1、



『My headache is killing me』



 酷い頭痛がすることを英語でこう表現するらしい。日本語ならば『頭が割れる』とでも言

うのだろうが、それはあくまでも比喩であって実際にはいくら頭痛が酷くても本当に頭が割

れるということは普通ならばない。



 だが、二十年にも満たない人生において経験したことのない程の頭痛を味わうに至って、

『頭が割れる』という言葉がどれだけ的確な表現であったのか痛感した。正に頭が割れる

ような痛みだった。昔の人は上手いことを言うものである。



 眼前には炎に包まれた空港が広がっていた。見渡す限り、赤、赤、赤……この辺りには空

港しかないため、これ以上被害が拡大しようがないのがせめてもの救いだったが、天を焦が

すほどに吹き上がった炎の勢いはいまだに衰える気配を見せない。



 空港の職員教育が徹底していたのだろう、乗客その他の避難誘導は、災害の規模に比較す

ればスムーズに行われている。駐車場に設えられた臨時の負傷者収容所では、職員の手によ

る応急処置が行われていた。



 はやての周囲には比較的軽傷者ばかりが集められている。重傷者はもっと空港から離れた

位置で手当てを受けており、命に関わると判断された者は救急車を待たずに空港の車で市街

地まで送られた。



 今のところ死者は一人もいないが、空港の中にはまだ多くの人間が取り残されている。炎

は既に取り返しのつかないところまで広がってしまった。自力での脱出が不可能な彼らを、

早急に救い出さなければならない。



 救助隊を待つだけの時間は残されていなかった。これだけの炎だ。一分一秒の遅れが、死

に繋がる。



 次元世界でも最大規模の空港施設というだけあって、利用客の中には管理局員所属の魔導

師も大勢いた。その魔導師たちを統括して、救助に当たらせる。中には救助任務の経験者も

いたが、全員がそうではない。本職ではない人間を任務に当たらせるには危険が伴うが、贅

沢を言っていられるような状況でもなかった。



 広域通信で何度も確認してみたが、居合わせた局員の中で最も階級が高いのは一尉である

自分だった。近くにリインフォースだけを残し、一緒に行動していたなのはやフェイトも組

みこんだ急ごしらえの救助チームを、空港全域の救助に当たらせている。



 その指揮が、また難しい。



 こういった指揮の経験がない訳ではないが、あらゆる準備がはやてには不足していた。通

常、こういった作業の指揮には専用の設備が用いられる。戦艦ならば艦橋、陸上部隊ならば

指揮車と言った具合に、指揮のためのハードが全てそろった入れ物があって初めて、膨大な

人員の統括と現場の分析を同時にこなすことが可能となるのである。これには当然、それら

を動かすための人員、決定を補佐するための参謀なども、セットになっている。



 その全てが、今のはやてにはない。シュベルトクロイツを解して行われる音声通信では、

空港内部に潜入した局員達から、現状の報告と指示を求める声がひっきりなしに聞こえてく

る。それらを分析し、調達してきた紙の地図に状況を書き込んで行く。



 リインフォースの手によって青く塗られた部分。それが局員の手によって走査が終了した

空間であるが、それはようやく全体の二割を過ぎたところだった。急造のチームにしては驚

異的なスピードと成果だったが、これでもまだ足りない、とはやては心中で焦っていた。



 せめて指揮を継いでくれる人間がいれば――そう思った時に、シュベルトクロイツが通信

が入ったことを知らせた。中で救助に当たっている魔導師からのものではない。展開したサ

インフレームは、それが地上本部に所属する正式な指揮車からの物であることを示していた。



『こちら陸士108部隊隊長、ゲンヤ・ナカジマ三等陸佐だ。現場指揮者、聞こえるか?』

「こちら八神はやて一等陸尉。ナカジマ三佐、良いお知らせですか?」

『後三分ほどでそちらに着く。先行させたこちらの飛行部隊も含めて、現時点から指揮は俺

が引き継ごう。お前さんは関連情報をこちらに転送した後、救助活動に加わってくれ』

「了解です!」



 流れるような指捌きでサインフレームを操作し、ゲンヤの元へデータを送る。必死に地図

に書き込みをしているリインの襟首を掴むと、はやては空港施設に向けて駆け出した。バリ

アジャケットの展開を一瞬で済ませ、空へ舞い上がる。



「ちょっとはやてちゃん、乱暴はよしてください! いくら彼氏いない歴=年齢なのが悩み

だからって、リインに当たるのは筋違いなのです!」

「さりげなくグサっときた暴言への報復は置いておくとして……リイン、ユニゾンや。目の

前の炎、一気に消すで」

「別にリインとユニゾンしなくても、はやてちゃんの魔法なら十分に消せるはずなのです。

それよりもリインは、ファータのところに行ってお手伝いがしたいのですよ」



 頬を膨らませて、リインはそっぽを向く。首根っこをつかまれたことを根に持っているよ

うだが、言っていることそのものには嘘がない。



 しかし、二人で炎を消すことと、救助と消化に作業を分担すること、どちらがより多くの

ことを成せるのか、はやては即座に決断を下すことが出来なかった。リインフォースは見た

目こそ小さくて可愛らしいが、魔導師としても優秀である。救助に関しては今は猫の手も借

りたいくらい状況なのだ。リインフォース一人とは言え、人手はいくらあってもい足りるこ

とはない。

 

