正しき偽善者 第二話 『遅れてきた正義の味方』













1、

「凛、起きろ」

 その声は、何度目か。カウントでもできれば、恨み言を比例させることもできたのだろ
うが、生憎とこちとら致命的に朝が弱いのだ。人間、誰しもできることできないことがあ
る。遠坂凛の場合は、それが早朝の活発な活動であったというだけだ。

「いい加減に起きてほしいのだがな。召還されてまだ日は浅いが、自分は本当にサーヴァ
ントなのか、疑いたくなる。ここで主には一つ威厳を示してもらわねば、何とはなしにや
る気もなくなるというものなのだが……」
「……だから、起きろって?」
「ああ、必勝の宣言を覆すことはないが、万全を期すつもりなら私の言は聞いておいた無
難だろう」
「…………忠実なサーヴァントの進言だものね、受けてあげるわ」

 緩慢な動作で、凛は起き上がる。眠気でもって思考はジャミングされているが、それで
も魔術師として人間として、エリートであろうとする凛の、半ば本能にも匹敵する観念が
彼女を動かした。もっとも、

「で。貴方に私の睡眠を妨害しようなんて行動をさせやがった、罰当たりな不届きモノは
何処の何方?」

 不機嫌な声は隠そうともしない。時計を見れば、まだ朝の五時を回った辺り――朝の弱
い凛にとっては、鬼門もいいところだ。

「言峰と名乗る男から君に電話があった」
「出たの?」
「鳴ったからな。不都合があったかね?」
「普通なら私にお伺いを立ててからしてほしい……ってとこだけど、綺礼ならいいわ」
「言葉端から堅気の匂いのしない男だったが、名は体を現さないものだな」
「それは私が十年も前に通ってきた道よ」
「マスターと同じ道を歩めるとは、光栄だよ」

 アーチャーの軽口を聞き流しながら、凛は強制的に思考を制御。意識をクリアにし、本
格的に魔術師としての遠坂凛になる。欲を言えば熱いシャワーでも浴びて気分を改めたい
所であるが、自らの嗜好など魔術師としての理念に比べれば、優先順位は聊か低い。

「それで、電話はまだ繋がってるの?」
「直接話をしたいと言っていたからな、保留にして待たせてある。という訳で、君を起こ
す因を生み出したのは奴だからな、くれぐれも私を怨まぬように」
「例えば、自分を殺した人間に指示を出した人間がいたとして、貴方はそれを理由に自分
を殺した人間を怨まないなんて、器用なことできる?」
「それをするのが、要するに『大人』なのだと思うのだが……」
「そんなものは理屈の上でしか成り立たない空論よ。感情を差し挟めない人間は、生きる
価値がないもの」
「感情は制御してこそ、という言い方もできるが?」
「それも感情を差し挟むということが前提よ。怒りでも悲しみでも、それは原動力。自分
を支える理念――英霊の貴方に言うのも、釈迦に説法ね。ありがと、アーチャー」
「礼を言われるような展開ではないと思うのだが?」
「私を調整してたんでしょ?」

 寝巻きの上にカーディガンを羽織り、何かを続けようとするアーチャーを手で遮る。こ
れ以上問答を続けるつもりは、凛にはない。何しろ、礼なんて言いなれていない身だ。百
戦錬磨の気のある彼が相手では、朝から疲れる思いをすることになる。既に電話の向こう
には、凛にとって天敵とも言える神父が待っているのだ。ここで無用な体力を使うのは、
賢い人間のすることはない。

「ふむ……」

 主の意思を汲み取ったのか、赤の弓兵は神妙な面持ちで頷いた。

「ならば、そういった主思いのサーヴァントには、何か褒美を与えるべきだろう。さしあ
たって言えば、主の理解のある態度などが望ましいのだが――」


 愛すべきサーヴァントの言葉は、扉を閉める轟音によって遮られた。













『電話で十分も待たせるのはどうかと思うが……それが最近の流儀なのかね?』
「悪いけど、今少し気が立ってるの。これ以上下らないこと言うつもりなら、どんな用件
があったとしても切るわよ」
『急いては事を仕損じると思うが、まあいいだろう』

 言い合いにも、まるで手応えはない。感情がどうのということならこの男にこそ、そん
なものは見受けられないのだが、彼が自分の中身を曝け出すなど少なくとも遠坂凛の前で
は一生あるまい。

