リンディ・ハラオウン。



 階級は中将。本局総務の責任者であり、管理局でも最大派閥の一つであるハラオウン派の

盟主である。執務官から提督を経験し現在の地位に収まっているため、現在前線に立ってい

る人間の間にも知名度が高く、また彼女と同年代の局員で共に戦ったことのある人間の中に

は、四十を超えてもいまだ衰えを見せない彼女の容姿と温和な性格から熱狂的なシンパも多

い。



 いずれ管理局のトップに立つのではないかと目されている人間の一人で、何かと対立する



ことの多い地上本部の人間にすら一目置かれる才媛である。





 レティ・ロウラン。



 階級は少将。本局運用部の部長を長年務める、本局を影から支える実力者である。派閥盟

主であるリンディとは士官学校の同期で、今も個人的な交友が続いている。ハラオウン派の

中で最も発言力のある幹部であり、本局の人、物、金を動かす立場にあることから、前線部

隊に限らずその他多くの部署にも利益で結ばれた太いパイプを構築している。



 また、浮名を流していることでも有名で、その食指は本局、地上本部に限らずあらゆる方

面に伸びているという『噂』であるが、それを理由に出世や仕事に便宜を図ることは絶対に

しないという、公の部分に於いては公明正大な人格として知られていた。



 出世においては同じ派閥に属していながらリンディのライバルと目されており、あらゆる

部署に顔が聞くことから、主に事務方の人間は、出世レースにおいてリンディよりも上と目

しているほどである。





 クロノ・ハラオウン。



 階級は准将。リンディ・ハラオウンの実子であり、現在はハラオウン艦隊の提督を務めて

いる。母親のコネで出世したのだ、という陰口を物ともせず、艦隊と多くの武装局員を率い

て次元世界を飛び回って挙げた成果は、同年代の中ではトップクラスである。





 ハラオウン派の幹部で、いずれリンディからその派閥を継ぐと目されている人物。リンデ

ィ達の次の世代、所謂『若手』の中ではホープであり、その意味においては今最も出世競争

の渦中に立たされている人物と言える。





 ユーノ・スクライア。



 本局、地上本部、全ての部署から独立した無限書庫の司書長。客員待遇であるために階級

は保持していないが、提督クラス(准将相当)の権限を有しており、客員待遇の職員の中で

は最大の権限を保有している人物である。



 考古学の世界では知らぬ者のいないスクライア一族の出身であり、考古学を始とした幾つ

かの博士号を保持。ロストロギアへの造詣も深く、その知識の深さと所属している部署から、

ロストロギアを相手に前線で戦う者にとっては、生命線となっている存在となっている。



 、また司書として有能であることも知られており、一般の司書十人分の働きをするとか、

一週間の貫徹をこなしたなど、無限書庫において数々の逸話を残している。





 自分の周囲に立つ人間のプロフィールを頭の中で列挙した恭也は、溜息が漏れるのを止め

ることが出来なかった。普通に過ごしていたら口をきくどころか、顔を見ることもできない

ような人間が、自分の周囲にずらりと並んでいるのだ。



 そう思うと恐ろしい連中と友人関係を築いたものだと思うが、普通の人間にとっては絶対

的な権力者であっても、恭也にとってはただの気の置けない友人達だった。収入の格差から、

年下のクロノやユーノにまで食事を奢られることが多いのが忌々しいことであるものの、問

題といえばそのくらいである。



「恭也さん、ぼーっとしてどないしました?」



 隣に立っていたはやてをちらり、と眺めやる。



 妹であるフェイトの同級生であり、シグナムたちヴォルケンリッターの主である少女。キ

ャリア試験にも合格し、管理外世界出身であるということ、そしてスネに傷があるというハ

ンデを物ともせず、出世街道を驀進中である。



 クロノと同じく若手のホープではあるが、階級はまだ三等陸佐。年齢と境遇、彼女の勤続

年数を考えればそれでも十分なスピード出世と言えるが、周囲に存在するのはそれよりもさ

らに上位の、リンディやレティに至っては管理局の歴史の中でも屈指の優秀な存在である。



