「恭也ー、遊ぼーぜ!」



 夜の帳も降り、宛がわれたテントで資料を読んでいると軽快な声と共にクレフが飛び込ん

できた。恭也は資料から目も逸らさずにクレフの身体を捉えると、造作も無く合気の要領で

投げ飛ばす。受身のやり方も知らないクレフはなす術もなく、テントの隅に用意された寝床

の方にすっ飛び、その上をごろごろと転がった。

 

「……確かに、ここはル・ルシエの集落で俺は部外者だ。このテントも借り物だから外俺が

どうこう言う権利というのはないのかもしれないが、それでも礼儀として、入っていいかく

らいは聞くようにな」

「ああ、わかったよ、恭也」



 解ったのか解っていないのか、判断に困るような調子でクレフは頷いた。投げられたこと

を不快に思うどころか、入ってきた時よりも笑みを深くして擦り寄ってくる。



 犬のように人懐っこい少年だった。砂色の髪に、日に焼けた浅黒い肌。この里にいる少年

としてクレフは標準的な風貌をしている。今年で五歳になると言うが、体が大きいせいかそ

れよりは年上に見える。性別の差もあるのだろうが、同じ年齢のルーテシアよりも一回りは

大きい。



 自分のような歓迎されない余所者に構うのだから、里の中でも浮いているのかと思ったが

この少年、子供連中の中では中心的な人物であるらしい。



 子供『連中』といっても世代毎にグループがあり、クレフが中心となっているのは彼を最

年長とした彼以下の年齢のグループ――詰まるところこの里で最も若い世代のグループだが、

そのグループにおいて、クレフは少年少女達からも慕われており、一つ上の世代のグループ

からも一目置かれていた。



 そういうリーダーのような立場になるのに、クレフは話してみるとこれで大丈夫なのかと

思うほど緩い思考をしていたが、その表裏のない性格は話していて気分が良く、子犬のよう

に纏わりつかれても不快に思うことはなかった。



「なぁ、遊ぼうぜ、恭也」

「子供は寝る時間ではないのか? 食事が済んでからもう、二時間も経っているが」

「後一時間は大丈夫だよ。まぁ、それ過ぎたって隠れて遊んだりもしてるんだけどさ。大人

にはまだ一回もばれたことないんだぜ?」

「そういう物は往々にしてバレているものだ。まぁ、ほどほどにな」



 目を通していた書類をバッグへと放る。無魔法戦闘教導の要綱。リスティ達が自分や美由

希を売り込むために纏め上げた、特共研の切り札の一つである。何度も改定され、今の物が

第何版なのか、売り込まれる立場の恭也にすら解らなくなっていたが、手探りで始めたこの

仕事も、いよいよ実を結ぶ所まで着ている。その結果が書類の錬度にも出るようになってき

た。



 時間があれば読み込もうと思って持ってきたものだったが――ちらり、と横目をクレフに

向ける。クレフはにこにこと、太陽のように笑っていた。



 頭をがりがりとかきながら、ため息をつく。書類を読んでいる時間はなさそうだ。



「遊び道具なんて持ってきてないぞ」

「なんだよ、管理局員なんだろ? なんか持ってないのか? こう……すげーの!」

「仮に持っていたとしても、ここに持ってきているはずはないだろう。俺はここに仕事で来

たんだ。観光に来たとでも思ってたのか?」

「まさか。この辺りなーんにもないぜ? 都会の連中が来たって、楽しめるもんか」

「理解をしてくれたようで嬉しい。まぁ、この時間に態々俺を訪ねて着てくれたのだから、

付き合ってやりたいという気持ちはある。何かないのか? 道具がなくてもできるような遊

びは」

「ないな」



 あっけらかんとクレフは答えた。遊びに来たというのに、遊び道具も持ってきていないらし

い。それだけ期待されていたのだとしたら申し訳ないことだが、持っていないものは仕方がな

い。身体を動かす遊びならばいくらでも心当たりはあったが、外はもう真っ暗闇だ。夜目の効

く恭也にはそこが闇でも全く不都合はないが、年端も行かない少年を連れ出していい時間でも

ない。



「お前、普段は何をして遊んでるんだ?」

「昼間は狩りの練習したりしてる。俺、まだ狩りには連れてってもらえないからな。恭也は

知ってるか? こう、木の棒に弦を張って、尖った木の棒を飛ばすんだ。それで、獣を仕留

める」



 クレフが見せたのは、拙いものの弓を引く動作だった。恭也の片眉がぴくりと上がる。管

理世界では魔法と魔導師が大手を振るっているから、質量のある武器の扱い方を教えること

は、どんな組織でもほとんどない。拳銃もあるにはあるが、携帯のためには厳重な審査を何

度もパスしなければない。その審査は地球よりも遥かに管理は厳しいものだ。



 拳銃のような火器でなくとも、飛び道具には当局の厳しい目が向けられている。魔法を介

しない攻撃方法というのが、社会的に禁忌として扱われていた。飛礫撃ちにさえ白い目を向

ける人間がいるほどで、魔導師至上主義とも言えるその風潮は聊か恭也を辟易とさせた。



 尤も、弓矢の所持や使用は厳密には違法ではない。当然その指導も合法だが、世間的な風

潮も管理局の体制も質量兵器及びそれに順ずる物には否定的だった。それを掻い潜ってまで

教えたい、教わりたいというチャレンジ精神のある人間は少数のため、管理世界中有数の発

展を遂げているミッドチルダ、その首都クラナガンでも弓矢を扱うことの出来る場所は片手

で数えられるほどしかない。



