「良く来てくれた! ヴォルケンリッターの諸君!」



 ザフィーラを除いたシグナム達、ヴォルケンリッターを連れて特共研にやってきた恭也を

迎えたのは、上司であるリスティの満面の笑みだった。



 こうして笑顔を浮かべていると、その華奢な身体つきと整った顔立ちもあって年相応に可

愛らしいという印象を受けたが、リスティが笑顔を浮かべている時というのは、ロクなこと

がないことを、恭也は経験として知っていた。



 先頭に立っていた恭也だったが、その笑顔に本能的に恐怖を覚え、とっさに脇に避ける。



 普段であればそういう恭也の態度に突っかかりもしたのだろうが、よほど機嫌がいいのだ

ろう。恭也など、まるでここにいないかの如く脇を通りすぎ、恭也が退いたことで先頭に立

つことになったヴィータの手を握り、ぶんぶん上下に振った。



 無理やり握手をさせられたヴィータは、迷惑そうに自分よりも少しだけ身長の高い管理局

の技術者を見やった。



「キョウに頼まれたから着てやったぞ。お前がここのボスか?」

「そうだよ。僕はリスティ・シンクレア・クロフォード。よろしく、ヴィータ」

「手短に言ってくれよ。あたし達だって、暇じゃねーんだ」

「手短ってのは無理な相談だ。でも、君達にも悪い話じゃないと思うよ? 僕達の頭脳で、

君達を強くする……今日はそういう提案をしたくて、君たちをお招きしたんだ」

「強く? はっ、お前ら何かに、あたし達の何が分かるってんだ。お前達を頭を使ったくら

いで、強くなれるもんか」

「そうかい? 君達と戦った、高町なのはや、フェイト・テスタロッサ。最初は君達が勝ち

を収めたらしいけど、後々は苦戦したそうじゃないか。聞けば、デバイスにカートリッジシ

ステムを導入したことが原因らしいね。その勝利は僕達……まぁ、所属は違うし、僕達は奴

らのことをライバルだと思ってるから、一概に仲間とは言えないんだけど。とにかく、管理

局の技術者の頭脳によって、その勝利は導き出されたんじゃないかな」



 リスティの物言いに、ヴィータはこれ見よがしに舌打ちする。



 ヴォルケンリッターの誰一人として、管理局に負けた、とは思っていない。恭也には落ち

着いて見えるシャマルやザフィーラさえ、自分達の技術には誇りと自信を持っている。フェ

イト達がカートリッジシステムを持ち出してきたことは、ヴォルケンリッターにしてみれば

自分達の技術を盗まれた、という形になるのだった。



 勝負の世界だ。



 それを卑怯だと言うような、物の解っていない人間はヴォルケンリッターにはいなかった

が、口に出さないからと言って、何一つとして胸に痞えていないという訳ではない。



 紆余曲折を経て、ヴォルケンリッターの主であるはやては、管理局で働くことを決めた。

はやてにすればそれだけのことだが、彼女に内緒で管理局と戦い、敵と見定めていたヴォル

ケンリッターには、割り切れない物がある。



 それが、ヴィータの態度にも出ていた。まだ敵であるのなら、手を借りる訳にはいかない。

仲間以外の手を借りることを、ヴォルケンリッターは好まないのだ。



 だが、そんなものはリスティには関係がない。彼女の頭にあるのは、自分の価値観の範囲

内で、知識欲を始めとした数多の欲を満足させることだった。



「想像してみて欲しい。高町なのは達は、僕達の力を借りた『だけ』で、それまで苦戦して

いた君達と、いい勝負をするようになったんだ。君達も、僕達の力を受け入れれば、以前通

りの力関係に戻るんじゃないかな。小憎らしい魔導師を、叩きのめせるんだ。気分のいいこ

とじゃないかい?」

「……まぁ、悪いことじゃないと思うけどよ」



 ヴィータの表情が、和らいでいた。提案に興味を示し始めているのは、リスティにも理解

出来るだろう。シグナムかシャマルが話に加わるかと思ったが、その気配がまるでない。ど

うでもいい、と考えているはずはないが、この提案に関してはヴィータに選択を任せる。そ

う思い定めているようだった。



「強くなるんだ。それ自体はいいことだろう? 強くなれば敵を倒すのにより時間をかけな

くても済むし、時間が出来れば、君達が主様のために時間を割くことも、今よりもっと出来

るようになる。大好きだろう? 主様のことは」



