夕食の後、というのは恭也にとってかなり暇な時間の一つである。いつもだったら自分

でお茶でも入れて静かに読書でもしている所なのだが、ちょうど昨日読みきってしまった

所なので、本当にすることがなかった。よって、久遠に付き合って居間でテレビなど見て

いたりするのだが…



「……ふあ〜」



特等席である恭也の膝に乗って尻尾をぱたぱた振りながら、久遠はかなりテレビに集中

していた。番組の内容は…外国に生息する動物の特集。今はレポーターらしき女性に抱か

れているコアラが視聴者に愛らしさを振りまいている所だった。



恭也はと言えば別に動物にはあまり興味はないので、目の前で揺れる久遠の尻尾を目で

追いながら暇をつぶしている。



「…かわいい」

「久遠にも動物を愛でる趣味があるのだな」

「へん?」

「いや、おかしくはないと思うが」



おかしくはないが、コアラと戯れる久遠というのも凄い絵だと思う。



「コアラさん…遊びたい」

「動物園にでも行くか?」

遊びたいと言うのなら連れて行きたいが、残念ながらオーストラリアに遊びに行けるよ

うな金は落ち合わせていなかった。それが動物園になるとひどく落差を感じるが、コアラ

を飼っている知り合いがいる訳でもなし、他に選択肢もない。



「どうぶつえん…コアラさんいる?」

「近場にいるかは分からないが、いる動物園に連れて行ってやる」

「ほんと?…ありがとう」

笑顔を浮かべて、久遠が抱きついてくる。恭也はその頭を撫でようとしたが、テレビの

画面が切り替わり今度はカンガルーが出てきたためにその手は空を切った。



「動物園に行くんですか?」



その手をどうするべきか考えていると、洗い物を終えたフィリスがエプロンで手を拭き

ながら恭也達の元まで来て、隣に座った。



「できれば本場に連れて行ってあげたいですが、さすがに金がないもので…」

「私少し貯めてますから、三人分くらいなら出せますよ?」

「ありがたい申し出ですけど、それは遠慮しておきます」

「別に遠慮しなくてもいいんですけど。恭也君と私達の仲じゃないですか」

「だからこそかもしれないですね。おんぶに抱っこというのは男としてのプライドに触

ります」

「恭也君がそこまで言うなら動物園にしましょう。保健室は病院よりは暇ですから」



洗い物を始める時にポニーにしていた銀髪を解いて、フィリスはテーブルの上のティー

ポットに手を伸ばした。カップにココアを注ぎながら、フィリスはちらりと時計を見て…



「そろそろ時間ですね。恭也君、先にお風呂に入ってください」

「そうですね。では、お先にいただきます」



恭也はそう言って立ち上がったのだが、その腕をフィリスが掴んだ。



「どうしました?」

「忘れ物ですよ」

フィリスはテレビに集中していた久遠の襟首を猫のように捕まえて恭也に差し出した。

いきなり宙に吊り上げられた久遠は、目をぱちくりさせて恭也とフィリスを交互に見る。



「忘れ物…ですか?」

「そうです。久遠をお風呂に入れてくれませんか?」

「それはできればフィリス先生にお願いしたいんですが…」

