これで詰みだ。今までの報告書と部下からの報告を受けて、執務官クロノ・ハラオウンは

ようやく確信した。



 時の庭園に突入するに当たって、上司であるリンディ・ハラオウン提督とも何度も話し合

った。逃走の可能性はゼロではないが庭園の周囲にはアースラのスタッフが、これまでの反

省まで踏まえて監視の目を光らせている。これを突破して外に逃げるのは容易ではない。



 外部に呼応する存在の可能性もないではないが、既にこちらの保護下に入っているフェイ

ト・テスタロッサの使い魔アルフの情報では、そのような存在に心当たりはないらしい。彼

女とプレシアは仲が悪かったと言うし、どこまで信用できたものか分かったものではないが、

ここにきて彼女が嘘をつくとも思えない。少なくとも、アルフの知る限りこの状況をひっく

り返すような存在はいないということなのだろう。


 つまり、当面相手にしなければならないのは時の庭園に残っている戦力だけということだ。

プレシア・テスタロッサ本人に傀儡兵……傀儡兵の正確な数が分からないことが問題だった

が、既に彼女の最強の手駒であったフェイト及びアルフはプレシアから離反している。



 問題になるのは、やはり時間だった。プレシアの目的が達成されるよりも早く彼女を確保

しなければならない。周辺空間への被害を抑える準備まで考えるとギリギリのスケジュール

であったが、どうにか間に合うことができた。



 欲を言えば自分以外にもう少し正規の訓練を受けた魔導師が欲しいところではあったが、

どうせ無い袖には触れることができない。一応本局にも連絡は行っているはずだが、これ

だけの事態に対応できる部隊をすぐに回すことができるとも思えない。





 自分達でやるしかないのだ。協力者がいてくれるだけ、今はありがたいと思うしかない。



「迷惑をかけてすまないね……」



 閉じていた目を開ける。アルフだった。クロノ・ハラオウンという人間にとって、年上の

女性の接近を許すということは即ち精神の危機を意味している。アルフくらいの見た目の女

性であれば、普段の自分であれば気付かないはずがない。



 つまりはそれだけ疲れているということなのだろう。これだけの大捕り物に参加してた経

験は、クロノにだって数えるほどしかなかった。 



「ん、別にどうってことはないよ」



 いまいち反応の渋いクロノに、アルフは怪訝な顔を向ける。その視線に師匠達によって植

え付けられたトラウマに似た何かが首を擡げるが、それを心の奥に強引に押し込め、立ち上

がった。



「迷惑ということはない。これも僕の仕事なんだ。君達は保護するに値するし、戦力になっ

てくれるという申し出もありがたい。うちの組織は陸も海も慢性的な人手不足だからね」



 管理局員は民間人の安全と利益を守るために存在する。その本来の目的を考えれば、守る

べき対象の民間人の手を借り、ましてやそれを戦場に借り出すなどということはあってはな

らないことであるが、既になし崩し的に現地調達をしてしまっている身としては、そこに一

人二人加わったところで誤差でしかない。



 意地でも自分達の手だけで何とかする。そういう考えの同僚も数多く居るが、思考は出来

るだけ柔軟に、が上司のポリシーでもある。そしてそれは、自身の意見とも合致するものだ

った



「突入は僕と君、それになのはとフェレットもどきですることになると思う。バックアップ

はうちのスタッフがしてくれるから、その辺りは心配しなくてもいい。問題があるとすれば

君のご主人様のことだけど……」

「決着はあたし達だけで付けるのがいいと思うよ。これ以上フェイトを辛い目に合わせるの

なんて、あたしは嫌だ」



 僕はそうは思わない、という言葉をクロノは辛うじて飲み込んでいた。



 今、フェイトは人生の分岐点に立っている。ここを乗り越えるかそうでないかで、彼女の

人生は大きく変わるはずだ。辛くても何でも乗り越えなければならないのだ。



 一人で駄目ならば、誰かの力を借りたっていい。自分の時は支えてくれる存在がいてくれ

た。フェイトにだって、それはきっとあるはずなのだ。



 白い服の少女の姿が、クロノの脳裏に浮ぶ。少し前まで魔法のことなど知らずに過ごして

いたはずの少女が、今では一人の戦士として自分達と共に戦おうとしている。それを不思議

と思わない自分が、不思議だった。魔法を扱う彼女に違和感を持つことができない。



 天才という言葉を体言しているような少女だった。血反吐を吐くような努力の積み重ね

