「絶対に来ると思ってたよ。衛宮って、僕のやってほしくないことを必ずするからね」


 赤く染まった空間を背景に、間桐慎二は体を反らし、口の端を歪めて笑った。いつも通り

の癪に障る仕草だったが、その背後には黒衣のサーヴァントの姿がある。それだけで、いつ

もは男子の神経を逆撫でするだけのその仕草にも迫力がでるのだから、慎二にすればサーヴ

ァント様々だろう。



 何とかに刃物だな、と心中でぼやきながら、一応、間桐慎二の友人を自認している衛宮士

郎は、彼のいい気分に水を差さないように、そっとため息をついた。





 穂波原学園、その屋上である。授業中故に二人の他に人はいないが、だからと言って階下

にいる学生達が平々凡々とした時間を過ごしているでもない。自分が使う魔術以外には疎い

士郎でも分かるほどの、大規模で強力な術式が学園全体を覆っているのだ。話があると呼び

出されて士郎が屋上に踏み込んだ瞬間、発動された結界……そのうち、アーチャーを従えた

遠坂も動き出すだろう。士郎には、色々な意味で時間が残されていない。



「単刀直入に言うぞ。この結界を、今すぐとめてくれ」

「いやだね。お前の言葉に従って、僕に得でもあるってのかい?」

「損とか得とか、そういう問題じゃないだろ? これは、魔術師とサーヴァントの戦争のは

ずだ。関係ない人を巻き込んでいいはずがない」

「魔術師とサーヴァントの戦争なら、それこそ関係ない人間がどうなっても関係がないと思

うけどね、僕は……でも、偽善者の衛宮には、そうはいかないんだろ? 面倒だよね、正義

の味方ってのもさ」

「もう一度言うぞ、慎二。結界を今すぐとめてくれ」



 令呪の浮かんだ拳を握り締め、最後通告のつもりでゆっくりと言葉を吐き出す。



「……まぁ、どうしてもって言うなら考えなくもないけどね。衛宮、ぼくのために死ねるか

い? 今すぐ衛宮が死んでくれるって言うなら、結界はすぐに解いてもいいけどね」

「…………それは無理だ。他の条件を考えてくれ」

「そうかい? 悪い話じゃないと思うんだけどね、手軽だし。でも、僕だって、鬼じゃない

からね。衛宮がそういうなら、もっと簡単な条件にしてやろうじゃないか」















「――どうだい? 簡単な条件だろ?」

「本当に、それで解除するんだな?」

「その点はご安心を。例え彼の気が変わったとしても、その約定は私が必ず守りましょう」

「あぁ、あんたなら安心だ。慎二よりもずっと信用できる」

「そんなに言うなら、今から出力を最大にするように命令してやってもいいんだけどね……」



 ぶちぶちと文句を言う慎二に、二人は取り合わない。士郎は慎二達に背を向け、黒衣のサ

ーヴァントはペガサスを喚び出す。それと同時に屋上のドアが内側から吹き飛び、一組の主

従が飛び込んでくる。







「じゃあ、衛宮。後のことは頼んだよ」















 

























「来たっ!!」



 凛が立ち上がるのとほとんど同時に、教師と旧友がばたばたと倒れ始めた。人を喰らう最

上級の、そして悪質な結界――生徒がいる時に発動させると思っていたが、その時は凛が思

っていたよりも少しだけ早かった。



「アーチャー、サーヴァントの気配は?」

(上――屋上だ。先に行った方がいいかね?)

「私も行くわ。足並みを揃えるわよ。こんな結界平気で使うような馬鹿、殴り飛ばしてやら

ないと気がすまないわ」

(その馬鹿を泳がせていた者の台詞ではないな……)

