another 第一話















それから一年後……さざなみ寮にて。

「ただいま〜」

「お帰りなさいませ、那美様」

「え!?」


突然現れたシルヴィに驚いた那美はそのまま数歩後ずさり――

ガン!!

今さっき閉めたばかりのドアにしたたかに頭を打った。


「いった〜い」


那美は頭を抱えてその場に蹲った。


「だ、大丈夫ですか那美様?」


天井から上半身だけ逆さまに出ていたシルヴィは、那美の様子に慌て近寄った。

そんなシルヴィを那美は涙目で見上げる。


「も〜、シルヴィ驚かさないでよ」

「驚かすって……那美様、仕事の時はもっとすごい状況でも平然としてるじゃないですか」


シルヴィの言う事ももっともで、退魔師の仕事をしている時の那美は豹変する。

その姿は普段の那美を知っている人間が見ても、目を疑うほどだ。

実際、いつも仕事に付き合っているシルヴィでも時々別人なのではないかという疑念に駆ら

れる事がある。

「仕事は仕事、私が普段からそんな風にできる訳ないでしょう?」


ともあれ、普段の那美はこんなものだ。

いくら剣や術の腕前が上達したと言っても、根本的なところは何も変わっていない。

ようやく痛みが引いたので、那美は立ち上がった。


「那美様、今日はお仕事だったのではないですか?」

「そうなんだけど……今日は「御架月」を持っていこうと思って」

「本体を?どうしてまた……」

「たまには手入れをしようと思って。シルヴィ、悪いんだけど久遠を連れてきてもらえる?」

「かしこまりました。すぐに連れてきますから、那美様は表で待っていてください」


そう言うと、シルヴィは壁の向こうへ消えていった。


(……絶対、あれだとまた誰か驚かすよね)


そんな事を考えつつ、那美は用意を纏めると寮を出た。













「そう言えば那美様、最近術の修行はなさってますか?」


巫女の仕事も一段落つき、本堂の中で「御架月」に綿を滑らせていた時、那美の向かいに正

座しているシルヴィがそう切り出した。

本堂の中には二人だけで、主である所の神主は出払っている。


「うん、ちゃんとやってるよ」


刀身を光に翳し、曇りがないことに満足すると那美は「御架月」を床に置いた。


「僕も手伝えればいいんですけど……」

「シルヴィはちゃんと剣の練習に付き合ってくれてるでしょう?」


那美は剣と平行して、術の修練も積んでいる。

雪乃や和真は全く使わなかったため、和音から直接教わったのだ。

薫ほどの霊力を持たないが故の、言わば付け焼刃的な措置だったのだが、那美は以外にもこ

こで才能を発揮した。

その気になれば「御架月」なしでもある程度の低級霊なら祓えるほどである。

だからと言って、一樹のしごきが緩くなる訳でもなかったのだが……


「だいじょうぶよ、気にしなくても。今だって、シルヴィは私の支えになってくれてるんだ

から」

「そう言っていただけると助かります」

「さて、それじゃあ今日はもう帰りましょうか?」


そう言って、那美が立ち上がって片付けを始めた時、本堂の中に久遠が入ってきた。


「く〜ん」

「……どうしたの久遠?」


駆け寄ってきた久遠は入り口から隠れるように那美の足元に蹲った。


「こ、こんにちは〜」


と、その後を追うようにして入り口から一人の少女が顔を出した。

茶色の髪を二つしばりにした、小学校低学年くらいのかわいい娘である。


「こんにちは。どうしたの?」

「あの……狐さん来ませんでしたか?」

(ああ、それで逃げ込んできたのね)


那美は納得すると、蹲っていた久遠を抱え小声で語りかけた。


(安心して久遠。あの娘はだいじょうぶ、優しい娘よ)


久遠が不安げな瞳で那美を見返してくる。

この狐はかなりの人見知りである。

那美が鹿児島の実家にいた時も、ついぞ神咲の者以外には懐かなかったのだ。


(本当だから、久遠だってお友達欲しいでしょう?)