 当然だ、とても言うように、ヴィータはそっぽを向いた。これが例えば恭也自身が相手で

あれば、言葉と共に拳でも飛んできたのだろうが、他人相手にそういうことを口にするのは、

照れがあるらしい。それが解ったシグナムとシャマルが、苦笑を浮かべた。



 釣られて恭也も口の端を上げかけたが、ヴィータの後ろにいる彼女らと違って、この位置

では目についてしまう。ここでヴィータの機嫌を損ねては、リスティに何をされるか解った

ものではない。



 努めて顔を引き締めると、耐え切れずにシグナムが噴出した。ヴィータが不審そうな目を

シグナムに向けたが、何でもない、とシグナムが手を振ると、それ以上は気にしなかった。



「で、返答やいかに」

「本当にあたしのアイゼンを強くしてくれるんだろうな?」

「それはもう。僕達の科学者の矜持に賭けて」

「アイゼンを傷物にしたら、ぶっ殺す。それでもいいか?」



 ヴィータの物言いは、はっきりと殺気を込めたものだったが、シグナムやシャマルにはも

ちろんのこと、まだ付き合いの浅い恭也にさえ、ヴィータが本気でないことは解った。



 だがそれは、身内であるからこそ理解できたことで、他人に、それも戦闘とは縁のない技

術者であるリスティに理解しろというのは酷なことだろう。



 しかし、リスティはヴィータの殺気を受けてもなお、平然としていた。そういう気配に慣

れている恭也でさえ、息苦しさを感じるほどの殺気だ。多少鈍感な人間でも、これを感じな

いはずはないのだが、リスティは普段と変わらぬ様子で、言葉を紡いでいた。



「君達が戦場で命を賭けるのなら、僕達も何処かでそうしないと、フェアじゃないからね。

仕事の不始末に対して、君達が僕の首を求めるのなら、喜んで首を差し出そうじゃないか」



 恐れを微塵も抱いていないらしいリスティに、今度は逆にヴィータが後退った。



「……おかしな奴だな、お前。死ぬのが怖くないのか?」

「そりゃあ怖いさ。でも、僕達の仕事で君に不利益をもたらすなんて、考えられない。自慢

じゃないけど、僕達は管理世界一の頭脳だよ? 他の連中に出来て、僕らに出来ないことは

何もない」



 言葉通り、リスティは自分と部下達の頭脳を微塵も疑っていなった。人間は何処かで、自

分に自信を持てぬものだが、彼女はその例には当てはまらないらしい。上に立つ者の心根は

伝染するもので、リスティ程ではないものの、特共研の職員達は皆、自信家である。



 そんな女性ばかりであるから、唯一の男性である恭也は肩身が狭くてならない。抗議をし

ても周囲がそんな状況であるので、恭也の言葉が取り上げられることもなかった。



 それを押して抗議の声を挙げても、相手を喜ばせるだけ喜ばせて、からかいをエスカレー

トさせるだけなのである。



「……解った。あたしのアイゼンを任せてもいい。シグナム、シャマル、お前達はどうする

んだ?」

「以前の我々であれば、恭也以外の管理局員の手など借りなかったのだろうがな。主はやて

の決定により、我々もその管理局員となりそうだ。提案を呑むのも吝かではない」

「恭也さんの紹介なら、間違いもないでしょう。強くしてくれるというなら、私達に断る理

由はないわ」



 二人にはヴィータ程に抵抗はなかったらしい。物言いは、恭也が拍子抜けする程にあっさ

りとした物だった。



「ならば膳は急げだ。デバイス担当の技術者が手薬煉引いて待ってる。どんな注文でも、付

けるだけなら無料だ。ドリルでもジェットでも、今なら思いのままだよ」



 それはリスティなりの冗談だったのだろうが、言葉を聞くヴィータはにこりともしない。

彼女のグラーフ・アイゼンには、そのどちらも既に装着済みだった。



 だが、そのヴィータに天啓が走った。自分の考えを確めるように数度頷くと、ヴィータは

その天啓を、今生で最高の物として口にした。



「あたしは敵を、光にしたい」

「……なんだって?」

「だから、敵を光にするんだ。あたしのアイゼンで叩きのめした敵が、光になって消えるん

だ。そんな風に、アイゼンを改造してくれ」



 唐突な思いつきにしては、具体的な要望である。案の参考になるような『叩いたら敵を光

にする何か』があることをリスティは察したようだったが、自他ともに認める優秀な技術者