 弓矢のことを話すクレフに引け目のようなものは見えない。言葉は悪いが、この辺りは辺

境である。それだけに、ミッドチルダの人間が持っているような意識も少ないのかもしれな

い。



 そんな、クレフの提供してくれる話題に新鮮な気分になっている自分に、恭也は少しだけ

驚いた。



 恭也・テスタロッサの感覚としては、新鮮に感じたそれこそが馴染みものだ。魔法に頼り

切ったこの世界こそが、本来ならば異界である。それだけ管理世界に馴染んだということな

のかもしれないが、精神までそれに順応するのは危険だった。



 魔法は絶対である。そういう錯覚を心の隅にでも植えつけられてしまったら、勝てる勝負

にも勝てなくなってしまう。



「俺は狩りは魔法使ってやった方がいいと思ってるんだけどな。大人は皆、狩りをする時は

そういう道具を使ってるんだ」

「大人は魔法を使えないのか?」

「使えるけど、使わない。狩りの手伝いが出来るようになるのが10歳、狩りに参加させて

もらえるようになるのが15歳。俺くらいだと、やってる奴もいるしやらない奴もいるね。

魔法は十歳になると教えてもらえる」

「つまりル・ルシエの民は皆魔導師になるのか?」



 集落の人数はおよそ200人である。200人と言えば、管理局の隊の中では随分と大所

帯だ。集落の民には無論、魔法の習熟レベルに差はあるのだろうが、とりあえず戦闘に出て

も差し支えないレベルを最低とすると、年齢から錬度を平均するとしても、200人という

人数は脅威だった。



 山岳民族としてのタフさも考慮に入れれば、並の陸士隊よりもずっと精強な部隊になる。 



「皆魔法は使えるようにはなるけど、魔導師になれるのは全員じゃないぜ? 魔導師になる

のは、男だけだ。何かあった時に部族の皆を魔法を使って守る。それが、ル・ルシエの男の

役目なんだ」

「部族の皆のために魔法を使って戦う人間を、魔導師と呼ぶのか」

「そうだよ。だから、大人の男は全員魔導師だな」

「クレフも将来魔導師になるのか?」

「もちろん。集落で最強の魔導師になってやるぜ!」

「お前ならなれそうな気がするよ」



 お世辞でも何でもなく、恭也はそう思った。クレフは嬉しそうに笑っている。



「それはそれとしてだ。お前の部族は皆こういうテントに住んでいるんだよな?」

「族長のテントは少し大きいけどな。大抵は皆この大きさのテントに住んでるよ」

「そうか。このテントは中々の大きさに見えるのだが、これ張るのにどれくらいの時間がか

かるのだ?」



 恭也一人に割り当てられているが、テントは一人で過ごすには相当に広い。幕を吊るして

スペースを区切れるようにもなっており、4人くらいは余裕で暮らせるほどのスペースがあ

った。なのはにも同じ広さのテントが割り当てられているはずである。歓迎されていない人

間には過ぎた待遇と言える。下手をしたら野宿というのも、考えないではなかったのだ。



「んー……協力して、三十分くらいかな。そんなに難しくはないぜ。子供だけでも立てられ

るくらいだから」

「このテントはお前達が立ててくれたのか?」

「ねーちゃんの方は俺達が立てたよ。空いてるテントがいくつかあったから、一番小さい奴

を使った。このテントは少し前までキャロねーちゃんの家族が住んでたんだ奴だ」

「空き家ならぬ空きテントということか。テントにしては人が暮らしていたような痕跡があ

ると思っていたが、謎が解けた。ところでそのキャロねーちゃんの家族だが――」



 言って、言葉に詰まった。引越しでもしたのかと続けようとしたのだが、このような少数

民族が引越しをするなど、考えられなかった。集落の中でテントを移動したと考えられなく

もないが、クレフの話し振りからは違うように聞こえる。



 案の定、クレフは予想通りのことを口にした。



「キャロねーちゃんは少し前に集落を出てったよ。外で暮らすんだってさ」

「事も無げに言うが、部族の民が外で暮らすことはままあるのか?」

「俺が生まれてからはキャロねーちゃんが始めてらしいぜ。俺が生まれる前にも追放された

奴とかいたらしいけど、キャロねーちゃんは別に追放された訳じゃなねーし」

「何か特別な事情があったのか?」

「ねーちゃん、召喚師? の素質があるんだってさ。で、竜の子供に懐かれたんだけど、集

落の決まりで竜は一緒に暮らせないんだ。でも、キャロねーちゃんは竜と一緒に暮らしたい

から、外に行くって一人で決めたんだ」

「見上げた根性だが、そのキャロねーちゃんというのはいくつなんだ?」

「俺の一つ上だから、今年で六歳かな」



 管理世界は子供の自立が早いと認識していたが、六歳というのは早すぎはしないだろうか。

そう思うのは管理外世界の出身であるからで、リンディ辺りに相談すれば顔を顰めたりはし

ないのだろうけれども、子供が苦労を背負い込むというのはやはり抵抗があった。



 だが、眼前のクレフもそのキャロが不当な扱いを受けているという認識は持っていないよ

うだ。キャロが近くにいないことに不満はあるのだろうが、それだけだろう。こうなってく

ると、自分が不甲斐ないのか彼らがしっかりしているのかわからなくなる。





「そのキャロねーちゃんの両親はどうしたんだ。テントを移ったのか?」

「叔父さんと叔母さんは三週間前に死んだよ」



