薄暗い部屋は老人と女子供で溢れていた。外で戦っているル・ルシエの魔導師以外の全て

の人間がここにおり、部屋はかなり広めに作られていたが、100人を越える人間が入ると

なると流石に息苦しさを感じた。



 人間で溢れた部屋の中、なのはは隅の壁に背中を預け、膝を抱えて座っていた。真竜の咆

哮によって植えつけられた恐怖は、今もなのはの心に巣食っている。思い出すだけで身体を

掻き毟って叫びたい衝動に駆られるが、そうならないように周囲の人々は気を使ってくれた。



 特に恭也に懐いていたクレフという少年は、細やかなところにまで気を使ってくれている。

体調が悪いと見れば人を呼び、気持ちが沈んでいると見れば心を明るくするような話をして

くれるのだ。



 その心遣いが今は本当に嬉しい。他人の話を聞くような気分ではなかったが、一生懸命な

クレフの顔を見ながら、何とはなしに耳を傾けた。五歳の少年の話だから体験談くらいしか

話すことはないようだが、それでもなのはが恐怖に負けないようにクレフは次から次へと話

をしてくれた。



 その中でも良く出てくるのが、キャロという名前の少女だった。仔細あって今は里を出て

いるらしいが、クレフの一つ年上で集落の人々誰からも愛されていた心の優しい少女だった

という。



 顔も知らないその少女のことを、なのはは考えた。誰よりも集落の皆のために行動した少

女。誰からも愛されていたのに、今は集落にはいない。皆がキャロがいないという事実を悲

しんでいる。クレフなどまた会いたいと話の中で何度も言っていた。



「会いに行こうとか、思わないの?」



 初めてこちらから口を開いたことで、クレフの顔に喜色が満ちた。



「会いたいけど……駄目だよ。キャロねーちゃんは外で生きるって決めたんだ。本当は外に

何て行きたくななったはずなのに、一人で頑張って生きてるんだ。それに、キャロねーちゃ

んと約束したんだ。ねーちゃんの分まで、ここで精一杯生きるってさ。俺じゃあキャロねー

ちゃんの代わりにはなれないだろうけど、それでも俺は、キャロねーちゃんみたいになりた

いんだ」

「皆は、大事?」

「ああ。皆、仲間だからな。いつか凄い魔導師になって、皆を守れるようになるんだ。ねー

ちゃんにだって、負けないぜ?」

「私は、弱いよ……怖いからって、逃げてきちゃった」

「真竜に吼えられたら、誰だってそうなるさ」



 それまで黙って話を聞いていた壮年の女性が、話に加わった。自分をここまで運んでくれ

た女性の一人である。



「そのクレフなんて、真竜が初めて集落を襲った時に吼えられてね。少し前まで外に出るこ

とも出来なかったんだよ」

「なんだよー、今は大丈夫になっただろ!」



 顔を真っ赤にして反論するクレフに、周囲の人々から笑い声があがった。それがまたクレ

フには気に食わないらしく、地団駄を踏んで唸り声を上げている。



「キャロねーちゃんに申し訳がないって、何度もうわ言で言ってたよ。そのまま衰弱して死

んでも可笑しくなかったのに、この子は持ち直したんだ」

「強い子ですね、クレフは」

「それもあるだろうけどね。キャロの存在が大きいんだと思うよ。あの子は子供達の中心に

いたからね」



 クレフは囃したたてた少年達の中に飛び込み、取っ組み合いを始め出した。五人くらいが

殴る蹴るを繰り返してちょっとした騒ぎになっていたが、大人たちは笑うだけで誰もそれを

止めようとしない。



 それが日常なのだろう。暴力ではない。お互いが憎くてやっているのではなく、そうする

のがコミュニケーションなのだ。なのはにはイマイチ理解できない世界だったが、小さな怒

りに身を任せながらも、クレフや他の少年達の顔には、負の感情が少しも見られなかった。



「キャロがいたら、喧嘩を始めた途端にすっ飛んできたんだろうけどね」

「優しい子だったんですね」

「誰よりも優しい子だったよ。だからまぁ、里を出て行くことになっちまったんだけど……」



 なのはの視線に気づき、女性は頭を振った。話しすぎた。そんな顔をしている。



「あんた、管理局の魔導師なんだろう? 外でキャロって娘を見つけたら、良くしてやっち

ゃくれないかい。薄い桃色の髪をした、かわいい女の子だ。どこに居るかは分からないが、

私達と同じ白い民族衣装を着てるはずだよ」

「帰ったら、必ず探します」

「頼んだよ。さ、あんたはもう休みな。真竜の咆哮の怖さは、ここにいる皆が知ってる。誰

もあんたを攻めたりはしないよ。ここにいるのは、皆味方だ。だから、安心しな」



 女性が心の底からそう言っているのが解った。ここにいるのは、しょうがないことなんだ。

眼前の女性だけでなく、ここにいる皆がそう思っている。本当に誰もが自分を責めていない。



 その優しさが有り難かった。有り難すぎて、涙が出てくる……



 高町なのはは管理局の魔導師なのだ。力ない人々のために戦わなければならないのに、恐

怖に負けて蹲っている。そんなものが、自分のなりたかったものなのか。何度も普通の女の

子に戻るチャンスはあった。管理局には関わらない。そう思い定めるだけで、皆は自分の気

持ちを優先してくれただろう。



 そんなチャンスを放棄して、普通の生活を捨てて、辛い訓練にも耐えてきた。誰にも弱音

を漏らせずに一人で泣いたこともある。そういう物を乗り越えて、今の高町なのははあるの

だ。



 そうまでしてやりたかったことは、恐怖に負けてただ震えることなのか。



 自分には、何かを成すための力がある。それは、誰かにこういう感情を抱かせないために

あるのではないのか。力ない人の力になる。そのための自分ではではないのか。



 戦わなければ、誰かがこの恐怖を味わうことになる。



 そんなこと、させてなるものか――



 恐怖は身体を支配していた。動くことすら拒む身体を、意思で強引にねじ伏せる。ゆっく

りと、なのはは立ち上がった。動けるはずのない人間が動いたことで、周囲の人間は息を飲

んだ。荒く乱れた息を、深呼吸をしてゆっくりと沈めていく。



「お世話になりました。私は、もう行きます」

「待てよ、ねーちゃん」



 顔を腫らしたクレフが一目散に飛びついてくる。その目には不退転の決意が漲っていた。

高町なのはを行かせてはならない。そういう使命感に溢れた瞳だった。



 勇ましい少年に向かって、なのはは静かに微笑んで見せた。恐怖はまだ消えていない。今

もなのはの心に強く刻み込まれている。それでも、戦わなければならない理由があるのだ。

クレフが己を戒めているのと同じように、恭也が刀に全てを捧げているように、高町なのは