『昨夜、最後のサーヴァントが召還され、此度の聖杯戦争は受理された。これを最後に私
からお前に連絡を寄越すことはなくなる。何か聞いておくべきことはないか?』
「あら、貴方にしてはお優しい言葉ね。まるで神父みたいよ?」
『ないならばいいのだ。これでもお前の兄弟子。性分は分かっているつもりだ』
「結構。なら、次に会うのは私が聖杯を手にした後ね」
『大言を吐いていると、拙い結果を押し付けられた時に惨めだぞ?」
「それこそ私には要らぬ心配だわ。しばらく後には私が行くから、その時に備えて貴方は
聖杯でも磨いてなさい」
『ふむ。では、期待していよう』

 欠片も期待してなさそうな声でそう言って、聖杯戦争の監督役を務める唾棄すべき兄弟
子は電話を切った。先に切ってやろうと思っていただけに、何か、ムカつく……

「監督役の男のようだったな。君とは関係があるようだったが?」
「父さんの弟子よ。神父の癖に魔術も使う、蝙蝠を絵に描いたような奴だから。信用はで
きるけど信頼はできないタイプね」
「その男には君の背中は任せられないな。もし私を失うようなことがあっても、頼るなん
て愚は犯すなよ」
「言われるまでもないわ。さて……綺礼の声なんて聞いたら一気に目が覚めちゃったわね。
アーチャー、すぐに朝食を用意してくれないかしら」
「朝食を取らない主義、ではなかったのかね?」
「何かお腹が空いたのよ。アレの相手なんてしたからかしら? 全く、重たくなったら怨
んでやるから」
「君が食を断てば済むことだろう? その蝙蝠の弁護をするつもりはないが、そんなこと
で責任を押し付けられては堪ったものではないぞ」
「……あんた、どっちの味方なの?」
「もちろん、マスターの味方であるつもりだ。すぐに朝食を用意するから、間違っても令
呪なんて使ってくれるなよ」

 英霊というのは須らくそんな技能を持っているものなのか、弓兵の動きは洗練された執
事のようだった。彼は本当に戦闘者のサーヴァントなのか……これで疑うな、という方が
無理というものだろう。凛も料理の腕には幾ばくかの自信があるが、彼の腕と比較すると
大分開きが有る。

 断言しよう。実は弓兵というのは嘘で、彼が太古の昔の料理番であったとしても、凛は
絶対に驚くなんてことはしない。

(これで何か料理でポカミスでもやれば、安心もできるってもんだんだけど……)

 そんな凛の心情を知ってか知らずか、赤い弓兵の作った朝食は、それはもう美味なもの
だった。




















2、

 先日遭遇したランサー、あれが学校の結界を張ったというのなら、学校の生徒である遠
坂凛を見過ごすはずがない。

 だが、抗魔力の低い一般人ならいざ知らず、この身は魔術師にして連れるは最強の使い
魔たるサーヴァント。結界の発動に遠坂凛を巻き込むということは、魔力の大した蓄えも
できないうちに、自らの懐の中に呼び込むということだ。

 結界の威力は強大で、遠坂凛も弓兵も本来の力は出せないだろうが、戦闘そのものに支
障が出るほどではない。仕掛けた相手も通常よりは有利な条件で戦闘を始めることはでき
るだろうが、人間を融解させてまで魔力に変換するというこの結界の目的を、遠坂凛がい
る状態では存分に発揮することはできないのは確実。

 おそらくサーヴァントの手によるものなのだろう。結界そのものの出来は素晴らしいが、
この結界を仕掛けたサーヴァントかマスター、あるいはその両方が馬鹿なのか、この状態
では結界発動時に内部にマスター、あるいはその関係者がいるだけでこの計画は片手落ち
になる。

 少なくとも、遠坂凛がこの結界を仕掛けたのだとしたら、敵が懐にいるような状態で結
界は発動させない。いや、そもそも学校に仕掛けたりなどはしないだろう。

「このサーヴァントのマスターは、学園の関係者かしら?」
「そう考えるのが妥当だろうな。生徒か教師か事務員か……ああ、過去に関わった人間と
いう線も考えられるな。元職員や卒業生まで含めれば、容疑者はかなりの数に上るだろう
が」
「学園に仕掛けたのは偶然、という線は?」
「考えられなくもないが、私であれば少なくとも君の学校に仕掛けたりはせんだろうよ。
外来の魔術師であれば遠坂の名は知らぬはずもなし。魔力搾取が目的なら、同じ条件が当
てはまりかつ目立たない場所を探すか、さもなくば不特定多数の人間を相手にするような
真似はせず、少数から搾り取れるだけ搾り取る」
「……胸糞の悪くなる話だけど、その方が確かに合理的よね」
「場所と技術が揃うのなら、生かさず殺さずのキャスターの方法を私はお勧めするが?」
「却下よ。遠坂凛は、そういった方法は好まないわ」
「ふむ。好まないというのは重要なことだな。それで勝つことができるのなら、なおよろ
しい」
「なら、勝つための可能性を少しでも上げる努力をしましょう」

