でぃあ・び〜すと 第五話
















人間観察は楽しいと、リスティは言っていた。
その時は内心首を捻っていたが、真一郎は今彼女は正しいと感じていた。
昼も過ぎた駅前…土曜日ということもあってか、人通りも多い駅前のベンチに真一郎は
腰掛けている。
隣には、観察の対象―これまた面白いくらいに緊張した恭也がいた。
その彼女の那美は、彼らから少し離れた所に立ち駅の改札口を眺めていた。
「相川さん…」
「ん?なに?」
「薫さんってどんな方なんですか?」
「那美から聞いてないの?」
「聞くには聞いたんですが…那美さんの話だと誉めるだけで終わってしまうので」
「俺だって、そんな秘密とか知ってるわけじゃないけどね」
う〜ん…と唸って一応考えている振りなどしてみたりする。
「綺麗な人だよ。剣の腕も立つし、一灯の当代ってことで責任感もあるし…」
そうして、真一郎が知る限りの薫のエピソードを話していくうちに、恭也の緊張はます
ます濃くなっていった。
「なんだか、聞くほど不安になってきます」
「何も取って食われるわけじゃないさ」
真一郎は手で弄んでいた空き缶を手近なごみ箱に放った。
それはゆるい放物線を描いて縁に当たり地面に落ちた。
しかめっ面をして、真一郎は立ち上がる。
「で、結局どんな人なんですか?」
「そうだね…一言で言うなら優しい人だよ」
今度こそ空き缶をごみ箱に入れて、真一郎はまたベンチに座りなおした。
「優しいんですか?」
「そ。まあ、優しくないと一流の退魔師とは言えないかもね」
「あ〜薫ちゃん、こっちこっち!」
そんな那美の声が聞こえると、恭也は勢いよくベンチから立ち上がった。
姿勢も不自然なまでによく、がちがちに緊張している。本人には悪いが、傍から見ると
どうにも滑稽だ。
「だから、そんなに緊張しなくてもさ」
「もうほっといてください」










「那美。久しぶり、元気にしとったか?」
「うん元気だったよ。久遠も、ね?」
「く〜ん!」
それまで那美の足元で暇そうにしていた久遠は、ててと薫の体を駆け上がって肩に乗る
と、彼女の頬をなめた。
「久遠も元気そうじゃな」
薫も優しい手つきで久遠の毛並みを撫でた。
「薫ちゃん、紹介するね。こちらが―」
「高町恭也です」
「君が恭也君か…那美から聞いとるよ」
那美に久遠を渡すと、薫は恭也を観察して満足そうに頷いた。
「いい目をしているね。那美の相手は大変じゃろうけど、よろしく頼むよ」
「薫ちゃん…私そこまで子供じゃないよ」
「傍で見てるとそんな感じかもよ?」
「真ちゃんまでひどい」
「お久しぶりです薫さん。最近は暇を持て余していて申し訳ない気もしますが」
あくまで普段どおりに話す真一郎。
だが、薫の目的は知っている。
当代としての責任も彼なりに解っているつもりだった。
お互いに止まれない理由がある。
それでも薫は、その顔に穏やかな笑みを浮かべた。
「相川君が働き過ぎとったんだよ。一時期はうちよりも忙しかったじゃないか」
「動かずにはいられないんでしょうね、俺は」
そう言うと、真一郎は薫の荷物を持って勝手に歩き出した。
薫も何気ない世間話をしながら、真一郎についていく。
「薫ちゃん、どこに行くの?」
自然と置いていかれる形になった那美と恭也が追いかけてくる。
何も分かっていない様子の二人を見て、真一郎と薫は顔を見合わせると笑い声を上げた。
「那美…うちらがどこに行くか本当に分からんのか?」
「うんっと…立ち話もなんだから何処かにってことじゃないの?」
「薫さんが海鳴に来たら行くところは一つしかないでしょ?」
そこまで聞いて二人も気が付いたようだった。
那美と薫が目配せする。そして―
『さざなみ寮!』











