another 第四話








「それでは……」


恭也の声が高町家の道場に響く。

その場所にいるのは四人。

那美本人と仕合うために向かい合っている美由希、その審判である恭也。

そして、今回の仕合の提案者であるリスティが恭也から少し離れて正座していた。

那美は自分の武器である木刀を握り締めた。

目の前には美由希、那美の親友と呼べる女性が立っている。

彼女も自分の小太刀(の木刀)を握り締め、自然体で構えていた。

その姿は普段の彼女からは想像もできないほど隙がない。

美由希の方も、那美に対して同様の感想を抱いている事だろう。

二人の間に緊迫した空気が流れる。


「始め!!」


それも、恭也の声で霧散した。

美由希は木刀を抜き放とうと腰に手を伸ばす。


「!」


が、それよりも早く那美は美由希に向かって疾走していた。

那美は居合の要領で抜刀し切り上げた。

美由希は小太刀を抜かずに一歩下がってこれを避ける。

これを予想していた那美はそのまま木刀を返すと、美由希の肩目がけて振り下ろした。


ガッ!!


美由希は左手で抜き放った木刀でこれを受けた。

そして、すぐさま右の木刀で反撃する。

那美は大きく跳び退ってこれを避けた。

美由希はこれを好機と見て取ると、鋼糸を繰って那美の左手に絡ませた。

那美は落ち着いて判断し、自分の中で霊力を編んで言った。


「早速ですけど、裏技を使わせてもらいます。……神気発勝!」


気合と共に那美の木刀が美しい輝きを放った。

那美はそれで鋼糸を切ると、警戒して突っ込んでこない美由希に向き直る。


(お願い、当たらないで)

「飛べ!!」


那美は木刀を真横に振りぬき、美由希に向かって霊力の塊を飛ばした。

美由希はこの初めて見る反撃に一瞬対処が遅れたが、それでも余裕を持ってそれを避ける。

物理的な威力も伴ったそれはそのまま道場の壁に向かって飛び……。


バジャ!!


