1、



 慌しく動き回る周囲の人々を見ながら、痛む頬を摩る。裏切り者! と戯れに罵られなが

ら銀髪の上司に抓られた、その跡だ。恭也・テスタロッサにはリスティを裏切ったつもりな

どなかったし、向こうも本格的に裏切られたとは思っていないだろう。



 管理局の歴史上初となる、官製ユニゾン・デバイス誕生の瞬間に立ち会う機会に、恭也だ

けが恵まれたのだ。技術がどうしたという事情にはとんと興味がなかったが、態々席を設け

てくれるというのだから、それに乗らない手はない。



 開発に関わったマリエル・アテンザを中心とする本局技術部の技術者集団。それに、ユニ

ゾン・デバイスに関する情報を書庫から引っ張り出した、ユーノ・スクライア。製作の提案

者である八神はやてに、その守護騎士達……は、残念なことに一人もいなかった。新しい家

族の誕生の瞬間である。皆、立ち会おうとはしたのだが、間の悪いことに全員に仕事が入っ

てしまっていたため、片付き次第合流ということになっている。



 その他には、人はいない。聞けば、管理局上層部の連中が見学を申し込んできたらしいが、

それらは全て断ったらしい。同門である技術者もそれは同様で、見学を熱望したリスティが

素気無く断られたのも、この方針に寄る。そんな中で恭也がこの歴史的瞬間に立ち会う権利

を有しているのは、一重にはやての好意によるものだった。



 はやてにとってはヴォルケンリッターだけでなく、恭也も家族の一員という認識らしく、

他の四人が来られない現状では、恭也を誘うのも当然のことだったのだが、それを快く思わ

ない人間も存在した。



 フェイトに、アルフである。普段ははやてと仲のいい彼女らだったが、恭也に関してのみ

は、火花を散らすこともままあった。どちらも『自分の』身内であるという認識が強く、こ

の二年間で小さな衝突は、両手指で数え切れないほど起こっていた。



 今日の招待もいきなり決まったものではない。第97管理外世界のテスタロッサ邸に、携

帯電話ないし、デバイスで連絡をすれば済むのに、はやて自身が態々足を運んで紙の招待状

を届けに着たのだ。



 当然それはフェイトとアルフの目にも留まっていたので、それから暫くはテスタロッサ邸

に嫌な空気が漂うことになったことは言うまでもない。一人だけ食事を少なくされたり、ト

イレに居る時に電気を消されたり、地味で微妙な嫌がらせをされた。



 恭也としては、八神もテスタロッサもどちらも大事で、どちらか一つなど最後の最後の時

になるまで決められはしないのだった。仕事と私、どっちが大事? と恋人のいる男性は問

われると言うが、一人身にも関わらず、恭也にはその気分が少しだけ理解できたような気が

した。



「準備できましたよ」



 本局技術部のマリエル・アテンザ技術一等海士が、スタッフからの報告を聞き終えて、はや

てに告げた。



 中央の机には、リインフォースの名を継ぐ新たなユニゾン・デバイス――はやては既に彼

女の名前を、リインフォース・ツヴァイとすることに決めていた――が寝かせられている。



 掌に乗るようなサイズの、リインフォースに似た面差しの少女には、その状態を知るため

のコードが何本も繋がれており、計器には――学がないと自覚する恭也には、その見方など

皆目見当もつかないが――万事に問題なしと表示されていた。



 はやてが、不安そうに振り返る。励ますように恭也が大きく頷くと、はやても頷き返し、

リインフォース・ツヴァイに歩み寄った。



 後は、はやてがその名を呼ぶだけで祝福の風は今再び、夜天の王の下へ帰ってくるのだ。

二年という歳月が長かったのか短かったのか、恭也には解らない。ただ、人間には居るべき

場所というのがあり、祝福の風を纏うべきは、夜天の王以外にありえないと考えていた。



 天に帰った先代祝福の風に、ここに来れないヴォルケンリッターの分まで、恭也は黙祷を

捧げた。



 起動。マリエルの声と共に、小さなリインフォースに魂が吹き込まれた。一同の見守る中、

一つ、小さく身震いをすると、机から起き上がる。スタッフ達から、歓声が挙がった。



「おいで、リイン」



 はやてが目に涙を湛えたまま、両手を差し伸べた。運命に別たれたはずの主従が形を変え、

再び見えた瞬間である。誰もが涙なしにはいられないはずの場面であったが、主役の一人で

あるはずのリインフォース・ツヴァイが、いつまで立っても動ききださないために、場の空

