人間には相応という物があり、いくら頑張っても努力をしても、完膚なきまでにどうにも

ならない物が、確かにあった。いくら腕を振り回しても人間は鳥のように飛べないし、水に

長く浸かっていても魚のように、水の中を自由自在に泳ぐことは出来ない。



 物を教える立場にある者は、努力とは何よりも尊い物だという主張をすることが仕事のよ

うな物で、恭也自身もそのような趣旨のことを弟子に言った覚えがあるし、実際のところ、

努力は尊いという考えを支持してもいた。どうにもならないことがある、というのは建前の

上では嫌われている考え方ではあるが、世間の誰もが知っている、次元の壁を超えた、文明

世界の真理だった。



 恭也・テスタロッサは、他の子供達よりも比較的早い段階で、その真理を知った。可愛げ

のない子供だ、と子供の当時から思っていたが、それが自分なのだから仕方ないと、これま

たやはり子供の当時から諦めてもいた。



 そんな子供の当時から諦めていた物の一つが今、恭也の眼前で展開していた。



 ファンシーだった。少女趣味と置き換えてもいい。大小様々なぬいぐるみやらカラフルな、

どういう名前なのかも分からない何かやらである。自分が異物であるのだと、これほど意識

する空間も他にはない。周囲にいる人間が皆自分を笑っているような気にさえなってくる。

何もしていないが、それだけでも冷や汗をかいている。おまけに気分も悪い。



 そんな空間である。当然、一人で来た訳ではない。引き摺るようにして自分をここに連れ

て来た少女は、ツカツカと歩み寄ってくると、ファンシーなアイテムを山と詰めたカゴを押

し付けてきた。何か臭いがする訳でもないのに、胸焼けがしそうな感じがした。



「何ぼ〜っとしてんの?」



 何も言葉を発しない恭也に痺れを切らしたアリサが、顔を覗きこむようにして、顔を近づ

けてくる。エメラルド色の瞳の中に映る、無愛想な自分の顔が見えるくらいの距離だった。

特別な関係でない男女の距離としては、近すぎるような気もする。年長の男として一言注意

するべきかとも思ったが、それも自分一人だけが年下の少女相手にどきどきしていると言っ

ているようなもので、収まりが悪い。



「アリサちゃん、恭也さん困ってるよ」



 アリサと一緒に店内を歩いていたすずかが、控えめな苦笑を浮かべて寄って来た。その手

にはやはり、ファンシーなアイテムが満載されたカゴがある。アリサと違って、すずかには

散財しないイメージを持っている恭也だったが、、年頃の少女という括りの中では大した違

いはないらしい。中身には各々の趣味が多分に反映されていたが、量に大差はなかった。



「あたし達と一緒にいるって言うのに、全身からこんな不景気なオーラ出されてるのよ。そ

れを気にするなって言うのは、無理ってもんでしょう」

「それはそうだけど……」



 すずかが口ごもった。普段ならば最後までアリサを嗜めてくれるのだが、今回に限っては

勢いがなかった。アリサの言葉を、積極的にではないにしても支持している。要は、すずか

にそこまで思われるほど、自分は不景気な顔をしていたということなのか。



 恭也自身にはそんなつもりはなかったが、自分などよりもよほど人を見る目を持った二人

が言うのだから、確かなのだろう。強張っていた頬を、指で念入りに揉み解してみる。



 ちなみに、アリサは不景気なオーラが顔に出ているとは一言も言っていなかったのだが、

恭也・テスタロッサが対外的な自分のイメージとして、真っ先に思いついたのが無愛想な顔

だった。当然のことながらこの発想は見当違いの物であり、ついでに年来の無愛想な顔がそ

れくらいでどうにかなるはずもなかったのが、無表情に自分の顔を弄る恭也・テスタロッサ

の図というのはそれなりに面白い題材であったらしく、不機嫌を絵に描いた顔をしていたア

リサの表情も、いくらか和らいでいた。



「……変な顔」