奇妙な音を立ててリスティの作ったフィールドに阻まれ中和された。

ちらとリスティを見るとウインクして合図を送っている。

だが、あの顔は「もうこんな事はするな」顔だ。

那美は木刀を構えなおして美由希に向き直った。

美由希の方も体勢を整え、二人は膠着状態になる。

三十秒程もそうしていただろうか……。


「はっ!!」


美由希は木製の飛針を数本放ち、それを追うようにして走った。


「せやっ!!」


那美は自分に当たる分だけの飛針を叩き落すと、そのままの勢いを利用して薙ぎ払う。

その木刀を右の木刀で受けた美由希は体を捻って那美の腹に「徹」の前蹴りを放った。

恐ろしい程の音を伴って迫るそれを那美は体を半歩ずらして避け、美由希に当身を食らわす。

それで蹈鞴をふんだ美由希はまた那美から距離を取り、動きを止めた。

さすがに恭也の相手をしているだけあって動きに隙がない。

これだけ動いてもお互い息一つ乱れていないが、このまま続けば先に力尽きるのは那美の

方だろう。

となるとここは切り札を使うより他はない。


「……美由希さん、裏技その二です」


そう言って微笑んで少しの「細工」をすると、那美は美由希の死角を疾走した。

美由希の視線はさっきまで那美がいた場所から動いていない。

そして、美由希がそれに気付いたのは那美の木刀が首に突きつけられた後の事だった。


「勝負あり」


恭也の声で那美と美由希はどかっと道場の床に腰を下ろした。


「……「神速」?」


美由希は信じられない物を見たといった顔で恭也を見上げたが、彼は首を横に振った。


「理屈までは解からんが、僅かな気配を伴った幻を残してお前の死角を回ったんだ。それ

で相手をしているお前には「神速」のように見えたんだろう」

「あの、「神速」っていうのは?」

「御神流奥義の歩法の事です。俺は不用意に使えないのでお見せできませんが、とにかく

常識外のスピードで動く方法と思っておいてください」

「それにしても那美さん裏技ばっかりずるいです」

「ばか……。お前だって鋼糸や飛針を使うだろう」

「はは、でもこういった所では何回も使えないのが難点なんですけどね」


那美はそう言って木刀を二人に示した。

それは恭也からの借り物だったが、那美の霊力の影響であちこちに皹が入っていた。

もう木刀としては使い物にならないだろう。


「ちゃんとそれ用に化工していないとこうなってしまうんです。……ごめんなさい高町先

輩、これだめにしちゃいました」

「いいですよ、うちでは木刀は消耗品ですから」


恭也は那美からその木刀を受け取ると力を込めてへし折った。


「それから参考までにお聞きしたいんですけど、さっきのは術ですか?」

「ええ。霊力でさっきの通りの現象を引き起こす術なんですけど、実戦ではあまり使えま

せん」

「どうしてですか?あれを多用すればかなり意表をつけると思うんですけど」

「それはそうなんですけど……私は人間を相手にしませんから」


実際、霊障に遭遇してこれを使った事は一度もなかった。

仕事で今日のような実戦的な動きをすることは那美の場合ほとんどないので、ともすれば

剣術さえも必要ないかもしれない。


「……話はまとまったかな?」


それまで三人のやり取りを黙って見ていたリスティが口を開いた。

三人は慌てて彼女に向き直り、その正面に並んで正座する。


「それで、美由希の実力を見た上で俺達に頼みがあるとの事でしたが……」

「その前に恭也、お前は美由希よりも強いんだよね?」

「まあ一応……こいつの師匠ですから」


恭也は隣りに座っている美由希の頭をぽんぽん叩く。

美由希はそれを迷惑そうに見上げたが、恭也はしばらくそれを続けていた。


「それで那美も含めたお前達三人に個人的な依頼なんだが、もう少ししたらこの近くで「ク


リステラ・ソングスクール」のチャリティコンサートが開かれるのは知っているな?」


「知ってるも何も……うちのフィアッセも参加しますからね」

「さざなみ寮からもゆうひが参加する。校長であるティオレ女史も近々来日する」

「……まさか俺達にその警護をしてくれと?」

「もちろん四六時中マークしろって訳じゃない。ホテルの方は警防隊が出張ってガードし

てくれるし、私も三人仲間を連れて警備に当たる」

「随分念入りにガードするんですね」

「そりゃあな、国際的なテロが行われる可能性があるからな」


テロという非日常な言葉に、那美達三人の顔が引き締められる。


「このコンサートはティオレ女史の発案で世界中を回る大規模な物だ。それで集められた

金はこれまた世界中の施設に寄付されるんだが、当然これを快く思わない悪党もいる訳で……」

「そんな連中が刺客を送り込んでくると?」

「それも腕利きの少数精鋭だ。まあ、多くても二、三人だとは思うが……。他の……大小様

々な妨害があると思うが、こっちの方は警防隊が対処してくれる。引き受けてくれる場合の

私たちの任務は二日くらい前から当日までの女史の護衛だ」


「フィアッセ達みたいなスクールの生徒も狙われたりしませんか?」

「そっちも警防隊がやってくれる。むこうが少数精鋭でくるならこっちも少数精鋭で固め

ようって企画なんだが……」


