単純なロードワークというのならばともかく、『鍛錬』の出来る場所となると、実は酷く

限定される。真剣であっても木刀であっても、それらを使った大立ち回りは人の目に付いて

しょうがないし、海鳴で魔法関連の技術などを使い一目に触れたりしたら、誤魔化すのに手

間がかかって仕方がない。



 なのはやフェイトなどは、結界を設置してその中で訓練をしているようだが、恭也自身、

魔導師とは名ばかりのただの剣士である。結界を張るなどと便利なスキルに持ち合わせて

いない。



 無論、結界を設置出来ることの人物――最近、前線を退いたアルフや、ユーノなど――

に頼めば、時間を見つけて協力してはくれるのだろうが、彼らにも彼らの都合があり、生

活がある。鍛錬がしたいからという名目で、一々呼び出すのはいくら彼らが気心の知れた

間柄であるといっても、気が引けるのだった。



 そんな訳で、恭也が海鳴で鍛錬を行う時には、万が一にも一目に触れないような山奥に移

動して行うことにしていた。普通ならば移動するのにも一苦労するような場所でも、低空を

高速で移動すればそれほど時間もかからないし、簡単な光学的認識妨害程度なら、大抵のデ

バイスに標準装備されている。鍛錬をするだけならば、誰の手を借りることもない。



 場所も大体決まっていて、故郷の世界にあっては『ざから』と出会った社のあった場所、

こちらの世界では美由希が二刀の相棒に出会った、湖の付近である。周囲に人家はなく、滅

多に人が立ち入ることはない。鍛錬をするには打ってつけの、恭也にとって秘密の場所だっ

た。



 尤も、秘密と言っても一人で来ることはほとんどない。大抵は誰かもう一人と一緒に、こ

こで鍛錬をすることにしている。多くは美由希だが、フェイトやエリオ、シグナムやヴィー

タとも来たことがある。ルーテシアとロッテに付き合って、虫取りをしたこともあった。



 魔法を『まやかし』として扱うこの世界で、連れて歩くのが魔法世界の関係者ばかりとい

うのも思えば滑稽な話だったが、恭也・テスタロッサの知人はそのほとんどが魔法世界の関

係者で構成されている。それもしょうがないことだ、と普段であれば苦笑を浮かべ、自分の

交友関係の狭さに一喜一憂するところなのだが、今日に限ってはそうすることも憚られた。



 湖に向かって歩きながら、ちら、と横を見る。視線に気づいたアリサが、隣を歩く自分の

方をギロリ、と睨みあげてきた。慌てて視線を逸らすと、後ろからすずかの小さな笑い声が

聞こえる。



 隣のアリサに気づかれぬように、溜息をつく。友達を奪う疫病神とでも思われているのか、

アリサからの当たりはとにかく強い。特にすずか絡みになると普段から強い当たりがさらに

苛烈になり、手加減なしの手や足も跳んでくるほどだった。



 本格的に武道をやっている訳ではない、体重の軽い女性だから大したことにはなっていな

いが、とにかくアリサの攻撃には躊躇がない。急所を狙わない程度の配慮はあるようだった

が、配慮と言ってもその程度のもので、いつも手加減なしの攻撃が飛んでくる。



 そんなアリサの態度にフェイトなどはたまに目くじらを立てるのだが、決まってすずかが

間に入り『あれはアリサの照れ隠しなのだ』というトンデモ理論を展開するのである。当然、

その場にアリサがいた場合はただでさえ低い沸点をあっさりとぶっちぎり、さらにその場に

自分がいた場合には二次災害まで起こりうるのだが、理屈そのものは恭也には理解不能の説

得力があるらしく、フェイトも怒りをおさめるのである。



 照れ隠しで蹴られるのなら、ストレートな愛情表現の場合には刃物でも持ち出すのではな

いかと、まだ見ぬアリサの恋愛の相手に今現在の被害者である恭也としては同情を禁じえな

いが、アリサと対等に付き合おうと思える男性なら、きっと鋼鉄の精神でも持ち合わせてい

るのだろう。殴られるのが好きだ、という性癖の持ち主なのかもしれない。



 いずれにしても恭也には理解できない世界だったが、自分に対する殴る蹴るの行動に関し

ては、友達というファクターが一部絡んでいるのは間違いがない。苛立ち紛れというのが大

半かもしれないが、根っこの部分は優しい少女である。



 正直むっとする場面もなくはないが、自分に全く否がない訳ではない。友達を奪っている

というのも、客観的に見れば事実と言えなくもない。すずかが照れ隠しというのなら、それ

くらいは甘んじて受け入れるだけの義務が自分にはあるのだろう。



 だから顔を見ただけで睨まれたとしても、腹を立ててはいけないのだ。



『その辺の機微を理解すれば、主様も浮名を流すことも出来るのでしょうけれど』

(俺にそこまでの甲斐性があると思うか? それに俺の腕は一組しかないのだ。不特定多数

なんて、想像しただけで嫌になる)