「無愛想なことは自覚していますが、そうですか、変ですか」



 自覚しているからと言って、他人から何を言われても傷付かない訳ではない。アリサのド

直球な物言いに恭也が軽くへこんでいると、すずかがつつ、と寄って来る。



「そんなことはありませんよ、恭也さん。いつも通りの、かっこいいお顔です」

「ありがとうございます、すずか」



 お嬢様という点では共通項のある二人だったが、性格も、趣味も、他人に接する態度もま

るで違っている。自分に対する物言いもそうで、大分年下であるのに何故か強気なアリサと

違い、すずかは常に控えめで、思わず遠慮したくなるほどに自分を立ててくれるのだった。



 どちらがいいかと言われれば、恭也とて人間だ。精神はすずかの方に傾かざるを得ないの

だが、遠ざかられた方は不快に思うらしい。



「いっつも思うんだけど、あたしとすずかで扱いに差があるような気がするの。あたしの

気のせい?」

「そんなことは……」



 と一応言っては見るものの、全くないとは恭也にも言えなかった。明確な差別をしている

という意識はなかったが、言われて見れば、という気もする。



 何の気なしにすずかを見た。緩いウェーブのかかった紫色の髪に、白いヘアバンドが映え

ている。年齢はフェイトやなのはと同じ、13歳。今年の春で中学も二年になる。出会った

時には子供だったのに、最近では体つきも、女性らしい丸みを帯びてきていた。顔には少女

特有のあどけなさが残る物の、鈍い、朴念仁と言われる恭也でもはっとするような、大人っ

ぽい表情をすることがあった。



 美人であると思う。この年齢で思うのだ、将来は絶世の美女になるのは間違いないだろう。

そんな少女を連れて歩いているのだと思うと、男として少し誇らしい思いがあった。何だか

んだ言っても、美人と一緒にいることは嬉しいのである。



 そんなことを考えていると、無言で振りぬかれたアリサの足が、恭也の脛を強打した。鍛

えれない場所が人体にはあり、脛はその一つである。痛みにその場に蹲ると、アリサは耳に

顔を寄せて、囁くように言った。



「今度すずかを厭らしい目で見たら、蹴り上げるからね」



 アリサは何を、とは言わなかったが、それを連想させるに十分なだけの迫力が、その声音

にはあった。頬を染めて顔を背けていたすずかに丁寧に謝罪すると、二人からカゴを受け取

る。およそ恭也には縁のなさそうな物たちだったが、払いは恭也が持つことになっていた。



「俺はこういった物は良くわからんのですが、本当にこういったものをルーテシアが喜ぶの

でしょうか」

「喜ぶかどうか分からないけど、あって困るものでもないでしょ? 人の趣味にケチ付ける

のって好きじゃないけど、あのままじゃあの娘の部屋、魔境になっちゃう気がするの」



 仮にも少女の部屋を指して、魔境というのもどうかと思ったが、恭也にも感じ取れる程、

ルーテシアの部屋には魔界の片鱗が見て取れるのだった。ベッドに、テーブル。後は本棚と

宝物を飾る棚くらいしかないが、棚に乗っているのは様々な昆虫の標本と、ルーテシアがロ

ッテと早起きして国守山で捕まえてきた、ノコギリクワガタのギャレンの入った飼育ケース

のみ。本棚に収められているのは、昆虫に関する本ばかりだった。



 まさに虫を中心にした、虫のための部屋である。それもルーテシアの個性と言えなくもな

いが、個性だけで染められてしまっているため、あの部屋を見て三歳の女の子の部屋だと思

う人間はいないだろう。経済力などの問題から、今はその程度で済んでいるが、それらの問

題が解決され、ルーテシアがこのまま成長してしまったらと思うと、義兄として義妹の将来

が心配でならない。



 興味を持てる物があるというのは良いことだ。しかし、女の子の趣味として虫というのは

いかがなものだろう。趣味に貴賎はないと思う。他人の趣味を否定する権利など恭也にはな

いし、義妹がやりたいということなら、応援してやるのが義兄の道というものだ。



