彼女は俺の元から去っていった。
一つの告白を残して……
俺は、彼女のことをどう思っているのだろうか?

親しい間柄になった人?
ただ、困っているのを助けただけの人?

どれでもない……そう、思う。
じゃあ、どうしたいんだ……俺は。

声にならない気持ちだけが、深々と俺の心に降り積もっていく……。








『恋慕 〜恋人〜』









聖さんを駅で見送った後、俺はどうやって家まで帰ったのか覚えていない。
ただ、分かるのは首筋に付けられた赤い刻印が、甘く痺れていることだけ。

「……ただいま。」

静かに引き戸を開き、ボソリと呟くように家に入って行くと、レンと晶が声を掛けてきた。
が、正直どうとも反応が出来なかった。

「お師匠、お帰りなさいです〜。」

「師匠、俺新しい型を教えてきてもらったんです。指南お願いできますか?」

「あ、ああ……。」

俺の返事を了承と思ったのか、晶がなにやら目を輝かせながら俺の腕を掴んでくる。
今は相手をしたくない……一人で考えたいんだ。
そう思って掴まれた腕を振り払い、俺は部屋へと向かう。

「ちょ!師匠!?」

後ろから恨めしい声で、俺のことを呼んでいる晶の声は確かに聞こえていたが、ただそれだけだった。
気持ちが動じない………晶やレンのことならば二の次にして良いと思えてしまう。

「お師匠どないしたんやろな〜。いつもならおサルの相手をしてくれるはずなのに。
……アンタ、なんやしたんやないやろな。」

「なんもしてねえよ、俺は!?」

ガヤガヤと言い合う二人のことを背にしたまま俺は後ろ手に襖を閉めて、溜息をついた。
倒れるようにして畳に仰向けに転がり、視線を彷徨わせる。

そういえば今日の朝は、聖さんと二人でこの部屋の天井を眺めて居たんだよな……。
そう思うと、微かに口元に笑みが浮かんでくる。

目を閉じて今日を振り返る。

二人で受けた講義、昼食。
色々と見て回った臨海公園。

思い返すだけで、心に風が吹き抜けているのか、寂しく感じる。
次第に、眠気が襲ってきて俺はそのまま寝てしまっていた。



私は、部屋の片隅で小さく体を丸めながら悩んでいた。
どうして、告げちゃったんだろう……

想いを告げた時は、そんな考えは一切浮かばなかった……。
恭也さんが好きだって気持ちは確かなものだし、それに知ってもらいたい気持ちが溢れるばかりで……

だけれども、今になって振り返ると怖くなる。
もし、私の気持ちを知って、恭也さんが遠くへ行ってしまったら?

ただ、友人として一緒に居てくれるならまだ良い、でも距離を置かれるようになったら?
そんなことばかりが浮かんでは消えて、そしてまた浮かんでくる。
グルグルと回る螺旋のように延々と思考が回り続ける。

ギュッと自分の体を、腕で抱きしめる。
あの人の気持ちが早く知りたい。
どうしていいのか分からず、ただ小さな子供のように私は蹲っていた。



夢を見る……
俺に笑いかけてくれる一人の女性。
淡い髪が、彼女には良く似合っていて……微笑かけてくれるのが、嬉しくて。
俺も、思わず口元に笑みが浮かんでいる。

すると彼女も、嬉しそうに笑っていてくれる。
ただ、それだけのことなのに……こんなに愛しい。

どうしてだろう……こんなに想いが溢れるのは。
逢って、ほんの一日か二日しか経っていないと言うのに……心が揺らぐ。

あの人の事を、もっと知りたい。
あの人ともに一緒に居たい。
あの人に俺のことを、知ってもらいたい。
あの人の事を、もっと近くで感じていたい……。

だが、言えない。
いや、言う勇気が起きない……俺は不破の生き残りだし、そのことで彼女に迷惑を掛けてしまう事だってあるはずだ……。

そんなことを思うと、胸がきつく締め付けられて苦しさで息が出来なくなる。
俺は……どうしたらいい?

