でぃあ・び〜すと エピローグ














『最初に言っておきますけど、魔術にできないことはありません』
その言葉を聞いたのは、確か最初に講義を受ける時だったと思う。
今にして思えば、教室のような所に集まって、机に座って話を聞いたのはそれが、最初
で最後だったのだが。とにかく、彼らの『師』はそういう面で飽きっぽい人だった。
『神様みたいですね…』
芸のない反応をするざからに、『師』は笑って答えた。
『でも、人間は神様にはなれないんですよ。ざからちゃん』
『でも、何でもできるのではないのですか?』
『あくまでも理論上は、の話です。人間にしろ『夜の一族』にしろ、生物として存在す
 る以上、自ずと限界があります。魔術というのは、魔力を代償に何かをする行為です
 から、したいことの難易度が上がればあがるほど、必要になる魔力は増えていきます』
『つまり、やはりできないことはあると?』
『そうです。そして、分不相応な力を求める者は、悲惨な末路を辿ります。私はそれを
 もう、何度も見てきました』
懐かしむように、『師』の目が細められる。
『ここで私が言いたいのは、いつも「正しい」目的を持ってくださいということです』
『目的…ですか』
『そう。力は毒にも薬にもなります。その結果何が生み出されるか、それは貴方達しだ
いです。でも私は、貴方達に後悔してほしくありません。私の最初の弟子なんですから』
そして、『師』は真一郎達を見回すと、微笑った。
『だから頑張って魔術を覚えて、それから、頑張って「生きて」ください。これが、私
から貴方達に教える最初のことです』
この時は、言葉に素直に感動できた。
それは、この『師』がどんな人間か正確には知らなかったからである。
実際に、『師』はめちゃくちゃな人だった。
それでも、この時に抱いた感動と尊敬は今でも少しでも薄れていない。
『師』は『師』であり続けている。
あの時も、今も、おそらくこれからもずっと…









「できれば放っておいてほしかったんですけどね…」
「そうできたら、誰も苦労しないだろう」
悪い機嫌を少しでも晴らそうとするかのように、彼女―神咲楓はため息をついた。
冷静を装ってはいるが、額には青筋が浮かんでいる。
彼女は三人いる当代の中で真一郎が最も苦手とする女性だった。
「このような事態だ。私なりに修練を積んだり、気持ちを纏めたりして指定された期日
 に来てみたらどうだ?いつの間にかすべて終わっているじゃないか…」
「まあまあ楓ちゃん。無事に終わったんですからいいじゃない」
見かねて葉弓がフォローを入れるが、それで楓の胡乱な目は彼女に向いてしまった。
「葉弓さん…私には何より貴女がここにいることが一番不思議なんですけどね。私と同じ
で薫よりも遅れてくはずだったじゃないですか?」
「え〜っと…」
葉弓の目が自然と真一郎に―霊力を消耗してベッドに寝ている彼に向くと、薫や楓の視
線も彼に集まった。
真一郎は笑って誤魔化そうとして―
「秘密って訳には?」
「いくとでも思ってるのか?」
「思ってません…」
あっという間に失敗した。
真一郎は諦めて肩を竦めえると、身を起こした。
彼の膝の上では、久遠が気持ちよさそうに丸くなって眠っている。
まるでつい昨日に起こったことが夢であったかのような彼女に苦笑して、真一郎は口を
開く。
「元々、俺は神咲の方針に反対でした。那美と久遠のことを信じていなかった訳ではな
 いですけど、失敗した時には祓うという決定には承服しかねたもので」
「それで、葉弓さんと結託してこそこそやっとた訳か」
先ほどまでは黙っていたが、椅子に腰掛けてこちらを眺める薫の目は据わっていた。
穏やかに怒っている。真一郎には初めて見せる顔だ。
「こそこそなんて…人聞きが悪いですよ、薫ちゃん」
「事実ですから何とも言えないですね。まあ、そんなこんなで俺と葉弓さんで独自に久