で今の力を手に入れたクロノには、聊か眩しい存在。



 だが、その輝きでなければ照らし出すことの出来ないものも確かにある。それが今回の

事件を解決へと導き、そして一人の少女の心を救ってくれることを、今は願うばかりだっ

た。



「フェイトが立ち上がってくれることを今は信じよう。君のご主人様を出来るくらいだ。

彼女は強い娘なのだろう?」

「当然さ。あたしのご主人様は、次元世界一だよ」

「それを聞いて安心した。君の働きにも、期待してるよ」

「まかせときな」



 にやりと獰猛に、アルフは笑う。その明るさが今は頼もしかった。



 休憩は終わりだ。思考を切り替えて休憩室を出る。足早に歩く自分の隣を歩くアルフに、

そう言えば、と問うた。



「庭園に居たのは君とフェイトとプレシアだけなのかい?」

「いや、もう一人男がいるよ。少し前に迷い込んできた奴でね。あたしが庭園を出てきた時

はプレシアの付き人みたいなことをしてたよ。今でもそうなんじゃないかね」

「付き人、となると相当にプレシアの信頼を得ているように聞こえるが、その男は魔導師な

のか?」

「いや、魔法は使えない……けど、使う」

「それは使えるのか使えないのかどっちなんだ……」

「いや、あいつが使うのはあたし達が使うような魔法じゃないんだ。けど、見れば魔法を使

ってるように思うだろうよ。口じゃ上手く説明できないんだけどね、あたしもあいつの力に

ついて詳しく聞いたことがある訳じゃないからさ」

「じゃあ質問を変えるけど、その男はどの程度強いんだい?」

「きちんとした武器を持って殺す気でやれば、あたしの首くらいは落とせるんじゃないかな」



 明日の天気でも答えるようにアルフは平然と答えた。自分がその男よりも格下であると認

めたようなものだが、そこに悔しさは感じられなかった。むしろそうあることが当然である

と思っているようにクロノは感じていた。



「その男はどんな奴だ?」

「年は十代の後半。背はそれほど高くはないよ、あたしと同じくらいだ。細身だけど筋肉質

で面構えも悪くはない。後、よく分からない魔法を使って、あたしでも見えないくらいの速

度で動く」

「それは……人間ではなくてプレシア・テスタロッサが生み出した兵器ではないのかな」



 アルフのような戦闘向きの使い魔の身体能力は基本的に人間よりも高い。そのアルフです

ら『見えない』というのは、常識では考えられないほどの速度ということになる。自分の師

匠であるリーゼロッテすら、魔法の力を借りてようやく出来るかどうかというところだろう。



 それを魔法を使わずに……いや、使うのだったか、とにかく既存の魔法に頼らずに行うと

いうのであれば、敵対関係になる可能性が高い現状としては脅威以外の何者でもなかった。

話だけを聞いた限りでは、人間であるかすら疑わしい。



 その思いが顔に出ていたのだろう。アルフは自分の肩を叩きながら、豪快に笑ってみせた。



「大丈夫だよ、キョーヤはいい奴だから。確かに何考えてるのかわかんない時はあるけどね、

他人の気持ちの分かる優しい男さ」

「他人の気持ちの分かる優しい男が、どうしてプレシア・テスタロッサのような人間の傍に

いるんだ?」



 言ってから、そういう優しい人間しかプレシアの周りには残れないという可能性に気付い

た。クロノ自身はプレシアと面識がある訳ではないが、先の通信を見る限り、普通の神経を

している人間には、彼女と交流を持つことは不可能だろうと結論づけていた。



 直情径行のアルフなどとは、最悪の相性に見える。



 その相性最悪のアルフは一瞬だけ忌々しそうに顔を歪めて見せたが、何を思い直したのか

すぐに苦笑に変わる。



「決まってるだろう。優しいからだよ。あたしからしたらプレシアなんて、百回かみ殺した

っていいような奴だけど、キョーヤにすれば違うんだろうさ。あたしはそれがとてもとても

ムカつくけど、たまらなく好きでもあるんだ。ああいう奴だったからこそ、信じられるんだ

と思うね」

「……まさか君から惚気話のようなものを聞くことになるとは思ってなかったよ。その男は

君の恋人か何かかい?」

「まさか。でもまぁ、それも悪くないんじゃないかな、とは思ってるけどね。あれと番にな

るのは、楽しそうだ」



 顔を赤くして照れ笑いを浮かべる年上――に見える女性の近くにいることが、これほど居

心地の悪いものだとは思わなかった。『もう一人』の男はアルフに関しては絶大な信頼を勝