久遠はしばらく考えた後、静かに頷いた。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


少女は恐る恐る久遠を抱きしめた。

最初はどちらもびくびくしていてとても楽しそうには見えなかったが、次第に少女の緊張も

解け、笑顔が見られるようになる。

久遠も気持ちよさそうに撫でられている。


「ふわぁ〜」

「狐好きなの?」

「動物はみんな好きです」

「そう。私達ほとんど毎日ここにいるから、良かったらまた遊びに来てね」

「いいんですか?」

「もちろん。私も久遠も大歓迎よ」

「この娘、久遠ちゃんって言うんですか〜」


少女は久遠を目の高さまで持ち上げた。


「じゃあ、く〜ちゃん!!よろしくね」

「く〜ん!」

(よかったね、久遠)


新たに友情が生まれた瞬間を那美は微笑ましく見つめていた。

そして、シルヴィの入った「御架月」を鞘に収め、しっかりと布袋に入れる。


「……あなた、お名前は?」

「あ、はい。私高町なのはって言います」

「なのはちゃん、もう遅いけど送っていこうか?」


見ると、本堂の外は既に紅く染まっていた。

それほど遅い時間でもないが、無用に遅くなったりするとなのはの親が心配するだろう。


「すいません、じゃあお願い―」

「なのは、いるか?」


その時、なのはの言葉を遮って外から男性の声が聞こえた。


「あ、お兄ちゃんだ」


その声を聞いたなのはは笑みを浮かべ、久遠を抱えたまま外に飛び出した。

那美も「御架月」を持ったまま追いかける。


「ちゃんと会えたみたいだな」

「うん、あのね、この子久遠ちゃんって言うんだよ」


新しく現れた男性になのはは腕の中の久遠を誇らしげに見せた。

久遠はまたも緊張していたが、男性は優しい目で久遠を見つめ撫でていた。

その目が那美の方に向き、軽く会釈をした。

那美もそれに応える。


「すいません。うちの妹がご迷惑をおかけしたようで」

「いえ、私も楽しかったですから……」


応対をしながらも、那美は男性から視線が外せなかった。

どこか影のある容姿、同級生よりは下級生にもてるタイプだろう。

恥ずかしながら、那美も少し惹かれている。

だがそんな事よりも、那美が気になったのはその男性が身に纏う雰囲気だった。

さながら一枚の絵画のように「完成された」雰囲気。

何気ない動作にも隙がない。

それは達人と呼べるレベルまで武術を体得した者の動きだった。

おそらく、一樹と同等か、それ以上の実力を持っているのだろう。


(いいな……)


