でぃあ・び〜すと  第三話













唐突にして突然ではあるが、彼―相川真一郎は囲まれていた。
囲んでいるのは皆中学生、もしくは高校生くらいの男子が十人近く。
そのいずれもが武道を嗜んでいることが、真一郎には見て取れた。
容姿は柄の悪そうなのからごついの、中には真一郎ほどではないがさわやかな少年も混
じっている。
彼がこういった状況に直面するのは何も、今回が初めてではない。
一般人なら立ちすくんで動けなくなるような状況でも、真一郎は今までそのすべてを乗
り切ってきた。
そして、少年達にとって不幸だったのは、真一郎は「一般人」でもなければ、そんじょ
そこらの格闘家などよりはよほど「強い」人間だったということである。











「とまあ、そういう訳で返り討ちにしたんだけど…」
「あ、相川さん…誰に話してるんですか?」
見ると、真一郎を囲んで倒れている少年達の一人が、背中を摩りながら起き上がるとこ
ろだった。
「おや、もう回復したの?割と強めに投げたつもりだったんだけどな〜」
「ここは空手の道場なんですが…」
残りの少年達ものろのろと起き上がり始めている。
無論本気は出していないが、それでも真一郎は手を抜いたつもりはない。
それでも彼らがこんな短期間で起き上がってこれるのは、偏に彼らの師である十蔵の指
導の賜物だろう。
「さすが明心館本部、これだけできる門下生がいれば将来も安心だ」
「それは…俺ら全員一分かからずに薙ぎ倒した人に言われても嬉しくないです」
まあ、何と言うか…学生時代からの縁で真一郎はたまに明心館に顔を出している。
お使いで全国各支部を回ったのも記憶に新しいが、門下生の質から言えばやはりここが
一番だった。
「吼破」の伝授…ようするに十蔵に気に入られた人間も何人かいるようで、戦った感じ
から言っても、競技レベルなら文句なしに日本最高クラスだろう。
その彼らでも真一郎に勝てなかったのは…彼が既に普通でないレベルに達しているから
である。
「にしても…君らはいったい何しに突っ込んできたんだ?事と次第によっては―」
「城島キーック!!!」
それだけで、彼らが何をしたかったのか十分過ぎるほど理解できる叫び声と共に、一つ
の気配が後ろから迫ってくる。
真一郎はことさら落ち着いて判断し、一歩身を引くと、その場に腕を突き出した。
がんっ!!
案の定すっとんできた晶はそれに激突して失速し、まだ倒れていた男子の上に落下した。
「ぐ…」
「あ〜いってえ…肘に当たった…」
「おい城島さっさと降りろ。重くてかなわん」
「んだと、てめえ、レディに向かってなんて言い草だ」
「レディが飛び蹴りなんてするか?て言うか当ててくれよ。俺達いったい何のためにや
られたんだ?」
「それは俺のせいじゃないだろう。だいたいお前ら早くやられすぎだ」






にぎやかな話し合いが始まった。
晶対他全員だが、男の只中にあって彼女は少しも物怖じしていない。
色々な意味で強い女の子である。
(俺の周りには…こういう娘って多いかな?)
今まで出会った何らかの「強さ」を持った女性の顔が彼の脳裏に浮かんでは消える。
晶も、いずれこの中に入るのだろうか…
そんなことを考えながら、元は缶ジュースから始まった言い争いを、床に座ってぼんや
りと眺めていた。




















「もう少しで焼きあがりますから」
「悪いね。日曜日に押しかけて」
「いえ、大丈夫ですよ。ついで、というのもありますし」
あの後、さすがに哀れになってきたのであの場の全員にジュースをご馳走した真一郎は、
晶と共に高町家にやってきていた。
あの試合自体、長すぎる休暇を持て余し、明心館に出稽古に来ていた真一郎に門下生の
一人が吹っかけてきたものだったのだが、結果は、さっきの通り。
それで、その賞品という訳でもないが、試合の前に冗談で言ったことが本当になったた
めに真一郎がここにいるのである。
「でも、料理を作れるってのはいいことだと思うよ」
「別に慣れですから」
「いやいや、すごいもんさ。それだけで立派なステータス」
「そんなもんですか?」
「うん。晶ちゃんぐらいかわいければ、いつだってお嫁にいけるよ」
「お!…あ〜そろそろできるころなんで行きますね」
こういう会話には慣れていないのか、晶は顔を真っ赤にして台所に消えていった。
「初心だね〜」
そうしみじみと呟いて、出してもらった紅茶を飲むと、真一郎はソファに深く座りなお
した。