『一組の腕で沢山抱えられれば問題はありませんわ』

(お前はミッド式デバイスのくせに、どうも考え方が古代ベルカ的だな……)



 時代が時代だったせいか、ヴォルケンリッターの面々は男性が複数の女性を囲うことに肯

定的な思想を持っている。無論、個人の感情とは別のもので、そういうものがあるとうこと

は理解していても、ヴィータなどは一対一が当たり前だという意見を持っているし、どちら

かと言えばシグナムも一夫一妻制を支持している帰来があった。



 管理世界の共通法律では重婚を認めているが、多くの夫婦が一夫一妻で納まっているとこ

ろを見ると、あまり流行ってもいないようである。現代日本で育った恭也にはそれこそが当

たり前だったが、ミッドチルダでもベルカ自治区などでは、富裕層を中心に重婚している人

間が散見される。ベルカ的と恭也が断じるのもその辺りに遠因があった。



『多くの女性を囲えるということは、主様にそれだけの男性的な魅力と甲斐性があるという

ことを証明します。忠実なデバイスとしては、主様にはそれくらいはやってほしい、という

のが正直なところですわね』

(色欲は大罪の一つだぞ)

『色欲に振り回されず、健全に多くを愛することも不可能ではありませんわ。主様なら出来

ます。私が保障しますわ』

(前向きに検討させてもらおう……)



