「どうしたってのかしらね、一体……」

(私に問われてもな……)



 冬木市郊外、広大な面積を無駄に誇る森……一部の人間――魔術師達の間では、アインツ

ベルンの森と呼ばれるその場所で、遠坂凛とその従者である赤い弓兵は眼前の光景に、呆然

と立ち尽くしていた。



 魔術師の本拠には例外なく、侵入者を撃退するための結界が敷かれているものだが、眼前

の森には、それらが機能している様子は一切なかった。目に見える範囲の木々が尽く薙ぎ倒

され、地は抉れ、本来あるべきはずの魔術的なシステムが破壊し尽くされているのだ。



「衛宮君達がやったのかしら?」

(その結論は現実的ではないな……あの小僧にここまでができるとも思えんし、セイバーが

やったにしては、少々無様に過ぎる)



 自らと同じ結論に達した従者に頷きを返し、凛は破壊された木の一つに歩み寄る。それは

結界の要の一つだったのだろうが、他の木々と同じように見事なまでに破壊されていた。結

界破壊のための何かをぶつけた、という感じではなく、何某かの魔術礼装を強引にぶつけ、

その結果として結界を破壊したように凛には見える。



 そして、薙ぎ倒された木々には、その全てに似たような痕跡があった。アインツベルンの

結界を、誰かが魔術的に強引な手段で突破したということの証左でもあるが、それにしたっ

てこれだけのことを成す力業とは、レベルがでたらめに過ぎる。森全体に広がる結界を邪魔

だとばかりに一々破壊しながら進むなど、どれほどの力業だというのか……



「誰がやったかの考察。例によってアサシンとキャスターは除外するとして……」

(セイバーでも私でもバーサーカーでもないとすると、残りはランサーかライダーか……)

「ランサーではないんじゃない? 頭の悪い言い方で申し訳ないけど、私、あの男がこんな

ことをするとは思えないわ」

(ならば消去法的に、ライダーがこれを成したということになるか。だが、彼女が君の学び

舎で己の結界を発動し、魔力を得たのは昨日の話だ。力を得て舞い上がるというのは分から

なでもないが、それにしてもバーサーカーを相手に喧嘩を売るというのは、早急すぎはしな

いかね?)

「でも、マスターがあの慎二だからねぇ……」



 彼は魔術師ではない――魔術師である、ということを長年隠し続けていた魔術師に、最近

会ったばかりだが、間桐慎二が魔術師でないことは、今度こそ確信が持てる――のだから、

正規のルートでマスターになったのではありえない。彼がどうやってマスターになったかの

考察はこの際置いておくが、本来のマスターでないというのなら、彼がバーサーカーやアイ

ンツベルンに対して危機感を持っていなくとも、不思議ではないだろう。だが……



「これをやったのがライダーなら、話が早く助かるんだけど……」



 そうでないだろう、ということは凛にも何となく理解できた。何かを見落としているとい

う確信が、胸の中から消えてくれないのだ。



 遠く――と言っても、城まではまだ到達してないだろう距離から、轟音が聞こえる。つま

りは、破壊を成した存在がいまだアインツベルンを諦めてはいない、ということだ。それが

単独なのか、誰かと戦闘をしているのか、それとも凛の知る誰かが徒党を組んで、バーサー

カーを攻めることにしたのか知らない……だが、いずれにしても、





「行くしかないわね……」

(それが良かろうな。ここで引き返しては、我々は間違いなく蚊帳の外に置いていかれる)

「後手に回る展開ばっかり引かされてる気がするわ……」

(そう思えることを、今は喜んでおくといい。気が付けば退場していた、というカードを引

かされるよりは、何百倍もマシなのだからな)




























