でぃあ・び〜すと  第一話









「相川さん?」
名前を呼ばれて、真一郎は初めて自分が居眠りしていたことに気が付いた。
寄りかかっていた木から身を離し、慌てて姿勢を正す。
命のかかった仕事で居眠りなど気の弛んでいる証拠、とこれが薫だったら間違いなく怒
鳴られていただろう。
「いえ、ただ呼んでみただけです」
だが、彼女は怒鳴るどころか口元に手を当てて上品に笑った。
高校を卒業して早四年。
要するにそれだけ退魔師として働いてきたということだが、周囲から一人前と認められ
た今でも真一郎は彼女―葉弓に頭が上がらなかった。
退魔師として迎える最初の年、師であった薫が海鳴に残って大学に通いながら耕介の指
導に当たっていたため、新たな真一郎の監督として選ばれたのが、神咲真鳴流当代の彼
女だった。
仕事柄全国を飛び回る彼女についての一年間。
葉弓が監督についていたのはそれだけだったが、真一郎はその間ずっと彼女にからかわ
れ続けたのだ。
「葉弓さん…もしかしなくても俺で遊んでるでしょう?」
「最近の相川さんは落ち着きが出てきましたからこうでもしないと…昔はもう少し怯え
ていて可愛かったのに…」
「いつまでも子供じゃありませんよ…」
少なくとも、自分ではもう半人前ではないと思っていた。
修行を始めてからはもう五年。退魔の技術も武道の腕前も、あの時より格段に進歩した。
それでも茶色がかった髪を肩のあたりで縛っている所など、女性と間違われる容姿は相
変わらずである。
「子供ではありませんが…貴方はいつまでも私の可愛い弟子ですよ」
「からかわないでください…」
照れくさくなって真一郎は森の奥に目をやった。
某県とある森の中、今回の「彼ら」の仕事はそこでの除霊だった。
葉弓が加わっていたとしても「彼ら」の分担は変わらない。
だから、今は彼女が霊障の偵察、そして可能なら説得を試みている最中のはずだ。
「心配ですか?七瀬さんのこと…」
今まで荷物の整理をしていた雪が顔を上げ、話に加わった。
彼女はその中から取り出したポットから茶を注ぎ、二人に渡す。
神咲の退魔師の修行を受けたわけではないが、雪も真一郎の仕事仲間の一人である。
初めて会ってからはもう五年になるが、「夜の一族」と違って寿命も人間と同じな為、
若干成長の後が伺える。
だが、いくら大人っぽくなってもあの帽子だけはそのままだったが…
「いや、心配はしてないよ。七瀬に何かあるくらいの強敵だったらこいつが起きるはず
だから」
そう言って、真一郎は傍らで寝ている少女の頭をこつんと叩いた。
叩かれても少女は軽くうめいただけで起きようとはしない。
霊障のある地帯で熟睡するのはかなり危険な行為だが、この少女にすればそんな物は危
険のうちにも入らないのだろう。
魔人ざから、かつてはそう呼ばれた少女も今はこうして退魔師のお供である。
自分と同じ名前を冠した魔剣を抱えて寝込む姿からは想像もできないが、真一郎の知る
限り、ざからの全力に一人で立ち向かえる人物は今の所一人しかいない。
(ま、あの人も色々規格外の人だからな〜)
今は遠い外国いるはずのその人物に思いを馳せながら、真一郎は茶を一気に飲み干した。
「しんいちろ〜」
「お、来たか…」
声のした方に振り向くと、それとほとんど同時に森から七瀬が飛び出してきた。
容姿は変わらず、服装は…退魔装束に身を固める一同の中でセーラー服である。
本人曰く、その格好が一番調子がでるらしいのだが、違和感は否めない。
「いたよ、あっちの方。話し掛けてみたけど、説得は無理ね。襲われそうになった」
「そうか…じゃあ、行こう雪さん」
「あの、ざからは?」
「置いていこう。ざからにすれば、たいしたことのない相手なんでしょう」
言いながら真一郎は篭手を付け、虚空に何度か打ち込む。
神咲の本家から譲り受けた金属製の篭手。
元々それなりの霊力を注ぎ込んでも耐えられた物だったが、今はある人物の細工のせい
で、その性能は格段にアップしている。
だが、違いと言えば表面に刻まれた紋様が多少複雑になっただけである。
