「春原さん、さようなら」

「うん、じゃあね」

友達に手を振って、まだ旧校舎と呼ばれていなかった建物の中を歩く。

これからどこかで時間を潰してから帰路に着くというのが、帰宅部である彼女のいつもの

過ごし方である。

それが・・・彼女にとっては退屈だった。

部活動に青春は捧げられない。

かと言って、熱中できるほどの趣味を持っている訳でもない。

それでもそれなりに充実していると、彼女は思っていた。

不満があるとすれば、ちゃんとした恋をしたことがないくらいだった。





階段を転げ落ちて、血を流して倒れている自分を見下ろして、彼女はそれが贅沢な悩みだったこ
とを知った。

すぐさま階下で上がる悲鳴、集まってくる野次馬、それらを追い払う教師。

もう蘇ることのない自分の体が担架で運ばれるのを見ても、別段彼女に感慨はなかった。





それから、その建物が彼女の住処になった。

じきに天に召されると思っていたが、あてが外れてしまったため、彼女は生前よりも暇を持て余す
ようになる。

たまに彼女を見ることのできる人間と話をしたり、生前は足を運ばなかった図書室から本を拝借し
て時間を潰したりした。

それで理解したことは自分がこの校舎に縛られていて、最低でも成仏する意思がない限り、天に召
されることはないこと。

そして、天に召されずにいてもいつか必ず消滅するということだった、





やがて、住処が旧校舎と呼ばれるようになり新しい生徒が入ってくる。

それでも、彼女の生活は変わらないはずだった。

その生活に変化を持ってきたのは神咲薫という少女。

薫は初めて彼女に積極的に接触してきた。

だが、まだ成仏する気はないと、そう言って薫を遠ざけた。



変化が決定的になったのは、ごく最近になってからのことだった。

記憶が途切れがちになり、時たま自分が誰なのかすら解からなくなる。

消滅の予兆・・・成仏ではなく、ただの消滅。

先送りにしていた問題を突きつけられ、彼女は恐怖した。

恐怖して、恐怖して、そして恐怖すら感じられなくなる。

「春原七瀬」という人格も霧散しようとしていたころ、もはや彼女の感覚の行き渡った旧校舎に一人
の少年が入ってきた。

その少年には見覚えがあった。

今は何の冗談か不良な格好をしているが、その女性っぽい容姿は以前と寸分違わない。

(・・・見つけた)

最後の力で彼女は少年に駆け寄る。

生前にすら感じられなかったときめきを与えてくれる少年。

たとえこのまま消滅してしまったとしても、彼女に後悔はないだろう。

それが・・・彼女の望みであり、初恋だったから・・・。

(見つけた!)



「・・・涙」

頬を濡らす感触で真一郎は目を覚ました。

体を起こして、頬に触れる。

それは夢と呼ぶにはあまりにも痛すぎる彼女の現実の証明だった。

「七瀬は・・・」

ドアが控えめにノックされる。

その音で初めて、真一郎は自分が旧校舎にいるのではないということに気が付いた。

さくらと薫の姿も見えない。

それから、この部屋は彼女達二人のどちらの物でもないだろう。

(女の子の部屋と呼ぶにはあまりにも殺風景な気がしたからだ)

