1、



 本音を言えば、美由希は最初キャロをこの合宿に参加させることに反対だった。



 自分で言うのも何ではあるが、子供相手に実践するにはこの合宿の内容は聊かハードであ

る。体力に自信のあるギンガのプライドを開始2日目で粉々に打ち砕く内容が、まだ十歳に

もなっていない少女に向いているとも思えなかったのだ。



 エリオのように身体を作っているならばまだしも、どう贔屓目に見てもキャロは運動に向

いているようには思えない。山育ちという生い立ちと今の職場での環境から、見た目よりは

体力があるようだが、それでどうにかなるような軟な鍛錬はしていないつもりだ。



 自分が理解していることなのだから、当然恭也も理解しているはずのことだった。



 しかし、キャロの参加を決めたのは恭也自身である。それを知った美由希は珍しくどうい

うことだと恭也に食ってかかったが、美由希の型どおりの苦情を一通り聞くと、苦笑を浮か

べながら彼は答えた。



「主に鍛錬をするのは、キャロではないぞ」



 無論、キャロの鍛錬も行うが、主に面倒を見るのはフリードであるとのこと。話を聞いた

美由希は軽く度肝を抜かれた。



 そして、ドラゴンが鍛錬をするという聊か現実離れしたアイデアと、その管理を人間がす

るという事実に、指導者としての意欲を多いに刺激された。



 それならば、と一も二もなくOKしたのは言うまでもない。その日のうちにギンガとエリ

オのための訓練案と竜召喚師としてではなく、普通の魔導師としてのキャロの訓練案、それ

に加えて前から密かに練っていたらしいフリード用の訓練案を二人で完成させ、リスティに

提出した。



 余談ではあるが、その訓練案を何かの拍子に見たらしい本局の戦技教導班の班長――50

過ぎの強面の男で、現場叩き上げの魔導師だ――が翌日、血相を変えてテスタロッサ研究室

に怒鳴り込んでくるというアクシデントが発生した。



 やってきた班長はエキサイトしすぎていて、美由希には言っていることの半分も聞き取れ

なかったが、それを無理やり意訳をすれば『ドラゴンの鍛錬なんて面白いことをするなら、

こちらにも一枚噛ませろ』ということだったらしい。



 管理局の歴史の中でも、体系だった訓練をドラゴンに施す機会というのは今まで一度もな

かった、とのことだ。恭也が練った訓練案が実行されれば、それが管理局で初の試みとなる

のである。班長の言葉で美由希は初めてその事実を知ることとなったが、彼が怒鳴り込んで

きた時点でにやり、と小憎らしい笑みを浮かべた恭也は、その事実をずっと前から知ってい

たのだろう。ひょっとしたら、リスティ辺りから入れ知恵でもされたのかもしれない。



 ともかく、内輪でやるようなことだから、貴方がたが出張ってくる必要はないの一点張り

で恭也は班長を退けた。長年現場に立ち続け、扮装地帯にまで赴いたことのある班長である。

当然血の気も多く、一触即発の状態から取っ組み合いに発展するまで二秒もかからない。



 尤も、恭也に掴みかかかった時点で、事前研修という名目で遊びに来ていたすずかの手刀

を首筋にくらい古強者の班長は昏倒してしまったため、殴り合いにまでは至らなかった。局

内での訓練でない私闘など本来ならば始末書物だが、古強者の魔導師が魔導師でない少女に

後れを取ったというのも格好悪いので、彼の名誉のためにもその事実は公表しないというこ

とで、班長を含めた現場にいた人間の意思は一致した。



 ともあれ、その後のリスティまで交えた交渉の結果、鍛錬の詳細レポートを供与すること

で戦技教導班との諍いは一応の解決を見る。



 無魔法戦闘の教導の関係で、なのはのいる戦技教導隊と共に何かと世話になっている部隊

だから、戦技研究班は美由希としてはあまり喧嘩をしたくない部署の一つなのだが、態々取

っ組み合い一つを演出する辺り、恭也やリスティの人の悪さが伺える。



 だが、美由希は恭也やリスティが技術の秘匿など考えもしないことは良く知っている。お

そらく最初から詳細レポートくらいは渡すつもりでいたのだろう。先方も彼女らの性質くら

いは解っているはずだから、全て理解した上で、怒鳴り込んできたことになる。



 物凄く迂遠ではあるが、あれもコミュニケーションの一つなのかもしれない。



 男臭い世界の男臭い発想であるが、美由希も似たような環境で育ったために、その感性は

理解できた。自分も男ならその感性をもっと共有できたのか……と思うと、少しだけ寂しく

はある。



 その男臭い恭也は今、フリードの鍛錬の真っ最中だった。飛行訓練と称して、フリードの

背に乗って周囲を飛び回っている。美由希から見れば遊んでいるようなもので、事実恭也も

半分以上は自分の趣味で飛んでいるのだろうが、キャロ一人ではやらないことをやらせてい

ると見れば、これも辛うじて鍛錬と言えた。



 最高速の調査や、アクロバット飛行の可否。流石にブレスなどの制御は竜使いであるキャ

ロにしか出来ないようだったが、ただ飛んでもらうだけだったら恭也にも可能だ。



 竜使いでない人間が高速で飛ぶ竜の背中に乗るのは非常に危険なことだったが、恭也くら

いの身体能力があれば、振り落とされるようなこともないだろう。仮に落とされたとしても

容易に背中に戻っていけるし、キャロ以外では最もフリードと意思疎通の出来る人間である

ようだから、彼女の機嫌を損ねることもない。



(本当、小さい子に好かれる才能に恵まれてるよね、恭也ってば……)