名前がないと不便なので「骸手」と名付けたそれは、修行を始めて以来の真一郎の武器
だった。
「さて、では葉弓さん。ざからをお願いしますね」
「いってらっしゃい。気をつけてくださいね」
「はい…では」
そう言って、森の奥に入っていく二人を見送って、七瀬は葉弓の隣に降り立った。
「真一郎、落ち着いてきた?」
「あら、お聞きになっていたのですか?」
「普段はしないけど、さっきは暇だったから少しね…確かに落ち着いてきたかも。でも、
 全然変わってない部分もあるかな」
「人はそれほど急に変われるものでもないでしょう」
「…私達三人も連れてるのも相変わらずだし…」
「ご存知ですか?退魔師の間で相川さんがなんと呼ばれているか」
「なに、悪口?」
「いえ、親しみを込めて呼ばれていますよ。ハーレム・マスターなんて」
「言い得て妙ね…そこがまた魅力なんだって言っても他の人には理解できないだろうし」
「あだ名を持った人物自体が稀ですからね。そんな親しみも、相川さんの偉業を褒め称
える気持ちのなせる技でしょう」
偉業…彼一人での実力なら―それでも、神咲でも上位の部類にはいるが―これほど、騒
がれはしなかっただろう。
彼のしたことは、退魔師としての悲願であった「夜の一族」との友好である。
「それも、さくらとかのおかげだから、ますますハーレム・マスターなんて名前が板に
ついちゃうのね」
「本当…凄い人ですね、相川さんは」
「葉弓も惚れちゃったりしないでよ…」
「あら、分かりませんよ?」
また、上品に笑って葉弓は森の奥に目をやった。
退魔師としても彼は有能だ。しかも、雪までついていれば霊障に遅れを取ることもない
だろう。
心配する要素は皆無と言っていい。だが、それでもやはりそんな気持ちは拭えない。
「帰ってきたら、家に誘ってお茶でも飲みましょうか…」
「……まあ、いいけど」
森の奥で、霊力の光が瞬いた。
彼にどんなお茶を出すか考えながら、葉弓は雪が広げたばかりの荷物を纏め始めていた。




















「と言う訳で、青森での葉弓さんと共同の仕事、無事に終了しました」
『うむ。ご苦労じゃったの』
電話越しに聞こえる低い声は神咲流派の長、神咲和音である。
別に仕事の報告が義務付けられている訳ではないが(現に薫や耕介がしているのを見た
ことがない)、立場上、本家からの仲介が多い真一郎は和音への報告が習慣になってい
たのだった。
『今、おんしはどこにおんね?』
「もう海鳴に戻ってますよ。今はさざなみ寮からかけてます。七瀬達は、多分俺の家に
いると思いますが…」
『そうか…』
「それでは、これから俺は三ヶ月ほど休暇を頂きますので、特別俺指名ってのでもなけ
れば、和真さんに頑張ってもらってください」
『…この時期に休暇を取ったのは、何か意味があってのことか?』
「いえ…最近働きっぱなしだったので、この辺で休んでおこうかなと」
『…頼んだぞ』
「まあ、お任せくださいと答えておきます。では…」
電話を切って、真一郎は深くため息をついた。
「勘付いているとは思ってたけどね…」
やはり隠し事はできないな…等と呟いて居間へ行くと、何やら荷物を持った耕介と目が
合った。
「仕事の報告はすんだのかい?」
「ええ、電話借りてすいません。どこかに出かけるんですか?」
「ん?いや、今那美が山の方で友達と花見をやってるんだけど、これを忘れていってね」
荷物の中身はあの時以来さざなみ寮の飲酒組のお気に入りになっている「カノッサ・ル
ビー」が二本だった。
「那美がこれを飲むんですか?」
「まさか…その中にお酒好きの人がいるからっていうんで用意したんだけど」
「そそっかしいですからね、那美は。なんなら俺が届けてきますけど」
「いいのかい?」
「ええ。それに、もうすぐ奥さんが帰ってくるでしょう?その時に耕介さんがいないと
機嫌が悪くなりますから」
「すまないね…」
耕介から荷物を受け取って、真一郎はさざなみ寮を出た。
花見会場へはそれほど離れていない。歩いても十分といった所だろう。