 だが、炎を消すのもそれに匹敵するくらいに重要なことだった。直接的な原因を排除する

のだから、要救助者が助かる確率だって大きく上がるだろう。



 だが、リインフォースとユニゾンしたとしてもこれだけ広域の炎を全て消し止めるには、

いくらかの時間を要するはずだった。それならばある程度時間が掛かることを覚悟し、リイ

ンフォースを救助に当たらせるのも一つの手ではあった。



 悩んでいる時間はない……どちらがより有益か、論理的な根拠があった訳ではなかったが、

はやては前者を選ぶことにした。問答をしている暇もない。リインフォースは自分と愛する

ファータを秤にかけたら、少しの逡巡もなくファータを取る。



 ファータのところに行きたいと言うリインフォースを説得するのは普段ならば容易ではな

かったが、今の状況ならばリインフォースを納得させるだけの魔法の言葉が、はやてにはあ

る。



「リイン、今私の手伝いをしたら、恭也さんはきっと、リインのこと凄く褒めてくれるで」

「……助けに行ったって、きっとファータは褒めてくれるのですよ」

「いやいや、リインが恭也さんのところに行きたいー、いうんはいつものことやろ? でも、

自主的に私の手伝いをしたら、恭也さんは『凄く』褒めてくれると思うんよ」



 凄く、の部分を殊更に強調した言ってみる。直ぐにでも飛んでいきそうだったリインは案

の定、うんうん唸って悩んでいた。悩ませてしまえば、後はもう一押しである。



「リインだってただ褒められるよりは、抱きしめられて撫でられてぐりぐり頬擦りされなが

ら褒めてもらった方がいいやろ? 私の手伝いを自主的にきっちりこなしてくれたら、私か

ら恭也さんにリインは良くやってくれたーってことを面白おかしく伝えるんも、吝かではな

いで」

「……本当に、ファータにリインのことを言ってくれますか?」



 ちょろい、とはやては内心で悪役気分で微笑んだ。



 リインが八神とテスタロッサの家の子になってしばらくが経つが、極度のお父さん子なの

は相変わらずだった。はやてだけでなくヴォルケンリッターの面々も、リインのことは家族

と認めているが――尤も、恭也にしてからが八神の家族には違いないので、リインフォース

が仮に百パーセントテスタロッサさんちの子だったとしても、はやて達にとって彼女は家族

には違いない――リインはあくまで自分のことを八神家のお客様だというスタンスを崩そう

としない。



 八神家の中でははやてが最もリインフォースと仕事を共にすることが多かったが、彼女は

隙あれば愛するファータの元へ行こうとした。リンフォースと過ごす毎日は、それをどうに

かこうにか宥めすかして、一緒に仕事をしてもらう、ユーノと一緒にリインフォースの設計

をしていた時に思い描いていた未来とは、多分にズレた毎日だった。



 最初はそうせざるを得ない自分に苛立ちを覚え、原因たる恭也を少しだけ憎いと思ったも

のだが、今ではこういう関係を楽しめるまでに至っていた。人間変われば変わるものだ、と

はやては苦笑する。車椅子に乗って広い家で一人暮らしをしていた、九歳の八神はやてには、

決して想像し得ない未来だった。



 笑みを浮かべるはやての前で、小さなリインフォースはうんうん唸ってしばし悩むと、仕

方がない、という風を装ってはやてを見上げた。



「取引成立です、はやてちゃん」

「了解や。せやったら、さっさと仕事終わらせて、恭也さんのとこ行こうな」



 ユニゾン・イン――

 

 一瞬でリインフォースとのユニゾンを果たすと、はやては氷結系広域魔法の展開準備を

始めた。

 

 要救助者及び、救助のための人員が中にいることを考慮して、炎だけを凍結させる。内

部のリインフォースの力も借りて空港全域を走査し、制御しながら放つとなると、空港全

域をカバーするのに同じ魔法を三回は発動しなければならない。



 大魔法を三連発というのは、ユニゾンして分担を減らした状態でも容易いことではなか

ったが、親友達は炎の中に躊躇わずに飛び込んで救助に当たっているのだ。その程度など

苦労の内にも入らない。



「さあ、八神はやて。女の意地の見せ所や……」



 眼下に広がる炎に包まれた空港を見下ろしながら呟くと、はやては弱気を振り払うよう

にシュベルトクロイツを大きく振るった。



















 