 確かに、平和的な交渉に来たはずなのだ。しかし、近くまでタクシーを頼み、歩いて辿り

着いた森の入り口は、既に何者かに破壊しつくされた後だった。何者かの攻撃を受けている

――目の前の光景からみ地引き出された結論に、一も二もなく士郎は駆け出していた。慎重

に行くべし、と主張するアルトリアの声にも、耳を貸さない。先に響く轟音。バーサーカー

以外の強大な気配の全身に感じながらひた走り、アインツベルンの城、そのロビーが視界に

入る頃には――重厚な門は、完膚なきまでに破壊されていた――既に、雌雄は決していた。





 鎖で雁字搦めにされ、ぼろ雑巾のようなバーサーカー。それに取り付き、必死に声をかけ

る銀髪の少女。二人の従者は、彼らを守るように展開し己が敵に相対するが、その戦力差が

絶望的であることは、理解しているらしい。最後まで主を守るという決意があることは明ら

かだったが、眼前の敵を撃退できるとは考えていないのだろう。無表情に佇む彼女らにも、

絶望の二文字がはっきりと張り付いていた。



 そして、彼らの敵……金色の鎧を身にまとった、王者の風格を持った男。傲岸不遜を絵に

描いたような彼の周囲には、古今東西、ありとあらゆる『伝説の武器』が浮遊していた。そ

の全てが本物であるという事実に、士郎は一瞬、状況も忘れて見とれてしまうが――



「アーチャー……何故、ここに」



 アルトリアのその呟きに、我を取り戻す。



「遠坂のサーヴァントか? 随分と様変わりしてるけど……」

「それとは別人です。目の前の彼は、十年前の聖杯戦争の時、アーチャーのクラスとして召

還されました」

「再召喚されたのか? それとも十年間もずっと現界してたのか?」



 いずれを認めるにしても、七体のサーヴァントでの聖杯戦争という大前提が崩れ、常にイ

レギュラーを警戒しなければならなくなり、方針を根本から変えなければならなくなる。か

ろうじて正規の参加者である士郎には、あまり面白くない仮定だ。



「どちらも考えられないことではありません。現界するにたる魔力があれば我々はいくらで

も現界できますし、再び同じサーヴァントが召還されることも、可能性は低いですが、あり

得ない話ではない」

「何か、あれについて知ってることはある?」

「それほどは……しかし、彼について分かっていることが一つだけある」

「うかがいましょう?」

「それは彼が、とてつもなく強いということです」



 ありがたくないが、確信に満ちたアルトリアの忠告に、士郎は思わず天を仰いだ。



「行くのでしょう? 先陣は私が務めます」

「宜しいのですか? とは聞かないのか?」

「無駄ですからね……貴方に彼女達を見捨てるという選択が出来ない以上、せめて先陣くら

いは私が勤めねば、命がいくらあっても足りはしません」

「でも、付き合ってはくれるんだ。ありがとうな、アルトリア」

「…………これでも私は、貴方のサーヴァントですから」

「主冥利に尽きるよ」

「そう思うのでしたら、貴方にはもう少し勝利に貪欲になっていただきたいものです」

「……前にも似たような会話、した気がする」

「以前にも同じことを言われた、ということも証明でもありますね」

「…………いこうか。先陣、頼む」

「心得ました――往きます」



 宣言と共に飛び出すアルトリア。士郎はそれに追従する形で、両手に双剣を投影する。

突如現れた侵入者にアインツベルンの一行は揃って驚きの色を浮かべるが、金色の鎧の男は

その接近に気付いていたらしい。驚くどころか嘲笑すら浮かべて、それまで銀色の少女達に

向けていた、『剣群』を士郎達に向けた。圧倒的な死を予感させる光景に、士郎の身は一瞬

竦む。だが――



「士郎はそのまま、走ってください」