ち得ているようだったが、プレシアに近しいのなら油断をすることは出来ない。おまけに腕

は立つときた。アルフには申し訳ないが、事件を担当する執務官としては懸念材料が一つ増

えたに過ぎない。問題は山積みだった。



「世界はこんなはずじゃなかったってことばかりだな……」

「何か言ったかい? クロノ」

「いや、何でもないよ。ただの独り言さ」



 全てが想定通りに行く事件など、今まで一つもなかった。ベストを目指しているのに、ベ

ターになることすらない。その癖文句を言う人間は必ず存在する。彼らにすれば、こちらが

どれだけ力を尽くしたかなど言い訳にもならないのだ。だから執務官は常に結果を出さなけ

ればならない。



 事後のことまで考えると、気分が滅入る。そんな中、アルフとフェイトを確保することが

出来たのは幸運だった。巡りあわせが悪ければ、彼女達と戦い命を奪う結果になっていたか

もしれないのだ。話し合えば分かってもらえる……そんな世迷言を言うつもりは今更ないが、

出来ることなら人死は少なくしたい。プレシア・テスタロッサもその謎の男もだ。



「まぁ不味いことになっても、キョーヤが何とかしてくれるだろうさ」

「……いっそのこと、そのキョーヤが全てを解決してくれたらありがたいんだけどね……」



 見たこともないその男に、期待を抱かずにはいられなかった。



 出動はすぐそこにまで迫っている。

















「囲まれたか……」



 時の庭園の外にまで感覚の網を広げられるほど恭也は器用ではなかったが、培った経験か

ら状況が煮詰まったことを感じ取っていた。アルフとフェイトは敵側におり、守備をするの

は傀儡兵だけ。プレシア自身が戦うことをしないのなら、庭園をあの連中から守ることは不

可能だろう。



 プレシアと共にモニターだけは見ていた。『彼女』の力はよく分かっている。荒削りでは

あるが、魔法戦闘だけならばフェイトと互角と考えてもいいだろう。隣にいたフェレットも

『彼』に似た少年も、その実力は折り紙付きだ。そこにアルフとフェイトまで加わる可能性

があるのだから、始末におえない。



 プレシアの家臣であったら、庭園を捨てて逃げることを進言すべき状況であった。捕まら

なければ再起の可能性はある。



 だが、それは時間に恵まれた人間の話だ。プレシアには時間がない。進言するような言葉

も、もう存在しなかった。



「プレシア」



 薄暗く、広大な広間である。岩がむき出しのその場所に、プレシアは生体ポッドと一緒に

在った。



 かけられた声に振り向くプレシアの顔色は、既に死人のそれであった。その身体から発せ

られる気も弱々しく、生きているのが不思議なほどでもある。



 ただ、その瞳だけは生命力に溢れていた。それを支えているのは狂気と執念。



 もはやここにいるのはプレシア・テスタロッサではないのかもしれない。



 だが、これこそが彼女であるのだと恭也は思った。近寄った者全てを殺しかねない雰囲気

を持ったプレシアに当たり前のように近づき、膝をついて頭をたれる。



「管理局の連中はまもなく突入してくる模様です」

「そう……流石に仕事が早いわね。貴方とは大違い」

「組織と個人を比べないでいただきたいものですが……彼らが優秀なのは認めます」



 この次元世界の警察機構のようなものと聞いている。軍隊としての面もあるのかもしれな

い。制圧に乗り出せるような要員も有しているようだが、プレシアに瞬殺された連中とアル

フ達と戦っていた連中には、随分と力の開きがあるようにも感じていた。



「それで? そんなことを今更言いに来たのかしら?」

「そんな愚図ではそれこそ、この場で貴女に見限られてしまいます。俺がこうして参上した

のは――暇を頂くためです」



 プレシアの瞳に、理性の光が僅かに宿る。言葉の意味を解するのにそれほど時間はかから

なかった。



「……そう。もっと早くに言い出すと思っていたのだけれど、随分ともったものね」

「それだけ貴女の傍は居心地が良かったのですよ」

「犬に世辞を言われても気持ちが悪いだけよ」

「違いない。出過ぎた真似をしました」



 苦笑を浮かべ、立ち上がる。挨拶は済んだ。これで自分から言うべきことはなくなってし

まったが、急いで立ち去るような真似を恭也はしなかった。踵を返し、ゆっくりと歩みを進

める。



「待ちなさい」



 待っていた、その言葉を。プレシアの意を変えることはついにできなかったが、彼女の意

