クロニクル・ディズアスター 最終話









「色々と、お世話になりました」

 持ち込んでいた機材はすべて持ち出し、それ以外の生活用の私物も既にミッドに送って
しまった。ヒドゥンに関するこちら側での面倒事を全て片付けたクロノは、こちらに来た
時よりも少しだけ大人っぽく笑って、真一郎に頭を下げた。

「俺はあまり手伝えなかったけどね。お礼だったらエリザに言ってあげてよ。きっと喜ぶ
から」
「ミッドですべてを片付けたらこっちに来るつもりですよ。その時には……エリザさんに
お世話になることになっています」
「あらら……エリザ、本気で勧誘しちゃったんだね」
「僕としては願ったり叶ったりですよ。元々、しばらくしたらこっちに戻ってくる予定で
したから」
「それは……なのはちゃんのため、でしょ?」

 赤くなって俯くクロノ。あまりに初々しいその姿に、真一郎のいじめっこの血が目覚め
そうになるが、それは何とかして抑えることに成功した。

(ここでからかったら真雪さんみたいだしね)

 本人に聞かれたら滅殺確定のことをさりげな〜く頭の中で考えて、首を横に振る。

「その気持ちを忘れないようにね。どんなに時が流れても、どれだけ遠く離れていても、
その気持ちが胸にあれば、きっと幸せになれるから……」

 真一郎は、大人びた弟分の頭に手を乗せて、がじがじと撫でた。

「その幸せを次に会った時に俺に見せて。また会えるのを、楽しみにしてる」
「僕もですよ真一郎さん。では、またいずれ」
「うん。なのはちゃん泣かせないようにね」

 小さく手を振って、クロノは相川邸を後にした。こちらの世界で出会った大切な人とま
た会う約束をするために。

「やっぱり見てて気分がいいね。真雪さん達がこういうのを好きなの、。分かる気がするよ」
「ご主人様〜!!」

 ずっとその場で待っていたかのようなタイミングで、ドアから白い影が飛び出してきた。
弾丸のような少女の身体を、真一郎はひっくり返りそうになりながらも、何とか受け止め
た。

「ざから、飛びついてくるなって。いくらセーブしてるって言っても、力が強いのに変わ
りはないんだからさ」

 あまりにもストレートに感情を表してくるざからに苦笑しながら、真一郎はざからの首
筋を撫でた。そこには、無骨な金属製の輪……全力のざからに抱きつかれては身がもたな
いと、エリザに頼み込んで作ってもらった封輪である。

 これをつけてもざからは人並み以上に力を発揮するが、何とか真一郎に耐えられるレベ
ルにはセーブされるようになった。学生時代からの悩みはやっと解決したと、真一郎は嬉
しさのあまりそのままざからを抱えて七瀬達に見せにいったのだが……彼女らはその封輪
をつけた幼き少女を見て、この世の終わりのような顔をして卒倒しそうになった。

 確かに、見た目的には年端もいかぬ少女に『そんなもの』をつけて喜んでいるその様は
社会的に見て美しくはないと思う。真一郎もさすがに傷つきそうになったが、それ以外の
関係は良好なため、まあ問題ないと言えるだろう。甘えられること自体は、真一郎だって
嫌いではないのだから。かねてからせがまれていた一種ので〜とを受け入れたところで、
一体何の罰が当たるだろうか?

「じゃあ、何して遊ぼうか」
「それは、外に行ってから考えましょう。さあ、ご〜です」

 よほど今が楽しいのか、ざからは真一郎の服の袖をぐいぐいと引っ張っている。暇だし
いいか、と真一郎も歩きかけたところで――

「しんいちろう……」

 ざからよりは遥かに弱い力で逆の袖を引かれ、真一郎は足を止め、振り返った。

「久遠も……一緒に遊びたい」

 ここ久しく会っていなかった狐の少女の瞳は、切実である。普段、強硬な主張はしない
彼女であるが、今この時だけは、何を言ったとしてもこの手を離すことはないだろう。

「ん? 別に構わないけど……」
「駄目です。今日、ご主人様は私と一人で遊ぶんです」

 真一郎が肯定の意を返すよりも先に、手を放したざからが真一郎との間に割って入った。
意思の強い語調に久遠は怯みそうになるが、何とか踏みとどまって――

「久遠、ずっとなのはと一緒にいた。だから……今日は、真一郎と一緒に遊ぶ」

 ――踏みとどまったことで力を使い果たしてしまったのか、久遠の目に涙が浮かぶ。す
ると、今度はお姉さんであるという意識があるざからの方が怯んでしまうが、彼女とて、
真一郎のことだけは譲れないし、だからと言って久遠を無碍にも扱えない。

