another 第三話















「ここで……間違いない」

朝起きて自分なりに仕上げた弁当を持って、那美は三年G組の前にいた。

ここまで来る途中六回ぶつかって、四回転びそうになって、三回転んだがその度に危険に晒

された弁当は無事であった。

那美の通常の運動神経を考えればこれは奇跡に相当する。


「頑張ったから、だいじょうぶ」

不安を消すために自分に言い聞かせると、那美はクラスのドアを開けた。

那美は恭也の姿を探したが、先に那美に気付いていたらしい恭也は軽く手を振っていた。


「すいません、お待たせしました……」

「いえ、そんなことは」


那美が視線を感じて周りを見ると、女性が三人恭也と那美を囲んでいた。

その内二人は海中の制服を着ていて、もう一人は那美と同じ風芽丘の制服―ただしリボンは

紫―を着ていた。

海中の二人はぽかんと、恭也と同級生の女性は興味ありげに那美を眺めている。


「あの、こちらの方達は……」

恭也が紹介しようとするよりも早く、海中の制服の娘が口を開いた。


「あ〜うちは鳳蓮飛言います。レンって呼んでください」

「俺、城島晶って言います」

「私は月村忍、忍でいいよ」

「私は……神咲那美です。よろしくお願いします」


那美は丁寧に三人に頭を下げて、恭也に向き直った。


「で、これがお昼なんですけど……」

「すいません。わざわざ持ってきていただいて」

「いえ、ご迷惑をおかけしたのはこっちですから」


いきなり妙な会話を始めた二人を見て、レンと晶は顔を見合わせた。


「師匠が弁当いらないなんて言うから何事かと思ったけど……」

「こういう事やったんやね〜」

「ああ、早速桃子さんに報告しないと……」


そう言って携帯電話を取り出す晶の手を、恭也はがっしと掴んだ。

その顔にはそんじょそこらのやくざだったら逃げ出しそうなほど、殺気がこもっていた。


「余計な事をするな……」

「あはは……やだな師匠。そんな恐い顔しないでくださいよ」


乾いた愛想笑いを浮かべる晶の手を離し、恭也は那美から受け取った弁当の包みを開けた。


「お〜なかなか手が込んではりますね〜」


興味があるのか、レンと晶も恭也の手の中の弁当をのぞいている。

二人の弁当も手作りのようだが、少なくとも那美の作った物よりは手が込んでいそうだ。


「お口に合えばいいんですけど……」

恭也はまずハンバーグを食べた。

ゆっくりと味わっている恭也に四人の視線が集中する。


「……どうですか?」

「おいしいですよ」


恭也の浮かべた笑顔に那美はほっと胸をなでおろした。


「うちもご馳走になっていいですか?」

「どうぞ。私の分もありますから」


そして、しばらく全員での食事会が続いた。

ややあって……。


「そう言えば、さっきまで何を話していたんですか?」

「……社会の問題点を嘆いていました」

「はぁ……」

「実はうちらでお花見やろうゆうことになったんですが、どうにもいい場所が見つからなく

てですね」

「それだったら私がお助けできるかもしれません」

「ほんまですか?」

「はい、ちょっと待っててください」


那美は自分からはあまりかけることのない携帯電話を取り出すと、愛にかけた。


――――。――――。――――。


『はい、槙原です』

「あ、愛さんですか?那美ですけど、すいませんお仕事中に……」

『だいじょうぶですよ。こっちもお昼休みですから』

「すいません。それでお願いがあるんですけど」

『何ですか?』

「私のお友達がお花見をする場所を探しているので、場所を貸してもらえませんか?」

『この前私達がお花見した場所でいいの?』

「はい、お願いできますか?」

『いいですよ。でも、ちゃんとゴミは片付けていってくださいね』

「はい、それはだいじょうぶです」

『あ、ごめんなさい。お客さんです』

「すいません」

『帰ってきたらお話聞かせてくださいね』


そうして電話を切った那美は四人を見回して笑った。


「……OKみたいです」

「本当ですか?」

「少し歩きますけど、車でもバスでも行けますから心配ありません」

「そうですか、ありがとうございます神咲さん」


恭也は感じ入った様子で那美の手を取った。

それで赤くなる那美に気付かず恭也は身を翻す。