気は段々と騒然とし始めた。



 そんな中、気づいたところのあった恭也はリインフォース・ツヴァイに歩み寄り、その頬

を指で軽く突いてみた。小さな身体がなす術もなく机に倒れこむのを見るや、はやてから抗

議の声が挙がったが、リインフォース・ツヴァイはもぞもぞと動く以外の反応を示さない。

目前で指を振ってみても、眼球すら動かさない有様だった。もはや原因は明らかである。



「五感が機能してないみたいですね。視覚、聴覚、触覚……調べていませんが、味覚と嗅覚

も同様でしょう」

「今すぐ何とかします!」

「ご要望と在らば残りのニ感が機能しているかも調べてみますが」

「セクハラは処罰の対象です!」



 恭也としては下心など全くなく、冗談のつもりでの提案だったのだが、マリエルはそう捉

えなかったらしい。割りと本気の口調でそう吼えると、部下に次々と指示を出し始める。技

術者の集団だけあってキーボードを叩く速度は皆凄まじく、戦場でもないのに殺気のような

気配が渦巻いているのを、恭也は感じた。



 その間も、もそもそと動いていたリインフォース・ツヴァイが、机から落ちそういなって

いるのに気づき、恭也は手を差し伸べ、手のひらに載せた。これでも抱き上げた、というの

だろうかと人体の大きさと構造上の疑問にぶち当たっていると、技術者の一人がトラブルが

解決したことを告げた。



 間をおかず、マリエルが再度起動を指示する。



 瞬間、リインフォース・ツヴァイに光が灯ったように、恭也は感じた。一度強く瞼を閉じ

ると、恐る恐る開いて行く。その瞳はあの日、リインフォースが旅立った冬の空のように透

き通った蒼色で、真紅の瞳だったリインフォースと目の前の少女は違う存在なのだというこ

とを、恭也に感じさせた。



「リインフォース……」



 はやてが呟くように言った。恭也自身にも思うところはあったが、最初に声をかけるべき

は主であったはやてだろう。リインフォース・ツヴァイを乗せた手を、はやてに向けて差し

伸べる。手を伸ばすはやて。マリエル達も固唾を呑んで見守っている。



 だが、全ての視線の中心にいたリインフォース・ツヴァイは、はやての手をあっさりと無

視するとくるりと向き直り、純真無垢な満面の笑みを浮かべると、こう叫んだのである。



「マイスターっ!!」



 小さなリインフォース・ツヴァイを手に乗せているのは恭也であり、振り返った先にいた

のも恭也で、真っ直ぐに視線を向けてそう呼んだのだから、それが自分のことを示している

のだということは、想像に難くなかった。



 空気が凍る。はやての瞳に涙が溜まるのを見ながら、シグナムやヴィータにどういういい

訳をしたものかと、恭也は頭を巡らせた。



「恭也さんが、私の赤ちゃん取ったーっ!!!」



 少女達の笑顔と泣き顔が、自分が『がけっぷち』に立っているのだということを否応なく

自覚させた。はやてがこの部屋を出るまでに、より正確には、事の次第を外にいる誰かに知

らせる前に事態を解決しなければ、恭也・テスタロッサは生まれて間もない少女を誑かした

男という、不名誉な称号を押し付けられたまま、死ぬしかない……

























2、



 途方に暮れる恭也に向かって、必死に手招きをする人影があった。マリエルである。藁に

も縋る思いで近くに寄ると、襟を引っつかむようにして部屋の隅にまで引き摺られた。その

目には異様な力が篭っており、女性に使う形容ではないのだろうが、鈍器でも持っていれば

殺人鬼でも通用しそうな形相だった。



「何てことしてくれたんですか、貴方は」

「不可抗力であることをご理解いただきたいのですが、アテンザ技術一等海士」

「アースラのスタッフとして活動した貴方には、少しばかりの仲間意識があります。私個人

としては笑って済ませたいところではありますが、私達全員の進退がかかっているとなれば、

看過できることと出来ないことがあります」

「それほどまでに……」



 私達、と言うからには、ここにいるリインフォース・ツヴァイの製作に関わった、本局技

術部の職員全員を示しているのだろう。これだけの人員が纏めて左遷などということになれ

ば、開発費が増えそうだとリスティ辺りなら喜びそうなことであるが、原因を作った身とし

てはつまり、これだけの人数の恨みを一身に受けるということになる。



