1、



「この度は、申し訳ありませんでした」



 何を言うよりも先に、膝をついて頭を下げた。



 第97管理外世界、高町家。なのはの音頭により集合し、リンディによる事の顛末が高町

家一同に説明された、その後のこと。



 恭也の正面には、この世界の高町士郎、桃子夫妻がおり、桃子とは逆の側に『恭也』が座

っていた。本来ならばそちらにいるはずの美由希は、恭也の後ろに座している。まだ安静に

しているのが望ましい状態だったが、今晩のことを聞いて強引に医療局から抜け出してきた

のである。外傷は既に完治していたが、立ち振る舞いなどから、美由希が万全でないことは

見て取れる。



 美由希も、今回の事件に巻き込まれて負傷したが、これにリンディ達は全く関知していな

い。説明をしようにも、正確な事情を知っているのは助けに行った美由希のみという有様だ

った。



 関知していなくても、現場で起こったこと。責任者として、一緒に説明することをリンデ

ィは申し出てくれたが、美由希の負傷は自分のためのものであり、自分が我を通したりしな

ければ、ここまでの負傷をすることもなかった。



 我を通したことその物を後悔してはいないが、せめて、負傷の責任くらいは自分で取るべ

きだろうと、美由希と話し合った上でこうすることを決めた。



「君は頭を下げるが……」



 開口一番が、それである。恭也と美由希を見比べて、どういう事情なのかは察したようだ

ったが、士郎も困惑を隠せていなかった。



「何がどういうことなのか、まずは説明してくれないかな」

「俺を助けるために、美由希さんは負傷しました。俺の責任です」



 頭を上げぬまま、答える。管理局の内情も、自分の復讐も、高町の家には関係のないこと

だ。説明と言えるものではなかったが、恭也が言えることは、それで全てだった。こちらに

それ以上説明する気がないことを悟ると、士郎は小さく息を吐き、桃子と顔を見合わせた。

その隣で『恭也』はこちらをじっと、値踏みするように見つめている。



「聞くが、美由希の怪我は深刻なものなのかい?」

「一週間ほどは多少運動に不自由しますが、命に別状はないとのことです。後遺症も残らな

いと、医療局の医師は診断しました」

「今度は美由希に聞こう。お前は、こちらの恭也君に強制されて、戦ったのか?」

「私は、私の意志で戦ったよ。そりゃあ、相手が強くて私も怪我しちゃったけど、後悔はし

てない」

「そうか……なら、俺から言うことはないな」



 後ろ頭をかきながら、士郎は言った。



「美由希の意思で戦いを挑んだ以上、その結果は美由希の責任だ。君が頭を下げることはな

いよ」

「ですが、それでは――」

「君の気が済まないか? なら聞くが、その責任を君が取るとして、君は誰に、何をするん

だい? 治療費も発生していない。美由希にも後遺症は残らないと聞く。本人の意思で参加

して、後悔もしていないんだ。どこに責任を取る余地があるんだね」

「それこそ、気の問題です。俺の事情で美由希さんを巻き込んでしまった。その償いは、す

るべきであると、俺は思います」

「誰がそれを、望んでいなくても? それは、君の自己満足じゃないか。それを俺達に押し

付けるってのは、ちょっと図々しくないかい?」



 淡々と語る士郎の言葉は、一々恭也の心を突いてきた。ただ、謝罪を受け入れてくれたら、

それで終わった話だった。何かをしろと言われればそれをしたし、二度と美由希に近づくな

と言われたら、従うつもりでいた。娘が、死にそうな目にあったのだ。父親なら、それをあ

っさりと許しはしないだろう。



 しかし、その父親は高町士郎だった。恭也の記憶にある父よりも年を重ねて、柔らかな印

象を受けるが、根っこの部分は変わっていない。家族を誰よりも愛する男であると同時に、

根っからの剣士だった。娘と言えど、美由希を剣士として認めているのなら、剣士の理を使

うのも、当たり前のことだった。



「まぁ、君も、美由希も、何事もない。俺はこれでいいと思ってるよ。君の気持ちはそれで

済まないのだろうが、今回は俺の顔を立てると思って、水に流してくれないか」

「申し訳ありません。出すぎたことを申しました」

「自分のしたことの責任を取るなんて、普通は言えないよ。色々言ってしまったけど、そう

