正しき偽善者 第三話 柳堂寺にて 前編












0、


 自分は強い、と自惚れていたのかもしれない。

 人間が相手なら大抵の危険は切り抜けられると思って事実、これは自惚れではなく、そ
れだけの力が彼女にはあった。

 だが、それが及ばない、外にいるモノにぶち当たってしまった。それには姿がなく、し
かし気配だけははっきりと、自分達を追ってきている。

 その姿が見えなくても、彼女は理解していた。アレは、人間ではない。そして、それに
追い立てられれば、人間の身では絶対に逃げることはできないことも、同時に解かっては
いたのだ。

「くそっ!! まだ追ってきてる!!」

 だが、それでも大人しく掴まってやる気は、彼女にはなかった。これでもよく恋も知ら
ぬ学生の身。暗い世界に興味はあるが、首までどっぷりと浸かる気は毛頭ない。

「しかし、追われているのは我々だけのようだ。三の字達が逃げ果せたことは、とりあえ
ずよしとしておこう」
「アンタと話し込んだのは今日が始めてだけどさ、老成してるとか言われない?」
「大きなお世話だ。綾の字だって似たようなものだろう?」
「はは、お互いに自分の噂には苦労してるんだ。そこ右っ!!」

 人が何とか並んで通れるほどの裏路地を、少女二人が疾走する。運動で鳴らした健脚で
もって走り続けているはずだが、後ろのアレは付かず離れずの距離で追いかけてくる。本
気でやればすぐにでも追いつけるだろうに、そうしないのは余裕なのか、それとも――

「女性を追いかけて悦に入るのは、悪趣味な客人だな。綾の字の知り合いか?」
「あんな人間捨てた知り合いなんていないよ。そっちらこそ、何か怨みでも買ったんじゃ
ないのか?」
「私を始め、他の二人も品行方正に生きているはずだ。他人の恨みを買うようなことなど
何一つしていない……と、言いたいところであるが」

 眼鏡の少女は走りながら器用にため息をつく。

「生憎と、こんな馬鹿げたことを考え付きそうな人間に屈辱を与えた記憶がある。ちなみ
にそれは綾の字、そちらにも関係のあることだぞ?」
「たまたま女に袖にされた間桐の奴の腹いせだって? 間桐の奴にはこんな知り合いがい
たのか」
「おそらく、真っ当な人付き合いではあるまい。友人としては、問題になる前に何らかの
措置を取ることをお勧めするが?」
「考えとくよ――氷室、伏せろ!!」

 並走する少女を突き飛ばし、自らも地面を転がる。そして、先程まで少女達の身体があ
った場所を通り過ぎる、凶悪な害意を持った銀光。ついに、狩人は痺れを切らしたらしい。

「動ける?」
「集中が切れた――しばらくは無理だ」

 二人とも動くことはできそうにない。つまりは、最悪ということだ。

「本来なら手荒をするつもりはなかったのですが、長引かせるのも拙いのでこうさせてい
ただきました」

 暗闇の中に現れたのは、やはり人外のモノだった。すらりとした長身に、紫色の髪は地
に届くほどもあるのに、それは絹のように細やか。無駄な肉などなく、それでいてボリュ
ームのある肢体……

 それは、美しさという点では、確かに人の範疇にはなかった。こんな状況でもなければ、
そして、その顔にそっち趣味の眼帯などがなければ、見とれていたことだろう。

「逃げた二人を追おうとか考えてる?」
「当然です。貴女方四人に報復を、というのが我が主の望みですから」
「まあ、そうだろうね。そこで取引をしたいんだけどさ、私に好き放題をしてもいいから、
他は見逃してくれない? 不足だったら少しだけ、今後の時間を賭けてもいい。どう?」

 見やると、眼帯の女性は黙考し、しかし首を横に振った。ならば、と口を開こうとした
ところ、横の少女が軽く手を上げて邪魔をする。

「一人で不服なら、二人ではどうだ? こうしている間にも逃げた二人が人を呼ぶ可能性
は高くなっていくぞ? 先程の綾の字の提案を飲むというのなら、ここから場所を変えて
もいい。さっき貴女は考えたのだ。リスクと手間を考えたら、悪くはない提案だと思うの
だが?」
「いずれにしても、私は主の命に応えられなくなりますが……」
「そこは貴女の交渉の腕の見せ所だ。四人で得られるはずのものを、私達二人から得れば
いい。少しばかり形は違うやもしれぬが、気に食わぬ主人への意趣返しとでも思えば、悪
い話でもなかろう」
「……貴女達は聡明です。ここで壊すには、惜しい」
「そう思うなら見逃してほしいんだけどな。もう少し頭を捻れば、私達を見逃してアンタ
もアンタの馬鹿主人も満足する方法が見つかるかもよ?」
「魅力的な提案ですが、残念です。貴女達二人の身柄が対価では、それを成すには釣り合
わない」
「あらら、それは残念」