「あれ?相川先輩?」
「よう、槙原。そろそろ帰って来る頃だろうと思ってたよ」
山に向かって身を翻したところで声をかけられ、真一郎は足を止めた。
振り返った先にいたのは、買い物帰りらしいリスティだった。
五年前と比べて背も伸びて成長し、雰囲気も随分と柔らかくなっている。
「そんな物持ってどこに行くの?」
「那美の忘れ物を届けにね。耕介さんなら中にいるよ」
「そう、ありがとう」
リスティは照れたような笑みを浮かべると、軽く手を振ってさざなみ寮に入っていった。
「幸せそうだね…」
「仕事」の事情でいたドイツで耕介結婚の話を聞いた時には驚いたものだが、その相手
を聞いた時にはもっと驚いたものだった。
今でも、その知らせを聞いた時の七瀬の驚きようは、鮮明に記憶に残っている。
急遽帰国して参加した耕介の結婚式で、自分の結婚式の時には仲人をする、と耕介に言
われ七瀬や雪、さくらに瞳と大笑いしたものである。
ちなみにこの夫婦の関係はみんなの予想通り、いやそれ以上にうまくいっている。
喧嘩をすると電撃を撃たれる、と耕介が苦笑交じりに話していたが、退魔師と管理人の
二束のわらじを平気で履きこなしている彼にはそのくらいがちょうどいいようだった。
「さて、ぼちぼち行きましょう」
真一郎は意味もなく気合を入れると、那美達がいるはずの花見会場に足を向けた。


















散った桜の花びらが、流れていく。
わびさびの心はいまいち理解できなくても、単純にこの光景は美しい。
薫や葉弓に言わせれば修行がなってないのだろうが、楽しみ方は人それぞれだ。
「少なくとも花を見ないで飲みまくる誰かさんよりはマシだし…」
聞かれたら問答無用で殴られるようなことを呟いて、とてとて山道を行く。
寮を出てからすでに十分、もうそろそろ着いてもいいはずであるが…
「く〜ん!」
やや、遠くからそんな声が聞こえると、すぐに見覚えのある子狐が寄ってきた。
「久しぶりだな、久遠。いいこにしてたか?」
「く〜」
久遠は器用に真一郎の体を上って方に乗ると、頬を舐める。
「かわいいなお前は、相変わらず」
久遠の頭を撫で、彼女の走ってきた方へ少しだけ歩くと、開けた場所に出る。
湖を横手に見た景色のいい場所である。
そんな所にシートを敷いて、那美達が花見をしていた。
「あれ?……真ちゃん」
真一郎の姿を見て呆然としている那美に軽く手を上げ、真一郎は歩み寄った。
「忘れ物、届けに来たよ。これは誰に渡せば…」
「あ、はい。私が預かります」
「どうぞ。那美の住んでる寮の管理人さんからですが」
女性にカノッサ・ルビーを渡し、真一郎は改めて那美を見た。
「いつこっちに来たんですか?」
「昼の少し前だったかな?ちょうど那美とは入れ違いになったみたいだよ」
「そうなんですか…久遠が急に走って行っちゃったから誰か来たのかなって思ったんで
すよ」
その久遠は、真一郎の肩から降りて小学生くらいの女の子とじゃれている。
花見に参加しているのは、那美を含めて…十人。
女性が中心で、学生の方が多いように思える。
こうして見ると、自分達が花見をしていた頃を思い出すようだ。
「でも、まさかその中に知り合いがいるとは思わなかったけどさ。久しぶり、晶ちゃん」
「はい!お久しぶりです」
「なんや、お猿。この人知り合いなん?」
小柄な少女が晶に問い掛けるが、固まっている晶には聞こえていない。
「何も、そこまで緊張しなくてもいいでしょ?」
「そう…ですね。館長は武者修行に出たって言ってましたけど?」
「うん。それも終わって帰ってきた所。そのうち道場にも顔を出すよ」
真一郎の空手の師、十蔵は真一郎の「仕事」を知る数少ない人間の一人である。
空手の世界でもそれなりに有名な真一郎は、不定期に明心館にも顔をだすのだが、彼が
来た時には、一種のお祭りのようになる。
全国的に展開している明心館の本部、年配で師範が構成されている中、若くしてその連
中に匹敵する実力を持った真一郎は、晶のような若手の間ではヒーローなのだ。
