授業風景ってのは何年立っても変わらないんだね〜)

「そんなもんかな。ずっと旧校舎にいたんだったら、こんな物でも新鮮に思えるんじゃな

い?」

(そうでもないよ。たまに友達も来たりするし、心ときめくことが起こったりするし)

「何か・・・やましいことしてないだろうね?」

(あたしが誂えたんじゃないよ。誰もいない旧校舎、そこに来る二人の男女・・・きゃ〜!!)

その思い出した内容がフィードバックしてこないだけまだましだが、頭の中で疚しい妄想

にふけられるのは、はっきり言って迷惑である。

「七瀬、頼むから少し静かにしてもらえないかな?」

(え〜。だって私は真一郎と話すことくらいしかすることないから、暇でしょうがないも

ん)

「いいから、少し黙っているように!」

「相川、何か言ったか?」

しまったと思い真一郎がゆっくり教室を見回すと、ほとんどの生徒の視線が彼に集中して

いた。

途中目が合った大輔などは『ば〜か』というジェスチャーを真一郎に送ってきている。

教師は困った顔で、ずっと独り言を言っていた(少なくとも周囲にはそう見えていただろ

う)彼を眺めている。

「独り言を言うのは悪い事ではないと思うが・・・もう少し小さな声で言うようにな」

「はあ・・・すみません」

教師はそれだけ言って気が済んだのか、再び黒板に向かって授業を再開する。

生徒達もすぐに興味を失い、真面目に授業を聞くなり個人の作業に没頭するなりしはじめ

る。

(七瀬のせいで怒られたじゃないか・・・おい、七瀬?)

今度は声に出さずに心で呼びかけたが、七瀬からの返事は返ってこない。

(また寝ちゃったのか・・・)

そこは普通の人間と一緒で、しつこく呼びかければ起きてくれるだろうが、わざわざ起こ

すこともないだろう。

真一郎は机に突っ伏した。

この教師は授業の邪魔さえしなければ何をしていても咎めないような人だから、真一郎も

すぐに夢の世界へ落ちていった。





(う〜ん、お互いよく寝たね〜)

「俺の場合、今日はまじめに授業を受けようと思ってたんだけどね。怒られるまで」

午前の授業をたっぷりと寝て、今真一郎は昼食後の廊下を歩いていた。

相変わらず七瀬との会話は真一郎の独り言だが、要領を得たのか、すれ違う生徒達も特に

彼を気に止めたりはしなかった。

(どうでもいいけど、どうして真一郎そんな格好してるの?せっかくかわいい顔してるの

にもったいない・・・)

「そう言われるのが嫌だからね。男子の制服を着てても女子と間違われることもあるし・・

 ・」

(あはは、それ解かる)

「ぬ、失礼にもほどが―」

いもしない相手を睨もうと隣りに注意を向けたとき、真一郎は誰かにぶつかった。

女の子の短い悲鳴が聞こえると、何冊もの本が落ちる音は響く。

(あ〜あ、いけないんだ〜)

「ごめん、大丈夫?」

だが、ぶつかった女生徒は真一郎など気にも留めずに落ちた本を黙々と拾い始める。

あまりにも無愛想な態度に真一郎もむっとしたが、非は自分にあるので黙って本を拾う。



「はい、ごめんね。これで全部だと思うけど・・・」

そこで、真一郎は初めてその女生徒と目を合わせた。

赤みがかった髪に、日本人にはない鮮やかで引き込まれそうな青い瞳。

強く抱きしめたら崩れてしまいそうなほどの華奢な物腰で、肌の色も不健康ではない程度

に白い。

文句なしに美人の部類に入るだろう。ちなみに激しく真一郎好みである。

「・・・・・・」

その青い瞳が不思議そうに真一郎を見つめていた。

「・・・はい、どうぞ」

「ありがとうございます。ごめんなさい、よそ見してて・・・」

「俺の方こそごめん。何も持ってない俺が気をつけなくちゃいけなかったのに」

「・・・じゃあ、二人とも悪いということであいこにしましょう」

見逃してしまいそうなほどの微かな笑みを浮かべると、女生徒は本を抱え直した。

「持とうか?」

「だいじょうぶですよ、見た目よりも力ありますから。・・・では、私は行きます。先輩、

また・・・」

言葉通りしっかりとした足取りで階段を降りていく女生徒を真一郎はぼ〜っと見送った。

(去っていく女の子の背中・・・それを見ながら真一郎は新たな恋の予感を感じていた)

「予感って何?ちょっと見惚れてただけでしょう?」

それを世間では一目ぼれとか恋の予感とか言いそうな気もするが、周りにいる女性が世間

の平均点を遥かにぶっちぎっている真一郎に一目ぼれをしろというのも無理な話である。

もし本気でそうしたいのであれば、それこそ「神の創造物」のような女性を連れてくるし

かない。

「でもね真一郎。女の子は見た目を裏切るものだよ」

「・・・どういうこと?」

(さあ、どういうことでしょう?)