リスティは言葉を切って恭也を見た。

当の本人は顎に手を当てて思索に耽っている。

もし、恭也と美由希がティオレ女史の警護についてくれれば、これほど心強いこともない

だろう。

既にその依頼を引き受けている那美にしてもそれは同じである。

やがて考えが纏まったのか、恭也はリスティを見据えてこう言った。


「引き受けましょう。そう言った物から人を守るのが御神の剣の役割ですから」

「助かる。恭也達ならティオレ女史にも面識があるから色々な手間が省けるんだ」

「リスティさんの仲間がいらっしゃるとの事ですけど、その方も?」

「ああ、私と同じHGS患者だ。一人は二人も知ってるフィリスだが、あとの二人は……ま

あ、色々終わった後にティオレ女史も交えてぱ〜っとやるつもりだからその時に紹介す

るよ」


言うだけ言って、リスティは立ち上がって関節を鳴らした。


「という訳で、恭也達の参加が決まった事を知らせてこなきゃいけないから私はこれで

失礼するよ」

「報酬……期待してますよ?」

「…………まあ、できる限り工面する」


リスティは少し肩をこけさせると、後ろ向きに手を振って道場を出て行った。

後に残された那美達三人はそれを見送って、顔を見合わせた。


「なんだか大変な事になっちゃったね」

「でも、ティオレさんやフィアッセさんを守るためですから―」

「それはいいとしてですね。神咲さんはどうして依頼を受けたんですか?」


リスティと会話していた時は感じなかったが、恭也は那美がティオレ女史の警護に参加する事を快く思っていないようだ。

確かに、恭也ほどの強者と対峙した場合那美は手も足も出ないだろう。

さっきは意表をついて何とかなったが、美由希が最初から本気で……真剣を使って本物

の飛針を投げていたら全く逆の結果になっていただろう。

だが、それを踏まえても那美には断れない理由があった。


「襲撃や嫌がらせというのは何も物理的な物だけとは限りません。呪いや使い魔などが襲

ってきた場合には私のような退魔師がいたほうが効果的です。もしそういった相手が出

てきたら高町先輩達だけでは対処できないでしょう?」


いくら恭也の腕が立つと言っても、相手に物理攻撃が効かない以上手も足も出ないだろう。

そして、そういうのが苦手な美由希に関しては論外である。


「それはそうですが……」


それでも恭也は納得していないようだったが、那美はそれが嬉しかった。


「心配してくれるんですか?」

「まあ……」


恭也は那美から視線を外してそっぽを向いた。


「提案なんですけど、今から三人でその会場を見に行きませんか?」

「いいですね。私は行ってくるけど恭ちゃんはどうするの?」


恭也はため息をついて美由希を見やり呆れた声で言った。


「お前達が行くって言ってるのに俺が残るわけには行かないだろう?」

「じゃあ、行きましょうか」


恭也達二人が身支度を整えるのを待って、那美達三人は会場となるホテルへと向かった。



















「あまり複雑な構造ではなかったですね」


十数日後には「仕事場」となるホテルのロビーに設えられたソファに、美沙斗は今回の相

棒となる男―今は本人の希望でリプルと呼んでいる―と向かい合って座っていた。

美沙斗もリプルもこの前と同じ格好をしていて、傍から見れば絶対に浮いて見える。

だが、美沙斗は広げた新聞に目を下ろし、リプルは買ってきたコーヒーを啜っている。

それでいて、関係者が聞けば腰を抜かすような「仕事」の話を世間話のようにしていた。

二人とも各々の雰囲気を保ちながらも、完全に周囲に溶け込んでいる。

実際、このホテルの従業員も一つ挟んで隣り座っている中年の男性も二人にはまったく注

意を払っていない。


「普通の施設で複雑も何もないだろう」

「そりゃそうだ……」


リプルは残りを一気に飲み干すと、空き缶を持ったまま周囲を見渡した。

それもあくまでさり気なくである。


「とりあえず本職の方もいらっしゃらなかったみたいですし」

「それでも今日がぎりぎりだろうな。明日には間違いなく警防隊や他の護衛が来る」

「間一髪ですね」

「本来ならあまり人前に出たくはないのだが、今回の「仕事」は失敗する訳にはいかんか

らな……情報を収集しておくに越した事はない」


美沙斗は読んでいた新聞を畳むと、リプルに向き直った。


「もう少しここで時間を潰したら塒に帰る。そしたら後は決行日まで鍛錬だ、頑張ってくれ」

「お手柔らかに頼みますよ……」

「まあ、死ぬことはな―」


美沙斗はそこで不自然に言葉を区切り、その視線を一点に集中させた。

その変化を見てリプルがその視線を追おうとする。


「見るな……」


リプルは美沙斗の言葉に従うと、自然な調子で問い掛けてきた。


「まさか警防隊がもう?」

「いや、民間の護衛だ……」


美沙斗の視線の先には三人の男女いた。

男一人の女二人で、女に引っ張られるように男が歩いている。

美沙斗達とは違って高級そうなホテルではかなり浮いて見えるが、見る人間が見ればその

三人がかなりの使い手であることは感じ取れるはずだ。

そして、そのうちの二人に美沙斗は見覚えがあった。


(恭也……)