 結論を出す。この結界を仕掛けたマスターは、理由があって学園という場所を選んだの
だ。その理由が何であるのか、今は知れない。何となく、学園に通う誰かに怨みがある、
偶然のマスターか外来のマスターか、いずれにしても確かなことが一つだけある。

「この結界の担い手は、遠坂凛に喧嘩を売った。そのツケは万倍にして返してやるわ」












3、

 さて、決意を固めたのはいいが、明確な敵が都合よく目の前に現れてくれない限りは、
人の身である遠坂凛には何もないというのが現実。

 とりあえず今日の欠席者を調べ出し、魔力を流して結界を弱らせるなどの嫌がらせをし、
今日も今日とて自らの管理地を見回っている。

「せめて当てでもあればいいのだがな……」
「キャスターの罠が張り巡らされた柳堂寺に何の準備もなしに行って、勝ちを取れるほど
貴方が優秀なら、土下座でも何でもしてやるわよ」
「……もっと力があればと悔やんだのは随分と遠い昔のことであると記憶しているが、今
久方ぶりにそう思ったよ。君の土下座など見た日には、終末までの暇つぶしには事欠くま
い」
「私も貴方の期待に応えられなくて残念よ。ついでに少しでも期待した私が馬鹿だった、
とか言ってみるわ」
「では、いつか見返してやると再び言おう。君の期待以上の働きをしたその時には、土下
座くらいは要求してしまうかもしれんが」
「なら、一生懸命働いて勝ってちょうだい。当座私が欲しいものは、勝利だから」

 時刻は既に十二時を回ったか。柳堂寺と間桐家の近辺を避け、いつも以上に念を入れて
見回りをしてみたが、成果と言えばキャスターの手腕とその吸精のシステムの理解を深め
たくらい。他のサーヴァントの痕跡は欠片も見当たらないし、ランサーのような襲撃もな
い。はっきり言って、手詰まりだ。

「学校の生徒を調べていたようだが、成果はあったかね?」
「気になる人間が三人ほど揃って欠席してたけど、それだけよ。その中の一人は魔術師だ
けど、調べた限りはマスターじゃなかったわ」
「最後のサーヴァントが呼び出されたのは、私がランサーと戦った後なのだろう? 君が
調べた時にはマスターでなくとも、今この時にはマスターである可能性はあると思うが」
「だからってお見舞いついでに貴女マスター? なんて聞ける訳ないでしょ? それに私
の家はあの娘の家に不干渉ってのが原則なんだから。あまり関わりあいにはなれないの」
「なれば、残りの二人はどうなのだ?」
「二人のうち一人はあの娘の兄貴だから、同じ理由で却下……と言いたいとこだけど、
あれは魔術師じゃないからマスターになるってのは原則的に不可能よ」

 あの男には個人的に関わりたいとも思わないし、と続けながら遠坂凛は家路を急ぐ。成
果がでないと分かった以上、今日はもう店じまいだ。

「残りの一人は?」
「彼も魔術師じゃない。二人とも貴方を喚ぶ前に会ったけど、マスターって感じはしなか
った」
「では、容疑者は君の意中の女性ということになるな。従者として心中は察しよう」
「覚悟の上よ。私もあの娘も魔術師。理由と感情はどうあれ、戦う意思を持って敵対した
なら、容赦なんてしない」
「その若さで思いつめることもあるまい、というのが『私』の感想だが、アーチャーのサ
ーヴァントは君のその言葉で安心した。やはり君は最高のマスターだよ」
「お褒めに預かりどーも。でも、その言葉は――」
「永久に言う機会は来ないわよ? だって貴女達はここで死ぬんだもの」
















4、

 そこにあるのは異様だった。

 圧倒的な存在感を持った巨大な灰色と、小さな銀。美女と野獣なんて、そんな言葉が霞
んで見えるほど、その概念にハマりきった一組の主従は、御伽噺の中にある愉快なだけの
存在ではない。

 サーヴァント、そしてマスター。聖杯戦争において、遠坂凛の人生において倒さねばな
らぬ宿敵……

「今晩は。私はイリヤスフィール=フォン=アインツベルン。このバーサーカー、ヘラク
レスのマスターよ」
「ご丁寧にありがとう。ここに現れた以上どうせ知ってるんでしょうけど、私は遠坂凛よ。
貴女と友好を深める気なんてないから、サーヴァントの真名なんて教えてあげないけど」
「バーサーカー以外のサーヴァントになんて興味はないわ。ましてや、どこの誰とも知れ
ないようなサーヴァントなら特に、ね」
「子供が大きなこと言ってると、負けた時に惨めよ?」
「その子供に負けるんだから、その『大人』の見っとも無いったら……」
「舌戦白熱しているところ申し訳ないが、凛」