 それが人外にまで適用されるとは驚きだったが、使い魔であるアルフやユニゾンデバイス

であるリイン、それにあれだけ最悪な出会いをしたロッテともそれなりにやっている辺り、

素質はあるのだろう。



 仲が悪いよりは当然良いことであるのだが、身近でモテまくっているのを見ていると、美

由希は何故か釈然としないものを感じるのだった。恭也の周囲にいる人間種族としては、付

き合うなら人間が良いんじゃないかとは思うものの、人外の知り合いも両手指の数以上にな

ってしまった身としては、それを口外するのも大人気ないことなのだろう。



 それに結局はそういうものは本人の気持ち一つ。他人である自分が口を挟むのも道理が通

らない。人の形をしていない存在が相手でも恋愛関係を成立させそうな恭也の心配をするの

だったら、いまだに男のいない自分の身を心配するべきだということに思い至り、軽く凹む。



「てやぁっ!!」



 ブルーな気持ちのまま、裂帛の気合と共に繰り出される槍型デバイスを体を開いて避け、

前のめりになったエリオに膝を叩き込む。浮いた所を回し蹴って吹き飛ばし、死角から打た

れたギンガの拳を、振り向き様に御架月で弾く。



 互いの魔力が干渉して火花が散る中、小太刀一本で迎撃された事実に驚きの表情を浮かべ

るギンガの懐に、肩から入り込む。慌てて回避行動に移るギンガだが、僅かに遅い。



 徹を込めた当て身が、ギンガのがら空きの胴に直撃する。弾丸のようにすっ飛んで行くギ

ンガを尻目に、神速を発動。その一瞬後、美由希がいた場所を電撃が走り抜けて行いった。

直撃していれば、火傷くらいはしただろう一撃。



 地面に這ったままのエリオが放った、変換資質に寄る電撃だった。奇襲のつもりだったら

しいそれが回避されたと見て、エリオは舌打ちと共にソニックムーブを発動する。神速もか

くやという速度で踏み込んでくるものの、美由希の目から見ればまだまだ遅い。



 槍の間合いで戦おうとするエリオの懐に数合で飛び込み、行きがけの駄賃とばかりに腹部

に数発の拳を叩き込んでから、襟を取って投げ飛ばす。



 そこでソニックムーブが解除された。たかが投げられた程度で使用解除されるほど意識を

持って行くはずはないから、『ついで』で叩き込んだ拳が思っていたよりも効果があったの

だろう。ギンガの数倍の速度で地面と身体を平行にして飛んで行くエリオの悲鳴が尾を引い

て遠くなっていくのを聞きながら、美由希は溜息をついて納刀する。



「一応、これで一区切り。ありがとうございました」

「ありがとうございました……」



 美由希の言葉に、地面に蹲ったままギンガが答える。どうにかして立ち上がるろうとして

いるものの、足腰に力が入らないせいか上手くいっていなかった。美由希は手を差し出すが、

ギンガは首を振って拒否する。



 たっぷり十数秒待つと、ギンガは自力で立ち上がった。足はガクガクと震えてはいるもの

の、立って歩く分には問題なさそうである。立ち上がったギンガに、美由希は惜しみない賞

賛の声をあげた。



「頑丈だ、とは思ってたけど、想像以上だね」

「口から胃が出てきそうですけどね……」

「うん、実際それくらいの打撃を叩き込んだつもりなんだけどね。素人が喰らったら、運が

悪いとそのまま死んじゃうくらいの」



 その物言いにギンガは微妙に嫌そうな顔を浮かべるが、美由希は構うことなくギンガの身

体をペタペタと触り、異常がないかを調べて行く。骨にも筋肉にも異常はない。本当に賞賛

に値する頑丈さだった。



 先ほどの戦闘では無論手加減はしていたが、適当に戦ってもいなかった。ギンガに打ち込

んだ当身は間違いなく直撃している。徹の乗った攻撃はバリアジャケットによってある程度

減衰されるものの、その衝撃はほとんど術者自身に通るのだ。



 そしてそれは大の大人がニ三日はまともに動けなくなるはずの衝撃だった。バリアジャケ

ットの恩恵があったとは言え、ギンガがそれに耐え切ったのだ。それは打たれ強いとか天賦

の才能とか、そういった次元で済まされる話ではない。



 おおよそ美由希の常識の外にある範囲に、ギンガのタフネスは存在している……



「それにしても、何故私の攻撃に対応できたのですか?」

「一応指導する立場だからね。修羅場もそれなりに潜ってるし、格好良いところ見せておか

ないと」

「そういうことを聞いているのではなくてですね……私は確かに死角から攻撃しました。そ

の攻撃を感知する、それは良いでしょう。美由希さんの実力があればそれは容易でしょうし、

私もそんなことで驚いたりはしません。ですが美由希さんは、私の拳を、正確に、振り向き

様に迎撃しました」

「ちらっと見えたんだよ、ギンガのことが」

「視線はこちらに向けていませんでした。それは断言できます」

「いい目してるねぇ、ギンガ」

「お褒めにあずかり恐縮です。恐縮ついでに答えを教えてくれますか?」

「……怒らない?」



 問うてみると、ギンガは目を瞬かせた後、苦笑を浮かべる。



「私が怒る道理はありません。貴女は先生で、私は教えを請う立場なのですから」

「じゃあ言うけど……音かな」

「音、ですか?」

「そう。正確にはローラーの音とデバイスの音。デバイスの方はあまり音がしないけどそれ

でも無音じゃないし、ローラーは移動の度に音がしてるからね。それでギンガの正確な位置

と状態を察することが出来るの」



 無論、解っただけで対応できるものでもない。解った上でそれに対応するだけの技量を持

っていなければ、死角からの攻撃を『迎撃』することなど出来ないだろう。攻撃を受けると

いうのはそれしかない時の最後の手段であり、それが死角から打たれた物であるなら尚更だ。



 最初から受けに回っていたこと、そしてエリオと連携していたことを含めても、ギンガが

自分の死角を取ったことは賞賛に値した。気でそこにいることは解ってはいたが、自分の視

覚から完全に逃れたことからも、ギンガの非凡な能力が伺える。



「ちなみに、条件が同じだったら何度やっても同じだと思うよ」

「美由希さんの死角を取るには、極力音を立てずに行動しなければならないということです

か?」

「そういうこと。私達の世界では訓練次第でそれも達成できたけどね。でもギンガには無理

でしょ? それは」



 美由希の言葉を受けて、ギンガが沈痛な面持ちで俯いた。その視線の先には無音で行動す

ることの出来ない最大の原因がある。



「技術をつぎ込めば音を極力減らすことは出来ると思うけど、動力がローラーを回せば音は

するし、それが地面を走ればやっぱり音はするよね。何というかそれは、奇襲には向かない

と思う」

「仰るとおりです」

「そんな顔しないの。奇襲に向かないってだけで、正攻法で戦うには何も問題もない……で

しょ? 事実、ギンガ以下の条件でクイントさんは今まで戦ってこれたんだし」



 慌てて美由希は付け足したものの、ギンガの表情は暗いままだった。どう言えば納得させ

られるものか、と思案する。



 要するにどんな力にも向き不向きがあるということだ。広い場所を前提に集団で戦うのな

らギンガのローラーはマイナスにならないし、それ所か移動に割く力をローラーに負担して

もらうことが出来るだけ、スタミナも長持ちさせられる。



 加えてギンガは体力があり、攻撃を喰らっても早々に落ちないだけの頑丈さもあった。前

線に立って長時間敵と戦い続けるなら、装備も含めてこれ以上の素質はない。



「でも、私は強くなりたいんです」

「どんな状況でも対応できるようになりたい、って言うなら無理だと思うよ。恭也や私みた

いな剣士にも、なのはみたいな魔導師にも、もちろんギンガにだって相性の悪い状況ってい

いうのはどうしたって存在するんだから」

「でも、それを極力少なくすることは出来るはずです。強くなる、というのはそういうこと

ではないでしょうか?」

「それも一理あるんだけどねぇ……」



 ギンガの若い物言いに、美由希は苦笑を浮かべた。同じような疑問を自分が過去に持ち、