 しかし、しかしである。やはり、虫というのには抵抗があった。周囲の者でルーテシアの

趣味に抵抗がないのは、虫にこれといって悪い印象のないアルフとロッテ、ザフィーラなど

の使い魔連中くらいのものである。その他の、特に女性陣にはルーテシアの虫趣味は甚だ不

評だった。



 何とかするなら、早急に何とかしなければならない。恭也がその梃入れのために借り出し

たのが、すずかとアリサだった。ルーテシアに女の子らしい物を、というアバウトなリクエ

ストに応えて、彼女らが財布役として恭也を連れ出したのが、近隣の学生御用達の店だった

のである。



 無論、無料で借り出した訳ではない。彼女らが買った物の中には、いくらかルーテシア用

ではなく、彼女ら自身のためのものもあった。それが報酬という訳で、決して少なくない出

費となってしまったが、少女趣味などさっぱりな恭也にとって、一人でこんな場所に来ると

いう苦行のような時間を過ごさずに済むのなら、そんな物は痛くも痒くもない出費だった。



「会計を済ませてきますので、外で待っていてください」



 二人を送りだし、二つのカゴを抱えてレジへ。レジの中の店員は、眼前の二つのカゴと恭

也。それから連れ立って外に出て行ったすずかとアリサを眺めやり、一瞬だけ怪訝そうな顔

をした。



 どういう関係なのか、疑問に思っている顔。自分のような男が、年端も行かない可憐な少

女を二人も侍らせていたら、不思議に思うのも無理はない。店員がこんな表情を浮かべるく

らいなら、買い物をしている間はずっと、他の客の視線を集めていたのだろう。



 無駄に話題を提供する羽目になったか、と益体もないことを考えながら財布を取り出すと、

自分の仕事を思い出した店員は、テキパキと商品を袋に詰めて行く。職業意識を持っている

人間で助かった。好奇心が勝って質問でもされていたら、納得するような答えを返せる自信

は恭也にはなかった。この時世である。下手な受け答えをしたら、警察に通報されたかもし

れないのだ。



 会計を済ませて、袋を抱える。ファンシーグッズを抱える自分というのは、酷く滑稽なの

ではないかと、出かける前から思っていたことが現実になってしまった。長く人目に触れて

いい物ではない。特に、クロノやヴィ−タにでも見られた日には、部屋の片隅、膝を抱えて、

不安に震えるしかなくなってしまう。



 いないとは思うが、そういった連中に万が一にも見つからないよう、周囲の気配を探りな

がら店の外に出た。すずかもアリサも大人しく店を出て直ぐの所で待っていたが、その近く

には、邪魔なおまけが二人ほどいた。見ず知らずの彼らの名誉のために控えめな表現をして

も、非常に頭が悪そうで、気の短そうな男が二人、すずかとアリサに言い寄っているようだ

った。



 その男二人は、まるで嘗め回すようにすずかとアリサの身体を見回している。どういう感

情を持って接しているのかは、男の恭也の目から見てもはっきりとしていた。ああいうのを、

厭らしい視線というのだろう。それは傍から見ていても気分のいい物ではなく、これが向け

られた女性の立場だったらと思うと、虫唾が走った。



 その厭らしい視線をすずかに向けていた、とアリサに言われたばかりだった。アリサのこ

とだから、そこには誇張した表現も多分に入っていたのだろうが、客観的に分類するとなる

と、アリサの目から見た先ほどの恭也・テスタロッサは、眼前の男と同じ顔をしていたとい

うことになる。



 そう思うと、ふいに複雑な気分に襲われた。男二人の排除は当然のことだったが、そうす

ることが自分で自分を罰することになるような気がして、歩む足が少しだけ遅くなる。つい

には男二人が自発的に消えてくれることを祈るまでになったが、相当にイラついているらし

いアリサが髪をかきあげた時に、彼女と目があってしまった。



 気色を浮かべたアリサはすずかの手を取ると、袋を抱えた恭也に飛びつき、これ見よがし