成長して大人らしい顔つきになったが、幼少の頃の面影はまだ残っている。

意志の強そうな美沙斗の兄譲りのあの目などそのままだ。

美沙斗の視線が恭也の腕を引っ張っている黒髪の少女に向く。

それで自然と緩みそうになった頬を無理やり引き締めると、美沙斗は三人から視線を逸ら

した。


「……お知り合いですか?」


美沙斗の態度に何か感じたのだろうか、リプルが控えめに聞いてきた。


「ああ、それも浅からぬ関係のな……」


その気になれば誤魔化す事もできたはずだが、わざわざ危険を冒してまで自分に付き合っ

てくれているリプルに、できる限り隠し事はしたくなかった。


「どうします?」

「こちらには来ないようだから心配ないだろう」


その言葉通り三人……いや、二人の少女に引きずられた恭也は美沙斗達とは反対の方向

へ消えていった。

完全に彼らが視界の外に出たのを確認すると、美沙斗はさっさと立ち上がってリプルと共

にホテルを出た。


「決行日はコンサートの三日前、その日にティオレ女史の元に警告を出しに行く」

「うまくいくんでしょうか?」

「いく……と、ここに来るまでは言えたのだがな……」


警防隊の連中……例えそれがHGS患者だったとしても美沙斗は勝つ自信がある。

だが恭也は……自分と同属である御神の剣だけは別だ。


「リプル……」


常よりもさらに真剣な声に、美沙斗の少し後ろを歩いていたリプルは足を止めた。

美沙斗もそれに倣う。


「鍛錬……すまないが少し厳しくさせてもらうぞ」


それだけを簡潔に言うと、美沙斗はリプルの返事も待たずに再び歩き出した。
















「さ、遠慮せず入ってくれ」


酒とつまみを持ったリスティは後ろの二人を促すと、主のいない部屋にずかずかと入って

いった。


「リスティいいの?勝手に耕介の部屋使っちゃって……」


二人のうちの一人、リスティによく似た容姿を持った女性の言葉をリスティは軽くあしら

う。


「あのなセルフィ、部屋だって放っておかれるよりは使われた方が幸せに決まってるだろ

う?」

「でも、お兄ちゃんが使ってた時よりもこの部屋綺麗なんじゃない?」


あまり広いとは言えない部屋を見渡して最後の一人、知佳が言った。


「そりゃあね、愛がたまに掃除したりするから……」


その言葉は事実ではあるが真実ではない。

愛は獣医をしている手前、何かと寮を空けることが多い。

だからもっぱら耕介の部屋の掃除をしている(しかも本人がいたときよりも綺麗に)のは

リスティなのだが、彼女がわざわざそれを言うはずもない。


「ふ〜ん、愛が掃除してるんだ……」


だが、説明しなくても二人は解かっているようで面白がるように笑ってリスティを見てい

る。

リスティはそれに気付かないふりをして話を進める。


「あたりまえだ。真雪や美緒が掃除なんてする訳ないだろう?」

「はいはい、そういう事にしておきましょう」

「あれ?……ねえリスティ、フィリスは?」

「……私達よりも愛しの男性と一緒にいる事を選んで、現在その彼の家にお泊り中だ」

「な……生意気」


セルフィは持っていたグラスを思いっきり握り締めた。

そのまま割りかねない勢いだったので、気付いた知佳が慌てて止める。


「まあまあ、フィリスにはたまたま縁があったって事だろう?セルフィも私に似て容姿は

いいんだから、そのうちいい男が見つかるさ」

「その点リスティや知佳はいいよね、意中の人がいてさ。僕なんてそんな人すらいないの

に……」

「あはは、でもフィリスの彼氏ってどんな人?」

「う〜ん……私もきちんと「紹介された」事はないから何とも言えないけど、まあ知佳

の休暇中には連れてこさせるよ。知佳、今回の休暇は長いんだろう?」

「うん。ちょっと無理言って長めにお休みをもらったの。少なくとも一月はここにいられ

るよ」

「ごくろうだね。真雪の締め切りが迫ってるから、寮のみんな手放しで喜んでたよ」


真雪の餌食となっている寮員の間では、知佳は真雪の初代アシという事で伝説になってい

るらしい。

知佳の帰宅を告げた時にはこれで楽ができると本気で泣く寮員までいたほどだ。


「それから、ごめんね。休暇なのに仕事頼んじゃってさ」

「いいよリスティ。私だってゆうひちゃん達のコンサート成功させたいもん」

「知佳にそう言ってもらえると僕も助かるよ。警防隊から動かせるHGSは僕しかいなかっ

たからね、少し心細かったんだ」

「これで今彼氏と仲良くやってるフィリスも含めて四人になった訳だから、結構心強くな

ったと思うけど……でも、油断はできない」


リスティは酒とつまみを端に寄せると、一緒に持ってきたホテルの図面を床に広げた。


「規模としてはまあそれほど大きくはない。私たち四人でやれば、少なくとも危険物の持

ち込みの探知くらいはできる」


