クロニクル・ディズアスター 第四話







「どういうことだろう…」
「さあ、僕に聞かれても困るんですけど…」

 言葉通りに困った顔をしながら、クロノは手元の資料と目の前の建物を見比べる。それ
は、さっきまで真一郎自身も何度も行っていた作業だった。そして、彼がやってもやはり
結果は変わらなかったようで…

「やはり、資料によればここに間違いないみたいですね」
「資料によれば、なんだけどね…」

 真一郎は渋面を作り、もう一度資料に目を落とした。夜中にわざわざ起きだして仕事を
しにきたのに、肝心のターゲットの気配が全くない。師匠たるエリザの作成した資料によ
ればここで間違いはないのだが、さっきからクロノと二人で一生懸命に探しているのにそ
の気配の片鱗すら掴めないのでは、どんなに意気込んでいたとしても仕事しようがなかっ
た。

「やっぱり、その資料が間違っているのではないですか?」
「いや、それはないよ。エリザに限ってそれはありえない…」

 疑いの篭った目で資料を見下ろすクロノの意見を真一郎は即座に否定する。エリザは冗
談は言うが、こういうことに関して絶対に嘘はつかない。彼女が起こると断言したら必ず
起こるし、資料まで作成して自分達を派遣したのだから、ここには必ず目的の物があるは
ずなのだ。

あるはずなのだが…見つからない。一生懸命探しているのに、どこにもない。エリザを
疑うことなど、真一郎にとって絶対にありえないことであるが、ここまで何もないといく
ら彼でも仕事を放棄してベッドに入りたい、と思うくらいには嫌になってくる。

「まあ、疑ったところでしょうがない。もう少し調べてみようか…」
「そうですね…」

 二人はそろってため息をついて資料を懐にしまうと、ぼちぼちと歩き出した。周囲に気
を配りながら、『目的地』とされている場所の周りをぐるりと囲むように歩き出す。時折草
むらの中をがさごそやったり、頭上の木を見上げたりと他人が見たら怪しいことこの上な
い作業まで地道にやるが…努力とは裏腹に、成果は芳しくなかった。

 そして、最初に作業を始めてから一時間ほど…程よく離れた場所から『目的地』を眺め
つつ、二人は雪特製のおにぎりをぱくついていた。

「やっぱり間違いなんじゃないですか?」
「いや…そのはずはないんだけどな…」

 段々と真一郎の自信も萎んでいく。手頃な大きさの石に腰かけて沢庵を摘みながら、足
を投げ出すその姿は、いくら夜の一族とは言えさすがに疲れが見えてきていた。クロノも
同じだけ疲れているはずなのだが、木に寄りかかって穴が開くほど資料を凝視している彼
からは、およそ疲れなどというものは感じられなかった。これではどちらが年長者か分か
ったものではない。

「クロノはさ、疲れないの?」
「…これが僕の仕事であり、使命ですからね」

 資料を折りたたんで、クロノは深々とため息をついた。疲れは感じられないが…さすが
に嫌にはなってきているようだ。

「真一郎さん、今晩は出直しませんか? 一度エリザさんに掛け合って、もう一度検討し
なおした方がいいと思いますけど…」
「…そうしようか」

 おにぎりを包んでいた竹の子の皮を丸めると、真一郎は立ち上がった。クロノもいつの
間にか食事は済ませていたようで、同じく皮を丸めた彼と肩を落として歩き出す。

 空には月見には打ってつけの満月が煌々と輝いていて、その光は哀愁すら漂わせて歩く
でこぼこな二人の背中を優しく照らしていた。とりあえず帰ったら寝よう…というのが、
彼らの偽らざる心境だったのだが――

「あれ…真ちゃん?」

 転移でもしてベッドに直行しようとした二人を、およそ場違いな声が引きとめた。よほ
ど疲れていたのだろう、気配を察知できなかったことに内心舌打ちをしつつも、真一郎は
何とか平静を装って振り返る。誰か、などと考える必要もない。この世に真一郎を『真ち
ゃん』なんて呼ぶ人間は、彼女しかいないのだから。

「那美…どうしたの? こんな時間に…」

 努めて笑顔で尋ねたつもりだったが、真一郎にはそれが笑顔になっているか自信が持て
なかった。だが、那美は傍から見れば少々不自然な真一郎の笑顔を気にするでもなく、普
通に返答を返してくる。