 彼女らに比べたら、世間では十二分にエリートに分類されるはやても、かわいい存在と言

えた。階級の格差に居心地の悪さを感じた恭也にも、笑顔が見れるというものである。



「いえ、はやては美しいのだな、と再認識していたところです」

「どうしましたん? 恭也さん。いきなり褒めても、何も出ませんよー?」



 そう言いつつも満更でもなさそうな顔で微笑み、照れ隠しなのかバシバシと背中を叩いて

くるはやて。友人二人と出した結論、女性と会話する内容に困ったら何でも良いから褒めて

みよう、を実行したに過ぎないのだがどうやらそれなりに効果はあったらしい。



 同時に自分でどうかな、と思ったことに関してはとりあえず口の中で吟味してから、口に

乗せるように、ということも実行していた。その鉄則に従ってみるに、背中をバシバシ叩く

という仕草がどうしようもなくオバサン臭いと思ったことは、言わない方が良いことなのだ

と思い至る。



 なのは辺りだったらそれもド直球で口にしていたのだろうが、はやて相手ではそれも遠慮

せねばならない。八神家に世話になっていた時分に染み付いた、ヴォルケンリッターのよう

な従者的感性がはやてを前にすると首を擡げるのである。



 何もそこまで、とはやては苦笑することもあるが、染み付いたことは早々抜けるものでは

ない。丁寧に接する分には八神家の面々も文句は言ってこないし、たまには私にもーとなの

はが寝言を言う以外には特に問題のないことである。



 機嫌良さそうに歩みを進めるはやての背中を眺めやりながら、思う。彼女を主と崇めるシ

グナム達は、どんな思いでこの背を見送っているのか。



 シグナム達は個人的には勇猛果敢な主を好むのだろうが、守る立場としては主というのは

屋敷の奥に篭り、デンと構えている方が望ましいはずだ。戦乱の時代だった遥か古代とは異

なり、管理世界も今は比較的安定している。夜天の王であっても、何も好き好んで戦いに身

を投じる必要はない。



 八年前に八神家が生み出した『負債』も、はやてまで含めた八神家全員の管理局への貢献

で帳尻が合いつつある。何よりはやては管理外世界出身だ。魔法のない世界で生まれて、魔

法のない世界で育った年端も行かない少女が、管理世界で十年近く働いた。



 態々言葉でもって、管理の及ぶ世界とそうでない世界を分けているくらいだ。いくら力が

あるからと言って、働くことを望まない管理外世界の人間を縛り付けておく権利は、管理局

と言えどもあるはずもない。



 もうここまで。はやてが一言そう言えば、シグナム達だって海鳴にひっこみそこで静かに

暮らすことを是とするはずである。高位の魔導師がごっそり抜けることは管理局にとって痛

手だろうが、はやてにとってはそれが本来のあるべき姿だ。



 正直に言えば、恭也ははやてに戦ってほしくなどない。はやてだけではない。フェイトや

なのはにだって、出来ることならデバイスなど握ってほしくはなかった。



 だが、彼女らは戦うという。海鳴ならば当たり前のように享受することが出来た、普通の

少女としての幸せを投げ打って、管理世界に貢献することを是としている。



 はやても、フェイトも、なのはも。何も知らない子供ではない。自分の意思で考え、戦う

ことを決めた。



 ならば恭也に口を挟む道理はない。力を尽くして彼女らの安全を守れるよう、影に日向に

努力するだけだ。世間的には魔導師ですらなく、魔導師立場の保守派に何かと目を付けられ

る自分とは異なり、彼女達は皆魔導師として第一線で華々しい活躍をしている。



 力を貸したい、とおいそれと協力できる関係にないのが、悩みと言えば悩みの種だった。



 戦う人間と管理世界で言えば、それは魔導師のこと。優秀な魔導師ということは総じて戦

うこと、そして身を守ることに長けた存在であるということだが、それとこれとは話が違う。



 例えフェイトが管理世界最強の魔導師であったとしても、今と変わらない心配をしている

だろう。過去の経験と記憶から、どれだけ鍛錬を重ねた、どれほど強い人間であったとして

も死ぬ時はどうしたって死ぬのだ、ということを恭也は知っていた。