「神咲さん、お昼ご馳走様でした。俺は今の事を妹に伝えてきますので、これで失礼します」

「師匠、行っちゃうんですか?」

「美由希の事だから恐らく図書室で調べ物してるだろうからな……」

「あ……」

「うちのおししょは鈍感ですが、根はいい人なんで許してあげてください」

「……それはわかってますけど」

「神咲先輩も参加しませんか、お花見?」

「部外者の私が参加してもいいんですか?」

「大丈夫だって、私だってほとんど部外者みたいなものだから」

「二人ともうちらにとっても、おししょにとっても、もうお友達ですから」

「……それじゃあ参加させてください」

「では、仲良くなった記念に色々とお話したい事が……」


その後、那美は昼休み中その三人と話をして過ごした。

恭也の好みも色々聞けたので、那美としても大収穫だった。
















時は流れて花見当日。

その会場へと続く道を那美達はぞろぞろと歩いていた。

その中には那美の会ったことのないメンバーも含まれている。


「ここを抜けてすぐです」


そして、それと同時に視界が開けた。


『…………』


一同はその光景にしばし呆然としていた。


「ありがとう!こんないい場所紹介してくれて、え〜っと……」

「あ、神咲那美です」

「ありがとう那美ちゃん!!」


その女性は那美の手を取り、ぶんぶん上下に振った。


「ほら、これ広げるからお猿手伝い」

「うるせ〜カメ。指図すんな」


レンと晶は喧嘩しながらもてきぱきと準備を進めている。

そして、あっという間に用意された場に那美達全員は腰掛けた。


「それじゃみんな、飲み物は行き渡った?」

「では、僭越ながら私高町桃子が乾杯の音頭を取らせてもらいます」

「よ〜、桃子ちゃん!」


囃し立てるレンに桃子は手を挙げて応えた。


「じゃあ、今日の良き日に乾杯!!」

『かんぱ〜い!!』

「今日のお料理はうちらが精魂込めて作りました」

「洋食はこっち、和食はそっちです」

「じゃんじゃん食べてくださ〜い」


レン達の前にはこの前那美が見た弁当よりもさらに手の込んだ料理が所狭しと並んでいた。

和食、洋食、さらに向こうの方にはデザートもあるようで実に食欲そそる光景だった。


「それじゃ、初めて会う人もいることだし、そっちから順に自己紹介でもしましょうか?」


さっき那美の手を取って感激していた女性が場を仕切っている。

円になって座っていたので、その女性の隣りから順に自己紹介は進んでいった。

レン、晶、忍と続き、那美の知らない男性の番となる。

恭也と同じくらいの長身で、「さわやか」な印象を受ける人だった。

また、恭也程ではないがそういう人間独特の雰囲気を持っている。


「赤星勇悟です。高町兄と同じ三年G組で、一応剣道部の主将をしています」

「勇兄は全国ベスト16の選手なんですよ」

「へえ〜」

「すごい方だったんですね〜」


誇らしげに語る晶の言葉に那美は忍と一緒に素直な感想をもらした。

どうやら知らなかったのは自分達二人だけらしい。

「俺なんてまだまだですよ。高町兄妹にはまだ遠く及びません」


その言葉に那美は改めて恭也のすごさを実感した。


「はい、じゃあ次は美由希ちゃん」

「はい……」


勇悟の言葉を受けて、眼鏡をかけたおとなしそうな少女が立ち上がる。

一見だけでは、その印象で終わってしまいそうだが、目には恭也や那美と同じ意思の強さが

宿っていた。


「え〜っと、高町美由希です。風芽丘の一年で部活には入っていません。それからそっちの


兄と一緒に剣術をやっています」


「美由希ちゃんは剣道部に入らないの?」


才能のある人材を逃すのが惜しいのか、勇悟が美由希に声をかける。

それなりに本気のようだが、明らかに答えの分かっている質問をしている顔であった。


「はい、少し手一杯なので……」

「そうか……。でも、気が変わったらいつでも言ってくれよ。女子の方には口をきくから」

「はい、ありがとうございます」


美由希は勇悟に小さく頭を下げて腰を降ろした。

その後を恭也が続ける。


「高町恭也。赤星、月村と同じく風芽丘三年G組。部活は入ってない。趣味は寝る事、後は

盆栽の世話かな」


あまりに若者らしからぬ言葉を恭也から聞いて、那美は危うく口の中のジュースをはきだし

そうになった。