再び扉の向こうの「大きい」気配がノックする。

その気配は真一郎が起きているとは思っていないらしく、ノックの音も形式上鳴らしてるだけという
感があった。

「どうぞ」

そのままでは勝手に入ってこられそうだったので、とりあえず返事をする。

気配は一瞬だけ躊躇したあと、扉を開けた。

入ってきたのは比喩抜きで大きい男だった。

男性としては身長の低い部類に入る真一郎と比べると、頭二つ分は軽く超えるだろう身長。

その手に乗せられたお盆はその上背にはミスマッチな気がしないでもないが、不思議とこの男には
違和感なく溶け込んでいた。

「予想より回復が早いな・・・調子はどうだい、相川君」

「どうして俺の名前を?・・・て、それ以前にここどこですか?」

「ここはさざなみ寮って言って、薫やみなみちゃんが住んでる所さ。ちなみに俺はここの

管理人兼コック兼退魔師見習の槙原耕介。そしてここは俺の部屋」

「退魔師・・・」

薫や七瀬と同じ世界の人間。

確かに、耕介からは薫に似たほかの人間にはない「何か」を感じる。

「俺も経験あるから解かるけど、霊力を使い切った後は食うのが一番だよ。なにしろ丸一日寝
てた訳だし・・・」

「丸一日・・・ですか?」

「これでも早いほうだと思うよ?俺や薫の時はもっと難儀だったからね」

耕介はベッド脇に置いてあった洗面器を持って立ち上がった。

「とりあえず、それ食べてゆっくりしてて。俺の作品だけど、味は保障する。薫も今日は部活無

しで帰ってくるから、話はその時にしよう」

耕介が部屋を出て行くのを待って体を起こすと、真一郎は粥を食べ始めた。

(うまいな・・・)

見た目からまずくないことは想像できたが、よもやここまでとは思わなかった。

真一郎も料理ができると自負しているが、耕介の腕前と比べたら見劣りするようだ。

起き抜けで空腹だったこともあり、耕介特性のお粥はたちまち空になる。

「そんなに耕介さんの料理っておいしい?」

「うん。俺じゃちょっと太刀打ちできないかな」

真一郎の背中に感じなれた気配が出現する。

その気配に体を預け、真一郎は力を抜いた。

「どうしてあたしを助けたの?」

「七瀬が苦しそうだったからさ・・・」

「薫が来なかったらどうなってたか分からないけど、あたしはあのままでもだいじょうぶだった」

それはあの時錯乱していた真一郎でも分かっていたことだ。

思い返せば恥ずかしいくらい取り乱していたが、彼もさくら達の話を聞いていなかった訳ではないのだ。

それならばどうして、と思うが気が付けばそうしていたとしか答えようがない。

「俺がそうしたかったからだよ」

だから、七瀬に問われても曖昧な返事しか返せなかった。

彼女もそれで納得した訳ではないだろうが、これ以上聞いても無駄と押し黙る。

「俺ね、さっきまで夢を見てたんだ」

「生きてるんなら夢くらい見るでしょう?まさか、今まで見たことなかったの?」

「そういうことじゃないよ。見たのは・・・七瀬の過去だったんだ」

「・・・で、真一郎はそれを見てどう思ったの?」

「勝手に過去を見られて怒らないの?」

「真一郎に取り憑いた時から、こうなるんじゃないかって思ってたから・・・。でも、あたしは
これで真一郎と対等になれたと思う・・・嬉しいよ」

「ありがと、七瀬。それで俺決めたんだけど・・・」

今までにない真剣な表情で真一郎は七瀬に向き直った。

だが、すぐにその表情は緩み、気まずそうな笑みが浮かぶ。

「真一郎?」

「その話はまた今度ね」

扉の向こうに「微弱な」気配。

息は殺しているらしいが、その気配が聞き耳を立てているのは嫌でも分かった。

(俺もいよいよ人間離れしてきたかな・・・)