である彼女は、数瞬だけヴィータの案を検討した後に、苦笑を浮かべた。



 それで、ヴィータ案の実現が難しいのだということを、恭也は悟った。なぁなぁ、と袖を

引きながら容姿そのままのお願いをするヴィータに、優秀な頭脳を駆使し、納得してもらう

だけの言い訳を考えていた様子だったが、やがて、リスティにしては珍しい縋るような視線

を向けてきた。



 恭也が苦笑を浮かべると、流石にリスティもむっとしたようだったが、科学者として期待

を煽るだけ煽ってしまった手前、そのヴィータを納得させるだけの魅力的な案を、リスティ

は持っていなかったのだ。悔しそうにリスティが救援求むのサインを出すと、いくらか気分

の良くなった恭也は、無意味に年長ぶってヴィータに歩み寄った。



「借り物の案をそのまま採用するのは、どうかと思うぞ、ヴィータ」

「何だよ、光になれ! ってかっこいいじゃねーか」

「言うだけならば今すぐでも出来るぞ。お前が満足するなら、敵の役を俺がやってもいい。

無論、光になるとう芸当は俺には出来んので、悲鳴を挙げて転がるくらいで勘弁してもらえ

ると嬉しいが」

「それじゃ、子供のごっこ遊びだろうが!」



 そう激昂するヴィータは、まさしく子供だった。様子を見ていた他の職員が、吼えるヴィ

ータを微笑ましく見守っている。かわいー、という声も恭也の耳には届いていたが、エキサ

イトしたヴィータには、周囲の声など耳に入らなかったようだった。



「パワーアップするって言ったのはこいつらだろ! 注文つけて、何が悪いんだよ」

「どうせ要望するなら、自分で考えた物をつけてもらった方が得だ、と言っているのだ。幸

いこの部署には、優秀な技術者が揃っている。お前が案を出せば、それをお前の想像する以

上の作品に仕上げて、アイゼンをパワーアップさせてくれることだろう。その方が、お前や

アイゼンのためにもなると思うのだが……」



 どうだ? と問うと、ヴィータは腕を組んで唸り始めた。出会った当初は口を開けば拳が

飛んできたものだったが、今ではこうして話を聞いてくれるくらいの関係になれた。それで

も思慮深いとは言えないヴィータだったが、拳が飛ぶよりはマシである。可愛らしい、幼女

然としたヴィータに、口汚く罵られながら殴られて喜ぶ趣味など、恭也は持ち合わせていの

だ。



 ほどなくして、ヴィータは恭也の案に乗ることを決定した。



「あたしについてこい」



 と、リスティの案内よりも先に駆け、デバイス担当の技術者達を引き摺っていく。シグナ

ムは苦笑しながら、シャマルは微笑みと共にこちらに手を振りながら、ヴィータの後に続い

た。



 ともあれ、これでヴィータの無理な発案を防ぐことは出来るだろう。一緒に案を詰めるの

なら、技術者の考えも介在する余地がある。近年に実現可能な範囲でパワーアップは、これ

で約束されたようなものだ。現実的な範囲でなら、恭也・テスタロッサの同僚達は、間違い

なく優秀なのだから。



「助かったよ」

「敵が光になる様を見れなくなったのは、聊か惜しいような気もしますが」

「よほどの天才でも現れない限り、理論も確立してないような技術を実用化するには、十年

単位の時間がかかるもんだ。ヴィータお嬢さんの気が長いならそれでもいいけど、何時にな

るか分からないものに、付き合わせる訳にもいかないだろ?」

「でも、デバイスのパワーアップは出来るので?」

「ミッドにベルカを追加してパワーアップしたんだ。その逆でも、得る物はあるだろう」

「皆が満足してくれるのなら、俺から言うことはありませんが……」

「もっとも、君が気を利かせて八神のお嬢さんに口を利いてくれていたら、呼びつけるなん

てことはしなくても良かったんだけどね……」



 ねぇ? とリスティは睨み挙げてくる。本局技術部にユニゾン・デバイス――空に帰った

リインフォースの名を受け継ぐデバイスの作成を、はやては早々に決意した――の開発を補

助する権利を、身内がいるのにも関わらず持っていかれたことを、事在るごとに突いてくる

のだ。



「しかし、古代ベルカ式のデバイスを見る機会なんて、そうない。彼女らのデバイスに詰め

込まれた技術は、僕達をより優秀にしてくれるだろう。結果だけを見ればプラスだけど、今