「たまには恭也君が入れてあげてください。久遠も一緒に入りたいと思ってますよ」



聞いてもいないのに確信に満ちた声で言うフィリス。この二人何か通じる物でもあるの

か、テレパスとかそういうのを使うまでもなく以心伝心するのだ。



それだけならばただ仲がいいというだけで済むのだが、この能力は二人でいたずらをす

る時に(主に恭也に)最大限のコンビネーションを発揮するので始末に終えない。



「久遠、恭也君と一緒にお風呂に入りたい?」

「入りたい…」



と、フィリスの言葉に怯んでいるうちに、先を越されてしまった。フィリスはその答え

に満足そうに頷くと、久遠に用意していたパジャマを渡してさっさと風呂場に送ってしま

った。



「確信犯ですね…」



恭也はじと目をフィリスに向けるが、フィリスは我関せずとココアを飲んでいる。それ

でも恭也は何か文句を言おうとして口を開きかけたが、小さく首を横に振った。そして、

そのまま自分の部屋に取って返して着替えを持ってくると、大急ぎで風呂場に向かう。そ

の横開きのドアを開けて…



「止めストップ動くな」



部屋着にしている式服を脱ぎかけていた久遠を、恭也は寸での所で止めた。着崩した式

服の帯を結びなおしてあげて、恭也は中腰になって久遠の視線に合わせる。



「久遠、狐になってくれ」

「どうして?」



と、首を傾げて尋ねられても答えるのはとても難しい。何というのか、いくら朴念仁と

は言っても恭也も男である訳で、久遠は今の外見こそ幼いとは言っても、一応は女の子だ。

一緒に風呂に入るというのは、いくら何でも抵抗がある。



「や…このままがいい」



だが、この少女は頑なに恭也の切実な申し出を拒否してくれた。それでも恭也は下手に

なって何度か頼んでみたが、結果は変わらない。結局、絶対に風呂場では暴れないという

ことを約束させて、久遠が着替える間、恭也が外に出ているということで妥協案が成立し

た。



待つこと一分少々…ドアの向こうから久遠の合図が聞こえて、恭也は再び脱衣所に入っ

た。



(何だかな…)



のろのろと着替えながら、そんなことを考える。そもそも、恭也にとっては風呂という

のは一人で入る物だった。深夜の鍛錬の後、肩まで浸かりながら今後のメニューについて

考えるなど、入浴というのはそういうことをする為の貴重な時間だったはずだ。



それが、小さい妹と同じ年齢(仮)の女の子と一緒に入る入らないだのと悩むとは…幼

い頃から一人で入っていた恭也にとっては初めての経験である。



(まあ、用心することだな…)



心の中で自分に忠告して、風呂場のドアを開ける。そして、久遠がしっかり湯船に浸か

っているのを確認して、安堵のため息をもらした。恭也は風呂場用の椅子に腰掛け、洗面

器に湯をめいいっぱい取って頭から被る。手で顔にかかった湯を切って湯船の方を見て、

今度は安堵ではないため息を漏らした。



「?」



湯船の中では久遠がちゃんと肩まで浸かって首を傾げている。今になってもやはり抵抗

はあるが…風呂場で久遠と言い争う訳にもいかない。



(雑念は捨てる、余計なことは考えるな…)