「ただいま〜…あら、相川さん、いらしてたんですか?」
「桃子さん…あれ?この時間はまだお店じゃないんですか?」
「そうなんですけど…今日はレンちゃんの家庭訪問があるので、急遽帰ってきたんです」
それでもぎりぎりなのか、桃子もどこか忙しそうだ。
「桃子ちゃ〜ん、先生もう来てまうで」
「は〜い、ああ、晶ちゃん」
「できてますよ。はい、どうぞ」
盆に乗ったカップケーキとお茶セットを持った晶が台所から帰ってくる。
桃子は手早くそれを受け取ると、着替えるのか、家の奥のほうに消えていった。
「家庭訪問ね…今でもそんなことやるんだね」
「レンは…少し体が悪いんですよ」
その真一郎の呟きに答えたのは晶ではなかった。
「恭也くん、美由希ちゃん、こんにちは」
「こんにちは、相川さん」
二人は軽く頭を下げると、真一郎の近くのソファに座った。
晶も、自分達の分のケーキを用意して座る。
「その、体が悪いって?」
「心臓を患ってるんです。軽い運動程度なら問題ないのですが、たまに体調を崩す時が
 あるので…」
「あの亀の先生、すごくいい先生なんですよ。俺達の学年でも人気あります」
「ふ〜ん…で、ちなみにどんな先生?」
紅茶を飲み、ケーキを口に運びながら問う真一郎。
先生、と言えば幼馴染のしっぽ頭も生意気に教師をやっていたはずだ。
確か―いや、間違いなく今は海中に勤めているはずである。
「えと、体育の先生で…とても付き合い先生です」
「ほうほう」
「あ…後、強いんですよ。なんでも学生時代に護身道をやってたらしくて、その先生も
うちの風高出身らしいんですけど、たまに護身道部に指導に来てくれるんです」
美由希の言葉に、ぴたと真一郎の動きが止まった。
しっぽ頭は、体育の先生だし、風芽丘出身で護身道部だったのは疑いようがない。
だが、真一郎は頭に浮かんだ可能性を否定した。
もと風芽丘の護身道部で、海中で体育の先生をしている人がもしかしたら他にいるのか
もしれない。
そうであってほしい。そうでないと…面白すぎる。










その時、呼び鈴がなった。
真一郎達の会話もそこで途切れ、次に続く音に耳をすませる。
「…こんにちは〜」
間を空けず、真一郎は机に突っ伏した。
聞き覚えのありすぎて、絶対に間違いようの甘ったるい声。
自然と、笑みが…見ようによってはいじめっ子のような笑みが浮かんでくる。
「ふふふ…」
「あの…相川さん?」
突っ伏して、突然低く笑い出した真一郎を晶と美由希が不思議そうに眺める。
そんなこととは関係なく、彼の心には久しぶりの感情が浮かんでいた。