「おお来たか、神咲姉!」
さざなみ寮に着いた四人を最初に出迎えたのは、威勢のいい真雪の声だった。
彼女はドアから飛び出すと、真一郎達を無視してずかずかと歩みより、薫の肩を掴んだ。
「もう酒が飲めねえなんて言わせないからな。今日はとことん付き合ってもらうぞ」
「仁村さん、お変わりないですね」
真雪の無遠慮とも言える態度にも気分を害することもなく、薫は少女のように笑う。



「真雪さん、やけにハイですね」
「薫が帰ってきて嬉しいんでしょう。さて、今日は忙しくなりそうだよ」
「俺も手伝いましょうか?」
さざなみ寮の全員で騒ぐとなると、いかに耕介とは言え一人では回し切れないだろう。
「五月の雪」事件の時ほど人数は多くないし、二人でなら少しは楽になるはずだ。
「悪いけどお願いするよ」
耕介は笑みを浮かべてドアをくぐろうとして、真一郎を振り向いた。
「ときに相川君。お酒は飲めるほうだったっけ?」
「嫌いじゃないですが…たとえ嫌いだったとしても付き合っちゃいますよ」
「ごめんね」




この時、なぜ耕介が謝ったのか…それに気づかなかった時点で、真一郎は負けていた。









「美少年!飲んでるか!」
「はいはい…飲んでますよ」
珍獣でも眺めるような気分で、真一郎は真雪のグラスに吟醸を注いだ。
ここまで酔っている真雪などそうそうお目にかかれるものではない。
それだけ、彼女は薫が来ることを心待ちにしていたということだが、酔った真雪に絡ま
れる方はたまったものではない。
さらに、当の薫はもう既にダウンしていて、二階の那美の部屋で泥のように眠っている
ので、真雪の矛先は客である真一郎に向いていた。
この席には耕介とリスティがいたが、彼らは絡まれる真一郎を楽しそうに(それも仲良
く)眺めているだけで、助け出してくれそうにはない。
「だいたい美少年はいつになったら身を固めるんだ?」
「今のところそういう予定はまったくありませんね〜」
「女三人も連れ込んで住んでんのに…どういうこった?」
「そういう言い方は語弊がありますね」
七瀬たちとの間にはやましい事は何一つない…と、言い切れない部分もあるにはある。
だが、例えば真一郎が誰か一緒に―それが七瀬達以外であっても―なったとしても、彼
女らは間違いなく共に暮らすことになるだろう。
それほどまでに、真一郎と彼女達の繋がりは強いのだ。
まあ、この時点で一般の女性はすべて没と思ってくれていいだろう。
残っているのは真一郎の今の状態に理解を示してくれる女性しかいないが、それだと今
の生活とたいして変化がない。
ようするに、真一郎には身を固めるのに急ぐ必要がまったくないのだった。
「真雪さんこそ、結婚しないんですか?」
「あたしはいいんだよ。ここを出て行く気もないし、これ以上夫婦が増えんのもうざい
だろ?」
耕介達が同席している手前、素直に頷くわけにもいかず苦笑する真一郎をよそに、真雪
は一気にグラスを空けた。
今まで機嫌よさそうに笑っていた顔が、急に沈む。
「なあ、美少年。あたしは頼りないのか?」
「いきなりですね。でも、俺はそんなことないと思いますよ。どうしてそう思うんです
か?」
「バ神咲がさ…何すんのか知らねえけど、なんか抱え込んでんだよな。あいつは昔から
 一人で何とかしようとする…あたしには美少年とか、耕介みてえな力はねえけど、話
 聞くぐらいだったらできるんだ…」
ゆっくり、それでも一気に捲くし立てて真雪は立ち上がり、バランスを崩した。
倒れかける彼女を事前に察したリスティが支える。
「飲みすぎだ。寂しいのは解るけど、それが薫の優しさなんじゃない?」
「んなことは分かってる」
真雪はなおも反論しようとするが、体に力が入らずリスティに持たれかかった。
リスティは真雪の背中を優しく摩り、耕介に向き直る。
「真雪を二階に持ってくよ」
「俺がやろうか?」
「いいって。相川先輩と話があるんでしょう?僕も少し飲みすぎたみたいだから真雪を
 置いたらベランダで涼んでるよ。話が終わったら来て」
そう言うと、リスティは力を使って真雪を軽々と抱え上げ、居間を出て行った。