自分に戒めをかけて意を決すると、恭也は湯船に入った。隣では久遠が何をするでもな

くにこにこと機嫌良さそうに微笑んでいる。一緒にお風呂というだけでこれだけ楽しそう

になるのなら、何と安上がりな感性だろうか。



恭也とて久遠のことは大切に思っているし、できる限りのことはして彼女を喜ばせてあ

げたいが、いくら安上がりで簡単とは言っても、風呂に入るというのは予想以上に彼の負

担になっていた。何か言わなければと必死になって話題を探すが人生初めてに事態にあっ

て思考は思うように働いてくれない。



「きょうや…」

「なんだ?もう上がるのか?」



恭也のその問いに久遠は首を横に振り、目の前の椅子を指さした。



「久遠、背中流す」

「それは…いや、すまない。頼んでもいいか?」



断ろうかとも思ったが、思い直してお願いすることにした。風呂場で相対しているだけ

に、恭也にとってこの状況はかなり不利なのだ。下手に機嫌を損ねて『もっと凄い状況』

にでもなったら、しばらくは自己嫌悪に悩まされて過ごさねばならないだろう。



「うん、やる」



久遠の嬉しそうな答えを聞いて、恭也は一足先に湯船を上がると椅子に腰掛けた。よい

しょと湯船から出た久遠はスポンジを取り、それにボディソープをどぼどぼかける。



「それは多すぎないか?」

「じゃあ…これくらいにする」



ボディソープのボトルを床に置くと久遠は恭也の背後に立ち、鼻歌を歌いながら背中流

しを始めた。少し力が弱いような気もするが、それ以外はつつがなく久遠の仕事は進む。

そして、始めてから五分くらいして、



「ありがとう。もういい」



恭也は背後の久遠に礼を言うと洗面器で湯船から湯を汲み、思い切り被った。久遠やフ

ィリスも使うせいか少しぬるめだが、その湯は恭也の背中についた泡を勢いよく洗い流し

て…



「わ!」



久遠の短い悲鳴に変わった。



「すまん、大丈夫か?」



座ってもまだある二人の身長差のために、久遠に頭から湯を被せてしまったらしい。久

遠はたまらず首をぶんぶん振って、湯を払いにかかる。



「びっくりした…」



泣きの入った顔で、久遠は恭也を見上げた。本当に驚いたらしく、通学のために普段は

うまく隠している耳と尻尾が出てしまった。それに気付いた久遠は一生懸命にそれをもう

一度隠そうとするが動揺しているためか、あまりうまくいかない。



「別にそのままでもよかろう」



湯船の中で尻尾を振られるのは多少不自由するが、自分に原因があるためにそう強く言

うこともできない。久遠は尚も尻尾セットを消そうと頑張るがやがて諦めて、恭也を見上

げた。見つめあうこと数秒…



「どうした?」



目で何かをお願いしている、というのは分かるがそれだけだ。恭也はフィリスほど久遠

と意思疎通できる訳ではないので、何が言いたいかまではまだ理解することはできない。



「次は…久遠が座るの」



沈黙を破ったのは久遠の方だった。彼女の視線の意味を『どいて』だと解釈した恭也は

納得すると、早速立ち上がって湯船に戻ろうとする。だが、湯船に浸かる前に恭也はその

腕を久遠に掴まれた。



「今度は何だ?」



恭也が振り返って尋ねると、久遠は視線で問いかけることはせずに黙ってある物を差し

出した。ビニール製のぎざぎざの入ったピンク色のわっかである。使用したことは一度も

ないが、美由希が幼い時に使っていたような記憶があるのでどういう風に使うのかくらい

は知っている。



「俺に頭を洗ってくれと?」



差し出されたシャンプーハットを受け取りながら問いかけると、久遠は嬉しそうに頷い

た。そして、彼女は返事を待たずにぴょんと椅子に座りなおして前を向くと、黙って…そ

れでも本当に嬉しそうに恭也の次の行動を待つ。



こんなにも嬉しそうに待っている少女を裏切ることができようか。その行為に若干の後

ろめたさを感じるが、それでも久遠が喜ぶならと思い直した恭也は久遠用のシャンプーを

手に取ると、彼女の頭に例のわっかを乗せた。



そして、黙々となるべく表情を動かさないように努めて久遠の髪を荒い始める。彼女を

喜ばせたいという気持ちはあるが、頭を洗ってあげるという行為自体には恭也は正直あま

り乗り気ではなかった。



大の男が頭を洗って上げているというのも、あまり誇れるような光景ではないし、何と

いうか、自分のキャラには合っていない気がする。そう思うのだが、いざこうして始めて

みると…



(面白いな…)