2、



 急ごしらえで編成された救護チームにおいて、執務官だったフェイトは、はやてから一隊

の指揮を任されていた。他の隊に比して、空を飛ぶことの出来る人間が多く配されているた

め、必然的に危険度の高いエリアを担当することになっている。



 自分たちが到着し、はやてが指揮をした正面ゲート――今は遅れて到着した地上本部の部

隊が指揮を引き継いでくれている――から燃え盛る空港を飛び越えて、逆方向から内部に侵

入。原因不明の微弱なAMFの発生する中、各々がデバイスを駆使して走査し、生存者を発

見次第、飛行可能な魔導師が抱えて外に戻る。



 原始的な方法ではあるが、同じ方法を飛べない魔導師が行うよりも、格段に効率は良かっ

た。事実フェイトの指揮する一隊は他の隊や、後から到着した地上本部の部隊など、集団で

救助活動に当たっている中では最大の成果を挙げていた。



『フェイト、そっちはどうだい?』



 この場において、最も多くの人間を救助した使い魔から念話が届く。デバイスなしで転送

魔法を使えるアルフは、個人で獅子奮迅の働きをしていた。



 要救助者の気配を察知するとその場に転移し、確保したら安全な場所に移動。そしてまた、

要救助者の元に転移する。やっていることはこの繰り返しだが、飛べるフェイトたちよりも

さらに移動のためのタイムラグがないために、一人でも集団以上の成果を挙げることが出来

た。



 デバイスを持っていないため、走査の補助を他人にやってもらう必要があったり、基本た

だ飛んでいるだけのフェイトよりも比べ物にならないほどの負担が身体にかかっているはず

だが、聞こえる声には淀みがない。疲れなど、全く感じていないかのようだった。



「上々、なのかな……応援が到着して、はやてが魔法で援護してくれたから、少しは余裕が

出来たと思う」

『有り難いけど、炎が消えただけだからね。建物が崩落する危険は考えなきゃならないし、

急がなきゃいけないことに変わりはない。出来ればもう少し人手が欲しいとこだけどさ……』



 アルフの愚痴にフェイトは苦笑を浮かべる。



 管理局の人手不足はいつものことだった。一つの組織でカバーするには、管理世界という

のは広すぎるのである。



 創立されてまだ百年にも満たない。管理局はまだ若い組織である。人材を育成したり確保

したり、そういう制度、施設がまだ十分に行き渡っていないというのが現状なのだ。



 だが、カバーしなければならない世界が広ければ広いだけ、そこには多くの人材が眠って

いる。それら全てを回収出来たとしても、人材不足は解消されないという見方もあるが、そ

うではないという意見を信じて地上、本局の両人事部は管理世界を駆け回っている……



 前線一本のフェイトにはあまり縁のない世界だったが、そういう人達こそが管理局を支え

ているのだと思えるようになった。皆、地上と人々を救うために、仕事をしているのだ。



「ここで愚痴を言ってもしょうがないよ。私たちは、今出来ることをしよう」

『まぁ、そうだね。何か困ったことがあったら念話をおくれよ? どこに居たって跳んでく

からさ』



 努めて陽気に言い残して、アルフは念話を打ち切った。デバイス間の通信では他人の通信

の邪魔になるため、アルフとの会話は念話で行っている。正体不明のAMFのせいで空港内

部では全ての魔法が妨害されているが、使い魔であるアルフとの間には、他の魔導師にはな

い繋がりがある。AMFの影響下でも、念話程度ならば問題なく行うことが出来た。



 そのため、個人で行動しているアルフとも司令部を介さずに連絡を取ることが可能だった

が、作戦指揮が地上本部の部隊に移行したことで、フェイトもアルフもそちらの指揮下に組

み込まれることになった。



 指示を出すのがはやてならばある程度の融通も利いただろうが、そうでないのならば勝手

な行動は許されない。先ほどの念話だって、本当ならば禁止事項に該当する。フェイトにと

っては作戦行動中にアルフと会話するのはいつものことだったが、今はそういう状況ではな

い。



 自重しなきゃね、と苦笑し、周囲を見回す。その時、バルディッシュの走査が魔法反応を

捉えた。攻性魔法ではない、設置式の結界魔法である。フェイトの耳にこうしたという報告

は届いていないから、救助の魔導師が設置したものではない。



 管理局の指揮下に入らなかった民間の魔導師が残っているのか。我が身が可愛いだけの魔

導師ならば自分だけで逃げるはずだが、態々結界を設置していったというのは解せないとこ

ろではある。他人を救助する意思があるのなら、組織だって行動した方がいいはずなのだが

……



「大丈夫ですか?」



 駆け寄って安否を確認する。三十前後の女性が二人、目立った外傷はなく、呼吸の不全な

ども起こしていない。極限状態にあって興奮はしているようだが、それだけだった。フェイ