「ええと、ですね。これはもう校長先生とかには話を通してあるんですけど、レンちゃ
 んは三年間ずっと私が担任することになりました」
「ほんまですか!」
鷹城先生と言えば、入学したてのレン達の間でもすでに人気者になっている人である。
すぼら…いや、大らかな性格で悩みの相談にも乗るし、生徒の監督も他のクラスに比べ
れば、随分とゆるい。
そんな先生が、海中卒業まで担任。レンは少しだけ、自分が体が弱いことに感謝した。
「うん、本当だよ。私、一応保険の資格も持ってますから、他の先生よりも対応できる
 と思いましたので、差し出がましいようですが…」
「差し出がましいなんでそんな…ありがとうございます」
和室に用意したテーブルをはさんで向かい合って、桃子は深く頭を下げた。
「当然のことですよ。せっかく若いんだから、楽しく過ごしたいもんね?」
そう言って、レンに微笑みかける鷹城先生。
桃子はそれを視界の端に収めて顔を上げると…目を疑った。
鷹城先生の背後に真一郎が足音を完全に殺して、忍びよっている。
真一郎には、桃子もある種のイメージを抱いていた。
恭也とは違う系統の美形。女性のような容姿から、大人っぽい印象を受けていたのだが、
今の彼は、満面に子供のような表情を浮かべている。
例えるなら…そう、いじめっ子。
「それでね、もし授業中とかに―」
「取った!!」
常識的に考えればありえないことだが、目が確かなら桃子にもレンにも、真一郎が鷹城
先生にチョークスリーパーをかけているように見えた。
「く…苦し…」
それでも、鷹城先生は懸命に首を捻ってその相手を見返す。
「よう」
その先には、当然真一郎がいる。
いきなり首を絞められれば誰だって驚くし、怒りもする。
が、鷹城先生―唯子は、桃子達が考えているのとは別な意味で驚いた。
「し…真一郎!どうしてここに…」
「晶ちゃんにお呼ばれしてね。そしたら、生意気にも唯子の声が聞こえたから、様子を
 見にきたんだよ」
少し唯子の顔も青ざめてきたので、真一郎は首から腕を離した。
唯子はその場で僅かに咳き込んで、言い返す。
「だからっていきなり首絞めることないじゃないさ!もう少し優しくしてくれたってい
 いじゃない!」
「まあ、久しぶりに唯子に会ったから加減がわからなかったんだ。許してくれ」
「…まあ、真一郎がそういう人なのは知ってるけど」
これも慣れなのか、唯子はしょうがないなぁといった感じでため息をついた。
ため息をついて…ここがどこだったのかを思い出して、慌てて桃子に向き直る。
「すいません!お見苦しいところを…」
「いえ…あの、それより…相川さんとはお知りあいですか?」
まだ衝撃から立ち直れていないのか、桃子の声もどこかスローである。
「お知りあいって言うか…俺にとっては一番古い幼馴染ですね」
このままここに居座ることに決めた真一郎はどっかと、唯子の隣に腰を降ろした。
ついでに、障子の影に隠れて成り行きを見守っていた恭也達も手招きしする。
「小学生の高学年頃だったと思いますけど…その頃から、俺とこいつと、もう一人小さ
 いのと一緒につるむようになったんですよ」
「それで高校までは一緒だったよね〜」
唯子ももうやけになったのか、社会人モードではなく地で会話している。
「相川さん、鷹城先生ってどんなお人やったんですか?」
こちらも、もう家庭訪問よりも別のことに興味が移ったようである。
唯子は桃子と顔を見合わせて、互いに微笑んで肩を竦めた。
「ん〜今と全然変わってないよ。昔からこいつはマイペースな奴だったし…むやみに元
 気なくせして、恐がりだし」
「真一郎、あんまり余計なことは話してほしくないんだけど…」
「そんなことはないぞ。むしろ生徒さんと交流するいいチャンスだと思うけど…」
「あう…なんか、唯子のイメージがどんどん崩れていきそうな気がする」
「鷹城先生、何かキャラクターが変わってませんか?」
「学校ではどうか知らないけど、いつもの唯子はこんなだよ。昔から変化なし」
「む…真一郎だって変わってないじゃない。今だって男の人にナンパされるでしょ?」
『今も…』
レンと晶と、美由希の目が真一郎に向く。
それに居心地が悪くなって、彼は気まずげに視線を逸らした。
「そうなんだよ。真一郎、昔から女の子してたからね…」
「高校時代の相川さんって、どんな人だったんですか?」
「んとね…」
唯子は話を切ると、バックをあさって中から財布を取り出した。
それを開けて、中から一枚の写真を取り出す。
「こんな人」
『は〜…』
少女達、いや、桃子と恭也も含めた全員がその写真を覗く。
「あれ、いつも持ち歩いてるの?」
「うん。今までで一番の出来事だからね」
「これが、相川さんですよね」
その写真をテーブルの真中に置いて、レンが写真の中央を指差す。
そこで、困ったように笑っているのは間違いなく、その当時の真一郎だった。
間違いない、だからこそ…
「じゃあ、俺はこれで失礼します。おやつご馳走様でした」
とっさに帰ろうとする真一郎の足を唯子が掴んだ。
その顔には首を絞められた仕返しをしようという魂胆がありありと感じられる。
このまま、唯子を踏みつけて逃げることもできるが、二人だけの時ならいざ知らず、人様
の家でそこまでできるほど(首は絞められても)、真一郎は世間知らずではない。
諦めて、彼は唯子の隣に座って、誰にも気付かれないようにため息をついた。
「そだよ。ちなみにこれが唯子ね」
「それで…このごっついきれいな方達はどなたです?」
その声に、女性陣がまるで示し合わせたかのように頷いた。
最後の望みをかけて恭也を見るが、女性陣と喧嘩したくないのか、彼は気付かない振り
をしてくれた。
この写真は…あの事件の翌日、事件を無事に乗り切ったことを祝して撮られた物だ。
中央には真一郎、その前ではこの事件の「原因」、ざからが屈託のない笑顔を浮かべて、
彼の手を強引に自分の方に乗せている。
その真一郎の右側では、セーラー服を来た七瀬が彼に腕を絡め、反対側には雪が、こち
らは七瀬とは対照的に、控えめに移っていた。
後は、七瀬に押される形で瞳。雪の隣にさくら。それ以外の面々は皆、思い思いの位置
にいる。
いや、もう一組…真一郎達からは少し離れて、熾烈な争いをしている少女が二人。
でかいから邪魔だと、真雪に座るように命じられた耕介をはさんで知佳とこの時は、ま
さか結婚するとは想像もしなかったリスティが、目に見えかねないオーラを放っていた。
その間で耕介は、どうしていいのか解らず苦笑している。