「どうぞ」

扉の向こうで聞き覚えのある声と、誰かが倒れる音。

真一郎は立ち上がってため息をつくと、扉を開けた。

「・・・どうしたの、岡本」

「あの・・・みんな揃ったから耕介さんが呼んできてって・・・」

「ありがとう、岡本」

倒れているみなみに手を差し伸べて起き上がらせると、七瀬を振り返った。

「行こう・・・七瀬」





「結論からお話しますが・・・」

さざなみ寮居間、そこにはおよそ今回の関係者と呼べる人間が全員揃っていた。

何とか回復した真一郎は七瀬と並んで中央のソファに、その向かいには耕介と薫が座っている。

今発言したのは、耕介の霊剣「御架月」たるシルヴィで、彼は姉である十六夜と共にそれぞれの主
の脇に控えていた。

そして、もう一つのソファにさくらと瞳。

さらに向こうのテーブルにはみなみをはじめとしたさざなみ寮の住人が全員集結していた。

「真一郎様達の状態はあまり好ましくありません」

「それは・・・七瀬を祓うってことかな?」

真一郎の声に微かな怒気が篭る。

「違うよ、相川君」

それで萎縮してしまったシルヴィの後をついで耕介。

彼は今にも噛み付きそうな真一郎を宥めると、その目の前に「御架月」を差し出した。

「霊ってのはちゃんと存在している妖怪と違って、本当に何もしなければ、勝手に消滅するんだ。

それでも霊が存在できるのは何かから力の供給を受けるか、さもなければこの「御架月」みたい

に依代に憑依するしかない。それにしたってある程度の供給は必要だ

けど・・・」

「よ〜するにあたしも十六夜さんみたいになれってことですか?」

「・・・いや、こういった霊剣を作る技術は現代では失われていてね、とるのはもう少し簡易な
方法さ」

「簡易な・・・ですか?」

「そ、今の君達は言っちゃえば成り行きでくっついてるような状態だから、安全な生活を送るため
にはきちんと契約をかわす必要があるの」

「俺達、今まで何も問題なかったんですけど」

「・・・それが不思議なんだよね。普通なら、取り付かれた相川君に害が出るはずなんだけど・・・
君らよっぽど相性がいいのかな?まあ、とにかく何もなかったのは奇跡みたいなものだから、これか
らそういうことを起こさないためにも契約は必要なんだ」