 背後に控えていたはずの弓兵が、こちらとあちらを遮るように現出する。殺意と破壊の
具現とも言える灰色の狂戦士を前に、しかし赤の弓兵は一歩も引く素振りを見せなかった。

「そろそろ始めても構わないか? 心なしか、あちらのバーサーカーも退屈しているよう
に見える。神代の英雄に呆れられるのは、君としても本意ではなかろう? 」

 口調にも変化はない。まるで、散歩にでも行くかのような気軽さでもって、弓兵は宿敵
たる主従に歩み寄っていく。

「逃げた方がまだ生き残る可能性はあると思うの」
「生き残ることだけを考えるのなら、私もそうしたいのだがね。残念ながら我がマスター
と私の望みは、生き延びることではなく勝ち残ることなのだ。偽りの命とは言え、賭ける
のならば逃げるよりも戦う方に賭けてみたいのだ」
「バーサーカーに勝てると思ってるの?」
「あまりこういった台詞は好みではないが、やってみなければ分からんよ、小さなレディ。
それに一介の戦闘者として、かの英雄の業には興味がある。言葉を交わせぬ狂戦士として
存在しているのが惜しいと言えば惜しいが……」

 弓兵の両手には、かの槍兵の魔槍を凌いでみせた黒と白の双剣。弓兵の業を疑う訳では
ないが、ゆうにその身長ほどもある狂戦士の斧剣と鋼のような肉体に、彼の双剣はいかに
も頼りない。

 しかし、弓兵の背が、感じられる魔力が、不退転の覚悟とこの戦いの不敗を告げている。
あんな規格外の化け物を相手に、あの弓兵は一歩も退いてはいない。

「英雄への礼は、我が全力でもって代えるとしよう。君のマスターの言う、何処の誰とも
知れぬ英雄の力、その身に刻むがいい」


 それが、会戦の合図だった。

 灰色の狂戦士は雄たけびを上げ、その巨体を物ともしない速度で突っ込んでくる。その
重圧に耐え切れずアスファルトは粉々に砕け散り、紙でも裂くかのように電柱を叩き折る。

「アーチャー、これが二度目。でも最後にはしたくない。だから、全力でもってあれを打
倒しなさい。勝って帰るかここで死ぬか、私達の未来はそれだけよ」
「どうも我がマスターはこの程度で弱気になっておられるようだが……」

 一度だけちらり、と振り返った弓兵は、いつものように皮肉気に哂ってみせる。

「その未来予想図には変更の余地があるようだ。我らが道に、敗北の二文字はないのだか
らな」













 ランサーの槍を閃光とするなら、狂戦士の斧剣は暴風だった。

 ガードされることなど考えない。生半可な防御はそれごと、かの斧剣は生ゴミに変える。

 故に防ぐことは許されない。受け手はいつだって回避か受け流しの選択を迫られる。得
物が双剣である弓兵の場合は前者だ。

 一撃必殺の斧剣を壁を、柱を使い、平面どころか三次元の動きでもって回避を続け、時
折隙を突いては、狂戦士に斬りつけるまでしている。狂戦士の斧剣の一撃には劣るが、弓
兵のそれだって必殺の域だ。

 しかし、狂戦士の肉体は一般人なら既に十度は殺せるだけの斬撃を同じ箇所に受けても、
傷の一つも見られなかった。

「ふむ、やはりこれで斬るだけでは傷を付けられぬようだな」
 
 攻め手を封じられたに等しいが、弓兵の顔には焦りの色がない。己がマスターに言った
通り、本当に記憶が混濁していたのだとしたらそれこそ大事だったのだろうが、この身に
業は顕在だ。

 故に敗走はありえない。第一が無駄に終わったとしても、その次で。それが同じ結末に
終わっても最後に勝てばいい。

「少し芸を加えてみるか」

 斧剣を大きく跳び退って避け、勢いもそのままに一回転。急停止した弓兵の手には、既
に双剣はない。

 武器を手放し、死を覚悟したか――しかし、狂戦士はそう見なかった。暴風の如き歩み
を止め、斧剣を一閃。その首を両断せんと左右から飛来する双剣を、巨大な斧剣で雑作も
なく叩き落す。