 玉虫色の返答を返し、背負っていた荷物を放り投げる。



 鬱蒼としていた景色が、途端に開けた。秘密の湖である。魔法を使えば三分もかからない

距離を、アリサとすずかが同行しているということで歩きで二時間近くの道程だった。体力

のある美由希とすずかは平然としながら荷物を弄っているが、そちらの面ではあくまで普通

の女子高生であるアリサに、この道程は答えたらしい。膝に手を当てながら、肩で息をして

いる。



 心配だったが、自分が声をかけては何をされるか解らない。仕方なくすずかに目配せをす

ると、すずかはそれだけで意を汲んでくれたらしく、アリサに駆け寄った。その様子を見る

限り大事はないようだったが、すずかに木陰に連れられる際にアリサはちらり、とこちらを

振り返り、視線を送ってきた。



 その視線の意味が、恭也には読み取れなかった。強い感情が根底にあるのは理解できたが、

それがどういう方向性を持ったものか解らなかったのだ。



 腕を組んで悩んでいると、すずかに連れられた木陰を観戦席と決めたようで、アリサはど

っかと腰を降ろした。それからニ三言葉を交わすと、荷物を置いたすずかが駆け寄ってくる。



「大丈夫みたいですよ、アリサちゃん」

「それなら良かった。ここでアリサに体調を崩されてしまっては、何が何だか解りませんか

らね」

「恭也さんが心配してたって言ったら、ちょっと不貞腐れてました」



 くすり、とすずかが笑う。そのまま言ったのだったら、アリサにとっては逆効果だったの

だろう。気づかれないように視線を向けると、力の篭った視線をこちらに向けているのが見

えた。



「どうしてまた……」

「アリサちゃんだって構って欲しいんですよ。恭也さんの前では、アリサちゃんも楽しそう

ですし」

「あれでですか?」



 顔を顰めそうになったが、流石にすずかの前ということで思い直した。



 あれで『楽しそう』と言うなら、本当に不機嫌な時というのはどうなるのか……想像する

のも恐ろしい。



 葛藤しているこちらの顔が可笑しかったのか、すずかの笑みも深くなる。照れくさいよう

な悔しいような、名状し難い気持ちを心に抱え、どうしていいか解らなくなった恭也は、と

りあえず近くに居た美由希にデコピンを放った。



 額を押さえて蹲る美由希を他所に、恭也は辺りを見回す。



 湖の付近ということで、天気が悪いと足場も悪くなるのだが、ここ数日は晴れが続いたお

かげか、状態も悪くない。プレシアに確認もさせたが、周囲に人の気配はなかった。破壊光

線でドンパチでもしない限りは、結界を張らなくてもやり過ごすことが出来るだろう。



「得物の用意は出来ていますか?」

「はい。なるべく軽い物を、ということだったので木で出来た物を持ってきました。それと

は別に普段練習に使ってる物も持ってきたんですけど……」



 アリサの横に置いてある着替えの入った荷物とは別に、常に持ち歩いていた袱紗を持ち上

げて見せる。既に『木で出来た物』である棍はすずかの手にあるから、中に入っているのは

『普段練習に使っている物』なのだろう。



 試験をするのは美由希だから、それは自分が持つべきなのだろう。男として当然の義務の

つもりですずかに手を差し出すが、すずかは苦笑を浮かべる。首を傾げて疑問の意を表すと、

すずかは『重いですよ?』と一言置いてから、袱紗を差し出した。



 袱紗を受け取りすずかの手が離れると――腕にかかった重量に、思わず袱紗を取り落とし

そうになった。質感から金属であるのは分かる。長さはすずかが今持っている棍と同じ程度

で、彼女の身長よりも長い。



 どう考えても高校生の少女が振り回すような重量ではなかったが、すずかはこれを軽々と

扱っている。気で身体を強化すれば自分や美由希でも扱えないことはないが、武器として使

いこなすには相当な鍛錬を必要とするだろう。



 持っているだけで鍛錬になりそうな武器だったが、男として無様を晒す訳にもいかない。

軽々と扱って見えるように取り回して、復活したばかりの美由希に放り投げる。投げる直前

の動作がカモフラージュになっていたのか、普通の棒であると判断したらしい美由希は袱紗

を受け取った瞬間またひっくり返った。



「率直な感想を申し上げますと、相当に重いですね、あれは」

「先生に薦められたんですよ、私達には、重量のある武器こそが相応しいって」

「……失礼、私達、というのは?」

「…………」



 恭也の問いに、すずかは沈黙を返す。



 すずかは物静かな少女だが、恭也の前では努めて明るく振舞っている節があった。からか

われて照れている時以外、すずかはこちらの質問に言い淀むということなどなかった。



 それが沈黙を返答とするということは、少なくとも彼女にとってはよほど重要な何かがあ

るということを意味する。



 その何かが、『私達』が意味するところなのだろう。



 意を決するように、すずかは顔を上げた。



「実は、私は――」