 だから、いざという時に死なないようにするために、死ぬかもしれない人間を守るために

日々の鍛練を行うのだ。そうしたってどうしようもない時はどうしようもないが、死に至る

確率を少しでも下げられるのなら、やる価値は存分にある。 



 魔導師を相手にするのだから、管理外世界とはまた異なった――



「難しい顔してるわよ」



 はやての背中を睨むようにして歩いていたら、つん、と鼻の頭を小突かれた。敵意がなか

ったので意識の外に漏れていた……というのは言い訳にならないだろう。鼻を軽く突かれた

程度とは言え、不意打ちを喰らったという事実に変わりはない。



 バツの悪い表情を浮かべて、引っ込められた手の主を見やる。レティはそんな恭也の顔を

見て苦笑を浮かべると、僅かに背伸びしてネクタイに手を伸ばしてきた。



「刃みたいに鋭い顔立ちの貴方だからそういう表情は似合うのだけど、嵌りすぎていて近寄

り難さを感じるわ……そういうのに弱い女もいるのでしょうけどね。でも、世の中スリルを

求める女ばかりじゃないってこと、覚えておきなさい」

「ご忠告は痛み入りますが、真面目な考えをしている時に薄ら笑いを浮かべる人間はおりま

せん、閣下」

「難しい顔でなければ薄ら笑いというのも短絡的ね……この際だからアドバイスしておくけ

れど、そういう時は逆に力を抜くの。だからって弛緩した見っとも無い顔を晒せ、と言って

る訳ではないわよ? 身体の力を抜いて、心を落ち着ける。難しい顔をしていたら、誰でも

解けるような簡単な問題も、不可能命題に思えてくるんだから。穏やかな心で見渡して見た

ら、大抵の物事には解決策が見えてくるものよ」

「自分の修行不足を痛感します。自分はあまり、物事が見えない性質のようでして」

「貴方は適度に力を抜くことが下手そうだものね……自然体に見えて気が張っているみたい

だし、そういう生き方というのは疲れない?」

「それももはや運命と、諦めることにしています」

「でも休息というのは必要よ。貴方がどれだけ超人か少しは理解しているつもりだけど、そ

れにしたって限度があるでしょう」

「これでも適度な休息というのは心がけているのですがね……」

「肉体的な休息だけでなくて、精神的な休息というものも必要よ。もし貴方が希望するなら、

そのどちらも提供する用意が私にはあるのだけれど――」

「卑猥な話なら後にしてくださるかしら? ロウラン部長」



 話を途中で打ち切られたことで、ネクタイを持つレティの手に反射的に力が篭る。



 気道が圧迫されるが、それも一瞬のこと。レティは素早くネクタイの形を整えると恭也の

肩を二度軽く叩き、絵に描いたような余所行きの笑顔を浮かべて向き直った。



 こういう時のレティには他者を圧倒するような迫力がある。彼女の部下で、恭也の友人の

一人であるナナカも言っていた。こういう時のレティには近付くのも嫌だと。命の危険に度

々遭遇する自分でも言い知れない圧力を感じるのだ。事務畑の人間では正に生きた心地がし

ないことだろう。



「卑猥というのは随分な言い草ではないかしら、リンディ」

「一回り以上離れている若い子を捕まえて餌食にしようとすることが、卑猥でなければ何な

のよ」

「相手の自由意志は尊重してるわよ?」

「言葉には言外の意味というのがあるの、知らない訳じゃないでしょう? 少将の貴女が声

をかけるのだから、大抵の人間は萎縮するに決まってるわ」

「待ちなさい。私が立場を盾に迫ってるというの?」

「必ずしもそうだとは言わないけど、そうではないと言い切れないでしょう」



 売り言葉に買い言葉、二人の話は段々とエキサイトしてくる。本音を言えば放っておきた

いところだが、これは自分に端を発した言い合だった。逃げることは簡単でも、それを実行

に移すことは、このまま言い合いを聞き続け無駄に神経をすり減らすよりも、もっと酷い結

末がやってくることを意味する。自分を放って逃げたと知られれば、レティが報復活動を行

うのは想像に難くない。



 とは言え、眼前の二人は本局を支える才媛たちで、自分とは比べるのもおこがましいほど

頭の回転が速い。よくもそれほど次から次へと言葉が出てくるものだと感心するほど、二人