 しかし、あの男が主人だというのなら、ここまで譲歩させただけでも御の字か。あの男
自身との契約なら疑いもしたろうが、目の前の女性ならば、信用できる。恐ろしい、人間
の身では及びも付かない存在であるが、彼女の本質はおそらく、自分達よりもずっと高潔
だ。

「おそらく貴女達の身には、女性としての不幸が訪れることでしょう。その代わりと言っ
ては何ですが、最高の快楽を約束しましょう」
「私、初めてなんだ。できれば、優しくしてほしいな」
「右に同じだ」
「善処はしましょう。さて――」

 眼帯の女性の手が、こちらに伸びる。これからそういうことになるのだろうが、不思議
と不安も嫌悪もなかった。隣もそれは同じだろう。あの、可愛らしい子犬のような少女を
逃がすことが、彼女を相手にできたのだ。ここで自分達まで、というのは欲張りすぎだろ
う。


 だが、それでも。幸運の女神というのは演出好きなのか――


「油断しすぎだな。それとも、俺の運がいいのか……ともあれ俺は、お前を殺せる位置に
いるぞ? 動くなよ」

 自分達を圧倒した女性に匹敵する何かを持った存在は、当たり前のようにそこにあった。
地にへばったままその声の主を見上げて、目を剥く。多分、隣りも似たようなものだろう。

「貴方はサーヴァントではない……マスターですか? いずれにしても、気配は感じられ
ませんでしたが」
「俺は他に才能がない分、つまらない技能だけはあるんだ。気配遮断だけはアサシンにも
劣らないって自信はある」
「だが、貴方はマスターだ。私には勝てない」
「あんたが今動きを止めてるってのが答えだろ? 少なくとも俺は、嘘は言ってない」
「ですが、本心全てを言ってるのではないでしょう? 殺せる私を殺していない以上、貴
方には私にさせたいことがあるはずだ」
「話が早くて助かる。さっきの話の続きだけど、あんたの命とあんた達の身の危険を対価
に、そこの彼女達を見逃してもらいたい。今後手を出さないって条件を飲んでくれるなら、
状況が急変しない限り、あんた達の敵にならないことを約束する」
「ここで同調しておいて、後で約定を違えるということもありますが?」
「そのための『脅し』だ。そうなった時はどこまでだって追い詰めて、そうしたことを後
悔させてやるさ」
「…………まあ、いいでしょう。その条件を飲みます」
「悪いな。マスターに逆らうような真似をさせて」
「お気になさらず。私は元々、この命には乗り気ではなかった。彼女達の強さと貴方の登
場を誂えた『神』の采配に感謝しましょう」
「お互い、また生きて会えたらいいな」
「私はあまり、貴方とは会いたくありません。今度の勝者は、おそらく貴方だ……」

 話し合いが纏まったのか、眼帯の女性はこちらを見て微笑むと、手品のように姿を消し
た。あの張り詰めた空気はもうない。危機は、去ったのだ。

「……生きた心地がしなかった。もう、街の男共は恐くないぞ、あたしは」
「それは何より。次に夜道を出歩く時は、綾の字に護衛を頼むとしよう」
「二人とも、怪我はないか?」
「……どうしてお前さんがここにいるのかとか、その強さは何なんだとか、聞きたいこと
は山ほどあるが、一応礼は言っておく、ありがとう」
「時に、助けてもらったついでに頼みがあるのだが……」
「三枝さん達だったら、俺よりもよっぽど頼りになる人が守りに行ったから、安心しても
いい」
「あのおね〜さんが見逃すって言ったんだ。私も氷室も、今さらあの娘達に危険があると
は思ってないよ。あたし達が頼みたいのはもっと切実なことでね」

 言って右手を、氷室鐘は左手を少年に向けて差し出した。あれだけの啖呵を切ったのに
気は回らないのか、少年は目を白黒させて見つめるだけ。

 まったく、朴訥なことだ、と目を合わせて苦笑しあう。

「腰が抜けて動けないんだ。すまないけど、介抱してくれないか? 衛宮」


























1、


 最近、寝つきが悪い。朝食を取らない主義なのも悪影響になっているのだろうが、おか
げで午前は物凄く調子が悪い。一つずる休みでもして自分の部屋で惰眠を貪れればいいの
だが、こちとら優等生で通っている遠坂凛。誰にだって隙を見せる訳にはいかないのだ。

(休みの理由など、でっちあげればいいだろう? どうせもう皆勤は無理なのだ。観客の
いる一人相撲など、見苦しいだけだぞ?)