「ちょっと寝付けなかったから、深夜のお散歩をしてたんだけど…」
「駄目でしょ、こんな時間に女の子一人で出歩いたら。タダでさえ那美はどじなんだから、
危ない目にあっても逃げられないぞ?」
「うう…どじっていうのは酷いと思うけど、反論できない…」
「今晩は何もなかったからいいけど、あまり出歩かないようにするんだよ。何かあってか
らじゃ遅いんだし、恭也君だって心配するから」
「うん、そうするね」
「いい返事。じゃあ、俺はこの辺で失礼して――」
「で、真ちゃん達はここで何してるの? そんな格好して…」
(さすがに無理だったか…)

 普段が普段な那美なら煙に巻けるかとも思ったのだが、どうやら甘かったようだ。隣の
クロノと一瞬のアイコンタクトを交わし、最適な言い訳を考える。こんな時間に、見た目
およそ接点のなさそうな美青年と美少年が、妙な格好をしてこんな場所――さざなみ寮付
近の森の中に潜んでいることの、誰もが納得しそうなナイスないい訳…

そんな物がある訳なかった。

「あ〜っとね、ちょっとそこでこの子とばったりあってさ。夜の夜中に歩かせておくのは
危ないから、家まで送って行こうかな…なんて思ってたんだけど…」
「二人してそんな格好…して?」

 自分が巫女服であることはさておいて、真一郎達の服装を那美は不思議そうに眺めてい
る。残念ながら、誤魔化しきることはできそうにない。できればこんな手は使いたくなか
ったが…

「…那美?」
「え? なあに、真ちゃ――」
「眠れ」

 那美の目の前まで指を近づけて、鳴らす。すると、那美の体は糸の切れた人形のように
その場にくず折れた。真一郎は地面に倒れる前にその体を支え、近くの木の幹に寄りかか
らせる。幸せそうにすやすやと寝息を立てる少女の顔を見ながら、とりあえず二人は顔を
見合わせて…ため息をついた。

「面倒なことになったなぁ…」
「今晩はとことんついてないですね。それで、どうしましょう? 家まで送り届けた方が
いいと思いますけど」
「俺もそう思うんだけどね。この那美の家ってのが…」

 つつっと、真一郎の目がさざなみ寮に動く。クロノはああ、と納得して渋い顔をすると、
とんでもないことを言い出した。

「すると、このまま放置の線で…」
「いや…それだったら、俺の家に連れて行った方がまだ現実味があると思うよ」

 それでも無理はあると思うが、年頃の妹分を森の中に放置しておくよりは、いくらなん
でもましであろう。耕介達は心配するだろうが、事後報告でもすればその辺は誤魔化せる
から問題はない。

「それにしても、そんなに僕達の格好は変でしょうか? 僕はそう思わないんですけど…」
「まあ、あんまり街中でこういう格好をしてる人は見ないよね。見たかったら、少しばか
り特殊な所に行かないといけないから」

 不思議そうに自分の服装――レザーな印象のあるあれ――を見下ろしながら尋ねるクロ
ノに、真一郎は気のない返事をした。というのも、『そんな格好』扱いをされたことには、
何気に真一郎も傷ついているのである。

本当なら、こういう時も真一郎は神咲支給の式服を着て出かけるのであるが、今着てい
るのは、式服とは似ても似つかない『洋服』だった。長袖に長ズボン、肌が露出している
のは顔の部分くらい。夜よりも深い黒色で染め上げられたそれは、全体として少々だぼっ
としているが、生地の薄さのせいかはたまた着ている本人の資質によるものか、暑苦しい
印象はなかった。

 実を言えばこの服、エリザの仕込みなのである。真一郎の『骸手』、ざからの魔剣『ざか
ら』同様、エリザが加工した一品だ。玄人目に見たとしても普通の服にしか見えないが、
袖をはじめいたるところにエリザの血で書かれた文字があり、それが全体として色々な結
界の役割を果たしているのである。

 吸血鬼の、しかも魔術師の血で成された結界だ。神咲の式服とは比べ物にならないくら
いの防御力があるし、霊力などによる攻撃の増幅にも役立っている。真一郎に限って言え
ば確かに似合ってはいる…が、誰が着ていたところで、その衣装の特殊性が消える訳でも
ない。