「だからこそ、ぶん殴るのよ!!」



 結界は既に発動し、事態は急を要するが、倒れた旧友達を放っておくわけにもいかない。

簡単な施術を入り口に施し、凛は自分に身体強化のを施術すると、教室を飛び出した。百メ

ートルを三秒で駆け抜ける脚力をもってして、廊下を疾走し、階段を五段抜かしで上ってい

く。



「屋上にサーヴァント以外の人の気配は?」

「サーヴァントが一体、他に人間は二人いるようだが……マスターの気配はしないのかね?」

「マスターの気配はしないわ。関係のない人間か……面倒くさいわね」

「関係のない人間であるなら、彼らがサーヴァントの戦いに巻き込まれても命を落とさぬ幸

運の持ち主であることを祈るしかないな」

「最初から巻き込む方向で話を進めないの。その二人は可能な限り助ける、それでいい?」

「それは、可能でなければ見捨てるという宣言だろう?」

「気分の問題よ。アーチャー、ドアを壊してちょうだい。突貫するわ」

「マスターの、仰せのままに」



 屋上へと続く、最後の階段。その踊り場に足を乗せた段階で、凛の背後から双剣が飛び出

し、金属のドアを粉砕する。残りの階段をすべるようにしてのぼり、凛は屋上に飛び込み、





「待ちなさい!」



 最初に目に入ったのは、サーヴァントらしき長身の女性と共に、ペガサスに跨ろうとして

いた間桐慎二だった。慎二は凛を一瞥すると、人を小ばかにするような、口の端をあげるだ

けの笑みを浮かべ、凛のことなど眼中にないかのように背を向ける。



「待ちなさい!!」

「凛っ!!」



 実体化したアーチャーに襟を掴まれ、凛は彼の背後に放り投げられる。慎二にばかり目が

行って気づかなかったが、屋上にはもう一人の人間がいた。



 衛宮士郎――この学園では知らぬ者などいない、便利屋の少年だ。その彼が、凛に向かい、

無表情にリボルバーを構えている……



 その銃口が火を噴いたのは、アーチャーがその手に再び双剣を手にした後だった。連続し

て放たれる六発の銃弾を、アーチャーはその手の双剣で危なげなく叩き落す。士郎が銃弾を

撃ちつくすまで、一秒と少し……しかし、その間に慎二とサーヴァントを乗せたペガサスは

屋上を飛び去り、声を上げるまもなく見えなくなってしまった。





 それを呆然と見送るしかない凛。睨みあうアーチャーと、士郎。



 慎二達が見えなくなってしばらくして、結界は消失し、階下が俄かに騒がしくなった。全

員が無事とはいかないだろうが、これくらいの時間なら、耐性の高い人間なら暫くすれば動

けるようになるだろう。手当てが必要な生徒は彼らに任せ、事後の処理は神父に任せること

にする。当座の問題は、







「さて、説明してもらえるかしら? 衛宮君……」





 拳銃を投げ捨て、無抵抗を主張する士郎に凛は歩み寄り、夢に見そうな程に凄絶な笑みを

浮かべた。その背後では、赤い弓兵が皮肉げに笑いながら、これ見よがしに十字を切ってい

た……





















「――つまり、衛宮君はセイバーのマスターで、私達の邪魔をしてくれた覆面で、さっきは

間桐慎二の口車に乗って、銃で私を狙ったと、そういうことで間違いはない?」

「はい、仰るとおりでございます、遠坂様」

「…………私、今、とても衛宮君をぶっ飛ばしたくてしょうがないわ」

「それで怒りを納めてくれるなら、渾身の一撃を叩き込んでくれてもいいけどさ……」



 不穏な言葉を受けて殺気立つセイバーを宥め、士郎は言葉を続ける。



「遠坂は、それくらいじゃ俺を許しちゃくれないだろ?」

「解ってるじゃない。地面に頭をこすり付けて、泣いて許しを請うくらいの用意がある?」

「実際にそうしたら、容赦なく踏みつけられるような気がするんだけど……」



 苦笑を維持しながら、士郎は一々行動を読んでくる。自分を見透かされているようで、癪

に障るが、目の前にいるセイバーと、霊体になって隣にいるアーチャーに敬意を払い、凛は

強引に心を落ち着かせる。





 学園に程近い、喫茶店だ。今の時間に学生がいることは少々不自然だが、その辺の配慮は

凛が魔術を使うことで対応している。いても不自然に思われないという程度の弱い魔術だが、

士郎にはその程度の魔術も使えないので、誘った立場ではあるが、甘えることにした。そう

いった魔術を使えない、と告白した時の凛の顔を、士郎はしばらく忘れることができなだろ

う。





「で、衛宮君が覆面だって言うなら、目的はなんだったの?」

「なるべく誰かが死ぬのを少なくして、聖杯戦争を片付けたかったんだよ」

「その中には、サーヴァントまで含まれてたりするのかしら? 私が言うのもなんだけど、