 人の死を、クレフはさらりと告げた。



「…………死んだのか?」

「うん。前の族長様の看病とかしてたから、その病気が移ったんだろうってさ」

「前の族長様も死んだのか?」

「叔父さん達と同じくらいにね」



 クレフの言葉に、得心する。タークが族長と言うには若すぎるはずだった。族長という役

職が世襲で、先代が死んだのが三週間前というのなら、タークが若いのも道理である。



「その方々のテントを使わせてもらっているのも、何かの縁だな。墓に花でも添えたいのだ

が、どこにある?」

「集落の外れにあるよ。歩いてすぐだ。明日でよければ案内するけど、あんまり楽しくはな

いぜ?」

「墓参りは楽しくするものでもないだろう。だが、明日案内してくれるのは助かる。このま

までは明日の朝には山を降りることになるだろうからな、立つ直前ということになるが、構

わないか?」

「別に構わないけど、恭也、もう帰るのか? 何しにきたんだよ」

「仕事をしに来たはずだったんだがなぁ。先方が俺達をいらんというのなら仕方があるまい。

上手い飯を食いに来たと思えば、そう悪い仕事でもなかったよ」

「なんだよー。管理局の魔導師って言うから、てっきり真竜と戦うもんだと思ってたのに」

「要請がないと動けない立場なのが、宮仕えの辛いところではあるな。ついでに言うと、俺

は魔導師ではない。魔導師は向こうのテントのねーちゃんだけで、俺はただの剣士だ」

「そうなのか? 族長様みたいな雰囲気してるから、てっきり強い魔導師なのかと思った」

「見た目の割りに落ち着いていると評価されたと、好意的に解釈しよう。まぁ、弱くはない

という自覚はあるが……真竜を倒すとか、そういう器でないことだけは先に宣言しておく」



 恭也が戦わないということに、クレフは文句があるようだった。ル・ルシエの民は男が戦

うらしいから、女のなのはに戦を任せて後方に引っ込んでいるというのは、男として最高に

格好悪いことなのだろう。



 年下の少女であるなのはだけ戦わせるのは、部族の習慣とかそういった物を抜きにしても

格好悪い思うが、人間には得手不得手というものがある。地に足をついて人と戦うのなら人

並み以上に活躍する自信はあるが、ドラゴンのような巨大な生物と戦うことに限っては、な

のは達魔導師に遠く及ばない。



 正直、今回の同行すら疑問に思うところはあった。なのはに誰かを供に付けるのだとすれ

ば、もっとマシな人間が他にいたはずである。作戦の成功率という物を考えたら、恭也・テ

スタロッサという人間はいかにも不適格だった。



「そんな不満そうな顔をしないでくれ、クレフ。真竜と戦うことで役には立てないだろうが、

隠れて震えていると言ったのではないぞ。あれの供を負かされた以上、背中を守るのは義務

だからな。いざ戦闘となれば、俺もなのはと一緒に戦うよ」

「戦えないのにか?」

「それにしたって、何か出来ることはあるだろう。何もしないのでは、それこそここにいる

意味がないからな」

「ふーん……」



 一息吐いて呻くと、クレフはにやりと笑う。



「なぁ、あのねーちゃんって恭也の――」



 言葉が終わるよりも早く、恭也はクレフの体を掴むと寝床に向かって投げ飛ばした。二度

目ともなると学習したのか、クレフは空中で体を回転させうつ伏せの状態で着地する。



「なんだよー、まだ何も言ってないぞ?」

「特別な関係にはないということだ。仕事で一緒にいるだけに過ぎん」

「そういう反応をするのが怪しいって、うちの母さんとかもよく言うぞ」

「……解った。では、俺達の関係を正しく理解してくれるまで、主にお前の身体に話を聞い

てもらうことにしようか」

「……にじり寄ってくる顔が怖いよ、恭也」

「怖いことなどあるものか。予め断っておくが、パワーアップした俺の握力は、通常状態で

108キロまで出せる。その握力でもってマッサージをしてやろう」

「出来れば遠慮したいなぁ、と思うんだけど」

「遠慮は必要ない。されている時は地獄の苦しみを味わうことになるが、明日は快調だぞ」

「ちょ、ちょっと、ま――」



 後退るクレフに構いもせず、恭也は指を鳴らしてにじり寄る。さりげなくフェイントを交

えてクレフの行動を封じ、あっという間に壁にまで追い詰めた。クレフは強引に腹這いにな

ってテントから出ようとするが、恭也の動きはそれよりも速い。



 ただの少年に、逃げ切ることなど出来るはずもなかった。















































 目覚めると、酷い頭痛に襲われた。起床時間を告げる鐘の音が頭痛をさらに助長する。考

えることが多すぎて、寝付くことが出来なかったのだ。最後に時計を見てから、一時間も経

っていない。中途半端に寝るくらいなら徹夜した方がまだマシだった、と思いながらなのは

は寝床から出て野戦服に袖を通し、身支度を整えた。



 今日で任務は区切られているから、何事も無ければ今日、なのは達は帰らなければならな

い。何かしら真竜の問題に対応出来るまで集落に留まりたかったが、族長の反応を見る限り

滞在期間を引き伸ばすことは出来ないだろう。



 一日でも滞在を許したのが、彼なりの最大の譲歩に思えた。集落の他の人間も程度の差こ

そあれ族長と同じ方針のようである。権力を傘にきて、族長が強制している感じではない。

