でぃあ・び〜すと  第二話















「ご主人様、お出かけするですか?」
「違う、真一郎様でしょ。この前話した高町さん家にお呼ばれしたのでちょっと行って
きます」
真一郎はざからの方を振り向かずに、小さな鞄に少しばかりの荷物を詰め込んでいく。
最後に「骸手」を入れて口を閉めると、彼はそれを背負って立ち上がった。
格好もベージュのスラックスにTシャツ、その上にジージャンと彼にしてはラフな服装
である。
「高町さんって…真一郎様が強いと思った人ですよね?」
「そんな目をしたって駄目だよ。下手にざからが出て行くとおかしなことになっちゃう
から」
「真一郎様ばっかりずるいです」
ぶ〜っと膨れてみせるざからに苦笑すると、真一郎は彼女の綺麗な白髪に手を置いた。
「大丈夫だよ。あの人達にはそのうち素性を知られることになると思うし…その時には
ちゃんとざからも連れていくから」
「約束ですからね!」
するとざからはとたんに笑顔になって、右手の小指を真一郎に向けた。
彼は苦笑を残したまま指切りをすると、ざからの頭を撫で玄関に向かう。
「帰りは遅くなるかもしれないから、その時は雪さんにご飯作ってもらって…あと」
「七瀬のご飯は私が何とかしますから、お土産よろしくです」
「翠屋のシュークリーム?分かってるよ。じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃいませ〜」
ぱたぱたと手を振るざからに見送られ、真一郎は自宅を後にした。

















「ぬ〜予想通りの立派なお宅」
電話で聞いた通りの場所に着いた真一郎は、のっけからその雰囲気に圧倒されていた。
二階建ての日本風な家と庭を塀で囲み、その中にはまた小さめの建物―おそらく道場だ
ろう―があった。
実際の利権は桃子にあるのだろうが、それはどうにも恭也の家のような気がする。
「あ、相川さん。いらっしゃいませ」
カラカラと門が開き、中から眼鏡をかけた少女が顔を出した。
「お招きに預かりまして…美由希ちゃんだっけ?」
「はい。もうみんな集まってますので、こちらにどうぞ」
そう言うと、美由希は真一郎を連れて門をくぐった。
庭も真一郎が見る限り整頓されていて、彼の家の庭と比べても(と言っても、世話をし
ているのはほとんど雪であるが…)と比べても遜色はない。
「あのさ、誰かおじいさんとか住んでる?」
「いいえ…うちはか〜さんと私達兄妹とレンちゃんだけですけど…」
「あの盆栽は?」
真一郎は植物の中でも一際存在感を放っている棚を指差した。
素人目ではあるが、いい出来であると思う。
だが、それを見た美由希は困ったような笑みを浮かべた。
「あれ、恭ちゃんのなんです…」
「ありがとう。すごく納得できたよ」
二人は庭を横切って、道場の前へ。
広さはそれほどでもないが、鍛錬するのが少人数ならこれで申し分ないだろう。
「では、相川さんどうぞ」
戸を開ける美由希に促されて、真一郎は道場の中に入った。
よく手入れされている内装。
道場の入り口付近にはこの前の花見のメンバーが勢ぞろいしている。
「お待ちしてました」
道場の中央では、恭也が腕組して待っていた。
二本の木刀を腰にさして、今まで軽い運動でもしていたのか、少し汗をかいている。
「なら、早速始めようか」
真一郎はバックを床に降ろすとジージャンを脱ぎ、恭也と向かい合うようにして立った。
持ち前の女顔と細身のせいで目立たないが、真一郎も格闘家らしい引き締まった体つき
をしている。
さすがに腕力では恭也に劣るだろうが、彼にはない、何か優雅さのような物を兼ね備え
ていた。
「準備運動はしなくてもいいんですか?」
「実戦でそんなことしてる暇はないからね」
真一郎はジージャンを忍に向かって放り投げ、身構えた。
足を前後に開いて腰を落とし、突き出した両腕を軽く上下に開いた構え。
観客になっている晶が訝しげな顔をしている。
それは、彼の構えが明心館で教えられる基礎的な物と異なっているからなのだが、表情
から察するに真一郎が何を狙っているかまでは気付いていないようだった。
恭也は彼を見て一瞬だけ微かな笑みを浮かべると、構えた。
腰を落とし、両手を交差差しにした小太刀に添えた中々隙のない構えである。
(こりゃあ、ざからが喜びそうだ…)
「美由希、合図を…」
「うん。じゃあ…始め!」
その合図で、道場内の空気が一変した。
肌を刺すような緊張感―そんな中で真一郎と恭也は対峙する。
お互い微動だにせず、相手を凝視して出方を伺う。