は一進一退の舌戦を展開していた。そこに自分が割ってはいる隙は欠片も存在していない。



 言い合いの内容はレティの男性観という、女性ならではのゴシップであるものの、才媛二

人がやるとただの口喧嘩も、まるでディベートだ。レティが自分の男性にアプローチをかけ

る際の正当性を訴えれば、リンディは一般常識や道徳観念を盾にそれを攻撃する。



 恐らく今の段階で倫理的な観点から注意した、されたという事実は二人の頭から綺麗さっ

ぱり消えてなくなっているのだろう。勝負の様相を呈した段階で、原因などどうでも良くな

っているのだ。



 子供のようだ、と言うと二人は怒るのかもしれないが、必死に相手を上回ろうとするその

雰囲気はどうしようもなく子供のそれだった。



『まるでクロノ様と言い合いをする主様のようですわね』

「奴と口論してる時の俺は、こんな様子なのか?」

『これよりももっと稚拙ですけれどね。その点二人は流石ですわ。言い争いの中にも優美さ

が感じられます』

「優美などでなくても良いから、平穏無事に過ごして欲しいというのはそれほど無茶な願い

なのだろうか」

『無理無茶を通して不可能を可能にするのが殿方の仕事というもの。こういう時に身体を張

ってこそ、主様の株もあがるのです。ささっ、頑張ってくださいまし』

「お前が主を猛獣の檻に突き飛ばすような、不忠のデバイスだったとは知らなかった」

『主様ならば出来る、そう信じてこその行いですもの。ここには忠義がありますわ』

「今の俺には、その忠義が痛い」



 ぼやいたところで始まらない。やらなければならないのだ。リンディもレティも本来の目

的を忘れるほどエキサイトしているとも思えないが、約束の時間が迫っているのもまた事実。



 それに人通りは少ないが一応、ここは公衆の面前ということもある。二人の名誉のために

も、収拾を図るならば早い方が良いのだが、



「お二人とも、もうその辺で」



 やはり、気の利いた文句は思いつかなかった。二人の間に身体ごと割って入り、口論を強

引に止める。リンディとレティ、二人の視線がギロリと自分に向いた。普段凛としている二

人のそんな表情を間近で見て、思わず正直な感想が口を付いて出かけたが、寸でのところで

抑え込む。どちらも多少喜びはするかもしれないが、事態の収拾には何の役にも立たないこ

とは手に見て取れた。 



 さて、止めたは良いが言葉が続かない。二人とも止めた以上は何かあるのだろうな、とい

う顔でこちらを見つめている。



 何かを言わないことには、何も解決しない。



 しかし、妙案があるようならば最初から使っていた。何もないから個性のない言葉と共に

身体で止めに入ったのだ。元より頭脳労働は他人の仕事と割り切っている恭也である。前線

で戦うことを使命とする自分に、こういう立ち回りの素晴らしさを期待されても困るのだ。



「時間もおしているようですし、そろそろ参りませんか?」



 口をついて出たのは、当たり障りのない言葉。ただ、二人の迫力に押されてしどろもどろ

になることだけは、避けられたと思う。個人採点ならば、満点に近い点数を出しても良い。



 だが、眼前の二人は言葉を受けて揃って深い溜息をついた。



 どうも、自己採点は相当に甘かったらしい。どう贔屓目に見ても、二人がこれから自分を

褒めてくれるよういは見えなかった。



 何処が不味いのかは理解できないがそれでも、自分が失敗したのだということは恭也にも

理解できた。



「そういうことだから、レティに付け入られるのよ」

「次にやる時は、もう少しエレガントにね?」



 そうしてさっきまでの舌戦がなかったかのように、二人並んで先に行ってしまう。本来は

仲の良い二人だ。熱するのが早ければ、冷めるのも早い。感情のコントロールの仕方も見事

なものだった。



「災難でしたね。恭也さん」

「見ていたのなら助けてほしいものだな、ユーノ」



 同行者の最後の一人であるユーノが、苦笑を浮かべて歩み寄ってくる。



 ちなみにクロノは、言い争いが始まった段階で我関せずとはやてと共に消えてしまった。

全くもって友達甲斐のない男である。助けてくれなかったという点ではユーノも同罪たった