 それが務め、とばかりにアルトリアは速度を上げると士郎の前に立ち、不可視の剣でもっ

てその剣群を全て叩き落した。肩越しに振り返り促すアルトリアに、竦んだ体に鞭を打って

士郎はイリヤスフィール達のもとまで駆け寄るが、





「どうして、もっと早くきてくれなかったの?」



 士郎を向かえたのは、ハルバードを担いだ無表情なメイドの、無情な一言だった。



「…………ごめん。でも、今はそんなことを言ってられる状況じゃない。これからは頑張る

から、とりあえずはそれで許してほしい」

「……分かった。イリヤとセラが助かるなら、私は、何も言わない」

「助かるよ。ここから皆で逃げようと思うんだけど、できる?」

「私がイリヤとセラを担げば、何とか」

「それじゃあ速度が遅くなる。どっちかは俺が担ぐから、全速力で逃げよう。イリヤ――」

「イリヤスフィール様、です」


 アルトリアが今だに剣群と孤軍奮闘する中、もう一人のメイドがいらただしげに告げる。


「え〜っと……君はセラ?」

「はい。イリヤスフィール様付きのメイド、セラと申します。衛宮様ですね? 話はイリヤ

スフィール様から聞き及んでおります。できれば、会いたくはなかったですが……」

「ごめんね、間が悪くてさ。それよりも、俺に担がれるのはセラでいいか? お嬢様を俺が

担ぐのは、流石に間が悪いだろ?」

「私は――」

「自分の足で走れるってのは、却下だぞ? 俺はセラを担いでも100メートル三秒くらい

で走る自信があるけど、それよりも早く走れるか?」

「…………」



 忌々しそうに士郎を睨み、セラは沈黙する。役目は決定した。



「決まりだな。イリヤ『イリヤスフィール様、です』……イリヤスフィール。バーサーカー

を霊体に戻して、こっちの……」

「リーズリット。リズって呼んで」

「リズと一緒に走ってくれ。殿は俺とセイバーが務めるから、とりあえず森の外まで。そこ

からの行動はそっちに任せる。俺についてくるのもよし、行くあてがあるのならそれでもい

い。ただ、森を出るまでは俺がきっちりと責任を持つからな。俺とセイバーが死なない間は、

死ぬことはないって約束しよう」

「…………シロウは、私を助けてくれるの? 私は、シロウを殺しにきたのに」



 灰色の騎士にとりついたまま、涙を浮かべて尋ねるイリヤに、士郎は苦笑を浮かべる。頭

を撫でようと手を出して……セラに睨まれていることを思い出す。



「俺は正義の味方だから。目の前に困ってる人間がいたら、助けるのさ」

「私は、悪い人間だよ? それでもいいの?」

「いいんだよ」



 双剣を持ち直し、アインツベルンの一行に背を向けながら、続ける。



「そんなことは助けてから考えればいい。その人が助けて欲しいと思ってるなら、俺は助け

る。それで後悔するなら……俺が修行不足だったってだけの話だろ? 少なくとも、イリヤ

……スフィールが気にすることじゃない。



 アルトリアと金色の男の戦いは、一進一退の攻防を見せていた。アルトリアが剣群を弾き

ながら近寄れば、金色の男が更なる剣群で持ってアルトリアを迎え撃つ。本人が強い、と言

っていただけに実力は拮抗しているようにも見えるが、もはやお荷物とかしてしまったアイ

ンツベルンを庇ったまま、というのが効いているのか、思い切って攻めきれないでいる。こ

こから逃げ切るためには、彼女の奮闘が前提条件となっているが……



 士郎の内心を見透かしたように、アルトリアと戦いながら金色の男は視線を士郎達の方に

向け、口の端をあげて嘲笑ってみせた。最強と最良の騎士を相手にしてなお、この余裕……

逃げようと背を向けようものなら、即座に剣群が飛んでくるだろうことは、想像に難くない。



(逃げ切れるか……)