「面倒くさそうね〜」

「そうでもありませんよ。間に立てる「証」を用意すれば、後は口頭ですみますから」

「その「証」ってのは何でもいいんですか?」

「銀とか、そういった霊的に安定した物のほうがいいな」

「耕ちゃん、ちょっといいかしら」

それまで黙っていた瞳が初めて口を開いた。

「例えば、七瀬さんが取り憑く前の状態に戻す事はできないの?」

その言下が意味する所に七瀬はむっとした表情で瞳を睨み、耕介は乾いた笑いを浮かべる。

関心なさそうに紅茶を飲んでいるさくらも、瞳と同じ疑問を抱いていた。

男冥利に尽きる状況だが、シルヴィと当の真一郎は発言の意味に気付いていない。

「可能だよ、瞳。でもその場合は新しく取り憑く何かを決めないといけない。それも方法の一つ
ではあるけど、あまり勧められないな」

「一つって・・・他にもまだ何かあるんですか?」

「あると言えばある・・・それは最もシンプルで簡単な方法だけど・・・」

真一郎とさくらの顔が強張る。

彼の心に耕介に対する怒りの感情が湧きあがるが、その表情を見て怒りも霧散した。

耕介や薫とて、七瀬が憎くてそう言っているわけではないのだ。

「真一郎様、大別して選択肢はその二つです。そして、そのどちらかを選ぶ権利は真一郎様にありま
す」

七瀬は黙って頷く。反論はしないという意思表示だ。

無論、真一郎の中に選択肢など存在しない。

だが、そうするためには準備がいる。

「一晩、考えさせてくれませんか?」

一応考える素振りを見せてから、真一郎は答えた。

真一郎の身では準備に時間が掛かる。下手をすれば一晩では足りないかもしれない。

「七瀬さんはこっちで預かるから、心配しないで考えてきてくれ」

「七瀬は俺から離れられるんですか?」

「望ましいことではないけど、一晩二晩なら大丈夫だよ」

「すいません、お願いします」

真一郎は紅茶を飲み干して立ち上がると、七瀬に振り返った。

「ま、あたしのことは気にしないでいってきなさい」

七瀬はいつもと変わらない笑顔だった。

その裏にどんな感情があるのか、真一郎には解からない。

「俺がいないからって悪さするんじゃないぞ?」

それでも真一郎は笑顔で答えた。

守りたい物、守らなければならないものは一つしかない。

「失礼ね・・・」

不貞腐れる七瀬の頭を軽く撫でる。

そう・・・守りたい物は一つしかない・・・。









「おい、少年・・・」

さざなみ寮を出てこれからどうした物かと首を捻っていると、後ろから声がかかった。

振り返り、その先にいたのは見覚えのある女性。

「はぁ・・・こちとら運動不足なんだから、もう少しゆっくり歩け」

「仁村さん・・・でしたっけ?なにかごよ〜でしょうか」

「真雪でいい。美少年だから特別に許す」

そう言って真雪は持っていた封筒を放り投げた。

真一郎はそれを受け止めとりあえず振ってみる。

中には数枚の紙。

封筒自体はこれまた何の変哲もない―強いてあげれば、その封筒に有名少女漫画誌のロゴ

が入っているくらいだ。

「なんでフローラルの封筒なんて持ってるんですか?」

「んなことはどうだっていいだろう?さっさと開けろ」

真雪の言葉に従って開けると、中から何点かの資料が出てくる。

それら全てに目を通すうちに、真一郎の顔に困惑を含んだ笑顔が浮かんだ。

「前にあたしが使ったとこだから、力は保障する。それから、そうしても足りない場合はあたし
の名前でつけてくれていい」

「俺の考えてること、もしかしてみんなにばれてます?」

「うちの連中は感が鈍いからな。気付いてるのはあたしと、もう一人だけだ」

真雪はそう言って、煙草を咥えると真一郎に背中を向けた。

「これは経験則だが・・・一生笑って暮らすためには後悔しないことだな」

「心にとめておきます」

後ろ向きに手を振る真雪に頭を下げると、真一郎は坂を駆け下りた。









ベランダの柵に座って、七瀬は月を見上げていた。

漆黒の空でいつものように光を投げかける彼女は、七瀬に何も語ってはくれない。

だからだろうか、一人で夜空を見上げる時には何かを考え込んでいる時が多い。

「隣り、よかか?」

風呂上りなのだろう、寝間着に着替えた薫が七瀬の隣りに立つ。

いつもなら間違いなく顔を顰めて逃げる所だが、今晩はそうしない。

「助けてくれてありがとう、真一郎のこと・・・」

薫はぽかんとした表情で七瀬を見つめ、笑みを漏らした。

予想していた反応だが、いざそうこられると腹だって立つ。

「笑うことないんじゃない?」

「すまんね、春原さんに礼を言われるなんて思ってもみなかったから」

身を翻し、柵にもたれかかる薫。

(この娘・・・けっこう美人だったんじゃない・・・)