数秒…十数秒…真一郎も恭也も全く動かない。
審判役の美由希も、観客に徹している一同も呼吸をすることすら忘れて、その勝負を見
守っている。



そして、一分が過ぎ、数分の時が流れ…







「真…高町君とお見合いしにきたの?」
そんな睨み合いが十分も続いた頃、膠着状態に飽きた忍の一言によって緊張は解かれた。
真一郎は恭也から飛び退いて距離を取ると、道場の床にどっかと腰を下ろす。
「見合いとはなんだ…これでもかなり疲れるんだぞ?」
汗も、普通に鍛錬している時と同じくらいかいている。
膠着…というのは普段の鍛錬ではまずないので、動作はほとんどなくても本当に疲れた
のだ、精神的に。
「晶、レン。俺達が何をやっていたか、解るか?」
海中の二人組は、苦笑いを浮かべて首を横に振った。
「美由希は?」
「う〜んと…相川さんがカウンター狙ってたのは解った」
「まあ、それで十分だ。今相川さんの行った物は―」
「『無刀取り』の技術のアレンジ…徒手による武器に対するカウンターさ」
恭也の説明を引継ぎ、よっと気合を入れると真一郎は起き上がり、ギャラリーの元へ解
説をしながら歩く。
「恭也君の体の動きから次の動きを予測して、その太刀筋に対してのカウンターを張る
んだ。ただ、読み違えると終わりだからそれなりに勇気がいるけどね」
勇気と言うが、恭也レベルの相手が真剣を持っている時にこれをやる勇気は真一郎には
なかった。
あくまで、彼の小太刀が木製であったからできたことなのだが、その辺は格好悪いので
黙っておく。
「相川さんは…それを館長から教わったんですか?」
説明を聞いてときめいたのか、晶が目を輝かせながら聞いてくる。
「…空手の技じゃないんだよ。俺が高校生の時、那美のお姉さんに稽古つけてもらって
た時に自分で研究したんだ。お姉さんは剣を使ってたから、どうにかして見返してや
ろうって…」
もっとも、技自体まだ未完成であるし、このレベルに達したのは本当に退魔師として働
き始めた一年ほど前のことではあるが…
「もう少し動きがあると思ってたからつまらないな〜」
小型のポーチ(実は特製の隠しカメラ)を弄びながら、忍が口を尖らせる。
元々、彼女は妙なアタッチメントに命を賭ける、殴り合いなどに興味のない性格なので、
ここにいる目的は情報収集だろう。
真一郎の動きをノエルの戦闘データの参考にしようと思ったのだろうが、人間外の力を
発揮する彼女に『無刀取り』とはいかにもナンセンスである。
「では、今度は普通に動こう。恭也君だとまた千日手だから…誰か他の人は…」
「お手合わせ願えますか?」
願うも何も、その声の主の勇吾はすでに上着を脱いで、自前の木刀を担いでいた。
花見の時に聞いた彼の剣道部部長という肩書きが頭を掠め、真一郎は思わず笑みを浮か
べた。
「いいよ。今の剣道部の実力、見せてもらいましょう」
そうして、二人は道場の中央で対峙した。
木刀を正眼に構える勇吾に対して、真一郎は右半身、明心館では割とスタンダードな構
えを取る。
「準備は?」
「ああ、俺はいいぞ」
「俺もいつでもOK」
「…では、始め!」
恭也の声を合図に、二人は僅かに身を引いて、フットワークを使いながら互いの動きを
観察する。
(さすがに…部長の肩書きは伊達ではないな…)
実戦的な見かたをすれば、勇吾は恭也よりかなり劣るが、構えたその姿はなかなかどう
して、隙がない。
「今度は相川さんも動いてはりますね」
見たままの感想を漏らすレンに勇吾の視線が一瞬だけ向いた。
その一瞬―真一郎は一気に踏み込んだ。
気付いた勇吾は慌てて真一郎の右肩を狙って木刀を振り下ろした。
ぶわぁん!!
当たれば間違いなく肩がいってしまう一撃を、一歩剣の軌道の外に動いて避ける。
「残念賞…」
真一郎は嬉しそうにそう呟くと、通り過ぎたばかりの木刀を無造作に掴んだ。
当然勇吾は力を込めてその手を払おうとするが、そうした時にはすでに彼の手は木刀か
ら離れていた。
バランスを崩す勇吾。真一郎はすっと近づくと無駄の多いモーションで張り手を打った。
ぺしっとやる気のない音が静まり返った道場内に響く。
「仕合終了…余所見は一瞬でも命取りになるから気をつけてね」
「…精進します」
「相川さん!次は俺がやってもいいですか?」
「よめときお猿。あんたやと一瞬でやられてまうのがオチやで」
心の底からおちょくった声に晶の眉がつり上がる。
そして彼女はゆっくりと振り向くと…
「んだと…このカメ!」
…乱闘が始まった。