は戦わなければならない。



「ありがとう、クレフ。私はもう大丈夫だから、君はここの子たちを守ってあげて」



 震える膝を叱咤しながら、人を掻き分けて扉を開ける。ゆっくりと階段を登りながら、恐

怖と戦う。ここに居れば、もう怖い思いをしなくても済むのだ。それが一番楽な方法で、そ

れを望んでいる自分も確かにいる。



 普通の女の子に戻れるかもしれない。何も知らなかった、あの頃に。それはとても楽しく

て、幸せな日々なのだろう。魔導師になってからも、何度も思い返した。ただの女の子にな

りたい。誰にも言ったことはないけれど、それは高町なのはの夢だった。



 でも、それ以上にやらなければならない、やりたいことがある。自分には魔法がある。人

々を守るための力がある。多くの人を守るための、優しい力――もう、普通の生活には戻れ

なくても……全てを守る、魔導師になりたい。



 階段を登りきり、外に出た。重い音を立てて閉まる扉と、遠くに聞こえる戦いの音。恐怖

にかたかたと震える指で、相棒を手にした。瞳を閉じて、囁きかける。



「ただいま、レイジングハート」

『おかえりなさい。マスター』



 無機質なその声が、心の中に染み渡った。誰よりも近しいところにある、頼りになる相棒。



「ちょっとだけ回り道したけど、また私と一緒に戦ってくれる?」

『あの日から、私の担い手は貴女以外にありません。貴女が行くというのなら、例え地獄の

果てまでも』

「私、弱いから、また泣いたり落ち込んだりするかもしれないけど……こんな性格だから、

誰にも言えなくてもっと酷いことになるかもしれないけど、それでも私の相棒でいてくれる

かな」


『私の名前は不屈の心レイジングハート。貴女の力です』



 それ以上、言葉はいらなかった。なのははバリアジャケットを纏い、空に飛び立った。


































 死んだ。そう思った回数が十回を超えてから、恭也は数えることを止めた。余計なことを

考える余裕もなくなってしまったからだ。



 身体一つで真竜と相対することは想像していた以上に身体と精神に負担を駆けていた。吐

き気どころこか胃を吐き出しそうな激痛に苛まれていたが、だからと言ってそれで足を止め

て真竜の攻撃を受けては、人間の身体など原型を留めてはいられない。



 戦いの中で命を落とすのは武人の誉れと言うが、棺桶の中に入るのが人間の形をしていな

いのは、如何にも寂しい。



 恭也・テスタロッサの役目は、真竜の攻撃をいなし続け、ターク達の攻撃を直撃させるよ

うな隙を作ることである。空中で真竜よりも速く動けるという能力は、真竜相手の囮として

必要不可欠の物だったが、恭也には囮となる上で致命的に欠けているものがあった。



 攻撃力である。どれだけ目の前を動き回り攻撃を避け続けたとしても、相手が自分にとっ

て脅威になりえないのなら、どれだけ後回しにしてもいい。強者は戦う相手の取捨選択が出

来る。この戦場において、最も価値の低い駒だった。



 普通に動き回るだけだったら、恭也は真竜にとって人間にとっての蚊以下の存在である。

それでは役目を果たすことが出来ない。自分の生存確率を下げたとしても、真竜に注目され

なければならないのだ。お前を倒すのは俺だ――そう思っていると思わせることが、ここで

仕事をする上での最低条件である。



 出来ないことを出来ないと思わせる。ハッタリだ。それも、命を賭けたハッタリである。

こちらからは攻撃を仕掛けることなく、真竜を倒せるだけの攻撃を放つ機会を伺っている…

…そういう人間であるのだと、思わせなければならない。



 努力はした。必殺の気配を纏い、何度となく意味のない接近を繰り返している。成功して

いるという確信はないが、今のところ真竜はずっと自分にかかりきりになっており、ターク

達の方は見向きもしていない。



 まず、最初に倒すべき敵である。そう認識されたことだけは間違いがない。



『大した役者ですこと。私が出会った時はあんなに純粋な目をしておりましたのに、主様は

いつの間に、こんなにも汚れてしまったのでしょう』

「それはお前の目が節穴だっただけだ。俺は生まれた時からずっと不純だよ」



 軽口と共に、血の味が口の中に広がった。目立った攻撃は一度も受けていないが、そろそ

ろ身体が悲鳴を挙げ始めている。時間にして十分と少々。ターク達の攻撃は二度ほど真竜の

翼に当たり、小さいとは言えない穴を開けていたが、撤退を促すには程遠い。



 向こうは体力に満ち満ちている。根競べをすればこちらが先に力尽きるのは目に見えてい

た。地上のターク達はこれを何度も行っているという。流石にここまで真竜に接近を許した

ことはないだろうが、少なくとも眼前の恐怖の塊を数度撤退させたことがあるということだ。



 次があったとしても、今回と同じだけの成果を出す自信が恭也にはない。ターク達の精神

力と技術には、敬意を表さざるを得ないだろう。



 血の混じった唾を吐き出し、プレシアに手を添える。反転してきた真竜の目が、自分を捕

らえるのが解った。咆哮を受けた時の恐怖が心中を駆け巡るが、それが身体を縛ることはな

かった。使命感と生存本能が、それを上回っていたのだ。ここで使命を果たせなければ、死

ぬ。ここは、何があっても退いてはいけない場面だ。



 腹の底から大声を上げた。真竜に向かって駆ける。無策の交錯――しかし、真竜には何か

を狙っているように見えるだろう。必殺の気配を纏ったまま、交錯する。不意に身体が前に

泳いだ。ウィングロードから、足を踏み外している。とっさに構築した足場を蹴り、体勢は

立て直したが、緊張していた気配がそこで途切れてしまう。



 それが、真竜にも伝わった。今なら殺せる。物言わぬ真竜の瞳と、視覚化しかねないほど

の強大な殺気が、恭也を捉えた。展開される小規模な魔方陣。一発の光弾を放つだけの、真

竜からすれば悲しいほどに低威力の魔法攻撃。それ故に、移動しながらでも放つことが出来

る。



 確信した。あれを避けることは出来ない。そして、喰らえば死ぬ。ターク達の攻撃も間に

合わない。勝敗は決した。恭也・テスタロッサは負けたのだ……



 真竜を睨み返す。死に対する恐怖は沸かなかった。恭也・テスタロッサは負けた。だが、

戦いはまだ終わっていない。



 真横から、桃色の魔力が真竜に直撃した。それは翼を焼き、真竜の巨体を数百メートルも

吹き飛ばす。超長距離からの砲撃。この魔力の色を持つ者を、恭也は一人しか知らない。