 こんな物をわざわざ作ってくれた師匠には感謝しているが、できればもう少し普通な感
じのする服装にしてほしかったと、真一郎はさりげなく思ったり思わなかったり…

「まあ、内心の葛藤はこの際どっかに捨て置いて…帰ろうか、クロノ君」
「そうですね…」

 黒衣の美青年と美少年は不景気な顔を見合わせて、とぼとぼと坂道を下り始める。疲れ
た表情の下で、明日――いや、もう今日か――那美が起きたら、彼女や耕介にどんな言い
訳をしようかと考えながら――




 身の毛もよだつ気配を感じたのは、その時だった。クロノはS2Uを展開しながら身を翻
し、真一郎は背中に那美を背負っているとは感じさせない速さで飛び退る。

 気配の元は…さざなみ寮だった。先ほどまでは何も確認できなかった寮に、今では薄い
霧のようなものが纏わりついている。見間違えるはずもない、あれは…

「『イデアシード』…でも、さっきまでは…」
「それより、なんとかしないとまずいですよ。あれは…」
「ああ、今までの比じゃないな…」

 大きさ自体は別に驚くに値はしない。これまでだって、このくらいの『イデアシード』
を回収したことはある。だが目の前のあれは、密度が今までの比ではなかった。それ故に
妙なのである。

 あまり想像したくはないが、さざなみ寮の住人の記憶を全て取り込んだとしても、ここ
まで成長するはずはない。あそこに住んでいるのが、那美を始め少々特殊な人間であるこ
とを差し引いたとしても、ここまでの成長は異常だ。

「とにかく、なんとかしないと…真一郎さん、僕は先に行きますから、貴方はその人を―
―」
「一人で何とかなりそうな相手でもないでしょう? 那美なら大丈夫さ、七瀬?」
『起きてるよ。私は那美を運んでいけばいいの?』
「そう。七瀬にこっちの相手は辛いでしょ。とりあえず、大至急こっちに来てほしいんだ
けど…」
「もう来てるよ」

 空から聞きなれた声が聞こえると、目の前にセーラー服の少女が降り立った。真一郎を
介して事情を知っていた七瀬は、何も聞かずに彼の背で眠らされている那美を器用に抱え
あげた。

「家に連れて帰ればいいんでしょ? エリザがいるけど…いいの? 会わせても」
「まあ、何とかするでしょう、エリザなら」

 あの師匠なら、純朴な同僚に何か余計なことを吹き込まれるかもしれないが、それくら
いなら許容範囲だろう。

「OK、じゃあ行くね」
「那美を落っことさないように気をつけてね」
「分かってるって」

 小さくウィンクをすると、那美を抱えあげた七瀬は夜の空へと消えていった。小さくな
っていくその姿を見上げつつ、今まで隣で黙っていたクロノがぽつりと呟いた。

「途中で那美さんが起きたりしたら…すごいことになるのでは?」
「手順に不手際はないはずだから大丈夫だと思うけど…心配?」
「ええ…退魔能力者にしては真一郎さんの術にあまりにもあっさりとかかってしまいまし
たから。もし、何かの間違いで起きてしまったら…」

 クロノは、本当に心配そうに夜空を見上げている。那美の方も心配されるのはありがた
いだろうが、相手がこれくらいの少年ではその心中はいかばかりであろうか。

「その辺は…今度俺が責任を持って指導しておこう。で、目下の問題はあれだ」

 真一郎は投げやりに、さざなみ寮を包んでいる『イデアシード』の霧を示した。記憶を
食って成長するという特性と今までの経験から判断するに、目の前の霧はざっと三十人分
くらいの記憶を根こそぎ持っていった…そんな規模であると判断できる。

「クロノ君、さざなみ寮の寮員さんは全部で何人だったかな」
「正確な数は分かりませんが…おそらく二十人もいないのではないかと思います」
「俺の記憶でもそんなもんだよ。でも、目の前の霧にはそれ以上の気配が見て取れるんだ
けど…これはいったいどういうことだろう?」
「さあ…こればっかりは調べてみないと僕にも分かりません」

 この間にも霧はじわじわと大きくなっていくが、二人の口調はいたって暢気なものであ
った。実際問題として、目の前の霧は大きいだけで大した脅威ではないのである。仮に記
憶を吸い尽くされた後だったとしても、戻せば済む話だ。