後こういうことはないようにしてくれよ? 何処に何が転がってるのか、分からないんだか

らね」

「肝に銘じておきます。さて、仕事に戻ってもいいですか?」



 ヴォルケンリッターを連れてはきたが、恭也の仕事は無論、それだけではない。先日使用

した戦闘服のレポートは慣れないながらも完成したが、それ以外にも魔導師でなくとも使え

ることを前提にしたアイテムの数々を使用し、それらのレポートを書くことが、最近の恭也

の日課となっていた。



 異なる部署の要請によって派遣されればそちらの仕事が優先されるが、得意先であるアー

スラもグランガイツ隊も、今は特に手を必要としていないとのことだった。



 そんじょそこらの魔導師よりは強いという自信が恭也にはあったが、管理局に入局して約

半年。自分という存在が周知されるには、まだまだ時間がかかることだろう。今は出来るこ

とをするしかないのだ。



 鍛錬を欠かすことはないが、ゼストやクイント、認めるのは癪に障るが、クロノのような

実力者と戦っていないと、感性が鈍ってしまう。事に、この世界は魔導師を中心にして動い

ている。恭也自身、魔導師との戦闘経験は豊富とは言い難い。レポートよりもどこかの魔導

師隊にでも派遣してもらって、訓練に混ぜてもらうだけでも良かったのだが、世の中上手く

はいかないものらしい。



「すまないのだけど、もう一つ仕事に付き合ってくれないかな」

「それは構いませんが……俺はアホですよ? 貴女の仕事に付き合えるとも思えんのですが」

「君の学識には誰も期待してないよ」



 リスティは苦笑する。期待される程の知識がないことは事実だったが、はっきりそう言わ

れると、流石に恭也も傷付いた。



「で、学識のない俺は何をすればよろしいので?」

「実はこれから面接をしなきゃいけないんだ。質問は僕がするけど、君にもその人物を見定

めてほしい」

「嘱託職員の面接など、請け負っていたのですか?」



 実は、もう面接の相手を待たせているという。ヴィータ達が消えた方とは逆の、会議室な

どがあるエリアに向かいながら、過去の記憶に思いを馳せた。



 身近なところではフェイトが嘱託職員であるが、管理局で働けるようになるまでに、いく

つもの筆記試験と、実技試験が突破している。方々から聞いた話によると、それらは相当な

難関だそうで、フェイトくらいの年齢で合格するのは、非常に珍しいことなのだそうだ。



 正規の採用試験は、年に一度である。それを受けずに中途採用を目指すのだから、ハード

ルが上がるのも当然であるが、フェイトが受けた試験というのは魔導師の嘱託職員試験だ。



 リスティは魔導師ではなく、技術者である。魔導師の試験の監督をするようには、恭也に

は思えなかったのだが、リスティ自身の言葉で疑問は氷解した。



「君の妹さんが受けたのは局が行っている嘱託試験で、主に魔導師が対象になる。前線に出

て、部下が与えられることもあるから、書類審査も試験も、面接も何度も行われる。それと

は別に、課、部などの団体が個別に職員を雇うことを申請することも出来るんだ。こっちは

主に事務員とか、技術者を相手に行われる。隊舎の寮母さんとか、食堂のおばちゃんとかが

そうだね。最終的には人事課課長と、運用部部長の判子が必要だけど、ある程度は団体責任

者の裁量に、採用が委ねられるんだ」

「つまり、うち限定で働く職員の面接を行う……そういうことですか?」

「Yes.僕としてはもう採用は決定してるから、後は本局の魔女の判子だけが問題なんだ。

実力は保障できるし、多分大丈夫だとは思うけど、書類は君が直接、女史の所にまで持って

行ってくれないかな」

「どうして俺が……」



 タイムリーなリスティの指名に、件の人物に対して身に覚えのある恭也は、人知れず背中

に冷や汗をかいた。レティがあることないこと言いふらすとは考え難かったが、火があれば

煙は立つものである。勘のいいリスティのことだ。何もヒントがなかったとしても解に行き

着くことくらい、平気でやってのけるかもしれない。



 それに昨日、臨時収入が入ったと上機嫌のリンディに、フェイトやアルフも一緒に夕食を

ご馳走になったばかりだった。漏れるところには、漏れているのだ。