トの見立てでは無事な部類に入る。



「この結界は誰が?」

「女の子が……妹を探すといって、向こうに――」

「そうですか」



 個人的に助けたい人間がいたのか……フェイトは無意識に小さく舌打ちした。



 それならばはやての指揮下に入らなかったのも頷ける。組織だって行動しては、優先順位

を他人に決められてしまう。それでは特定の人間を優先して探したいという希望は、まず通

らない。



 そんな人間を捕捉したという報告も、まだ届いていなかった。つまりはこの結界を設置し

た少女というのは、まだ一人で動いているということだ。炎の勢いが弱まったとは言え、不

測の事態が起こる可能性は依然として存在する。少女を一人で放置するのは、危険なことだ

った。



 暫定的に部下になった局員に現在位置を報告。救助の指示を出すと供に、さらに結界を重

ねて設置する。女性二人はフェイトに置いていかれることを雰囲気で察していたが、新たに

設置された結界が素人目に見ても少女が設置してくれた結界よりも強固であるのが分かると、

漸く安堵の溜息を漏らした。



 眼前の二人の安全は、これで一先ず確保された。後は、消えた一人の少女魔導師。



「直ぐに救助の人間が来ます。申し訳ありませんが、今しばらくの我慢を」



 言い残して、女性の指し示した方向に一目散に飛ぶ。バルディッシュの走査範囲を限定。

円ではなく方向を絞って生存者を探すと、生命反応を一つキャッチした。



 飛行速度を上げる。障害物は何もない。少女に追いつくのは直ぐだった。



 背後から飛んで現れ、自分を追い越して着地した金髪の女性を、少女は口をぽかんと開け

て見上げていた。深みがかった青色の髪を背中まで伸ばした、中々可愛らしい少女である。



「私は執務官のフェイト・テスタロッサ。名前を教えてもらえるかな」

「陸士候補生の、ギンガ・ナカジマです」



 儀礼的に行った自己紹介で、フェイトは少女の、少女はフェイトの名前に疑問を持った。

お互いに僅かに首を傾げて、口の中で相手の名前を復唱する。



 ナカジマ。海鳴では別段珍しい姓ではないが、管理世界においては稀少な部類に属する姓

である。



 そしてフェイトはその姓を持つ人間を、恭也から聞かされていた。仕事の関係で知り合た

人物の、二人の娘。今でも時折顔を合わせることがあるというその少女達の姓が、確かナカ

ジマだったはずだ。



「君は……恭也・テスタロッサを知ってる?」

「はい。良くしてもらっています。テスタロッサということは、貴女は……」

「妹だよ。兄がいつも、お世話になってます」



 自分と恭也が兄妹であるというのは周知の事実だったが、部署も仕事の内容も全く異なる

ため、一括りにして語られることは驚くほどに少ない。恭也の妹として扱われ、人前で恭也

を兄と呼ぶことが、フェイトの地味な楽しみの一つだった。



「申し訳ありません。何度か恭也さんからもお話は聞いていたのに、思い出すのが遅れてし

まって」

「別に気にしてないよ。こうして会うことが出来たんだ。これから覚えてくれれば良いさ」



 ギンガに微笑みかけると、周囲の走査を開始。バルディッシュの走査有効範囲には人間の

気配はなかった。ギンガが管理局のスタッフと合流せず、一人で行動していたのは優先して

妹――確か、スバルと言ったように思う――を探すためだったはずだ。



 このまま救助活動に関わってもらうべきか、フェイトは逡巡した。今は猫の手でも借りた

い状況だが、ギンガはまだ候補生である。危険の伴う救助活動に関わらせるには、経験が不

足しているのは明らかだった。



 さっきの設置式結界の手際を見ても、魔法の腕前は悪くないようだったが、見たところデ

バイスを持っている様子もない。連絡を密に取り合わなければならないこの状況で、それは

大きなマイナスポイントとなった。



 だが、炎の中自らの危険も省みず、妹のために命を賭けるという、その姿勢こそフェイト

は評価したかった。候補生をこういった活動に許可なく関わらせることは、作戦指揮官が融

通の利かないタイプだった場合、処分の対象となる可能性があったが、ギンガの瞳には梃子

でも動かないという意志が漲っていた。



 執務官として協力を依頼する。そのために口を開きかけた時、バルディッシュから聞きな

れた声が響いた。



『こちら、恭也・テスタロッサ。フェイト、無事か?』

「恭也?」



 恭也の声を聞き違えるはずもないのだが、フェイトは思わず聞き返していた。現場に居合

わせたのだから救助活動に参加しているというのは分かっていたが、作戦行動中に呼びかけ

てくるとは思わなかったのだ。



 後輩の前で間抜けな声を出してしまったことを反省しつつ、一つ咳払いをする。



「こちらフェイト・テスタロッサ。私は無事だよ、恭也。後、ギンガ・ナカジマ候補生を保

護したんだけど、解ってるよね」