集落全体の意思として、彼らは排他的だった。例外は恭也の捕まえた少年、ただ一人である。



 その少年から何とか話を聞けないものかとアプローチを試みたが、どういう魔法を使った

のか少年は恭也から離れようとしなかった。少年に話しかけると、もれなく恭也も着いてく

る、子供は好きだし抵抗はないが、恭也に話しかけるのは勇気が要った。



 ここに来るまでの間には色々と話をすることも出来たが、あれは山登りに疲れていた独特

のテンションだったからこそ出来た芸当だった。素面の状態ではとても出来ない。



 手鏡に映った、少し疲れた表情の自分を見つめてため息をつく。心は朝から暗かった。



 しかし、いつまでも暗い気持ちを引き摺っている訳にはいかない。親友アリサ・バニング

スの真似をして、両頬を叩いて気合を入れると足音も高くテントの外に出る。



 青空が広がっていた。何処までも澄んだ空気は、クラナガンでは味わうことの出来ないも

ので、どこか海鳴に近い物を感じさせた。大きく深呼吸をしていると、隣のテントから恭也

が出てくる。いつも通りの無愛想な恭也とは対象的に、少年の方は不自然なほどにに晴れ晴

れとした表情をしていた。無駄に体を動かしては、『おー』と感心している。



「恭也くん、あの子に何かしたの?」

「マッサージをしてやっただけだ。あの年で結構疲れが溜まっていたからな。ついでに骨を

矯正して元の状態に戻した。今日のあいつは絶好調だぞ」

「マッサージなんて出来たんだ……」



 恭也とはそれなりの付き合いがあるはずだったが、マッサージが出来るなどとは初耳だっ

た。そんな技能があるのなら良く解らない付き合いをしている義姉から何か聞いても良さそ

うなものだが、記憶を掘り起こしてみても、やはり覚えがない。



 割りと平気な顔をして嘘を吐く男だから今回もそうなのかと思わないでもないが、走り回

る少年の絶好調は嘘ではなさそうだ。恭也が少年に何かしたのは間違いないだろう。



「今度、私にもやってもらえる?」

「別に構わないが……」



 何故だか、恭也は畏怖を込めて見つめてきた。それほど可笑しなことを言ったかと首を傾

げると、恭也は少年を呼びつけて先の内容を伝えた。すると、少年も恭也と同じような表情

でなのはを見上げてくる。心なしか、尊敬の念まで篭っているような気がした。



「ねーちゃん、凄い人だったんだな……」



 少年の言葉に釈然としないものを感じたが、褒められて悪い気はしなかった。煙に巻かれ

ては事なので、マッサージの件は恭也にしっかりと念を押す。恭也は実に微妙な表情をして

いたが、三度も念を押すと根負けして、次の休みにと具体的な約束を取り付けることに成功

した。



「恭也、朝飯に友達も連れてきていいか?」

「別に構わないが相手の意思も確認するようにな」

「皆来たいとは思ってるみたいだぜ? 実は俺が恭也に会いに来たのは、あいつらに会わせ

てもいいか、テストするためでもあったんだ」

「ほう? では、俺はテストには合格できたのかな」

「いい奴だからな、恭也は。ねーちゃんも一緒にどうだ?」

「私はいい奴じゃないかもしれないよ」

「恭也の仲間なら、いい奴だろ。じゃあ、俺は友達呼んでくるから、ここで待っててくれよ」



 言うが早いか、少年はテントの密集する方へ駆けていった。恭也と顔を見合わせ、思わず

噴出す。恭也はいつも通りの無表情だったが、照れているような気がしたのだ。こちらが笑

うと、恭也は不機嫌そうに唸った。



「……言いたいことがあるのなら、はっきりと言え」

「別にー。恭也くんは優しいなぁ……って改めて思ってたところ。アリサちゃん達にも教え

てあげなくちゃ」

「余計なことを広めたら、お前はきっと不幸になるぞ」

「本当のことなんだから余計なことじゃないよ。フェイトちゃんとか喜んで協力してくれる

だろうし、明日には恭也くんはいい奴だって評判が管理局中に広まっちゃうね。わー、楽し

み」



 これだけ話すにも勇気が要った。顔には出ていないと思うが、心臓はバクバク言っている。

これで少しは食いついてくれるかと恭也に目をやると、目を細めて明後日の方向を眺めてい

た。自分の方を、見てもいない。



 カチンときた。無視などして、一体何を見ているのか。憮然としながら恭也の視線を追う

ものの、その先には何もない。



 だが、恭也は殺気すら篭った様子で虚空をじっと睨みつけていた。



「プレシア、接敵までの時間は?」

「およそ十五分ですわ。それにしても主様、よくもまあ気づけたものですこと」

「お前の主は何気に凄いということを、再認識しておいてくれ」



 小さく息を吐くと、恭也はプレシアを展開させた。バリアジャケットを張ることが出来な

い恭也にとってそれは、戦闘体勢に入ったことに他ならない。



「不謹慎だから、少しだけ喜べ。なのは、どうやら何もしないで帰らずには済みそうだぞ」

「……どういうこと?」



 恭也の言葉から察しくらいはついたが、俄かには信じることが出来なかった。逸る気持ち

を押さえながら、恭也の言葉を待つ。



 恭也は彼にしては珍しく、緊張した様子で言葉を紡いだ。



「真竜とやらが来たようだ、が、俺はさっさと帰れば良かったのかもしれないと、少しだけ

後悔しているよ」



 





