それでも全ての人間をチェックできる訳ではないから完全ではないのだが、ないよりはま

しである。


「コンサート中はステージ袖に最低一人は残って、後は別室にてホテル全体の監視だな」

「スクールの人達の護衛はどうなったの?」

「ティオレ女史以外の出演者には警防隊の護衛が怪しまれない程度につく。女史本人には

私がとりあえず手配した護衛を那美と一緒につける」

「那美ちゃんも参加するの?」

「でも、那美がいてくれると心強いよ。警防隊って強い人多いけど、退魔師の関係ってHGS

と同じでほとんどいないもん」

「……という訳だから、化け物レベルの刺客でも来ない限りはこれで何とかなるだろう。

 でも、油断はするな」


公僕の顔になったリスティの言葉に二人はしっかりと頷いた。

そうして三人で示し合わせたように笑った。


「さあ、仕事の話はこれくらいにして今日は飲もうか」


リスティは端に退けていたつまみを引き寄せ、二人のコップに酒を注いだ。


「リスティ、最近お酒と煙草の量が増えてきてるって愛が言ってたけど……」

「真雪にはまだ負ける。人が聞いたら腰を抜かすくらい自堕落な生活してるのに、あの体

型なんだから信じられないけど」

「まあ……それはお姉ちゃんだから……」


その一言で片付けられるあたり人類の神秘のような気もするが、それに突っ込むほど無粋

な輩はこの場所にいなかった。

ちなみにこの宴会は惰性で愛が仕事に行くまで続いたが、その時にはセルフィと知佳はダウンしていた。

その後、二人は重度の二日酔いに悩まされたという……。


















そして……事件当日……


「高町先輩……その荷物重そうですね」

「そうでもないですよ」


そう言って恭也は自分と美由希の分の荷物を軽く振って見せた。

随分と軽々と扱っているが、あれだけで軽く三十キロはあるはずでる。

聞いた所によると、その中身は小太刀を始めとした各種装備一式と護衛期間の着替えらし

い。

対して那美も恭也達と同じ構成の荷物を担いでいるが、彼らの物よりも一回りは小さい。

さすがにバックの中に収まりきらなかった「御架月」は布袋に入れて、手に持っている。


「それにしても、ティオレさんすごい場所に住んでるよね」

「海鳴でこれだからな……もう少し大都市に行ったら俺達貧乏人には想像もつかないよ

うな環境に住む事になるんだろう」

「……なんかすごい世界だよね。……!……恭ちゃん、あれ!」


事態を把握するよりも早く、恭也と那美は駆け出していた。

ドアの開いている部屋がある、間違いなくティオレ女史の部屋だ。

その前で警備についていいたはずの男性二人が倒れ伏している。

彼らの横を通り過ぎ、那美達はティオレ女史の部屋へ飛び込んだ。


「ティオレさん!フィアッセ!」


那美達の後から来て、部屋の中にいた人物にしかけようとした美由希を恭也は慌てて止め

た。


「いい判断だ……」


二人いる侵入者のうちの一人、赤いコートを着た女性は静かに言った。

那美の見立てではもう一人の侵入者―こちらは黒いコートを着てサングラスをかけた大男

―と共に文句なしの達人レベルの実力を持っているはずである。

しかも向こうはそれぞれの得物を持ち、完全武装していた。

こちらも武装しているならいざ知らず、用意のない美由希ではまず勝てなかったであろう。


「確かに伝えたぞ、ティオレ女史。たかがコンサートと人の命、どちらが大事かよく考え

る事だ」


そう言って身を翻し、部屋を出て行こうとした侵入者達の前に恭也は黙って立ちふさがっ

た。


「何の真似だ?」

「立場上、あなた達を見逃す訳にもいきませんからね」


恭也は持っていた荷物をティオレ女史の方に放り投げ、侵入者達と向き合った。


「不用意な行動は命を落とす事になるぞ」

「ご心配なく、そう簡単に落とす命なんて俺は持ち合わせていませんから」


言い終えると同時に、恭也は懐から小刀を抜き放ちその女性と戦い始めた。

美由希はその援護に回ろうとした男に、那美はティオレ女史の元に駆け寄る。


「ティオレさん、フィアッセさんだいじょうぶですか?」

「私も娘も無事です。それよりも……」


那美はティオレ女史の視線を追って、美由希を見た。







「女の子を殴る趣味なんてないんだけどな……」


侵入者の男はまるっきり緊張感のない声でそう言って頭をかいた。

本当にやたらと上背のある男で、美由希と比べると頭二つ分は大きい。


「そう言って女の子をなめてると痛い目にあいますよ?」

「かもね。じゃあ手っ取り早く済ませよう」


美由希は飛針を放つと全速で男に駆け寄った。

男は鞘に収められたままの刀でこれを叩き落とし、美由希に向き直る。

だが、美由希は既に男の背後に回り蹴りを放つ所だった。


ガッ!!