『ああ。気配は感じられる。あと数秒でそちらに合流する。待ってくれ』



 通信が切れるとほとんど同時に、フェイトたちの遥か頭上に薄ぼんやりとした魔力の道が

出現。遅れて現れた人影はその上を爆走し、道の終端まで到達すると、高度など問題にしな

いとばかりに勢い良く踏み切った。



 その光景に、ギンガが思わず声を挙げる。が、恭也はそれが当たり前であるかのように、

空中で身体を捻り、フェイト達の前に着地した。



 炎でいくらか服が焼け焦げ、顔も煤で汚れていたが、そこにはいつもの恭也がいた。恭也

に限って怪我などするはずがないと確信していたが、いざ目の前にすると別の感情が込みあ

げてくる。



 ギンガが居たが構わない。正面から恭也に抱きつこうとフェイトが足を踏み出したその時、

小さな影がフェイトの脇をすり抜けた。



 その影――ギンガは恭也の数歩手前で思い切り踏み切り、彼に向かって抱きついた。不意

打ち気味のその攻撃にも蹈鞴を踏むことなく耐え、恭也はギンガを抱きしめ、在ろうことか

頭を撫でた。



 先程までは優等生然としていたギンガが、今では飼い猫のように顔を綻ばせている。ここ

が災害現場で、ここにフェイト・テスタロッサがいるにも関わらず、その顔は実に幸せそう

で愛らしかった。



 ここにフェイト・テスタロッサがいるにも関わらず――





 本人はそうと気づいていないようだが、恭也はモテる。どれくらいモテるのかと言えば、

恭也目当てに自分に近付いてくる女性が、後を絶たないくらいに。そんな女性を手を変え品

を変えブロックしているうちに、フェイトにはある種の『嗅覚』が備わった。



 自分にとっての危険度――即ち、どの程度恭也に近付こうとしているのかが、感覚として

分かるようになったのである。



 その嗅覚を信頼して判断を下す。フェイト・テスタロッサには、この少女と倶に戴く天な

どない。



『アルフ、アルフ! 今すぐきて! 大至急!』

『念話に載せて危機感がひしひしと伝わってくるけど、何事だい』

『目の前に……目の前に年下の義姉の可能性が形になって!』

『……了解。要するにそういう危機ってことだね。すぐに行くよ』



 言うが早いか、フェイト達から僅かに離れた空間に、アルフの魔力が飛んできた。それは

転移魔法となり、瞬時にアルフの身体を引き寄せた。



 転移の余波を振り払うように、身体をぶるぶると振るわせる。



「お呼びかい? フェイト」

「要救助者を発見したよ。転送よろしく」

「待ってください、フェイトさん。私は妹を――」

「執務官として、候補生が無許可で作戦行動に参加することを認める訳にはいかないよ。ど

うしてもと言うのなら、現場指揮官に掛け合って許可を貰ってきて」

「それは……」



 ギンガが押し黙る。候補生という身分は、まだ技術が未熟であると証明しているようなも

のである。地上本局問わず、部隊運用は正規の人員でもって行うべしというのが、管理局の

風潮だった。よほどの事情がない限りは、有事の際に候補生の手を借りることはない。



 例外があるとすれば、その候補生が規格外の実力を持っている場合――出会った頃のなの

はくらいの実力があるのなら、考慮の価値ありとする現場指揮官もいるだろうが、フェイト

の目から見て、ギンガの力量はその域には達していない。



 ここで転移させられては現場に復帰することが出来ない。それを理解したギンガの瞳に、

強烈な意思の光が宿った。物心ついてからずっと、人の顔を伺うばかりの日常を送ってきた

フェイトには、それが敵意を持った怒りであることが手に見て取れた。



 嫌な女だなぁ……自嘲気味に、内心で微笑う。執務官としては当たり前の行動をした。こ

の判断を責める人間はいないだろうが、そこに私事を絡めたことは事実である。ついさっき

まで少女の行動を黙認するつもりでいたのに、事情が変わったと排斥しようとしている。



 その判断が出来る自分に嫌気が刺すが、宿敵に手加減をするというのも道理が通らない。



 年下の少女を相手に大人気ないとは思うが、自分の判断は間違っていないのだと強引に押

し通すことにした。



 アルフが視線で是非を問うてくる。迷うことなくフェイトは頷いた。



 意を汲んだアルフが、炎の中で遠く吼えた。長く響いたその声を合図にアルフとギンガの

周囲に転移のための魔法陣が展開する。魔法が発動したらおしまいだ。ギンガは慌てて移動

するが、ギンガそのものをロックしている魔方陣はギンガに付かず離れず着いて来る。



 解除するには魔法そのものに干渉するか、術者そのものをどうにかするしかないが、どち

らもギンガの腕で実行は不可能である。不可避であると悟ったギンガは、もう一度強く、フ

ェイトを睨みつけた。。



 ギンガが何かを言うのと、転移の魔法が発動したのはほとんど同時だった。強烈な光が辺

りを包み、消える。そこにギンガの姿はなかった。彼女が何を言ったのか、フェイト自身に

