正しき偽善者 interlude 第二話 『現れた正義の味方』
衛宮士郎の朝は早い。
前夜、何をしているかでその日どこで目覚めるのか変わってくるが、とにかくその早起
きの習慣だけは崩さず、太陽が顔を出す頃には大体起床し、朝食の準備を始める。
一人暮らしであれば――それでも、大した違いにはならないだろうが――もう少し手も
抜けるのだろうが、衛宮の家には毎朝客が来るのでそうも言っていられないのだ。
よって、今日も今日とて朝六時に起床。冷蔵庫の中のあり合わせのもので、それでもし
っかりと朝食を作っていると、玄関から無遠慮に戸を開ける音が聞こえた。
毎朝の来客の一人、藤村さんちの虎である。
虎は『おっはよ〜』と、小学生よりも元気な挨拶と共に現れ、テレビを付けると当然の
ごとく新聞を広げ、読みふける。
ちゃんと読んでいるのか、と毎朝思うのだが、奇怪なことにちゃんと読んでいるらしい。
態度から忘れがちだが、あれでも虎は英語の教師なのだった。文章にはおそらく強い耐性
を持っているのだろう。奇怪には違いないが……
「士郎、今日は桜ちゃん来てないの?」
「ん? ああ、そう言えばだよな。別に来ないことだってあるだろ? 家の用事とかさ」
「そうなの? じゃあ、あれは士郎のなんだね。高くて、強そうなの」
「高くて……強い?」
どちらも、あまり言われたことのない形容だ。何を言っているのか、と料理の手を止め
て振り返り、
「だって、玄関にそんな靴があったよ? 士郎のなんでしょ?」
「いつまでも隠し通せるとは思っていなかったが、まさか一日も隠せないとはね。しかも
オチが、私の靴ときたか……」
厄日かね、とバゼットは皮肉げに笑う。
士郎にバゼット、それにアルトリア。聖杯戦争に関する一団が顔をつき合わせているの
は、士郎の自室である。
「どうしますか? 今日はとりあえず隠し通すとの計画でしたが……」
「俺の靴だって誤魔化せなかった以上、『正直』に言うしかないと思う。それでバゼット
さん、例の『でっちあげ』ですけど……考えてもらえました?」
「時計塔のマニュアルにあるものだからな、下準備は常に万全だが……いいのかな?」
身内を騙すことになる、とバゼットは言っているのだろう。
魔術師が自らを隠すのは常だが、バゼットからすれば衛宮士郎はそれ以前の身。家族も
同然の存在を騙すのは気が引けるだろう、という気遣いなのは士郎にも理解できたが、
「危険に巻き込むよりはずっといいですよ。嘘ってのはバレなければ本当なんだって、親
父も言ってましたからね。俺にできることがあれば言ってください」
「その覚悟だけ持ち続けてくれれば十分だ。君はとりあえず黙って座って、後は頷いてい
てくれればいい。アドリブで話を合わせるのは構わないが、マニュアルにも限度があると
いうことは念頭に置いておいてくれ。それよりも問題はアルトリア……君だ。アーサー王
には役者の経験があるかね?」
「見くびらないでもらいたい。為政者が腹芸の一つもできないでどうするのですか」
「その常識が君が芸達者であるということにはならんと思うが……まあ、いいだろう。で
は、今から『私達』の設定を説明するぞ、良く聞いてくれ――」
「切嗣さんの……同僚さん?」
「奴はもう故人ですから元、ということになりますがね。あれとは一応、それなりに付き
合いがありました」
朝食の席も早めに切り上げ、急遽開かれた衛宮家家族会議の場。日本家屋に当然のよう
に現れた英国人は、名刺と共にそう自己紹介をした。
「あれから貴女がどう聞いていたのか知りませんが、私共は所謂『何でも屋』をやってい
ましてね。世界規模ではありますが……衛宮切嗣は、私共の組織の社員だったのですよ」
「ふらっとどっかに消えちゃうなんてことがしょっちゅうだったけど……」
「仕事の関係のはずです。もちろん、アレは我々の中でも変わり者でしたから、全てが全
て、という訳ではないでしょうが……」
にこやかに微笑むとバゼットは『左手』で――幻術だ。虎には両手があるように見せて
いる。実際には無事な右手で――カップを取り、アルトリア手ずからの紅茶を口に含む。
「こちらの彼女は私の――切嗣にとってもですが、同僚の息女でしてね。まだ見習いの立