いう男ってのは、俺も嫌いじゃない。君みたいな男が美由希の傍に居てくれて、俺も心強い。

どうだい、君さえ良ければ嫁にでも」

「……勿体無いお話ですが」



 条件反射で断りの言葉が口をつきかけた。寸前でそれを飲み込み、オブラートに包んで吐

き出す。背後で美由希が不満のうめき声を上げた。いつものようにデコピンでも打ち込んで

黙らせることの出来ないこの状況が、恭也を僅かに苛立たせた。



 その両方の様子を見た士郎が、苦笑を漏らす。記憶にある父親の笑顔よりも、穏やかな笑

顔だった。



「美由希と、仲良くしてやってくれ。父親として俺が言うことは、これで終わりだよ。君が

責任を感じることはない。俺達や、美由希との関係に、今後それを持ち出すことはしちゃい

けない。約束できるね?」

「天地神明に誓って」



 物々しい言葉使いに、桃子が噴出した。それで、居間の重苦しい雰囲気は、一気に霧散す

る。士郎さえも、大きく息をついて、ソファーに寄りかかった。成り行きを見守っていたフ

ェイトなど、ハンカチで汗を拭う作業に余念が無い。



「君からの話は、これで終わりかい?」



 頷いた。隠し立てするようなことなどなかったし、言うべきことは全て言った。そして、

彼らと話したいことはない。立ち去るべきだと判断し、リンディに視線で促す。日陰部署で

暇な自分と違い、リンディは事件の処理で忙しい。時間はいくらあっても足りない。



「では、私達はこれで失礼させていただきますわ」

「もう? 貴女は甘味に目が無いと聞きました。妻に用意させますが、いかがです?」

「魅力的なお誘いですが、仕事が詰まっておりますの。またの機会にお願いいたします」



 立ち上がるリンディに、恭也も追随した。士郎もそれで諦めたようだ。送ると言い、揃っ

て玄関まで。仕事が詰まっているリンディと、クロノが先に玄関を潜る。それを追う様に恭

也も外に出た。フェイトは一緒ではない。すずかの家で――フェイトやなのはとも、共通の

友人であったらしい――クリスマスパーティをやるのだそうだ。少女だけで夜道を歩くのは

危険だからと、士郎が車を出すことになっている。リンディとクロノは仕事。恭也は一人、

アルフの待つ、この世界のハラオウン邸に帰ることになる。



 短い挨拶をして、二人と共に高町家を後にした。しばらく歩いたところで、恭也の電話が

鳴る。着メロは剣の舞――美由希である。リンディとクロノが足を止めた。二人に、先に行

ってくれと手を振って合図した。その態度にクロノは軽く顔を顰めたが、苦笑したリンディ

が彼を連れて行く。彼らが遠ざかったのを確認して、電話に出た。



『こんばんは』

「さっき別れたばかりだろう。まさか、俺の声が聞きたくなったなんて、寝ぼけたことを言

うつもりじゃないだろうな」

『当たらずとも遠からずかな――あ、待って切っちゃだめ』



 電話を耳から遠ざけたのが、音でわかったのだろう。美由希の声が切羽詰った物になる。



「……用件はなんだ。態々電話をしてきたくらいだ。詰まらない用件ではないのだろう?」

『そりゃあそうだよ。ちょっと代わるね』



 誰に、と問う前に、美由希でない人間が電話に出た。



『もしもし、恭也さんですか』



 心臓が止まりそうになった。聞き覚えのある声だったが、努めて耳に入れないようにして

きた声だった。電話の向こうでは、恭也であるかと問うた。答えない訳にはいかない。



「ああ、恭也だ。姉上の電話を使うなどという回りくどいことをしなくても、デバイス経由

で通信が出来たはずだが」

『それだと、繋がらないかもしれなかったから、お姉ちゃんに頼んで電話を借りました』



 弾んだ声ではない。聡い少女だった。かもしれないではなく、確実に繋がらなかった。よ

ほど火急の用件でなければ、プレシアはレイジングハートからの通信を繋げないだろう。何

をしろとプレシアに指示したことは無いが、意は汲んでくれている。



「それで、どういったご用件かな」

『恭也さん、フェイトちゃんのお兄さんなんですよね』

「恥ずかしながら、そうなっているな。俺には過ぎた妹だ。君とは仲良くしてもらっている

ようで、感謝している」

『そんなこと。フェイトちゃんは、私の友達ですから』

「知っているかとは思うが、あれは今まで人と付き合うということをしてこなかった。どう

か末永く付き合ってやってほしい」