師匠である士郎と兄の方の恭也にぶつけたことがあったからだ。自分一人で全てを何とかし

ようと思うのは、誰しもが通る道なのだろう。昔の自分に重なるギンガが、どこか眩しい。



「自分以外じゃどうにも出来ない時のために仲間がいて、一緒に事に当たれるように訓練が

あるんだよ。そりゃあ出来ることは多いに越したことはないけど、何でも一人でっていうの

はやっぱり欲張りだと私は思うな」

「そう……ですよね……」



 深く考え込んでしまった様子のギンガに、美由希は心の中でそっと匙を投げた。他人がど

れだけ言っても納得の行く答えを得られない。好きなだけ悩んで自分で答えを見つけるのが、

最適解のような気がしてきた。自分たちは人生の先達として、彼女が答えを探しているうち

に致命的なことにならによう、ある程度道を誘導するだけで良い。



 思えば自分も、そういう風に育てられたような気もする。一から十まで教えることも一長

一短なのだ。他人に指導するような立場になったのは管理局に入ってからだが、そうなった

ことで初めて見えてきたものもある。全くもって、世の中驚かされることばかりだ。



「さて……リオ、そっちは大丈夫?」

「おかげさまで」



 もしかしたらバリアジャケットまで解除されたのではないかと内心ヒヤヒヤしていたのだ

が、多少土で汚れてはいるものの、エリオはしっかりとした足取りで帰ってきた。生身であ

あなったら人前には出れない顔になっていそうなものだが……本当に、魔法様々である。



「僕も、何かご教授願います」

「そうだねぇ……電撃撃ってきたけど、あれはリオの案?」

「以前に恭也……さんとシグナムさんに言われて撃てるようにしました。デバイスに頼らず

呪文もなく撃てる攻撃は有効だと言われて」

「どんな状態からでも撃てる?」

「撃ちたい時に撃ちたい場所に撃ちたい所から撃てるようでないと、使えるとは言わないの

だ……とも言われました」

「なるほど。じゃあ、私に撃ちかかってる最中に撃たなかったのは何で?」

「至近距離で撃てば僕にも被害が出ます。自慢ではありませんが、僕は防御力にあまり自信

がありませんので」

「被害を出さないように、私にだけ撃てない?」

「……次までに、出来るようになっておきます」

「よろしい。後は、特に問題なかったと思うよ。この二週間は午後に時間取って私か恭也が

二人の相手するから、そのつもりでいてね」

「二週間転がされたり打たれたりするのかと思うと、気分が滅入りそうです」

「はっはっはー。苦労は若いうちにしないとね」



 いつもの鍛錬相手は主に恭也だから、どちらかと言えば自分が転がされる立場である。そ

れまでも兄の恭也を相手に鍛錬をしていたものだから、他人を転がす機会というのにはあま

り恵まれなかった。二人が面白いようにころころと転がってくれるのは、地味に快感である。



 趣味の悪い感性だとは思うが、いずれギンガもエリオも自分に並び立ち、追い抜いて行く

だろう。それまでの期限付きということで、二人にも許してほしいものである。



「じゃあ、午後の訓練はここまで。夕食の時間まで休憩してて良いよ」

「え、もう終わりなんですか?」

「おお、やる気全開だね、ギンガ。いいね。私も恭也もそういうの好きだよ」

「い、いえ! 別に鍛錬し足りないとかそういうことではなくてですね! 夕食の準備とい

うのはどうなってるのか……ちょっと気になりまして」

「なんだ、残念。夕食の準備はキャロがやってるよ。というかこれから食事の当番は基本的

に彼女がやることになってるから。二人はぐっすり休んでて良いよ」

「キャロがって……一人でやってるんですか?」

「恭也とフリードは飛んでるから、そういうことになるね。今日は間が悪いから一人になっ

てるけど、本当なら私か恭也が手伝ってるはずだから、心配しなくて大丈夫だよ」

「そういうことではなくて、人が働いてるのに自分だけ休むなんて出来ません」

「休むのも仕事のうち……って言っても、聞かない顔だねぇ。夕食後にも夜の鍛錬があるか

ら、個人的には休んでおくことを薦めるけど」



 夜の鍛錬、という言葉にギンガが一瞬怯んだが、思い切り頭を振り、でも! と続けた。



「料理を作ることくらい、何てことはありません。私はいつも家族の食事は作ってますから」

「それは良いアピールポイントだね。私はどうにかパスタとラーメンが作れるくらいだから

ちょっと羨ましいな」

「機会があればお教えしますよ。それよりも、私もキャロの料理を手伝いたいのですが、構

いませんか?」

「んー、ギンガがやりたいって言うなら止めないけど……止めておいたほうが良いと思うな

色々な意味で」

「これくらい、何てことありません」



 言うが早いか、ギンガは調理場の方へ駆け出してしまった。昼食までは缶詰だったから、

何処其処を調理場にした、というのはまだギンガには伝えていなかったが、既に調理のため

の煙は上がっている。それを目印にかけていけば迷うことはないだろう。



 キャロも、料理という仕事を独占するとかは考えないはずだ。ギンガが手伝いたいと言え

ばむしろ歓迎してくれることだろう。恭也がいるのだ。料理が得意ならそれをアピールする

良い機会である。恋する乙女を援助するためにも、ここは素直に手伝わせるのが得策かと思

うのだが……



「何か含みのある言い方でしたね」

「まあね。で、リオは手伝わなくて良いの?」

「休める時に休むのも務めだと、恭也……さんに教わりました」

「こういう所は本当に良い子だよね、リオは」

「ずっと悪い子でいるよりは、マシだと思いますよ」

「それもそうだ。不良が猫を拾うとぐっとくるし、そういう攻め方もアリだと思うよ。でも、

恭也の鈍さは世界遺産級だから、もう少し目に付くようになった方がいいかもね」

「……何の話をしてるのか分かりませんが、それより、キャロに何かあるんですか? ギン

ガさんに手伝ってほしくなかったみたいですけど」

「キャロには何もないよ。問題があるとしたらギンガかな。大丈夫だとは思うんだけど、ど

ちらかに賭けるとしたら、私は駄目な方に賭けるね」

「だから、何の話を――」

「しっ。ちょっと、静かに」



 何かが起こりそうな気配を感じ取った美由希は、口元に人差し指を当て、エリオを黙らせ

る。面倒臭そうな顔はするものの、とりあえずエリオは美由希の指示に従い、口を閉ざして

耳を済ませた。



 瞬間、絹を裂くような悲鳴が聞こえた。間違いなくギンガの声だ。人である以上何かに驚

くこともあるだろうが、見も世もなく悲鳴をあげることなどそうあるはずもない。



 今の悲鳴はどう聞いても只事ではない気配を感じさせた。咄嗟に悲鳴が聞こえた方に駆け

出そうとするエリオの手を掴み、踏みとどまらせる。何をするんだ! と敵意の篭ったエリ

オの視線にゾクゾクしながらも、それを隠すように美由希は笑みを浮かべた。



「被害に合うのは一人で良いよ。差し当たって誰も危険な状況にはないから、ゆっくりじっ

くり行くのが良いんじゃないかな」



























2、



 鍛錬合宿に参加して初めての仕事……夕食の準備は滞りなく終わった。



 皆の口に合うのか不安だったが、結果は空になった食器が語ってくれている。おまけに明

日もしっかり頼むと恭也に励まされた。結果は大成功と言って良いだろう。



 強いて問題を挙げるとすれば健啖家と聞いていたギンガがエリオよりも食が進まなかった

ことだが、恭也にそっと確認したところ、単に気分が悪いだけ……とのことだった。



 それほど鍛錬がハードだったのかしら、と首を傾げたら、恭也に笑われてしまった。思わ

ず声を荒げて問うてみると、食事の準備に驚いたことが今も尾を引いているらしいとのこと。



 何でも、世の少女というものは、動物の死体というものを見慣れていないらしい。それに

刃物を突っ込んで解体出来るのは、男まで含めても中々のレアスキルであるという。お前は

少女ではないと言われたような気がして流石に気分が悪くなったが、何事も出来ないよりは

出来た方が良い、と大真面目に言う恭也を見ていたら、怒るのもバカらしくなってしまった。