 結果、妙な雰囲気のまま膠着状態になってしまうが――

「喧嘩しないの」

 仲裁は自分の役目と、真一郎は二人の間に割って入り、肩を抱き寄せた。

「ざから、別に俺は減る訳じゃないんだから、久遠が一緒でもいいでしょ?」
「でも……一人がいいです」
「遊ぶ時はみんなでやった方が楽しいよ? 久遠だって、最近は俺達といなかったんだし
さ」
「…………分かりました」

 しょうがないですね、と言いたそうな顔で、ざからは頷いた。言葉ほど反対ではないよ
うで、真一郎はほっと胸を撫で下ろした。

「じゃあ、いい娘の二人にはお兄さんが何か奢ってあげましょう。だから、今日はちゃん
と仲良くしてね」
「私、翠屋のケーキがいいです」
「久遠……大福」
「おうおう、何でも言っちゃっていいよ。さ、行こうか」
『お〜!!』









「あれほど、あの二人と歩いて違和感がないなんてね……」

 窓越しに、手をつないで歩く真一郎達三人の姿を何気なく眺めつつ、七瀬はそんなぼや
きを漏らした。

「退魔師にならなかったら、保父さんとか向いてたんじゃないでしょうか」
「そしたら、きっとお母さん達の方に人気がでちゃいますよ、真一郎なら」

 そんな姿が容易に想像できてしまう三人は、嬉しさと空しさの中間くらいのため息をつ
いて、お茶を飲んだ。

「で、エリザ。クロノ君、いつの間に勧誘したの?」
「内緒ですよ。あれだけかわいいんですから、今のうちに仲良くなっても損はないかな、
って思いましたし」
「確かに真一郎ほどじゃないにしても、美形になるとは思うけど……なのはがいるから無
駄なんじゃない?」
「かわいい男の子は世界の宝、そう思いませんか?」

 エリザはくすりと笑い、傍に立てかけた自らの杖に手を伸ばすと、すっとその表面に手
を滑らせた。

「さて、ヒドゥンはクロノ君達が片付けてくれました。これで、この世界全域に影響を及
ぼすような『災害』は後数百年は起こりません」

 三人の囲むテーブルに、三冊の本が転移される。それらはすべて新品のようであるが、
それらが見た目どおりの物でないことは、七瀬にも雪にも分かった。手に取って読んでみ
ると、それらのタイトルに関しての情報が事細かに記されていた。古い記述もあれば、最
近の物もある。

「これで、私の計画に入れます。真一郎はこれまで以上に忙しくなっちゃいますけど……」

 それら、本の表題は『特務分室』、『警防隊』、『月の揺り籠』とある。前の二つの名は、
その筋に生きる人間ならば誰でも知っている。俗っぽい言い方をすれば、それらは正義の
組織だ。問題は残りの一つ……今までの人生の中で一度も耳にしたことのない名を題にし
た冊子に二人が目をやると、エリザはくすりと笑い、

「夜の一族の……寄り合いのようなものでしょうか? 今は非常に閉鎖的で、私は好きで
はありませんけど」
「好きじゃないのに、ここにこんな物があるってことは……」
「はい、これらを作ったのは私です。その意を正しく継ぐ人が現れるか、それだけが不安
の種だったんですけど」

 どの組織にも、その時々に正しい心を持った人間が現れてくれる。七瀬達には直接の面
識はないが、華一号、エヴァーグレイス・マギウス・ノアそれらの代表格だ。月の揺り籠
にいたっては……残念ながら、エリザ目から見ても腐っているとしか言いようのない集団
であるが、もう少し時が立てばさくらや忍、真一郎の発言力も増すだろう。抜本的な改革
をするのは、それからでも遅くはない。

「千年、私は世界を夢見ました。百年、そのための準備をしてきました。そして、真一郎
と貴女達に出会って、それが遠い未来のことでないことを確信しました」

 世界を見守る者として、一人永い時を生き、夢見てきた世界……その実現のための術は
完成しつつある。人と吸血鬼、退魔と夜の力、相反するそれらを持った真一郎は、その世
界の体現ですらある。

 目的のために真一郎をこちら側に引き入れたのでは決してないが、それでも、エリザは
世界の実現のために、真一郎の力を欲している。

 光と闇が真に融和された世界。夜に魅入られた一族と光に祝福された人間が手を取り合
える世界。忌むべきはずの陽の下を、負い目なく歩く……ただ、それだけの世界。

「クロノ君が帰ってくるまでには実現したいものですね。種族などと言うつまらないいさ
かいのない、私の理想の世界を……」