 真竜が自分を攻撃した相手を睨みやる。その視線の先に、白い服を纏った一人の魔導師が

いた。離れていても分かる、凛とした気配。



「来たか、高町なのは……」

『まぁ、何て嬉しそうな声。女と見れば見境なしなのですわね』

「どうやらお前は、耳まで悪いらしいな!」



 気持ちを切り替える。アレの前で無様を晒すことは出来ない。姉と一緒で、あの少女はこ

ちらの弱みを見ると増長する。身体はまだ悲鳴を挙げている。だが、身体の奥底から力が沸

きあがって来る。



 まだ、やれる。自分にしかやれないことを、ただ果たし続ける。



 口の端を上げて恭也は笑った。勝てる。そう確信したのだ。
































『目標に命中。損傷は軽微』

「これでも駄目?」



 真竜の意識の外からの砲撃。自分の力だけでは動く真竜に当てることなど不可能だったろ

うが、恭也が真竜の動きを制限し、レイジングハートが制御に多くの力を割いてくれたこと

でどうにか攻撃を当てることができた。



 その分、なのは自身の負担は大きくなってしまったが、どうにか無視できる程度に収まっ

ている。



 攻撃を受けたことによって真竜の意識がこちらへと向いた。纏わりついていた恭也を無視

して、なのはの方に向かってくる。



『もっと収束させてください。マスターなら出来るはずです』

「了解。制御はよろしくね、レイジングハート!」



 先ほどよりも、もっと鋭く。脳の血管が焼き切れそうになるのを無視して、魔力を練って

いく。イメージはターク達の、全てを貫く槍のような攻撃。迫る真竜に恐怖は無かった。倒

すべき敵、それ以外ではありえない。



『砲撃の後、回避行動に移るのをお忘れなく』

「了解。行くよ、レイジングハート。名づけて――ディバイン・ランサー!!」



 レイジングハートを振りかぶり、真竜に向かって振りぬく。強烈な頭痛と共に、イメージ

よりもずっと収束した魔力光が真竜に向かう。真竜はいくらか慌てた様子でそれを回避した。

回避するに値する攻撃……そう認識されたのだ。



 泣き叫ぶほどに恐怖した相手が自分の攻撃を避けたという事実は、なのはの心にいくらか

の優越感を与えた。一拍遅れて回避行動に移る。飛行速度はどうにか、なのはの方が速かっ

た。追いかけっこを続けるだけならこちらに軍配が挙がるだろうが、それでは意味がない。



「レイジングハート、ディバイン・ランサーが当たれば、あの真竜を倒せる?」

『一撃では不可能でしょう。一撃でということなら、スターライト・ブレイカーを直撃させ

る以外にありません』



 レイジングハートの提案は、なのはの予測と合致していた。確かにスターライト・ブレイ

カーが当たればいくら真竜でも無事では済むまいが、考えうる限りの全ての手段を尽くして

も、チャージのための時間を0にすることはできない。



 さらにその間、ほとんどの魔法を行使することが出来なくなる。回避行動までも制限され

るから、逃げながらチャージというのは不可能だった。分が悪すぎて、賭けにもならない。



 大きく息を吐き、吸い込む。レイジングハートの声に額を押し付け、呟くように言った。



「広域通信開始」

『了解。広域通信を開始します』



 周辺に存在する全てのデバイスに向けて、無差別に自分の声を送る。念話ではなくデジタ

ルな方法で、災害救助などの部隊が救助者に向けて呼びかけたりするのに使うものだ。なの

は自身使うのは初めてだったが、レイジングハートがそれをフォローしてくれた。



 周囲全てのデバイス――恭也とターク達に向けて、一方的に話を始める。



「高町なのは二等空尉、復帰しました。これより目標に向けて攻撃を試みます。一撃で目標

を沈黙させることの出来る攻撃です。その間、真竜の注意をひきつけることが出来ると思い

ます。隙が見えたと判断した時には、私ごとで構いません。攻撃してください」

『こちらターク。あんた、本当に大丈夫なのか?』

「問題ありません。任務は続行できます」

『なら、依存はない。あんたがひきつけてくれるのか?』

「囮と思ってくれて構いません。これでも頑丈さには自身がありますから」

『俺達とじゃあ連携は無理だろうからな……解った。あんたの意思を優先する。死んだら骨

は拾ってやろう。勇敢なる戦士の、幸運を祈る』



 タークの言葉はそれで終わった。次が来るのを待つ。十秒、二十秒。三十秒を過ぎた辺り

で、なのはは待つのを辞めた。こちらに言うことは何もないということか。



「怒ってるよね、恭也くん」

『カンカンでしょうね。これが終わったらきちんと謝罪するべきです』

「許してくれるかなぁ」

『誠心誠意謝罪すれば許してくれますよ。あの人は何だかんだで、マスターには甘いですか

ら』

「甘くされた覚えがないんだけどな……」



 思った通りのことを口にすると、レイジングハートは笑ったようだった。インテリジェン

トデバイスに『笑う』という機能はないから、正確には笑ったように思えたということなの

だが、それを錯覚だとなのはは思っていなかった。



『知らぬは当人ばかりなり、と言います。マスターも年頃なのですから、もう少し男女の機

微を意識するべきでは?』

「男の子とお付き合いするなんて、まだ早いよ」

『それでも速すぎるということはないでしょう。管理世界ではマスターくらいの年齢で嫁ぐ

女性も多いのですから。謝罪ついでに恭也に声をかけてみてはいかがです?』

「いやだよ、そんな怖いことするの」



 ただでさえ声をかけにくいのに、そんなアプローチをしたと知れては、ブラコン気味の親

友に何をされるか解ったものではない。恭也の前では見せていないらしいが、女性ばかりの

職場に恭也がいることを彼女は快く思っていないのだ。



 おまけに最近では幾人か、恭也と噂になっている女性のことも耳に入るようになっている。

全部が事実とすれば十人以上『大人な』関係を持っていることになってしまうので、流石に

全てが事実とはフェイト自身も思っていないだろうが、全てが根も葉もない噂と片付けられ

るほど、恭也を妄信している訳でもないようだった。



 そんな事情もあって、せめて自分の視線が届く範囲だけはと、フェイトのガードは厳しい

ものになっている。何かと顔を合わせることの多いなのはなど、アクションを起こしたその

日の内に真実を問いただすための直接通信を受けることになるだろう。



 フェイトとの友情を秤にかけられるほど、恭也に男性としての魅力を感じている訳ではな

かった。それに世の中には冗談として通じることと、そうでないことがある。フェイトにと