は知る由もない。



「随分と嫌われたものだな……」



 苦笑を浮かべて恭也が歩み寄ってくる。ギンガにより近い位置に立っていた恭也には、ギ

ンガの最後の言葉が聞こえたのだろう。苦笑の中には軽くではあるが責めるような調子があ

った。それが少しだけ、気に食わない。



 つかつかと歩み寄って、正面から恭也にしがみ付いた。身体を押し付けるように、強く抱

き締める。頭の上で恭也が目を見開くのが分かった。恭也が驚いた表情を見せることはあま

りない。それが見れないのは少しだけ残念だったが、今はただ、恭也を抱きしめていたかっ

た。



「どういうことだ?」



 自分に抱きつかれながら、恭也は途方に暮れたといった調子でアルフに尋ねた。心情を理

解してくれていたアルフはこれ見よがしに大きく溜息をつく。心の深いところで繋がってい

る使い魔でなくとも、同じ立場にいれば大抵の人間はどういうことか理解できると思う。そ

れが出来ない恭也はつまり、どうしようもない鈍感ということだ。



 尤も、恭也がもっと心の機微に敏感だったら、フェイトの宿敵は両手では数え切れない程

に増えていたのだろうから、鈍感であることにも感謝しなければならない。恭也がどういう

ところで育ったのか。恭也を構成する根本的な部分をフェイトは知らなかったが、恭也をそ

ういう性分に育ててくれた誰かに、心中で感謝する。



「私は仕事に戻るよ」



 司令部からの安否を気遣う通信が、フェイトを現実に引き戻した。定点から動く気配のな

い反応に、最悪の事態を連想したのだろう。二名共に大事無いことを伝えると、フェイトは

自分から身を離した。



 心は落ち着いていた。フェイトのどうして荒立って、それから落ち着いたのか。それを欠

片も理解してなさそうな恭也は、ただ短く『そうか』とだけ答えた。



 踵を返し、飛び立とうとしたところで、恭也がぼそりと呟く。



「台無しになってしまった旅行の件だが……埋め合わせの出来る日程を考えておいてくれ。

人災で予定が狂わされるのも、忌々しいことだからな」



 言って、恭也はウィングロードを展開し、駆け去っていった。足場の役目を果たして、ぼ

んやりと消えていくウィングロードを見つめていると、足元でアルフが含み笑いを漏らして

いた。



「あいつも、良く解らない所で敏感だね」

「全部に鈍感よりは、いいんじゃないかな」

「あたし達にだけ敏感なら良いって?」

「それが理想だけど、そこまで行ったら、それはもう恭也じゃない別の何かだよ」



 何事においても鋭い恭也など、フェイトには想像することが出来なかった。アルフもそれ

は同じだったらしく、狼の姿のまま声を挙げて笑った。
























3、



 その人が現れた瞬間、スバルは言葉を失った。炎の中、身体と心の痛みに耐えかねて泣き

出してしまったスバルの元に、その人はまるで天使のように舞い降りてきた。



「大丈夫?」



 問うその声にも、スバルは頷くことしか出来なかった。その人の顔をじっと見つめたまま、

ただ首を縦に振る。そんなスバルを見て、その人は微笑みを浮かべた。笑われてしまったの

だと気づき、スバルの顔は羞恥で赤く染まった。



「こちら高町なのは二等空尉。要救助者を発見。これより脱出します」



 それだけデバイスに向かって宣言すると、なのははそのデバイスを天井に向けて構えた。

周囲にミッドチルダ式の、円を基本にした魔法陣が展開する。デバイスの先に桃色の魔力が

集中しだした。圧倒的に攻性魔法――自分は当然として、母クイントをも圧倒的に凌ぐ魔力

がなのはから感じられた。



「待っててね。安全な場所まで、一直線だから」



 あれならば、先にあるのが何であっても、叩いて潰すことができるかもしれない。魔導師

は万能ではないのだと、魔法戦闘の師であるクイントから嫌になるほど教えられていたスバ

ルだが、なのはの魔力はそんな幻想を信じさせるほど、圧倒的に感じられた。だが、



「何が一直線だ、馬鹿者」



 声が聞こえてきたのも突然なら、その人物が現れたのもまた突然だった。音もなく虚空に

現れた彼は、躊躇いなく膝を曲げて溜めていた力をなのはに向けて解放する。



 ある程度の衝撃を無視するバリアジャケットをもってしても、殺しきれなかった衝撃を受

けて、なのはは悲鳴を挙げながら魔力の尾を引いて吹っ飛んでいった。



「燃えて脆くなった構造物の天井をぶち抜いて、崩落することを考えないのかお前は。お前

達は無事だったとしても、他の場所に生存者がいたらどうするつもりだ、まったく……」



 音もなく着地すると、恭也は何事もなかったかのようにスバルに向き直り、いつもの穏や

かな微笑を浮かべた。



「無事か、スバル」

「突っ込みどころが多すぎて何から言えばいいのか解らないよ、キョウ兄……」