 従者の言葉は、きっぱりと無視。ノートの類をしまうと立ち上がり、のろのろと幽鬼の
ように――他人からすればこれこそ優雅、とでも言うように歩く。

「あのっ、遠坂さんっ!」

 最近、何が楽しいのか、よく声をかけてくれる彼女。その瞳が純粋すぎて、毎度断る身
としては非常に心苦しいのだが、今日も今日とて懲りずにやってきてくれたらしい。その
後ろには彼女を励ますように親友格の二人が――いや、一人しかいない。

「その、今日はお弁当、鐘ちゃんが休みなので、一つ余っちゃった……ですね。その、よ
かったら、お昼一緒にどうですか?」

 一つ、魔術師は人と交わってはならない。ともすればその存在が明るみに出てしまうか
もしれないから。しかも、今は彼女のような純真な相手ならばなおさら、関わらせるべき
ではないのだが――

「……ちょうど良かった。今日も寝坊してお弁当を忘れてきたところだったんです」

 この殺伐とした雰囲気を、純真で癒したいとでも思ったのか、あろうことか遠坂凛はそ
の申し出を受け入れていたのだ。

 意外そうに目を見開く悪友と、意外すぎてフリーズしている純真少女の対比が面白い。

「氷室っちも草葉の陰で喜んでるぞ、きっと。良かったじゃんか、由紀っち」
「鐘ちゃんは死んでないよぉ……」
「氷室さんはお休みなんですか?」
「いや、昨日あたしらと弓道部の美綴で歩いてたら、良く分からないのに追い掛け回され
てな? あたしは由紀っちと逃げたんだけど、しばらく待っても二人の姿が見えないから
さ、これはいよいよ警察か〜と思ってたら電話がかかってきて、無事だから心配するな、
と……」
「無事なら、氷室さんは欠席せずに済んだのでは?」
「それが、助けてくれた人の所にお邪魔してるらしいんです。その人が今日は休むように
って。もしかしたらしばらく休むかもしれないって言ってました」
「……………………」
(言い出し難いことではあるが、君の学友は敵のマスターに引っかかったのやもしれない
な)
(黙りなさい。次に言ったら令呪使うわよ?)
「ん? 何か言ったか、遠坂」
「いいえ、何も。それよりもその話、もう少し詳しく聞かせてもらえませんか?」







 さて、授業も終わって屋上。眼下には部活に励む生徒達――その中には悪友、蒔寺楓と
マネージャーをする三枝由紀香の姿も見え、それなりに賑わっているが、それと対比する
かのように屋上には、人の気配がない。

「姿を見せずに追いかける……消去法で行くとアサシンかライダーしかいないけど、どっ
ちだと思う?」
「彼女達の話を聞いただけでは何とも言えんな。危害を加えるつもりはあったようだが、
誰かに助けられたというのでは、な」
「その助けたのは、この間の覆面かしら?」
「それも現段階では答え難い。けしかけたマスターの自作自演かもしれんし、電話をかけ
てきた彼女らも既に、操られているとも考えられる。要するに今の段階では我々には、何
も分からんということさ」
「……分かった。とりあえず、あの二人のことは忘れる」
「それがよかろう。機会があれば助けてやるから、今は忘れておくといい」
「それでね、そろそろ攻撃に転じてみようと思うのよ。とりあえずは、敵が居ると分かっ
てる柳堂寺よ」
「罠がある、ということで後回しにしたのではなかったか? 私なりに調べてはみたが、
あの寺は正面に罠でも仕掛けられれば、手の打ちようがないのだが……」
「それなら索敵だけでもするわよ。せめてマスターの姿でも見てやらなきゃ、私の気が済
まないわ」
「ふむ……忘れたのではなかったのかね?」
「忘れたのよ。で、さっき思い出したの。文句ある?」
「文句はあるが口にはせんよ。何しろ君は私のマスターだからな」

 従者らしく振舞ったことなどないくせに、と思う。せめてこういった態度を何とかすれ
ば、もう少し円滑にことも運ぶと思うのだが……どんな一生を送ったのか知れないが、生
前は相当に捻くれていたに違いない。パートナーとかもいたのだろうが、凛は見たことも
ないその人物に同情を禁じえなかった。