場ではあるのですが、とりわけあれとは付き合いもありましたので連れてまいりました」
「アル=セイバーと申します」
そういう設定であるセイバーが、堂々と頭を下げる。
鎧姿で登場、という訳にもいかないので、アルトリアにはバゼットの用意した服を着て
もらっている。相変わらず男装のバゼットがどうしてこのような少女然とした、しかもサ
イズの合わない服を持っているのか、疑問ではあったが……質問してはいない。どうせ、
こういうことには答えてはもらえないだろうから。
「そう……セイバーって、何かかっこいいのね」
「東洋の方には、よく言われます」
「それで、私共の来日の目的なのですが――」
何でも、自分達の組織は慢性的な人手不足とのことで、常に社員を求めている。そのた
めに導入されている、身内からの紹介――大っぴらに誉められたことではないが――それ
がむしろ推奨されているのだ。
今はもうこの世にはないが、衛宮士郎の父、衛宮切嗣もその制度を利用していたという
ことで――
「彼の遺志に従い、士郎君の人柄を拝見しに参りました。あれの推挙ですから疑ってはい
ませんが……まあ、一応、とお考えください」
「じゃあ、士郎は卒業したら――」
「必ず、とは申せません。あくまで推挙ですから、士郎君に他に希望があれば、我々はそ
ちらを優先してもらいたいと思っています」
そういう訳で自分達はここにいるのだ、と、ここまでがバゼットの用意した筋書きだっ
た。
「日本にはどれくらいいる予定なんですか?」
「具体的には、まだ。切嗣が残していた仕事が――ああ、これは最近判明したことなんで
すが、その処理もついでにしてしまうつもりですので」
滞在は衛宮家。昨日の晩に来て、既に一泊している、と。
「士郎はどうするつもりなの?」
「どうするって……仕事のことか?そんなのすぐに決められる訳ないだろ? もう少し話
を聞いてから決めるさ」
「そう。それ聞いて、お姉ちゃん安心したよ。さて……私はもう学校に行くけど、士郎、
遅れちゃ駄目よ?」
「そのことなんだけどな、藤ねえ。俺、今日は休もうと思うんだ」
アドリブ挿入。予定にない行動にバゼットがさりげなく殺気を飛ばしてくるが、気合で
無視。
「え〜、駄目だよ、そんなの。お姉ちゃんだって休みたいんだもん」
「一応、藤ねえも教師なんだから、生徒の前でその言葉はどうかと思うけど……ほら、親
父の尻拭いするとか言ってただろ? こういう時こそ、息子の出番なんじゃないかな、と
……思うんだけれどもさ」
「私も手伝うって言うんじゃ、駄目?」
「申し出は在り難いと思いますが、お手を煩わせるまでもありません。士郎君は……まあ、
申し訳ありませんが、私共を助けると思って、目を瞑っていただけませんか?」
人柄を見たい、という理由ならば、『仕事』を手伝わせるにも都合は悪くない。学生を
態々平日に手伝わせるという不自然さえ保護者に目を瞑ってもらえば、一日、二日、くら
いは時間を割くことも可能だろう。
不承不承という感じはあるものの、虎はう〜ん、と考えているようで考えていなさそう
な顔で、
「……分かりました。士郎のこと、どうかよろしくお願いします」
「先程の藤村教諭だが、いい方じゃないか。確かに君が時間を作ってくれた方が私達は助
かるが、彼女に心配をかけてまで、となると、私も聊か賛成しかねるな」
「……まずかったですか?」
「いや、済んでしまったことは仕方がなかろう? 先にも言ったが、今の私達には時間は
あって、在りすぎることはない。君が学校に行ったら、私はこの家の結界に手を入れよう
と思っていたのだが……それよりも先にしなければならないことがあったな。シロウ、君
のことだ」
「俺のこと……ですか?」
「ああ。私もアルトリアも、君の実力を知らない。君が何をすることができて、どのよう
に戦うことができるのか。あくまでもこの戦争を勝ち抜く上で、知っておきたいのだ」
「それは、私もとても興味があります。できるなら、手合わせをお願いしたいのですが」
「騎士王アーサーと手合わせね……光栄なことなんだろうけど、すごくぞっとしない」