遠を何とかする方法を模索してたんですよ。完成するかまでは賭けでしたけど…」
「待たんね。そんな方法があるんだったら、うちらだってこんな決定はせんかったぞ」
「相談した相手が凄い人でしたからね。話したらヒントって言って術式の元みたいな物
を渡されまして…」
「秘密にしてたの。ほら私も一応当代だから、堂々と方針に逆らう訳にもいかなくて」
「凄い人ね…私も会ってみたいものだ」
「無理ですよ楓さん。先生はとにかく気まぐれですから」
真一郎の知る限り、彼の師匠でもある彼女は色々な意味であらゆる人間の頂点を行って
いる。当然、気まぐれ度合いも世界一だ。
頼めば、久遠のことも真一郎よりもスムーズに解決してくれたのだろうが…
(あの人に借り作るとろくなことにならないからな)
何しろ、本気でかかるざからを笑って相手にできるような人である。
借りを作って無事に済んだことは今まで一度だってありはしなかった。
「で、相川。その毛玉はどうするつもりだ?」
楓は目で久遠を示した。
「こんなことになりましたからね…一応、今まで通りに過ごせますが、応急処置とは言
え俺の「使い魔」になっちゃいましたし」
「そんな方法どこで学んだんだ?」
「今度こそ秘密です」
「分かった…」
楓は短くそう言うと、さっさと身を翻してドアに向かった。
「どこに行くんです?」
「これ以上ここにいてもしょうがないだろう?とは言え、このまま帰るのも尺だからさ
 ざなみ寮にでも顔を出していくことにする」
じゃあな、と楓はにべもなく部屋を出て行った。
「じゃあ、うちもそろそろお暇するよ」
「とりあえずお疲れ様でした」
「相川君も…じゃが、次からはちゃんとうちにも楓さんにも知らせるようにな」
「肝に銘じておきます…」
素直な真一郎の反応に満足気に頷くと、葉弓に会釈をして薫は楓の後を追った。
「して葉弓さん。貴女はこれからどうするんですか?」
「和音さんから聞いてませんか?次の私のお仕事は相川さんと一緒です」
「初耳ですね」
「あ、そう言えば伝言を預かっていたんです。『こき使ってやるから覚悟しておけ』…
 だそうです」
ここにも、敵わない人間がいた。
葉弓は困った様子の真一郎の頭を撫でると、にっこり笑って身を翻した。
「じゃあ、私は下で七瀬さん達とお話してきます」
「お気を使わせてしまって…」
「私と相川さんの仲じゃないですか」
手を振って、葉弓は出て行った。
その背中を見送って…何の気なしに頭をかく。
どうして、自分の周りに集まる女性には皆「くせ」があるのだろうか?
自問しても答えがでるはずもない。
きっとそういう星の下にでも生まれたんだろう。
当面はそう納得させることにして、とりあえず落ち着いた。
「さて久遠。こわ〜いお姉さん達は去ったよ…」
膝の重みが急に増すと、少女の瞳が真一郎を見つめていた。
「別に、怖くないの」
「そう?俺は少し怖いかな。怒ったあの人達なんて考えるのも嫌だ」
「真一郎強い。だから、だいじょうぶ」
「ありがとう…さて―」
膝の上の久遠に手を伸ばして、持ち上げる。
俗に言う『たかいたかい』の状態である。何を隠そう、久遠の一番のお気に入りだ。
「かわいい狐のお姫様?今日から何をして遊びましょうか?」
「油揚げ、甘酒、たくさん」
「おうおう。何でも作ってあげるよ」
「それから…なのはと一緒に遊んでくれる?」
「いいよ。レンちゃんと晶ちゃんが一緒だってOK」
「えへへ…」
手を離すと胸に久遠が落ちてくる。
彼女は笑うと、真一郎の首に腕を回して頬を摺り寄せた。
「他には、何かある?」
「久遠と、ずっと仲良くしてね…」
久遠はにっこり笑って、真一郎の頬にキスする。
当の本人は苦笑して、彼女をぎゅっと抱きしめた。
(傍から見ると、危ない人かもしれないなぁ)
などと、関係ないことを思いながら真一郎は久遠好みのメニューを考えていた。