しかし意表をついたはずの攻撃は男の刀によって防がれていた。


「詰めが甘いよ」


男は危なげなくそう言うと、軽々と美由希を那美の方に弾き飛ばした。


「美由希さん!」


それでも受身を取ってすぐに起き上がる美由希に、那美は彼女の小太刀を渡す。

そして、すぐさま男に向かっていく美由希の背に叫んだ。


「飛ばしますよ!」


それは言葉足らずな叫びだったが美由希には伝わったらしく、彼女は軽く手を挙げて男と

切り結ぶ。

那美は布袋から「御架月」を取り出し、慎重に男へと狙いを定めた。

男はまだ抜刀せずに美由希と切り結んでいるが、さすがにそれほど余裕がある訳ではない

らしい。

それこそ息もつかずに戦っているような恭也達と比べれば狙いをつける事など造作もなか

った。


「美由希さん!」


美由希に合図を送ると那美は「御架月」に霊力を込めた。

彼女はぎりぎりまで男を引きつけ、タイミングを図って飛び退る。


「神我封滅、神咲無尽流、神威・洸桜刃!!」


美由希のおかげで男にはこれを避けるだけの時間はない。

これが生身の人間に直撃すれば最低一ヶ月は病院生活を余儀なくされるだろうが、この際

そんな贅沢も言っていられない。


「臨兵闘者皆陣列在前!!」


だが、男は美由希が退くとすぐにそう叫び九回空を切った。


ずぁしゅっ!!