単純な作業だけに凝ろうとするような要素もないし、くすぐったそうにしているが久遠

も大人しくしているので、作業もさくさく進む。降ろすと腰にまで届く久遠の髪を丁寧に

洗っていると、ふと髪の中に隠れている狐の耳が目に止まった。



髪を洗うたびに、その耳はぴこぴこと揺れている。少しだけ興味に駆られた恭也は撫で

るようにして、その耳に触れてみた。



「ひゃうっ!」



すると、久遠は小さな悲鳴を上げて恭也を振り返った。軽い気持ちでやった恭也は予想

よりも大きな反応が返ってきたことに驚きつつ、



「すまん、また驚かせたか?」



とりあえず謝る。それに久遠はこくんと頷いて、



「耳、触りたいの?」

「まあ、触りたくない訳ではないが…嫌なんだろう?」



不意打ちだったとは言え触られただけであんなに驚いたのだ。耳を触られること自体嫌

なことなのだと恭也が解釈しても、不思議ではない。



「ちゃんと言ってくれてら…いいの」

「触られるのは嫌なのではないのか?」

「さっきは…驚いただけなの。優しく触られるのは…きもちいい」

「まあ、それはまたの機会にな。ほら、流すから目を閉じろ」



その言葉に内心ときめいてしまった恭也はその気持ちを誤魔化すように弱めにシャワー

を出して、久遠の頭についた泡を流した。タオルでその頭をごしごしと拭いてやる。長い

髪を湯につけないようにそれを頭に巻きつけてやってから久遠を椅子からどかし、今度は

恭也自身が座る。



そして、恭也用のシャンプー(いい香りとか全くしない奴だ)に手を伸ばそうとして、

それが見当たらないことに気付く。おかしいな、と思いつつ風呂場をキョロキョロト見回

した先では…久遠が恭也用のシャンプーを一生懸命自分の手にあけている所だった。



「おい、何をなっている?」

「頭も、久遠が洗う」



久遠の目はそこはかとない決意に満ちていた。



「いや、そこまでしてもらう訳にも…」



背中を流されるというのはまだ大丈夫なのだが、自分よりも小さい人間に頭を洗っても

らうというのは、本当に抵抗がある。頭を洗われている自分を想像するとこっぱずかしく

なるし、なによりもそうされるのは子供の証明のような気がしていけない。



恭也も何とかして久遠に諦めてもらおうと努力するが、久遠は頑として言うことを聞い

てくれないばかりか、段々と機嫌まで悪くなってくる。拗ねている彼女を見るとこっちが

悪いような気分になるが、それでも恭也にだって譲れない物はある。



(物で釣るか…)



好きではないが、致し方あるまい。これは久遠と交渉するときの採取手段ではあるが…

油揚げ、甘酒…この辺りだったらきっと今晩のことは忘れてくれるだろう。そして、恭也

がむくれてそっぽを向いている久遠に交渉うぃ持ちかけようとしたその時、



「何か揉めているんですか?」



天の助けのごとく、扉の向こうからフィリスの声が聞こえた。



「ええ、久遠が俺の頭を洗いたいって聞かなくて…」

「そうですか…久遠、恭也君を困らせたら駄目でしょ?」

「だって…恭也にやってあげたい…」

「困ってるんだったら駄目です。久遠のことだから、背中洗わせてもらったんでしょ?

 それはまた今度にして今日は諦めて」

「……わかった」



しぶしぶといった様子ではあるが、久遠はやっと頷いてくれた。



「分かってくれたか、偉いぞ久遠」



そう言って頭を撫でて上げると、さっきまで拗ねていたはずの久遠はもう笑顔になって





「久遠、えらい?」



そんな風に問いかけてくる。現金だな…とは思いつつも恭也自身、そんな久遠が好きな

のであって、



「ああ、偉い」



心から誉めて、その頭をがしがし撫でる。



「という訳だから、湯船に戻ってくれ。俺はさっさと頭を洗ってしまうから−」

「何を言っているんですか?」



止める間もあらばこそ、風呂場のドアがさっと開いてフィリスが入ってくる。呆然とす

る恭也。風呂場であるだけに、普段着ではなくその体にバスタオルを巻いている。腰まで

届く銀髪。白い肌に細い体…普段は子供っぽく見られるフィリスではあるが、こうして見

ると、女性なんだなということを感じさせられる。



「あの…恭也君?」



フィリスが僅かに頬を染めて講義する。それでいつの間にか彼女をじっと見つめていた

ことに気付いた恭也は慌ててフィリスから目を逸らして、



「て、違います。何でここにいるんですか!?」

「私も一緒にお風呂に入ろうと思って…だって、久遠だけじゃ不公平でしょ?」

「不公平と言われましても…」



久遠と一緒にいて大丈夫だったのは、彼女は幼いからだ。いくら子供のようだと言って

もフィリスはちゃんと女性である訳で、一緒にここにいられると目のやり場に困るという

か、劣情をいだくというか、



(待て待てまて…)