こんな最上級の使い魔が現界したままなんて、碌なことが起きないんじゃないかしら」

「そのために、会って話をしてる」

「約束が守られる保障はない訳だけど?」

「それは……なんとか、なると思う」





 士郎の言葉は少ない。



 先の結界では誰も『死んではいない』ようだし、キャスターもあれから目立った行動はし

ていない。士郎の行動は凛からすれば、行き当たりばったりの考えなしに思えるが、現時点

で知りうる限りでは致命的な被害は出ていない。戦いの場で一々話し合うという、リスクの

高い行動だが、自分に被害の出ていない現状では、凛にその話し合いを責める謂れは無かっ

た。



「ちなみに、これからどうするつもり? 間桐慎二を追うの?」

「学校はしばらく休みになるだろうしな、それでもいいんだけど……明日あたり、郊外の森

に行ってみようと思う」

「アインツベルンの森? イリヤスフィールに会いに行くつもりなの? 殺されるわよ?」

「とりあえず、森の入り口に行ってみるだけだよ。呼びかけて話を聞いてくれそうだったら、

してみる。戦いたがったら……その時は、その時だ。こっちにはアル……セイバーもいるし、

別に遠坂の損にはならないだろ?」

「それもそうね。私は衛宮君が生きようが死のうが、知ったことじゃないし」

「そこは、しおらしく止めるとこなんじゃないのか?」

「なに? 私に心配してほしいの?」

「本心を言えば、少しは……」



 士郎は決まりが悪そうに苦笑する。それに比例してセイバーの怒り具合が、どんどん酷い

ものになっていくのだが、凛にはあまり関係のないことだ。



「私に心配してほしかったら、何かプレゼントでも用意しなさいな。それじゃ、あたしはも

う行くわ。次に会う時は敵同士ね。よろしく殺し合いましょうか」

「お手柔らかに頼む……ところで、聞きたいことと言いたいことが一つずつあったんだけど

さ」

「なに? ここの代金を払えっていうならそれでもいいけど……ストレートとフックとスマ

ッシュ、どれで払ってほしい?」

「…………いや、ここの払いは俺が持つよ。一応、誘ったのは俺になる訳だし……と言うか、

俺の言いたいことはそういうことじゃなくてだな?」



 争いの種になりそうな伝票を引き寄せ、それを弄びながら、





「遠坂、お前、聖杯を手に入れたらどうするつもりなんだ?」





 それは、マスター同士の会話の中で出てくる問いとしては自然なものだったのかもしれな

い。しかし、自分と同じ問いをされたことが気に食わなかったのか、霊体のアーチャーが不

快、という信号を送ってくる。



 凛にはそれが、質問に答えるな、という意思表示のように思えた。衛宮士郎は敵なのだか

ら、質問に答えてやる義理は確かにないが……



「何も考えてないわ。私は、聖杯を手に入れることが遠坂の悲願だから、戦ってるだけ。さ

すがに聖杯なんだから使い道がないではないし、そういうことは、手に入れてから考えてみ

ることにするわ」



 本心からの答えに、アーチャーが先ほどよりも強い不快の信号を送ってくる。同じサーヴ

ァントであるセイバーに悟られることを危惧しての行動だろうが、ダイレクトにぶつけられ

る負の感情は、いかに魔術師と言えども気分のいいものではない。やめろ、という意思を込

めて、凛はアーチャーのいる空間を睨みつけた。その行動にセイバーは眉を顰めるが、士郎

は特に気にするでもなく、



「……遠坂、頼みがあるんだけどさ」

「条件と内容によるわ。でも、今は敵同士なんだから、大抵のことは――」

「聖杯をやるっていったらどうだ?」



 聖杯、という単語に、凛の動きの全てが止まった。傍観していたアーチャーですら姿を消

したまま呆然としているらしく、セイバーにいたっては士郎の隣で紅茶を噴出していた。士

郎は慣れた手つきで、テーブルに散った紅茶を拭きながら、



「正確には、マスターが俺と遠坂になった時点で、俺が聖杯を手にする権利を放棄して、遠

坂が優勝って企画なんだけどさ。それでどうだ?」

「どうだも何も……提示するのが条件だけじゃ、答えようがないでしょ? 衛宮君の要求は

なに?」

「権利を譲る時に、セイバーを引き受けてもらいたいんだ。俺は別に聖杯なんていらないけ

ど、セイバーは欲しいみたいだからさ」

「他には?」

「同盟を結びたい。キャスターの時みたいに話を聞いてくれるマスター、サーヴァントばか

りならいいけど、そうじゃなかった時にできるだけ被害を少なくしたいんだ」

「形の上でもキャスターと話を纏めた事実は買うけど……現状、サーヴァントは一騎も脱落