見ると、忍も同じような状態に陥ったらしく隣りの晶に背中を摩られている。


「恭也、やっぱりその趣味はおじさん臭いって……」


那美達二人の反応を見て大笑いしている一同を代表して、ブルネットの女性が口を開いた。


「で〜でも、趣味っていうのは人それぞれだし」


憮然としている恭也を見て慌ててフォローを入れた那美に、さっきの女性が笑いながら言った。


「優しいのね〜。でも、あなたもおじさん臭いと思うでしょう?」

「そ、そんなことは……」

「まあ、とにかく以上だ」


恭也はそんな言葉で自己紹介を締めくくり、次は那美の番となる。


「神咲那美です。風芽丘の二年で、巫女のアルバイトをしています。それから私も剣術を少

しかじっています」


その言葉に対する周囲の反応は那美の予想通りの物だった。

それに少し傷ついている那美に思わぬ所から声がかかる。


「あれ?……神咲さんってひょっとして神咲薫先輩の妹さん?」


突然勇悟から出された姉の名前に那美は少なからず驚きを覚えた。


「そうですけど……どうして姉の名前を?」

「うちの部では半ば伝説と化してるからね。その神咲先輩が在学してた当時から顧問の先生

が変わってないから、時々話をしてくれるんだよ」

「そうだったんですか……」


思わぬ所に残っていた姉の痕跡に、那美は少し嬉しくなった。

「神咲さんも剣道部に入らないんですか?」

「ええ、アルバイトとかもありますので……」

「女子はエース級を二人も逃してるのか……運がないな」


勇悟はまるで自分のことのように心底残念そうな顔をした。

その後なのはが自己紹介をし、続いて最初の女性の番になる。


「あ〜、ここにいる子達の母親で高町桃子です。翠屋って喫茶店を町でやっているのでよか

ったらみんな来てください」

「ず、随分お若いですね……」


なのははともかく、恭也や美由希の母親にしては不自然なほど若く見える。

那美は言った後すぐに自分の失言を後悔したが、桃子は笑ってそれを受け流してくれた。


「でしょう?よく美由希と姉妹って間違われるの」


本当に気にしていないようだったので、那美の心も幾分晴れた。

そして、最後に残ったブルネットの女性が立ち上がる。


「フィアッセ・クリステラです。桃子の翠屋でチーフウェイトレスをやってて、後歌手の卵

なんてやってます」

「さ〜て、みんなの自己紹介も終わった所でカラオケ大会開始〜!!」

「まずは俺から、一番城島晶歌います!」

「よ、ひっこめお猿!!」


レンと掛け合いながらも、晶は一番最初にマイクを取りど演歌を歌い始めた。

受け狙いとかではなく本当に好きなようで、歌い方なども様になっている。


「あの……神咲先輩?」


ともすればそれは晶の歌声にかき消されそうな声だったが、辛うじて那美の元に届いた。

その方を見ると、さっき自己紹介した恭也の妹、美由希がいた。


「なんですか?」

「神咲先輩も、剣術をやってるんですか?」

「はい。神咲一刀流って言って鹿児島にある私の実家の流派なんですけど、そこで学びまし

た。美由希さんは二刀流ですよね?」

「恭ちゃんから聞いたんですか?」

「恭ちゃん?」


その言葉に那美が首を傾げていると、一人で甘酒を飲んでいた恭也が横から割って入った。


「……人前であまりその名を呼ぶな、恥ずかしいから」

「だってこの前好きに呼べって言ったのは恭ちゃんでしょう?」

「それはそうだが……そうだ美由希、今度神咲さんと手合わせしないか?」

「え?いいの……」


美由希は驚いた表情で那美を見た。

「ああ、もっとも神咲さんがよければの話だが。だが少なくとも俺の見立てではお前といい

勝負をしそうだぞ?」

「それでこの前叩かれそうになっちゃいましたけど?」

「それは……すいませんでした」

「?……恭ちゃん、この前叩いたって―」


美由希がそのことに対して言及しようとした時、ちょうど晶の歌が終わった。


「ほら、美由希歌って来い」

「え?いいよ私歌苦手だもん」

「いいから歌え。フィアッセ、曲リストこっちに回してくれ」

「は〜い。美由希が歌うんだね……え〜っと」

「あ〜フィアッセ、私まだ決めたわけじゃあ……」


強制的に歌う流れに乗ってしまった美由希を見て、恭也はため息をついた。


「危なかった……」