 男のバカを華麗に受け流すのが女の仕事である、と職場の同僚も言っていたし、ここは言

いたいことをぐっと飲み込むのが、少女の仕事なのだろう。我慢我慢……と心の中で念じな

がら、食後の運動ということでSAの型を高速で行っている、自分にとって常識外の少女で

あるギンガを見やる。





 ル・ルシエの里では狩りは基本的に男の仕事だったから、彼らが獲ってきた動物を捌くの

は女の仕事だった。物心ついた時から、里の少女は動物を捌くのを手伝い、五つを迎える頃

には大体の動物を解体するための正確な手順を記憶するに至る。



 流石に体の大きさ、力の問題から大きな動物を一人で解体するのは骨が折れるが、それは

時間をかければ一人でも出来るということでもある。同年代の中で一番解体が上手いとうの

が、キャロのささやかな自慢でもあった。



 里での教育の賜物か、今では自分の手で抱えられるくらいの動物であれば、さしたる時間

もかけずに解体するようにになっている。その分料理そのもののスキルは今ひとつだったが、

それは食材の新鮮さがカバーしてくれた。



 今日の食材は恭也が捕まえておいてくれた鳥を使ったが、明日からは自分で捕まえてこな

いと行けない。



 その食材の確保のために、自分は午後の訓練の一部が免除されている。罠の設置は恭也が

やってくれたし、その場所もしっかりと記憶した。罠に動物がかかっているか確認して、獲

物を回収したら罠を再設置する。たったそれだけの楽な作業だった。



 一人で運べないような獲物がかかっていた時だけが問題だが、そうなった時は恭也を呼ん

でも良いという手はずになっている。同年代の少女と比べれば体力も力もあるという自負が

あるものの、男性と比べれば見劣りする。手伝ってくれるというのは、地味に意地悪で割り

と嘘つきな恭也であっても、ありがたいことだ。



 本音を言えば手伝ってくれるのならエリオが良いのだが、鍛錬に真剣に打ち込んでいる彼

女の手を煩わせるのも気が引けた。ルーテシアと共に知り合った、里を出てから初めての友

達である。彼女が『強くなる』ということにどれだけの情熱を傾けているかは知っているつ

もりだ。



 その根源に恭也という人間がいるのは複雑な心境ではあるが、情熱を傾けられることがあ

るのは素晴らしいことだ、とも思う。自分の全てを賭けて打ち込めるような物を持っていな

いキャロから見たら、とても羨ましいことだ。



 ちらり、とエリオを見る。



 最初に『美味しいよ』と言ってくれたきり味についての感想をエリオから聞いていないが、

口の周りについた油とその一心不乱さが彼女がどう思っているかを物語っていた。寡黙とい

う訳ではないものの、本音で語ることを避ける風なエリオである。仕草や態度でどう思って

いるかを察することが、彼女と付き合う上で必須のことだった。



「リオ君、口にソースがついてるよ」

「ん……ありがとう」



 ナフキンでソースを拭う間は、エリオもされるがままになる。ついでに口周りの油まで拭

いて綺麗にすると、エリオはまた肉にもしゃもしゃと齧り付いた。



 小動物のようなその仕草が、かわいい。武術に打ち込んでるだけあって、女の子らしい柔

らかさというのとは少し縁遠い物の、頬はびっくりするほどに柔らかいし肌も透けるように

白い。首を動かした時にちらりと見える項なんて、殺人的な破壊力がある。



 好んで男の子の格好をするのも、キャロ的には勿体無いことだった。似合う似合わないで

言えば勿論似合うのだが、もっと女の子らしい格好をしても良いと思うのだ。



 だが、顔を合わせる時に何度もそれとなく薦めてみたものの、一向に女の子らしい服を着

てくれる気配はない。管理局に入局してもズボンを着用するという徹底ぶりだ。それが魅力

と割り切ってしまえたら楽なのだろうが、スカートを履いたエリオを見たいという欲求は抑

えることが出来そうにもない。



 あの手この手でアプローチはするものの、孤軍奮闘ではどうしようもないというのが現状

だった。貯金が溜まったらエリオに素敵なスカートをプレゼントすることがキャロのささや

かな夢なのだが、それを着てくれるかと言われれば別の話。



 優しいから受けてとってはくれるだろうけれど、一生懸命お願いしたとしても果たして着

てくれるかどうか……



 幼馴染の感性を持ってしても、分の悪い賭けと言わざるを得なかった。意中の男性でも出

来れば変わるのだろうけれど、そもそもが男の子の格好を好んでしているエリオである。誰

それに興味があるとかそういう話は、一向に聞かない。



 強いてあげるとすれば恭也が『意中の男性』としては最有力であるが、キャロが知る限り

彼はファッションという物に最も頓着しない男性である。最低限の見栄えさえ整っていれば

後は機能のみを優先するという感性の持ち主なのだ。



 仮にエリオが恭也に熱を上げたとして、彼の好みの女になりたい! などと思ったとして

も――少し想像してみて溜息が出た。そんなエリオはありえない――恭也の感性を優先した

ら、スカートを履くという結論には至りそうにない。



 後は自発的にエリオが女の子らしい格好、振る舞いをしてくれることに賭けるしかないが、

誰が何を言っても徹底してスタイルを崩そうとしないエリオが、果たしてそういう感性に目

覚めることがあるのだろうか……



 それが恋なんだよ、と職場の同僚は言うが、キャロにはそれが解らない。生まれてこの方、

一度も恋をしたことがないからだ。



 エリオが本当に男の子だったら、こんなことを悩んだりはしなかったのだろうか。今のエ

リオは大好きだけれど、それが恋かと言われれば違うと思う。



 管理世界は広い。同性同士の恋愛や結婚にも寛容な法整備がなされているが、恋愛間に関

しては、キャロの感性はマジョリティに属していた。恋をするならば、男性が良い。



 だが、そういった感性とは別のところでエリオを好ましく思っているのも事実ではある。



 女の子らしいエリオを見てみたい……この感情は、さて、何と呼べば良いのだろうか。



「ごちそうさま、キャロ。美味しかったよ」



 口の周りの油を、今度は自分で丁寧に拭いながら、エリオが不器用に微笑む。恭也さえ絡

まなければ、他人への気遣いもできる少女なのだ。本人は悪ぶっているが、根は本当に優し

い娘なのである。



「お粗末様。片付けは私がやるから、リオ君は鍛錬に行ってきて」

「……いいの?」

「私はこのために来たみたいなものだから、気にしないで」



 それでも暫くエリオは逡巡していたが、キャロがちらりと既に食べ終わって身体を動かし

ている恭也たちに視線を向けると、意を決した。



 ごめんね、と最後に小さく謝って、デバイスを持って駆け出していく。



 エリオが合流すると、キャロには目にも留まらないような速度で乱戦が始まった。恭也曰

く、食後の腹ごなし程度の運動らしいが、生まれつき鈍くさいキャロには何をやっているの

かも解らないほど、四人とも目まぐるしく動いている。転がされている回数から、ギンガや

エリオが押されているのは解るがその程度のものだった。



 鍛錬漬けの一日も、食後の二時間を持って終了である。



 後は皆で一緒にお風呂に入って、就寝する。恭也から見せられた予定表によれば、それで

一日が終わるはずだった。



 明日からは自分も厳しい鍛錬の一部に参加することになると思うと、胃が締め付けられる

ような思いがしたが、一日の最後に皆で楽しく語らうための時間があるなら、それも耐えら

れそうな気がした。



 エリオのことは家族だと思っているが、その割に一緒に暮らした時間は驚くほど少ない。

出会った時には既にキャロは管理世界で職を得ていたから、会えるのはキャロの仕事が休み

の時がほとんどだった。



 さらに今期からはエリオも訓練校に入学し、より一層会う時間は減っている。



 里から出てきて、初めて出来た同年代の友達なのだ。エリオに会えるのなら、多少辛いく

らいの鍛錬など何ということはない。

 