「俺も薫が何かをしようとしてるのには気づいてたよ」
リスティの足音が聞こえなくなってから、耕介は口を開いた。
「でも、それが何なのかまでは分からない。相川君は知ってるのかい?」
「…ええ、知ってます」
隠そうかとも考えたが、真一郎は正直に言った。
「約束の日」の正確な情報は神咲の一派の中でも秘匿中の秘匿である。
耕介は霊剣「御架月」の所有者であるし、退魔能力で言えば一派の中でも五指に入るが、
耕介はあくまでただの退魔師だ。
団体としての神咲には、深く関わっていない。
正確なことを知っているのは、一族の中でも本家の人間や各当代。
そのどちらでもない人間で知っているのは、真一郎達だけである。
「ですが、お話はできません」
「聞かないよ。薫にも相川君にも考えがあるのは分かってるつもりだ」
「すいません…」
「ただ、これだけは覚えておいて。俺も真雪さんもリスティも、君達の味方だ。困った
ことがあったらいつでも駆けつけるよ」
「心にとめておきます」
言葉と、心から感謝すると真一郎は立ちあがった。
「帰るのかい?」
「俺も少し飲み過ぎました。寄り道して風に当たりながらぶらぶら帰ることにします」
「そうか…おやすみ、相川君」
「おやすみなさい」




耕介に別れを告げ、真一郎はさざなみ寮を後にした。
夜でも暖かい風が彼の近くを通り過ぎていく。
ゆっくりと坂を下りながら、ふと真一郎は振り返った。
口を開きかけて、やめる。
相容れない。自分と彼女は立場が違うのだ。
それぞれに与えられた役割を、それぞれが演じるしかない。
「首になっちゃうかな…下手すると」
それでも、役割に文句はなかった。
貧乏くじには違いないが、それが真一郎には誇らしかった。
慣れない鼻歌など口ずさみながら、彼は坂を降りていった。













それが間違いだったらどんなにかと思うことは、薫にとって一度や二度ではなかった。
今、膝の上で眠るこの妖狐…那美の親友にして、薫の親友でもある彼女を殺す。
使命だと割り切っているつもりだった…が、今こうして迷っている自分がいる。
その場所にこの神社を選んだのも、何かの思いがあったのかもしれない。
(お前はいい娘だよ…久遠)
すっと彼女の毛並みを撫で、薫は傍に置いておいた太刀に手を伸ばした。
愛刀、霊剣「十六夜」…ではない。
彼女は今、鹿児島の本家にいるはずである。
手を汚すのは自分だけでいい…そう言ったら、十六夜はなんと言うだろうか?
(怒るじゃろうな。お前に怒られるのは何年ぶりだろうな、十六夜)
退魔師という仕事。それを彼女は誇りに思っている。
人に害なす霊障、それをどうにかできるのは能力を持った人間しかいない。
それを滅ぼすのは薫の義務であり使命。そこには、一つの例外もあってはいけなかった。
他の者に任せることもできた。だが、薫はそれらを押し切り今、この場にいる。
それを薫は、久遠にかけることのできる最後の優しさだと思っていた。
抜刀する。
刀身は夕日に照らされ、紅く染まっている。
まるで何か運命めいた物を感じさせるように、それは妙な実感を持っていた、
薫は何も知らずに膝の上で眠る久遠に切っ先を向ける。
後は、この刀を突き出すだけでこの獣の生命は終わる。
しくじってはいけない。苦しみを与えず、一瞬で。
それだけが、都合で命を奪う者の最低限の義務だ。
「すまん…」
薫は手に力を込めて―
「何をされるつもりですか?」
切っ先は久遠に触れる寸前で止まった。
ゆっくりと顔を上げると、そこには彼らがいた…