 負の想念というのは馬鹿にならないもので、足元をすくわれることなど珍しいことでもな

い。こんな仕事をしていれば、それが原因で命を落とすこともままある。恨みを買わないで

済むのなら、それに越したことはないが、現状、それを回避するための方法を恭也は見出せ

ないでいた。



「知っての通り、ツヴァイは官製初のユニゾン・デバイスです。製造方法に関しては、はや

てさんや無限書庫の協力もあり何とか形になった程度のものですが、それでもその製造方法

は機密に属する類のもので、管理局内の注目も集めています。このために特別に予算も組ま

れました……」

「貴女方に期待をされてのことでしょう。お噂は、リミエッタ海曹から聞いておりますよ」



 眼前のアテンザ技術一等海士はエイミィの学生時代の後輩らしく、闇の書事件において、

フェイト達のデバイスにカートリッジシステムを組み込んだ際の、現場責任者だったと聞い

ている。本来ならば何度もテストをしてから実戦に投入させるべき、ミッドとベルカの融合

したインテリジェントデバイスを、突貫工事で実戦に耐えうるものにした、その技量は他人

に対しては辛口な批評をするリスティをして『まぁまぁ』と言わせしめるほどだった。



 官製初ということは、成功さえすれば後世に名前を残すことになる。自らの知識と技術で

もって武勲とする技術者には、それはこの上のない名誉だった。そんな仕事を任させるとい

うことがマリエルの非凡さの証明であり、事実、彼女は部下達を率いて歴史的意義のあるこ

の仕事を、半ば達成させていた。



 前線で戦うことしか出来ないと自覚している恭也は、そういう技能を持ったマリエルを素

直に尊敬していたし、技術者達には払える限りに敬意を払ってきたつもりだった。それは人

間関係に無頓着な恭也にしては珍しく殊勝な心がけと言えるものであり、魔法世界にあって、

新たな魔法体系の可能性を秘めた恭也・テスタロッサは、所属する特共研以外の技術者にも

それなりに愛されていたから、恭也が思っている以上に確かな信頼関係が、彼らの間には築

れていた。



 それらの事実がなければ、リインフォース・ツヴァイがマイスターと言った時点で、歴史

的偉業を台無しにされたことで怒り狂った技術者達に、恭也は半殺しにされていただろう。

技術者達が拳を握り締め踏み出しかけた足を、自分の顔を見て踏みとどまった瞬間を目撃し

た恭也は、それを見て自分の行いが的外れでないことを知ったのだった。



「つまり、結果を出さなければいけないのです。私達にはその自信がありましたし、事実と

して今日、リインフォース・ツヴァイは誕生の時を迎えました。後は彼女が、はやてちゃん

をマイスターとして認識するだけだったのに……あぁ、それなのに……」



 精神が高揚しすぎて、力が制御できなくなっているらしい。襟を締上げるマリエルの腕に

込められた力が、僅かに緩んだり強烈になったりと緩急を繰り返していた。敢えてそれを受

け入れていた恭也は、そろそろ意識を維持するための酸素が尽きかけていることを悟るに至

り、マリエルの手をやんわりと振り解いた。



 視線で人が殺せるなら、三度は殺せそうな殺気を込めた視線が、一瞬、恭也の瞳を射抜い

た。マリエルにその殺意を実行に移さないだけの理性があることに心中で感謝しながら、恭

也は弁解の言葉をつらつらと重ねる。



「現状を引き起こした責任は、俺も感じています。解決のためには何でも致しますので、知

恵を授けてはいただけませんか?」

「知恵なんて必要ありませんよ。ただ、ツヴァイにはやてさんをマイスターだと認めさせれ

ばいいんです」

「こちらから手を加えることは?」

「出来ません。ユニゾン・デバイスの革新的で厄介なところは、こちらからの設定とデバイ

ス『自身』の認識が合致して初めて、機能を十全に使えるということです。認識にズレのあ

る現状では、ツヴァイはただのツヴァイでしかありません」

「ユニゾン・デバイスとして機能しないだけで、ツヴァイの生存に問題がある訳ではないの

ですね?」

「それだけが、救いと言えば救いですね。でも私達は、優秀でかわいいユニゾン・デバイス

のリインフォース・ツヴァイを生み出したかったのであって、かわいいリインフォース・ツ

ヴァイを生み出したかったのではありません」

「それはそれで、素晴らしい大発明のような気もするのですが……」



 同じ名前を持っているだけあり、リインフォース・ツヴァイは空に帰った仲間の容姿を受