 きゅくるー、とフリードが鳴いた。エリオが使っていた皿に残ったソースを、美味しそう

にちろちろと舐めている。行儀が悪いよ、とフリードの頭を軽く叩き、皿を纏めて籠に入れ

る。これを近くの川まで持って行き、そこで洗うのだ。



 頭の上に重みが加わる。何やら機嫌の良さそうなフリードが、無駄にどっしりと腰を下ろ

していた。感触と見渡す景色が気に入っているらしく、恭也と戯れている時はそこが定位置

なのだが、子竜とは言えフリードも結構重い。恭也ならば何のこともないその重みがキャロ

には聊か苦痛だった。



 しかし、籠で両手が塞がっているため、突付くことも出来ない。仕方なく頭を揺すってフ

リードが転がり落ちることを期待してみるものの、恭也と一緒に好き放題飛び回ったことで

何か悟ったのか、フリードは頭の上で抜群の安定感を見せた。



 鳴き声にもどこか、得意そうなものが混ざる……ちょっとムカついた。



 えい! と気合を込めて、籠を持ったまま背中を反らせる。ほぼ垂直に変化した接地面に、フ

リードは足をばたばたさせて抵抗したが、物理法則には逆らえなかったのかずりずりと下降

しやがて地面に落下した。



 悔しそうに呻くフリードに苦笑しながら地面に籠を降ろし、彼女を抱えあげる。



「悪戯しちゃあ、駄目でしょ? 私は恭也さんと違って頑丈じゃないんだから」

「きゅくー!」

「……頭の上に乗るのが良いの? でも、無闇に楽をするなって恭也さんなら言うと思うよ」

「きゅくるー……」



 こちらの言葉にフリードはは目に見えて落ち込んでしまうが、恭也がそんなことを言うは

ずがないという確信がキャロにはあった。恭也はあれでフリードには甘い。頑強な身体をし

ていることもあって、フリードが頭に乗っていたいと主張すればそのままにしているだろう。

それどころか頭くらいならと、喜んで差し出してしまうかもしれない。



 フリードがどこに座ることで安心感を覚えるのか、究極的に言えばそんなことはキャロの

知ったことではない。フリードの意思は優先したいし、好きなところにいて欲しいと思うが、

誰彼構わず頭の上に乗られると流石に迷惑を振りまくことになる。



 子竜の今の状態でも、全く羽ばたいていないフリードは結構重い。これから成長してもそ

のままなのだとしたら、せめて座っていい相手とそうでない相手くらいは判断できるように

なってもらわないといけなかった。



 だが、フリードと明確に意思疎通出来る人間は少ない。齢を重ねた竜は人語を操ると言う

が、まだまだ子供であるフリードはその域に達していない。専門の研究者や意思疎通に特化

した魔法魔術を扱える魔導師を除けば、意思疎通ができるのは精々いつも一緒にいる自分か、

何故か相性の良い恭也くらいのものだろう。



 それ以外となると、大雑把な意思しか察せなくなる……らしい。事実、エリオやギンガは

恭也ほど明確にフリードと意思疎通をすることが出来なかった。何故解らんのだ、と恭也な

どは不思議そうな顔をしていたが、キャロからすれば恭也の方が不思議でならない。



 救いがあるとすればフリード自身が結構人見知りをすることだが、成長することでそれを

克服してしまったら、と思うと保護者兼友達としてはフリードの将来が心配である。今のう

ちからやって良いこと悪いことを教えておかなければならないが、この年からまるでお母さ

んみたい、ということに気づくと複雑な気分になった。



 夫はもちろん恋人はおろか初恋だってまだなのに、まだ十歳にもなっていない身で人間で

ない子供がいるというのはちょっと特殊過ぎる気がしないでもない。



 世にはそういう特殊な状況、状態に心ときめかせる特殊な性質を持った人間がいるという。

人並み程度に恋愛に夢を持っているキャロとしては、自分を好きでいてくれるなら……とい

うことが大前提ではあるものの、特殊な性癖はちょっと、と思うのもまた事実。



、恋人を見つける時は出来るだけ普通の人にしよう、と心に決めながら、フリードを籠の上

に乗せた。



「頭の上に乗って良いのは、恭也さんだけだよ。解った?」



 とりあえず恭也を人身御供として差し出す分には問題ないだろう。フリード本人も恭也も

喜んでいるなら、キャロが口を挟む道理はない。後はフリードがもっと複雑なことを理解で

きるようになってから教えてあげれば良い。



 その頃には頭に乗ることに飽きていてくれるのがベストだが、より厄介な場所に乗ること

に目覚めていることも考えられなくもない。



 考えれば考えるほど、問題が浮かび上がってくる気もする。問題の種であるフリードは籠

の上で丸まって、寝入ろうとしていた。暢気な様子のフリードを見て、キャロは深々と溜息

を吐いた。



「子育てって、大変……」




























3、


 視線を感じる……



 それも、好意的なものではなくどこか捻じれた感情がが込められているような。



 視線の元を辿るとそこにはキャロ。こちらが気づいたことにも気づかず、キャロはじーっ

とある一点を見つめていた。どこを見られているのか気づいたギンガは、思わず頬を朱に染

める。見られることは恥ずかしいが、あまりに真剣なその態度からストレートに止めてとい

うのは憚られた。



「キャロ、どうかした?」



 苦笑を浮かべてやんわりと声をかけると、弾けるようにキャロは飛び退り、『なんでもあ

りません!』と大声で答えて、恥ずかしさからかこちらに背を向けてしまった。背中ごしに

大きな大きな溜息が聞こえる。胸の辺りを手で摩っているのがさらに哀愁をそそった。



 気持ちは解らないでもない。体重とスタイルは、女性にとって永遠のテーマだ。



 まだ十歳にもなっていないキャロが気にするには早い気もするが、ひょっとしてずっとこ

のままなのでは……という恐怖に駆られるのも解らないことではなかった。事実、ギンガも

キャロくらいの時分に似たような脅迫観念を持っていたものだ。



 そんな少女に『そのうち大きくなるよ』と明るく励ますのは簡単だ。自分も同じ悩みを持

っていたのだと告白すれば共感も得られるだろう。それで純粋無垢な少女の未来に希望を与

えられるならば安いものだが、本当に大きくなるかということに関してはいかに人生の先輩

であるギンガも確約は出来ないのだった。



 例えば……妹のスバルと自分は、母クイントの遺伝子を元に顔も知らない誰かによって造

られた。その割には似てない姉妹だ、というのが母の感想だが、通常父親の遺伝子も混ざる

姉妹と比して、固体として持っている遺伝情報はずっと近い。



 だが、それなのに。二次成長が始まった辺りから、スバルと自分の間で身体的な特性に差

が出るようになってきた。筋力であるとか反射神経であるとか、武術家として得意なことで

あるとか、魔導師として無視できない要素も多々あるものの、最もギンガが懸念しているの

は胸周り腰周りだった。



 自分も大概に、食べても太らない性質だとは思っていたが、スバルは更にその栄養が胸に

いっているような気がしてならない。ともすれば少年のように見えてしまう顔立ちをしてい

るのに、自己主張する胸がそれを一瞬で否定する。



 自分もそれなりである自身はあるが、最近の目算ではスバルに数値の上で陵駕されたよう

な気がしてならず、さらに嫌なことに、彼女はまだまだ成長している様子だった。自分はそ

ろそろ頭打ちな感があるのに、これは非常に不公平なことだと思う。



 妹がかわいい美しいというのを誇る気持ちがあるのと同時に、妹よりも女性的魅力で劣る

……と思い知らされるのは、姉としてあまり気分の良いものではなかった。そう感じる自分

がまた浅ましくもあり、スタイルに関して思うところがあると、とてもブルーな気持ちにな

るのがギンガの常だ。



 斯様に同じ遺伝子から生まれた存在でも、バラつきがあるのだ。他の状況となると、どん

なイレギュラーがあるのか解ったものではない。比較的、母親が恵まれた体型をしているな

らば娘にもそれが遺伝する傾向が強いようにも思うが、今現在ぺったんこな胸を見ていては

何の励ましにもならない。



 このテの悩みは少女の誰もがかかる麻疹のようなものだ。今は苦しみなさい、と心中でエ

ールとも何ともつかない言葉を贈り、視線を水面に落とす。



 一日の鍛錬メニューを全て消化し、今は就寝準備の時間である。沢山流した汗が身体に纏

わりついて気持ち悪く、せめて水浴びくらいはしたいと考えていたギンガに提供されたのは

天然の温泉だった。



 人が入るには少しだけ温度が高いような気はするものの、入浴するには十分な環境が整っ