「数を増やすぞ」

 事も無げな言葉と同時、二組の双剣が同じように異なる軌跡を描いて、狂戦士の急所を
狙う。弓兵たる自分が得意とするのは、斬撃ではなく射撃。斬るだけでは傷を付けられぬ
双剣でも、弓兵の手から離れることで必殺はその度合いを増す。

 飛来するそれらに脅威を感じているのか、狂戦士の歩みは止まったまま。しかし、斧剣
を一閃すれば確実に双剣を叩き落としていく。その剣戟には迷いも遅滞もない。数を増や
せばいいというのでもなかろうが、当座弓兵に他に方法がある訳でもない。果に繋げるた
めに弓兵はさらに一組の双剣を増やし、己がマスターの位置にまで後退する。

「敗走?」
「戦略的撤退だ。計算のうちとでも思ってくれ」
「あれだけ大見得切ったんだから、勝ちなさいよ?」
「無論だ。すぐにかの英雄を殺してご覧に入れよう」

 三組の双剣はまたも払われ、狂戦士の瞳が赤の主従を捉える。新たな双剣を生み出した
弓兵は、殺気で射殺さんばかりの狂戦士の視線を平然と受け止め、

「次は少し技巧を凝らす。心得よ、何が己にとって一番大切なのかを」

 そして、黒と白の双剣を夜空に投擲する。それらは大きく弧を描きながら滑空し、狂戦
士――のマスター、銀の少女に迫る。

 狂戦士には効かぬとは言え、弓兵の双剣も宝具の一種だ。人間の身には、防ぐことも困
難である。

 しかし、イリヤスフィール=フォン=アインツベルンは厳密には人間ではなかった。そ
の身は魔術回路、マスターであることに特化した魔術師であり、聖杯戦争を生き残り、聖
杯を成すために在る。この程度を凌げぬようでは、アインツベルンが単身送り込んだ意味
がない。

 少女は双剣を視界におさめて呪を紡ぐ。双剣のランクは高く見てもAマイナ。少女の魔
術でも防げぬことはない。身体に魔力を流し、魔術を起動。防御の陣を作り出し、少女は
そこで初めて違和感に気付いた。

 飛来する双剣は、一組ではなかった。向かって右上方から飛来するのが七つ、反対側か
ら来るのが同じだけの計十四本。その全てがAランクの攻撃だ。いかにマスターとして優
れていても、これはいくらなんでも即座に展開出来る程度の魔術で防げるような代物では
ない。

 銀の少女を恐怖が支配したのは、しかし一瞬のことだった。十四の死が飛来する彼女の
視界を、灰色の肉体が塞いだのである。

「バーサーカー!!」

 白を引き連れた黒の剣と黒を引き連れた白の剣が、一組の主従へ殺到する。












「あの双剣は少々特殊でね。投擲すると互いに引き寄せあう性質がある。そのように私が
手を入れた」
「それまでの投擲は全部囮だったっての? バーサーカーにマスターを守らせるための」

 そんなやり方は好まない、とばかりにマスターである少女は不機嫌を隠そうともしない。
魔術師として優秀なのは間違いないのだが、魔術師が最も必要とする結果のための合理性
と自らの合理性を一々秤にかけているあたり、根っこのところで真剣に勝とうと思ってい
るのか疑わしいところだ。例えば仲間など、そんなものができてしまえば、遠坂凛のマス
ターとしての勝利など平気で投げ出してしまいそうな、サーヴァントにとって致命的な危
うさが凛にはあった。

「無論、あれで終わりではないぞ? あれではバーサーカーを完殺できない」

 だが、マスターの『甘さ』などこの弓兵には関係がない。遠坂凛はマスターとして一応
優秀で、人間的にも好感がもてる。弓兵には、それだけで十分だった。究極的に言ってし
まえば、聖杯戦争における戦いとはサーヴァントのみで行うものなのだから。

「少々強力な一撃を放つ。用心していろ、我がマスター」

 土煙を上げるポイントを見つめ、出現させた弓と『矢』を構える。人間なら原型も残ら
ぬ剣群であるが、マスターの少女のみならいざ知らず、かの狂戦士が自らフォローに入っ
たのだから、その主従の存命は確実。だがいずれか、あるいは幸運ならばその両方が死に
瀕していることは確信が持てる。

 つまり、後一つで終わりだ。サーヴァントが消えれば、サーヴァントを相手にマスター
は何もできず、マスターが死ねばサーヴァントはその形質を維持できない。単独行動のク
ラス別スキルを持っているのは弓兵だけ。よもやヘラクレスに単独行動の技能まではまる
まいし、あの身はバーサーカー。あの力は一重にマスターである銀の少女の魔力によって
支えられている。その少女が死ねばおそらく、数秒も現界はできまい。