「族長!」



 敵襲を告げる鐘の鳴る中、は集落の外れに武装した男達を見つけた。声を挙げるとその輪

の中心にいたタークが振り向き、苦虫を噛み潰したような顔を向けてくる。



「あんたら、運がいいな。それとも悪いのかな」

「それは戦ってから判断することにしましょう。俺達の戦列に加わっても?」

「仕方なかろうな。その代わり、俺の指示には従ってくれよ」

「了解です。しかし俺から聞いておいて何ですが、本当に俺達が参加しても良いのですか?」

「本音を言えば人手はいくらあっても足りんからな。平時であれば矜持も張るが、いざとな

ったらそんなもの、邪魔にしかならん」

「柔軟な思考をお持ちのようで安心しました」

「その代わり俺達の足を引っ張るようなら管理局に抗議してやるから、そのつもりでいろ」

「では、精々奮闘するといたしましょう」



 駆け出すターク達と共に駆ける。こちらに歩調を合わせる気はないのかターク達はかなり

の速足だったが、なのはもどうにか着いてきていた。遅れるなのはを不憫に思わないでもな

いが、こういう時に優しくされることをなのはも好まないだろう。年頃の少女にしては実に

男らしい性格である。



 そういうなのはの性質は、好ましいと思う。不屈の精神を宿した瞳が、如何にも御神不破

の血を感じさせる。



 ほどなくして、一行は開けた――開かれた場所に着いた。



 ターク達は恭也達には目もくれずに戦闘の準備を始めた。円形に陣を敷き結界を仕掛け、

デバイスを組み立てて行く。



 ミッドチルダでもベルカでも、デバイスは手のひらに収まるサイズの待機状態から展開す

るのが一般的だったが、ターク達のデバイスは機械らしい要素は残っているものの、鉄の色

が光る頑丈な造りをしていた。大きさもレイジングハートよりも一回りは大きく、取り回す

態度から判断するに重量も見た目通りのものなのだろう。



 普通のデバイスには、重さというのはほとんど存在しない。展開しても待機状態とほとん

ど同じ重量なのが一般的だった。流石に重さを感じない小太刀を振るうことに馴染めなかっ

た恭也の希望で、プレシアには本体を重くするようなプログラムが仕込まれているが、これ

は変形展開機構を持ったデバイスにあって極めて稀な仕様である。



 ターク達はそんな見た目通りの重量のあるデバイスを軽々と扱っていた。彼らの体が鍛え

抜かれているのは服の上からでも分かる。山暮らしならば体力も相当のものだろう。ここに

来るまでにかなりの距離を走ったが、誰ひとり息を切らせていない。



 空の彼方に目をやる。点にすらなっていなかった真竜は点としてなら認識できるようにな

っていた。気配も先ほどよりはっきりと感じられるようになっている。



 それはこんな生物に勝てるのか、と思わず尻込みをさせるほどの強大な気配だった。シグ

ナム達のような生粋の魔導師であればまた違った感想を持ったのだろうが、剣士である恭也

・テスタロッサは魔導師とは根本的に発想の仕方が違う。改めて確信する。剣士ではあの生

物には勝つことが出来ない。



「……俺達は何をすれば?」

「特別なことはしなくていい。俺が撃て、と言ったら一緒のタイミングで同じ方向に向けて

撃ってくれればいい。管理局が態々寄越した魔導師なんだ、それくらいは期待してもいいよ

な?」



 何も期待していない、といった態度でタークは言う。砲撃戦となるとなのはは兎も角恭也

には出る幕がない。押しかけてきたのはこちらであるのだし、タークには今まで貫いてきた

主義も立場もある。管理局員である自分たちにタークがそういう態度を取るのは解らないで

もなかったが、それを承服できない人間が一人だけいた。



「私が戦ってもいいでしょうか」



 戦闘準備をしていた男達の手が止まり、その声の主――なのはを見やった。山男達の視線

にめげることもなく、なのはは彼らの代表であるタークの顔を見つめる。タークは面倒臭そ

うに頭をかいた。



「戦ってもいいかってのは、お前さん一人でってことか?」

「はい。それが一番、犠牲が少なく済む方法だと思っております」



 あの生物と一人で戦う。恭也ならば誰に頭を下げられても答えに窮するようなことを、な

のはは平然と自分から、それも一人でやると言い出した。功名心から来る言葉だと思えれば

まだ良かったが、そんな物はなのはの精神と最も遠いところにある。



 タークに吐いた言葉にも嘘は欠片も混じっていない。高町なのはは心の底から、それが一

番犠牲が少なくて済む方法だと認識している。男達が全員で戦うよりも、自分一人で戦う方

が同等以上の戦果を挙げることが出来ると。傲慢とも思えるそれも、言ったのがSランクの

魔導師であれば妄言と言い切ることも出来ない。



 戦いを生業とする人間にも矜持がある。そういう者達にとってなのはの言葉は侮辱に等し

いものだったが、山男達の中には誰一人として、腹を立てている者はいなかった。全員が何

をするでもなく族長のタークの言葉を待っている。タークは大きくため息を吐いて答えた。



「あんた一人で戦わなくちゃいけない理由はないだろう。これは元々、ル・ルシエの民の戦

いだ」

「全ての人々を守るために戦うのが、管理局員の務めだと思っています」

「そいつは立派な心がげだと思うがね。詳しい事情は話さんが、これは俺達とあの真竜との

酷く個人的な問題に端を発している。お前さんは元より、管理局って外様に頼む権利はどこ

にもない。本来なら、あんた達にここに立ってもらうことだってルール違反なんだ。なのに

お前さん一人に戦わせるとなったら、俺達は女房子供に顔向けすることも出来ない卑怯者に

なっちまう。お前さんは俺達をそういう人間にしたいのか?」

「家族はお父さんが無事に帰ってきてくれることを、何よりも願っているはずです」

「お前さんには無事を願う家族がいないとでも言うつもりか? 真竜の力を知らない所から

言葉が出てきたのだとしても、敬意だけは表させてもらう。気持ちだけ貰っておこう」

「ですが――」

「文句があるなら、そっちの兄ちゃんと一緒に管理局に帰れ。そこまでして協力してもらう

義理は、俺達の間にはない」



 それ以上話に取り合うつもりはない、と言うようにタークはなのはに背を向け、デバイス