ていて、今は自分の他に美由希とキャロが使用している。



 恭也も一緒にどう? と美由希は冗談めかして誘っていたが、俺には俺の温泉がある、と

謎めいた言葉を残して彼は消えてしまった。



 ちなみにエリオもその恭也について行っている。一緒に入浴するのは恥ずかしいとのこと

だったが、ちらちらと恭也に視線を送っていたのを見るに、それだけではないだろう。衆人

環視の中では言えないような相談が恭也にあると見るのが自然か。



 疚しい気配は感じなかったのでそのままにしてきたが、絶対に間違いがないとも言い切れな

いのも事実。エリオとは全くと言って良いほど交流がないことであるし、明日以降は首に縄を

付けてでも連れてこよう、と心の中で決意するギンガだった。



「……それにしても、温泉なんて良く見つけましたね」

「恭也の訳の解らないネットワークから仕入れてきた情報だからね。何が出てきても驚かない

けど、こういう気持ちの良い情報なら大歓迎かな」

「気持ち悪い情報提供をされることもあるんですか?」

「あるある。普段はそうでもないんだけど、たまーに食べ物に関して信じられない感性をする

ことがあるんだ、恭也って。臨海部の屋台を紹介された時は本当に困ったよ」

「屋台を出すほどなら、それほどでもないと思いますが……」

「恭也みたいな感性をしてる常連客に支えられてるお店と見たね。私一人だったら、多分行か

ないと思うし」

「今度誘ってください、って恭也さんにお願いしてみても良いでしょうか」

「良い、どころか喜んで連れて行ってくれると思うよ。あの味に賛成してくれる人って本当に

少ないみたいだし。好みが合えば好感度も上がるかも」

「それは頑張ってみる価値がありますね」

「ただ、まぁ……恭也の名誉のために少し控えめな表現にするけど、凄く個性的な味をしてる

お店だから、食べる時には覚悟しておいてね。後、口に合わなくても私を恨まないように」

「心しておきます……」



 美由希は美由希で強靭な胃腸をしていると聞くが、そこまで口に合わないと証する一品がど

の程度のものなのか、逆にギンガも興味が沸いた。しかも口に合えば恭也の好感度上昇という

オマケ付きである。やらないという手はない。



「鍛錬はどう? 辛くない?」

「辛くないといえば嘘になりますけど、充実した時間を過ごさせてもらってます」

「それは良かった。折を見て私と恭也で指導役交換したりするから、アピールしたい時はそっ

ちの方で頑張ってね」

「美由希さんお時でも手を抜いたりしませんよ?」

「でも、恭也が相手だったらさらに気合が入るよね?」

「……確かに」

「ははは、正直な子って私は好きだよ」

「恭也さんも正直な女の子の方が好き……でしょうか?」

「嫌いではないことは断言するよ。割と嘘つきだから、正直者の方が相性は良いかもね」



 気休め程度の美由希の言葉だったが、意中の人間と相性が良いと言われて悪い気はしなか

った。例えそれを言った人間がおそらく今現在、最も恭也・テスタロッサと過ごす時間が多

いだろう女性であったとしても。



「それはそうと美由希さん、恭也さんのいない今のうちに相談があるのですけど」

「意外だね。秘密っぽいものを打ち明けるなら率先して恭也にすると思ってたけど……もし

かしなくても、恭也に聞かれたら不味いことかな?」

「美由希さんの反応を見て、恭也さんに打ち明けてみようかな、と思ってます」

「良いように使われてる気がしないでもないけど、かわいい後輩のためなら一肌脱いじゃお

うかな。で、なあに?」

「必殺技を――」



 言葉は額の衝撃と共に中断させられた。額を指で打たれた、と気づいたのは衝撃で仰け反

る途中のことだった。攻撃を受けた後に攻撃されたのだと気づく。しかもお互いに無手だ。

武術家の端くれとしては致命的な状況だったが、打ち込んだ本人は今し方他人を打った指で

鼻の頭を掻いていた。



「私が何を言いたいか、分かる?」

「基礎に勝る鍛錬なし」

「恭也が何を言うか、想像できるよね?」

「寝言は寝て言え、未熟者」

「オーケー、そこまで解ってるギンガが如何して必殺技なんて発言したのか、美由希さんに

聞かせてごらんなさい」

「実はミッドチルダではほとんど研究されてないジャンルがありまして……早い話が物理現

象を増幅させる技術なんですけど、これを技に応用できないものかと」



 話を切り出すと、美由希は居住いを正した。聞いた結果どうするつもりなのか知れないが、

少なくとも聞くつもりだけはあるらしい。話半分のつもりだったのでそんなに真面目に聞か

れても困るのだが、頭ごなしにデコピン乱舞されるよりはずっと良い。



 鍛錬合宿に来る前、ベッドの中で考えた構想を口にしていく。



「バリアを貫通する技術である徹の、向こう側に伝わった衝撃を魔法で増幅することが出来

れば、それだけで勝負を決めることも可能だと思うんです」

「まぁ、そうだね……言い分は分かるよ。でも今の段階で、魔法に関しては素人の私でも思

いつく疑問がいくつか」



 美由希がぴっと指を立てる。



「これはうちの上司からの受け売りだけど、研究されてない研究には、それ相応の理由があ

るってこと。それに力を割くなら、他のことをした方が有益だって判断した人が大勢いたっ

てことだよね? ギンガがやる意味ある?」

「ミッドチルダにもベルカでも、体術を補助するために魔法が存在しているのではなく、魔

法を効率よく使うために体術が存在してるようなものです。前者の研究をする人間は本当に

少ないですが、AMFが実用化され始めた今現在なら、研究に思い腰を上げてくれるところ

もあるかも。例えば――」

「特共研? まぁ、一部の興味を引きそうな内容ではあるよね。次。体術に取り込むってこ

とは、増幅されるべき物理現象? を確実に発生させなきゃいけない訳だけど、当てはある

の?」

「それはもう」



 来る途中に拾って隠し持っていた枝を二本重ね、指で弾く。小さな音を立てて、弾かれな

かった方の枝が二つに折れた。成り行きを見守っていたキャロから、小さな歓声が挙がる。



「……覚えてたんだね。何時の間に?」

「恭也さんのこと、ずっと見てますから」

「好きこそ物の上手なれ……とはまた違うか。散々殴られて転がされて、技を使ってるとこ

ろを見てたら、覚えたくなくても覚えちゃうのかな」

「出来ることなら、ちゃんと教わって覚えたかったものですけどね」



 美由希の軽口に苦笑で答える。軽く言っては見たが、これを出来るようになるまでに、恭

也が実演している場面を何度も繰り返し研究し、自分でも試行錯誤を繰り返したのだ。



 恭也は戦闘技術向上のための指導をしてはくれるが、自分達の技に関しては頑なに教える

ことを拒否している。彼と同じことを出来るようになりたいなら、勝手に盗んで実行するし

かない。



 この見よう見まねの徹が、人前で見せるに足るようになったのも、ごく最近のことだった。

これだけでも最初に出来た時は飛び上がって喜んだものだが、果たしてこれが技として昇華

するのは何時なのか……想像するだけで気が滅入ってくる。



「教わらずに出来るようになったんだから、大したものだよ。続けていくよ? で、以上の

問題が解決できたとして戦闘に……例えば恭也と戦ってる時に、撃てるの? その技だか魔

法を」

「そこは必殺技と言いますか、ここぞ、という時に使う技術として考えてます。ほら、なの

はさんのスターライトブレイカーみたいな」

「あれはまさしく必殺技だよね。何度か見たことあるけど、最初に見た時は妹が破壊光線出

すようになっちゃったーって実はちょっと凹んだんだよね、なのはには内緒だけど。かーさ

んに報告したら、流石私の娘ーって笑ってたっけ」

「高町家のほのぼのエピソードは後でじっくり聞かせていただくとしまして……私としては、

これを実行するための魔法の構造式の構築を、美由希さんの上司さんたちにお願いしたいん

です」

「私から頼んで欲しい、と、そういう訳だよね? それは別に良いよ。攻性魔法部門の人達

が喜んで食いつきそうな内容だし、技を増幅したらどうなるのか、純粋に興味があるしね。

でも、恭也はどうする? 黙って話を通したら、あの頑固者怒るよきっと」

「説得します。恭也さんが駄目だと言うなら、それで諦めます」

「思い切った話を切り出したのに、随分とあっさりだね。面白そうなのに、いいの?」

「強くなるための案として、提示したまでです。恭也さんが私に相応しくないと判断するな

ら、私はそれに従います」

「程よく恭也教に染まってる感じだけど、少し疑う余地は残しておいた方が良いかもよ?