苦しいまでの思慕の想いを抱いて、目を覚ますともう辺りは暗くなっていた。
近くに気配が近づいてくるのを感じて、起き上がり素っ気無く声をかけておく。

「美由希……今日は鍛錬をつけてやることが出来ん。」

「ぇえ!?」

驚いているのだろうか、間抜けな声が聞こえてきた。
それを聞いて俺は苦笑する……この声がもし彼女のものなら、俺はどうしていただろう。
すぐに駆け寄り、抱き寄せていただろうか?

そんな考えばかりが頭を駆け巡り、心が彼女のことを欲する。
あの人に触れたいのだと……体が要求してくるのが良く分かる。

頭を強く振って、邪な考えを追い払うと、とりあえずリビングへと向かう。
喉がカラカラだ……それに、心も……乾いている。

フラフラと頼りない足取りで、俺はリビングを目指す。
すると、そこにはかあさんが一人水割りを片手に憂い顔をして、氷の音を鳴らしている。

「あら、やっと起きたのね。案外恭也もお寝坊さんね〜。」

カラカラと笑うかあさんの仕草が、彼女のものにダブる。
目元に強く手を押し当てて、俺は再び頭を強く振ってそんな思いを振り払う。

そんな俺の姿を見ているかあさんが、軽く笑いながら声をかけてきた。

「大分参ってるみたいね……聖ちゃんから告白でもされたんでしょ?」

「な、何故それを……」

慌てて俺が反論するようにして呟くと、かあさんは嬉しそうに笑いながら俺の顔を覗きこみ、
人差し指を立てて軽く振りながらこう答えた。

「あんたの母親何年やってると思ってるの?
それにね、聖ちゃんが恭也に惚れてるのも予想がついてたからね。」

思わず叫びそうになるのを堪えるために、強く口元に手を押し当てる。
それでも、漏れ出る音を聞いて、かあさんは目を細めてこう問いただしてきた。

「ねえ、恭也。アンタ悩んでるんじゃない?
聖ちゃんが好きな自分に対して、そして聖ちゃんの想いにどう答えて良いか……。」

「そんなことまで分かるのか……かあさんは……。」

俺は観念して、そう答える。
だが、表情を見られたくなくて、俯いていたが……

「そりゃ〜、私はアンタの母親やってる桃子さんだもの。そのくらい分かるわ。」

苦しくて、苦しくて……
逃げ出してしまいたいほどに、狂おしく愛しいこの気持ちにどう答えを出していいのか分からなくて、
俺は縋るような思いでかあさんに尋ねた。

「かあさん……俺はどうしたら良い?あの人を……聖さんのことを想うと、胸が苦しい。」

グッと服の上から自分の胸を掻き毟るようにして、苦しさを紛らわそうとする。
そんな俺の姿を、ほんの一瞬だけかあさんは切なそうに見詰め……そして笑いかけながらこう答えてくれた。

「それは、恭也が聖ちゃんの想いと、自分の想いとを真っ直ぐに向き合って出すものね。
たくさん、たくさん悩みなさい。その気持ちはあなただけのものなんだから……
でもね、もう答えは出てるんじゃないかしら?
恋愛なんてものは結局本能だもの……。好きな人と一緒に居たい。
そんなシンプルな答えがあれば、それだけで良いのよ?」

俺は……この一言を待ってたのだろうか……。
体中を縛っていた鎖が、まるでとけるように消えて行くのを感じる。
そんな俺のことを見て、かあさんはもう一度、優しく笑いかけてくれた。