の調整を始めた。悔しさからか、なのはは俯き拳を握り締めている。他人に戦わせるのなら、

自分が……生死の境を彷徨った後でも、その考えは愚直なまでに変わっていない。それどこ

ろか、より強く思うようになってすらいる。



 周囲の人間は気が気ではない。特に、あの時共に任務に就いていたヴィータなど、なのは

の動向をずっと気にしているのだ。八神の家族以外などどうでもいいとおもっている節のあ

るヴィータにすらそこまで思わせるほど、なのはの行動は危なっかしいのだった。



「諦めろ。こうなっては、皆で頑張って生き残るのでもいいだろうさ」



 自分がやらなければ誰もやらないだろう。仕方なくといった形でなのはに声をかけてみる

ものの、その不満は解消できそうもない。



 フェイトやはやてと比べて、スタンドプレーに走る傾向がなのはにはある。それを長所と

するか短所とするのかは人に寄るだろうが、もう少し協調性があればと思っているのは自分

だけではないだろう。



「私、間違ったこと言ってるかな」

「少なくとも族長殿は間違ったことは言っていないと思う。危険や犠牲を考えるのなら、そ

こにお前自身のことも入れておけ。お前が怪我をしたら、悲しむ人間もいるだろう」

「恭也くんは、悲しんでくれる?」

「……共に仕事をしている人間が怪我をして、いい気分がするとしたらそいつは人間のクズ

だ。俺がついていてお前に重大なことがあったら、ヴィータに何をされるか解ったものでは

ないしな。俺の目の届くうちは危険なことはさせられん」

「人が怪我をするよりは、ずっといいと思うんだ」

「その気持ちは痛いほどに理解できるが、それにも限度という物がある。お前はもう少しそ

いつを知れ」



 戦闘準備を一瞬で出来る恭也達には今現在、特にすることがない。欲を言えば周辺の地形

を頭に入れておきたいところだったが、戦闘の主役はターク達となのはで恭也ではない。頭

に入れた地形を生かすようなことがあるとしたら撤退する時だけだ。ドラゴンを相手に撤退

するようなことがあるとすれば、ロクでもない事態だというのは容易に想像できる。そうな

らないように祈ることが、今の恭也に出来る唯一の仕事と言えた。



『接敵まで、後二分ですわ』



 プレシアのカウントに釣られて、真竜の影を見やる。距離が近付くに連れて、真竜から感

じるプレッシャーも大きくなっていた。強大な魔力に純然たる敵意と殺意。気を扱うことを

学んでからそういったものを感じられるようになったが、ここまで大きな気配を感じたのは

初めてだった。



 自分一人で遭遇したとしたら、まずすっ飛んで逃げることを考える。それほどの相手であ

る。ターク達やなのはは負けないつもりでいるらしいが、本当にそんなことが出来るのかと

不安になるほど、真竜の気配は強大だった。



 自分以外の人間が、そんな存在と戦おうとしている。しかも恭也・テスタロッサはその力

になることが出来そうにない。考えうる限り最大の攻撃を最高のタイミングで真竜に直撃さ

せたとしても、かすり傷がを付けるのが精々だろう。



 人相手にはそれなりの力を発揮する恭也の技術も、真竜のような巨大な生物を相手にする

には向いていない。リスティ達の研究が実を結べば真竜と対等に戦えるような日も来るのか

もしれないが、ミッド式の規模にテスタ式が追いつくまでには何十年かかるか解ったもので

はない。



 何十年か先の技術を強請ったところで、今まさに始まろうとしている戦闘には何の役にも

立たない。あれとは、戦わなければならないのだ。すっ飛んで逃げるという選択肢をとりあ

えず保留して、自分ならばどうするか考えてみる。



 一人で戦うならば負けないことは出来るかもしれないが、勝利を得ることは絶対にない。

何度考えてもそういう答えに到達する。単独での勝負に負けない、というのが真竜を相手に

した場合の、恭也・テスタロッサの最大戦果になる。それもあくまで単独で戦うことが条件

だから、何かを守るとかそういう条件が付けば、それだけで全てが台無しになる。



 戦うことを生業にしているのに、見っとも無い話だ。得意分野の差と言ってしまえばそれ

までで、恭也自身不得手とする分野に無理に首を突っ込むことはないと考えてはいるが、そ

れと心情は別である。



 何も出来ないという現実の前に、恭也は無力感を噛み締めた。



 タークの叫び声が響きわたる。所定の位置についた男達に混じって、バリアジャケットを

展開したなのはも、その中に混じっていた。砲撃が出来ないとタークに伝えた覚えはなかっ

たが、なのはが伝えたのかもしれない。恭也は最初から攻撃人員の勘定に含まれていなかっ

た。



 プレシアのカウントが十秒を切った。プレッシャーから来る強烈な吐き気と戦いながら、

恭也をずっと空を見上げ続けた。



 巨大な影が、太陽の光を遮る。瞬間、凄まじいまでの突風が恭也達を襲った。地面に足を

踏ん張りながら翼を広げて空を舞う真竜の姿を、恭也は初めて間近で見た。



 彼我の距離は相当なものがあるはずだったが、それでも真竜の身体がどれほど巨大である

のか感じることは出来た。今まで見てきた生物の、どれよりも大きい。漆黒の身体に巨大な

翼。なのは達やリンディを大きく凌ぐ魔力に、視覚化しかねないほどの敵意と殺意。



 タークはこの戦いを、個人的な問題に端を発していると言った。あれほどの存在にここま

での感情を抱かせるような問題というのは、一体何なのか。気にはなったが聞けるような雰

囲気でもない。真竜が姿を見せたことで、ターク達も殺気だっている。今の恭也に出来るの

は、邪魔にならないように下がっていることだけだった。



「3、2、1、撃て!!」



 タークの号令と共に、男達が一斉に砲撃を放つ。真竜の軌道を読んだ一撃は、当たる直前

のところで回避された。方向とタイミングを指示したタークの力量もさることながら、それ

を直前で回避して見せた真竜の動きも半端ではない。



 光の速さですっ飛んでいく砲撃は撃たれた、と認識してから回避したのでは絶対に間に合

わない。だから予備動作――砲撃の場合は、発する魔力光などを参考にして回避するタイミ

ングを決めるのだが、ターク達の砲撃は予備動作の時間が極めて少ない。