それで、武者修行。退魔師が全国を回る仕事、と聞いて十蔵が提案したそれは、スズメ
の涙の報酬と引き換えに全国に存在する明心館支部の指導、それから「十蔵の知り合い」
の格闘家に稽古をつけてもらうというものである。
はっきり言って、本職よりもきついのだが、行く先々で歓迎(色々な意味で)されるの
で、真一郎的には結構気に入っている仕事なのだった。
「それと、もう一人の知り合い…かなり久しぶりだね、忍は」
「そうね…一年くらいになるかな?」
「ノエルは元気?」
「うん、今度遊びに来てよ。真が料理を教えてくれるの、ノエル楽しみにしてるから」
「あの…神咲さん、この方は…」
「ああ、ごめんなさい。ええと…私の姉の…」
何と言っていいか分からないと、視線で訴えられ真一郎は苦笑した。
「那美のお姉さんの弟子なんですよ。今の仕事も彼女に世話してもらって…那美とは、
 その関係で知り合いました」
「こっちのお猿との関係は?」
「明心館の空手もやってまして。館長の巻島さんの計らいでたまに道場にも顔を出すん
ですよ」
「月村さんとも知り合いのようですが?」
「う〜んと…」
どこまで話したものかと視線で忍に問い掛けるが、彼女は首を横に振って答えた。
一族の話は喋っていないということである。
「忍の叔母さん…と言っても俺の一つ下で今年で二十二だったはずですが、その人と高
校の時から知り合いなんです」
「高校は風芽丘なんですか?」
「ええ、生まれも育ちも海鳴市。ちなみに現住所もここです」
「で、名前を伺いたいのですが…」
真一郎を含めても三人しかいない男性の一人が、そう言った。
隙のない、明らかに何か武道を―それもかなり実戦向けの物を習得している。
おそらく、向こうも真一郎が空手だけをしているのではないと、気付いているだろう。
眺めている目に油断がない。
「すいません。えと、相川真一郎っていいます」
すると、知り合い以外の全員がぽかんとした表情になる。
慣れた反応だったが、ここまで顕著なのも久しぶりだ。
「あの…男の方やったんですか?」
「ええ、一応男です」
「まあ立ち話もなんですからどうぞ。お酒は飲めますか?」
「嗜み程度にですけど…忍には負けます」
栗色の髪をしたこの中では年長者の女性が、隣の席を勧める。
ちょうど晶の隣で、忍や那美と向かいになる場所だった。
紙コップを受け取ると、さっき渡したカノッサ・ルビーが注がれた。
「真…人聞きの悪いこと言わないでくれる?」
「事実でしょう?俺が酔いつぶれてるのに君ら三人は平気で飲みつづけるし…」
「忍さん、お酒強かったんですか?」
那美がそう問い掛けると、忍はパタパタと手を振って否定した。
「やだ、真がいいかげんなこと言ってるの」
「いいかげんなもんか…でも、世界って狭いね。那美のお姉さんと忍の叔母さん、割と
付き合いがあるみたいだけど」
「私は…知らなかったな…」
「少し考えてみたんですが…綺堂さくらさん、ですか?」
「うんそう……さくらのことどれくらい知ってる?」
「どれくらいって言われても、ごめんなさい、名前しか伺ってません」
「そう、よかった」
那美は不思議そうに首を傾げるが、忍は笑みを浮かべて誤魔化すと、ワインを呷った。
真一郎もワインに口を付ける。
酒を飲むのも久しぶりだが、さくらのお勧めだったそれは口に馴染んだ。
それからは、真一郎も混じっての花見が始まった。
晶や忍が歌い、今日知り合った恭也と酔った忍に焚きつけられた那美がデュエットした
り、見世物も楽しかったし、料理も真一郎が作る物と並ぶくらい美味しかった。

















そして、いつの間にか真一郎も混ざっていた花見も終わって、一同が帰路につく。
那美と真一郎は徒歩、それ以外は忍の家の車で送りということになった。
「ごめんね忍ちゃん、ご迷惑をかけて」
「私も楽しませていただいたからそのお礼です。あ、ノエル!こっち…」
「…お待たせしました、忍お嬢様。車は下に用意してありますので、皆さんは順番にお
乗りください」