「柳堂寺攻略ということで、文句はない?」
「私は戦うことが仕事。考える君が責めると言えば、それは私の意思となる」
「決まりね。出発は、いつもの見回りの時間に――」
「おお、いたいた。遠坂――って、一人か?」


 凛は、心臓が止まるかと思った。一体、どんな身体構造をしているのか、魔術師に気配
を感じさせることもなく、彼はそこにいた。

 弓兵の声が聞こえていたのか、はたまた自分の声が単に大きかっただけなのか、遠坂凛
が誰かと会話をしていた、と認識していたらしい彼は不思議そうに屋上を見回している。

「衛宮君、私に何か御用ですか? 私を探していたみたいですけど……」

 心情は外には出さず、変わり身の早さに苦笑している気配の弓兵は無視。ただの優等生
遠坂凛となって、迎え撃つ。

「用、と言うか少し頼みごとをしたいんだ。遠坂って確か、一成と仲が良かったよな?」
「一成って柳堂君のことですよね? 仲がいいのかどうかは知りませんけど、たまにお話
はさせてもらってます」

 確か現場を見たことのある彼ならば、遠坂凛と柳堂一成が仲がいいかなど理解できそう
なものだが。別に凛の方は一成を嫌ってはおらず、むしろその意思の強さに好感を持って
すらいるのだが、向こうは不倶戴天の天敵くらいには思っているだろう。強敵と書いてと
もと読むかもしれないが、断じて友達ではない。

「あいつ、どうも最近元気がないみたいでさ。遠坂、機会があったらで構わないから、一
成をからかってでもくれないか?」
「別にそれくらいなら構いませんけど……柳堂君、元気がありません?」
「微妙な変化だけどな。妙にダルそうなんだよ。兄貴分って慕ってる葛木先生に婚約者―
―それも異人さんを連れてきたらしくって、そのことも関係してるかもしれない。ほら、
あいつは固いとこがあるから、寺の中に女の人がいると落ち着かないんじゃないかと」
「話は解かりましたけど……それだと、私が話したところで解決しないんじゃありません
か?」
「解決するとは思ってないけど、いい刺激にはなると思う。まあ、駄目もとのつもりでや
ってみてほしいんだ。報酬とかは、用意できないけどさ」
「どこかその辺りのお店で甘味でもご馳走してくれれば、私はそれで構いません?」
「……冗談でもそういうことを言うのは勧めない。遠坂は有名人だから、俺にとっても遠
坂にとっても、難事になる。お礼は何か、別の形で考えておくよ」

 じゃあな、と士郎はさっさと背中を向けて立ち去ってしまった。取り残された形になっ
た凛は、何か釈然としない気持ちのままフェンスまで歩み寄り……とりあえず、思い切り
蹴飛ばしてみた。

(やめておけ、はしたない……)
「何か、女として負けた気がするわ……」

 本気だったのは半分くらいだったが、遠坂凛が思わせぶりに誘ったのだ。尻尾を振って
付いて来いとは言わないが、せめてもう少しくらい慌てて見せるのも礼儀ではないのか。

「ああ見えて、女の子の扱いに慣れてるのかしら……」
(あんな小僧のことなど知らん。それよりも、柳堂寺だ。葛木と言う教師はどうなのだ?
魔術師なのか?)
「間違いなく違うわよ。話に聞く限りマスターみたいだけど、少なくとも喚び出したのは
葛木じゃないわ。主なしのサーヴァントを拾ったのか、さもなくば操られてるのか……」
(いずれにしても、込み入った事情であることに変わりはないようだな。今夜の予定に変
更はあるか?)
「ないわ。無関係の人間に憑いてるなら、さっさと祓わなきゃいけないし……とにかく今
夜は責めるわよ、柳堂寺を」

























2、


 小銭を取り出し、投入する。家の番号を慣れた手付きで押し――今時携帯電話を使わな
いことに若干の不便さを感じながら、相手を待つ。

『はい、衛宮』
「バゼットさんですか? 士郎です。どうですか? そっちの様子は」
『良好だ。何か魔術的操作をされていることもない。二人とも勝手に過ごしてはいるが、
大したものだよ。時計塔に欲しいくらいだ』
「怪しい道に誘わないでくださいよ……」
『記憶操作をしないと決めたのは君だ。既に踏み込んでしまった以上、ある程度の知識と
身を守るための技術は必要だろう?』
「それはそうかもしれませんけど……そんなにあの二人、見所あります?」
『君より葉よほど魔術師らしい。カネの感性は君よりのものだが、アヤコのセンスは私寄
り……直接教え込めばおそらく、戦いそのものの腕は君を越えるだろうな』
「これからさっさと帰ります。だから二人には余計なことを吹き込まないでください」
『ならば、さっさと帰ってくることを勧める。アヤコとは既に組み手をやった後だ。カネ
も私持ち出しの初等魔術書と格闘しているぞ?』
「……帰ります」