「すいません相川さん。あの二人いつもあんな感じなんですよ」
「喧嘩するほど仲がいいとも言うし、元気な分にはいいんじゃないかな?」
美由希に入れてもらったお茶を飲みながら、真一郎は「いつも」の喧嘩を始めた少女二
人を眺めていた。
棒術で攻めるレンと、あくまで空手の技術で攻める晶の構図だが、レンの上手い立ち回
りに晶が振り回されているというのが現状である。
明心館の先輩としては悲しい現状だが、その相手がレンならばしょうがないだろう。
「しかし…レンちゃんの方は筋がいいね。真剣に学べば恭也君だって危ないよ」
「レンは武道にはそれほど興味がないようなので…」
真一郎の隣で妙に様になった格好でお茶を飲む恭也が相槌を打った。
なのはや忍は那美の連れてきた久遠と一緒に遊んでいて、勇吾は真一郎達と共に二人の
戦いをぼんやりと眺めている。
高町の兄妹二人は喧嘩を止める気は毛頭ないらしく、傍観を決め込んでいた。
「ときに相川さん。今日は夜までお暇ですか?」
「暇と言えば…そうだね。でも、どうして?」
「相川さんが家に来るとか〜さんに話したら、夕飯を作るから引き止めておくようにと
 言われまして…」
「翠屋店長直々のお誘いとあっちゃ断るわけにはいかないな…あ、それじゃ悪いんだけ
ど、桃子さんにお土産用のシュークリーム頼んでくれないかな?」
「承りましょう」
「よ〜し。じゃあ、もう少し運動しようかな」
真一郎は立ち上がって気合を入れると、いまだに乱闘を続ける二人に歩み寄っていった。