危うくやばい方向に行きそうになった思考を思い切り頭を振って追い出す。その間にフ

ィリスは風呂場に入って扉を閉めると、恭也の後ろに立った。そして、何をするのかと問

う間もなくシャンプーと一緒に髪をかき回される。



「フィリス先生、ちょっと!」

「ほらじっとしててください。あんまり動くと目に入っちゃいますよ?」

「いや、そうじゃなくて…聞いてましたさっきの話?」

「恭也君が嫌なのは、女の子に頭を洗われることでしょう?」



湯船でぽえっとしている久遠に聞こえないように、フィリスは恭也に耳打ちする。



「それもありますが、だからと言ってフィリス先生がすることは…」



対する恭也も近すぎるフィリス顔に柄にもなく慌てながら答える。そんな余裕のない恭

也の反応が面白いのか、フィリスは髪を洗う手に力を込めた。



「久遠が背中を洗ったんですから、私が頭を洗うんです。それとも、明日学校で久遠と

 一緒にお風呂に入ったと美由希ちゃん達にばらされた方がいいですか?」

「すいません。俺が悪かったですから、せめて穏便にお願いします」

「よろしい。素直な恭也君って、好きですよ」



勝ち誇った笑みを浮かべるフィリスに、恭也はなす術もなく髪を洗われていく。そして、

湯船でうらやましそうに眺める久遠い見守られながら、恭也にとって苦行のようなひと時

は終わった。



「はい、これで流して終了です」



シャワーではなく洗面器で一気に湯を恭也にかぶせて、フィリスは彼の背中をぽんぽん

と叩いた。



「ありがとうございました…」

「貴重な経験だったでしょ?人に頭を洗ってもらえるなんて」

「そうですね。できればもうない方がいいですが」

「それは残念です。じゃあ久遠、ちょっとよってください。三人で入るのは少しきつい

から」

「そうですね…」



普通のことのように聞き流そうとして、恭也はぴたりと動きを止めた。



「なんですと?」

「さすがに恭也君に私の髪を洗ってと頼むのは気が引けますから、今日は私達と一緒に

 お風呂に入るということで妥協します」

「恭也、いっしょ?」

「そうですよ。今日は恭也君が一緒に入ってくれます」

「勝手に決めないでもらえますか…」

「忍ちゃんの電話番号っ何番だったかしら―」

「ほら久遠、もう少し端に寄れ。俺が入れん」



吹っ切れた時の人間ほど、強い物はない。言葉の通り久遠を端に寄せて、恭也は湯船に

入る。ちなみに恭也が真ん中。その両サイドにフィリスに久遠といった具合だった。一つ

の湯船に三人。普通だったら、それだけで羨ましい―いや、暑苦しい状況になるが、この

部屋の湯船は思いの他広く、三、四人で入るとちょうどいいように設計されているようだ

った。



「何だか家族みたいですね」

「家族ですか?」

「はい。私と恭也君が夫婦で…」

「久遠が子供…と?」

「なかなか似合っていると思いませんか?」

「そうですね…」



とりあえず、三人で並んで街を歩いている所を想像してみる。三人で手など繋いで臨海

公園に行き、ベンチに並んで座ってタイヤキでも頬張る。仲のいい家族、理想的な光景。

こうして一緒に風呂にでも入っているのだったらなおさらだ。だが、根本的な所で間違っ

ている。



「俺と貴方の子供には見えないでしょうね…」

「そうですか?結構いい線行ってると思うんですけど」

「久遠、恭也の子供?」



それまで黙って話しを聞いていた久遠が、新しくもたらされた意外な事実に早速頭を悩

ませている。本気で悩んでいそうな彼女に恭也は微笑みながら、



「違うぞ。本気にして学園で言ったりするなよ」

「学園にいる時の久遠じゃ親子には見えないですよ」

「それも…そうですね」



納得しながら安心して、恭也は隣の久遠を小脇に抱えると立ち上がって湯船を出た。



「もうあがるんですか?」

「これ以上入っていたら湯だってしまいますからね」