まともに直視することすらなくて気付かなかった。

夜風に髪を靡かせ、遠くを見つめる様は同性の七瀬から見ても美しいの一言に値した。

「・・・なんね?」

視線を感じた薫が七瀬の方を向くが、彼女は顔を逸らして答えない。

しばらく薫の指が柵を叩く音だけが響く。

「うちは・・・相川君だけを助けたんじゃなかよ?」

「あたしも助けてくれたの?幽霊のあたしを・・・」

「うちの仕事は退魔師じゃが、祓うのは悪をなすもの、もしくはその可能性のあると判断でき
る物に限る」

「あたしだって・・・」

七瀬は薫の額に指を当てた。

今の力では無理だが、旧校舎に縛られていた頃の力があれば、このまま薫の首を吹き飛ば

すことだってできたはずだ。

そして、真一郎に取り憑く前に薫が七瀬の祓いを強行していたら、それもありえない未来

ではなかった。

「人は殺せると思うけど・・・」

「春原さんは殺さんよ」

「随分と自信のある言い方だけど、それはどうして?」

「寮に住んでるみんなと同じ目をしとる。その目をする人間に悪い人間はおらん」

「あたしは人間じゃなくて幽霊だけど?」

「なんであろうと関係ない。うちはそれに気付かなかったけど・・・」

七瀬は指を収め、月を見上げた。

彼女は何も語らない。

だが、その沈黙は彼女の望んでいた物の一つを与えてくれるようだった。

「そう言えば、薫はどうしてここに来たの?」

「ああ、十六夜と御架月が呼んどったよ。下の空き部屋で線香たいて待っとるって」

「そう・・・」

七瀬は薫に背を向け、ベランダから寮の中に入った。

「・・・ありがとう」

そして、聞こえるかどうかの小さな声でそう言うと、床を抜け一階へと降りた。

残された薫は、一人で月を見上げる。

美しい月の下、その顔には微かな笑顔が浮かんでいた。









「ついに来ちゃった・・・」

いつもの短ランではない、フォーマルな服を着て真一郎はさざなみ寮の前に立っていた。

時刻は夜、前にここを出てからちょうど丸一日が経過している。

彼のポケットの中には、その間にしてきた「準備」の品が入っている。

間に合うかどうかかなりの不安があったが、真雪の言ったとおりそこの人たちは頑張って

くれた。

「よし・・・行くか!」

そう小さく呟くと、両の頬を張って真一郎は寮の門を開けた。

そのままインターホンは押さずに右に折れ、庭へと出る。

バスケのゴールもある中々広い庭には、昨日のメンバーが揃っていた。

庭に面する縁側にはさくらと、あくまで最後まで付き合うつもりの瞳。

後ろの居間には、さざなみ寮の寮員が勢ぞろいしていた。

その中に真雪は・・・いない。

さくらと瞳の隣りには各々の霊剣を従えた耕介と薫。

そして・・・一同から少し離れた場所に待ち人はいた。

「や、ちゃんと来たね」

「今晩は七瀬、元気だった?」

「一晩だけでしょう?少し大げさじゃない?」

「俺は・・・結構長く感じたよ」

いつの間にか呼吸は乱れていた。

七瀬と向かい合って、深呼吸する。

「七瀬に渡す物があるんだ・・・」

ポケットの中の物を取り出し、七瀬に放る

真一郎の手を離れたそれは弧を描き、彼女の手に収まった。

「指輪?」

七瀬はそれを月明かりに翳し、繁々と眺める。

これが真一郎の進めていた準備。

ちなみに七瀬に渡した物を同じ企画の物が、真一郎のポケットの中にも入っている。

彼の全財産をもってして買った物・・・いや、本当は彼の全財産でも買えなかったのだが、

真雪の知り合いと知った店長がまけてくれたのだ。

「七瀬の過去を見て・・・色々考えて・・・でも、俺なりに結論を出した。上手くいえないけど・・・俺が・・・」

手を七瀬に向かって差し出す。

「俺が・・・七瀬の幸せになってあげる・・・だから、俺と一緒にいてくれ」

「おし!よく言った少年!」

このタイミングを見計らっていたかのように、何か言おうとした七瀬を制して寮から真雪

が現れる。

「お姉ちゃん・・・どうしたの、その格好?」

「編集つてで探させた。まさか本当に見つかるとは思わなかったが・・・」

真雪が着ているのは神父が着るようなあの服だ。

古ぼけた聖書をさり気なく持っているあたり、彼女の細かい所のこだわりが感じられる。

「・・・もしかして、真雪さんの準備ってこれですか?」

「他にもあるぞ。協力して頑張って作ったからな、ぼうず!」

「O.K」

瞬間、一同の前に装飾された台が音を立てずに転移した。

その上には光り輝く羽を広げた、銀髪の少女は座っている。

「一応久しぶりかな?僕のこと覚えてる?」

「ああ、覚えてるよ。この前の話を熱心に聞いてた子だろう?」

「とりあえず合格点かな?あれ、僕も作るの手伝ったんだから、感謝してよ?」

そして、一同の下へ歩くリスティと入れ違いに真雪が二人の前に立った。

その顔からはいつも浮かんでいるあのからかうような笑みは消えていた。

「汝、相川真一郎。汝は春原七瀬を・・・」

そこで言葉を切って、真雪は考えを巡らせた。

形式上、結婚式に似た形式を取っているが、二人は別に結婚する訳ではない。

(妙な所で頭使わせるよな・・・)