「いや〜食った食った…」
料理慣れしている真一郎から見ても、桃子の作った夕飯は文句なく美味しかった。
仕事をしながら仕込みをしていたそうで、パスタの出来など絶品と言ってよかった。
特製のシュークリームも忘れずに持ってきてくれたので、これでざからの機嫌を損ねる
こともないだろう。
少女達は揃って居間でゲームをしている。
真一郎もさっきまで混じっていたのだが、今こうして一人だけ外にいるのは何もなのは
に自信のあった格闘ゲームで完敗したからではない。
「さて…」
シュークリームを片手に真一郎は歩き出した。
小脇には「骸手」を抱え、足取りもどこか軽い。
向かうは昼間の道場。庭を横切ってその戸の前に立つ。
耳を澄ますと、夜の空気の中に虫の声。
空に月は出ていない。戦いの日としては申し分ないだろう。
真一郎は戸を開けた。
照明のない道場の中、正座してこちらに背を向けている男が一人。
「お招きに預かり、どうも」
真一郎は戸の脇にシュークリームを置くと、「骸手」をつけながら道場に上がる。
「こちらこそ。来ていただいて感謝してます」
男―恭也は立ち上がり道場の中央へ移動した。真一郎もそれに習う。
昼間と同じように対峙する二人。
だが、恭也は木刀ではなく真剣。真一郎も自分の得物を持参している。
「昼間のあれでは納得いかなかったのかな?」
「手加減していると分かったので、本気の貴方と手合わせしたいと思いました」
「鋭いねぇ…やっぱり隠し事はできないや」
真一郎は無邪気に子供のように笑うと、一切の表情を消した。
両手を垂らし、足は肩幅に開いて自然体で構える。
恭也は昼間のように構えると―
ぎんっ!!
死角から繰り出された小太刀を右の篭手で受ける。
当の恭也は無表情。そこからは一片の感情も伺えなかった。
そんなふてぶてしいとも言える彼の態度が、真一郎の好奇心を刺激する。
「なかなか素敵なことしてくれるね…恭也君?」
真一郎的にはなるべくフレンドリーに話しかけたつもりだったのだが、恭也はそれには
答えず、無言で小太刀に力を込めてくる。
彼は右手で小太刀を払うと、そのまま体を捻って回し蹴りを放った。
恭也は僅かに身を引いてこれを避け、続く動作で真一郎の喉元を狙った突きを繰り出す。
真一郎は大きく余裕を持って飛び退る…が、嫌な気配を感じてとっさに右手を引いた。
すると、一瞬前まで右手のあった空間を極細の何かが通り過ぎていく。
「鋼糸か…」
学生時代、面白半分でこれを使ってくれた同級生の忍者に、地面を引きずりまわされた
苦い記憶が脳裏に蘇った。
その甲斐あってか、鋼糸の対応も一応は心得ていた。
それ自身も目を凝らし注意すれば暗がりでも見えないこともない。
「次は俺から…行くよ」
さっさと決めるべし、との判断をくだした真一郎は自分で離した間合いを一気に詰めた。
恭也は両の小太刀を繰ってタイミングをずらした斬撃を首筋と脇腹の急所を狙って仕掛
けてきた。
その攻撃を真一郎は冷静に両手の篭手でガードし、恭也の腕を滑るようにして彼に迫り、
肩を体に押し付けると当身を食らわせた。
さらに短くうめいて退く恭也に―
『吼破・連』
すぱんっ!!
道場に乾いた音が響き、二人は弾かれるように離れた。
「食えないね…君は」
本来はさっきの動作で出の短くした吼破を三回叩き込むはずだったのだが、入ったのは
一回のみ。
二回目は掠っただけで、三回目は完全に避けられた。
おまけにお釣りとばかりに、肩を切りつけられている。
傷はあまり深くはないが、血が思いのほか出ていて痛い。
恭也は真一郎の血のついた小太刀を鞘に収め、構えを取り直した。
真一郎もそれに倣い、またしばらくの膠着が続く。
ふと、恭也の目の色が変わった。
それに何かを確信したわけではない。
だが、その時には真一郎は思い切り後ろに跳んでいた。
恭也の姿が視界から消え、真一郎がいた場所を薙ぎ払ったのはその一瞬だけ後だった。
(瞬間移動!…いや、速く動いただけか…)
おそらく今のが御神の必殺だったのだろう。
それを避けられたことで、恭也の顔にも少しの驚きが浮かんでいたが、真一郎のさっき
の行動は奇跡に近いものである。
彼は観念するようにそっと目を閉じた。
次の一瞬、また同じ技で今度は明らかな形で決着がつくだろう。
常人ならば、視覚で捉えられないようなあのスピードに反応するのは、絶対に不可能で
ある。
だが―真一郎はゆっくりと目を開くと、自分と同じ速度で動く恭也との間合いを一気に
詰めた。
遅く流れるような時間の中、今度こそ本当に驚愕している恭也の小太刀をどけると、真
一郎は彼の脇腹に拳を押し付けた。
『吼破・改』
ずだんっ!!
時間の流れが元に戻り、まともに吼破を食らった恭也は道場の壁に背中からぶつかった。
「…反則だぞ。そんなに早く動くのは」
「人のこと言えるんですか?」
真一郎は背を摩っている恭也に歩み寄ると、手を貸して立ち上がらせた。
あんな状況でも受身が取れていたのか、ダメージはそれほどないようだった。
「今のは御神流の技?」
「ええ、奥義の歩法『神速』です。それより―」
「話せないよ」
答える真一郎にはにべもない。
そんな対応に恭也は憮然としているが、話せない物は話しようがない。
いつか話すときが来てほしいものだが、それが何年先になるかは真一郎にも、また彼の
『師』にも全く見当はつかないのだ。
「まあ、俺には秘密も多いってことで納得してくれないかな。恭也君だって全力ではな
かったでしょ?」
「そうですね…」
恭也は苦笑を浮かべると小太刀を鞘に収めた。
「肩の傷、手当てをしましょう」
「そうだね…割と血も出てるし」
「恭ちゃん、凄い音したけど…ってどうしたんですか!?」
「うわ〜真ってば血まみれ…」
音に気付いたらしく、やってきた美由希と忍が道場に上がる。
「俺と相川さんでちょっと仕合ってな。まあ、力及ばず俺は負けたが…」
「ま、負けたの?」
真一郎がそんな会話をする高町兄妹をほえ〜っと眺めていると、何かもの欲しそうな視
線を投げかけてくる忍に気付いた。
明らかに真一郎の肩から流れる血に目が行っている。
(だ〜め!)
と、口を動かすと、忍はふてながらも了解はしてくれたようだった。
「とにかく相川さん。手当てしますから家に戻ってください」
話し合いも終わったらしく、美由希は体に似合わない力で真一郎を引きずっていく。
「あ、そうだ。恭也君、さっきのは内緒だからね」
「分かりました」
真一郎は鷹揚に頷く恭也を確認すると、シュークリームの箱を回収して、大人しく美由
希に引きずられていった。









「ねえ、高町君。美由希ちゃんって手当てできるの?」
「一応教えたからできる…だろうが、俺は絶対に頼まないだろうな」
「真…危なくない?」
「まあ、俺も痛い思いをしたからな。これくらいしても罰は当たらないだろう」
明日には痣にでもなっていそうな脇腹を摩りながら、恭也は意地の悪い笑みを浮かべた。





数分後、平和な高町家に絶叫が響くことになるが、それを気にとめた物は少なかったと
言う…