 バーサーカーがあてにならない以上、アインツベルン組の健闘を期待することはできない。

全員で安全に逃げることが理想だが、最悪、自分の身を犠牲にする必要もある……敵を逃が

して、自らを危険に晒す。馬鹿な行動、従者に怒鳴られるはずだ。



 苦笑し、双剣を握りなおす。それしかないのなら、そうするしかあるまい。



「悪いけど、セラを抱えるのはなしだ。そっちは三人で――」

「士郎っ!!」



 一本の剣を取りこぼしたのを皮切りに、金色の男は剣群を士郎達にも向け始めた。とっさ

にイリヤスフィールとセラの前に立つ、士郎とリーズリット。双剣とハルバードでもってそ

の全てを叩き落すが、金色の男は段々と、その処理能力を超えるように剣群の数を増やして

いく。アルトリアは動けない。彼女が動けばそれこそ金色の男は手加減なくこちらを攻撃し

てくるだろう。助かりたいのなら……もはや手段は奥の手しかない。





「アル……セイバー! 令呪を――」

「死にたくなければ、頭を下げろ」



 背後から聞こえる男の声。そして、覚えのある感覚を感じるよりも先に、士郎は両手の双

剣を放り出し、リーズリットを押し倒した。その一瞬の後、士郎達のいた空間を捻じれた剣

が疾走する。自分まで巻き込むことを前提にした攻撃に、珍しく慌てて身をひくアルトリア。

金色の男はそれを避けることもせず――







『壊れた幻想(ブロークン=ファンタズム)』





 その一言のもと、幻想が現実を侵食した。




















「……遠坂か? 何でここに」

「衛宮君がちゃんと仕事をするか、見に来たのよ。ほんとは手を出すつもりなんてなかった

んだけど、ピンチだったんだからしょうがないものね。貸しひとつってことで、許してあげ

るわ」

「高い借りになりそうだ……」

「利息はトイチよ? 覚悟しておいてね」





 こいつにだけは借りを作るまい……士郎はそう心に決めた。隣にはアルトリア、背後には

アインツベルン。目の前には、たったいま借りを作ってしまった、一組の主従がいる。



「とりあえず、ここは共闘でもしておく?」

「話が早くて助かる。しんがりは俺とセイバーが務めるから――」

「その案には異論があります、エミヤシロウ」



 イリヤスフィールの護衛を。そう続けようとした士郎の言葉を、セラが遮った。



「私は貴方を信用している訳ではありませんが、そちらの者どもはもっと信用できません。

手段を選んでいられるような状況でないことは分かっていますが、彼女らに背中を預けるく

らいなら、まだ貴方達のほうがマシだと考えています」

「つまり……俺たちに護衛しろと?」

「もともと、そういった企画だったはずです。一度口から出た言葉は、守って欲しいもので

すね」

「……私たちも嫌われたものね。アーチャー」

「好かれる要素がないからな。これが自然な反応だろう……しかし、そちらの従者が言うの

も最もだ。信頼の置けぬ者に背中は預けるものではない。ならば――」



 アーチャーが、一歩前に出る。一行全てをその背に守るように。自らが引き起こした、砂

煙を見つめて。



「ここは、私が殿を務めよう。凛、君はセイバーと共にここを離れるがいい」

「私は様子を見に来ただけなんだけど?」

「トイチの貸しを作ったところだ。不当に金を押し付けて、暴利を貪るのも悪くはない。幸

いにしてセイバーの主殿は、律儀に借りを返す主義のようだからな」



 士郎の隣で、アルトリアが深い深いため息をついた。今までの経験から、アーチャーの言

葉が真実であることが、理解できたのだ。



「殿、任せていいのか、遠坂」

「うちの従僕がそう言ってるからね。私もおとなしく高利貸しになることにするわ」

「お手柔らかに頼む……」



 リーズリットに目で促し、イリヤを抱えさせる。話を聞いている間に気持ちをまとめたの

か、バーサーカーは既に消えていた。後は……



「あー、その……なんだ……背負うのと抱えるの、どっちがいい?」

「…………その一言で、貴方に淑女をエスコートするだけの器量がないことは分かりました」

「そんなこと言ったってさ、普通の高校生に女の人を運ぶようなことって、あると思うか?」

「貴方には多くを期待していません。ですが一言だけ言っておきます。不埒なことをしたら、

その時点で命はないと思いなさい。いいですね?」

「肝に銘じておきます……」

「話はまとまったか? ならばさっさと行け。あちらも律儀に君達が逃げるのを待ってくれ

ているようだ。その気遣いを無碍にするのは、失礼というものだろう?」



 砂煙の晴れたその先には、金色の男が相変わらず嘲笑を浮かべている。早く逃げろ、その

目はそう言っていた。そうでなければ、面白くないとも。不遜なまでの自信だが、それを裏

付けるだけの実力は、見せ付けられたばかりだ。ころあいを見て撤退するつもりだろうが、

アーチャーの足止めもいつまで続くか分かったものではない。



「わかった。殿は任せたぞ、アーチャー」

「貴様に言われるまでもない。無駄口をたたく暇があったら、さっさと走れ」



 それに答える言葉はない。士郎はセラのひざの下に手を差し入れて抱きかかえると、身体

能力を限界まで強化――疾走する。隣にはイリヤを抱えたリーズリット、同じく身体強化を

施した凛、殿はアルトリアが務める。逃げ切れるかは分からないが……今は、ひた走るのみ。

































「さて、我を一人で相手にするか? 贋作者ごときが。その思い上がりは、万死に値するぞ」

「なに。玉座の上に踏ん反り返った駄王ごとき、私一人で十分と判断したまでだ。貴様こそ、

自分が万物の頂点であるなどと下らぬ幻想を抱いていると、無様に散るぞ」

「言うか、駄犬が……」



 金色の男――かつて、英雄の王と呼ばれた男の周囲に、古今東西、ありとあらゆる武器が

浮かぶ。その数は優に百を超える。先にはあの灰色の騎士を実質的な敗北にまで追い込んだ、

無敵の武器だ。幾たびの戦場を越えた英雄ですら、それの前には恐れおののき、神にすら仇

なす文字通りの必殺。



「駄王ごときが、何を抜かすか」



 しかし、贋作者と呼ばれた弓兵は、それらを端から写し取って見せた。贋作こそが自らの

領分だとばかりに、英雄王の剣群を全てを周囲に配置。英雄王を真似て、高々と掲げた指を

――



「では、思い上がりが過ぎる駄王に、物の真贋が勝利に直結するのではないと教育してやろ

う。手間は取らせん、すぐに済む。お代はそう……貴様の命だ。安いものだろう?」





 ――打ち鳴らす。