『もちろんです』

「で、だ。それが言いたかった訳ではないのだろう?」



 電話の向こうは無言である。強く言い過ぎたか……しかし、他に聞き様はなかった。



「俺がフェイトの兄であることは、今に始まったことではないし、お前も知っていたことだ。

電話までして、今更確認することではないだろう? 俺に言いたいことがあるのなら、言う

といい。今の俺は逃げもしないし、隠れもしない」

『……私のことを、許してもらえませんか?』

「許す? 君は俺に、何かしたのか?」

『何もしてません。でも、許してほしいんです』

「話が見えないな。何もしていないのなら、許すも何もないだろう」

『でも、恭也さんは怒ってます。私、ドジだから、恭也さんが怒るようなことをしたんじゃ

ないかって』

「だから、許してほしいと、そういうことか」

『そうです。許してくれますか?』



 許す。ただ一言そう言えば済むことだったが、そのためには怒っていることを認めなけれ

ばならない。



 なのはを、意識しているのは事実だった。可能な限り接触を避けてはいるが、話しかけれ

ば答えるし、拒絶をしている訳ではない……というのは言い訳なのだろう。なのはからすれ

ば、嫌われているとしか思えないことを、彼女にだけしてきた。他の人間に対するよりも、

風当たりは強かっただろう。自分ですらそう思うのだから、当事者であるなのはが怒ってい

ると思うのも、理解できる。



 だが、確かな抵抗があった。似ているのに、かけ離れている。



 例えば美由希も似ているが、これは恭也自身の知る美由希と、大差はない。士郎も、桃子

も、話してはいないが『恭也』も、そこまでの乖離はないだろう。



 なのはだけが、違った。恭也にとってなのはとは、家族の中で最も守らなければならない

存在で、か弱い存在だった。心根の優しい少女で、自慢の妹だった。決して自ら武器を取っ

て戦うような少女ではなかったし、そうしようとしても、自分が、美由希が、全力で止めた

だろう。



 違うのだ。それを認識していれば、似ているかどうかなど、どうでもいいことのはずだっ

た。故郷を捨てたのだ。今更何に、拘る必要がある。



「……許す」



 その言葉を口にした瞬間、自分の中で何かが崩れた気がした。



『本当ですか?』

「ああ、俺はくだらない嘘はつかない」

『なら、あの、お願いがあるんですけど……私のこと、フェイトちゃんみたいに、名前で呼

んでくれますか?』

「なのは」



 崩れた何かが、霧散していく。掻き消えたはずのそれが、心を蝕んだ。



『よかった。これからはずっと、そう呼んでくださいね』

「これから、クリスマスパーティなのだろう。すずかにはよろしく伝えておいてくれ」

『すずかちゃんと、お知り合いなんですか?』

「それはまた、別の機会に。美由希に代わってもらえるか?」

『――はいはーい、美由希さんですよー』

「お前、後で私刑」



 返事を待たずに電話を切った。



 何気なく頬に手を当ててみる。悲しくはあったが、涙は出ていなかった。




































2、



「おっかえりー」



 第97管理外世界のハラオウン邸に帰ると、アルフが出迎えてくれた。廊下を駆け、飛び

つこうとしたようだったが、床を蹴る寸前で急ブレーキをかけた。鼻を押さえて、一歩、二

歩と後退る。



「なんだい、この臭いは!」

「少し魔が差してな。根源は捨ててきた。心配はしなくていい」



 外の自動販売機で煙草を買い、たまたま拾ったライターで火を点け吸って見たが、咽るだ

けで終わってしまった。ハードボイルドは、自分には合わないらしい。ほとんど残っていた

煙草は、ゴミ箱に放り捨ててきたが、服についた臭いまでは消えない。嗅覚の鋭いアルフは、

その臭いがおきに召さなかったらしい。



 靴を脱いで部屋に上がるものの、いつもより距離を取られる始末だった。こんなことにな

るのなら、吸うのではなかったと、火を消した直後よりもさらに後悔する。



「フェイトはパーティだって聞いたよ。あんたは行かないのかい?」

「少女ばかりのパーティに、俺が参加していいはずもなかろう」



 それでもフェイトは誘ってくれたが、アルフに答えたのと同じ理由で断った。フェイトの