「変なの・・・。もう時間か、教室戻らないとな」

去っていった女生徒にどこか後ろ髪引かれながら、真一郎は教室に戻っていった。

そして、午後の授業は始まる頃には意味深な七瀬の言葉も忘れ去っていた。









その日の放課後、特にすることもなかった真一郎は何か暇を潰す物が欲しいという七瀬の

言葉を聞き入れて普段はめったに足を運ばない図書室へと来ていた。

「俺はここには来ないから、少し肩身が狭いな・・・」

(でしょうね。あたしの時代でもふりょ〜は図書室になんて来なかったし・・・)

「七瀬は図書室使ってたの?」

七瀬と図書室という関係が不思議な気がして、真一郎は思わず聞き返した。

(失礼だな。あたしだって文学少女なんだぞ?)

「ぶんがくしょうじょ?」

七瀬という人間、いや幽霊を知ってまだ日は浅いが、彼女が「ぶんがく」に縁遠いことく

らいは真一郎でも察することができる。

(む、疑ってるな?)

真一郎の中にいるのだから当然なのだが、彼の考えていることが伝わったらしく、七瀬の

声も少し鋭くなる。

(そこまで言うならあたしの力を見せましょう。どんな本でも持ってきなさい)

「そ、なら俺も気になるけど読みたくなかった本が結構あったんだ。読んで感想聞かせて

くれる?」

そう言って、真一郎はやたら重そうなタイトルの並ぶ本棚に直行し、そこからさらに重そ

うな本に片っ端から手を伸ばした。

「とりあえず、よく解からない哲学書とかから行くか?」

(う・・・もう少しだけ軽い方が・・・)

一般人には一生縁のなさそうな本のタイトルにビビったのか、七瀬の声にも幾分力がない。

「じゃあ有名どころだけど、「罪と罰」にするか・・・あ、「聖書」もいいな」

(ごめんなさい・・・。もっとすっごく軽い物がいいです)

「だったら最初からそう言うの・・・」

それらを元あった場所に戻して、結局真一郎が選んだのは最近小鳥に勧められた続き物の

大衆小説だった。

(一時はどうなるかと思ったけど・・・これで安心して暇が潰せるわ)

「俺も読みたいから。なるべく早く読んでね」

(お〜け〜。あれ?なんかあそこに不穏な空気が・・・)

真一郎が見やると、カウンターに座っている図書委員の女生徒が男にナンパされている。

その女生徒の顔までは解からなかったが、会話の内容から少なくともその男を歓迎してい

る訳ではないようだ。

だが、男の方には引く気はないようで周りで勉強をしたり、本を読んでいる生徒は迷惑そ

うな瞳をそちらに向けている。

「人助け・・・した方がいいのかな?」

(うん、やっちゃえ。あたしもああいうのって嫌い)

「よ〜し・・・ねえ、そこの」

なるべく声が低くなるように意識して、真一郎はいきなりその男と肩を組んだ。

いきなりの乱入に男は規制を削がれ、さらに真一郎の格好と態度にびびったのか、腰も引

けている。

「なあ、ここはどこだろうな?」

「・・・と、図書室、ですか?」

「だよねぇ〜。だからさ、そういうこされるとすごく迷惑なんだ。解かる?」

「かん・・・係ないじゃないですか?あなたには・・・」

ナンパしていた女生徒の手前という意識があるのか、男は尚も虚勢を張るがこんな調子で

は格好悪いことこの上ない。

「すごく迷惑なんだ、解かる?」

真一郎は同じ言葉を繰り返して、男の肩に置いた手に力を込める。

たいして力を込めた訳でもないのに、それが余程恐ろしかったのか、男は短く悲鳴を上げ

ると転がるように図書室を出て行った。

(真一郎、かっこい〜ぞ〜)

「あのテの奴は強気で行くのがいいね、やっぱり。さて本でも・・・・・・あ・・・」

そこで初めてさっきの男にナンパされていた女生徒と目が合った。

「・・・奇遇だね。君は図書委員だったの?」

「はい。あの、助けていただいてありがとうございました」

「いいよ。俺もああいうのには困ったことがあるし・・・」

「先輩、かわいいですからね」

「ひどいな、俺だって男だよ?」

「ふふ・・・それを借りるんですよね?」

「うん。で、どうすれば借りられるのかな?」

女生徒はぽかんとした顔で真一郎を見つめていたが、やがて小さく笑みを浮かべるとカウ

ンターの隅にあるカード入れを指した。

「あそこの自分のクラスの所に先輩のカードがあるはずですから、それに今日借りる本の

タイトルを全部記入して私に出してください」

「うへ、全部か・・・。少し大変」

「これみたいに同じ物でしたら、タイトルだけ省略しても構いませんよ?」

「りょ〜かい」

とりあえず、本をカウンターに置いてカード入れから自分の物を探す。

ほどなくしてそれは見つかったが、二年に進学した時以来白紙なためカウンターに出すの

がなんだか恥ずかしくなった。

(うわ〜、真一郎本読まないの?)