 それはあまり広まって欲しくない類の秘密であり、恭也の周囲の人間の中でもリスティは、

ダントツでその類の秘密を知られてはいけない人間の一人だった。技術者として上司として、

尊敬すべき点の多いリスティだったが、こと人間関係のゴシップについては、恭也を辟易さ

せている。世界は変わっても、彼女はリスティなのだということを、自覚せずにはいられな

い瞬間だった。



 だが、恭也の内心を他所に、リスティの物言いは実にあっさりとしていた。



「女史は優秀な美青年に目がないって噂だからね。君は学歴は壊滅的だけど、腕っ節は強い

し顔もいい。後はトークの腕さえ何とかすれば、本局の魔女も落ちるだろう。我が部の発展

は君にかかっている。心して任務に当たってくれたまえ」

「任務というなら行きますがね……」



 リスティに気づかれないよう、静かに安堵のため息をもらす。



「僕ほどではないけど女史も良い女だから、お近づきになっておくのも、悪いことではない

と思うよ? 何しろ、運用部の責任者だからね。彼女を抑えれば、管理局の全ての流れは思

いのままさ」

「魅力的な提案ではありますが、俺は別に、管理局を支配しようとは思っていませんので」

「ストイックなのは君の魅力の一つだと思うけど、無欲過ぎると人生損するよ? 適度なら、

金と権力ってのは持っていても損はないんだ。僕が言うのも何だけど、人付き合いってのは

大事だよ」

「前向きに検討させていただく、ということで」

「即座に否定しなかっただけ、進歩したと思うことにするよ」



 会議室の前にたどり着いたところで、リスティが資料を寄越した。今日面接する人間の資

料らしい。現場に来て初めてそれを見るのでは、何の役にも立たないと思うが、一人の人間

のプロフィールなど、リスティなら頭に入れているだろう。彼女が持っていても、意味のな

いものではある。



 ドアをスライドさせて中に入るリスティに、資料を見ながら続いた。



「あれ、恭也。何でここに――」



 間抜けな声を発する美由希の額を目掛けて、資料のファイルを放り投げたのは、反射の成

せる技だった。鋭く飛んだレトロな紙製のファイルは、狙いたがわず美由希の額を直撃し、

椅子から立ち上がりかけていた美由希のバランスを崩し、床に転倒させる。



 あまりの出来事に呆然としているリスティと、痛みに呻きながら椅子に掴り、立ちあがろ

うとする美由希を他所に、恭也は落ちたファイルを回収すると、何事もなかったかのように

入り口ドアの脇まで移動し、資料に目を通す作業を始めた。



 美由希の方も、何事もなかったかのように椅子に座りなおし、改めて立ち上がる。



 それから、しばらく無言が続いた。その場にいる二人の人間が、自分が言葉を発するのを

待っていることに気づいたリスティは、恭也と美由希を交互に見ながら、大きく、大きくた

め息をつく。



「君達は、他人を痛めつけたり、他人に痛めつけられたりしないと興奮しないとか、そうい

う異常な性癖の持ち主だったりするのかい?」

「それではまるで変態ではないですか。そいつがどうか知りませんが、俺はいたって正常な

人間のつもりです」

「社会的な常識から外れた行為をする人間を変態と呼ぶのなら、君達は間違いなく変態に分

類されると思う」

「科学者の貴女にそう言われると、返す言葉がありません。という訳でこれからは、少しだ

け紳士的に振舞おうと思うのだが、美由希、そんな俺をどう思う?」

「う〜ん……ギャグ?」

「OK。君達がとても仲がいいということは、よく解った」



 呆れ気味のリスティに椅子を勧められると、改めて美由希は着席した。リスティが美由希

の正面に座り、他にも椅子はあったがリスティの指示により、恭也は立ったままである。



「はじめまして。僕は時空管理局本局、特設共同技術研究開発部、部長のリスティ・シンク

レア・クロフォードだ。リンディ・ハラオウン提督の推挙により、我が部が君を採用する運

びとなった。僕の意思として君の採用は既に決定しているけど、上の判断によっては撥ねら

れることもある。それに関しては、僕にも君にもどうしようもないから、今だけはリラック

スして話をしてもらえると嬉しいね」

「はぁ……解りました」



 美由希は何やら偉そうに喋るちびっこを、物珍しそうに眺めていた。本人の言では、今年