「ああ、少しだけ答えが見えてきそうだ……。
明日、聖さんに会っての俺の想いを、確かめてみるよ……。」

「そう、それは良かったわ。今日早く寝て、聖ちゃんに想いをぶつけに行きなさい。」

ヒラヒラと手を振ってくれるかあさんに俺は苦笑してから自室へと戻っていった。



ふふっ……あの子が、誰かを独占したいって想うほど、激しい恋をしましたよ。
姿は似てるのに、性格が似なかったあの子が、あなたそっくりに恋をしてます。
そして、私もそんなあなたに恋をして、愛して……あの子たちの親になったんですよ。

あの子の恋を、見守ってあげてくださいね、士郎さん。
でも、あなたは意地悪なときがあるから、イヤだって言いそうですね。

私は残っているウィスキーを飲み干してから、明日のために寝ようと思った。



……次の日の朝

俺は慣れぬパソコンと、必死に戦っていた。
リリアン女学園が一体何処にあり、そしてどう行けばいいのかを検索していたのだが……
やはり、慣れていないことは上手くいかないものだ。

朝から検索を始めたと言うのに、情報が見つかったのは10時近くになっていた。

検索結果を書き写したメモを片手に彼女の通っているという、大学を目指して歩き出す。
彼女の声を聞きたい……そして、俺は……。




今日は胸がざわついた……。
何かがあるかもしれない

……それは、良いことかもしれない。
……でも、悪いことかもしれない。


結局私は、長くは眠れなかった。
いつもの睡眠時間の半分といったところだろうか、それだけしか眠っていないと言うのに余り眠くはない……。

眠りに着くまでは、あれこれと恭也さんへの悩みや、想いに苦しんでいるのに
いざ眠りにはいると、私は恭也さんとのひと時の夢を見、心地よさに抱きしめられた。

そして、そんな夢から覚めると再び想いに苦しめられた。
なんて苦しい恋なんだろう……あの人が居ない世界が、こんなに輝きを失ったものとして見えてしまう。
そして、あの人がいると世界が眩しいまでに輝きを放って見えてしまう。
栞の時と一緒……うぅん、それ以上かもしれない。

ただ、あの時ほど私は子供でなくて、自分の心をある程度は抑えることが出来るからこそ、
今はあの時みたいな無茶なことをしようとはしない……。

二限からの講義に出るために、私は用意した。
ルーズリーフを粗雑に突っ込み、筆箱を適当に放り込んで……なんとなく、自分の服装を正す。

それから、軽く朝食を取ってから、少し早めに出ようと思ったのだが、なんとなく遅く出かけようと思いなおした。

そして、講義に間に合うかどうかのギリギリになって、ようやく私は重い腰を上げ、大学へ行くために出発した。




「ここが……そうか?」

久しぶりに来る都心に、俺は憂鬱になる。
凄まじいまでの人ごみに息苦しさを感じて、俺はただただ歩き出すしかなかった。

メモにある住所を頼りに、電車を乗り継ぎ、バスに揺られ……目的地へと歩き続ける。
そうこうして見えてきた、広大な面積を誇る学園が見えてくる。
どう見ても大学一つだけでなくて、その大きさに怯みそうになるが、校門で想い人を待つために、俺は立ち尽くした。

途中何度か、好奇の視線を浴びる。
それもそうか……俺のような男がいていい場所ではない。
それでも、彼女に……聖さんに会いたくて俺は待つのであった。

いつまで待っただろうか……長いような気もするし、短いような気もする。
次第に好奇の視線も増えてきて、次第に居心地が悪くなる。
彼女たちにとって俺のような無粋な男は排除すべき存在であり、居てはならない存在なのではと思わされる
だが、それでもあの人に俺の想いを伝えたくて待っていると……。