「そっか、分からないか…」
「真一郎さんは分かるんですか?」
「うんっと…分かっちゃったってのが正しいかな? 消去法で残った答えだからあんまり
誇れたものでもないし」
「差し支えなければ是非伺いたいんですけど…」
「それは、これが終わったらね。とりあえず、そいつを何とかして取られちゃった記憶は
耕介さん達に帰そう」

 真一郎では、食われた記憶を補完したまま霧を結晶化できないために、この仕事の詰め
はクロノの役割なのである。あくまで陽気な調子で促す真一郎に、ちゃんと説明してくだ
さいよ、と念を押してから、小さな魔術師は霧に向かって愛用の杖を構えた。

『レイデン・イリカル・クロルフル…汝が管理者たる、クロノ・ハーヴェイの名において
命ずる。役目は終わった。意思なき種子よ、我が意に従いて、あるべき姿に戻れ』

 魔術を周囲の空間に展開、それにともない、今までさざなみ寮の周囲に留まっていた異
様な存在感を持っていた霧が、嘘のようにクロノの手元に収束する。

 結晶化した霧は、いつものイデアシードよりも一回りは大きかった。その内容を確かめ
るために、クロノはそれに意識を走らせようとして、やめた。

 そのまま、真一郎の顔を見上げる。意識を走らせた方が説明を受けるよりも早いのだが、
このままでは真一郎に喋らせることができなくなる。わざわざ話してくれと念まで押した
のだから、喋らせないと損だ。

 クロノのじっと見上げるような視線を受けて、真一郎はばつの悪そうな笑みを浮かべた。

「『ツクモガミ』ってのを知っているかな、異界の少年?」

 ぴっと人差し指を立てて、まるで出来の悪い生徒を相手にしている教師のような口調で
真一郎は話し始めた。クロノの手からイデアシードをひょいと取り上げ、それを立てたま
まの人差し指の上でボールのようにくるくると回してみる。

「長い時を過ごした物には魂が宿る…掻い摘んで言うとそういう伝承なんだ。もっとも、
伝承に出てくるのは悪者の方が多いかな。いや、悪い方が印象に残ってるだけかもしれな
いけど…」

 その辺は自分で読書でもしてみて、と即席の教師は臆面も無くそんなことを言ってのけ
た。

「目安としては、百年くらいかな? 九十九(つくも)なんて単語が入ってるのも、その
辺の理由があるんだけど、例外みたいのもあってね。それが…」

 くるくる回していたイデアシードを、真一郎はクロノの方に放った。不意を突かれた形
になったが、クロノは何とか空中でそれを受け取る。

「今回みたいな例さ。多分、その中に詰まってるのは耕介さん達の記憶じゃないんだね。
特殊な力を持った優しい人達が、何年もの時を過ごした場所だ…魂が宿ったところで、何
の不思議があるだろう?」

 ある訳がない、と真一郎は一人で続けて山道を歩き出した。その背中を呆然と見ていた
クロノは、はっと意識を取り戻し慌てて真一郎の後を追った。

「これが…あの建物の記憶だと?」
「そうだよ。耳をすますと聞こえてこない? 何か、いい感じの『音』がさ…」
「音…ですか?」

 訝しげに眉をひそめて、クロノは耳にイデアシードを当ててみた。海辺で貝殻を耳にあ
てるような、そんな仕草である。

 だが、そんな少女チックなことをしてもクロノにそれらしい音は聞こえなかった。変わ
りに聞こえたのは…真一郎のかみ殺した笑い声である。

 からかわれた、そう気付いた時には、クロノはもうイデアシードを真一郎に押し付けて
いた。そのままS2Uを振って、真一郎の前から姿を消す。

「照れちゃった…う〜ん、俺もエリザさん似てきちゃったのかな…」

 取り残された真一郎は反省しているようで、実は全く反省していなかった。真一郎はた
った今押し付けられたばかりのイデアシードを弄びながら、ぼちぼちと帰路についたのだ
った。