っての恭也とは、間違いなく後者に分類されることだった。



『のんびりしていると、行き遅れてしまいますよ。マスターの子供に、マスターのことを語

ってあげるのが、私のささやかな夢なのですから、もう少し頑張ってもらいませんと』

「それで相手が恭也くんって言うのは、ちょっとギャンブル過ぎない?」

『女性の扱いが上手いとは、デバイスである私の口からもお世辞にも言えませんが、マスタ

ーよりは十分に大人です。不器用なりにリードはしてくださるでしょう。心配はありません』

「ねえレイジングハート。貴女はどっちの味方?」

『未来永劫、マスターの味方ですよ。私はただ、事実を口にしたまでです』



 持って回った口調は、子供を叱る母親のようだった。魔法に触れてからずっと一緒にいた

相手だ。生まれてからの年齢はそれほど変わらないのだろうが、魔法のいろはを教えてくれ

た師匠のようなものである。親友にすら話していないようなことも、いくつも知っている。



 忠実で鳴るデバイスである。秘密を他人に密告するような姑息な真似はいくらなんでもし

ないだろうが、秘密を知っているのだという事実は存外にプレッシャーになる。レイジング

ハートはなのはにとって、遅れて出来た姉のような存在だった。ただし、枕詞として『少々

口うるさい』という単語が付随する。



「……何にしても、この戦いを切り抜けてからだよね」

『話を逸らしましたね、マスター』



 その通りではあったが、レイジングハートもそれ以上は追求してこなかった。



 真竜との距離は十分とは言えない物の、ターク達の援護を考慮すれば最低条件は満たせ

るほどに開いている。急ぎ真竜へ向き直り、足場を構築。切り札発射の準備に入る。



 敵は眼前の真竜一人。これから先のことを考える必要はない。全力全開。高町なのはの

最も得意とする領分だった。最大威力を、最短の距離で。



「スターライトブレイカー、発射準備」

『了解。カートリッジフルロード。発射準備、開始します』



 手持ちのカートリッジが全てレイジングハートに吸い込まれ、彼女のほぼ全ての技能が

チャージ時間の短縮と魔法そのものの制御に当てられた。なのは自身の意識もその制御に

割り当てられるから、飛行魔法の一つすら発動させることは出来ない。



 完全に無防備な状態だった。一対一の戦闘ならば相手の動きを完全に封じでもしない限

り、使う場面のない攻撃である。本来ならば空中を縦横無尽に飛び回る真竜を相手に使い

どころのない魔法だったが、今は援護してくれる人間がいた。



 その魔法が自分を殺しうる。そう悟った真竜はなのはに向かって一直線に飛んでくるが、

その線を寸断するようにターク達からの砲撃が殺到した。最短距離から遠く遠く離れるよ

うに巧みに撃ち分け、真竜が大きくなのはを迂回せざるを得ない状態に押し込める。



 その分だけ、チャージのための時間を稼ぐことが出来た。何しろ真竜はあの巨体である。

一度旋回のために距離を開けると、再びなのはを射程に捉えるまでに人間の魔導師とは比較

にならないほどの時間がかかる。



 そうして再び体勢を整えたとしても、こちらも脳の神経が焼ききれるのを無視して撃ちま

くるターク達の攻撃が、真竜が本格的な攻撃に入るのを阻むのである。真竜としてはジリ貧

だ。何もしないままでは、小さな人間の白服の魔導師が、自分を殺す魔法を発動するのを待

つばかりなのだ。



 真竜が覚悟を決めたのは、なのはへの二回目の突撃が失敗に終わった時である。真竜は旋

回しながら自らに防御の魔法をかけると、ターク達の砲撃など意に介さないと言ったように

なのはに向けて一直線に突撃してきたのだ。



 目標点の分かりきった直線移動など、ターク達にすればいい的である。当然、その攻撃も

正確に真竜に直撃したが、真竜を貫通するには至らなかった。それにしても無視できるダメ

ージではないはずだったが、真竜もなのはの攻撃の発動を許せば、それが自分の敗北に直結

することは悟っているらしい。



 真竜の殺気に満ちた視線がなのはを正面から捉えた。恐怖はない。あれこそが敵なのだと、

逆になのはの心には闘志が沸いた。



『発射、十秒前。九――』



 レイジングハートのカウントが十秒を切った。発動までの最短記録を更新する勢いだった

が、なのはの目算では真竜はそれよりも早く自分を捕らえてしまう。ターク達の攻撃は今も

間断なく続いているが、それでも真竜の足を止めるには至っていない。



 八――真竜が歯を鳴らした。大きな口で噛み殺すつもりだろうか。



 七――魔法攻撃をするつもりがないことは、この時点で理解した。いかに真竜でも、事前

準備もなしにここから魔法を発動することは出来ないだろう。



 六――だが、それは何の慰めにもならなかった。魔法で攻撃されるにしろ大きな口の中に

飲み込まれるにしろ、死ぬという事実の前には大差がない。あれだけの巨体なら、近くをす

れ違っただけで、人間の身体など無事では済まないだろう。



 五――いよいよ、死の実感がなのはを包んだ。それでも恐怖はない。絶対に何とかなる。

自分ではどうしようもないのに、心の中には確信があった。



 四――そのカウントは、耳に届かなかった。レイジングハートは自分の職務を放棄するこ

となくカウントを続けていたのだが、飛び込んできたある男の腕に抱えられていたなのはは、

そんなものなど気にしている余裕はなかったのだ。



 視界から消えたなのはを、真竜はまだ捕捉していない。その間にもカウントは減っていく。



「お前は馬鹿だ、高町なのは」

「虫のいい話だけどね、信じてたよ、恭也くん」



 緊張の中にも微笑みを見せて、真竜を射程に収める。急な方向転換を考慮に入れても、レ

イジングハートの演算能力を考慮すれば、十分に必中の範囲内だった。



 カウントが0に達した。レイジングハートに、膨大な必殺の魔力が満ちて行く。真竜が肩

越しに振り返った。殺気に満ちた瞳の中に、何か、他の感情の色を見たような気がした。



 しかし、発射を躊躇う理由にはなりえなかった。真竜に対する死刑宣告を、なのはは努め

て無感情告げる。



「スターライトブレイカー、発射」



 放たれる桃色の魔力を見てなのはは思った。これほど無感情に攻撃を放ったことは、初め

てだと。これで勝利は確定したが、苦い思いがなのはの心を駆け巡っていた。



 それを察したのか、自分の身体を抱く恭也の腕に力が込められた。少し苦しかったけれど、

その苦しさにいくらか心が安らいだ。