「人でない、ということなら改めて言うことでもありませんよ?」

「え…………えっ?」

「他はどうか知りませんが、俺と美由希は知っています。誰から聞いた訳ではありませんの

で知っている、という表現は違うかもしれませんが……」



 すずかには言葉がない。目を大きく見開いて口をぽかん、と開けている様は、普段では絶

対に見れない表情だろう。言葉は悪いが、すずかにしては随分と間抜けな表情だった。生来

の悪戯心が首を擡げ、そんなすずかをからかいたい衝動に駆られるが、木陰のアリサから刺

すような視線を受け、考えを改める。



「……無論、それを誰かに喋ったということはありません。俺も、美由希も、秘密は遵守し

ています。すずかが話していいと言わない限りは、今後も絶対に喋らないことをここに約束

します。それでいいでしょうか」

「いいも何も……随分と軽い対応をされますけど、私は人間ではないんですよ? 気になら

ないんですか?」

「人でないことを気にしていたら、俺の周囲には友情を築けない連中が多すぎましてね。そ

れに管理世界には、貴女のように厳密には人間でない種族も多く存在してまして、俺の部署

にも何人かいます。彼女らと話したことが何度もありますが、種族とか人種とか、重要なの

はそういうことではないのだと改めて知る毎日ですよ」

「そんな……ものですか?」

「そんなものです。少なくとも、俺や美由希にとっては。ですが、貴女が秘密を打ち明けて

くれた、それ自体は素直に嬉しく思っていますよ」



 すずかの方を見ながら、美由希の方に『起きろ』と手で催促する。棍を抱えて起き上がっ

た美由希は、恭也の隣に並んで尤もらしく頷いている。地面を転がって格闘しつつも、話は

聞いていたのだろう。



 美由希は怪談などには難色を示すくせに、目に見える『常でないこと』には義妹のなのは

以上に耐性がある。何より今の相棒がオカルトの塊のような存在なのだ。人でなくても肉体

を持っているすずかなど、不思議の範疇に入らないのだろう。



「アリサには、貴女の秘密を?」

「ええ。お友達の中ではただ一人、アリサちゃんだけが知ってます」

「俺と美由希をそこに加えていただけるのは光栄なことですが、アリサが唯一というのなら

彼女は怒りませんか?」

「実は……ちょっと…………」



 視線だけを静かに動かして、すずかはアリサをみやった。木陰ではアリサが胡乱な眼つき

でこちらを見つめている。アリサが尖った態度を取るのはいつものことだが、今日、機嫌が

悪いことにはそれが絡んでいるのだろう。



 すずかのことだから事前に相談でもしたのだろうが、アリサの性格からしたら反対したは

ずだ。それでもすずかはこうして打ち明けてくれたのだから、アリサの心中も想像して余り

ある。



「あーモテる男は辛いね、恭也」

「無駄口を叩いてる暇があったら、さっさと準備だ馬鹿者」



 額を打とうとすると『降参』という仕草をしたまま、デコピンの射程から美由希は逃れた。

その両手には既に小太刀の木刀が握られている。恭也のプレシアは気を込めなければ切れ味

はないに等しいが、美由希の二刀は妖の一種であるとは言え刀である。何をしなくても斬れ

るのだ。



 実戦的な鍛錬をするのならそれでもいいが、今回はあくまでのすずかの力量を見るための

試験である。すずかにも棍を使わせているのだから、美由希にも同様のものを、というのは

当然のことだった。



「では、御武運を」



 小さく微笑を浮かべて会釈をし、すずかの袱紗を回収して木陰のアリサの元へ。やってき

た恭也をアリサはやはりギロリと睨んでくる。じっと恭也の瞳を見つめたかと思うと、大き

く、大きく溜息をついた。



「聞いたんでしょ、すずかの秘密」

「ええ、まぁ……」

「煮え切らない態度ね……驚かないの?」

「魔法がどうしたという世界に関わってますのでね。今更人間でない程度、驚くには値しま

せん」

「あんたのそういう鈍い感性だけは、ちょっと評価してもいいと思うの、あたし。やっとの

思いで告白して、あんたが驚いたりしたらすずかも悲しんだだろうし」

「褒められた、と思っておくことにしますよ」



 荷物の中から水筒を取り出して、アリサに差し出す。あんたの物なんて! と突き返され

ることを覚悟していたが、アリサはあっさりと水筒を受け取り、口を付けた。微かな驚きを

持ってアリサを見つめていると、その視線に気づいたアリサは僅かに眉を顰める。



「なに? あたしで卑猥な妄想でもしてるの?」

「俺は貴女の中でどんな……いや、聞かないでおきましょう」



 ん? と嬉しそうに眉根を挙げたアリサの顔を見ると、ロクでもない答えが返ってくるの

は火を見るより明らかだった。アリサが突き返してきた水筒を受け取るとやけに軽い。逆さ

にして振ってみる。見事なまでに空だった。



「あまり喧嘩をしないでね、ってすずかに釘を刺されたからね。あんたに思うところは色々

あるけど、不本意ながらすずかの秘密を共有する仲間になっちゃった訳だし、これからは仲