兄であると、誰を経由したのか知ったようで、すずかからも同じ誘いがあったが、これも断

っている。クリスマス当日の男の行動としては、贅沢な話だった。



「何か食べるかい? 簡単なものだったら作れるけど」

「気遣いはありがたいが、食欲がない。出来ればすぐに休みたいんだが、俺の部屋はどこだ」

「案内するよ」



 アルフの後について、部屋に入る。梱包されたままの荷物と、ベッド、それに机だけの部

屋だった。元々私物が少なかったせいか、さらにがらんとして見える。



 なんとなく、ベッドの上に腰掛けた。アルフは当たり前のように、隣に座る。



 眠る時、同じ部屋にアルフがいることは、珍しいというほどでもない。狼の姿で、ベッド

の脇で眠っている。一週間の内に多くても二度ほど。フェイトの使い魔であることを考えれ

ばそれでも破格の扱いと言えるが、フェイト自身が許しており、アルフもそれを望んでの行

動だった。



「何があったんだい?」

「……どういう意味だ」



 アルフが、膝の上に頭を乗せてくる。こちらを見つめながら両手を挙げ、頬を包み込んだ。



「顔に書いてあるよ。何か、嫌なことがあったんだろう? あたしで良ければ聞くよ。話し

てごらん」

「話すほどのことじゃない」



 膝から頭を挙げ、背後に回る。腕を回され、抱きしめられた。耳に顔を寄せたアルフが、

囁くように言った。



「話すほどのことだろう? あんたがそんな顔するなんて、よほどのことじゃないか」

「俺は、それほど酷い顔をしてるか?」

「してるよ。凄く悲しそうだ」



 抱きしめる腕に、力が篭った。その腕に頬を寄せ、目を閉じる。心のう内から、様々な物

が去来した。努めて言わずにいた言葉を口にしたその時に、失ったはずのもの。今さら縋っ

ていいはずもないそれが、また心を少しずつ蝕んだ。



「俺は――」

「なぁ、キョーヤ。フェイトもあたしも、あんたに随分と助けられた。感謝してるし、今じ

ゃ本当の家族だと思ってる。だからさ、あんた一人で全てを背負い込むことは、ないと思う

んだ。だから――」



 アルフの瞳が、全てを見透かすように、見つめてくる。



「誰にも言えないような悲しいことがあったとき、何となく寂しくなったときとか、泣いた

りしたくなった時は、あたしのところに来ればいい。来てくれたら……あたしは凄く嬉しい。

あたしは頭が悪いけど、一緒に悩んだり、一緒に泣いたりくらいは出来るから」

「随分と、男らしいことを言うじゃないか」

「今のキョーヤは女々しいんだから、男らしいくらいでちょうどいいのさ」

「かもしれんな」

「で、あたしの前で泣いてくれるのかい?」

「冗談だろう。俺の涙はそこまで安くはない」



 苦笑を浮かべたのは、せめてもの強がりだった。嬉しさで涙が出そうだったが、頬はやは

り乾いたままだった。泣くものと決め付けていたアルフは不満そうだったが、出ないものは

仕方が無い。



「さて。フェイトは泊まりだと言うし、クロノも提督閣下も今日は帰らん。先も言ったよう

に俺はもう休むつもりだが、お前はどうする?」

「この部屋に居ても構わないかい?」

「ならば敷物を持ってこよう。いくら毛皮に包まれていても、直に座るのは冷えるだろう」

「敷物なんて、いらないよ。元の姿には、戻らない。今日はずっと、人のままでいる」

「……何のつもりだ?」

「あんたがどこかに、消えちまいそうだからね。今日はずっと、あんたと一緒にいる」

「添い寝をしてもらうような、年でもないぞ?」

「なら、何をするのが相応しいか、解るってことだね?」



 身体の一切が止まったような気がした。自分の心臓の音さえ、どこか遠くに行ってしまっ

た、そんな気がする。身体をぴたりとくっ付けたアルフの、鼓動と体温。感じるのはそれだ

けだった。



 以前にも、こんなことがあった。その時はフェイトのおかげで、何事もなかった。今は、

二人だけだ。抱えていた問題は片付き、ここを訪れるような人間もいない。正真正銘、二人

だけだ。



 体重をかけられて、向かい合うようにして、ベッドに倒れこんだ。見詰めあう。この前は

頑なに拒否した。何がそうさせたのか、自分でも解らないくらい、心が頑なになっていたの

だ。



 だが、今度は違った。どちらともなく瞳を閉じ、唇を重ねた。大人しくなったアルフを押