恭也だってああ見えて人間だから、間違えることだってあるし」

「それは、そうかもしれませんけど……」

「私としては、まずきちんと徹を使えるようになるところまでレベルアップすることを薦め

るよ。必殺技を考えるのは、それからでも良いんじゃないかな。なのはみたいに威力100

をどかーんと撃つのも戦いだけど、威力5を20連続するのも、それはそれで戦いだから。

私やギンガにとっては、それが『技』。反撃の余地なく突き詰めていけば、その技で必ず相

手を殺すことが出来る……ね? これも必殺技でしょう?」



 屈託のない笑顔と共に、美由希は言う。その理屈も、痛いほどに理解できた。



「まぁ、構造式の件は話は通しておくよ。そんなに時間もかからずに完成すると思うけど、

それを使うのはギンガがきちんと技を覚えて、恭也に許可を取ってからってことで」

「美由希さんの許可は、要らないのですか?」

「どうせ恭也が反対するから、私は賛成派。自分でかっこつけたこと言っておいて何だけ

ど、見てみたいもの、その魔法。だから頑張ってね? 私も恭也と一緒で教えることはし

ないけど、応援はしてるから」

「参考までにお伺いしますけれど、きちんと出来るというのはどの程度のことを?」

「うーん……言葉で説明するよりは、見せた方が早いかな」



 お湯の中をざぶざぶ移動し、美由希はこちらの肩に両手をかけてくる。真剣な様子の黒い

瞳に吸い込まれそうになる。野暮ったい眼鏡と言動で見失いがちだが、この人は本当に美人

なのだ。真面目な顔して見つめられると、同性と解っていても少しどきりとする。



 その美由希の顔がゆっくりと近付いてくる。その軌道と速度、いつの間にか目を閉じてい

る美由希に、流石にギンガも焦った。同じことに思い至ったらしいキャロが、背後にひっく

り返ったのが聞こえる。



 ちなみにギンガ・ナカジマに男性と付き合った経験はなく、そういうことをしたことも一

度だってない。つまりこれが初めてな訳だが、その相手が女性というのはしかしここで突っ

ぱねるのも後輩として――



 パニックになった頭で思考の迷路に嵌ったギンガを他所に、美由希は僅かに首をスウェー

させ…… 













「ギンガさん、ギンガさん!」



 完全に気を失い湯の中に沈もうとするギンガを、腕を掴んだキャロが必死になった抑えて

いた。身長差があるせいで上手くいっておらず、ギンガの身体の半分は湯に沈んでいる。そ

の顔は何故か妙に幸せそうだった。



 徹を込めた頭突きで脳を揺さぶったから、暫くは起き上がらないだろう。ギンガは精々腕

でしか徹を出来ないのだろうが、身体のどの部位から、武器を持っていたとしても、百回や

って百回成功するようでなければ、出来るとは言わない。



 今自分がやったように、遊びでやるような頭突きでも十全の効果を発揮できるようになれ

ば、先ほど口に登った必殺技を使うことも不可能ではないはずだ。独力でここまで辿りつい

たギンガならば、後二年もあれば形になるだろう。



 首の後ろを掻きながら、空を見上げる。



 見ていて羨むほどの才能だった。同じ条件で鍛錬をしていたら、恐らくギンガは自分の遥

か先を行っていただろう。ギンガよりも先に生まれ、彼女よりも密度の濃い鍛錬を行ってい

たから、勝てるに過ぎない。



 そして、ここにはいない後輩のことを思って身震いする。

 