良くしていこうと思うの。不本意ではあるけど」

「仲良くしてくれるのなら、何よりです。お手柔らかにお願いします」

「ま、すずかに不埒なことしようと思ったら蹴り飛ばすから、油断はしない方がいいわよ」



 やはりアリサだ、と恭也は苦笑した。



「それで、すずかは大丈夫なんでしょうね。なのはのお姉さんも強いって聞いてるわよ」

「あれにも言い含めてありますし、怪我をするようなことはないでしょう。見た限り、すず

かもかなりの実力者のようですし」

「あんたの目から見て、すずかってどの程度強いの?」

「ご覧になったことはないのですか?」

「見せてって頼んだことはあるんだけどね、時期が来るまで秘密って先延ばしにされてたの

よ。だから今日という日が来るのを、少しだけ楽しみにしてたの」



 あっさりと言うが、普通の感性をした女子高生が『楽しみ』に出来るほど、すずかの実力

は低くはないだろう、と恭也は思っていた。流石に美由希を超えているということはあるま

いが、立ち振る舞いからは相当の実力者であることが見て取れた。



 美由希を知るものなら、彼女が実力者であるというのは誰もが首を傾げることである。そ

れほどまでに普段の美由希はとっぽいし鈍くさいが、認めるのは甚だ不本意で照れ臭いこと

ではあるけれども、美由希の実力は普段から行動を共にしている自分が最も良く知っている

という自負がある。



 すずかに怪我をさせてしまうのではないか、という思いは恭也の中から消えなかったが、

美由希ならば大丈夫だ、と強引に自分を納得させてアリサの隣に立ち、木に背中を預ける。



 木刀を持った美由希と棍を持ったすずかは、恭也たちから距離を取ると示し合わせたかの

ように背中を合わせ、そこから十歩ずつ歩いて向き直る。



「美由希さん、合図はどうしますか?」

「いつでもかかってきていいよ。これはそういう試験で、私はそういう役割だから」



 美由希は木刀を一本ずつ、洋服の上に巻いた帯に刺している。木刀に鞘は用意できなかっ

たため、鞘の変わりとしての処置だった。抜刀の速度は格段に落ちるが、ないよりはマシだ

ろうということで、木刀を使う鍛錬の時には採用している習慣である。



 大してすずかは何の変哲もないジャージのみを着用している。何の気も付与されていない、

大量生産のジャージだ。武器も棍のみで、他には何も持っていない。



「私から始める、そういうことでいいんですね?」

「いいよー、いつでもかかってきて」



 軽い調子で美由希は答えるが、両手は木刀の柄に添えられており、いつでも抜刀できる体

勢だった。相手に有利なように見せかけて、迎撃準備は整っているのである。本気とは言い

難い精神状態ではあるものの、油断はまるでしていない。



 試験官という役割を忘れていない証拠だった。すずかの出したものを全て受けきる。そん

な意気込みが美由希から感じられた。



 すずかが棍を振るう。掌で、腕で、胴体の上を回転しながら移動させ、右手から左手へ。

左手でぴたり、と止まると右手を前に添えて腰を落とした。



 絵に描いたような、静かな構え。



『あ――』



 と、声を漏らしたのは美由希と恭也、ほとんど同時だっただろう。



 そしてその一音が風に消えるよりも先に、すずかは美由希に肉薄するほどの距離に詰め寄

っていた。音もなく詰め寄り、突風と共に棍を振るう。



 腕ごと持って行きそうなその一撃を、美由希は大きく跳び退って避ける。不意の、そして

想像以上の一撃だったが、避けられない程ではなかった。これよりもずっと速く力強い攻撃

を、美由希は知っている。だから、避けることが出来た。



 しかし、結果と内心は合致しない。いくばくかの余裕を持ってすずかの攻撃を避けること

が出来た美由希だったが、立ち振る舞いほどに心中は穏やかではなかった。



 年端も行かない、妹と同じ年の少女が、歴戦の戦士のような攻撃を繰り出してきたのであ

る。やはり、という思いは確かにあるが、想像の中にあるものと実際に目にしたモノとの間

には大きな大きな開きがあった。



 恭也は散々油断するなと釘を刺したつもりだったが、自身すらすずかの動きに驚愕してし

まった。ある程度すずかの出自と力量について察しはついていたのに、驚いてしまった。何

の事前情報を入れてもいない美由希の驚きは、想像に余りある。



 強敵を想定しろと言われても、想定できるのは常識の範疇まで。普通の人間は戦う相手と

して、万能の魔法使いを想像したりしない。恭也や美由希にとっての普通は常人に比べると

遥かな高みにあったが、それを念頭においてさえ、月村すずかの行動は美由希の想像の遥か

上を行っていた。



 棍であることを感じさせない、高速の連撃が放たれる。振り下ろし、薙ぎ払い、突きの連

打。いずれも常人なら必殺の一撃だ。直撃すれば、最悪の場合死ぬ。それらを美由希は両の

木刀で凌いで見せた。



 すずかが想像の遥か上を行っているなら、美由希だって常識の外にいる。所謂普通の人々