写真には、二十人を超える人間が写っていた。
だが、これの特筆すべき点は、それだけの大人数にあって、男性が真一郎と耕介しかい
ないことである。



レン達は逃がしてくれそうもない。
真一郎は観念して、腹を括った。



「まずこの人。この人は千堂瞳さんって言って、俺の先輩でこいつの前の護身道部の部
 長さん。秒殺の女王とか呼ばれて、県下では無敵を誇ってた人だ」
「は〜この人がその人なんですか…もっとごつい人を想像しとりましたが」
真一郎は疑問の表情を唯子に向けた。
「あのね。私のエピソードを話す時に必ず瞳さんが出てくるの」
「体験談とか聞けてすごく面白いです」
「まあ、それで今この人は海鳴大の…何年だっけ?」
「えと、六年生じゃなかったかな」
「お勉強できない方なんですか?」
「違うよ、その逆。この頃に大学に入り直して今は医学生。卒業したら、ここに残りた
 いとか言ってたから、もしかしたら、病院で会えるかもね」
笑顔で締めくくって、写真の上の指を移動させる。
「で、この人が綺堂さくらって言って、俺の後輩。覚えてるかもしれないけど…」
「あ、私思えてる。確か、忍さんの叔母さんだったかも」
「その通り。今は大学院生で、海鳴とは少し離れたとこに住んでるんだよ」
さて…と小さく呟いて、これで話は終わりとばかりに真一郎は押し黙った。
一同の興味の視線が真一郎に集まり、それから写真に移動する。
どうにも、逃げられそうにない。
「………この人達は」
そう言って、写真の中で真一郎を囲んでいる三人の少女を順に指差す。
「この人達は、俺の、まあなんだ仕事仲間かな?」
ひどく曖昧な答えであるとは自覚しながらも、真一郎は続けた。
「こっちの、この人が那美のお姉さんなんだけど、この人に仕事を紹介してもらって、
 この頃から俺達修行…て言うと大げさだけど、してたの」
「相川さんは…高卒で就職したんですか?」
と、この質問は恭也。他の少女達よりも幾分真剣に問い掛けてくる。
「そ。勉強とか他にすることもなかったし…ちょうどいいかな、って思ってね」
修行は熾烈を極めたし、つらいと思ったこともあったが、真一郎は一度も辞めようと考
えたことはない。
それは、この少女達のおかげなのかもしれない。
全員形こそ違えど、この数年間真一郎を影に日向に支えてくれた。
感謝してもしきれない。まさに、一生涯の仲間である。
「そうやったんですか…」
レン達もこれで満足してくれたようで、真一郎は胸を撫で下ろした。
「仲いいよね。今なんて、一緒に住んでるし」
驚きで、唯子と真一郎以外の人間の動きが止まる。
そんな彼らを真一郎はゆっくりと見回す。そして、大きく息を吸い込んで―
「このバカ唯子!」
日曜日の高町家にそんな声が響き渡った。