にその腕を取って見せた。



 男二人の視線が、恭也に突き刺さった。お約束として因縁でもつけてくるのかと思ったが、

リスクとリターンを秤にかけるくらいの理性はあったらしく、男達は捨て台詞と一緒に唾を

地面に吐き出すと、足音も高く人込みの中に消えていった。



「あー、ウザかった。あんたが遅いから、あんなのにからまれちゃったじゃない」

「油を売っていた訳ではないので、俺のせいだけということもないでしょう。あれらを引き

寄せたのは、一重に貴女方の魅力ですよ」

「そんなのは解ってるけど……」



 不愉快なのを隠そうともせず、アリサは大きく足を踏み鳴らした。嫌悪はあるが、怯えは

ない。慣れたことなのだろうか。今日は自分がいたからいいが、そうでない時にはどう切り

抜けているのだろう。



 これがミッドチルダで、一緒にいるのがフェイトのような魔導師であれば撃退も容易だろ

うが、ここは管理外世界で、すずかもアリサも魔導師ではない。撃退の方法にも限度があっ

た。



「さっきのような場合、普段はどうしているんです?」

「車以外は、人の多いところを歩くようにしてるから、大声を出す覚悟があれば、案外どう

にかなるものよ。たまにしつこいのもいるけど、そういう時は手加減しないで蹴飛ばすこと

にしてるし」



 そう言うアリサのシャドーは、無駄に鋭かった。言葉の通り、本当に蹴飛ばしているのだ

ろう。その先の危険までを考えれば、年頃の少女の行動として褒められたものではなかった

が、男に屈して逃げ出すアリサというのも、恭也には想像できない。人の多いところを歩く

という、基本的な自衛手段は取っているようだし、危険とは無関係と考えられるよりは遥か

にマシだろう。



「で、これからあたし達はどうすればいいの? まさか、ここで解散?」

「良ければ我が家でお茶でもどうですか? ルーテシアも、二人が来れば喜ぶと思います」

「……まぁ、いいわ」



 アリサ的には満点でなに解答でなかったらしく、不愉快に加えて不機嫌の色を浮かべて、

そっぽを向いた。くすくすと、すずかが口に手を当てて笑っている。その手に、恭也の目

は寄せられた。見られていることに気づいたすずかが、その手をひらひらと振る。



「私、最近お稽古してるんですよ」

「稽古といいますが……」



 すずかの手に、触れてみる。透けるように白い肌。その手が大小様々な傷、怪我に塗れ

ていた。一体、どんなお稽古事をしたらこうなるというのか。



「私の親戚で、そういうことを教えてくれる人がいるんです。忙しくて、あまり見てはくれ

ないんですけどね。一人でも素振りをしたりして、練習してるんですよ」

「どうしてまた」



 それが、恭也には不思議でならなかった。傷や怪我の位置から見るに、すずかが扱ってい

るのは槍のような長物。さらにその中でも、相当に重量のある物のようだった。



 故郷の海鳴で、忍の力の片鱗を見たことがある。すずかが彼女と似たような存在であるの

だとすれば、重量のある武器というのはこれ以上ないほどに相応しいのかもしれない。だが

現代日本で、すずかのようなお嬢様が重量武器を振り回すような機会があるはずもない。



「いつかみたいに守られてばかりでは、恭也さんにご迷惑がかかりますから」

「迷惑など。すすかに戦われては、俺のように戦うしか能のない人間は、立つ瀬がなくなっ

てしまいます。大人しく守られてくれることが、不謹慎ではありますが、俺の望みでもある

のです」

「自分の意思で、戦いたいと思うってるんですよ、私。いつになるか解りませんけど、きっ

と強くなりますから。そうしたら、恭也さんのお仕事、私にもお手伝いをさせてください」



 簡単に返事を出来ることでもなかった。冗談と笑い飛ばすことも出来ず、本気と断言する

こともできない。曖昧な表情に、口調。煙に巻くようにくすり、と笑うと、すずかは手を引