から見ればどちらも等しく化物と呼ばれるレベルに達しているのだ。



 奇襲的先制攻撃からすずかの攻め番が続いていたが、打ち合うこと十数合、ようやく攻撃

の数が均衡するようになった。美由希にも攻めるだけの余裕が出来、すずかも美由希の攻撃

に対処せざるを得なくなる。



 美由希は、と言うよりも御神は、近接戦闘に於いてまず展開の速さ、そして手数の多さを

重視する。取り回しやすい小太刀を両手に持ち、相手に反撃の機会を与えずに制圧する。い

つかの真竜などを相手にするには不向きだが、人を相手にした戦いならば管理世界でも無類

の強さを誇るのだ。



 空中にいる相手や、小太刀だけではどうしようもない魔導師。それらの問題をクリアする

必要があるが、それさえクリアできるならば……もしくはそれらが問題にならないような状

況ならば、陳腐な言い回しになるが、御神の剣士は無敵だ。



 だが、すずかは人間の範疇を超えているが、人間のルールに乗っ取って戦っている。速度

も膂力も人以上だが、魔導師のように破壊光線を撃たないし、空を飛んだりもしない。過去

多くの猛者が御神の剣士によって討たれてきたろうが、彼らも御神の剣士を化物と思ったこ

とだろう。



 棍を受けた二本の木刀が軋む。折れてはいないが、皹は入った。武器が壊れたら負けとい

う決まりはないが、美由希は審査する立場にある。



 それが武器を壊されたとなれば、その時点で相手の力量を認めない訳にはいかない。続行

出来るかどうかではなく、矜持で敗北が決定する。



 確認のアイコンタクトを送ってきた美由希に、頷いて返す。それが壊れたら負けた――美

由希もこれで、理解しただろう。



「実際にあんたの目から見て、すずかはどう?」

「強いですね。生まれが特殊であることを除いても、よく鍛錬しています」



 才能の上に胡坐をかいた人間に出来る動きではない。あの動きも、傷だらけの手も、すず

かの努力の結晶だ。



 何がすずかをそこまで突き動かしたのか知らないが、何もしなければただのお嬢様でいら

れたすずかを、こちらの世界に踏み込ませる、それを決心させるに至った彼女の中の執念は、

並大抵の物ではなかった。



 それを認めた美由希の姿が掻き消える――神速。認識外の速度でもって、一気に勝負を終

わらせる腹積もりなのだろうが、すずかも並ではない。



 一瞬だけ送れて、すずかの姿も掻き消えた。神速の世界の中、驚きの表情を浮かべる美由

希と嘗てないほどに真剣な表情を見せるすずかの武器が、何度も、何十度も打ち合わされる。



 打ち合わされる音は、連続した物ではなく一つの長音として聞こえた。常人であるアリサ

には二人の姿を追うことはできない。二人の姿が消えた段階で腰を上げかけたが、巻き起こ

った突風から顔を庇って蹲る。



「どうなってるのよ、すずかは!」

「まもなく戻ってきます。もうしばらくはそのままで――」



 言葉が終わるよりも早く、美由希とすずかが『戻って』くる。どちらも目だった外傷はな

く武器も健在だったが、美由希の方が両の木刀とも痛みが酷い。美由希の腕力で打ち合わせ

たら、後数合で砕け散るだろう。



 神速領域での遣り取りは、すずかに軍配が挙がる。棍を構える姿にも乱れはない。



「まさか、ここまでやるとは思わなかったよ……」

「お褒め頂いて、光栄です」

「大人気ないなぁ、とは思うけど、もうちょっと本気出してもいいかな」

「お好きなように。これは私の試験なんですから」

「ありがと。じゃあ――行くよ!」



 その声は、すずかの『背後』に現れた。予備動作なしの神速に、すずかも対応が遅れる。

振り向けただけでも、僥倖だったろう。振り下ろされる小太刀の一撃を、棍棒で何とか受け

止める。



 だが、受けさせることが美由希の狙いだった。『徹』を込めた木刀の一撃は美由希の右の

木刀を粉々に砕いたが、すずかの棍も真っ二つに砕いて見せる。



 すずかの武器は砕けた。だが、美由希の武器はまだ一つ残っている。



 実戦経験もないだろう十七歳の身の上で、残骸とは言え武器を手放す決断が出来たのは賞

賛に値する。棍を放り投げ、美由希から距離を取って体勢を立て直そうとするすずかだった

が、飛び退る方向も距離も、美由希は読みきっていた。



 すずかが飛び退いた距離よりもわずかに多く踏み込んで、左の木刀を突きつける。



 眼前に突きつけられた木刀を見て、すずかは観念したように両手を挙げて大きく息を漏ら

した。



「降参です。参りました……」



 それが、終了の合図となった。



 ありがとうございました、とすずかに向かって一礼し、美由希はその場に腰を落とした。

ほとんど使い物にならなくなった木刀と、戦った過程で完全に砕いてしまった木刀を見やり、

ぽつりと呟いた。



「なんとまぁ、期待の新人がきたものだよね……」

「お前から見てどうだ? すずかは」

「どうだも何も、これに文句つけるんだったら、何に文句言うべきなのか解らないよ。私に