学園近くに、バスが止まると私は降りた。
少しだけ歩かなければならないそこで、私は目の錯覚を覚えた気がした。

黒い髪、黒い服、そして、強い意志を秘めた瞳……。
嘘だと思った、あの人がいるなんて……。
私はいつの間にか駆け出していた、あの人の下に。

「恭也さん!?」

そして、飛びつくようにしてぶつかって行くと、彼はそっと受け止めてくれる。
そんな恭也さんの顔を間近で覗きこみ、そして訪ねた。

「どうしてここにいるんですか?」

そんなの答えは一つしかないのに、私はバカみたいに尋ねる。
私の告白への答えを出しに決まっている……YESかNOか……。
答えが怖くて私は震えた。

そんな私の震えが伝わったのか、恭也さんが軽く抱きしめてくれる。

「俺は、自分の気持ちを知りたくて、来ました……。
そしてはっきりと分かりました。俺は、あなたのことが……」

その先の言葉。
たった一言で出される答えを知るまでの時間が、私には無限のように長く感じられた。
口を開いている恭也さんの顔が、まるでそのまま凍り付いて止まっているように感じる。
そして、私にとっての運命の一言が出されたとき……。

「好きです……あなたのことが好きなんです。」

恭也さんの答えを聞いた私は、固まってしまった。
いま、好きって言ってくれた?私のことを好きといってくれたの?

そう、問い返したくて声を出そうとすると、恭也さんの頬が少しだけ赤くなったと思ったら私のほうへと近づいてくる。
そして、そっと彼の唇が私の首筋に押し当てられ、強く吸い付かれた。

「これのお返しです。」

そういって、恭也さんは私のつけた首筋のキスマークを指差し、笑いかけてくれた。
そして、私は顔を真っ赤にさせた。
私ってこんなことしたんだ!!あの人の首筋にキスをして……

そう思って周りを見てみると、疎らながらに私と同じくリリアン女学園の大学生がいるのに気付くと、
恥ずかしさの余り逃げたくなった。

それは彼も一緒だったらしく、顔を真っ赤にして悶えている。

「ちょっと、佐藤さん。あなた何してるの!!」

声をかけてくる人物に、心当たりがあって私はギクリとした。
恭也さんの腕に抱きしめられたまま、顔だけ振り返るとそこには加東さんがいた。

呆れてるのか、怒っているのかいまいち分からないが、それでも加東さんがいると色々とややこしくなりそうだ。
それに、今こうして抱きしめてもらっているのを止めたくもない気持ちが強くて……。

……私は迷った。

すると、すぐ近くにある恭也さんの顔が、私の耳元にそっと近づいてきて、優しく耳打ちする。

「失礼します。」

その言葉の意味が分からなかったが、思わず私は身を委ねてしまった。

低いその声は、ちょっと怖い感じをイメージさせるかもしれないけれど、私にとって一番心地よく、
そして気持ちよくさせてくれる。

そんな夢心地にさせてくれる声に、私はうっとりとしていると彼が少しだけ私を強く抱き寄せてきた。

そして、次の瞬間には力強い腕に抱き上げられていた。
グングンと加速する世界に身を抱かれて、私はそっと彼の顔を下から覗きこむ。
下からでも見える、彼の強い光を帯びた瞳が綺麗で、私はそれを独占したくて……。

ある程度まで来ると、私はそっと下ろされた。
抱きしめられていた温もりが離れるのが嫌で、私は彼の腕にしがみついた。
そんな私のことを彼はどう思っているんだろう。不安になりながら彼の顔を見てみると、嬉しそうな顔をしているのが見えた。

「あそこで座って、話をしませんか?」

すぐ目の前にある小さな公園のベンチを指して彼は笑った。
温かな笑顔……これも好きだ。
そう思うと、私の体は自然と動いていた……。

抱きつくようにして、首に腕を回すとそっと唇を寄せる。
彼は驚いているのか、少しだけ固まっている……それを良いことに、私はキスをした。

温かな唇……すぐ傍にある彼の吐息……。
その全てが、心地良い。

そっと、唇を離すと彼は困った顔をして訪ねてくる。

「ど、どうしてこんなことをするんですか。」

「どうしてって……したかったから。それに、私のこと好きって言ってくれたよね?」

瞳を細めて笑いかけると、彼は困惑しているのが良く分かった。
そして、もう一つのことが分かった……彼は今まで彼女が居なかったってこと。
だって、もし居たとしたら、こんなに初心な反応するはずなんてないから……。