っ込めた。この話題はおしまい。そう言われたような気がして、恭也は口を噤む。不機嫌不

愉快なままのアリサが、恭也の隣に並んだ。



 目的地は、テスタロッサ家である。休日の今日、天気もいい。ルーテシアも、普段ならば

ロッテを連れて虫取りにでも出かけているのだろうが、深夜に放送されていた虫のドキュメ

ンタリーを生で見ていたらしく、恭也が出かける時には、まだベッドで夢の中だった。ロッ

テはルーテシアの傍を、片時も離れることはない。



 フェイトとアルフは仕事で留守にしているが、二人が居るのなら、誰もいない部屋に少女

を連れ込むという、世間的にアレな事態にならなくて済む。二人にばれないように、恭也は

安堵のため息を漏らした。



「そう言えば、どうして急にあたし達に声かけたわけ? あたし達が荷物持ちに使ってやろ

うとしても、いっつも時間合わないのに」

「言っていませんでしたか? 停職中なのですよ、二週間ほどの。ちなみに今日は四日目で

す」



 大したことではないように言ったつもりだったが、誤魔化しは聞かなかった。学生の二人

には馴染みのない言葉であるから、ともすれば聞き逃してくれるかと思ったが、停職という

言葉の意味くらいは知っていたようで、アリサなど先ほどからの不機嫌なども忘れて、詰め

寄ってきた。



「あんた、停職なんて何したの。わかったわ、綺麗な同僚を捕まえて、セクハラでもしたん

でしょう、この変態!」

「断じて恥じ入るようなことはしておりません」

「じゃあ、何で停職なのよ。停職ってのは、悪いことをした人が受ける物よ」



 自分が行ったであろう悪いこととして、真っ先にセクハラを連想されたことに軽く傷付き

ながらも、どう話せば最も角が立たないか考えながら、説明する。



「先日、友人の葬式に参加したのですがね。その会場で、友人を侮辱する発言をした男がい

ました」

「まさか、その人に殴りかかったの?」

「そんな野蛮なことはしませんよ。自分のボキャブラリーを駆使して、婉曲に罵倒しました」



 それはそれで……と、すずかはどうとも取れるアルカイックスマイルを浮かべている。



「そうしたら、思いのほか堪え性のない男だったようでいきなり殴りかかってきましてね。

頬をわざと殴らせた後に、男の二発目に合わせてカウンターを決めてやりました」



 その時の光景を思い浮かべる。一生涯でこれ程のものはもうないのでは、というほど見事

に決まったクロスカウンターだった。恭也の拳は一瞬で男の意識を刈り取り、仰向けにダウ

ンさせたのだが、男は倒れた時に腰を打ったらしく、そのまま式場から病院に担ぎ込まれた。



 それからは、少しの騒ぎになった。目を覚ました男がこの件を問題にすると喚きだしたた

め、本局の上層部にまでその話が行ったらしいのだが、会場の人間のほぼ全てが、先に手を

出したのは男であったこと、男の発言が社会的に褒められたものではなかったことなどを証

言してくれ、他にも色々な人間の助力があり、本来はもっと重い処分になるはずだったもの

が、二週間の停職にまで減ぜられたのだった。



 周りが敵ばかりだったら、いくら地上と本局が反目していたとしても、管理局を追われて

いただろう。後から聞いたことだが、殴った男は地上でもかなり上層部にいる人間なのだそ

うだ。陰湿に権力を使う術には長けているらしく、恭也一人ではどうにもならなかったろう

と、処分を軽減するために色々と工作をしてくれたレティから聞いた。



後悔してはいないが、仮にも法の守護者の一味として、故人を送るための場で暴力を振る

うなど、あってはならないことだった。他の人間は皆、耐えていたのだ。ならば自分も耐え

られないはずはない。



 だが、目に入ってしまった。悔しさに、拳を白くなるほどに握り締めた、友人が世界で最

も愛していた少女の姿。その瞬間、立場がどうしたとか、そんなことは関係なくなっていた。

彼女のためだったらティーダも、大抵のことなら許してくれるだろう。むしろ、殴るだけに