「それが一番手っ取り早く、シロウの実力を知ることができます」
「だろうな。じゃ、道場でやろうか……あ、でも、始めるのは少しだけ待ってもらえない
かな?」
「準備でもあるのかい?」
「……何て言えばいいんですかね? まあ、強いて言うなら……復習、かな?」
――純粋記憶、再生――
眼を閉じると蘇るのは、蒼い槍兵と赤い騎士の姿。校庭の隅で傍観するだけだったあの
時の記憶を、自身の内部で行われたものと設定を変え、粒さにそれを観察する。
攻勢的なもの――赤い騎士の動き。大陸風の二刀を繰るその姿は、改めて見ると、衛宮
士郎の適正に、不気味なまでに合致する。二刀の構成を読み取り、これを武装として自身
の内部に蓄える。蒼い槍兵の持つ魔槍――不適切。衛宮士郎の属性に合わぬこれは、『そ
のまま』の形で発現させるには、負担が大きい。これの扱いは保留とし、次項に移る。
守勢的なもの――二人の戦士が幾多の戦場を越えて得た、勝つための、生き残るための
術。それは、彼らほどの身体能力があって初めて再現できるもの。衛宮士郎が再現するの
は、劣化と呼ぶのもおこがましいほどの、児戯に過ぎない。
模倣し、自らの力とする。時間を賭し、自らの技を研鑽し続けてきた戦士からすれば、
それはきっと、最大限の侮辱だろう。
しかし、それこそが、衛宮士郎の持つ最大限の特性である。剣にも魔術にも確かな才能
を感じることができなかった彼が、唯一頂にまで駆け上がるための手段だ。どれだけ罵ら
れようとも――きっと、止めることはないのだろう。
――終了。
他者の経験の自らの物とし、内に。
――偽装経験、憑依完了。
「待たせた。アルトリア」
「……傍目には何も変わっているようには見えませんが、どうやら本当にその短時間で強
くなったようですね。雰囲気が変わりました」
「かのアーサー王の前には、子供騙しかもしれないけどさ。とりあえず、取るに足らなく
はない、ってことは、アピールしておく」
お互いに竹刀を――士郎は、短いサイズの物を両手に――持ち、道場の中央へ。
「審判はいるかね?」
「この際、勝ち負けにはあまり意味がありませんから、記録係なら」
「それは違いますよ、シロウ。勝利とは武人にとって、最高の誉れ。貴方はそうでないと
は言え、最初から求めないというのは、いかがなものでしょうか?」
「そうかな? 俺はそういう勝ち負けよりも大切なものって、あると思うんだけど……い
いか、そういう話は後にしよう。今は――」
足を肩幅よりも大きく広げ、二刀を前後に。つい先日までは朧気な形でしかなかった、
『二刀による戦術』が、赤い騎士のおかげで随分と確かなものになった。
そこに至るまでの過程を知っている士郎本人と、その技術を盗まれた形になる存在――
この場合は、赤い騎士だ――からすれば、今の士郎の姿など猿真似もいいところだが、初
見のアルトリアにすれば、それは確かな戦意の表れ、と映るだろう。
士郎の構えを見て、アルトリアの顔つきが、戦士のそれに変わった。
正眼に構えるのは貧相な竹刀であるはずなのに、彼女が持つと、さながら優美な騎士剣
のようだった。美しく、それでいて隙がない。生前、の彼女と敵として見えた者は、さぞ
かし肝を冷やしたことだろう。今さらながら、アルトリアと味方として出会えた幸運を、
何かに感謝する。
アルトリアが――動く。
合図など何もなく、ただ、相手を倒すための意思を竹刀に宿して、襲い掛かる。それは、
士郎が今まで『見た』どんな剣よりも、早く、そして力強かった。
今はまだ、猿真似の二刀を繰り、その剣を受け止める。
力をはかる。そのための仕合が、始まった。
「二十本目……無勝二十敗と、黒星も大台に乗ったところで、そろそろ仕舞いにしないか
ね?」
「……そうですね、ありがとう、アルトリア」
皹の入った二刀の竹刀を放り投げ、道場の床に寝転がる。打たれまくった体中が、とに
かく痛い。脳天、心臓、腹部等々、当たった箇所は全て急所。実戦だったら、確実に一撃
で一つ、命を失っていたころだろう。
「礼を言うのはこちらの方ですよ、シロウ。いい経験をさせてもらった」
「俺のような素人でも、アーサー王の役に立てたって言うなら、よかったよ」