しやり、組み敷く。薄暗い部屋で、さらに自分の身体が影になったが、アルフの姿だけはは

っきりと目に映っていた。



「……自分で言ったことだけどさ、少し、驚いてるよ。あんた、こういうことが出来たんだ

ね」

「怖いか?」

「驚いた、それだけ。後は、嬉しい。思ってたよりも、ずっと」

「言っておくが、俺にはこういう経験がないからな。上手くいかなかったとしても、俺を責

めるんじゃないぞ」

「そんなの、あたしだってそうさ。二人で頑張る。それでいいだろ?」



 腕の下で、アルフが笑った。釣られて、恭也も笑う。



「あたしだけを愛さなくてもいいからね」

「いきなり何を言い出す」

「小さく固まるなってことさ。たった一人に縛られていたら、あんたみたいな不器用な男は、

守れるものも守れなくなるだろ?」

「俺に不誠実に生きろというのか」

「誰かと番になろうって時までは、それでいいだろうさ。その時になって、それでもあたし

と番になりたいと思ったら、その時には愛してるとでも言ってほしいかな」

「番になりたいと思うのは、違う相手かもしれないぞ?」

「その時は、あんたを殴ってから祝福してやるよ」

「……今は、お前だけを見ることにする」



 アルフの手が背に回る。もう一度、今度はゆっくりと唇を重ねると、アルフの服に手をか

けた。

































3、


「ただいまー」



 挨拶には、アルフが答えた。昼食を作っているらしく、食欲をそそる匂いが、玄関にまで

漂っていた。靴を脱ぎ、リビングまで行くと、食卓に座って新聞を読んでいる恭也が見える。

その姿がテレビで見た『お父さん』のようで、フェイトは思わず噴出した。



「どうした?」

「なんでもない」



 正直に答えたら、恭也は落ち込んでしまうだろうが、お父さん、と呼んで恭也に甘えるの

も、悪くない気がした。今でも言えば甘えさせてくれるのだろうが、お父さんになったら、

もっと自然に甘えられると思う。



 なのはの家のお父さんは、そんな感じだった。なのははあまり甘えないと言うが、今まで

いたことがなかったからなのか、フェイトは少しだけ、お父さんというものに興味を持って

いた。



 だが、恭也をお父さんに仕立て上げるのが良くないというのも、理解していた。お父さん

になっては、お兄さんではなくなってしまうのだ。今よりもずっと甘えられるのは魅力的だ

ったが、お兄さんがいなくなるのは困る。お父さんでお兄さんだと素晴らしいが、どっちも

というのは流石に欲張りだろう。欲張りなのは、悪いことだ。



「パーティは楽しかったか?」

「うん。プレゼント交換とかしたんだよ。私はすずかのプレゼントが当たったんだ。暖かそ

うな手袋が、二組。もらい物だけど、こっちは恭也にあげるね」



 言って、鞄の中から黒い手袋を取り出して、恭也に渡した。自分も、薄い黄色の手袋をし

てみせて、恭也の前で振ってみる。恭也はじっ、と手袋を見つめていたが、少しだけ微笑む

と、手にはめてみせた。



 自分よりも身体の大きい恭也がすると、いくらか小さく見えたが、黒い手袋は誂えたかの

ように、恭也に似合っていた。



「フェイトー、ご飯は食べるんだろ?」

「うん。手伝おうか?」

「いいよ。恭也と一緒に座ってな」

「うん――うん?」



 何か可笑しなことがあったような気がして、フェイトは首を傾げた。周囲を見回して見る。

特に変わったことは何も無い。家具の配置はそのままだし、恭也も難しい顔をして新聞を読

んだままだった。



 勘違いだったのか。そう納得しそうになったところで、昼食をお盆に載せたアルフがやっ

てきた。恭也が新聞を畳み、無言で配膳を手伝う。妙に息の合った動きが、可笑しいと言え

ば可笑しかった。



「何かこうして三人で食べるのも、久し振りだね。それも恭也が、あの連中に捕まってたせ

いだけど」

「今後は捕まらないよう、鍛錬は欠かさないことにする。これを食べたら、公園でも走って

こよう」



 二人で、笑いあっていた。何か、面白くない。



 だが、久し振りにそういう感情を持ったことで、何が可笑しいのかに気づくことが出来た。



「アルフ、いつから恭也って呼ぶようになったの?」

「恭也は最初から恭也だろ。何を可笑しなこと言ってるんだい」