そういう雰囲気には体質的に縁のない那美は純粋に感動していた。


「……何か?」

「え?」


どうやら、それが顔に出でいたらしい。

さっき会話した時からずっと男性を見つめていたようである。


「あ……いえ、何でもありません」

「そうですか……では、俺達はこれで」


男性はその態度が気になったようだが、なのはの手を引くと踵を返した。


「よかったらまた来てね。久遠と一緒に待ってるから」

「はい、ありがとうございます。く〜ちゃん、またね」

「く〜ん!」


久遠の声に見送られ、なのはと男性はゆっくりと石段を降りていった。


「は〜」


那美はため息をついてそれを見送っていた。


「く〜ん?」


何時までたっても動かない那美に久遠が不思議そうに声を掛けた。


「……あ、帰らなきゃ」


それで那美は我に帰ると、本堂に戻って着替えを済ませると寮への道を急いだ。














「…………」


その日の夜、夕食を済ませた後も那美は寮の居間でぼ〜っとしていた。

頭に浮かんでくるのは今日あった男性の事。

何歳なんだろう、どんな人なんだろう、とにかくそんな疑問が渦巻いていた。


「か〜ん〜ざ〜き!」


後ろから聞こえた真雪の声に、那美はいつものように体を逸らした。

望みを果たせず、肩透かしを食らった真雪は小さく舌打ちをする。


「あいかわらず、こういう時だけはいい反射神経してやがるな」

「……邪な気配はすぐに解かるんですよ」


生前の薫から聞いていた通り、真雪はこういう性格だった。

寮員の隙さえあれば、背後から忍び寄りセクハラを働くのである。

大抵の寮員はこれに引っかかるが、前述のように気配を察知できる那美と常識外の運動神経

をしている美緒だけは今まで一度も引っかかってはいなかった。

「真雪さん、何か?」

「いやなに、大事な家族が悩みのありそうな顔をしてたから、相談に乗ってやろうと思ってな」


そう言って、真雪は持ってきた一升瓶をテーブルに置き、勝手に注ぎ始めた。

どう見ても那美の話を肴にしようとしているようにしか見えない。


「……いえ、悩みなんてないですよ」


一瞬、あの男性の事が頭に浮かんだがそれをわざわざ真雪に言う事もないだろう。

那美は自分に出されたコップを受け取って(と言っても中身はジュース)少し口をつけた。


「そうか?……おかしいな、勘か鈍ったか?」


真雪は一気に酒を呷ると、首を傾げた。


「私悩みがあるように見えました?」

「ああ……はっきり言えば恋する乙女に見えた」


ガシャ!!

その言葉に、那美は持っていたコップを取り落としてしまった。

幸いコップは割れずに中身がこぼれただけだったので、近くにあった布巾で慌てて拭く。

そんな那美を真雪は怪訝な顔で眺めていた。


「どうした?神咲」

「い、いえ、何でもありません。あはは……」


那美は素早くコップを片付けると、そそくさと真雪から距離をとった。


「あの、そう言えば私、やらなくちゃいけない課題があったので、これで失礼しますね」


「?……ああ、邪魔したな」

「いえ、さよなら」


不自然を絵に描いたような笑顔を浮かべて、那美は真雪のいる今を後にした。











(……あれ、那美だ)


風呂から上がってきたばかりのリスティは、慌てて階段を上がっていく那美を見た。


「……何かあったかな?」


面白い事が見つかりそうな期待を抱きながら、リスティは居間の扉を開けた。

中では真雪がこれ以上ないというくらい上機嫌な顔で酒を飲んでいた。


「どうしたの真雪、何かいい事あった?」

「おおぼうずか、まあ座れ」


真雪は余っていたコップに酒を注ぐと、リスティに差し出した。

真雪に劣らず酒豪なリスティはそれを一気に飲み干した。


「すごい機嫌の良さそうな顔してるけど……」

「分かるか?いや、久しぶりに漫画のネタになりそうなことが起こりそうでな」

「さっき慌てて二階に上がってった那美のこと?」

「いい勘してるじゃねえか。……あれは明らかに恋をしている顔だったな」


恋という単語を聞いてリスティの目も輝く。

流石に人生の師匠の影響を色濃く受け継いでいるのか、こういう時の二人はそっくりである。


「那美が恋?相手は誰?」

「さすがにそこまでは解からねえが、それでも近いうちに何か進展があるとあたしは睨んでる」

「こう言うときの真雪の読みは恐いほど当たるからね……」


リスティは宙を仰いで考えを巡らせた。

自分から見ても、那美は今時珍しいくらい超がつくほどの奥手だ。

少なくとも高校在学中は浮いた話はないと思っていた手前、嬉しくもある。


「那美が連れてくるのはどんな相手なんだろうね……」


リスティは空になったコップに新たに酒を注いだ。


「さあな。でも、あのタイプだから、頼りがいのある奴じゃねえか?」

「耕介たいな?……」

「…………だろうな」


二人の間に沈黙が降りた。


「ぼうず、お前は耕介の事、どう思ってた?」

「頼りがいのあるお兄さんかな……でも、あのまま失踪しなければどうなってたか解からな

いけど……」

「それは、あの時ここに住んでた連中はみんな同じだろう。知佳だって、ゆうひだって、愛

だって……単なる好意以上のものは抱いてただろうな」

「真雪も?」

「さあな。あたしは無責任に失踪するような男の事はとっくに忘れた」

(無理しちゃって……)

「まあ、今日は私が晩酌に付き合ってあげるよ。久しぶりに耕介の話でもしながらさ……」

「すまねえな……」


またも空になったコップに今度はお互いに酒を注ぎあう。


「じゃあ、いまだこんなに美人な寮員を放っておいて無責任にどこかをほっつき歩いてる能

天気な管理人に……」

『乾杯……』