「高町先輩?今誤魔化しませんでした?」

「何のことですか?」

「いいですけど……。ああ、美由希さんの練習相手受けますよ」

「受けてくれますか?」

「私も他の練習相手は欲しかった所ですし、それに美由希さんとはお友達になれそうですから」


それを聞いた恭也の顔が僅かに緩んだ。


「お願いします。あいつは友達が少ないもので……」

「私でお力になれるかどうか分かりませんが、頑張ってみます」

「お兄ちゃん、おね〜さんと何話してるの?」


それまで笑って美由希の歌を聴いていたなのはが那美達の話に入ってくる。

甘酒が入っているのか、少し顔が赤かった。

「ん、美由希とこれからも仲良くしてくださいってな」

「ほんと〜、またいじめたりしてない?」

「またその話か……」


また振られたその話に恭也はなのはには、ばれないようにため息を漏らした。

だが、幸いにもなのははその話題を続けるつもりはなかったようで、那美に向き直るとその

腕を取った。


「ねえおね〜さん。一緒に歌おう?」

「え……私は歌は……」


那美は助けを求めるように恭也を見たが、彼は甘酒のコップを持ってあさっての方向を向い

ていた。

他を見ても誰も助けてくれそうにないので、しかたなしに那美は覚悟を固めた。


「それでなのはちゃん。何を歌うの?」

「う〜ん……これ!」


フィアッセ持参の曲リストの中を引っかき回して、なのはは一つの曲を選んだ。


「……風に負けないハートの形?私もこれ好きよ」

「一緒に歌おう!」

「―――――――お粗末」


その時、美由希の歌が終わり拍手が聞こえた。


「次は誰が歌うの?」

「は〜い、私とおね〜さんが歌います!」


なのはに手を引かれ、那美は一同の上座に立った。

あまり人前に出る事のない那美はそれだけで緊張してしまった。


「神咲せんぱ〜い、がんばって!!」


レンの励ましに笑顔で答え、那美は辺りを見回す。

その時、たまたま那美の方を見た恭也と視線が合った。


『…………』


恭也は声をかける事はなかったが、那美を見て微かに笑ってくれた。

那美はそれを見て、幾分緊張が解けた気がした。


「それじゃあ、歌います」


歌ってみると案外気持ちのいい物で、那美はなのはと一緒に精一杯歌った。

その後、桃子達に進められるままに甘酒を飲み、彼女が面白がってワインと混ぜたジュース

を飲んで気分が悪くなったりと、さざなみ寮のお花見とはまた違った楽しみがあった。

















「……ただいま〜」


明らかに調子の悪い声で那美は帰宅の挨拶を告げた。

それを聞いたリスティが、呆れた顔で玄関に来る。


「飲めないのに飲みすぎたな……自分の限界くらい分かるだろう?」

「……すいません。どうしてもお断りできなかったもので……あ、これお土産です」


桃子から手渡された菓子折りをリスティに渡し、那美はその場に蹲った。


「ほら、そんな所でじっとしてると真雪に襲われるぞ」


リスティがそう言うと、那美の体は軽くなった。

それで、リスティが那美のからだを抱え二階へ運んでくれる。


「ご迷惑をお掛けします……」

「寮員が管理人に迷惑をかけるのは何も、今に始まった事じゃないからね」


両手が塞がっているため「力」を使って那美の部屋の扉を開けると、リスティは予め敷いて

あった布団に那美を横たえた。


「……もしかして、こうなって帰ってくること分かってました?」

「あっちの面子に真雪みたいなタイプがいれば、こうなるこうなるだろうって思ってね。ま、

備えあれば憂いなしさ」

「ありがとうございます……」


弱々しく答える那美にリスティは手を振って応えると、部屋の照明を消して出て行った。


「はぁ……」


一人になって、那美は今日あった事を思い返していた。

美由希、桃子、フィアッセ、赤星、今日初めて出会った人々。

まだ会ったばかりの那美を、彼らは旧知の仲のように扱ってくれた。


友達……。


那美にもいない訳ではない。

さざなみ寮の寮員は少なくとも那美を受け入れてくれるし、学校にも友達と呼べる人は何人

かいる。

でも、今日のような雰囲気の中に入ったのは生まれて初めてだった。

なんと言うか、あの場所にいた人達の間に言葉では言い表せないような繋がりを感じ、その

中に自分が入れてもらえていた。