「たまに知り合いに勧められたのを読んだり、どうしても気になった物は自分で買っちゃ

うからね」

真一郎はなれない手付きで、カードに記入すると本と一緒にカウンターで待つ女生徒に出

した。

「お願いします」

「はい確かに・・・返却は一週間後ですから、忘れないでくださいね」

「ありがとう、え〜と・・・」

「あ、私一年の綺堂さくらです」

「そう、俺は二年の―」

「知ってます。相川真一郎先輩ですよね?」

「・・・俺ってそんなの有名人だったのかな?」

ちなみに真一郎本人が意識していないだけで、彼の名は風芽丘学園の生徒(主に女子)な

らば知らないものはいないほど有名である。

容姿と格好の他にオプションがない分(空手をやっていたというのは関係者しか知らない)、

瞳やいづみほどのインパクトはないが、それでも風芽丘の有名人ベストファイブには余裕

でランクインできる。

「お昼の時にお話したかったことがあるんですけど、今日お時間ありますか?」

「時間?今日はあまりまくってるくらいだから、いくらでも」

「私の仕事はもう少しで終わりますから、一緒に帰りませんか?」

「いいよ。て言うか、こっちからお願いしたいくらいだし」

「ありがとうございます。じゃあ、校門で待っててくれますか?」

「お〜け〜。本でも読んで待ってることにするよ」

真一郎は数冊の本を鞄に詰めると、さくらに手を振って図書室を出て行った。





(ねえ、もっと早く読んでよ)

「俺のペースではこれでも早いほうなの。七瀬のペースが早いんじゃない?」

(う・・・でも、不便ね。自分で本が捲れないなんて)

「ここで七瀬が出てくると少し目立っちゃうだろう?」

校門には真一郎しかいないが、少し離れた所では運動部の生徒達が部活に勤しんでいた。

まず彼自身が目立つため、ここに一応美人であり見たこともない制服を着た七瀬が一緒に

いるのを目撃されると、それはそれで面白くないことになってしまう。

(でもさ、真一郎。さくらの同級生の男子に恨まれるかもよ?)

「どうして?俺、綺堂さんに何も悪いことしてないと思うけど」

(図書室で真一郎がさくらと話してるとき周りの話を聞いてたんだけど、さくらあの学年

では結構もてるらしいんだ)

「そりゃ見れば解かるけど・・・綺堂さんかわいいし・・・」

(だね。少し無愛想なのがマイナスだけど、狙ってる男子もいるみたいなんだ。それが真

一郎と話してるときは笑顔だったもんだから・・・災難ね)

「無愛想って・・・・それ程でもないでしょう?いい子だと思うよ、綺堂さん」

真一郎が読んでいた本を閉じ校舎の方に目を向けると、ちょうどさくらが昇降口から出て

くる所だった。

彼女は真一郎に気付くと、微かに笑みを浮かべて手を振ってくれた。

「無愛想?」

真一郎も手を振り返しながら、「中」の七瀬に問い掛ける。

(君にとってはいいことなんじゃない?あたしは面白くなっていいと思うけど)

「ごめんなさい先輩、待ちました?」

「全然待ってないよ。綺堂さんこそ急いできたんじゃない?」

「ええ、こちらから誘ったのに先輩を待たせるのも失礼な気がして・・・」

「ありがとう。・・・それで、何か俺に話があるみたいだったけど?」

「そうですね・・・でも、ここで話すのもなんですから」

「?」

「先輩のお家に連れて行ってもらえませんか?」









「ただいま・・・」

誰もいない部屋に帰宅の挨拶を呟くと、真一郎は道を開けた。

「おじゃまします」

「なにか用意するから、適当に座っててくれる?」

そう言ってさくらを居間に案内すると、真一郎は台所に引っ込みやかんを火にかけた。

そして二人分のカップと紅茶を用意して、何とはなしにコンロの火を見つめる。

(真一郎、なんか暗いぞ)

(そりゃね・・・。いつの間にか今日初めて会った女の子をいきなり部屋に入れてるわけ

だから・・・)