「そうじゃなくて。昨日までキョーヤだった。どうしてちゃんと呼べるようになったの?」

「どうしてって……さぁ、何でだろうね。特には思い当たらないけど」



 じっ、とアルフの目を見つめた。アルフは純粋なので、嘘をつくことができない。何か、

隠れて悪いことをやった時も、フェイトはこの方法で看破してきた。何かを隠している。

フェイトの直感はそう告げていたが、アルフの瞳は、『何も疚しいことはない』と言って

いた。



「……あれ?」

「不思議に思うのも分かるけど、ちゃんと呼べるようになったんだから、いいことだろ?」

「そうだね。私も、嬉しいよ」

「なら、ご飯にしようか」



 アルフが恭也の向かいに座り、フェイトが恭也の隣。三人一緒に手を合わせて、いただき

ます。小さなことだったが、恭也がやろうと言い出して、三人で守っていること。三人だけ

の食事の時には、必ずやっていた。



「どうだい、美味しいかい、フェイト」

「うん。美味しいよ、アルフ」



 三人でいる時、料理をするのは概ねアルフの役割だった。フェイトや恭也もやるにはやる

が、あくまでも手伝いで、テスタロッサ家に並ぶ料理のほとんどは、アルフの作品だった。

る。



 だから、自分や恭也の好みを良く把握していて、料理にもそれが生かされている。今日の

料理にもそれが良く出ていて、実にフェイト好みの味付けになっていた。



 食事をしていたアルフの姿が、目に入った。今度は可笑しいな、ではない。明らかに変わ

っていることに、フェイトは気づいた。



「アルフ、お腹出さなくなったの?」



 着ている服が、変わっていた。相変わらずスタイルの良さを強調する服に違いはないが、

頑なに出していたお腹が、見えなくなっていた。他にも全体的に、露出が抑えられている。



「あたしもずっと同じ服だったからさ、たまには違うのも着てみようって思ってね。布地の

部分が増えたから、もしかしたらほんの少しだけフェイトに負担かけてるかもしれないけど、

それくらいは、許しておくれよ」

「それはいいんだけど……その、どうして?」



 理由は、聞いたばかりである。それを、フェイトは納得できないでいた。自分もそうだが、

アルフはそれ以上にオシャレというものに興味がなかった。この世界での任務に従事すると

決まった時、リンディが服を買ってくれると行った時も、アルフは頑なに拒否していた。



 そんなアルフが、今日になっていきなり服を変えた。何かあったのだ。それも、自分がい

なかった、昨日の夜に。



 それが何かまでは解らなかったが、フェイトは今度こそ確信した。恭也は黙々と、昼食を

食べている。何故だろう、会話に混ざってこないことが、凄く不自然に思えた。



「恭也」



 食事を止めた恭也の瞳を、覗き込んだ。アルフと同じように、嘘を見抜く。そのつもりで

やったのだが、力の限り覗き込んでも、恭也の瞳は聊かも揺るぎはしなかった。



「何か、あった?」

「お前が心配するようなことは、ないな」

「本当に?」

「本当だ。俺はお前に、嘘などつかない」

「この世界では、嘘ついたらハリセンボンなんだって」

「ハリセンボンを飲むようなことは、していないぞ」



 また、恭也の瞳を覗き込む。嘘をついていないことは解った。でも、恭也が何かを隠して

いて、それにアルフも関わっていることは、何となくだけど解った。



 それが、少しだけ寂しい。



 でも、どんなに親しい仲でも秘密はある、とすずかに教えられた。秘密を持つこと事態は

悪いことではないのだ。



 それに、フェイトも恭也に秘密を持っていた。友人として、すずかから打ち明けられた、

恭也に対する重大な秘密。これを追求されたら、フェイトだって黙るしかない。



 だから、秘密を持っているからと、恭也に怒るのは筋違いだ。それは、解る。解るのだが

……



 目の前では、恭也とアルフが何やら視線で通じ合っていた。恭也に念話は出来ないから、

本当に視線を合わせるだけ。自分には解らない、秘密の符丁。



 テーブルの下で足を振り上げ、思い切り恭也足を踏みつけた。驚いた恭也が、反射的に

腰を浮かしてしまい、テーブルの裏で、膝を打った。突然の音にアルフが目をむいたが、

恭也は無言で痛みに堪えていた。



 いい気味だ。家族になって初めて、そう思った。