「ノエル、久しぶり。元気だった?」
それまで人形のように表情を崩さなかったノエルが、一瞬ひどく驚いた顔をする。
真一郎は彼女のそんな顔が好きだったりするが、ノエルは滅多にそんな顔をしないし、
口に出して言うと、さくら達が恐いので遠慮はしている。
「真一郎様…お久しぶりです。真一郎様はお変わりないようで」
「七瀬達も元気だよ。今度連れて遊びに行くから、その時はよろしくね」
「はい、お待ちしております」
「ノエル、最初の人たちは乗ったみたいだよ〜」
「では、私はこれで失礼します」
真一郎に深く礼をして、ノエルは足早に来た道を戻っていった。
残されたのは、徒歩組みの真一郎と那美、それから桃子と恭也。
荷物は先に帰った晶と赤星が持っていったので、全員軽装である。
「相川さん…実は凄い方なんじゃないですか?」
「そんなに大層な者じゃありませんよ。それより、翠屋の店長さんと会えて嬉しいです。
 学生の頃からファンなんですよ」
「今度いらしてくださいね」
「はい。煩いのも同伴になると思いますが、勘弁してくださいね」
「僭越なんですが…」
「なに?恭也君」
「相川さんは…どんなお仕事をなさってるんですか?」
「内緒…かな?でも、君が思ってるような仕事じゃないよ。まあ、武道は色々とやって
るけど」
「よかったら今度…」
「うん、手合わせしよう。俺はしばらく休暇でここにいるから、都合のつく時に呼んで
くれればどこにでも行くよ。これ、うちの電話番号」
「どちらに住んでらっしゃるんですか?」
「海の近く…狭いですけど、最近家を建てたので、そこに住んでます」
『……』
真一郎以外の全員が絶句する。
恭也達の中では真一郎の仕事に対する謎が深まったに違いない。
二十代前半で自分の家を持てる仕事など、世間にそうあるはずもないからだが、言って
しまった以上取り返しがつくはずもなく、真一郎はただ笑っていた。














「真ちゃん、家を買ったって本当?」
ノエルの車に乗った恭也達を見送っての、さざなみ寮への帰り道。
半信半疑で問い掛けてくる那美に真一郎は苦笑して答える。
「本当だよ」
「退魔師のお給料って…そんなに良かったっけ?」
「普通の職業よりは随分いいけど、それでも家は変えないかな〜」
「じゃあ、そのお金はどこから…」
「仕事の報酬。神咲のとは別のだけど、それが一番大きかったかな。その分、危険も苦
労も多かったけど」
その割には、真一郎の顔には楽しそうな笑みが浮かんでいる。
那美はそれに首を傾げながらも、それ以上は聞いてこなかった。
「久遠も元気そうだし、安心したよ」
そう言って、自分の肩に乗って寝息を立てている久遠の頭を優しく撫でる。
「真ちゃん。どうして、「この時期」に休暇なんて取ったの?」
「最近働き詰めだったからこの辺で休んでおこうかなって…」
「『約束の日』はまだ少し先だから、安心していいよ」
「…俺の行動ってそんなに分かりやすいかな〜」
頭を掻いて自分の行動を省みてみるが、思い当たる節はない。
実際、真一郎の休暇の目的は『約束の日』に立ち会うことである。
神咲の中でも当事者である那美と各流派の当代しか参加できないことだったので、それ
に立ち会う為にはどうしても無関係でいる必要があった。
ただ、いくら有名であるとは言え、神咲の中では地位の低い真一郎に『約束の日』がいつ
かを知る術がなかったので、休暇が三ヶ月と異様に長い物なってしまったのだが…
「それでも、久遠を救いたいからね俺も」
「真ちゃんと皆がいれば…久遠もだいじょうぶかな?」
「大丈夫だよ。那美が頑張れば、それはきっと伝わるよ」
「うん…ありがとう、真ちゃん」
『約束の日』に集まる当代達の役目。
それは儀式の進行の補佐と、失敗した時の久遠の始末。
個人的には反感を覚えるが、退魔師として生きている以上和音の決定は正しいと言える。
実際、薫や葉弓、楓は真一郎以上につらいのだろう。
「大丈夫…」
真一郎はもう一度久遠の頭を撫でた。
破滅の可能性を内に秘めた獣は、まだその運命を知らない。