別に女性を部屋に入れること自体初めてではないが、真一郎はそれ程軽い訳でもない。

もちろん、それなりに慌てもすれば七瀬にからかわれたりもする。

「何を話せばいいのかな・・・」

(いいんじゃないの?真一郎が普段通りに接すれば、少なくとも失敗はしないよ)

「そういうものかな・・・」

沸いたお湯をカップに注ぎ、茶菓子と一緒にお盆に乗せると居間に足を運んだ。

さくらはベッドに腰かけ、部屋の中を物珍しそうに眺めていた。

「俺の部屋って・・・どこか変かな?」

「片付いてますよね。もう少し小物とかあれば女の子の部屋みたいですよ?」

「友達にもたまに言われる・・・」

真一郎はお盆をテーブルに置いて、紅茶をさくらに渡す自分は机の椅子を引っ張って彼女

の向かいに座った。

「そう言えば、俺に話があったみたいだけど・・・」

「ああ、そうでした。先輩」

「なになに」

「先輩に幽霊が取り憑いてますけど、ご存知ですか?」

あまりと言えばあまりの発言に、真一郎は飲んでいた紅茶で思いっきり咽てしまった。

「ちょっと、だいじょうぶ真一郎?」

「・・・ああ、なんとか・・・て、おい!どうして出てきてる?」

「いいのいいの。この子は最初から私に気付いてたみたいだから、ねえ?」

「体が男性なのに魂が変だなって思ってましたけど、やっぱり女性だったんですね」

「そこまで解かってたなら話は早いわ。あたし春原七瀬、よろしくねさくら」

言うが早いか、七瀬はさくらを羽交い絞めにして仲良く話し始める。

それを見ながら、真一郎は七瀬とさくらの適応力の高さに密かに感心していた。

「・・・でも、私だけ先輩の秘密を知ってるのは不公平ですよね」

「さくらも秘密を教えてくれるの?真一郎、嬉しい?」

「いや・・・どう、だろうね」

心なしか真一郎の顔も紅潮する。

「さくらの秘密」単語は非常に魅力的だが、ここで取り乱しては今後のキャラクターに関

わる。

「真一郎も見たいって、それじゃあさくらよろしく」

「ちょっとま―」

真一郎が一人で勝手に慌てふためく中、さくらは怪訝そうな顔で彼を見つめ、ヘアバンド

を外した。

「・・・・・・耳?」

普通についているのとは別にさくらの頭には動物に例えるなら犬のような耳がついていた。

一瞬作り物かとも思ったが、さくらにコスプレ趣味があるとも思えない。

「ねえ、触ってもいい?」

「どうぞ」

そして七瀬は遠慮なくさくらの耳に触り、お〜とか呟きながら勝手に遊び始めた。

「耳の他には何かないの?」

「一応、尻尾もありますけど・・・ここではちょっと」

さくらは真一郎を見ると頬を染めて俯き、その理由に至った彼も真っ赤になって押し黙る。

「じゃあ、真一郎我いない時にこっそり見せてね」

七瀬に尻尾を見せるさくらの図が浮かびそうになるのを何とか堪え、彼女に引っ付いてい

た七瀬を引き離した。

「で、どうして綺堂さんには耳と尻尾があるの?」

「私には人狼と吸血鬼の血が混ざっていて、この耳と尻尾は祖父の血の影響なんです。七

瀬さんに気付いたのは生まれつき備わっている力のおかげでした」

「・・・・・・」

「こう見れば、先輩よりも私のほうが遥かに異常です。知ったことを後悔するなら・・・」

「・・・そんな物たいしたことないよ。耳も似合ってるし、人狼も吸血鬼もただそれだけ

のことでしょう?だから、改めてお願いしたいんだけど。七瀬も含めて俺と友達になっ

てくれないかな?」

「・・・はい、喜んで」





「いない・・・」

同日の夕方、風芽丘学園旧校舎。

夕日の差し込む教室で、彼女―神咲薫は感覚を巡らせていた。

彼女を訪ねてきて避けられるのはいつものことだ。

居留守を使われたこともあるし、予め逃げられたこともあった。

それであれば、ここに彼女の気配があるはずなのだが今それはきれいさっぱり消えていた。

「消滅したか・・・」

浮かんだ可能性を薫は即座に首を振って否定した。

それに明確な理由がある訳ではないが、少なくともそれは絶対にない。

だとすれば残された可能性は二つ。

香るの知らない間に同種の人間が祓ったか、旧校舎に来た誰かに取り憑いたかである。

「探してみるしかないか・・・」

薫は持ってきた線香を供えると旧校舎を後にした。

主のいない部屋に立ち上るその煙は、彼女の気持ちを表すかのように静かにそよいでいた。