留めた自分を、甘いと罵るかもしれない。



「まぁ、そんな原因で停職になったのですが、後悔はしていません。ふいに暇も出来たこと

ですしね。こうしてルーテシアのために買い物もできますから」

「そこであたし達に会えたから、とか言えないから、上手く立ち回ることもできないのよ、

あんたは……」



 まったく、と腰に手を当てて、アリサは下から睨み上げてくる。



「でも、そこで殴らないようだったら、あたしがあんたを殴っていたところだわ。舐めたこ

とを言う奴にはやっぱり、鉄槌が下るべきだと思うの」

「あまり暴力に訴えるというのは感心しないことではあるのですがね、我ながら」

「恭也さんは正しいことをしました。私とアリサちゃんは、ちゃんと解りましたから、胸を

張っていてください」

「すずかにそう言ってもらえると、励みになります」

「あたしじゃあ、励みにならないのかしら?」

「あまり褒められた記憶が……貴女の場合は、激励ではなく叱咤の方が多いのではないかと」

「あたしの愛が足りないと見えるわね……」



 猫のように目が細まる。楚々としているすずかと違い、アリサはやると言ったら例えそこ

が往来の只中であっても、『やる』少女だ。下手に対処をすると機嫌を損ねかねないが、対

応を謝ると、物理的に痛い目を見ることになる、非常に扱いの難しい相手なのだ。



 普段ですら完全な正解をつかめていないのに、今は荷物で両手が塞がっているという、圧

倒的に不利な状況だった。それを見逃す、アリサでもない。振りかぶられた足はまたも容赦

なく、恭也の脛を打ち据えていた。



 激痛に思わず、手の中の荷物を取り落としそうになるものの、何とか堪えた。何でもない

風を装うべきか。耐えられない程ではないが、ダメージがないと解るとアリサは第二撃を打

ち込んでくるだろう。恭也はアリサの美点を多く知るところではあったが、蹴られる趣味は

までは持ち合わせていなかった。



「申し訳ありません。その、言葉が足りませんで」



 だから、無難に謝ることにした。正解ではなくても、不正解にはならないだろうという判

断である。案の定、それは正解でなかったらしく、アリサはまた不機嫌な表情に戻ってしま

ったが、二度目の攻撃はなかった。不正解でもなかったらしい。



 ハラハラしながら見守っていたすずかが、ほっとため息をついた。



「あんたはもっと、あたし達のことを有り難がるべきだと思うの」

「仰る通りでございます、アリサお嬢様」

「うん、言い心がけね。良く働いてくれたら、鮫島の子分くらいにはしてあげるから、励み

なさい」



 ははぁ、と袋を抱えたまま平身低頭。演技なのは誰の目にも明らかだったが、大げさなく

らいが、今のアリサには丁度良かったらしい。不機嫌も何処へやら、歩む姿は非常に満足そ

うだった。



「恭也さん、恭也さん」



 距離は僅かなものだったが、歩く順はアリサ、恭也、すずかとなっている。最後尾を行く

すずかは、恭也の服の裾を引きながら、恭也にだけ聞こえるような微かな声で呼びかけてき

た。



「わたしなら、ファリンの上司にしてあげます」



 すずかが微笑む。だが、何処かの誰かに良く似た面差しのファリン・エーアリヒカイトは、

二人しかいない月村家メイドの、下の立場だったはずである。そこまで似なくてもいいのに

と恭也は思うが、要するにヒラメイドなのだった。わたしなら、と強調する程、アリサの提

示した待遇と差があるとも思えなかったが、すずかもだからどうしたとは続けない。



 相変わらず、冗談なのか本気なのか解らなかったが、すずかはとても楽しそうで、ならば

それでいいか、という気に。恭也はなった。



「早くきなさいよ。私を待たせるつもり?」



 少しだけ先に進んでいたアリサが、また機嫌を急降下させる兆候を見せていた。これはい

けない、と恭也は足を速める。すずかはその後を、何でもなく着いていった。