をある程度酌めるようにはなった。どうして欲しいのかが何となく分かる。思うのだ。自分

が現れるのがもっと早ければ、彼女は狂気に囚われなかったのではないかと。傷付いたプレ

シアを救うことが、出来たのではないかと。



「なんですか? プレシア」



 そんなことを考えていると悟られないよう、努めて明るい口調を作り問い返す。振り返る

ような真似はしない。どうせプレシアは背を向けているのだろうが、万が一ということもあ

る。こういう時に顔を見られることを、彼女は好まないはずだった。



 空気を切る音。振り向かぬまま左手を振り抜き、『それ』を掴み取る。



 金属板。手の中に収まるくらいの大きさで色は真黒。三角形を組み合わせたようなその形

状に恭也は見覚えがあった。



「これは……バルディッシュ?」

「試作品よ。放置された物を私が勝手に手を入れたわ。手慰み程度のものだからガラクタも

同然だけれど、何も持たないよりはマシでしょう?」

「つまり餞別ということですか?」

「手ぶらでは飼い主の品格が疑われるもの」

「…………ありがとうございます」



 覚えてくれていたのだろうか。デバイスが欲しいと言ったことを。これを自分が使えるか

どうかは知らないが、どんな形であれプレシアが自分のために作ってくれたものだ。初めて

の贈り物だ。嬉しくないはずはない。この感激を伝えられたらとは思うが、そういった言葉

を伝えられることを彼女は望んでいないだろう。一言、礼を述べるだけに留めておいた。



 歩みを進める。今度は足を止めずに。プレシアはまだ何かを言って来るだろうが、もう足

を止めてはならない。みっともなく泣いてしまっては、彼女の旅立ちにケチを付けることに

なる。



「貴方は本当に愚図だったわ。五月蝿いったらなくて、何度殺してやろうと思ったか分から

ない。文字も読めない、魔法も使えない、これで従順でなければ本当に殺していたのでしょ

うね。ああ、貴方は尻尾を振るのだけは適当に上手かったわ。それでも私の神経を逆撫でし

てばかりだったけれど……長所を探すのが大変ね。本当、こんな犬をよくも傍に置き続け

ることが出来たものだわ。でも――」



 プレシアの言葉は続く。恭也は、足を止めない。



「でも…………貴方と過ごしたこの数ヶ月は、退屈ではなかった」



 足が、止まる。振り返らない。振り返ることはできない。何か言葉を紡ぐべきなのか……

数瞬だけ考えた。



「俺も、退屈ではありませんでした」



 プレシアに合わせて答える。それで正解のはずだ。きっと彼女は苦笑を浮かべている。



「行きなさい。もう貴方がここにいる理由はないわ」



 優しい声音だった。きっとプレシアは、優しい笑顔を浮かべている。



 それを見れないことだけが、残念だった。

































「待ちわびたぞ。首を括らずに良く来たな」


 振って沸いた言葉に、足を止める。



 庭園全体が小さく揺れていた。管理局の連中が攻撃を始めたらしい。まだ感知できない距

離にいるが、彼女らの実力ならば傀儡兵など問題なく突破してくることだろう。その中にフ

ェイトがいるかどうかだけが問題だったが、現状ではどうしようもない。



「まだまだやりたいことはあるのでな。死ぬ訳にはいかんのだよ」

「夜の森を彷徨い、我の言葉に唆された人間が何を今更。旅立つ前の汝の姿を、見せてやろ

うか?」

「遠慮しておく。無駄にお前を殴り倒すころになるかもしれんからな。だが、お前の言葉が

あったおかげで、俺は今こうしてここにある。ありがとう、とでも言うべきか?」

「軽く流せ。畏まった汝など虫唾が走る」

「違いない。お前とは何でも言い合える仲でいたいものだ」



 くくっ、と小さく笑いながら相手を見やる。



 白い少女だった。白い髪、白い肌、白い装束……ただ、瞳だけは血の色をしている。見覚

えはなかったが、それが誰かは恭也には分かった。そこに存在しているようで、存在してい

ない。気の集合体……初めて見る姿ではあったが、幽霊という表現が最も近いのかもしれな

い。



 今すぐにでも掻き消えてしまいそうなその少女の名前を、呼ぶ。



「お前は女だったのだな、ざから」

「どうなのだろうな。我にも人であった時期があったのかもしれんが……忘却の彼方だ。記

憶の片隅に残ったどこぞの誰かの姿を模しただけなのかもしれん……まぁ、姿形など我には

些細なことだよ。問題なのは我がここにこうして存在していること、それのみだ。違うか?