が、巻き込まれないように離れてとは言え、この場に残ってくれただけまだマシと言えた。



「僕があの二人に割って入れると思います?」

「やって出来ないことはなかろう。何しろ俺が出来たくらいだ。頭の回るお前の方が、こう

いう役回りは適任なのではないかと思うのだが」

「恭也さんだから出来たんですよ。他の誰にも、あの二人に割って入ろうなんて命知らずな

真似は出来ません」

「好き好んで割って入った訳ではない、というのは理解してくれると嬉しいな。そしてそれ

を理解したら、次に同じ場面に遭遇した時、役どころを変わってくれると嬉しい」

「ははは……」



 恭也の切実で気の入った要望にも、ユーノは笑うだけだった。当然答えにはなっていない。

腹いせに伸びっぱなしになっている後ろ髪を引っ張っても、苦笑を浮かべるだけ。いつか助

けるという言質は、意地でも取らせないつもりのようだ。



 諦めて後ろ髪から手を離すと、ユーノは隣に並ぶ。



 眼前にあるのはミッドチルダ、クラナガンにおける聖王教会施設の一つで、クラナガンに

ある教会関連施設の中では最も大きな物の一つだった。管理責任者としてカリムが籍を置い

ている施設で、管理局内で話しにくいことを話し合う時に主に利用させてもらっている。





 ユーノと共に広大な受付フロアに足を踏み入れると、受付付近で先に入った四人が屯して

いるのが見て取れた。手持ち無沙汰なはやて、クロノ、リンディと、何やらペンを取って書

き込みをしているレティが見える。



「何をやっておられるのですか?」

「何って……記帳しているの。私達は教会に籍がないのだから、当然でしょう?」



 肩越しにレティの手元を覗き込む。名前、階級、所属部署と、書くべきことは無駄に多い

ようだった。レティの上には既にはやて、クロノ、リンディのそれらが記されており、記帳

を求められることに立場階級の例外はないのだ、という事実が伺えた。



「はい。次は貴方の番よ」

「閣下たちと名前が並ぶというのは聊か緊張しますね。ここで記帳するのは初めてのことで

すが」



 レティからペンを受け取り、恭也は紙面に視線を落とす。日本語で書いても良いものか、

と詮無いことを考えていると、正面から無視できないほどに強い視線を感じた。



 ペンは手放さないまま視線だけを上に向けてみると、その先にいた受付嬢と視線がばっち

り噛みあった。教会ではスタンダードな、シャッハと同じシスター服に身を包んだ女性で、

外見と雰囲気から察するに年齢も彼女と同じくらいだと見受けられる。



 以前この施設に来た時もここに座っていた記憶があるから、この施設における受付業務が

彼女の職務なのだろう。



 武術の心得もあるとかで、美由希と共に教会に出張した時手合わせした中にいた記憶があ

る。女性との接点というと、恭也に思い当たる範囲ではそれくらいのものだ。顔見知りでは

あるが、友人かと言われれば首を横に振らざるを得ない。



 勿論、ここまで熱心に視線を向けられる覚えは恭也にはなかったが、その強烈な視線は口

以上に物を言っており、視線に何か意図するところがあるのは明白だった。



「俺に何か?」

「失礼致しました!」



 いきなり、頭を下げられる。女性の大音声に、先に記帳した面々も何事かと視線を向けて

きた。



「お越しとは知らずご無礼を致しました。記帳は結構です。どうぞお通りください!」

「いや、規則ならばそういう訳には――」

「テスタロッサ卿に記帳させたとあっては私が上司に叱責を受けてしまいます。お連れの方

も結構でございますので、このままお通りください。騎士カリムは執務室でお待ちです」



 反論する間もあればこそ、どうぞどうぞという女性の雰囲気に押されて、ユーノと共にエ

レベータホールへと追いやられてしまう。タイミング良くやってきたエレベータに乗り、沈

黙が降りると、クロノがにやにやと憎らしい笑みを浮かべた。



 思わず殴り倒そうと手が出かけたが、ここでクロノを地面に沈めてもそれはタダの照れ隠

しにしか見えない。拳を握り締めて、クロノの腹立たしい笑顔を正面から受け止める。



「卿と来たか……彼女は君のファンか何かか?」