「もう、私たちは恋人同然でしょ?……キスしたらいけなかった?」

「いや、そういうわけじゃないですけど……。」

困っている彼も可愛いな、なんて思いながら彼の腕を引いてベンチの方へと向かう。
ベンチに座ると、彼と私は向き合った……たくさん話さないといけないことがある。

思いつめたような表情で、恭也さんは私のことを見詰めて、そしてポツリと漏らした。

「俺は、あなたのことを好きになっても良いんですか?
もしかしらたら、俺と共にいることで不幸に……いや、危険な……。」

「恭也さんが居ないことの方が、今の私にとっては不幸だよ……。」

瞳を覗き込みながら訪ねると、彼は辛そうに伏せた。
この人の瞳の中には、強さだけじゃなくて何かを感じる……。
触れてはいけない何かが……薄いガラスに包まれた暗い闇を感じさせる。

「俺は……俺は……。」

それからポツリポツリと、彼が話しだしてくれるものは衝撃的で、私の中の何かがハンマーで
殴られたように打ち砕かれたような気がした。

彼、恭也さんの過去は、私の思っているよりも深く、暗い闇を思わせるようなものだった。

ボディーガードをしていた憧れのお父さん。
そして、そのお父さんの死と、妹さんとの約束を果たすために頑張ってきたこと。

何かを得ようとするたびに、自分の中の何かを切り捨てて、失って、壊れていって……。
だからだ……この人には、恭也さんには私と共感しあう何かがある。

栞を失った失恋じゃない。
世界を面白くないと見ていたことでもない……。

でも何処か、何処かこの人の心の痛みが、私の痛みになって伝わる。
人の心の闇が持つ痛み……そんな気がした。

「俺は、危険な男なんです。それは自分でも良く分かっている。
それでも、あなたのことが好きで、あなたと一緒に居たくて……。」

少しだけ、彼の瞳に涙が滲んでいた……。
私は、抱きしめた。
この人の、大きくて小さな体を……。

この人のことを好きになってよかった。

優しいだけじゃない、辛い何かを知っているからこそ、強いこの人を好きになって。
抱きしめながらそっと瞳を閉じて待った……この人にキスして欲しかったから。
でも、いつまで経っても何もこない。

瞳を開けえて、彼の顔を見ると何を思ったのか、私の顔を見詰め続けているのが分かった。
キッと睨みつけてこう言う。

「ほんっっっとに野暮天だね!!」

「な、何がですか?」

「キスして欲しかったんだよ?!何で分からないかな。」

頬を膨れさせて、そういうと彼は困っていた。
もう、あれだね。この辺りのことは、私が一から教えてあげなきゃいけないみたい。

首に強く抱きつくと、無理やり私は彼の唇にキスをした……。
驚いている顔は可愛いと思ったけど、これから女心のイロハと、これからのことを色々と教えてあげなければならないと思うと、
私は口元に悪戯っぽい笑みを浮かべて彼の顔を見詰めた。





あれから……ほんの少しだけ時間が流れた。

始めのうち、俺は聖といるときは恋人と言うことを意識しすぎるらしく、幾度と無く剥れられたものだ。
そして一緒にいると、どうしても心地よさから離れたくなくなることが多く、ズルズルと宿泊していたものだ。

猫のように甘えてくれる彼女は可愛く、また俺も普段余りすることの無い人に甘えるといったことを、彼女の前でだけは出来た。
膝枕と言うのは、とても気恥ずかしいが、慣れるとあれはとても心地よくなった。
彼女の柔らかな感触に抱かれながら、眠ると心地が良い……。


そして……今。

「じゃーん、こちらが私の彼氏です。」

「………どうも。」

とある都心の洋菓子店にて、俺は三人の女性に囲まれていた。
中学時代からの友人二人と大学での友人が一人……。
聖は楽しそうな顔をしているが、俺は内心気が気でない……。