度で15歳。16歳と公言することにしている恭也よりもさらに一つ年下で、当然、美由希

よりも年下である。身体は細く背も小さい。顔立ちは美人と言っても良かったが、全体的に

見れば、年齢よりも大分幼く見える。なのはやフェイトと同じ年齢と言われても、大抵の人

間は信じるだろう。



 そんな女性、もとい少女が面接の相手、ましてや一つの集団の長をやっているという。日

本の一般的な家庭で育った人間にすれば、それこそギャグだった。恭也に出会う前の美由希

であれば、常識に従って一笑に付していたのだろうが、義妹が魔法使いであることを知り、

知人は猫耳美女に半殺しにされていた現実を目の当たりにした今、大抵のことを受け入れる

精神を獲得していた。



「検査の結果、リンカーコアはなし。高町なのはの姉、とデータにはあるけど……」

「正確には従姉妹です。なのはの父が、私の母の兄に当たります。その縁で一緒に住んでま

して」

「血縁はあるんだね。高町なのはの親類ということで、リンカーコアがあることを少しだけ

期待していたんだけど、まぁ、ないものを強請ってもしょうがない。で、そこで無愛想に佇

んでる恭也・テスタロッサよりも高い実力を持っていると、報告には――」

『異議あり』



 二人の声が重なった。邪魔をされるとは思っていなかったようで、リスティは片眉を上げ

て不思議そうな顔をしている。リスティの冗談と考えられないでもなかったが、先ほど美由

希に投げつけた資料を読み込んでみると、確かにそう記してあった。



「この資料の来歴を聞いてもよろしいでしょうか」

「美由希が書いた履歴書に、アースラから貰ったデータを加味したものだよ。資料の作成に

は、ハラオウン親子にも協力してもらってる」

「オーライ、諸悪の根源の正体は解りました。どうぞ、話を続けてください」



 目で、気にするな、美由希にサインを送ると、定位置の壁際に戻る。黒髪の悪友に心の中

で毒づきつつ、リスティと美由希の会話に耳を傾けながら、他にも何かあるのでは、と資料

のチェックを進めた。



「……まぁ、とにかく君が強いということは認識してる。物言いが付いたようだから質問だ

けど、恭也と君で戦った場合、勝つのは恭也なのかい?」

「恭也が真面目に戦ってるところって見たことありませんけど、多分、そうなんじゃないか

な、と私は思います」

「美由希はこう言ってるけど、恭也の意見は?」

「俺も、こいつが真面目に戦っているところを見たことはありませんが、同じ意見です。十

の内八つは、俺が勝つでしょう」

「ニつは負けると認識してるってことかい?」

「安く見てニつは負けるということです。実際にやってみれば数値の変動はあるでしょうが、

それ以下になるということは、まずありません」

「つまり、君の方が強いと?」

「今のところは」

「いつになく謙虚じゃないか。そんなに美由希のこと、評価してるのかい?」

「事実を言ったまでです。戦闘技術者としてなら、それのことは評価できます。俺よりも安

月給で使えるというのなら、いい買い物でしょう」

「君が手放しに褒めるとは驚いたね……」



 褒めた訳ではない。そう意思を込めて睨みやると、リスティは大仰に肩を竦めた。



「元々形式的な面接だったし、予想もしなかったところからお褒めの言葉も出た。僕からは

もう、特に聞くことはないのだけど、君から何か聞いておきたいことはあるかい?」

「採用が決定した場合、私はどういう所属になるんでしょう」

「僕の直属の部下ということになるね。恭也とほとんど一緒の仕事内容になると思う。詳し

いことは働き始めたら、彼に聞くといい。嘱託局員としての採用だけど、働きが認められれ

ば、正規の局員に昇格も十分考えられる。そうなっても、この部から異動することは、君が

強く希望しない限りないから、まぁ、安心してもいいよ」



 そこで一度、リスティが振り返った。ちょうど、資料の中に『恭也・テスタロッサの部下

として働くことを希望する』と記載されているのを、見つけたところだった。そこにはご丁

寧に、手書きの強調線まで引かれている。誰の仕業かは、機嫌の良さそうな上司の顔を見て

いれば明らかだった。



「では、ご足労ありがとう。僕はこれから仕事があるのでこれで失礼するよ。帰りはそこの