「美由希と共にこちらに来た時に、何度か一緒に稽古をした経験があるが、それだけだ。特

別な感情を抱かれる理由はないと思う」

「それだけでああなるとも思えないがね。何しろ僕はああいう扱いを受けたことがない。君

に何か特別な要素があると疑うのは、自然なことだろう?」

「クロノ、モテない男の僻みに聞こえるわよ?」

「……茶化さないでください、母さん。僕は今大事な話をしているのです」

「興味本位で聞いている感がひしひしと伝わってくるが……まぁ良い。何が特別かと言われ

ればこれがそうなのだろうな」



 管理局の制服に海曹長の階級章と共にある勲章を示してみせる。教皇庁の紋章が刻まれた

勲章は、管理局の人間が思っている以上に、聖王教会では特別な意味を持つようだった。普

段は管理局内で仕事をすることがほとんどであるために勲章を持っていることを忘れてすら

いるものの、教会関連施設に来ると度に否が応にも思い出す。



 明らかに自分より年長の人間が良くしてくれるのは言うに及ばず、若い人間が向けてくる

視線には特に熱を感じた。先ほどの女性のように会ったことがあるのならまだ納得も出来る

が、見ず知らずの人間に持ち上げられるというのは、悪い気分はしないものの、こそばゆく

ていけない。



 いっそのこと勲章を外して行動しようかと思い、こっそりとそうしたこともあったのだが、

既にミッドチルダの教会関係者に自分の顔は知れ渡っているらしく、私服で街を歩いている

時にすら畏まった態度で接っせられた時、もはや何をしても無駄なのだろうと恭也は抵抗す

ることを止めた。



「邪険にされているのではないのだからよしとするべきなのだろうが、個人的にはもう少し

控えめな対応をしてくれると嬉しいな」

「だが正直な話、記帳は面倒くさい。君がいれば回避できるというのなら、今後教会施設を

訪れる時は君を伴うことにしようか」

「仕事として要請するなら俺に文句はない。用命の際はうちの部長に話を通してくれ」

「直接君に頼むことは出来ないのか? 僕はあの部長が聊か苦手なんだが……」



 恭也は思わず苦笑を浮かべた。



 確かに、生真面目なクロノと飄々としたリスティでは相性が悪いだろう。階級は大分クロ

ノ方が上だが、体制という物に好んで反逆する性質のリスティは、若手の敏腕提督相手にも

全くと言って良いほど物怖じしない。年齢が近いこともあって、逆にやりこめてしまうこと

も少なくなかった。負けず嫌いのクロノが人前で苦手と言い切るのも、尤もな話である。



「ならば面倒くさくても記帳することだな。小さな面倒を回避するためにより大きな面倒を

背負い込むのでは、割に合わないだろう」

「いつも思っていることだが、君は大変な職場で働いているんだな、恭也・テスタロッサ」

「理解してくれたようで何よりだ」



 エレベータが目的の階層に着く。下っ端の役目として全員に道を譲り、エレベータを最後

に降りた。責任者がいるフロアではあるが、それほど華美な印象は受けない。教会関係者で

あっても地位が高くなると、周囲を飾ろうとする人間が多いものだが、ここは責任者である

カリムの感性を反映してるのか、ともすれば質素な印象すら感じた。



 従者のように全員を先導し、執務室の前へ。全員に目配せをすると、恭也はドアを控え目

にノックした。入室を促す声――それよりも先にドアが開く。



「お待ちしておりました。お入りください」



 シスター服のシャッハがドアを開き、全員に入室を促した。作法として階級が最も上のリ

ンディがまず入り、レティ、クロノとユーノが続き、こちらを気にする素振りを見せるはや

てを恭也が促し、最後に恭也が入室する。



「お久し振りです」



 小さく声をかけてくるシャッハに恭也は苦笑を返した。時間にすれば二週間ぶりの再会で

ある。恭也の感覚ではあまり久し振りという感じはしなかったが、シャッハ本人が言うのだ

から久し振りなのだろう。武人気質の彼女とは通じる物も多く、性別は異なるが友人のよう

に接することの出来る。どうにも固い人間が多い教会の中では得難い人物だった。



 そのシャッハを従えるように、執務室の中央へ。



 簡単な会議室も兼ねているこの部屋は、個人の部屋としては十分に広く、部屋の中央には