「ふむ……自分が素人だと言う自覚は持っているのだね」
勝手に台所に入って用意してくれたらしい麦茶を、一息に飲み干す。冬場に嫌味なまで
の冷たさが、痛みで熱を持った体には心地よい。
「だって、アルトリアから見れば言うまでもなく、バゼットさんから見ても、俺なんて素
人でしょう?」
「ああ、君が素人ということを否定したかったのではないよ。技術がどうとか言う以前に、
君は間違いなく素人だ。ただ――」
「シロウ。貴方の剣は特殊に過ぎる」
二十もやって無敗なのだ。本来であれば勝った者の余裕を持って見下ろしていなければ
ならないはずのアルトリアの表情は、どこか優れない。
「人間とは道具を扱う生き物ですが、道具とは人間にとって本来、異物です。それを扱え
るようになるには、時間を賭けて体に馴染ませるしかない。剣で言えば、修練がそれに当
たります」
「一応俺、努力はしてるつもりだぞ?」
これでも剣道、柔道、合気道、やれるものは全部やった。部活に入っていないせいで必
要に迫られず、段位はどれも取っていないが、ルールにのっとってやったとしても、いい
所まで行けるという、確信がある。
「私が問題にしているのは、貴方の技術の内面です。貴方の努力の程は疑っていません」
「同意見のようだから私が継ぐが、シロウ、君の戦い方は傍で見ていると違和感の方が先
に立つ。どんな訓練をしていようと、戦闘者の立ち振る舞いには一貫性があるものだが、
君の場合はまるで、複数の人間が一人の人間の振りをしているかのようだ」
「それに、私との戦いの最中でさえ、貴方の動きは変わっていった。限られた中で新たな
戦術を、実用に耐えるレベルで構築し、膨大な戦術の中からその場に最適なものを選び出
して戦う……それが貴方の戦闘スタイルなのでしょう」
「俺には才能がなかったからさ。使えるものは全部使っただけだよ」
「それもまた、君の『才能』なのだろう。相手によって戦い方を変え、戦えば戦うほど、
確実にバリエーションが増える敵など、私は戦いたくもない」
「もしかして俺……誉められてますか?」
「微妙なところですね。多くを扱えるということは、必然としてたった一つを扱うことに
弱い。生き残る戦いならばシロウのような戦い方が最適なのかもしれませんが、勝つこと
を前提にすると、話は違う」
「痛いとこ突くなぁ……流石は英霊」
「だが、君が『使える』ことが分かっただけでも良しとしよう。汗をかいただろう? シ
ャワーでも浴びてくるといい。着替えは既に用意してある。君の次にはアルトリアも使う
から、さっさと済ませるようにな」
「既にうちの住人ですね、バゼットさん」
苦笑しながら立ち上がり、使い物にならなくなった竹刀を床に叩きつけて、折る。細か
い竹が床に散るが、掃除をするのは後回し、大きなゴミだけをゴミ箱に投げ入れ、士郎は
大きく伸びをする。
「風呂から出たら、昼飯でも用意しますが、午後の予定ってどうなってます?」
「街を探索してみようかと思っいるよ。私は実地調査くらいはしているが、アルトリアは
そうもいかないだろう?」
「ならついでに、昼間のうちに怪しい場所にも顔を出して見ませんか? 事と場合によっ
たら、夜回りとかもしないといけませんし」
「……関係のない人間のために、君は力を割くのかい?」
「危ないなら、そうした方がいいでしょう。いけませんか?」
「いや、構わないよ。君ならばそうせねばならんだろうし、街に被害を出さぬようにする
ことにも、メリットはある。私に反対する理由はないさ」
「それを聞いて安心しました。じゃあ、行ってきます」
ぱたぱた、と襟元を動かしながら道場を出て行く士郎を見送り、バゼットため息をつく。
先程から、頼りになる少女の視線が痛いのだ。
「……何か言いたそうだね、アルトリア」
「貴女は合理的に生きているように見えて、シロウには甘い」
「臣下であれば諫言でもするのだろうがね。残念ながら、シロウは私のことはもちろん、
君のことだってそうは思っていないだろうさ。私達は何か、と問われれば、彼は躊躇いも
なくこう答えるだろう。仲間だ、とね。ありがたいことだよ」
仲間ならば、その意思を組んであげたいとも思う。例えそれが甘い考えなのだとしても、