「フライングはいけませんよ薫さん。「約束の日」は明日じゃないですか」
何気ない様子で歩いてくるが、真一郎には一分の隙もなかった。
薫が少しでも妙な気を起こせば容赦はしない。それがはっきりと伝わってくる。
「どうして、うちがここいおると?」
薫は刀を鞘に納め、久遠を膝から降ろした。
急に動かされた久遠は目をぱちくりとさせて、辺りを見回す。
「久遠を一緒に出かけたと聞いたので、おそらくここでは、と…」
「うちは信用がないんじゃな」
「いいえ。信用しているからこそ、私達は今ここにいます」
真一郎に付き従っている雪が口を開く。
いつかの時の和服に、薫は初めて見る杖を携えている。
彼女がここまで戦うという意思を見せるのも、珍しいことだ。
「久遠がいなくなると、私も寂しいですからね」
五年前、薫や真一郎達を苦しめた魔獣も今は真一郎の隣にいる。
あの戦っていた時からは想像もできないような幼い笑顔で薫を見ていた。
ただ、その手の中にはその幼さには相応しくない古めかしい太刀があった。
魔剣「ざから」…少女と同じ名前を冠した稀代の霊剣である。
「久遠を、祓うんですか?」
「それがうちの、退魔師としての役目じゃと思っとる」
「では、俺も退魔師として発言しますけど、久遠を祓わせたりはしませんよ。霊障から
 人を守るのも退魔師の役目ですけど、それらと共存の道を考えるのも退魔師の役目の
 はずです」
「うちの行動は神咲の決定じゃ。これに逆らう覚悟は…あるんね?」
薫の言葉の険が増した。
それにざからが反応して真一郎と薫の間に立つが、彼はそれを手で制した。
「もちろんです。この要請が受け入れられない場合は俺達全員、神咲の敵に回る覚悟で
 す」
現代においてあまり需要のない退魔師という職業において、神咲を敵に回すということ
は、早い話村八分を意味する。
無論、腕があれば仕事は入るだろうが、二度と日の目は見れないだろう。
「しょうがないな…」
だが、神咲一灯流の当代である薫にとって真一郎達の離反は痛すぎた。
地位としては神咲の中でもそれほど高くはないのだが、彼の発言だけは無視する訳には
いかない理由がある。
苦労して作った夜の一族と退魔師のパイプは、今のところ真一郎一人の力でもっている
と言っても過言ではない。
今、彼が神咲から離れ退魔師でなくなれば、それもすべて水泡に帰す可能性がとてつも
なく高い。
それに真一郎が離れれば、当然七瀬や雪、ざからも離れることになる。
こんな条件を出されたら、飲まないわけにはいかなかった。
「すいません、無理言って」
「もう別によかよ。フライングしたうちの方が悪いんだし…だが、うちだって久遠を殺
 したい訳じゃない。それだけは、覚えておいてくれ」
「知ってますよ最初から。薫さんは優しい人ですからね」
「く…?」
薫の膝から下ろされ久遠は今までの話を聞いていなかったのか、とてつもなく眠そうな
目で真一郎達の方にとてとて歩いてきていた。
「お、久遠。とりあえず解決したぞ」
真一郎は笑みを浮かべて、寄ってくる久遠に合わせて屈み、「骸手」をはめた手を差し伸
べた。
久遠が、止まる。
「ご主人様!」
最初に気づいたのはざからだった。
その声に真一郎が気を取られるのとほぼ同時に、真一郎達は閃光に包まれた…