 桃色の光が、真竜を貫く。それで、真竜との戦いは終わった。

































 スターライトブレイカーの直撃は確かに真竜を戦闘不能にしたが、その生命までも奪った

訳ではなかった。半死半生といった具合だったが、とにもかくにも真竜はその命を現世に留

めていたのである。



 その旨をタークから伝えられ、なのはを伴って真竜の墜落地点まで急行すると、当然のよ

うにターク達は全員顔を揃えていた。色々と勝手をしたことに対して叱責くらいはあるかと

思ったが、彼らの瞳は予想に反して好意的だった。



「竜殺しの英雄のご登場か」

「これを英雄とまで言っていただけるのは有り難いことですが、お咎めはないので?」

「まぁな。言いたいことは山ほどあるが、集落の問題もこれで一応は解決する。抗議も叱責

も俺からはナシだ」

「それは……ありがとうございます」



 なのはが深く頭を下げた。タークは照れくさそうに後ろ手に頭をかいている。


「大したことじゃない。俺達からすれば、正当な評価さ。管理局に戻ってからどんな意味が

あるか知れんし、ともすれば何か問題になるかもしれないが、それは俺達の関知するところ

じゃない。何か問題が起こったとしても、それはそっちで処理をしておいてくれ」

「心得ました」



 その返答はなのはが行った。階級を見れば彼女の方が3つも高いのである。そうするのも

当然だったが、局員でない人間の前だと奇妙な居心地の悪さを感じる。まるで悪質なヒモの

ようだった。



 全員が揃ったことを見て、タークが真竜に歩み寄った。他のル・ルシエの男達は扇状に真

竜を囲み、いつでも砲撃できるようにデバイスを構えている。タークが近付いてくるのを感

じて、真竜は気だるそうに首を持ち上げた。



『私に留めを刺しにきましたか、ル・ルシエの民よ』



 その声は、恭也の頭の中にも聞こえてきた。意外なことに、丁寧で女性的な響きを持って

いた。なのはもその事実に驚いたらしく、口をぽかんとあけて真竜を眺めていた。ル・ルシ

エの男達は既知だったのか、驚いた様子の者は一人もいない。



「遺恨が存在するは我らのみ。この結果を我らのみで得たのならばそうしたのでしょうが、

ご存知のように聊か事情が異なります。御身の処遇は、あちらの娘子に委ねます故」



 タークがなのはを促した。驚きの表情の上に困惑を重ね、なのはは思わず声を挙げたが、

聞き間違いでも冗談でもない言葉は取り消されることもない。仕方なくといった風になのは

は歩み出でて、真竜の前に立った。恭也はその背後に、三歩下がって控える。真竜の目にも

はや殺気はなかったが、もしもということは常にある。そのための用心だった。



『人の娘よ。私は貴女の心を揺さぶったはずですが、今はそうして二つの足で立っている。

よほど頑強な心をお持ちなのですね』

「私の肩には、私以外の人の多くの命が乗っています。それを、思い出しただけです」

『人のために力を使えるのは、心が清き証明でもあります。貴女は正しい心を持った戦士の

ようですね』



 真竜は笑ったようだった。先ほどまで殺し合いを演じていた相手が、邪気なく笑うその様

は、恭也に言いようのない圧迫感を与えたが、会話するなのははただ、事実を事実してのみ

受け入れたようだった。その顔にも、笑顔が戻る。半狂乱になっていたのが、嘘のようだっ

た。



『さて、私の処遇は貴女に委ねられました。貴女が人のために戦うというのなら、私の命を

狩りとっていただけますか』

「私には、貴女の命を奪う理由がありません」

『貴女が私の命を奪わなければ、私はまたル・ルシエの民を襲うでしょう。それでもいいと

言うのですか?』

「ならば貴女の命の対価として、ル・ルシエの部族への襲撃を止めてほしいのです」

『私の命に価値などないのですよ、人の戦士よ。部族間の盟約を侵した私には帰る氏族など

ないのです。ル・ルシエの民を滅することが、私の生きる目的なのです。盟約の外にいる貴

女には理解できないのでしょうが……』



 恭也はタークを横目で見やった。なのはも振り返り、タークを睨むようにして見つめてい

る。昨日までは部外者だったのだろうが、今やなのはは当事者だ。本当なら話さずに済んで

いたことを、タークは口にした。



「数百年前。ル・ルシエの部族の間で原因不明の奇病が流行った。その奇病は瞬く間に伝染

し、一週間で部族の民の数は半分よりも少なくなった。その時、助けてくれたのが老いた一

人の真竜だったそうだ。その真竜は命を賭してル・ルシエの部族の病を治してくれた。その

恩に報いるために俺達の先祖は一つの盟約を交わした」



 タークは神妙な面持ちで息を吸い、吐いた。



「同じように真竜が命の危機に瀕した時、ル・ルシエの民も身命を賭すとな。とは言え、真

竜は人間よりも遥かに頑強な生命だ。命の危機に瀕するようなこともなく数百年の時が過ぎ

た」

『命の危機に瀕したのは、私の子供でした』



 タークの言葉を真竜が引き継いだ。



『真竜の魔法は人間のそれよりも優れています。それでも対抗し得ない物を、私の子供は患

いました。その治療のためには竜と相性の良い、純度の高い魔力が必要でした。氏族は盟約

の元、ル・ルシエの部族に助力を求めました。ル・ルシエの部族には竜の巫女と呼ばれる者

がおり、その者の魔力は我々と非常に親和するのです』

「だが、先代の巫女が死んで久しく、当代の巫女と呼べるのは、六歳の子供だった」



 キャロ、という名前が恭也の脳裏に浮かんだ。クレフにも愛された、里の少女。



「子供を生贄には出せないが、盟約は絶対だ。苦心の末に先代――俺の父は、自らが生贄に

なることを決定した。竜の巫女には及ばないが、数百年前の交流のおかげか、ル・ルシエの

部族は程度の差こそあれ、真竜と相性の良い魔力を持っている。結果、先代族長と子供の両

親が生贄になることになり、その事実を隠す意味で子供は放逐した」

『氏族はそれを認めました。そこに盟約は果たされた――しかし、私の子は助からなかった

のですよ。三人の命を賭して尚、私の子は助からなかった』



 真竜は低く、長く呻いた。心を砕いた咆哮は、見る影もない。



『私はそれを認めることが出来なかった。竜の巫女が命を投げ出していれば、私の子は助か

ったのかもしれない。そう思うと、ル・ルシエの民が憎くて仕方がなかった……いえ、今も

憎しみは私の心にあります。私の黒い部分が囁くのですよ、ル・ルシエの民を殺すのだ、と』



 真竜の瞳がなのはを見つめた。殺気はそこにはない。ただ、深い悲しみの色があるだけで

ある。