け継いでいた。明るい銀髪に、白い肌。真紅だった瞳は空色になっていたが、それも些細な

差異でしかない。小さなリインフォース・ツヴァイが、成長すれば先代のような美人になる

ことは、恭也のような朴念仁の目にも疑いようはなかったのだ。



 ユニゾン・デバイスも成長するのだろうか、という栓のない疑問に恭也は捕らわれたが、

胡乱な眼つきのマリエルの視線に晒されると、その疑問は舌に乗る前に霧散した。



「最近はそういう『大人の玩具』もありましてね……管理局の大事な予算を使って、そんな

物を作ったとされては、ただでさえ悪い私達の立場が最悪のものになるでしょう。誰も読ま

ない壁新聞を編集する部署に集団左遷されても不思議はありません。その時は貴方の私生活

に関して、あることないこと書き殴ることにしますので、覚えておいてください」

「肝に銘じておきます」



 やると言ったからには、例え壁新聞の編集にならなくても、マリエルはやるだろう。ある

ことを書かれるのは自分から出た錆、しょうがないと諦めるにしても、ないことまで書かれ

るのでは手のうちようがない。



 無論大多数の人間は恭也・テスタロッサという知名度の低い男性職員のゴシップになど取

り合ったりしないのだろうが、恭也の周囲にはそういうゴシップを本気にしてしまうような、

純粋な精神を持った少女が幾人かいたし、そういうゴシップを進んで提供しようとする老獪

で迷惑な精神を持った女性もまた、数人存在していた。



 ペンは剣よりも強し、というが、噂話というのは恭也の二刀によって断つことの出来ない、

強力無比な敵の一人である。



 恭也としてはさしあたって、未来の強敵たる可能性を孕んだペンに対し、勝利を収めなけ

ればならないのだった。自らをマイスターと呼んだ小さな少女は、本当ならマイスターにな

るはずだった少女と忠誠心の行く先に対して、哲学風の感情論を交わしていた。



「なぁ、リインフォース・ツヴァイ」

「リインのことは、リインと呼んでくださいです。これから毎日、何度も呼んでいただくこ

とになるですから、長いとマイスターも疲れてしまうのですよ」

「解った。ならばついでに間違いを正しておきたい。お前のマイスターは俺ではなく、そち

らのはやて嬢だ」



 自身の名誉と未来と、空に帰った仲間の主に対する忠誠のために、恭也はそれを口にした

のだが、『祝福の風』の名を受け継ぐべき小さなリインは、不思議そうに首を傾げた。



「マイスターは、リインが自分で決めるものですよ? 人に決められるのは、違うのです」



 忠誠とは強制される物ではない、と小さなリインは言いたいのだろう。手のひらに乗るよ

うな妖精然とした少女が忠誠の真理を説くなど、騎士の鑑たるシグナムならば涙を流して感

じ入ったのだろうが、恭也は他人に忠義を説くほど忠の人ではなく、多少の保身を気にする

程度には大人で、しかし他人の自由意志を尊重する程度には寛容だった。



 かわいらしく小首を傾げるリインと、涙目のはやてを見比べ、恭也はない知恵を絞るため

に、頭脳を回転させる。



 生まれる前から小さなリインは自分の名前とその意味を認識していたようであったが、そ

れは彼女の意思とは関係のない、周囲の手によって定められたものだ。リインの言葉通り忠

誠とは他人に強制されて発生するものではないし――少なくとも恭也はそう考えていたし、

シグナムやヴィータも、そうであると確信してもいた――本来、他人が強制していいような

ものでもなかったが、恭也としては故人の思いや、はやての気持ちも尊重したいのだ。



「なぁ、リイン。お前が俺をマイスターと言ってくれることは、とても嬉しい」



 結局、恭也の口をついて出たのは、大人然とした玉虫色の、捻りのない解答だった。貧弱

な語彙ではそれが限界だったのだが、ならばせめて誠意を込めようと、リインの小さな瞳を

真っ直ぐに見据える。



「だが、俺は魔導師ではないし、既に相棒がいる。お前の忠誠を受け入れることは出来ない

のだ」

「リインは我侭は言わないのですよ。先輩さんがいるのでしたらきちんとお立てしますし、

マイスターの言うことも、ちゃんと聞くのです。だからお傍においてほしいのです」

『殊勝なことを言うでは小娘ではありませんか。私もそろそろ子分が欲しいと思っていたと

ころですし、傍においてやってもいいのではありませんこと?』

(お前は黙っててくれ、話しがややこしくなるから……)