「悪いね、真一郎君。那美がお世話になったみたいで」
「いえいえ、俺の家でも暇してましたから、大事ないです」

 あまり申し訳なさそうに謝ってくる耕介の出してくれた紅茶に口を付けながら、真一郎
はのほほんと笑って見せた。

 明けた日のさざなみ寮。結局、相川邸で一夜を明かした那美を送るついでに、雪や七瀬
達を連れて茶飲み話でもしようと思ってきたのだが…居間のテーブルについてお茶を飲ん
でいるのは、耕介と真一郎の二人だけだった。

 那美を始め、学生組は既に寮を出ている。獣医をしている愛も同様だ。今現在さざなみ
寮にいるのは、管理人である耕介とその妻のリスティ、多忙ゆえに今日も自室で爆睡して
いる真雪と、遊びに来た真一郎達、それから――

「あはは、かわいいですね〜」

 よたよたと動いては、ボールを突っつく…まるで猫のような動きを先ほどから繰り返し
ていた『彼』を、ざからはひょいと抱き上げた。目をぱちくりとさせて見下してくる『彼』
を、たかいたかいをしてあやすその姿は、面倒見のいい姉に見えなくもない。

 彼女に可愛いものを愛でる趣味があるとも思えないので、純粋に楽しいと思ってやって
いるのだろう。確かに『彼』には、真一郎から見ても愛嬌があった。

 綺麗な銀髪に、紫の瞳…さすがに生き写しとまでいかないが、『彼』はまさに小さくなっ
たリスティだった。

 ざからの腕から『彼』を取り上げ、今度は雪があやし始める。急に相手が変わったこと
に『彼』は少し戸惑っていたようだが、すぐにまた笑い始めた。彼を囲んでいた女性達か
ら、また歓声があがる。

「人気者ですねぇ…」
「女性には特に愛想がいいよ、うちの静月(しづき)は。俺が抱こうとすると、結構な割
合で泣き出すし」
「やっぱり、お父さんとしては寂しいですか?」
「まあね。女性のみっていう息子の態度には、少しばかり将来に不安を覚えたりもするけ
ど…」
「きっと、お父さんに似て女の子にもてるようになりますよ」
「君がそういうことを言うかね…」

 何とも言えない表情をしながら、耕介が空になった湯のみに茶を注いでくれる。お茶菓
子はパウンドケーキ。簡単な菓子であるが、食べてみるとこれが中々おいしかった。

「いけますね、これ…」
「だろう? 最近はリスティが料理やるようになってね…たまに、こういう菓子なんて作
ったりもするんだけど…」

 俺の仕事がね…と、耕介は少しだけ寂しそうな顔をしてみせた。

「それで、今日は何をしに来たんだい? 那美を届けて茶飲み話をしに来たって訳でもな
いみたいだけど…」
「忘れるところでした。これなんですけど…」

 そう言って、真一郎は懐からそれをそっと取り出した。握り拳大の白く濁ったそれは硬
質で、いびつな形をしている。見た目もたいして綺麗ではない。

 だが、耕介は小さくため息をついてそれを取り上げた。上から下から角度を変えてそれ
を眺めやると、元の位置にそっと戻す。

「なかなかにたいした物みたいだけど、どうしたの、これ?」
「ちょっとした事情で手に入れましてね。うちに置いておいても手に余るものですから、
さざなみ寮に置いてもらえないかと」
「寮に置いても手に余ると思うけどねぇ…」

 価値は分かるようだが、いくら耕介であろうとこれを扱えるはずはない。いいところお
守りくらいにしかならないだろう。この近辺できちんとこれを扱うことができるのは、エ
リザかクロノ…後は、今日も真面目に魔法少女をやっているなのはだけだ。

「危険な物ではないみたいですよ。それは、俺と雪さんで散々調べました」
「危険であることを疑ってる訳じゃないんだが、いいのかい? こんなものもらって…」
「全然構いませんよ。それは、ここにあるべきものでしょうから」
「…どういうことだい?」
「ただの勘なんですけど…おかしいですか?」
「いや、俺達の勘って結構当たるからね。これはありがたく貰っておくよ」

 耕介は改めてその石ころ――イデアシードを取り上げると、日の光に翳して見せた。相
変わらずその石は、高級感の欠片もない鈍い光を放っていたが、その光に耕介は顔を和ま
せた。




 結局のところ、その石はさざなみ寮の居間に大切に置かれることになる。愛想の欠片も
ない石ころではあるが、住人の評判はいたってよく、取り分け静月少年のお気に入りにな
ったのだった。