『貴女は私を撃ち破った。生殺与奪の権利は貴女にあります。死ねというのなら、自ら命を

断ちましょう。心清き貴女のような人間の心を、汚す訳には行きませんからね。ですが私を

生かすつもりなら、私は私の復讐をやめることはないでしょう。私は私の命の続く限り、ル

・ルシエの部族を襲います』



 復讐というのは理屈ではないということを、『実例』を知っている恭也は痛いほどに理解

していた。あの時の自分は当事者のようなものだった。立ち入るだけの権利と義務があった

が、此度において高町なのはと恭也・テスタロッサは部外者である。ル・ルシエの部族と真

竜の氏族の因縁には、何の関係もないのだ。



 なのはの言葉の通りに、人の安全を考えるのなら気の毒な真竜はここで殺すべきだった。

そうすることで少なくとも、ル・ルシエの部族は真竜の危険に晒されなくて済むのである。



 こういう結論を部外者の、それもなのはのような少女が降すべきではない。恭也は殺気す

ら込めてタークを見やったが、タークは沈痛な面持ちで首を横に振った。



「ル・ルシエの民であってもそうでなくとも、真竜を倒した者に生殺与奪の権利は与えられ

る……初めて俺達を襲う前に、あの真竜がそう契約した」

「それはお前達のルールだろう。なのはが守らなければならない理由はどこにもない」

「俺達のルールであり、真竜のルールだ。俺達にとって真竜との契約は絶対だ。あのねーち

んが権利を放棄するのなら、今すぐにでも俺が代わってやるが、そういう性分でもなかろう」



 人に苦労を強いるのなら、自分でそれを背負い込むのが高町なのはである。そうなること

が解っているのなら、死んでも権利は放棄しないだろう。



 だからと言って、人に死ねと言えるほど豪胆な精神を持っている訳でもない。根本的な性

分は、戦うことになど向いていない心根の優しい少女なのだ。危険に足を突っ込むことは出

来ても、手を汚せるだけの覚悟はまだ固まっていない。



 だが、決断せねばならないのだろう。自分で何とかしなければ、この労苦を人に強いるこ

とになる。タークならば『必要なこと』として淡々と真竜を殺すのだろうが、そこまでなの

はは考えない。誰かを殺すことを他人に強いる――そんな事実を認めることは出来ない。



 顔を伏せて考えた後に、意を決してなのはは口を開いた。



「私と契約してもらえませんか」

『それを交わす価値があるのなら』

「復讐を忘れてくれとは言いません。私は当事者ではありませんから、そんなことを言う権

利はないと思うんです。でも、そうすることで貴女が幸せなれるとは思えない。だから、少

しの時間でいいんです。距離を置いて、考えてもらえませんか?」

『私の復讐の念は、時が解決するものではありませんよ?』

「でも、もしかしたらはあると思います。考えて、考えて、それでも復讐したかったら、そ

の時は私もまた、貴女と戦います。戦って、勝ちます。そして今度こそ、貴女を……殺して

みせます」

『悲壮な覚悟ですね、人の戦士よ。ル・ルシエの部族でも真竜でもない貴女が、そこまです

る理由があるのですか?』

「私は人間で、魔導師で、戦う力を持っていますから。人のために戦うことが、私の使命、

生きる目的です」

『……崇高な目的です。ただ、貴女はそのために不幸を背負い込む。それを是とするような

強い心が、私の咆哮で砕かれた心をこの世界に呼び戻したのでしょう』



 真竜は身体を持ち上げた。ル・ルシエの男達がデバイスを構える腕に力を込めたが、ター

クがそれを制した。真竜はゆっくりと、なのはの前に人間が跪くようにして頭を垂れた。



『ですが、貴女は私を撃ち倒した。それを強いるだけの権利が貴女にはある。貴女の言う通

り、しばらく――五年待ちましょう。私にとっては瞬きするような間ですが、貴女たち人間

には十分過ぎる猶予でしょう』

「十分です。協力に感謝します」

『人の身で貴女は私を撃ち倒した。その勇猛さに敬意を表したまでです』



 真竜の周囲に魔方陣が展開された。瞬時にその構成を解析したプレシアが、それが転移の

ための魔法陣であると教えてくれる。



 ゆっくりと、真竜を見つめたままなのはは距離を取った。なのはを見つめる真竜の瞳は、

湖水のように穏やかだった。



『人の戦士よ、貴女の名前を教えてくれますか?』

「なのは。高町、なのはです」

『私の名は、ヴォルテール』



 魔方陣が輝きを増し、白い光が周囲を包んだ。



 それが消えると、そこには破壊の痕跡が残るのみである。真竜の姿はどこにもなかった。



「勝手なことをしてしまって、申し訳ありません。処遇は如何様にでも」

「真竜に撃ち勝ったのはあんただ。俺達はあんたの決定を支持すると同時に、感謝もしてい

る。何にしても、平和な時間を勝ち取ってくれたんだからな」

「でもおそらく、五年後には……」

「それこそ、あんたが気にするようなことじゃない。今度こそ、俺達だけであの真竜を打ち

倒してみせるさ。それが本来の、俺達の在るべき姿なんだからな」

「その時は、私も戦います」

「ならば俺達は、あんたが来る前に戦を終わらせることとしよう」



 タークは苦笑しながらそう言った。それは彼なりのジョークだったのだろうが、いざ五年

が経ち、真竜――ヴォルテールが再び侵攻を始めたら、誰に知らされずともなのははそれを

ターク達がヴォルテールを倒すよりも早く察知するだろう。



 それは予想に過ぎないが、いやに現実味を帯びていた。そこまで都合よくは行かない、と

笑い飛ばすには、なのはの魔導師としての実力は高すぎ、実際にヴォルテールを倒したとい

う事実は予想が確信に変わるのではという思いを抱かせるには十分に過ぎた。



 とにもかくにも戦いは終わった。ターク達はデバイスの分解を始め、構築した結界を解体

しに数人の男が陣地の方へ駆けていく。



 恭也たちには、撤収するに当たってするようなことは何一つないし、ターク達を手伝うよ

うな技術もない。木に寄りかかってターク達の作業を眺めていると、バリアジャケットを解

除して野戦服姿に戻ったなのはが、寄ってきた。サイドポニーにされた明るい茶色の髪が、

主の心情を表してか、不安そうに揺れている。



「怒ってる?」

「怒ってないように見えるのなら、関節技の一つも仕掛けてやるが、どうなんだ?」

「……怒ってるように見える」

「何で怒ってるか分かるか?」



 答えるだけの余裕はなかったのだろう、なのはは俯き、小さく頷いた。言いたいことは山

ほどある。全体としてみればなのはの行動は、褒められない物の方が圧倒的に多い。階級と