決定権があるんだったら、文句なく合格にするね。と言うか絶対後輩に欲しいよ、採用決め

ようよ、今すぐに」

「随分と積極的だが、その心は?」

「私だって部下が欲しいし、そろそろ後輩だって欲しいかなぁ、なんて」

「……まぁ、その気持ちはわからないでもない」



 デコピンを放つべく力を溜めていた右腕から、密かに力を抜く。仲間が増えるというのは

どんな状況でも嬉しいものだ。



「で、すずかの試験はどうなのよ」

「判断するのは俺ではありませんよ。今日の戦闘のデータを持ち帰って上司に検討してもら

います」



 試験の映像はプレシアに保存させた。明日にでも特共研に持ち込みレティも交えて採用検

討会が行われる。



 恭也自身はすずかの採用を強く推すつもりだし、リスティもレティもすずかの採用には乗

り気だった。今日の試験の内容であれば、反対する理由もないだろう。



「ですが、俺が働けるくらいですからね。すずかであれば何も問題はないと思います」

「まぁ、そうよね。すずかはあんたと違って優秀なんだから」

「あんまり恭也さんに迷惑かけちゃ駄目だよ、アリサちゃん」



 自分のことのように胸を張るアリサの元に、すずかが寄って来る。棍を破壊されこそすれ、

怪我らしい怪我は何もしていない。美由希がある程度の加減をしていたというのもあるが、 

これも彼女の努力の賜物なのだろう。



「すずか、見事でした」

「恭也さんにそう言ってもらえると、嬉しいです……」

「どういった状況にどうすればいいのか、自分で判断しその通りに身体を動かすことが出来

ています。よほどいい師匠に付いたのでしょう。可笑しな癖がまるでない」

「ええ。私には勿体無いくらい、良い先生たちばかりでした」

「複数から教えを受けていたのですか?」

「はい。私達の種族はですね、普通はあまり武道とかやらないんです。何もしなくてもある

程度『強い』からだっていうのが主な理由なのですけれど、たまに、その……一族の皆の言

葉を借りると、ちょっと可笑しな人が現れてですね」



 すずかは苦笑を浮かべている。冗談めいた口調でも、他人を非難したりしない少女だ。こ

こに居ない人間のことを語るのに、抵抗があるのだろう。



 どうぞ、と手を差し出して促すと、ゆっくりと深呼吸。大きく息を吐き出すと、すずかは

ゆっくりと視線を上げた。



「拳で海を割ろうとしたり、不思議な力で隕石を呼び出そうとしたり、本気で考える人が現

れるそうなんです。そういう人は武術も熱心に学んでいることが多いので、頼むと教えてく

れるんですよ。私みたいな年齢でこういうこと言い出す人は少ないらしくて、色々と可愛が

ってもらいました」

「参考までに伺いますが、本当に一族の中に海を割ったり隕石を呼ぶ親戚の方はいらっしゃ

るのですか?」

「お会いしたことはないですねぇ……」



 いない、ともいなかった、ともすずかは言ってくれなかった。苦笑はそのまま……脳裏に

浮かんだ恐怖の映像を頭を振って振う。好奇心は猫を殺す。見たいなどとは口が割けても言

わない方が良い。



「で、あたしの方はいつ対応してくれるのかしら?」



 アリサの入局はすずかのそれを前提にしている。話を持ってきた段階でアリサはすずかの

合格を疑っていなかったが、今日の試験を見てさらに合格を確信したらしい。



「ご両親の都合に合わせると上は言ってますから、お好きなように日程を組んでいただいて

かまいませんよ?」

「可能な限り早くって、パパは言ってたわ。そっちの都合に合わせるって」

「了解しました。今日のうちに伺いを立てて、解り次第連絡を入れます」



 アグレッシブな両親の反応に違和感を覚えないでもないが、話は早く纏まった方が良いに

決まっている。アリサを産み、育てた両親なのだから相当に気を入れて臨まなければならな

いが、二人に説明をするのはおそらくレティの役目になるので、恭也自身にはそれほど仕事

がある訳ではない。



 話を持ってきた人間としてその現場には立ち会うことになるだろうが、仕事と呼べる仕事

はその程度のものだろう。黙って座ってお茶でも飲んでいれば良いと思えば、楽な仕事だ。



「さて……では、帰りますか?」

「時間かけてここまできたのに、もう帰るって言うの? 勿体無いにもほどがあると思わな

い?」

「ですが汗もかいているでしょう? 汚れたまま過ごすのは、女性にはあまりオススメ出来

ないのですが……」

「着替えくらい持ってきてるわよ。それに美由希さんからも聞いてるわ。鍛錬でここに来る

時には泊まりの時もあるんでしょ? 簡易シャワー作るのもお手の物だって話じゃない」

「確かにそうなのですが……」



 余計なことを、と美由希を睨みやると、こちらの視線を無視して荷物の中からシャワー設

置ための部品を取り出していた。隣ではすずかがバスケットを取り出している。



 まるでピクニックだったが、そんなことをするという話は聞いていない。アリサに驚いた

様子がないところを見ると、彼女は知っていたのだろう。知らなかったのは自分だけ、とい