 ポケットの中のプレシアを指で弾くと、頭の中にプレシアからの抗議の声が怒涛の如く押

し寄せた。それは、慣れないことに頭を使い、精神的に疲れていた恭也を更に追い詰めたが、

目をきらきらさせながら言葉を待つリインと、恨みがましくこちらを見つめるはやてが、恭

也を無理やり現実に引き戻した。



「それでも、やはり駄目だ。俺はお前のマイスターにはなれん」

「……マイスターはリインのこと、嫌いなのですか?」



 玉虫色の解答が大人の特権なら、直球勝負の質問は子供の得意技だろう。涙を溜め、上目

使いで問うてくるリインは、恭也の良心を大層痛めつけたが、ここで膝を屈してはいけない

と心を鬼にし、言葉を続ける。



「それはない。が、忠義を尽くす相手というのは、フィーリングで決めていいものではない。

自分のこと、相手のこと、他の人間のこと、世界のことも色々と知ってから決めるのが、正

しい在り方なのだ」

「それでは、リインにはマイスターがいなくなってしまうのですよ」

「そこで提案なのだが、そこのはやてに仕えてみないか?」

「……はやてちゃん、ですか?」

「そうだ。お前の先代を従えた実績があるし、今なお四人の守護騎士を抱えている。俺より

6つも若くまだ小学生だが、マイスターっぷりでは俺など比べるべくもない」

「はやてちゃんとマイスターだったら、リインはマイスターがいいのです」



 聞こえてくる音声を、恭也は意識的に遮断した。自分の首を絞めるために会話をしている

ような気にさえなったが、事態を解決するためには話すしかない。絶息するのが先か、事態

を解決するのが先か。分の悪い賭けをすることになったものだと、心の中で嘆息する。



「参考までに聞くが、何故俺の方がいいんだ?」

「かわいい女の子とかっこいい男の人。どちらかにお仕えするなら、リインは男の人を選ぶ

のですよ。リインだって、女の子ですから」

「即物的なことでは人生失敗するぞ。俺も大概フィーリングで生きてきたような気はするが、

今にして思うと、もっとやりようはあったのではないかと思うこともある。まぁ、後悔はし

ていないし、してもしょうがないことではあるがね。だからという訳でもないが、お前には

そうなってほしくないのだ」

「マイスターは素晴らしい人なのです。リインの心がそう言ってるのです」

「心で物を語れるようになるのは、もっと生きてからだな。色々な物を見て、色々なことを

考えて、色々なことを感じてから、マイスターも決めるといい。俺をマイスターと呼んでく

れるのなら、それが最初の命令だ。お前が十分に世界を、人を見て、それでもなお俺をマイ

スターと呼んでくれるのなら、その時はお前を従者にすると約束しよう。今は、はやてのと

ころで世界を見ろ。俺などよりもよほど、広い世界を見せてくれるぞ」

「…………マイスターが、そこまで言うなら」

「いい娘だ。なら、今自分が言うべきことが何か、解るな?」



 小さく頷いたリインを手のひらに乗せ、はやての目の前に。いまだ目に涙を溜めていたは

やては、祝福の風の名を継いだ小さなリインに恐る恐る手を伸ばした。はやての手に移った

リインは、バツが悪そうに視線を逸らしたが、意を決するとはやての唇に、自分のそれを重

ねた。



 淡い光が二人を包み、やがて消えた。



「リインフォース・ツヴァイ。祝福の風の名の下に、八神はやてをマイスターと定めるので

す」



 成り行きを見守っていたスタッフ達から、歓声が挙がった。はやてがまた、声を挙げて泣

き始める。その勢いのままにリインを抱きしめたが、その抱擁は大きさに差のあるリインに