それも身体的、精神的両方で…だ。これ以上長居して人生上致命的なことになりでもし

たら、たまったものではない。



「しょうがないですね。久遠、ちゃんと一人で着替えられます?」

「だいじょうぶ…久遠、えらいこ」



小脇に抱えられたまま、久遠は小さく胸の前で拳を作る。その愛らしい姿に恭也は苦笑

して扉を開けると、あることに気付いて久遠を床に降ろした。首を傾げてこちらを見上げ

る久遠。恭也はさらに困ったような表情を浮かべて…



「俺が最初に着替えるから、絶対に入って来るんじゃないぞ」



と、久遠の返答を待たずに恭也は扉を閉めた。その扉の向こうで…



「久遠、もっと積極的にしないと駄目ですよ。恭也君はただでさえ鈍感なんですから」



などと、フィリスが久遠に指導していたのを恭也は知らない。













「さて…」



波乱ばかりだったような来もするが、風呂には入った。着替えも終わって歯も磨いて、

後はベッドに入って寝るだけである。



「とはいうものの…」



恭也はまだ小脇に抱えられている久遠をため息をついて見下ろした。バスタオルでも式

服でもなく、フィリスが用意したらしいパジャマに着替えているが、既に宙に浮きながら

うとうとし始めていて、半分くらいは眠っている状態だ。で、その久遠を抱えたまま恭也

がいるのは、自分の部屋だった。そして、目の前には自分のベッドがあって、その上には

布団が乗っている。目の前にはベッド…腕の中には久遠…



(いかんいかん…)



我知らず浮かび始めていた妄想を顔を振って払い、恭也はそっと久遠をベッドに降ろし

た。狐になった方が楽なはずなのに、少女の姿のまま久遠は眠りについている。以前、ど

うしてだと問うたら、



『これなら、恭也のいっしょにねられるの…』



と、何とも男冥利に尽きる言葉が返ってきた。ちなみに、ここの部屋に拉致されてから

恭也は一度も久遠と一緒に寝てはいない。彼女の(もしくは、彼女達の)方からベッドに

潜り込んでくることはあったが、その度に恭也は彼女達を追い返していた。今時の若者に

珍しく、とかそんなレベルを遥かに超越した精神力の強さである。



だが、そんな堅物の恭也にも人並みな感性は存在する。例えば、今彼の目の前で眠って

いる久遠の安らかな寝顔。人の―ましてや女性の寝顔を見た経験などない恭也だったが、

この少女の寝顔は文句なしにかわいいと思った。



普段からちょろちょろと自分の周りをうろついて、虫除けを自称しながらいつも恭也を

振り回している。



「きょうや…」



寝言で呟かれ、恭也はぽりぽりと頭をかいた。そして、なにやら一頻り五分ほど―決断

の早い彼にしてはかなり長く悩んで、恭也は一つ決心をした。









眠っている久遠を起こさないように、そっと布団をどかし彼女の隣に入る。久遠は恭也

が隣に来たことにも気付くことなく、眠っている。すやすやと寝息を立てる彼女の頭を優

しく撫でると、恭也も目を閉じた。風呂に入るだけで疲れてしまったような一日だったが、

そんな辛くも楽しい彼の一日はこうして幕を降ろした。









「やっぱりこうなっちゃいましたか…」



普段の自分からすればかなり急いで風呂を出てきたフィリスが見たのは、恭也のベッド

で仲良く眠っている二人の姿だった。無意識の行動だろうが、恭也は久遠を抱き枕のよう

にして抱えている。当然のことながら、無意識の行動だろう。正気の状態でこんな積極的

な行動をできるのならフィリスも久遠も苦労はしない。



「本当は三人で一緒に寝る予定だったんですけど」



だが、二人がこんなにも気持ちよさそうに寝ているのなら、起こすのは無粋というもの

だ。フィリスは、ずれていた布団を直すと眠っている恭也の頬に軽く口付け、微笑んだ。



「おやすみなさい、二人とも」




























部屋のドアが閉まった後には、二人分の静かな寝息が残されました。