「・・・春原七瀬を・・・パートナーとして、生涯共に歩むことを誓うか?」

「誓います」

「汝、春原七瀬。汝は相川真一郎をパートナーとして、生涯を共に歩むことを誓うか?」

「・・・はい、誓います」

真雪はこれを見守っていた薫と耕介に目配せした。二人は頷く。

「これで契約は成立した。では、誓いの口付けを・・・」





「知佳ちゃん、リスティ放して・・・相川君が・・・」

居間では、みなみが真一郎達に駆け寄ろうと頑張っていたが、二人の超能力少女の「力」

によって金縛りにあって、あえなくその場で悔し涙を流している。

「岡本、かわいそうじゃないですか?」

「ここで相川君達の邪魔をしたら、馬に蹴られるよ。それにしても、俺は瞳が動かなかったことが
信じられんのだが・・・」

「あら、私だってもう大人なんだから。そんなことしないわよ・・・」

「あの瞳がねぇ〜」

感慨深げにそう呟く耕介を、薫が笑顔で嗜める。

実はその感想は結構的を得ていたりした。

本来であれば、瞳はみなみよりも先に反応して真一郎を奪い取っていたはずである。

(まさか・・・ここで邪魔が入るなんてね・・・)

瞳の隣りでは、さくらが微かな笑みを浮かべて二人を眺めている。

その姿からは想像もできないが、動き出そうとした瞳に対して「二人の邪魔をすれば殺す」

レベルの殺気を放っていたのだ。

なまじ、達人である瞳は動けない。

(綺堂さん・・・貴方は真一郎を取られてもいいの?)

(私はあの二人の友達ですから、この場は邪魔できません)

(私だって、七瀬さんとは仲良くできそうだけど・・・)

だが、それとこれとは話が違う。

真一郎は、四年前の耕介との一見以来、瞳が初めて好きになった男性なのだ。

そう簡単に諦められるほど、彼女も素直ではない。

(・・・私に免じてこの場は七瀬さんを立ててあげてください)

(・・・しょうがないわね。私もまだ死にたくはないし・・・)

(まだチャンスもありますよ。私だって、まだ先輩を諦めた訳ではありませんから・・・)

見やったさくらは、変わらない笑顔だった。

だが、今の瞳にはその笑顔が小悪魔の微笑みのように見えたのだった。

(負けないわよ・・・)

(どうぞ。受けて立ちます)









「口付けだって・・・どうする、七瀬?」

「選択権は真一郎にあるらしいから、あたしはそれに従うよ?」

「俺は・・・したいな、七瀬と」

「・・・あたしもそう思ってた」

真一郎は七瀬と向き合い、その華奢な体を力いっぱい抱きしめた。

夜の闇に消えそうなほどの儚いその体。

それを消さないように、彼の精一杯の思いを込めて抱きしめる・・・。

ゆっくりと、二人の顔を近付く。

いくらかの女性の恨めしい視線の中、二人は唇を重ねた。





真雪のこの行動を止めるか否か、ここが人生のささやかな分岐点となっていた。

この時点で、真一郎以下学生組の運命は決定したのであった・・・









「・・・痛い」

空は爽やかに晴れ渡り、昼休みの屋上を優しく照らしている。

その明るい情景とは対照的に、真一郎の表情は思い切り暗い。

「ばかね〜そんなに強くないのに飲みすぎるからよ」

「先輩、だいじょうぶですか?」

同じ時間真雪が核をなったあの「宴会」に付き合ったはずなのに、この少女二人は平然と

したものである。

「さくら・・・お酒強かったんだね」

幽霊である七瀬は十六夜、シルヴィと一緒に楽しんでいた程度だったが、さくらは真雪や

耕介に付き合ってかなりのハイペースで飲んでいたと記憶している。

そして、朝真一郎が目覚めた時には、さくらが七瀬たちと一緒に酔いつぶれた全員を解放

していたのである。

(真雪や耕介までもが酔いつぶれていたのにも関わらず・・・だ)

「うちの一族はみんな水みたいに飲みますよ?」

平然ととんでもない事を言う。

(そう言えば、前に一族の集まりがあったって言ってたよな・・・)