はいい迷惑だったようで、頬擦りをされながら、とても迷惑そうな顔をしていた。



 笑顔のスタッフにはやてと、じと目のリインの対比が、恭也の心に痛い。



「恭也さんに、言っておかないけないことがあります」



 リインをその胸にしっかりと抱きしめ、涙を拭ったはやてが恭也の前に立った。決意に満

ちた視線は、夜天の王の名に相応しく覇気に満ちており、二年の歳月を経て成長した家族の

姿に恭也の胸は熱くなったが、その視線を向けられているのが自分であることを再認識する

に至ると、これから言われるだろうことを想像して気分が滅入った。



「リインは、私の娘です。いくら恭也さんでも、渡しません」

「はやてちゃん、いくらマイスターになったとは言え、ファータを苛めるならリインは許さ

ないのですよ」

「ちょう待って、リイン。ファータってなに?」

「ファータは、ファータなのです。マイスターになっていただけないのなら、せめて娘とし

て可愛がって欲しいという、リインの願いが込められているのですよ」

「そんな……男の人とそんな不健全な関係になるなんて、私は認めへんよ!」

「はやてちゃんに認めてもらう必要はないのです。リインのファータは、リインが決めるの

です」



 まるで母と娘の喧嘩だったが、それを見守るスタッフの目は温かかった。彼らとしてはリ

インがユニゾン・デバイスとして機能していれば、後は存分に愛するだけでいいのだから、

誰とどんな内容を言い争っていたとしても、痛くも痒くもない。



 問題は恭也だった。新たに八神の家族に加わった小さなリイン。慕ってくれることは嬉し

いが、それが余計な波紋をもたらすことは確実だった。とりあえず、ヴィータには叩きのめ

され、シグナムには殴られ、シャマルとザフィーラには無関心を決め込まれ、フェイトとア

ルフにはまた、大小様々ないじめをされるのだろう。



 リインが受け入れられるまでそれは続くのだろうが、果たしてこの小さなリインが、周囲

に溶け込むことに関して、どれ程の努力をしてくれるのか……それは恭也には知りえないこ

とであったし、周囲の誰も答えてくれそうにないことだった。



 だが、恭也は今までの経験に従い、楽天的に考えることにした。きっと、いい関係を築く

ことは出来るはずだと信じる。フェイトの時も、はやて達の時もそうだった。ならば、そこ

にリインが一人が加わるだけで、今まで築いてきた物が壊れるなどと、思いたくはなかった。



 人の絆とは、強い物だ。今それを信じられなければ、一体何のために故郷を捨てて、ここ

まで来たというのか。



「ファータ、お食事に行きましょう。リインはファータの好きな物を食べてみたいのです」



 ユニゾン・デバイスとしての力を開花させ、自由に飛べるようになったリインは、まるで

そこが自分の居場所とでも言うように、恭也の右肩に舞い降りた。憮然としたはやてがリイ

ンを奪い返そうとするものの、早くも力を物にしたリインは、はやての手をひらりとかわす。



 数度の挑戦の後にリインの奪還を諦めたはやては、まるでそこが自分の戦場だと言わんば

かりに、険しい表情のまま、恭也の左腕を取った。



「私の目の黒いうちは、リインを悪い子になんてさせません!」

「俺はいつから、貴方の中で悪の権化になったのでしょうか」

「私のリインを誑かした恭也さんは、立派な悪い人です!」



 そっぽを向くはやての姿に恭也は、この世には自分の力だけではどうにもならないことが

あるのだということを、遅まきながらに知ったのだった。