しては兎も角、先達として説教しなければならないことは確かにあった。



 だが、同時にこの戦いでなのはは幾つも進歩した。自分一人で飛び出すほどの少女が、自

分から他人に助力を求めたのだから、今までからすれば大きな進歩と言えるだろう。



 褒めるべきか、叱責するべきか……逡巡の後恭也はあっさりと前者を選択した。我ながら

甘いと思うが、本人が正しく自分の行動を理解し反省しているのなら、自分からこれ以上言

うべきことは何もない。どういう経緯であれ、自分の欠点を理解し行動したのだ。それに勝

る収穫などあるはずがない。



 そっぽを向き、なのはの頭に手を置いた。ぐしゃぐしゃと、力を入れて撫でてやる。恐る

恐る、なのはが上目遣いでこちらを見やっているのが気配で分かった。腰で、プレシアがカ

タカタと震えている。照れている自分を笑っているという事実を、行動で表現しているのだ

ろう。地平の彼方にまで放り投げてやりたいところだったが、傍から見て自分の行動が滑稽

なのは理解している。



 だがそこで他人に当たるのは、より滑稽なことだった。それ見たことかとプレシアから言

い返されることは、想像に難くない。勝てない勝負に、自分から首を突っ込む必要もない。



「……許してくれるの?」

「許してほしいのだったら、今日の話はもう蒸し返すなよ。俺の気も変わってしまうかもし

れないからな」



 その言葉に、なのはは力強く頷いた。なのはは笑っている。その笑顔が恭也は好きだった。

住む次元が変わっても、それはきっと、変わることのないものなのだろう。





































 木漏れ日差す広大な森林の中を、キャロ・ル・ルシエは親友と一緒に歩いていた。管理世

界、ミッドチルダ。その辺境の大森林である。



 親友フリードと一緒に暮らすことを決意して里を出てきたものの、六歳の少女が思ってい

た以上に世間の風は冷たかった。一応は魔導師の端くれであるのでまず管理局の門を叩いた

のだが、制御に不安のある人間を局は一人前どころか半人前としても扱ってくれなかった。



 確かに完全というには程遠い制御力であるのでその扱いも正当と言わざるを得なかったの

だが、管理局を頼るつもりでいたキャロはその時点で途方に暮れてしまった。



 しかし、どうにかしないことには生きていくことも出来ない。里を出る時に路銀を持たさ

れてはいたが、これが尽きたら死ぬしかないのだ。魔導師としては門前払いをした管理局も

必死に仕事を探す六歳の少女を放逐するほどに冷血ではなかったようで、キャロでも出来る

仕事、ということでミッドチルダ辺境の、自然保護隊を紹介してくれた。



 嘱託扱いなので正規の職員では無論ないが、給料は出るし肩書きも付く。おまけに衣食住

の世話までしてくれるのだから、キャロとしては異論などあるはずもない。



 録に仕事内容も確認せず、一も二もなく飛びついた仕事だったが、毎日自然の中で動物達

に囲まれて過ごすことはキャロには合っていたようで、集落を出たばかりの時の不安も嘘の

ように消えていた。



 郷愁がないと言えば嘘になるのだろうが、寂しさだけがある訳でもない。一緒に働く仲間

は皆良くしてくれるし、動物達も心優しい。尤も、動物達の方は、生態系の頂点に君臨する

竜を連れていることで、懐いてくれているだけなのかもしれないが……



 少しだけ暗くなってしまった心を振り払うように、ぶんぶんと首を振る。滅入ってばかり

もいられない。仕事をしなければご飯も食べられないのだ。気を取り直して目的地へ向かう

と、通信機を兼ねたデバイスから、ミラの声が聞こえた。



『キャロちゃん、お客さんが見えてるわよ』

「お客さん?」



 今の自分にはとんと縁のない単語に、キャロは足を止めて首を傾げた。お客さんというこ

とは自分を、キャロ・ル・ルシエを知っている人間ということだが、キャロの短い人生の中

で親交のあった人間は少なく、出身であるル・ルシエの集落とここ、自然保護隊の人達が、

キャロの知りあいのほとんど全てと言っても良かった。



 集落は追放されたので訪ねてくる人間などあるはずもない。『お客さん』ということは、

自然保護隊の人たちでもないのだろう。一体誰なのか。いくら考えても答えは出なかったか

ら解答をミラに要求するものの、彼女は笑いながら、会えば分かると言って取り合ってくれ

なかった。



 お客さんは基地から歩いてこちらまで来るという。ここまでの道程はキャロの足で五分程

度。大人の足ならば程なくして到着するだろう。



「誰だろうね、フリード」



 問うてみたが、フリードは中空に浮いたまま、首を傾げただけだった。キャロが知らない

ことを、フリードが知っているはずもない。



 特に何をするでもないまま佇んでいると、お客さんの姿が見えた。



 男性と女性。二人とも、管理局の制服を着ている。男性は紺色の本局の制服を着ており、

ル・ルシエの集落の男達のような隙のない所作をしている。女性は白地に青い模様の入った

航空隊の制服だった。明るい茶色の髪をした、かわいいと綺麗の中間にいる人。



 二人は並んで歩いていたが、何やら揉めているようだった。女性の方が男性に猛然と食っ

てかかっているものの、男性の方には取り合う様子はない……ように見える。何しろ何を言

っているか聞こえないのだから、正確なところなど分かるはずもない。



 喧嘩をしているのなら内容に関わらず止めなければならないのだろうが、ともすれば険悪

な雰囲気にも見えかねないそれが、キャロにはじゃれあっているように見えた。



 不意に、男性の右手が動いた。右手の指で、女性の額を突く。細い木の棒で、思い切り肌

を叩いたような音が、離れたキャロの耳にも届いた。女性は上半身を仰け反らせると、額を

押さえて蹲る。男性は何事も無かったかのように、こちらに歩いてきた。



「ちょっと、恭也くん!」



 最初に聞こえた女性の声は、抗議の声だった。額を押さえながら涙目で小走りに男性に駆

けよると、あらん限りの力を込めて、男性の足を蹴りつけた。相当な力が篭っていたはずだ

ったが、男性は小揺るぎもしない。



 ちら、と女性を見やる男性の目には、苛立ちも何もなかった。強面だけれど、瞳には優し

い光がある。女性のことを大切に思っていることは、キャロにも分かった。



 それから罵詈雑言の応酬が続けた後、女性の方がこの場にキャロがいることを思い出した

らしく、わざとらしく咳払いをすると、キャロの視線に合わせて屈んでくれた。綺麗でかわ

いい顔が、間近にある。



「えーっと……貴女がキャロ?」