 管理局において前線で戦う魔導師と比べても、その技術に遜色はない。攻撃に際して無駄

な物の一切が省かれているのだ。相手を無力化するのではなく、殺すための攻撃。



 その攻撃の仕方も、初めて見るものだった。



 男達は五人で一組になって『一つ』の攻撃をしている。一斉に、ではない。五人で一つの

魔法を行使しているのだ。気の流れの見える恭也には、その攻撃が高いレベルで収束された

ものであるのが見てとれた。



 個々人の魔力量だけなら、最も多いタークでもなのはの半分にも満たない。魔導師ランク

で言えばどう高く見繕ってもAA。Sランクを取得したばかりのなのはとは最低でも4つの

開きがある。



 だが砲撃一つを取ってみると、男達の砲撃はなのはのそれよりも収束されていた。一発で

放つ魔力の量はなのはの方が男五人の放つよりも多いようだったが、収束の度合いには大き

な差がある。破壊の規模で言えばなのはの方が大きいのだろうが、より堅牢な物を貫くこと

を目的とした場合、ターク達の攻撃に軍配が上がる。



 戦うことの出来るル・ルシエの部族の男全てがここにいた。中には恭也よりも年若い者も

いたが、戦いの中核になっているのはなのはの倍以上は生きているだろう壮年の男達である。

魔法の修行に割いた時間も、なのはとは比べるべくもない。



 そして、そういう連中の攻撃を回避してみせる真竜も生半可の相手ではなかった。大きく

旋回すると、真竜は真っ直ぐにこちらを目掛けて飛んでくる。口を大きく開いたのが見えた。

鈍い光を放つ魔法陣が真竜の前に展開し、そこに膨大な魔力が集まっていく。



『威力測定完了。レイジングハートの担い手の最大威力と比しても、桁が違いますわ』

「直撃したら、俺の骨は残るかな」

『ご主人様の骨が伝説の魔導金属で出来ているというのでしたら、望みもありますわね』



 プレシアの口調もどこか投げやりだった。そんなものが直撃すれば当然命はないが、そん

な攻撃を前にしてもターク達は平然としていた。視線に気づいたのか、戦中であるのにター

クがこちらを見る。



「攻撃しねえなら、何でついてきたんだ、あんた」

「そっちの奴の保護者なもので。ところで、あれを防ぐ方策はありますので?」

「ないな。直撃したら俺達は全滅だ」

「避けなくていいのですか?」

「攻撃は最大の防御、というのが真竜と戦う上での最も根底にあるものだ。奴があのまま攻

撃を放てば、俺達の攻撃も直撃する」



 撃て、とタークが命じると男達の砲撃が一斉に真竜に向かって飛んだ。攻撃の態勢に入っ

ていた真竜はそのまま回避行動に入り、中途半端に展開されていた魔方陣による攻撃は、数

百メートル離れた場所の森林を根こそぎ吹き飛ばした。



 地の揺れと砂煙が、こちらの陣地にまで届いた。破壊力に関しては、プレシアからの報告

以上の物だった。こちらの次元世界群に来てからも来る前も、常識に縛られない物を数多く

見てきたが、単体であれだけの破壊を生み出す生物というのは初めてお目にかかった。



 飛んでいった真竜が一度視界から消えると、索敵まで担当しているタークが遠見の器具を

使って真竜の動きを追う。他の男達はデバイスを構えたまま、休めの姿勢でタークの指示を

待っていた。



 程よい緊張が、彼らにはあった。こういう戦闘に関して、よほどの訓練をしているのだろ

う。動きに乱れも淀みもなく、全員が一斉に行動する。それが末端の若い人間にまで浸透し

ているのだから、職業軍人の端くれである恭也も舌を巻かざるを得ない。



 自分ですらこうなのだから、魔導師であるなのははもっと複雑な心境であるのだろう。そ

う思ってなのはを見ると、遠くに漸く現れた真竜の姿を、じっと睨みつけていた。その思い

つめた表情に、恭也の背筋に悪寒が走る。



「おい、なの――」



 止めるよりも速く、なのは空には飛び立った。目にも留まらぬほどの速度で真竜へと突っ

込んで行く。そのまま近接戦闘でも仕掛けるのかと思わせるほどの勢いだったが、流石にそ

こまで血が上っているわけでもないようだった。



 真竜と着かず離れずの距離を取り続け、アクセルシューターなどで牽制しながら大技を叩

き込むタイミングを狙っている。今の段階ではいい勝負をしているように見えなくもないが、

いくら何でもあんな巨大生物と戦い続けるだけの体力が、なのはにあると思えない。



「この間抜け。仲間なら手綱くらいは握っとけよ」

「申し訳ない。直ぐに連れ戻してきます」

「行くな馬鹿。お前さんの能力は知らんが、装備もなしに真竜に近付くのは危険だ。俺達は

援護に徹する。あのねーちゃんが力尽きる前に、真竜が帰ってくれることを祈っとけ」



 単独で戦う人間を援護するなど想定していないのだろう。いくらかの相談は必要だったが、

ターク達の配置と役割分担は直ぐに決まった。なのはを相手にしているため、真竜の動きも

少なくなっている。見方を変えれば仕留めやすくなったとも言えるが、タークは苦い表情を

崩していない。まかり間違って勝利を収めたとしても、文句を言われるのは確実だった。



 タークと同じように苦い顔をして、恭也もため息をついた。なのはの性格を考えたら、予

想出来る行動だった。現地の人間と諍いを起こすのは問題だが、厳密に言えばこれも命令違

反ではない。真竜を倒すなどということがあれば、査定でもプラスに働く。ターク達は抗議

するだろうが、管理局全体から見ればそれも誤差みたいなものだ。



 真竜を倒せるという結果が伴うのなら、なのはの行動は彼女自身にとってプラスになる。

こういう事態も想定しての人選のはずだ。なのはを選んだ人間も、あわよくばくらいには思

っているはずだ。



 だが、恭也にはどうしても上手く行くとは思えなかった。なのはの力を信じていない訳で

はない。高位の魔導師の力というものを、共に戦った恭也は身体で理解している。なのはの

実力があればあの真竜を倒すことも決して不可能ではない。



 実力以外のなにか、予感としか言えないような儚いものだったが、恭也の胸にはなのはの

敗北を決定付けるだけの何かが居座っていた。恭也・テスタロッサは未来を見通すことはで

きない。だが、悪い予感に限って言えば不気味なほどに良く当たる。



 なのはにとって悪い何かが起こる。そんな予感が消えてくれない。