相棒」

「違いない。いつもは頭の中で無遠慮に声を響かせるだけだった。こうして相対してくれる

だけでも、俺は助かる」

「最後であるからな。相対するのが最低限の礼儀と思ったまでだ」

「お前も最後か……」

「予感はしていたのだろう? 我が宿主どの?」



 今度は少女――ざからが口の端を上げて微笑を浮かべた。愛らしさの欠片もない、小憎ら

しい微笑だった。



「我はもう消える。跡形もなくな。汝の中からも、この世からも」

「回避することは出来ないのか?」

「汝がその身体を明け渡してくれるというのであれば話は別だが」

「それは出来ない相談だな」

「では、我は死ぬ。回避は出来ぬよ」



 死という、具体的な言葉が出てきたことで、恭也は初めてざからの真紅の瞳を見据えた。

恐れも何もない、少女の姿に似つかわしくない自信と……退廃。



「死力を尽くした戦いの中にありたいと、お前は言ったじゃないか」

「言ったな。その言葉に嘘偽はない。だが、思いのほか汝の精神が強固だったものでな、我

が根負けしてしまったのだ。湖の底に縛り付けられていたツケかな……昔だったらこうはな

らんはずだったのだが、年はとりたくないものだ」

「その言葉以外には嘘偽があったと?」

「全て、ではないがな。汝の心に隙があれば、身体を奪い取るつもりでいた。我と汝が似て

いる、というのは嘘ではない。だからこそ我は汝の内部に入ることが出来、そして消滅しよ

うとしているのだ」

「俺を騙していたのか?」

「それは事実ではあるか、事実全てではないな。我は汝の宿命に従い、それが眠る場所へと

汝を導いた。抜け殻のようだった瞳がどうだ? 今は生きる喜びに溢れている。汝はここで

答えを見つけたのだ。そこに後悔はあるまい?」



 あるはずがない。だが、だからと言って全てを受け入れられるものでもない。



「それでお前は消えるのか、俺の答えと引き換えに」

「これが我の宿命だった……それだけのことだろう。二つの望みがぶつかるのなら、より強

い思いが勝つ。汝の渇望が我よりも強かった……ただそれだけのことだ」

「なぁ、ざから――」

「鬱陶しいからそれ以上は言ってくれるな? 仮にも我の相棒を名乗ったのなら、我の意を

組むくらいのことをしたらどうだ。抜け殻など斬って捨てていけ。お前にはもう目的も、力

も、守りたいものがあるのだろう?」



 相棒と、呼んだ存在なのだ。憎らしいと思ったが、誰も知らない世界でそれでもやってい

けたのは、心の中に相棒がいたからだった。他人が思っているほど、高町恭也という人間は

強くなかったのだ。支えが無ければ心も折れる。その程度の存在だったのだ。



 乾き、折れそうだった心を、ある妖が支えてくれた。相棒だったのだ。それを斬って捨て

ろと、当の妖が言っている。本心を言おう、斬りたくなどない。



「それが……お前の宿命なのか?」

「これが、我が望むことだ。心を許した者の刃に散る……悪い最期ではなかろう?」

「俺はそんな最期、死んでもごめんだがね」

「ならば畳の上で死ねるよう、精々努力をすることだ。ただし楽に行くとは思うなよ。汝の

人生は戦に塗れているのだからな」

「生還するさ。愛する人の傍で死ねるように」

「趣味の悪い男だ。刃によって果ててこその生であろう?」



 ざからが笑う。恭也も、笑った。





「起きろ」



 左手を差し出し、デバイスに命令を下す。瞬間、周囲に文字が躍り、目に留まらぬほどの

速度で流れていった。読めはしないが見覚えのある文字……プレシアが使っていた言語だ。

それが数秒流れに流れて、止まった。



『……私の名前を教えていただけませんこと?』



 その声は、直接頭の中に響いてきた。ざからとはまた受ける感じが異なるが、無遠慮であ

ることに代わりはないらしい。言葉は丁寧を装っていても、その奥に捻くれた何かが潜んで

いることを恭也は感じ取っていた。



 捻くれた存在に付ける名前など決まっている。それにデバイスに付ける名前は、最初から

決めていた――



「お前の名前は『プレシア』だ」