会議のための円卓がおかれている。その円卓の上座で、カリムは聖母のような笑みを浮かべ

て一同を出迎えた。



 カリムが促すと、カリムに近い席から順番に、階級の高いものから腰を下ろす。恭也が座

るのはドアに最も近い下座だった。一緒に行動しているのは管理局の中でも要人だ。警護の

観点から着席するのは控えたいと事前に申し入れたが、カリムに『そんな非礼は出来ない』

と一蹴されてしまった。



 そう考えると、階級によって自然に決まるこの席順もありがたくはある。既に室内に賊が

侵入しているというのでもなければ、ドアに最も近い場所が最も賊を迎撃しやすい。



 しかし、ここは魔導師の世界だ。窓の外から狙撃ならぬ砲撃をしてくる可能性は十分にあ

る。窓の周辺には十分な対魔対物処理を施しているというが、AMFなどを始め、現在はど

ちらの技術も発達期にあった。注意をし過ぎてやりすぎるということはないだろう。



『(この場に爆弾でも仕掛けられていたら、教会以外の人間は全滅ですわね)』

(冗談でもそういうことを言うな……)

『(そんなことはないと解っているからこその冗談ですわ。でも、主様の好みは解り易いで

すわよね? 騎士カリムのような年上でスタイルが良くて包容力のあるタイプ。眼前に好み

の女性が三人も並んでいる光景は絶景ですか?)』

(お前の感性にどうこう言うつもりはなかったが、せめて三人から二人にしてくれ。友人の

母親をそういう目で見るというのは、自分が人間のクズになったようで堪える)

『(でも、そういうのがそそるのでしょう?)』

(ノーコメントだ)



 プレシアの苦笑する気配を感じながら、待機状態になっている彼女を指で弾く。何の気な

しに辺りを見回すと、その友人の母であるリンディと目が合ってしまった。リンディはいつ

ものように微笑み返してくれるが、邪な話をした後だけに複雑な心境である。



 その隣にクロノがいるというのも、恭也の気まずさに拍車をかけた。小さく頭を下げて

リンディから視線を逸らしたが、それは恭也・テスタロッサという人間にとっては珍しい

こと。何故? と目を丸くするリンディと、それに気づいたクロノが無遠慮な視線を送っ

てくる。



 普段であれば照れ隠しにクロノの額を指で弾いたりもしたのだろうが、周囲の人間に気づ

かれずにそれを行うには距離が開きすぎている。やり場のない気まずさが、恭也の胸中で燻

る。



「それでは、早速ではありますが本日の議題を」



 カリムの声にはっとなった恭也は、居住いを正した。彼女がそう促すのを最初に、恭也が

発言することになっていたからだ。これから自分が発言することで恩人である少女の運命を

またも歪めることになるのだと思うと気が重かったが、彼女の力は必要だというのが、仲間

全員の意見である。



 巻き込むことの是非は、今更論ずるべきことでもない。そうすると決めた以上は、全力で

彼女を守るだけだ。



 しかし、そうして恭也が立ち上がろうとした瞬間、彼よりも速く立ち上がった人間がいた。

腰を浮かしかけた中途半端な体勢のまま、隣で立ち上がった少女を見上げる。



 二十歳を前にして既に母の貫禄を見につけた、恭也にとっての恩人であるその少女は、恭

也の視線を受け止めると悪戯っ娘のように微笑んだ。



 その笑みを見た瞬間、恭也は自分がかつがれたのだと言うことを理解した。慌てて周囲を

見る。申し訳なさそうに、でも楽しそうに微笑むカリムとリンディ。恐縮している様子のシ

ャッハに、明らかに面白がっているレティ。ユーノもこれを知っていたようだが、彼は特に

悪びれた様子はなかった。



 最後に得意気な顔をしてるクロノの額に、隠し持っていた消しゴムを恨みを込めて撃ち込

んでから、恭也は椅子に座り直した。椅子ごとひっくり返るクロノを横目に見ながら、発言

者であるはやてに注目する。



 果たして何を聞かされるのか……



 これだけの人間が集まった場で聞かされることが簡単なことであるはずがないが、それが

どんな無理難題であったとしても、はやての口から出る以上全力で実行するだけだった。



 姓も住む場所も違っても、彼女が家族であることに変わりはないのだから。