「突っ込む必要はない。今のは笑えば済むところだ」



 例えどんな人生経験を積んだとしても、今の状況で笑うことが出来るのは、次元世界広し

と言えども恭也一人だろう。それでも礼儀として苦笑を浮かべてみたが、自分の顔が引き攣

っているのが見えた気がした。



「さて、優秀な指揮のおかげで救助にはひと段落着いたようだ。お前を回収したら撤収しろ

という指示を受けている。俺の背に乗れ。乗り心地は悪いと思うが、このまま脱出する」

「それはいいんだけどさ……いいの? なのはさんにとび蹴りしてたけど」

「蹴り飛ばす直前に衝撃は殺した。あれはただ吹っ飛んだだけだ。あれは頑丈に出来ている

からな。ゴロゴロ転がった程度ではかすり傷も負わんだろう」

「だからって、女の子を蹴飛ばしていいって理由にはならないと思うなぁ……」



 復活したなのはが、青筋を立てて恭也の背後に立っていた。まるで地獄の悪魔のような迫

力だったが、恭也に気にする様子は全くない。悪魔程度ではこの兄貴分をどうにかすること

は出来ないのだろう。恭也を恐怖させるような代物がこの世にあるなど、スバルには想像す

ることもできなかった。



「お前ならば大丈夫……そういう信頼の元に行った行為だ」

「いつまでも子供だと思って……そんな言葉で騙されないからね! 信頼してたらフェイト

ちゃんも蹴飛ばすのかな、恭也くんは!」

「フェイトにそんなことが出来るはずがないだろう。アレはああ見えてか弱いからな」

「私だってか弱いもん!」

「スバル、先達がギャグを言ったら笑ってやるのが礼儀だぞ」

「ギャグなんて言ってない!」



 ここが何処であるのか、忘れそうになる光景だった。出会った時には天使のようだと思え

た女性が、年相応の女性にまで成り下がってしまった。それに、自分にはとても優しい恭也

がこんな風に人をからかうのを見たのも初めてだった。



 さっきまでは本当に死んでしまうかもしれないと怯えていた。炎とガレキの中で、たった

一人きりで泣いていた、そのはずなのに、それが今では笑えている。その事実にまた可笑し

さがこみ上げてきて、スバルはここが何処であるのかも忘れて、声を挙げて笑った。



 笑われたことになのはは憮然とした表情を浮かべたが、恭也と何度か問答を繰り返すと、

むくれた顔のまま沈黙した。不機嫌です、と顔に書いてあったが、そんな子供っぽい仕草が

また可愛らしく、なのはの魅力を引き立てていた。



「脱出するぞ。乗れ、スバル」

「あ、でも……ギン姉とお母さんはは?」

「ギンガは既に外に転送されている。父上の隣ででも、お前の無事な帰りを待っていること

だろう。クイントさんに関してはよく解らん。俺と同じように撤収命令は受けているはずだ

から、外に行けば会えるだろう」



 乗れ、と恭也が仕草で促してくる。恭也の背に乗るのは初めてではなかったが、人前でそ

うするのは初めてだったので、少しだけ緊張する。らしくもなくまごまごしていると、得意

気な顔をしたなのはがデバイスで恭也の後ろ頭を軽く小突いた。



「デリカシーがないよ、恭也くん。そんなことだから、皆に鈍感とか言われるんだからね」

「不本意ながら自覚はしている。フェイトとアルフに言われたばかりだ」



 恭也が肩越しに振り返り視線で是非を問いかけてくる。乗るのか、乗らないのか。乗らな

いと答えたら、恭也は傷ついてしまうだろう。姉であるギンガが恭也のお嫁さんになるのは

自分しかいないと、いつも言っているくらいだから、恭也はきっとモテないのだ。



 妹分としては、恭也を傷つけることは本位ではない。人前でというのは恥ずかしかったが、

恭也を助けるつもりでその背に乗った。首にしっかりと手を回す。いつもの、恭也の背中だ

った。



「恭也くんは本当、小さい女の子にモテるよね」

「邪な心を持たない子供にだけ分かる良さが、俺にはあるということなのだろう」

「……暗に私が汚れてるって言ってる?」

「さあな。お前の自己認識にまで干渉するつもりはない」



 それが癪に障ったのか、なのははまた食って掛かる。恭也はそれに取り合うことなく駆け

出した。ローラーを装着したクイントよりも速く走れるはずだったが、背負っている自分を

意識しているのか、恭也の走る速さは、いつか見た最高速よりもずっと抑え気味だった。



 なのはももっと速く飛べるはずだが、恭也に合わせて飛んでいる。並んで道を往きながら、

子供のような口喧嘩を続ける二人を、ぼ〜っと眺める。喧嘩するほど仲がいいとは言うが、

眼前の二人は果たしてどれくらいの仲なのだろうか。



 仲が悪いようには見えない。スバルは自分を子供だと思っていたが、お互いを憎んでいる

かそうでないかくらいは解るつもりだった。かと言ってなのはが――身近なところで例える

ならばギンガのように恭也を好いているかと言われれば、首を捻らざるを得なかった。



(ギン姉に報告しないと……)