『I am the bone of my sword(身体は剣で出来ている)』

 故に必殺の一撃でもって、一切合切を打倒する。捻じれた剣は弓兵の幻想で創られた紛
い物。それ故に、その存在を否定されれば中身は行き場をなくし、容易く現実を侵食する。

『偽・螺旋剣(カラドボルグ)』

 弓兵の手を離れ撃ち出されたそれは、最初から剣としてそこに存在していなかった。

 それは、弾丸だ。弓兵たる身が操るのは斬るための剣ではない。弓兵は剣戟もする。だ
がそれは結果に繋げる布石であり、強くなる過程で身に付けた生き残るための技術。

 だから、倒すための剣は――


『壊れた幻想(ブロークン=ファンタズム)』

 そのたった一言のもと、幻想が現実を侵食した。














「冗談でしょ? 何なのよまったく……」

 自らのサーヴァントが成した出来事そのものよりも耳鳴りと頭痛に悪態をつきつつ、遠
坂凛は顔を上げる。

 土煙のせいで視界は頗る悪い中、赤い外套を纏った弓兵は平然とこちらを見下ろすよう
に佇んでいる。

「あんた、記憶がないんじゃなかったの?」
「その通りだよ。だからあれは、宝具ではないのだ」
「宝具を使わずにバーサーカー=ヘラクレスを倒したって?」
「見ての通りだよ。これで納得してくれたかね? 私の強さを」

 是非もない。これだけの強さを持ち、かつ宝具を使っていないときた。これを強いと言
わずして、何を強さだと言うのか――

 素直に誉めよう。遠坂凛は弓兵を喚びだして初めてそう思った。言ったところでこの捻
くれ者は素直に受けたりはしないだろうが、からかわれてやることまで含めてこの勝利の
報酬と思えばまあ安いものだ。

「アーチャー」
「個人的にはとても聞いてみたいことを君が口にしようとしているのは分かるのだが、と
りあえずその言葉は胸に閉まっておいてくれないか」
「そうよ。勝手に完結させないでもらえるかしら?」









「それにしても驚いたわ。まさかバーサーカーが殺されるなんて思ってもみなかったから」

 その殺されたはずのサーヴァントと共に、同じように無傷であった銀の少女は、優雅に
膝を折り、スカートの端を摘んで弓兵に対し一礼する。

「先程は失礼をいたしました。貴方は確かに騎士です。暴言はお許しください」
「気にすることはあるまいよ。だが、どうしてもと言うのなら、ここで聖杯を諦めること
を契約してくれると嬉しいのだがね」
「まさか。貴方達はやっぱりここで死ぬのよ」

 纏っていた高貴さをかなぐり捨てて、無邪気な殺意を露に弓兵を、凛を睨みつける。

「神の試練を消費させた罪は重いんだから。面白いかと思ったから見逃してあげようと思
ったけど、やめたわ。次は手を抜かない、本気のバーサーカーの相手をさせてあげる」
「……あれで狂化させてなかったっていうの?」

 理性をなくす代わりに常軌を逸した力を得る。それがバーサーカーのクラス別スキルの
『狂化』である。セイバーの抗魔力に匹敵するほどのその能力を使わずに、狂戦士は先の
攻撃を耐え抜いたというのか――

「神の試練とは上手い事を言ったものだ。英雄ヘラクレスは十二の試練を越えたという…
…ならば、あれは十二回の生を持つのも道理か」
「十一回の死のリセットなんて反則でしょ?」
「こちらも宝具を隠しているのだ。真名も宝具も明かしているあちらと比べれば、聊か姑
息なような気もするが」
「あんなガキには負けたくないのよ!!」
「本音が出たか……だが、それこそが君らしい」
「話は纏まったかしら?」

 話の分からない『大人』に負けるつもりはないのか、銀の少女に退くつもりは毛頭ない
らしい。少女が一つ呪を紡げば、この場は先にも増して地獄と化す。

「ええ、済んだわ。あんた達を倒すための算段がね」
「世迷言を言えるのも今のうちだけど、死ぬまでの貴重な時間を浪費するのはどうかと思
うの。せめてもの慈悲で遺言くらいは聞いてあげるけど?」
「一昨日来なさい、クソガキ」




「やっちゃいなさい、バーサーカー!!」
「アーチャー、あいつらを叩きのめしなさい!!」




 狂戦士の『狂化』が始まり、アーチャーは剣を――今度は西洋風の長剣持ち出す。具現
しかねぬほどの殺気が辺りを渦巻き、僅かな音を発することすら全ての存在に許すことは
ない。どちらかが生き、どちらかが死ぬ。五回目になる聖杯戦争で初めての真なる戦いが
幕を開け――