うことになる。



「言ってくれれば良かったのに」

「サプライズって日常にも必要よ? すずかが早起きしてお弁当作ったんだから、感謝して

食べなさい。あー、後これから私達はシャワー浴びてくるけど、覗きに着たら目玉を抉るか

らそのつもりでいてね?」

「目玉は惜しい。自重しましょう」



 準備の終わったすずかとシャワー用の荷物を纏めた美由希を伴い、アリサは森の奥へと歩

いて行く。時々……いや、くどいくらいにこちらを振り返り、動いていないかを確認してい

たが、手近な木の根元に腰を下ろして読書を決め込むと、ようやく納得したのか先行するす

ずかたちを追いかけるように、パタパタと駆けていった。



 言いつけを守って不動の姿勢を貫いたのだが、アリサは何故だか不満そうな表情を浮かべ

ていた。実際に覗きにでも行き、それがバレたらアリサのことだ目玉を抉るというのは流石

に冗談だとしても、足腰が立たなくなるまで殴る蹴るくらいはするはずだ。



 なのに不満そう、というのはどういう訳なのか。やはり女性の考えることはわからない。



『先ほども申し上げましたが、そういう機微が解らないから主様は主様なのですよ』

「俺でも非難されているというのは理解できたぞ。ならばどうするのが正解だと言うんだ」

『実際に覗きに行かないまでも、実は覗きたいという感情が見え隠れする、くらいが望まし

いのではないかと』

「俺の年齢でそれをやったら変態ではないか……」

『とは言え、全く興味を示されないというのも女性の沽券に関わります。世の中0と1で出

来ているのではないのですから、もう少し男性的欲求を前面に押し出してもバチは当たりま

せんわよ?」

「考えておくことにしよう……」



 考えるとは言うが、自分が不器用であることは自覚している恭也だ。考え抜いた末にいざ

実行に移したとしても、プレシアの言う機微を理解した行動が出来るとも思えない。



 事が事だけに、匙加減を間違えるとまずいことになる。女性の沽券を守るために行動し、

男としての信用を永久に失うのでは割に合った行動とは言えない。



 女性の伝達能力は驚くほどに早い。下手人として挙げられた日には、瞬く間に女の敵とし

て祭り上げられてしまうだろう。女性しかいない特共研で、それは死に等しいことだった。



「誤解のないように言っておくが、俺は女性に興味がない訳ではないからな」

『存じておりますよ、主様。私は『いつでも』主様と共におりますから』

「そうだったな……あぁ、そうだった。誰かを一人敵に回さないといけないような状況にな

ったとしても、お前だけはその候補には入れないことにしよう」

『私は主様のために在るのですから、敵など……でも、褒め言葉として受け取っておきます

わ。ありがとうございます、主様」

「もし俺がお前の機嫌を損ねるようなことがあったとしても、穏便にな」



 考えてみれば、デバイスとして常に傍にあるプレシアほど、恭也・テスタロッサの秘密を

握っている存在もいない。



 デバイスである彼女が誰かと結託し、自分の秘密を漏らすことなど万が一にもないだろう

が、人間というのはもしもを想像せずには生き物である。



 どれだけ朴念仁と言われても、恭也・テスタロッサとて人間で、男性だ。あまり公言した

くない行動の覚えは、いくらかあった



 その全て……とまではいかないまでも、そのほとんどをプレシアは知っている。敵に回し

てこれほど恐ろしい存在もない。プレシアに比べたら、まだヘソを曲げたフェイトなど可愛

いものだ。



『で、覗きに行きませんの? すずかなんて、シグナムに匹敵するかもしれませんわよ?』



 何が、とプレシアは言わなかった。



 だが、デバイスである彼女が進言する以上その内容には信頼が置ける。思わず腰を浮かし

かけた恭也だったが、邪心滅すべしとばかりにアリサたちが消えた方向に背を向けるように

座りなおす。



「男として興味が尽きないが、今さっき品行方正に生きると決めた。わざわざ弱みを増やし

に行くこともなかろう」

『まぁ、主様のことです。覗くまでもなく、そのうちじっくりと全員纏めて鑑賞する機会も

あることでしょうから、無理にとは薦めませんが……』

「武が王者の証とされた頃ならそれもあったかもしれんが、今の時代は知性まで要求される。

そいつの欠けている俺では酒池肉林とはいかんだろう」

『では、知性を持つ女性を口説き落とすところから始めましょうか』

「……俺にはお前が居れば十分だよ、プレシア」

『その言葉が聞ければ、私は満足ですわ』



 何だか、酷く疲れた。戦ったのは美由希とすずかなのに、その疲労が纏めて押し寄せてき

たかのような感覚。



 やはり、恭也・テスタロッサは言い合いには向いていない。

 

 苦笑しながら、少ない荷物を枕に横になる。どうせ女性の風呂は長い、一眠りしても文句

はないだろう。



 目を閉じると、心地よい眠気が恭也を襲った。プレシアの声が近く、そして遠くに聞こえ

る。





『良い夢を、主様』