「ふぅ〜ん、彼があの時言ってた人ね〜。捕まえること出来たんだ。」

なにやら値踏みされるように視線を向けてくる、ヘアバンドをした女性。
ついで、メガネをかけた理知的な雰囲気を醸し出す女性もまた俺のことを覗き込んでくる。

「あなたね、校門の前で佐藤さん連れてったの。
あの後、大変だったんですからね。佐藤さんが連れてかれたとか、色々といわれたんですから。」

「申し訳ない……。」

この場では謝ることしか出来なかった。
あの時は、確かに軽率すぎたかもしれない……でも、聖のことを抱きしめていたら自然と体が動いていた。

「まあまあ、加東さん。それくらいで許しえてあげてよ。
私のことが好きなあまりに攫っていくだなんていう、可愛い私の彼氏をさ。」

なんというか……彼女の声が弾んでいると思うのは、俺の気のせいだけじゃないな。
口元を、子猫のようにニンマリと無邪気な笑みを浮かべながら、俺の左腕を完全に支配するように、聖は抱きついている……。

フワリと漂う彼女の優しい香りと、トクトクと伝わってくる鼓動が俺の心をくすぐる。
俺は確かに聖に必要とされているのだと実感し、そしてそんないじらしく可愛らしい彼女のことを独占したくなってしまう。

「それにしても、聖とは正反対のタイプみたいよね〜。
見た感じ、結構生真面目そうに見えるけど。」

「そんなことないんだよね〜、これがさあ。
恭也って結構意地悪なところがあるし、それに平気で冗談やウソを言うんだよ〜。」

「でも、それなら佐藤さんに合ってるから良いんじゃない?
相思相愛って感じよね……羨ましい。」


口元で意地悪げに笑みを浮かべ、俺の顔を覗き込みながら聖とお喋りを始める鳥居さん。
そんな彼女に釣られるようにして、加東さんも一緒になって話が進んでいく……。
加東さんの羨ましいという発言を受けて、聖は俺の左腕に抱きつきながら、頬に小さく口付けをしてきた。

「どうだ、羨ましいだろう。」

ニシシシと笑いながら彼女たちに見せ付けるようにして、もう一度俺の頬に顔を寄せる。
だが、それは阻まれてしまった……机を叩きつける音によって。


「もう、止してよね。こういった場所でそういった破廉恥なことをするのは!!」

鳥居さんと、加東さんが驚きながらもう一人の女性の事を見ていた……。
確か、彼女は水野さん……だったかな。
少々生真面目そうな彼女は、頬を高潮させながら俺と聖に対して、睨み付けるように鋭い視線を向けていた。

まあ、確かにこういった場所でするのは確かに憚れるな……。
そう思い、素直に非礼を詫びようとしたのだが、今度は頬を膨らませた聖によって阻まれた。

「なによ、蓉子。
別にこれくらい、普通のスキンシップじゃない。何、妬いてるの?」

「そうじゃなくて、私が言いたいのは!!」

「蓉子さあ……もしかして、恭也に惚れたとか言うわけじゃないでしょうね?」

ギャイギャイと聖と水野さんが言い合っていると、何故か分からないが聖が俺の事を指してくる。

「な、何でそういったほうに話がいくのよ!」

「だって、恭也の見た目って、いかにも蓉子の好みだし〜。
でもね、これだけはあげられないからね。」

なんというのだろうか……聖が一人完結させると、俺の首にしな垂れかかるようにして
、腕を巻きつけて抱きついてくると、唇を軽く押し当ててから、ディープキスをしてきた。

口内に入ってくる聖の熱い舌と、俺の口の中に送られてくるトロリとした濃厚な蜜。
優しい彼女の香りが、髪から漂い俺の鼻孔をくすぐり、俺の思考を真っ白にしてゆく…。
抱きついてくることによって、俺の胸板に当たる聖の胸の感触に、俺は思わず抱き返す。