「双方共に剣を捨てろ。お前達の命は俺が預かった!!」



 第三者の乱入で、唐突に幕を降ろした。















5、

「あんた、何者?」

 命を取られたとあっては動くことなどできるはずもない。イレギュラーを予想していな
かった自分の迂闊さを呪いながら、その場の存在を代表して凛が口を開いた。

 その質問に男――体格からして、間違いはないだろう。覆面とフードをしているせいで
確信は持てないが――は答えず、

「戦闘を止めて、根城に帰ってくれ。無闇に被害を出す戦いを、俺は認めることができな
い」
「何で見ず知らずの貴方にそんなことを言われなくちゃいけないのかしら?」

 これは反対側のイリヤの言葉だ。半ば狂化の指示を出されていたはずの狂戦士も、今は
主の傍に控え大人しくしている。必殺の意思は何処へ行ったのか、あの男の話を聞くつも
りはあるらしい。

「俺がそうしたくないからだよ。ついでに俺には幸いにも、それを可能にするだけの力と
幸運がある。見えるか?」

 覆面の男は持っていた弓と、そこにつがえられた四本の『赤い矢』を掲げて見せる。

「この矢は放たれれば最後、心臓に確実に突き刺さり破壊する。霊的な核まで破壊するか
ら、喰らえばサーヴァントだって例外じゃない。そこのヘラクレスは死なないだろうけど、
マスターが喰らうなら同じことだろう?」
「私達の命を楯にとった脅しって訳ね」
「お願いと言ってくれ」

 答え、覆面の男は弦を引く手に力を込める。心臓に必中するなど、そんな効果を持つ矢
を四本も持っているなどそれこそ神の試練よりも反則だが、実際にそこにあるのだし、何
よりも嘘と決めてかかるには無視できないほどの魔力が矢からは溢れている。

 そして既にその矢の照準がこちらに合っているのなら、打開策もないままにこれに逆ら
うことは愚かとしか言いようがない。あんな物を持っている奴に先手を取られた時点で、
こちらの負けは確定したようなものだ。


「アーチャー、退くわよ――」

 だが、凛が撤退の指示を出すよりも早く、弓兵は行動に移っていた。狂戦士を倒すため
に手にしていた長剣を、投槍のように覆面の男に向かって打ち出したのである。

 着弾までは一瞬。魔術の発動は間に合うタイミングではない。相手を狂戦士から変えた
その長剣はまさに必殺。狙い違わずそれは、覆面の男の眉間へと吸い込まれるように飛び
――

 そこからさらに甲高い音を立てて、現れ出でた何かによって弾き飛ばされた。

「今の奇襲は見事だ。しかし、次はないと思うがいい」

 覆面の男の傍ら。現れたのは、銀の鎧を纏った少女であった。ドレスでも着て座ってい
ればどこぞの姫としても通りそうな可憐な顔立ちに、華奢な体つき。しかし、その身にあ
る尋常ならざる魔力が、そんな空想を許さない。


「セイバー……貴方、前の晩にマスターになった最後の一人ね」

 セイバーを召喚するつもりだった凛には、まだこの聖杯戦争においてセイバーが召喚さ
れていないという、根拠のない確信があった。だからこそ六番手と遅ればせながらも、宝
石を使い込んでまで大物を呼び出そうとしていたのだが、そんな準備をしてまで喚び出し
たのはアーチャー……つまり、己が確信を信ずるのなら、最後に残ったマスターがよほど
の不運か触媒でも持っていない限り、セイバーを引き当てることになる。

「…………」

 しかし、その幸運を手繰り寄せた男は黙するだけで答えようとせず、弓を持ち上げてこ
ちらを促すばかりだ。セイバーの言う通り、次を許すつもりはないのだろう。覆面から覗
く瞳は、油断なく二組の主従を見つめている。

「退くわ。この勝負、預けておくから」

 灰色の狂戦士を消し、イリヤはさっさと背を向けて歩き出す。だが一度立ち止まると振
り返り、いまだ赤い矢でもって命を狙う男に微笑みかけると、

「ちゃんと喚べてよかったね、お兄ちゃん」

 それだけ。後はもう誰にも何にも見向きもせずに、銀の少女は姿を消した。






「私達も帰るわ。うちのサーヴァントのさっきのあれは忘れてちょうだい」
「帰ってくれるなら他には何も問題はないよ。道中、気をつけてな」
「言っておくけど、私をコケにしてくれたことは忘れないからね。あんたがセイバーのマ
スターである以上、最後には必ず私達に負けるんだから、そのことは覚えておきなさい」
「遠坂とやりあわずに済むことを祈っておく」