彼ならばそれを自然に成してしまいそうな、そんな気がするのだ。いや、
「私は、彼がそれを成すところを見たいだけなのかもしれないな」
「何か言いましたか、魔術師」
「ただの独り言だよ」
自分がいつか夢見て、そして何処かに置き忘れてきたモノを、シロウはまだ大事に抱え
ている。全ての人間を幸福にするとか、そういった理想を本気で信じているのだ。
馬鹿にすることは、簡単だ。だが、今時そんな理想を本気で信じられるような、そして
そのために努力を惜しまないような人間は、そうそうお目にかかれるものではない。
(お前ならば、シロウの理想を踏みにじろうとするのだろうな、言峰。できることならこ
のまま、お前には会わせずに終わりたいものだ)
冬木の街は、決して田舎ではない。
夜になれば駅周辺の繁華街は、遊びを求める若い連中と、色を求める少々裕福な、もし
くはそういったモノに生活を賭ける連中。そして、彼らを相手にする商売人によって、常
ならば賑わいを見せるのだが……連日の不穏な、命に関わりかねないような騒動によって。
人の入りも陰りを見せている。
表の権力であえる警察も。裏の顔である藤村組も、手を尽くして原因を探ってはいるの
だが、その原因はようとして掴むことはできない。しばらくはこの活気のない状況が続く
……夜の街を利用する面々、働く面々、そしてその上がりを収入に当てている藤村組は揃
ってため息をついて、事態の回復を祈るばかりだった。
さて、冬木の裏の面よりもさらに深い裏側に属する魔術師達の戦い――冬木の夜の街を
悩ませる聖杯戦争、その参加者である魔術師、衛宮士郎とその仲間達は人気のない冬木の
街を何でもなく歩いていた。
誰もがおっかなびっくり歩いている中で、しかも、彼らのうち二人までもが女性である
にも関わらず堂々と歩いている様は、見る人間がいれば目立っていたのだろうが、士郎達
に目を向けるような人影は、ただの一人も存在していなかった。
おそらくはキャスターがいるだろう、柳堂寺――を、とりあえず避けて、今まで不可思
議な現象の起こった場所の実地調査兼見回りが今回の任務なのであるのだが、戦闘という
ことならともかく、地味な、しかも専門的な技術を必要とする作業が主となったその任務
は、魔術師駆け出しの士郎には、正直退屈の一言に尽きた。アルトリアもおそらくは、同
じ気持ちだろう。
「君達の顔を見れば退屈なのは解かるが、こういった地味な作業によって得られる情報が、
時には自らを勝利に導くのだと覚えておいた方がいい。現実は映画のようにワンカットで
地味を略せたりはしないのだからね」
「しかし、魔術師。敵の所在が判明しているなら、斬りこむべきでは? 相手がキャスタ
ーとなれば、私が後れを取るとも思えませんが」
その点には、士郎も同意する。サーヴァントがその力を発揮するためには、大なり小な
り魔力を消費しなければならない以上、大抵の場合、何某かの方法で魔力を調達するため
の方法を編み出すはず。
つまり、戦争が長引けば長引くほど、相手の準備は整い強くなり、街はより一層被害を
出す、と、正義の味方の見地からすれば待ちの作戦というのはいいところがないのである。
「そりゃあ、君とキャスターが面と向かって戦えば、君が勝つだろう。だが、考えてもみ
てくれアルトリア。そんなことはあちらだって百も承知なことだ。ならば、キャスターが
取るべき行動は、『如何に君と戦わずに』私達に勝つか、その一転に尽きるはずだ。君と
シロウを引き離し、マスターであるシロウだけを直接狙ってくるかもしれない。あるいは、
広範囲の破壊魔術か、精神操作か……」
「全てに対処することなど、神の業。尻込みしていては、勝てる戦も勝てなくなる」
「その見極めをしくじるつもりはないよ、私だってプロだ。石橋を叩きすぎて壊してしま
っては、それこそ本末転倒だからね」
バゼットもバゼットで暇だと思っていたのか、戦い方に関する言い合いは、夜の街に静
かに響く。
片やブリテンの王、片や時計塔の魔術師……士郎にだって言いたいことはあるにはある
が、素人が口を出してもいい問題ではなかろう、と何となく周囲を見回し――