「はい! キャロ……じゃないや、キャロ・ル・ルシエです」



 姓を一緒に名乗る自己紹介は、未だになれない。赤くなりながら、フリードも一緒に紹介

する。こちらには姓も何もないから、キャロの紹介の声に合わせて、元気よく吼えただけだ

った。



「私は高町なのは、本局の航空戦技教導隊に務めてます。そっちの無愛想な人は――」

「恭也・テスタロッサだ。同じく本局の、特設共同技術研究開発部に所属している」



 はぁ、とキャロはため息を漏らした。時空管理局の組織についてはそんなに詳しくはない

から、彼女らがどの程度凄いのかというのが良く分からない。ただ、恭也の方は研究をして

いるようにも、開発をしているようにも見えなかった。それをそのまま言ったら、彼の無愛

想な顔がもっと無愛想になるだろうから、言わないでおく。



「それで、その、本局の人が私にどういったご用件でしょうか」

「私はね――」

「私達は、だ」



 恭也の声が割って入る。なのはは苦笑して、私たち、と言い直した。



「私達はね。貴女を援助しにきたの。これからは学校にも行けるよ?」

「あー……」



 聞いたことがある。都会では年端も行かない少女に金品を渡し、その対価として卑猥なこ

とを要求する制度があると。そういうものは自分よりも対象年齢はもっと上だと認識してい

たが、何しろ都会者の言うことだ。キャロでは思いもしないようなことがあるのかもしれな

い。



 学校で勉強はしたかったが、卑猥なこと……と言っても明確な像を結ぶことはなかったが、

そこまでして勉強をしたいとは思わない。それならばせっかくの申し出も断らないといけな

いが、目の前の二人が卑猥なことを要求するような悪い人間には見えなかった。



 二人が善人となると、キャロには二人が援助を申し出てくれる理由が見えなかった。援助

の対価となるようなものなど持っていないのだ。魔導師としての資質がないではないらしい

が、それが投資する価値ありと判断できるものならそもそもこの場にキャロはいない。対価

として示せるものは、身体一つなのだ。



 その身体にも、体力はない。その上鈍臭いし、ドジも結構する。容姿はまったくの不合格

とは思っていないが、なのはのような女性的な魅力がある体つきでもない。



 都会流の複雑なジョークなのだろうか。ならば笑うタイミングがあるのか……そのタイミ

ングは聞いてもいいものなのだろうか。なのははキャロの反応を待って、にこにこ笑ってい

る。



「あの……私はどうしたらいいんでしょうか」

「したいことをしていいんだよ。これからは、私が何でもしたいことをさせてあげるから」



 なのはの口調には迷いがない。逆に、キャロの方が迷ってしまった。助けを求めるように

キャロは恭也を見上げた。無愛想な青年はその視線を真っ直ぐ受け止めると、キャロの瞳の

中に疑問の色を見つけたらしい。



 無表情なりに首を捻ると、なのはのサイドポニーを思い切り引っ張った。悲鳴を挙げて、

なのはが地面に転がる。



「困惑しているぞ。説明でもしたらどうだ」

「だからって髪を引っ張る必要はないんじゃないかな。髪は女の子の命だよ」

「命がそれだけ長いと長生きしそうだな。少しくらいは痛い目を見ると、ちょうどいい按配

になるかもしれんぞ」

「勝手に人の命を調整しないで! もう……最近お姉ちゃんより扱いが悪いような気がする

……」

「その認識には誤りがあるな。美由希と同等の扱いをしたら、お前は一日と持たないはずだ」

「少しはお姉ちゃんにも優しくしてあげてください」

「それは出来ない相談だな」



 どけ、と強引に、でも優しくどけて、今度は恭也がキャロの目の前に座った。こげ茶色の

瞳が、キャロを真っ直ぐに捉える。



「俺達は先日、仕事でル・ルシエの集落に行ったのだ。そこでお前のことを知り、集落のと

ある人間から内々に、お前のことをよろしく頼む、と言われたのだ。援助を申し出たのはそ

ういう理由からだな」

「集落に行ったんですか?」

「ああ。クレフなどしきりにお前のことを気にしていたよ」

「私のことを、内々に頼まれたと言いましたよね」

「言ったな」

「お父さんとお母さんは、元気でしたか?」



 集落の人間にとって、掟というのは絶対である。掟によってキャロは集落を出てきた。そ

の事実を知っていて尚、集落の外にいるキャロに干渉するよう、外の人間に頼むほど自分を

大切にしてくれる存在に、心当たりは二人だけだった。自分を産んで、育ててくれた二人。



「ああ、元気だったよ。お前のことをよろしく頼むと、お願いされてきた」

「本当に、本当ですか?」

「ああ、本当だ。俺は嘘なんて、たまにしかつかないからな」



 嘘ばっかりと呟くなのはの額を、恭也は電光石火の早業で突いた――ように見えた。近く

で見たから、今度ははっきりと分かった。しならせた右の中指で、額を弾いているのである。

痛みに蹲るなのはを無視して、恭也は話を続けた。



「そんな訳だから、俺とこっちの茶色いのでお前を援助することになった。必要なことがあ

ったら何でも言ってくれ。可能な範囲で叶える。援助そのものが迷惑で、一人立ちしたいと

いうのなら、それも構わない。その時は俺達はもうお前の前には現れないと約束しよう」



 埃を払って恭也は立ち上がった。どうにか復活したなのはもそれに倣う。



「まぁ、直ぐに決めてくれとは言わない。資料とかはないから、同僚にでも相談するといい。

少し話してみたが、善良な人たちばかりだ。きっと相談に親身になってくれるだろう」

「私の自慢の仲間です」

「ああ。そうだな」



 口の端を上げて恭也は笑うと、踵を返した。じゃあね、と手を振ってなのはもそれに続く。

二人の背中を呆然とキャロは見送った。



 二人の姿が見えなくなると、キャロの耳元でフリードが小さく呻いた。流れる涙を、ぺろ

りと舐める。慰めてくれた親友の頭をそっと撫でた。



 分かったことがある。恭也・テスタロッサという人は、どうしようもなく嘘をつくのが下

手だ。それでも相手にそれを気づかせないように、優しい嘘をつける人。本人は隠している

つもりなのかもしれないが、どうしようもないほどにいい人であるのは間違いがない。



「ううん、ごめんね、フリード。心配かけちゃったね」



 袖で涙を拭いて、フリードに笑いかける。予定の時間よりも随分と遅れてしまったけれど、

今日も仕事はしないといけない。これからのことは、これから考えればいいのだ。



 自分には親友がいる。支えてくれる人たちがいる。泣くようなことはどこにもないのだ。