 やり場のない怒りを抱えたまま、警戒を続ける弓兵を背後に連れながら、凛は今度こそ
遅めの帰路に着いた。









interlude 1


「なんだって勝手に攻撃なんてしなの? こうなったから良かったようなものの、下手を
打ったら死んでたのよ?」
「あれが約束を守る保障など、私達にはなかろう? それに二度目はそうでもなかったが、
最初のあの男に君やイリヤスフィールを殺すような度胸はなかった。あれで頭でも吹き飛
ばしてやれれば、話は早くて助かったのだが……」
「でも、収穫はあったでしょ? バーサーカーの反故に真名が分かっただけでもめっけも
んよ」
「……まあ、良しとしようか。『それだけ』でも」


interlude 1 out















interlude 2


「疲れたぁ……」

 急拵えの矢と弓を破棄し、とりあえず人気のない公園を探して、ベンチに倒れこむよう
に突っ伏す。この気の抜けっぷりを見て、先程二組の主従を相手に啖呵を切った人間と同
一に見えるようだったら、その存在はきっと神霊に近い何かを持っているに違いない。

 現に彼の後ろを着いてきたセイバーは、これ見よがしにため息をつき、己がマスターに
苦言を投げる。

「貴方は気を抜きすぎです。大丈夫だというからこんな馬鹿げたことに賛同したというの
に、何ですかあの様は。私が割って入らなければ貴方は今、ここに存在していなかったの
ですよ?」
「でも、セイバーが守ってくれただろ?」
「それは結果論です。私とて貴方を守ることに全力は注ぎますが、何も自分から危険に飛
び込まなくてもいいではありませんか。聖杯戦争の間は、身の危険は死に直結する。貴方
はもう少しマスターとしての自覚を持ってもらわないと困る」
「肝に銘じておくよ。さて……どうでした? 何か分かりましたか?」
「彼女達が言っていた以上のことは、皆目」

 公園の木々の中、闇が人の形を取る。

 男性……と見紛うばかりの女性だった。一昔前の言葉を借りるのなら、男装の麗人と言
うところか。道を歩けば男女を問わず視線を独占しそうな、彼女にはしかしその容姿以上
に人目を惹く要素があった。片腕が根元からないのである。

「私の技能では満足に解析もできはしない。より近くで見ていた君の方が収穫はあったの
ではないかな」
「そうですね。アーチャーのマスターが遠坂であったこと。それにバーサーカーのマスタ
ーが間違いないということが分かりましたから。やっただけの価値はあったと思いますよ」
「私が言っているのは、戦力の面でのことなんだがね」
「それもぼちぼち。バーサーカーの宝具は神の試練だけで打ち止めだろうし、それの限界
も十一回……遠坂達が一回減らしたらしいから、最高でも後十回ってのも分かった。アー
チャーの方はまだ未知数だけど、あれの戦闘方法はよく分かった。あれはきっと、凄くよ
く俺に似てる」
「君に似ている? なら、あの英霊は途轍もなく貴重な魔術を使うということになるね。
正直、私は君のような存在がこの世界に二人といるとは思えないのだが」
「未来永劫過去永劫、俺のような存在が俺一人ってころはないでしょう? まして聖杯戦
争には神代の英雄まで参加するんですから」
「あの弓兵の技能など、この際どうでもよろしい。とにかく、我がマスターには今後自重
してもらわないと困る」
「英霊にある意味匹敵するような技能を持っているとしても、かい?」
「当たり前だ魔術師。戦うのは私のような、サーヴァントの役目だ」
「サーヴァントでも何でも、俺は女の子にあまり戦ってほしくはないんだけどなぁ」
「女が男に必ずしも劣るということはあるまい。女だからという理由で戦場からセイバー
を遠ざけるというなら、それは彼女に対して、そして同じ女である私に対する侮辱だ」
「……分かりましたよ、分かったよ。俺は可能な限り自重するし、協力も仰ぎます。だか
らこれ以上結託して俺を虐めないでください」
『よろしい』
「じゃあ、そろそろ帰りましょうか。今日迷惑をかけたお詫びに朝食には気合を入れます
から」

 ベンチから立ち上がり、今思い出したというように覆面を解き、フードを外す。夜風に
揺れる赤髪に手を入れながら、朝食が楽しみなのか早足で先行している二人の女性に、小
走りで並ぶ。





 聖杯戦争、最後の主従はこうして壇上に上がった。





interlude 2 out