「う〜まだほっぺがひりひりする…」
少しだけ切れた真一郎のうにゅ〜の刑によって引っ張られた頬をさすりながら、隣で歩
く唯子が、控えめに抗議の声を上げる。
先を歩いていた真一郎は黙って、それでも怒ってるんだぞ、ということを解るように振
り向いた。
「ごめんね…」
「まあ、言っちゃったことはしかたないよ」
いずれ話すことになるだろうし、とは唯子には言わない。
さっきも、深くに関わることは話さなかったから、しばらくは問題ないだろう。
(早く話しておかないとね…)
自分の職業を話せないことは、彼の生活様式を語る上で非常な誤解を招きやすい。
男一人に、血の繋がっていない女性三人という生活は世間の基準からすればずれている
のは、真一郎にだって解る。
まあ、大半の男性は羨ましいと思うだろうし、抱かれる誤解もおおむね間違いではない
ので、問題がないと言えばないのだが、やはり少しは不自由である。
「それにしても、唯子が先生になるなんてね。夢にも思わなかったよ」
「唯子だって…真一郎が退魔師さんになるなんて、想像できなかったよ」
「まあ、俺の場合は突発的な事故が原因だったし…想像できてたら、逆に凄いと思う」
「それで女の子三人も抱えて住んじゃうような極悪人になっちゃったもんね」
「それ以上言うと…今度はぐりぐりの刑」
「あ〜ごめん、分かったから、もういじめないで」
しばらく、黙って二人は歩いた。
地面に伸びる影は、今はもう同じ大きさ。じゃれあっていても、彼らは子供ではない。
「唯子と並んで歩くのも久しぶりかな」
「そだね。昔は、よく歩いてたのにね…」
「小鳥も一緒にさ、三人で。今思うと、面白い光景だったのかもしれないけど」
「……ねえ、真一郎」
「なに?」
社会人に、大人になった唯子が真一郎を見上げる。
変わった…とは、思わない。そりゃあ、顔立ちは大人っぽくなったし、魅力的になった
と幼馴染の真一郎から見ても思うが、それでも根本的な所は何一つ変わっていない。
こういう、いらない所で気を使うのも、唯子の悪い癖だ。
「あのさ、今日、真一郎の家に行ってもいい?」
真一郎はわざと大げさにため息をついた。
「……鷹城唯子。お前はいったい何年俺の幼馴染をやってるんだ?」
「んと…十年くらいかな?」
「そんなにやってるんだったら、俺の性格くらい解ってるでしょ?そんなこと聞くだけ
無駄なの。唯子だったら、七瀬達だって絶対文句言わないし」
「ありがとう、かな。何かすごく嬉しい」
唯子はそっと、真一郎に近寄った。
昔は、冗談で手を繋いだりもしたが、さすがに今ではそれもしなくなった。
少しだけ寂しい気もする。
「真一郎?」
「なに?唯子」
「手…繋いでもいい?」
驚いて、真一郎は唯子を見た。
いつもの表情、高校生の時から―いや、会った時から見慣れている表情。
真意も何も、唯子にそこまで考えるということはない。繋ぎたいから繋ぐ、唯子はそう
いう奴だ。今も昔も、そして多分これからも。
照れくさすぎて、真一郎は黙って唯子の手を取った。
唯子も一言も喋らない。今さら言葉を必要とするような間柄という物でもない。
夕日の中、二つの影が歩いていく。
いつかとは一人少ないが、それでも自然に、どこか楽しそうに彼らは歩いていった。