鳥居さんと、加東さんが喰い入るように見ているのに気がついているのか。
聖は一度口付けを止めて、唇と離すと俺たちの間に透明で淫らな架け橋が出来ていた……。

ほんの少しだけ、俺が名残惜しそうな表情をしているのに気がついたのだろうか…。
聖はクスリと口元に笑みを浮かべると、もう一度俺の唇に顔を寄せる。

再び繰り返される濃厚なキス……。
もう、俺と聖の頬は真っ赤に染まり上がり、鼓動がドンドンと高まっていく……。

体に伝わる聖の全てが、俺を本能のまま彼女の細い体を抱き寄せろと命令してくる。
だが、それを辛うじて残っている理性で押さえつけて、熱い大人のキスを終えると聖は、
少しだけ口元から零れ落ちるものを、舌で少しだけ舐め取り水野さんに対してこう言った。

「恭也はね、私の何だからね。手、出したりしないでよ。」

「そ、そんなことしたりしないわよ!!」

水野さんは、可哀想なくらい顔を真っ赤にさせながら、舌がうまく動かないのかどもりながらもそう答えていた。

そして……聖は友人に対して見せ付けたいために、キスをしてきたのであろうが……
店内にいる、女性客や従業員……果ては店外を通行している人たちが俺たちのことを見ていることなど気づいていないのだろうな……

俺は一人そのことを理解していたので、気恥ずかしさのあまり穴があったら隠れたくなっていた。


「ホント、ラブラブだね〜。」

「はぁ……呆れる。もう少し場を弁えてちょうだいよね。」

鳥居さんが、嬉しそうに目を細めて俺たちのことをそう評価してくる。
加東さんは、呆れてるのか首を竦めて冷ややかな目をしていた。


………それから程なくすると
一応その場は、解散した。

「なに、そんな難しい顔して〜。」

俺は、先ほどの洋菓子店での気恥ずかしさを未だに引きずっているために、眉を寄せていたのだろう……。
そんな俺の表情を、気にしているのか聖が声をかけてきてくれる。
こういったところは、気配りが上手いんだよな……今までも、何度かこういった気遣いに救われたことか……。

「まあ、さっきのことが、恥かしかっただけだよ……。」

首を軽く竦めながら俺がそう言うと、聖は一瞬何のことだか分からなかったのか、キョトンとした目をしていた。
そんな彼女の表情に、俺は少しだけ苦笑して額をくっ付ける。

「ああいった所では、さすがにもう少しだけ手加減してほしいかな……。
理性が吹き飛びそうになる……。」

「あれくらいで恥かしがったりしたら、私の彼氏は務まらないぞ。」

どうだ、といったような表情で細腰に手を当てて、胸を張っている。
すぐ目の前にある、まるで水晶を思わせるどこまでも透き通る瞳を、俺はじっと見詰める。

「な、何?」

ジッと見詰めていると、聖は気恥ずかしいのか、フイッと視線を逸らした。
そんな聖の事を見て、俺は思わず笑みを浮かべてしまう……のだが。

「ふ〜ん。これから、もっと恥かしいことしたほうが良い見たいね〜。」

意地悪げに、微笑みながら俺にそう聖は告げる……。
それを聞いて、俺は軽く肩をすくめながら彼女に顔を近づけて答えを返した。

「それは勘弁してほしいな……。」

「仕方ない、それじゃあこれから食事をおごってくれたら、勘弁してあげようかな?」

「仰せのままに。何処に行く?」

そっと絡められた聖の腕を、包み込むようにして俺は握り歩き出した……。
きっと君といる先にあるのは、たくさんの幸せと暖かさだろう。

ずっと……傍に居てくれ。

「ほら、ボ〜としないしない。
男は常に女をエスコートしないとね!!」

「……了解。」

すっと差し出された彼女の唇に、俺はキスを重ねてから、俺たちは歩き出すのだった……。