 十代も半ばを超えた、高速戦闘にはそれほど適正のないギンガでもこれなのだ。まだ十歳

にもなっていない身で、さらに貪欲に強くなろうとしている赤毛の少女は、果たしてどこま

で高みを登るのか……



 彼女に敗北する自分の幻視が、そう遠くないことを美由希は予感していた。十年か……そ

れよりももっと短いかもしれない。いずれにせよ、エリオは何れ自分達を必ず超える。その

時、何やら不穏な約束をしているらしい恭也はどうするつもりなのか。



 湯面に視線をやった美由希の口の端が、僅かにあがる。



「まだまだ負けないでよ? 後は後輩に任せて隠居ーなんて、年寄りのすることだからね」



 呟いた言葉は誰にも聞かれることはなく、湯煙の中に静かに消えた。


























































4、



 避けた――そう確信した時には、攻撃を喰らっていた。



 貫(ぬ)かれた。



 地面を転がりながらもその勢いを殺さぬまま立ち上がり、攻撃をした相手を睨みやる。



 ドラム缶の下に誂えた竈に竹筒で息を拭きかけているその男は、殺気を込めたエリオの視

線を無感動に受け止めると、無言で手を差し出した。



 健闘を讃えて握手を、などと殊勝なことではない。言葉をかけられなくても何を要求され

ているのか解ったエリオは、投げつけるようにして近くに山と詰まれた薪を一本掴み、強引

に放り投げた。



 直撃すれば怪我では済まないそれを恭也は事も無げに片手で受け止める。それを軽く宙に

放ると、プレシアが数度閃いた。数瞬の後には、手ごろな大きさに分断された薪がバラバラ

と落ちてくる。



 技術の無駄遣いに、溜息が出た。



 薪を放り込みながら熱心に火に息を拭きかけている男の背が、どうしようもなく間抜けに

見えたのだ。



 どうして僕がこんな間抜けのために緊張しなければならないのか……考えたら馬鹿らしく

なってきた。いつものようにすれば良いのだ。力を抜いて歩み寄り、恭也の隣に腰を下ろす。



 恭也の視線は、火に向けられたままだった。エリオも恭也を見ないまま、言葉を紡いだ。



「あんたから見て、さっきのはどうだった?」

「遅い。どうしようもなく遅い。俺や美由希の十分の一程度だな。しかも動きにぎこちなさ

があった。直進か、それに近い軌道でしか使用できないのだろう。それで神速とは良く言っ

たものだ。片腹痛い」



 片腹痛いとは言うが、恭也はにこりともしない。その横顔からはこちらの方を意地でも見

てやるものかという鉄の意志が見てとれた。いつにも増した無表情仏頂面は、機嫌が悪い証

拠である。



 波立つ恭也の内心を見透かして、エリオの気持ちは逆に晴れ渡った。認められている。そ

れを感じたのだ。



「でも、神速は神速だ。それは認めてもいいんじゃないかな」

「同じ技術であることは認めるが、お前のは圧倒的に錬度が足りない。俺に見せるのならも

っと鍛錬を重ねて、それから出直して来い」



 薪がぱちり、と爆ぜた。



 不意に、恭也の手がこちらに伸びた。額を打たれる――そう直感した時には、エリオは射

程の外にまで『一瞬で』後退していた。避けたとは、お世辞にも言えない不恰好な後退。恭

也の攻撃から逃げたそれは、しかしベルカやミッドチルダの魔法ではなかった。



 その技術を、恭也と美由希は神速と呼んでいた。





「俺が初めて使ったそれは、今と大体変わらない速度だった。美由希も、恐らく同じだろう。

使う人間によって程度の差はあると思うが、それも誤差だ。お前のように明らかに遅い神速

というのは、本来ならばありえないことなんだが……アプローチが違うからなのかな。こち

らの世界の人間に言わせれば、神速も魔法の一種だ」



 独白のような恭也の言葉。こちらに語りかけているようで、こちらを見ていない。無感動

にも聞こえるその声音の中に、エリオは感情の色を見た。



 そこには嫉妬、羨望、武術家として当たり前の感情とも言えるそれらを超えて、賞賛の響

きがあった。恭也を知らない人間が見れば、独り言で八つ当たりをしているように見えるの

だろう。



 だがエリオには解った。物凄く迂遠な方法ではあるものの、これは褒められているのだ。



 素直な賞賛の言葉はない。頭を撫でられることもない。ただのぶっきらぼうな言葉一つで

エリオは今までやってきたことの苦労が報われるのを感じた。



「まぁ、何事も出来ないよりは出来た方が良い。体調にだけは気をつけて、精進を続けるこ

とだ。そんな中途半端な速度で、満足してくれるなよ」

「速度だけなら、もうあんた以上を出したよ」



 炎に向かって息を吹くのを止め、恭也が訝しげにこちらを向く。からかっているのか、と

攻めるような表情をしているが、エリオが言ったのは真実だった。いつもからかわれてばか

りだから、恭也の意表を突けたことは素直に心地よい。



「……と言っても、制御できないんだけどね」

「もっと詳しく話せ」

「単純なことだよ。遅い神速を発動した状態でソニックムーブを使ったら、凄く速く動ける

んじゃないかって思ってね。訓練が休みの時に、一人でやってみたんだ。一秒と持たずに制

御に失敗して、100メートルくらい地面を転がることになったけど」

「身体は大丈夫なのか?」

「自分でも心配だったから精密検査したよ。魔力は大して減ってなかったし、身体のどこに

も以上は発見できなかった。転がった時に砂を被ったのと、物凄く疲れたくらいだね」

「そうか……なら良いんだが。それで、解決策はあるのか?」

「僕自身の修行不足以外は特に問題はないんじゃないかな。欲を言えばもっと高性能なデバ

イスが欲しいところだけど、ないものねだりしてもしょうがないし」

「ふむ、デバイスか……」

「怒らないのかい? 勝手にそういうことを試したこと」

「身体が問題なく、お前自身が現状の問題を把握してるならそれで良い。忌々しいことでは

あるが、昔の俺よりもずっと体調管理には気を使っているようだしな」



 礼儀と一緒に、あんたに教え込まれたことだからね。



 口を付いて出そうになった言葉を、寸前で飲み込む。どうせ調子に乗る。ここで持ち上げ

るような言葉を言う必要はないだろう。一度そういう言葉を口にしたら、心にもない感謝の

言葉が続きそうで、自分で想像しても気持ち悪い。



「その超神速だが、完全に制御できるようになるまでは人前では使うなよ。手札を無闇に晒

す必要はない。100メートルも地面を転がることを衆目に晒したいというのなら、話は別

だが」

「あんたに言われるまでもないよ。それに、次に誰かの前で使う時は、あんたを殺す時だ」

「神速以上となれば、苦戦しそうだな……まぁ、楽しみにはしている」

「言ってろ……」



 呟くように言って立ち上がる。言うだけのことは言った。もうここにいる必要はない。色

々言ってキャロたちから離れてしまったが、今から合流して温泉に入るというのも心苦しい。

少々肌寒いが、水浴びでもして我慢するか……と辟易しながら足を踏み出すと、無造作に左

の腕を捕まれた。



 睨むようにして振り返ると、竹筒をベルトに差込ながら恭也が立ち上がるところだった。



「入っていけ。俺は後でも良い」

「……無闇にあんたの施しは受けない」

「普段はどうか知らないが、今は俺が明確に教える立場で、お前は生徒だ。師匠の言うこと

は黙って聞いておけ。どうせお前のことだから水浴びでもしようと思っていたのだろう。い

くらお前の身体が頑強でも、無闇に身体を冷やすと体調を崩すぞ」

「なら、僕はあんたの後で良い。しばらくその辺を散歩してくるよ」

「お前、一応性別は女性だろう。男が入った後に女性を入れるのは俺も抵抗があるのだが」

「女が入った後に入りたがる男っていうのも気持ち悪いと思うな」

「では間を取って共に入るか?」

「その案をどうしても実行するっていうなら、僕はこの場で舌を噛み切って死ぬ」



 どちらも譲らず、ドラム缶を前にしばし睨みあう。根負けしたのは、同時だった。心の底

から馬鹿馬鹿しいと思う。結局のところ、どちらが先に入ったとしても、大した違いはない

のだ。



「既視感のある会話だな……前にもこんな問題でもめなかったか?」

「こういう風呂に入る時はいつもこんな会話してるよ。結果はいつも違うけど」



 返す返すも馬鹿馬鹿しい。毎回違う結論になるということは、双方に一貫した主張がない

ということでもある。双方どちらでも良いと思っているなら、どう決めたところで問題はな

い。



「……ジャンケンで決めるか」

「勝ったほうが先に入るってことで」



 問題が早く解決するなら、否やはない。腕を振って恭也と視線を合わせると、お互いに手

を繰り出す――



 結果はエリオがチョキ、恭也がパーだった。



「お前が先だな。上がったら連絡をくれ。俺はその辺りを散歩してくる」

「覗いたら目を抉り出してやるから、そのつもりでいなよ」

「お前を覗くくらいだったら、あちらの方へ行くさ。寝言は寝てから言え、幼児体型」



 なにをー、とエリオが言い返すよりも早く、恭也の姿は夜の森の中に消えた。視界から姿

が消えると、エリオの技能ではもう恭也を捕らえることは出来なかった。気配を読む、と恭

也や美由希は言うが、エリオにはその感覚がどうしても掴めない。



 それが出来るようになれば、意味もなく恭也に不意を突かれることもなくなるのか、と思

うものの、美由希の言では恭也は気配を殺すのも上手いという。俄仕込みの技で彼を捉える

ことは出来そうになかった。



 それでも一応覗きの視線がないか周囲を確認して、衣類に手をかける。元々どこかで水浴

びをするつもりだったから、着替えも持ち込んであった。ここで風呂に入るつもりはなかっ

たが準備に抜かりはない。



 服を脱ぐ時に、自分の胸に触れた。毎日見ているのだから、確認するまでもない。手の感

触に頼るまでもなく、そこは見事にぺたんとしていた。



 エリオも少女である。胸に関して思うところがないではない。なければないで少女の矜持

が傷付くものの、ありすぎてもそれはそれで困るのだ。シグナムなどは肩が凝るだけで邪魔

だなどと言うし、鍛錬の時の彼女を見ていたら邪魔だというのも納得だ。



 最低はやてくらい、欲を言えばフェイトくらいは欲しいというのがエリオの希望だったが、

それが叶えられるという保障は何処にもなかった。現状が大平原なことを考えると未来に対

する見通しは暗い。



 男の立場になって考えてみても、そりゃあ何もない胸や丸みのない尻を見るよりは、美由

希たちのような起伏に富んだ身体を見た方が目の保養になるというのは理解できる。



 恭也くらいの年代で自分のような身体に欲情するようではそれはそれで問題なのだが、全

く興味を示されないというのも癪に障った。タオルで身体を隠し、ドラム缶の梯子に足をか

けた段階で、もう一度周囲の気配を探ってみるが、やはり人の気配はない。



 ちっ、と舌打ちをした自分に、驚く。



 何がそんなに悔しかったのか、エリオには良く分からなかった。

























5、



「……そんなこんなで、皆揃った2日目が終わったのよ」

「話を聞いてると転がされてばっかりだね、ギン姉」

「そんなことないわ。私もエリオを転がしたりしたのよ?」



 朗らかに説明するが、実際にはエリオに転がされたりもした。それにエリオを転がした回

数と自分が転がされた回数を比した場合は、圧倒的に転がされた回数が多いのも事実。スバ

ルの言にも間違いはないのだが、抵抗してみたいというのが姉心。



 それに、揃ったと言ってもレギュラーメンバーだけの話。この後一日二日だけスケジュー

ルの都合をつけて、強引に参加してきた者が何人かいたのだが、そこまで話すとその間に感

じた怒りまでスバルにぶつけてしまいそうなので、割愛する。



 立場を利用して過度にくっつく金髪ツインテールのことを思い出し、ふつふつと湧き上がる

怒りを抑えながら、スバルを見る。鍛錬した山の近くの売店で買ってきたお土産を幸せそうに

パクつく彼女はとにかく幸せそうだった。



 この娘は本当に、食べ物を食べている時は幸せそうだ。その朗らかな笑顔からつつっ、と視

線を下にずらす。



 シャツを押し上げる、女性の象徴。じっと見つめた後に、自分の物と比べてみる。見ただけ

で数値が分かるほどギンガアイは優れていないが、量の増減くらいは判断できた。



「スバル、一つ聞きたいことがあるんだけど、良いかしら?」

「いいよー、あ、もう一個食べて良い? ギン姉」



 いいよ、と答えるよりも早く伸ばされたスバルの手をがっしと掴む。不思議そうに首を傾

げるスバルの瞳を正面から覗き込み、顔を近づける。



「サイズが一回り大きくなっているような気がするのだけど……私の気のせいかしら?」

「笑ってるのに笑ってない目が怖いよギン姉……」

「正直にイエスと言うか不届きにもノーと言うか、好きな方を選びなさい? まぁ、結局は

実力行使をする訳だから、答えは聞いてないようなものなんだけど」

「暴力反対!」



 ちゃっかりとお土産だけは確保して席を離れるスバルに、ギンガは二歩の踏み込みで追い

ついた。この数日、ずっと恭也と美由希に転がされて目を慣らしてきたのだ。ローラーのな

いスバルの動きなど、止まって見える。



 逃げるスバルの襟首を掴むとその場に引き倒し、宙に待ったお土産をそっとテーブルに戻

してから、身を投げ出しスバルの腕を極める。じたばた暴れるスバルと一緒に揺れるそれが、

実に憎らしい。



「さあ、どっち? お姉ちゃんに言って御覧なさい」

「した! 成長した! 下着もこの前買い換えました――痛いいたいイタイ!」



 分かっていたがその通りのことを聞かされても怒りが収まる訳でもない。予想した通りの

言葉を聞かされて、思わず腕にも力が篭る。



 女の子とは思えない悲鳴をスバルが挙げた。解放したら、まずはそれを叱ろうと心に決め

たギンガだった。