 受話器を叩きつけ、全力で走る。本当は今夜の予定を伝えるつもりだったのに、あの人
のせいで今の予定すら変わってしまった。

「柳堂寺か……」

 相手はおそらくキャスター。街の吸精の犯人であり、おそらくこの戦争で唯一、直接的
に話の纏まるだろう相手である。

 できることなら穏便に済ませたかったのだが、対抗の凛は今夜、柳堂寺を攻めるつもり
でいる。つまりは彼女よりも早く、最低でも同時に彼の地に踏み込まなければならないの
だが、いずれの場合でも彼女との衝突は避けられそうにない。

 アーチャーのマスター、遠坂凛。彼女は現在、最も扱い難いマスターに認定されている
……




























3、


「修行が足りないな……」

 話を途中で打ち切るくらいに急くなど、生き方に余裕のない証拠だ。例え目の前で未曾
有の大災害が起こったとしても、喜びこそすれ眉一つ動かさないだろう教会所属の元相棒
のようになれとは言わないが、仮にも自分に仕えられる身なのだ。せめてもう少し落ち着
きを持ってほしいというのは、欲張りなのだろうか。

「師匠、衛宮の奴は何だって?」
「すぐに帰ってくるそうだ。しかし、何故分かった? 私はシロウからの電話だなどとは
言っていなかったし、そも君は電話の内容を聞いていないだろう?」
「衛宮にゃ悪いけど、この家に電話をかけてくる人間ってそういないだろうからね。藤村
先生も間桐も学校なら、師匠が話し込むなんて衛宮しかいないだろ?」
「そうか。てっきり私は君とシロウの間には目に見えぬ絆でもあるのかと思ったよ」
「そいつは悪い冗談。今の私じゃ、衛宮には釣り合わないさ」

 そんなことはない、と士郎ならば言うだろうし、バゼット自身もそう思う。彼女の基準
とするものとは要するにただの個性であり、人にとってはそれほど重要ではない。

 その考えそのものが魔術師として既に異常なのだが、士郎自身はそれに気付かず、綾子
は綾子でその気付かぬ士郎に近付くために力を求めている。お互いに望むものはそこにあ
るのに、それを知らない彼らはひどく遠回りをしているように思える。

 離れてみているバゼットだからこそ解かるのか、そもそも自分にはそんなものがないの
か……

「アヤコ、君は魔術師になりたいのか?」
「それが強くなる道なら、ね。別に魔術に拘る必要はないよ。私は、私が納得できるだけ
の強さが欲しいのさ」
「なら君は、魔術師ではないさ。強くなるための手段は、私が示そう。君はそのまま、直
向に強くなるがいい」
「なんか、あまりいい言われ方な気がしないけど……」
「そう思うならば、修練を積んで生き残ることだ」

 本音を言えば、日常を生きていた人間に危うきに近寄ってほしくはない。だが、綾子の
ようなタイプが違う世界を知ってしまったら、引き返すことは不可能だろう。おまけに綾
子も鐘も、弟子として見て出来がいいのもいただけない。

 記憶の消去に反対された時から苦労を背負い込むことを目に見えていたが、まさか命の
取り合いをしにきたこの極東の地で、人生初めての弟子を取ることになると、一体誰が予
想したことだろうか。

「ところで、私に何か用事があるのではないのか?」
「氷室が呼んでるよ。セイバーじゃ役に立たないから、教えを請いたいってさ」
「…………師を呼びつけるとは、カネは一体何を考えているのだ?」
「それだけ、衛宮と新しい世界にしか目が行ってないってことでしょ?」
「直向なのは悪いことではないがね……」

 とりあえず、今のバゼットには言い負かされて悔しいのに、士郎の従僕という立場であ
る以上、あくまで客人である鐘に強くでることができず、内心を嵐の海の如く荒れさせな
がら、無理に平静であろうとするセイバーに姿しか思い浮かばなかった。



 まったく、苦労をさせてくれる――



 しかし、そんな苦労も悪くないと、最初の弟子に連れられながら、思った。