 ほどなくして、なのはと真竜の戦いを観測していたタークが顔色を変えた。



「いかん……咆哮が来る」



 タークの声に、男達の間にも衝撃が走った。



「竜の咆哮は心に直接響く。殺意を持った竜の咆哮は、人間の心なんて容易く砕くぞ。今す

ぐあのねーちゃんを知らせろ。無防備に咆哮を喰らえば、ショック死だぞ!」

「プレシア!」

『レイジングハートを通しての警告を先ほどから試みて降りますが、念話を拒否する設定を

しているようですわね』

「あの馬鹿!」



 恭也の目からも、真竜が大きく口を開くのが見えた。動きも、それで止まる。好機と見た

なのはは魔力のチャージを開始した。だが、間に合わない。



「来るぞ! 全員、耳を塞いで気をしっかり持て!」



 タークの言葉に従い、全員が耳を塞いで身を低くした。



 次の瞬間、空間を破壊せんばかりの衝撃が辺りに走った。物理的な威力すら持ったそれは

待ち構えていた恭也の心にも直接響いてくる。言いようのない恐怖が恭也の心を支配した。

ここから逃げ出したい……そんな思いが恭也の内側を駆け巡った。



 とっさに、唇を端を噛み千切る。痛みが恭也の心に微かな安寧をもたらした。荒くなった

息を整え、周囲を見回す。顔色の悪い人間はいるものの、ターク達は誰一人として倒れてい

ない。



 だが、問題は彼らではない。



「なのは!」



 咆哮を発した真竜の方を見れば、力を失ったなのはが地面に向かって落下するところだっ

た。考えるよりも先に身体が動く。なのはの場所にまで一直線にウィングロードを伸ばし、

神速で駆ける。彼我の距離を縮めるのは一瞬だった。なのはの身体を抱え、踵を返したとこ

ろで神速の領域から脱する。



 刺すように鋭い真竜の殺気が、全身を包み込んだ。咆哮の恐怖がまた全身を駆け巡る。足を

止めたら殺される。身体と心が瞬時にそれを理解した。背後で魔力が膨れ上がるのと同時に、

再び神速を発動。なのはを抱いたまま這うようにしてウィングロードを駆け、攻撃態勢を整え

たターク達の後ろに転がり込む。



 真竜の攻撃が発動するよりも早く、ターク達は砲撃を開始する。真竜がそれを避けたことで、

戦況はまた最初の膠着状態に戻った。



「なのは!」

「やだ、離して! こんなの嫌だ!」



 癇癪を起こした子供のようになのはは暴れまくった。力の加減も出来ておらず、遠慮も何

もなしに振るわれた爪が恭也の頬に当たり、思いのほか深くついた傷から血が勢いよく噴出

す。



 一通り殴られて引っ掻かれてから、なのははようやく落ち着いたが、瞳の中の光は普段の

彼女からは想像できないほど弱々しい。



「管理局の! そのねーちゃんは生きてるか!」

「どうにか。しかし、戦闘には耐えられそうにありません」



 戦闘に強引に区切りをつけたタークが、駆け寄ってなのはの瞳を覗き込んだ。見知って間

もないタークの姿にに再びなのはは恐慌を起こしそうになるが、真竜の咆哮によるそういう

症状にもなれているのだろうタークは、即座になのはの視界に入らないように移動した。



「流石管理局の魔導師だな。ショック死するってのは冗談ではなかったんだが、その程度で

済んだか」

「申し訳ないことをしました。これに代わって、お詫びします」

「戦だ。何が起こるか分からん。それより、そいつを集落まで連れて行け。中央の遺跡がシ

ェルターを兼ねてる。そこまで行けば中の連中が開けてくれるだろう。ねーちゃんをそこに

押し込んだら、お前は直ぐに戻って来い」

「俺はここにいても?」

「今の動きを見せてもらった。囮くらいにはなれるはずだ。命張ることを強要することにな

るが、依存はないな?」

「構いません。俺の命でよければ、お好きなように使ってください」

「なら善は急げだ。さっさと行って、戻って来い」

「恩に着ます!」



 気を全身に行き渡らせ、ここまで来た道を駆けて戻った。山の悪路でなのはを抱えていた

が、恭也の足を阻むには至らない。



 焦点の合っていないなのはの瞳が、恭也を捉えた。



「……おにいちゃん?」

「違う。俺はお前の兄ではない」

「じゃあ、恭也さん……」

「ああ、そうだ。俺は恭也・テスタロッサで、高町恭也ではない」



 なのはの顔を見ずに、集落までの道を急ぎながら噛み砕くようにして言う。言われたなの

はは、目の前の男と自分の兄が違う人物だということに、今更ながら混乱していたようだっ

たが、考えることすら億劫なのか力なく恭也の肩に頭を預けた。不規則な呼吸を繰り返して

いる。



「私、負けちゃった……」

「大したことではない。俺が必ず挽回しておくから、安心してお前は休め」

「恭也さんじゃ、あのドラゴンには勝てないよ」

「随分な言い様だが、事実ではあるな。だが、事実全体をを良く認識してない。俺は一人で

はないからな。負けないことは容易く、勝つことも難しくはない」



 実際には言うほど簡単ではなかったが、なのはの心にこれ以上負担をかけたくなかった。

力ないなのはの瞳が、下から覗き込んでくる。



「あの竜は、怖いよ?」

「俺だって怖いが、それは逃げる理由にはならんのだ。敵を前に逃げては、俺の生きる意味

がなくなってしまう」



 ル・ルシエの集落に着く。無人の道を突っ切って遺跡の門に辿り付いた。腹の底から誰何

の声を挙げると、遺跡の門は勢いよく開いた。真っ先に飛び出してきたのはクレフである。

どういうことが起きたのかある程度察していたのだろう。その後に続いた女達が慌しくなの

はを担架に乗せて遺跡の奥に駆けて戻る。



「あれの介抱は任せてもいいか?」



 何度も頷くクレフに背を向け、プレシアに手をかける。あの真竜にこの刃が効くとは思え

ないが、やるしかない状況に来てしまった。ターク達戦っている者や、守るべきクレフ達の

命が掛かっているということもある。



 だが、それ以上に『なのは』を痛めつけた存在を、許すことが出来ない。



 以前生死の境を彷徨った時は傍にいることが出来なかった。今回は、敵が目の前にいる。

自分の手で倒せないとしても、力の限り戦わなければならない。



「クレフ、なのはを頼んだぞ」



 言い残して、神速を発動。真竜の元へ駆ける。植えつけられた恐怖は、もうなかった。