そうして浮かび上がった光の格子が、那美の洸桜刃をいともあっさりと相殺する。


「そんな!」


「御架月」という媒介を使って放った技と、即興で霊力を込めるだけの術がぶつかったの

に結果はあいこである。

それは男が那美と同じ退魔師であると同時に、それ以上の実力を持っていることの照明で

もあった。


「……「御架月」か……久しぶりに見たな」

「え?……」


那美が聞くはずのない単語の意味を問いただそうとした時、恭也と戦っていた女性が声を

上げた。


「リプル、帰るぞ」


男―リプルはその言葉に従って、那美には目もくれずさっさと部屋を出て行った。


「結果がこれだ。とにかく、よく考える事だな」


それだけを簡潔に言うと、女性は男を追って消えていった。

女性と戦っていた恭也は服を血で染めて、その場に蹲っている。


「高町先輩!!」


那美は真っ先に駆け寄り傷の具合を見たが、恭也の傷は見た目ほど深い物でもなかった。

だからと言って放っておいていい傷でもない。手当てはすぐにでも必要である。


「無様でしたね……完敗です」

「いえ恭也、貴方は立派に役目を果たしてくれました」


ティオレは恭也の前に屈み、自分のハンカチで恭也の顔に掛かった血を拭った。


「私もフィアッセも怪我一つなくこうして生きているのですから……」

「ティオレさん、コンサートは……」

「もちろんやめるつもりはありません。コンサートは予定通り開催します」

「それを聞いて安心しました」


恭也は微笑んで立ち上がると、傷を負った体を引きずって宛がわれた部屋へと向かう。


「手当ては私たちの方でしましょう。スクールにはそういった物が得意な者もいますから」

「お気遣い……感謝します」


恭也はフィアッセの肩を借りその部屋へと消えていった。

ティオレが内線を使って各方面に連絡をしたり、美由希がリスティとの繋ぎを取るために

奔走する中、那美はただ一人呆然と立ち尽くし先程の男の子とを考えていた。

そして、自分の中である結論を出すと那美は恭也を追って部屋を後にした。















「……私が一人で、ですか?」

「無責任な頼みだとは分かっています。ですが、俺にはこの方法しか残されていないんで

す」

「さっきの女性に勝つためですか?」

「そうです」

「……あの人、高町先輩と同じ小太刀二刀でした」


それも恭也と並ぶほどの使い手、さらに言えば同じ流派のようである。


「……神咲さんには話しておかないといけませんね。長くなりますから掛けてください」


那美は手近にあった椅子を引き寄せ恭也の向かいに座った。


「あの人は御神美沙斗さん……美由希の実の母親です」

「実のって……」

「美由希と俺は実の兄妹ではないんです。関係は従兄妹になりますか」




そして、恭也は御神流について語った。

御神流……正しくは、永全不動八門一派・御神真刀流・小太刀二刀術といい、その流派

には二つの大きな家があった。

一つが恭也、そして恭也の父である士郎の不破の一族。

もう一つは美由希、そして件の美沙斗の御神の一族である。


「美沙斗さんは俺の父さんの妹で、十六歳の時に御神の家に嫁いだそうです」

「十六歳ですか……」

「昔ながらの家系ではそう珍しいことでもないみたいですよ」


那美の実家もそれなりの歴史を誇っているが、そんな政略結婚みたいな話は聞いたことが

ない。

それ以前に、例えそんな話が持ち上がったとしても和音が勝手に揉み消してしまうだろう。


「ところが、御神の家に事件が起こりました」


それまで淡々としていた恭也の口調に、憎しみの色が混ざる。


「その日……本家で結婚式が執り行われていたあの日、御神の一族は滅びました。御神

の名は裏の世界でも有名でしたから、そのせいだったんでしょう」

「そんな……理不尽です」

「ですが、事実です」


老人、女子供まで全滅した一族の中で生き残ったのは、地方で足止めを食らっていた士郎

と恭也、そして高熱を出して病院にいた美由希とそれに付き添っていた美由希の四人だっ

た。


「美沙斗さんは父さんに美由希を預けてどこかへ行ってしまいました。その行方は今まで

分かっていなかったんですが……」

「美由希さんはあの女性がお母さんだって知ってるんですか?」

「分かりません。ですが、他流派の神咲さんにも分かるくらいですから感付いてはいるでしょう。……さて、これが御神の歴史でした」


そうして立ち上がろうとした恭也を那美が押し止めた。


「その傷でどうするんですか?」

「美沙斗さんに勝つために御神流を極めてきます」

「こんな短期間で可能なんですか?」

「最近、神咲さんに触発されてから何か掴みかけてるんですよ。少し無理をすれば何とか

なるかもしれません」

「どうしてもやるんですか……」

「すいません」

「……でしたら、僅かですが私にもお手伝いさせてください」


那美は恭也をソファに座らせると、上着を脱がせ傷の具合を見た。

深くもないが浅くもない。こんな傷で鍛錬をすれば体が壊れるのは目に見えている。


「少し痛いですけど我慢してくださいね」


那美は血の付いた包帯を丁寧に外すとその傷に口をつけ、舌を這わせた。


「か、神咲さん!?」


普段動じない恭也が上擦った声で止めるが、那美はそれを無視した。

那美だって顔から火が出るほど恥ずかしいのだから、ここで止めたら何の意味もなくなる。

十分ほどもそれを続けた後、那美は口を放し恭也に付いた唾液をタオルで拭った。


「傷が……消えてる?」

「世間で言う所のヒーリングです。別にこうしなくても使えますけど、急いでいるようだ

ったのでこの方法で失礼しました。どうしても、行ってしまうんですよね……」

「美沙斗さんを止めるのは……きっと俺の役目ですから」


恭也は服を着込んで纏めてあった自分の荷物を持つと立ち上がった。


「高町先輩」


那美は意を決していたつもりだったが、疑問符を浮かべる恭也の顔を見たらその決意も霧

散してしまった。


「その……いってらっしゃい」

「はい、いってきます」


そんなありふれた言葉にも恭也は微かな笑顔を浮かべて部屋を去っていった。

部屋を去る恭也を見送って、那美はため息をつくとソファに腰を下ろした。

さっきのような理由で恭也は出て行ってしまった。

御神流を極めるなどという大仕事が一人でできるはずもないから、当然美由希もつれて帰

るだろう。


「仕事……増えちゃったな」


ティオレの護衛は本来三人でローテーションを組んで担当する予定だったため、恭也達二

人が抜けた穴は必然的に那美が埋めなければならない。

リスティにも話は通っているはずだから、三日徹夜という最悪な状態は回避できそうだっ

たが、それでも那美の仕事が激増する事に違いはなかった。


「でも……高町先輩の頼みだもん。頑張らないと……」


そうして那美は自分に活を入れると、自分にしかできない仕事をするべく勢い込んで部屋

を後にした。












「それじゃあ、高町先輩は成功したんですか?」

「ええ、なんとか。晶や赤星さんにまで手伝ってもらった甲斐がありました」

「それで今、高町先輩は?」

「最終調整って事で赤星さんに相手をしてもらっています。明日には私と一緒に合流しま

すので……」


コンサートの開催は明日の夜だから、まさに滑り込みである。


「那美さん、ご迷惑をおかけしてすいません」

「だいじょうぶでしたよ、それほど大変でもありませんでした」


美由希にそう言ってはいるが、恭也達が抜けてからの那美は多忙を極めた。

あの後、腕前はそれ程でもない者の襲撃があって那美は神経の休まる時がなかったし、大

勢のスタッフがいる中で、彼女は彼女にしかできない事をしていたのだ。

それは、スタッフの中でも少数しか知らないが、ティオレやスクールの生徒に直接、ある

いは間接的に呪いをかけようとした輩がいたのだ。

幸い、那美が彼女達の部屋全てに結界を張った後だったので、今頃その輩はかけ損ねて返

ってきた呪いに苦しんでいることだろう。

さらにその全員には葉弓に手配してもらった護符を身につけてもらっているから、贈り物

に呪いをかけたとしても彼女達には何の害もない。

(それでも、物にかけられた呪いは那美が必ず解いてまわっているが……)