 感傷かもしれない。少なくとも、彼女は哂うだろう。だが、自らの命を預ける存在の名前

を問われたら、この名前ともう一つしかなかった。これから切り倒す相手の名を刻むことは

いかにも目覚めが悪い。



 黒いプレートが、周囲に浮かぶ文字が明滅する。 



『私の名前はプレシア。了解いたしましたわ。貴方様のことは何とお呼びすれば?』

「俺の名前は恭也・テスタロッサ。呼び方は好きにしてくれ」

『では、好きにいたしますわ』



 光と共にプレートが変化、恭也の腰に纏わり付く。かつて慣れ親しんだ重みが、そこには

あった。自分の人生を賭けて研鑽を重ね続けた、二振りの武器。



『自己紹介をさせていただきますわ。私は二刀一対型インテリジェントデバイス、バルディ

ッシュ・プロトタイプ・カスタム・『プレシア』。仕事は貴方の敵全てを打ち滅ぼすこと…

…頑丈に出来ておりますから、お好きなようにお使いくださいませ』

「不思議な気分だな。喋る刀などを持つのは、生まれて初めてだ」

『そのうち癖になりますわ。俺にはお前しかいないと、いつか言わせてみせます、私の主様

(マイ・マスター)』

「期待しないで待っていよう」



 おかしい。プレシアという名前なのに不気味なくらいにこのデバイスは従順だった。ここ

しばらくは女性と言えば自分を罵倒してくるような存在だったから、普通に女性と会話が成

立していることに恭也は不安を覚えた。



 プレシアの存在が濃すぎて、それ以前に女性とどういう態度で接していたのかが記憶の中

で曖昧になっている。優しい言葉をかけられても、裏があるような気がしてしまうのだ。一

応会話は成立していたが、心の中で見えない何かと戦っていた。



「……他人の善意を信じられぬようになったら、人間はお仕舞いだとは思わぬか?」

「勝手に心を読むな、相棒。情けなくなるから」



 振り返ってみれば女性と巡りあうことに関してだけは恵まれた人生だったが、特定の誰か

と恋仲になったことはなかった。何がいけなかったのか、確認はしようもないので検討もつ

かないが、これからもその奇妙な縁は続くらしい。自分の周囲に現れる女性は、個性的な女

性ばかりなのだ。



「さて……何か言い残すことはあるか、ざから」



 その個性的な女性の筆頭である相棒を前に、左の刀の柄に手をかけ、問う。



 白い髪の少女はただゆっくりと首を横に振り、小さく微笑んだ。



 瞬時に抜刀された刀が、白い髪の少女がいた空間を薙いだ。言葉は無い。そこに在ったも

のは最初から幻であったかのように、白い髪の少女の姿は掻き消えていた。心の中にも彼女

の気配はない。斬って捨ててしまったのだ。



『主様、前方で傀儡兵が起動。戦闘態勢に入っていますわ。いかがなさいますの?』



 感傷に浸る感性がないのが、プレシアは既に次を見据えていた。それには答えず、恭也は

ただ、ざからが居た空間を見据えている。



 もう、ざからはいない。プレシアは自らの目的のために動きだした。また一人になった自

分は、新たな相棒と共に、新たな道を前にしている。



 感傷に浸っているような暇はなかった。自分の宿命は戦うこと。誰かのために刃を振るう

ことこそが、この世界にやってきた意味。



 涙はなかった。右の小太刀を一振りし、自らを奮い立たせるように不敵に笑う。

 

「戦う以外に道はなかろう。恭也・テスタロッサには、それだけしかないのだからな」

『主様だけでなく、私もですわ。私は恭也・テスタロッサのデバイス、プレシア。生きるも

死ぬも、主様と一緒ですわ』

「辛いかもしれんぞ? 俺と共に歩くのは」

『支えて見せますわ。私は、マスターの相棒ですもの』

「俺の相棒を名乗るなら、無責任に逝ったりはするなよ?」

『マスターこそ。うっかり殺されたりしないよう、気をつけてくださいましね?』

「了解した。では、共に死ねることを祈って。これからよろしく頼む、プレシア」

『死してなお、貴方のお傍に。私の主様』



 言葉を発しても、心の中に響くのは新たな相棒の声だけ。自分を否定する声も、もはや聞

こえない。



 二度目の旅立ちだった。後悔は、ない。