「ありがとう……」


那美は今更ながらそれに感謝し、眠りについた。






















それから、数週間後。海鳴市某所にて……。


「これが今回の仕事の内容だが……なにか異論はあるか?」

「異論はないが……たかがコンサートに随分と執心するのだな」


渡された書類から目を上げ、その女性は目の前の連絡員を睨みつけた。

それを受けても連絡員は気にせずに肩を竦める。


「世の中には色々人間がいるからな。そのコンサートが行われると困る人間もいる訳だ」

「そうか……」


それで話は終わりとでも言うように、女性は連絡員に背を向け塒としている廃屋に戻ろうと

した。


「そう言えば、今回の仕事は手伝いをつけたらしいな」

「耳が早いな……お前達はそれほど私を信用していないのか?」

「一匹狼のお前が連れをつけるなんて珍しいと思ってな」

「別に構わんだろう?腕も立つし頭も切れる。いつだったかお前達から回された連中よりは

よっぽど役に立つ」

「これは手厳しい」

「それよりも、今回の仕事が終わったら……」

「分かっている。「龍」に関する情報だろう。我々の組織でもまだその片鱗しか掴めていな

いがな」

「それで十分だ。後は私が自分で何とかする」

「復讐とはご苦労な事だな……」

「何とでも言え」

「まあ、俺達としては仕事さえこなしてくれれば文句はないからな。……では、仕事が終わ

った時にまた来よう」


連絡員は身を翻し、夜の闇に消えていった。

彼女から見ればいけ好かない相手だが、「龍」の情報を手に入れるためとあればそれもいた

し方のない事だとは思っている。

「龍」を残らず狩り出すまで、彼女に休まる時はないのだから。


「……何だか露骨に怪しい男とすれ違ったんですけど、今のが連絡員ですか?」

「そうだ」


連絡員と入れ替わりで彼女の目の前に現れたのは、またも男だった。

女性としては長身の美沙斗と比べても頭二つ分くらいは高く、服装は夏も迫ったと言うのに

全身黒ずくめである。

怪しさという点では、さっきの連絡員と大差はない。


「すまないな、買出しなど頼んで」

「いいえ。これからこんな辺鄙な場所で暮らすんですから、食事くらいはちゃんとしないと

いけませんからね」

「……食事など非常食で十分だろう?」


実際、彼女の鞄の中には装備を着替えなどの日用品意外には非常用の食料しか入っていない。

こういう生活をするようになってからはほとんど毎晩それで済ませていた彼女にしてみれば、

それは当然の事だった。


「ダメですよ。ちゃんと栄養のあるもの食べないと」


だが、目の前の男はあっさりと否定し、買ってきた食材を昼間でも日の当たらない奥まで持

っていく。


「お前はいい嫁になるな……」

「……からかわないでください」


一瞬張り詰めていたその場の雰囲気が和んだが、彼女は自らそれを砕き真面目な顔で言った。


「すまないな、無関係のお前をこんな事に巻き込んでしまって」

「美沙斗さんには色々とお世話になりましたからね。国相手に喧嘩を売るんだって付き合い

ますよ」


帰って来た男は自分の寝袋を持ってきていた。


「どうした?」

「いえ、俺は外で寝ますから美沙斗さんは安心して中で寝てください」

「夏も近いとは言えまだ外は冷えるだろう?」

「だからと言って、いくら無敵の美沙斗さんとは言え、既に相手の決まっている女性と二人

きりで一つ屋根のしたってのは気が引けますから」

「まて……」


そう言ってさっさと出ていこうとした男を、美沙斗は引きとめた。


「なんですか?まさか、お前の方が強いなんて励ましてくれるんですか?」

「いや、間違いなく私のほうが強い」

「さいですか……」

「それよりも私が聞きたいのはどうして私が既婚者だと分かったかなんだが……」

「何となく……ですかね?そういう目をしてるんですよ、美沙斗さんは」

「そうか……」

「ああ、言い忘れてました。これから俺を呼ぶ必要がある時は、本名は避けてください。そ

うですね……リプルとでもしましょうか」

「どうした?お前がそんなことに拘るとは珍しいな」


振り返った男―リプルの顔はそれなりに付き合いのある美沙斗でも初めて見るほど、複雑な

表情をしていた。


「ここは古巣なんですよ……知り合いにあったら、やり切れません」