最重要人物であるティオレの部屋には「雪月」を核にした結界―おそらく、那美が今まで

張った中では最高傑作―を張っているので下級の使い魔ですら勝手に撃墜できるほどだ。


「それじゃあ、もう切ります。高町先輩にちゃんと休むように言ってくださいね」

「はい、那美さんもがんばってください」

(……あれ?)


電話を切った後、那美は軽い眩暈を覚えて体の支えを失った。

この二日ほぼ徹夜だったのが堪えたのだろうか、那美の体はなす術もなく倒れていく。


「……年頃の女性があまり無理をしてはいけませんよ」


しかし、その体を支えてくれる優しい腕があった。


「すいません……」


倒れかけた所を助けてくれたティオレに礼を言うと、那美は軽く頭を振った。

警備する人間がされる人間に助けられるようではいい笑い者である。


「ごめんなさいね、私の我侭のためにあなたに迷惑をかけてしまって……」

「そんな、このコンサートは絶対に必要な事です。我侭なんかじゃありません」


このコンサートによって集まる金額は相当な物になるだろう。

それは、ティオレの人望が厚く世界的に有名な歌い手にして教え子であるクリステラ・ソ

ングスクールの生徒を集められる立場にいるからなのだ。

同じ事をしてティオレと同等の成果を上げる事のできる人間は世界中を探しても、数える

ほどしかいないだろう。


「そう言ってもらえると助かるわ……。あら、もうそろそろ交代の時間ね」


ティオレは壁にかけられている大時計を見て言った。

時刻はもうすぐ十二時、これからセルフィと交代して三時間ほど仮眠を取った後、那美や

ティオレにとって最も長い日が始まる。


「はい……では、お先に休ませてもらいます」

「あまりこういう時に言う事ではないのでしょうけど……」

「なんでしょう?」

「恭也は……あの子は人を頼ることを知らないの。できたら、貴女が恭也の頼れる人に

なってあげて」

「……分かりました。でも、どうして私なんですか?」


恭也の周りには美由希やレン、晶など自分よりも頼りにできそうな女性は数多くいるよう

に思えた。

退魔師としても剣術家としても半人前な自分が恭也の支えになどなれるのだろうか?


「これでも貴女達よりは長く生きていますからね、そういった事は貴女達よりも敏感なつ

もりですよ。時には当人達よりもね」


少女のような笑みを浮かべるティオレに背中を押され、那美は寝室に押し込まれてしまっ

た。


(高町先輩?……私と?)


那美はティオレに言われたことを考えようとしたが、それよりも先に睡魔が襲ってきた。

とりあえずその思考は明日に先送りにして、那美はベッドに身を投げ出す。


「那美様、少しよろしいですか?」

「全然よろしくないけど……必要なことなんでしょう?」


那美は眠い目を擦って起き上がるとベッドの淵に腰掛け、部屋の隅に抜き身で置いてある

「御架月」に向き直った。


「那美様、この前の襲撃者を覚えていらっしゃいますか?」

「二人いたうちの男の人の方でしょう?私も気になってたんだけど、シルヴィはどう思っ

たの?」

「とてもよく似ていると思いました。那美様もそう思ったのではないですか?」

「思ったよ。でも私は確信してる。あれはあの人本人だって……」


その言葉にシルヴィは本体から身を乗り出し、那美に迫った。


「どうしてですか!?……どうして……」


「それは本人に聞かないと……ティオレさんにコンサートを中止にするつもりがないな

ら、あの人は明日必ず現れるから……。その時はシルヴィ、私一人で話をさせてほし

いの」

「ご要望とあれば……僕は那美様の命に従います」

「ありがとう。私はもう休むから警戒はお願いね。セルフィさんがいるからだいじょうぶ

だと思うけど……」

「はい、お休みなさいませ」

「おやすみ……」


その後、那美は数秒と経たずに眠りに落ちた。

シルヴィは那美が完全に寝付いたのを確認すると、「御架月」本体に戻り結界の監視を始め

た。

この晩は物理的、霊的どちらの攻撃もなかったが、眠りについている那美と最後の鍛錬を

つんでいる恭也は知っていた。

これが、嵐の前の静けさであるという事を……。