真一郎はその場を想像しようとして、首を振ってやめた。

一瞬浮かんだその光景の中に、酒樽がいくつも空になっているといった二日酔いには堪え

る光景が浮かんだからである。

笑い所のはずなのに、それを否定することを許さない現実感が真一郎の頭痛をさらに煽る。

「この分だと瞳と薫もこんな調子なんじゃない?」

「・・・それは本人達に直接聞いて」

屋上に続く階段から二つの足音。

「大きい」のと「普通」の気配、薫と瞳だ。

「なんか、足音を聞く限りだいじょうぶみたいなんだけど」

「さあ、わかりませんよ」

やがて、ドアが開く。

やって来た二人は、一見いつも通りに見えたが屋上に一歩足を踏み入れた瞬間、ぐらりと

崩れ落ちた。

「だいじょうぶですか!?」

酒の影響を全く受けていないさくらが動いて二人を支える。

「・・・気持ち悪い」

「うちも・・・あの仁村さんに付き合うんじゃなかった・・・」

「・・・一応、軽い昼食とか用意してあるんですけど、どうですか?」

「うちはいらん。今、何か食べたら取り返しのつかないことに・・・」

「私もパス」

「さくらは?」

「私はデザートさえいただければ・・・」

「ごめん。今日は俺もしんどいからデザートはなし」

「そんなことより真一郎」

目に見えて残念がるさくらと対照的な明るい声の七瀬が、真一郎を背後から抱きしめる。

「今日はいい天気だし、遊びに行こう?」

「待て待て、たった今まで七瀬とさくら以外は二日酔いって話をしてたでしょ?」

「む、じゃあこれは嘘なの?」

七瀬は真一郎の首に目立たないように下げられている鎖を取り出した。

それには七瀬の指輪が通されている。

彼女はずっとつけているとごねていたのだが、何かの拍子に消えなければならなくなった

時に回収が面倒になると真一郎が説得して、彼が肌身離さずに持つと言うことで妥協した

のだ。

「あ〜幸せになってくれるって言ってくれたのは昨日なのに、真一郎ってばもう―」

「・・・しょうがないな―」

「真一郎は!」

七瀬の腕から真一郎を強引にもぎ取り、その手に抱え込む女性が一人。

言わずと知れた千堂瞳嬢である。

「今日は私の方で借りるから、七瀬さんはまた今度ね」

「横から割り込むなんてずるくない?」

「いいじゃない。私はもうすぐ卒業するんだから、ここは譲るべきじゃなくて?」

真一郎を間に挟んだまま火花を散らす七瀬と瞳。

それがいたたまれなくなって、傍観していた二人に視線で助けを求めた。

「あんまり相川君を困らせるんじゃなかよ」

その意図を汲んだ薫は笑みを浮かべて二人を仲裁し、その隙にさくらが真一郎を救出する。

彼を取り合っていた二人にしてみれば甚だ不本意な結果ではあるが、惚れた弱みか、こういう風に真
一郎を引き合いに出されると、文句は言えない。

「そう言えば、先輩はもう進路は決めたんですか?」

話を逸らす意味で話題を提議し、真一郎をさり気なく自分の隣りに置くさくら。

「そうね。決まってないんだったら、早く決めておいたほうが身のためよ」

「うちらの学年でも決めないで後で泣いた奴は結構多かったからね」

「・・・一応、決めてありますよ」

「ちょっと、真一郎あたし聞いてない」

その顔にありありと不満の色を浮かべて、七瀬が詰め寄る。

真一郎が行く所にはついていかなければならないので、彼の進路は彼女にも大いに関係のあることなの
だ。

「ごめんね、黙ってて・・・でも、七瀬にとっても悪い進路じゃないと思うよ。そこで、神咲先輩にご
相談が・・・」

真一郎は薫に向かって姿勢を正す。

他の人間からすれば馬鹿げた発言かもしれない。

教師にそう告げたら、一生に伏される―いや、それ以前にすらされないだろう。

だが、そんなことでも彼は十分本気だ。

七瀬や、周りの人間は理解してくれる。

そう思うからこそ、彼はこの道を選ぶことができたのかもしれない。

彼女と共に歩める、この道を・・・









「俺・・・退魔師になります」





彼の苦難の道は・・・続く。