 自分を心配しているはずの姉の姿を思い浮かべたら、急に眠気が襲ってきた。薄れていく

意識の中、二人はまだ言い争いをしていた。



































4、



「機人に会ったってのは、本当か?」



 救助活動が落ち着き、事件に関わった者としての全ての処理が終わった後、恭也は陸士1

08隊のゲンヤの元に呼び出されていた。



 救助活動の指揮を執ったことで、ゲンヤは事件に関するレポートを作成する義務を背負っ

ている。機人と遭遇したことはリンディと上司であるリスティにしか話していなかったが、

ゲンヤの妻はクイントで、ナカジマ家にとって機人というファクターは無視できないもので

もある。



 本当か? と問うてはいるが、これは通過儀礼のようなものだ。遭遇したという前提で話

を進めるつもりだったらしいゲンヤは、恭也の返答を待たずに机の上にあった資料を放り投

げる。



 それを空中で掴み取り、内容を確認する。



 重要書類の証拠である紙媒体の書類である。ミッドチルダ臨海空港火災事件のレポートが、

救助活動に携わった人間の証言など、様々な角度から調査された案件が詳細に記されていた。

これが決定稿であることを証明するためのゲンヤのサインも、表紙に記されている。



「機人のことについても、報告することにしたのですね」

「事件の原因と思しき連中となりゃあ、隠すわけにもいかねぇからな」



 答えるゲンヤの顔は渋く、本当は報告したくなかったという心情がありありと伺える。ナ

カジマ家の事情を鑑みればそれも仕方がないことだったが、ゲンヤはそれを理由に捜査に手

心を加えられるような性格ではなかった。



 機人三人を直接目撃した恭也とクイントの証言も取り入れられ、モンタージュまで作成さ

れている。本名とは限らないが、機人達が呼び合っていた名前も、顔写真には併記されてい

た。



 捜査する側にはこの上なく重要な書類となることだろう。何しろ犯人の顔が解っているの

だから、それがあるのとないのとでは雲泥の差がある。救助の手際も良かったことも合わせ

て、今回の案件はゲンヤの査定に大きなプラスになるはずだった。



 これでゲンヤの隊が機人達を捕らえることが出来れば、出世は間違いはない。普通の管理

局員であれば諸手を挙げて歓迎する事態なのだが、家庭の事情を差し引いてもゲンヤの顔の

渋さは恭也の予想を超えていた。



「何かありましたので?」

「捜査は直轄の連中が行うことになった。俺たちの仕事はこのレポートを提出した後は、空

港の復興支援だけだとよ」

「直轄と仰いますと……ゲイズ閣下の?」

「いや、最高評議会直轄の連中だ」



 不快であることを隠そうともせず、ゲンヤは大きく息を吐いた。管理局の組織構成に関し

て恭也は特に興味もなかったが、地上とも本局とも付かない実働部隊がいるという話は聞い

ていた。



 重大な案件になると出張ってくるくせに、構成人員も謎。ゲンヤは三佐であるが、それで

も直轄部隊に関して情報を得ることは出来ないという。それで不満や不審を抱かずにいろと

言うのも無理な話だろう。



 事実、ゲンヤ以外からも『直轄部隊』に関する不満は多く聞いていた。実際に捜査をして

いるのか、それすらも怪しんでいる者すらいる。管理局にとって都合の悪い事実を揉み消す

ための非公式部隊という与太話すら、実しやかに囁かれているのだ。



「尤も、ゲイズ閣下の部隊も関わってるという話だがね。いずれにせよ俺たち現場の人間に

は雲の上の話だ」

「心中お察しします」



 型どおりの応対をして、軽く頭を下げる。



 だが、ここまではただの愚痴と報告だ。資料の作成に関する協力は数日前に終了している

ので、これだけならば恭也がここまで足を運ぶ必要はない。視線で恭也がゲンヤを促すと、

ゲンヤは椅子から腰を上げて歩み寄ってきた。



「率直に言おう。力を貸してくれねえか?」

「俺に出来ることなら」



 顰めた声には力が篭っていた。恭也はプレシアに命じて、周囲の走査を行った。科学的、

魔法的に盗聴などがされていないかチェックする。部隊隊長の仕事場である。本来ならば盗

聴などあってはならないことだが、案件が案件だけに油断は出来ない。



「管理局上層部の人間が、犯罪者と内通してるって話は聞いたことがあるか?」

「噂程度には」

「今回の空港爆破の案件も……曖昧な表現で悪いが、そいつらが関わっているような感じが

する」

「感じとはまた、三佐殿らしくない表現ですね」

「そうとしか言いようがないからな。何しろ証拠が何もない」



 ゲンヤは苦笑する。現場一本のゲンヤにとって、裏づけのない発言というのは肌に合わな

いのだろう。苦笑の中にも照れくささのようなものがあった。



「今回の事件もそいつらが噛んでるとしたら、例の機人の組織と内通してることになる。管

理局員ってだけじゃなく二人の娘のためにも、俺はそいつらを炙りださなきゃならねえ」

「ですが、上層部の暗部を捜査するということになると、話を通せる人員も限られるのでは

ありませんか? 俺自身協力するのは吝かではありませんが、他に力を貸してくれそうな人

間に心当たりはありますので?」

「信用筋だけで捜査ってことになるからな。実際のところどうしていいのかも解らん。俺と

クイントと、他に数名ってところだと思う。もちろんこの中には、お前さんも入ってるが…

…」

「十人もいないとなると心もとないですね」



 だが、ゲンヤが今脳裏に浮かべている人間は最後の最後まで捜査に付き合ってくれる、そ

ういう人間のはずだ。事が事だけに、信用筋の人間がいるだけでも心強さは変わってくる。



「だが、やらなきゃならねえ。俺とクイントの二人だけだとしても、やるつもりだ。何年か

かってもな。俺たちは親として、あいつらが平和に暮らせるだけの環境を作る義務がある」

「それだけ覚悟があるのならば、やり遂げられることでしょう。俺も微力ながら協力はお約

束します。同じように信用筋に声をかけてみますので、今後は連携も出来るのではないかと」

「そう言ってもらえると有り難えな」



 握手を交わし、ニ三言交わした後、ゲンヤの部屋を退出する。108部隊での用事はそれ

だけだったので、真っ直ぐに隊舎を出ると、本局に移動するために中央ポートへと足を向け

る。



『これから何をなさいますの? 主様』

「協力を約束した以上、微力を尽くすまでだ。俺自身は頭が悪いが、幸いなことに頭の切れ

る知りあいにはニ三心当たりがある」

『まぁそうでしょうね。主様なら協力してくれる女性の一人や十人、簡単に揃えられますも

のね』

「お前のそのトゲのある言い方に反抗して、最初に協力を頼みに行くのは男にしよう」

『あら、主様に男性の友人なんておりましたの?』

「実はいたんだ。知らなかったのか?」



 途中で店に寄り、茶請けを買い求める。女顔に似合わず渋い趣味をしているため、茶と茶

請けの好みも恭也と合致する相手である。家には女性しかいないため、食物にだって気を使

う。数少ない男性の友人は、そういう気の使い方を全くしなくてもいい数少ない相手でもあ

った。



『機人は捕まりますかしら?』

「見も蓋もない質問だな。俺たちに捕まえられないとでも?』

『そうではありませんけれど。噂の通り内通者がいるのなら、それこそ一筋縄では往きませ

んわよ?』

「危険は覚悟の上だ。誰かがやらなければならないのなら、俺がやった方がいい。その分、

誰かが危険に見舞われる可能性は減る訳だからな」

『迂遠な世界平和ですこと』

「どれだけ歩幅が小さくでも、一歩は一歩だ。後退するよりはずっといい」

『まぁ、私はそんな主様が大好きなのですけれどね』

「頼りにしているよ、プレシア」