青年を貸すから、外までエスコートしてもらうといい」



 言うが早いか、身を翻したリスティは恭也の肩を叩くと、足早に会議室を出て行った。仕

事があるとリスティには伝えていたはずだが、どんなに詰まらない仕事でも、上司に直接命

じられた仕事である。放棄する訳にもいかない。



「行くぞ。目的地がどこか知らないが、そこまでは送ってやる」



 顎で促すと、美由希は苦笑しながら恭也の脇に並んだ。その笑顔が鼻についたので、死角

から伸ばした腕で、長い髪を無造作に引っ張る。小さな呻きと共にバランスを崩した美由希

は、そのままの勢いで足を滑らせ、何もないところで転倒する――



「間抜け。この程度で転ぶな」



 ――前に、恭也に背中を支えられて事なきを得た。倒れる原因を作ったのは恭也だったが、

助けられたのもまた事実である。聊か憮然としながら礼の言葉を美由希が述べると、恭也は

つまらなそうに先に立って歩き出した。少し遅れて、美由希はそれに続く。



「何時の間に、管理局で働くと決めたんだ?」



 そういう話を相談されたことはなかったし、なのはからも聞かなかった。美由希の性格か

らいずれそうなるだろうとは思っていたが、これほど早く同僚になるとは思っていなかった。



 それは純粋な疑問として恭也の口をついて出たものだったが、対する美由希は非難されて

いると受け取ったらしい。挙動不審になると、すぐさま恭也から十分な距離を取り、先ほど

引っ張られた髪を守る体勢に入った。



「……お前は一体、何をそこまで警戒しているんだ」

「いや、恭也ってば怒ってるんじゃないかと思って」

「何故? お前の人生だ。お前の好きに生き方を決めて、悪いはずがないだろう。まぁ、俺

に黙っていたことに関しては、少しばかり腹が立ったが、その制裁はもう済んだ」

「なら、良かった」



 と、安心して隣に並んだ美由希の額に、容赦なくデコピンを決める。額が割れるのではな

いか、という一撃にも歩みを止めないまま、美由希は額を押さえた。涙目で見上げてくる視

線は、無視した。制裁は済んでも、ムカつくものはムカつくのだ。



「質問を繰り返すが、何故管理局で働くと決めたんだ?」

「私よりずっと年下の妹が働いていて、私にもそうすることの出来る力が備わったからかな」

「別に管理世界で働く必要はないだろう。お前くらいの実力があれば、地球でも働き口はい

くらでもあるはずだ」

「それもそうだけどね。こっちの世界には、自分のプライドを優先して、猫耳美人に殴られ

続ける趣味のある人がいるみたいだから。私が来れば、少しはその人の負担も減るかな、と

思ったんだ」

「その奇特な趣味を持った男は、お前を必要としないかもしれんぞ?」

「差し当たってそうは思ってないみたいだから、働く意思は変わらないかな。お前はいらな

い。そう思われたら辞めることにするよ」

「言われたら、ではないのか?」

「その人は、心にもないことを平気で言える人だから、言葉はあまり信用しないことにして

るの」



 何やら馬鹿にされているような気がして、恭也はまた、美由希の方を見もせずにデコピン

を放ったが、指が美由希の額に触れる直前に、手首を掴れた。奇襲を防いで見せた美由希は

それを得意がる様子もなく、自らの言葉を締めくくった。



「私でも役に立てることは、時間をかけて証明するよ。この世界でなのはみたいに活躍でき

るかどうか分からないけど、その誰かさんの足手まといにはならないから」



 その言葉に対して恭也は、努めて美由希の方を見ようとはせず、ともすれば聞き逃してし

まいそうな小さな声で、ぽつり、と呟いた。



「足手まといなものか」



 その言葉が相手に届いたのかどうか、確認するまでもなく恭也は足を速めた。後ろを歩く

美由希を、振り返りもしない。今の自分がどんな顔をしているのか想像するのも恐ろしく、

またそれ以上に、今の顔を美由希に見られることを嫌ったためだった。



 だから、足早に歩く恭也は美由希が今、どんな顔をしているのか知りようもなかった。



 その誰かさんからの言葉を聞いた彼女は、まず最初に驚き、ついで、一瞬だけその顔に喜

色を浮かべると、すぐにそれを引っ込めて、すました顔で恭也の後についたのだった。