 背中が邪魔をするなと言っている。プレシアは見た目通りの性格なのだ。不用意な発言を

すれば、また衝撃波が飛んでくる。



 不本意なことに撃たれなれてしまった衝撃波では間違っても命を落とすようなことはない

だろうが、それで効果がないと確信を持たれては、プレシアは必ず別の方法を編み出してく

る。



 人の新たな一面を知ることができるのは素晴らしいことだが、そんなつまらないことで知

らないプレシアを知ることはしたくはないし、怪我をする危険を冒したくはない。



 ここでの仕事は終わった。幾分肩を落として踵を返すと、やる気のなさそうなプレシアの

声が背中に投げかけられる。



「フェイトは、どう?」



 不意の質問に足を止める。プレシアが自分以外のことに興味を示した、初めての問いだっ

た。フェイト本人には、絶対にしないであろう問い。問うている相手はフェイトではないの

に、顔を見ようともしない。照れている……と評するには、黒々とし過ぎた感情が、プレシ

アの周囲に見えるようだった。



 余人には伺うことのできない事情があるのだろう。他人の問題は他人の問題。仲良くして

欲しいのは思うが、完全に他人である自分が迂闊に踏み入っていい問題でもない。



「モニターしているのでしょう? その通りの様子ですよ。素人の俺から見てではあります

が、良くやっていると思います」

「そう……」



 だからどうした、ということをプレシアは言わなかった。労いの言葉はもちろん、フェイ

トへの伝言を頼むでもない。



 壁があるのだ。透明で巨大な壁だ。その壁を乗り越える意思がプレシアにはなく、壁の外

側にいるフェイトには乗り越える意思があっても、それを成すための手段がない。


 いつから、どうしてそんな壁が存在しているのか、恭也は知らない。だが、どうにかした

いとは思う。プレシア達は家族なのだ。家族は仲良くするべきなのだ。故郷を捨てたような

人間がどの口で、とは思う。しかし、それだけは譲ることはできない。



 出来ることだけをやっていく。自分でなければ聞けないことが、出来ないことがあるはず

なのだ。高町恭也はこの世界、この時間、この場所に誘われた。そこには必ず、意味がある

はずだ。





「いつまでそこにいるのかしら? 駄犬と同じ部屋の空気を吸っているのは不愉快だから、

さっさと消えてほしいのだけど」

「愛の全く感じられないお言葉をありがとうございます……ああ」



 何か出来ることはと考えて、最初に自分のことを考え付く自分に心の中だけで苦笑する。

前から頼もうと思っていたことだったが、口にする機会に恵まれず今の今まで先送りになっ

てしまっていた事柄。



 今すぐに言わなければならないことでもなかったが、会話の種はないかと探しているうち

に見つけてしまった。この際、内容もその答えすらもどうだっていい。



「実は貴女にお願いがあるんですが――」

「駄犬の頼みなんてきくはずないでしょう。そんなことを理解できないほど、お前は愚鈍な

のかしら?」

「俺はまだ何も言っていないのですが……」

「足りない駄犬の脳みそで考えたことが、私に利するはずないもの。まぁ、いつまでもそこ

で吼えられていたらなお不愉快だから、聞くだけなら聞いてあげるわ。早く言ってちょうだ

い」

「俺でも使えるデバイスを――」

「不許可」



 興味を引くこともできなかった。殺気すら感じられる。それでも衝撃波を放ってこないの

は彼女なりの譲歩、優しさなのか。それを感受できるほど、恭也は愉快な精神構造をしてい

ない。どんなに修行を積んでも怖いものは怖いのだ。正直、今のプレシアには関わりたくな

い。



「欲しいものがあるのなら、自分で作りなさい。寛大な精神で材料と道具だけは貸してあげ

るわ」

「文字も読めない俺に、バルディッシュのようなものが作れるとも思えんのですが……」

「ならば、諦めることね。元々駄犬には分不相応なものなのだから、早々に諦めもつくとい

うものでしょう」

「…………もし俺がデバイスを手に入れることができたら、プレシアと名付けることにしま

す」

「デバイスにまで服従を強いられるなんて、駄犬に相応しい人生ね」



 嘲るような声音。デバイスに云々は完全に思いつきだったのだが、反射的に口にしたこと

をこれほどまでに後悔することになるとは思ってもみなかった。



 何か、言い返さなければならない。ここで何もしないのは、完全なる敗北だ。



 考える……何も思い浮かばない。プレシアの含み笑いが、背中に聞こえる。それが今まで

見聞きしたプレシアの行動の中で、一番嬉しそうだったのが癪に障る。



 何も答えることができないまま、恭也の足は進み……部屋を出た。



 扉が閉まり、プレシアの声も聞こえなくなる。





 今日の勝負は、完敗だった。





















『武器に女の名前を付けるのか、相棒』

「笑ってくれて構わんぞ? 自分でも頭の悪い冗句だと思う」

『それほど悪いことでもなかろう。名前とは、最も解りやすい力の一つだ。確かに聊か女々

しい行為と言えぬこともないが、我が戦った中にもそういった武器を持ったものは大勢いた』

「俺にもその一人になれと?」

『あの女の名を冠した武器だ、さぞかし強力なものになるのだろうが……汝は武器に付ける

名前よりも、武器そのものを何時手に出来るのかを気にした方がよいな』

「それに関しては、気長に待つことにする。庭園の隅に枯れ木が放置されていたから、それ

を削りだして木刀にする。当分はそれが、俺の武器になるな」

『まったく、魔法が跋扈する世界にあって貧乏くさい剣士もあったものだ』

「では、木刀にはざからと名付けることにするか」

『…………』

「…………」

「止めよう。際限なく下らない言い合いになる」

『そうだな。汝は強くなることだけを考えろ。武器の名前など、手に入れたその時にでも考

えればよい』














後書き
ここ数年の更新ペースを考えると驚異的なペースで更新が進んでいます。
年度が変わるまでには一期分を終えることができたらいいな、と思っていますがどうなるか。
ちなみにA’sに入る前に小話がいくつか入る予定です。ヴォルケンリッターが出てくるの
はまだ大分先の話になります。早くシグナムを書きたいです。