してないわ。衛宮君が弱くないのは認めるし、セイバーが強いのも理解してる。最終的に聖

杯をくれるって条件も、セイバーを引き受けて取り分が減るかもしれないことを考えても、

悪くはないわ。でも――」



 凛はずい、と士郎に顔を近づける。



「私は、衛宮君のやり方で聖杯戦争が終わるとは思えない。戦うしかない時は戦うつもりみ

たいだけど、貴方、例えばイリヤスフィールを殺すことができる?」

「別に、殺さなくても聖杯戦争は終わるだろ?」

「私は、覚悟の話をしてるのよ。いざ殺さなければ殺されるって時に、手を止めるかもしれ

ないって公言してるような人に、私の大事な命は預けられないわ」

「俺は、人死は出したくない」

「じゃあ、問題外ね。どうしても同盟が組みたいんだったら、他を当たりなさい」



 哀れむような苦笑を浮かべると、凛は踵を返す。セイバーの刺すような視線が気になった

が、彼女はここで戦うような好戦的な存在ではないだろう。目当てだったセイバーを手駒に

する機会は失ってしまったことになるが、背に腹は変えられない。





「それなら、俺がイリヤスフィールを何とかする」



 凛の背中に投げかけられる士郎の声は、喫茶店中に響き渡った。あまり客のいない店内だ

ったが、それでも聞いていない人間がいない訳ではない。凛が迷惑そうに振り向くと、今度

は士郎の方から顔を寄せてきた。



「明日会いに行って、聖杯戦争から脱落させてくる。もちろん、イリヤスフィールは殺さな

いで、だ」

「無理ね。衛宮君の実力もセイバーの実力も知らないけど、少なくともマスターとしての能

力はあの娘の方が上よ? 加えてあの娘のサーヴァントはバーサーカー、ヘラクレス。はっ

きり言って、戦えば勝つ、くらいの表現が冗談じゃなくなるような組み合わせよ? それを

マスターを殺さずに済ませるだなんて――」

「できる、できないは遠坂には関係ないだろ? 俺が聞きたいのは、それができたら俺の提

案を飲むかってことだけだ」



 士郎の目は真剣で、冗談を言っているようには見えなかった。さて……



 凛には、それができるとは思えない。しかし、仮にそれができてしまった場合、最大の障

害であるアインツベルンのマスターがサーヴァントと一緒に消え、パワーバランスが一気に

崩れる。



 そうなれば、残りは六騎。しかし、キャスター、アサシンは先日の話し合いを鵜呑みにす

るなら聖杯戦争には消極的であり、好戦的な残りの二騎、ランサーとライダーには、士郎の

条件を飲むならば、セイバーと二騎で当たることができる。しかも、勝ち残った暁には、聖

杯までプレゼントしてくれるという好条件だ。



 考えうる限りでは、最高のランクに分類される好条件だ。全ての約定が守られるならば、

という前提条件付きだが……





「イリヤスフィールを何とかしたって、その証拠はどうするの?」

「本人を連れてくる。それなら、証明になるだろ?」

「……なら、その本人を連れてきなさい。話はそれからよ」

「それは、イリヤスフィールを連れてきたら条件を飲むってことでいいのか?」

「私は、証拠を持ってきなさいと言ったわ」

「……後で連絡する」



 伝票を持ち、士郎はレジへ。彼について歩くセイバーは、凛には目もくれない。凛として

は、できたらお近づきになりたいものだったが、どうやら本格的に彼女とは縁が無かったら

しかった。



















(本気か? 凛)

(本当に私が納得するような証拠を持ってこられたら、流石に認めない訳にはいかないでし

ょ?)



 子供そのものの容姿をしていたが、イリヤスフィールも遊びで聖杯戦争に参加している訳

ではないだろう。士郎は何となく受けが良さそうに思うが、それを差し引いたとしても、自

分の前に現れるのだったら、それは彼に懐いた、と捉えてもいいはずだ。バーサーカーを倒

してそうなったのならまだいいが、もし倒さずにそうなったのなら、首を縦に振らざるを得

ない。最良の騎士と最強の騎士のタッグなど、もはやインチキでしかない。





(しかし、奴が君との約定を守るとも限らない訳だが……)

(その時はその時よ。どうにかして寝首をかく手段は考えておくことにするわ)

(気の休まらない同盟だな)

(戦争なんだもの。そんなものじゃない?)

(……ちがいない)



 士郎とセイバーの出て行った入り口を見やり、凛は再び席に腰を下ろした。先までの遣り

取りに呆然としていた店員に、再び紅茶を注文する。





(帰らないのか?)

(そんな気分なのよ。家で貴方の入れてくれた紅茶を飲むのもいいけど、今は何だか、一人

で飲みたいの。お酒じゃないのが、様にならないけどね)