強大な戦闘の気配に気付いたのは、三人同時だった。
「――でたらめな気配がするな。何かで隠蔽している感はあるが、それだけに強敵の予感
がひしひしとするぞ」
「一番巨大なものは、おそらく狂戦士でしょう。どこの誰かまでは知れませんが、相当に
名のある英霊のようですね」
「相手の気配には覚えが……多分、俺が学校で見た赤い騎士のものでしょう。そのマスタ
ーも、近くにいるみたいです」
彼我の距離はおよそ300メートル。奇襲をかけることも、気付かれずに逃げることも、
自由に選択できる位置だ。
「行きましょう。敵は目の前にいる。好奇です」
好戦派のアルトリアが、主張する。既に鎧を纏い、意気揚々。
「待て、せっかくだ、情報を集めよう。戦うのはそれからでも遅くはない」
今にも走って行きそうなアルトリアの前に立ち、慎重派のバゼットが主張する。
さて、ここで問題だ。現在の得票は即交戦1に、待機が1。リスクを取って大きな勝利
の可能性に賭けるか、とりあえずの安全を取って、小さな勝ちを拾うか。
二人の視線は、当然の如く士郎に集まる。図らずも決定は、士郎一人に委ねられた。お
そらく、どちらを選らんだとしても、二人は文句を言うことなく従ってくれることだろう。
だからと言って、安心して我を出せるか、と言われると、そうでもない。全幅の信頼に
はそれ相応の責任が生まれる。さらに言えば、その決定に含まれるのは自分を含めた全員
の命だ。
自分だけならばまだいい……しかし、他者の命を危険に晒し、また、相手の命を奪うこ
とになるかもしれない決断を、軽々しく口にできるはずもない。だから、
「俺に考えがあります。今から説明しますから、その通りに」
――投影準備、『武器庫』接続。レベルを必殺に設定、全武装検索――
――終了。該当、一件。名称不明。解析結果をリロード、仮称を決定。『死棘槍』。威力、
『心臓、またはそれに代わるモノへの必中を目的とした呪詛』――
――警告。該当武装の属性は『槍』。直接投影は非効率的――
――『死棘槍』をベースに、『剣』を作成――
「――前工程、終了。投影、開始」
できそこないの魔術師、衛宮士郎の数少ない特技にして、絶技。『剣』に関するもので
あるのなら、例えそれが神の武器であったとしても、自らに属するモノへと堕とし、世界
に現す。あらゆる神秘と英雄の伝説に対する生きた侮辱にして、あらゆるモノの天敵……
「投影完了。是、『偽・死棘槍』」
――『偽・死棘槍』を『武器庫』に保存。投影、全工程終了――
血よりも深い赤に刀身を染め上げられた、衛宮士郎の『矢』がここに完成する。
「……………………君は、私がどんな立場にあるのか、忘れた訳ではあるまいな」
「バゼットさんでしょう? 時計塔の魔術師の」
士郎は、自分のしていることが如何に規格外のことであるのか、知らない。知っている
はずがない。時計塔の魔術師の、封印指定を狩る『ハンター』、バゼット=フラガ=マク
レミッツの前でそれをすることが、自殺行為であることを知らない。
バゼットは疑った。これは、暗に取引を持ちかけられているのではないか。此度の聖杯
戦争に協力する代わりに、自分のことは見逃せ、と。
考え、すぐに否定する。この男は、そこまで深く自己について考えることはしないだろ
う。こんな裏技中の裏技を見せたのも、、自分を――『ハンター』バゼット=フラガ=マ
クレミッツを信頼しているからに他ならない。
その信頼を裏切ることは……バゼットには出来そうにもなかった。
甘くなった、と思う。士郎と付き合っていけば、どうせ今見たことなど問題にもならな
いようなことを言い出すなんて、目に見えているのに……
「そうだね。私は時計塔の魔術師だ。その名に免じて約束してほしいのだが……私以外の
――これは、君が仲間と認めた人間の前で、ということだがね――魔術師の前でその魔術
は使わない方がいい。その魔術は使い手の少ない、少々特殊な魔術でね。例えば、時計塔
の連中は強欲だから、君の脳を取り出して、その仕組みを調べようとするかもしれないの
だ」
「まさか、そんなこと――」
「私は、そういった冗談は好まない。君が、私のことを仲間だと思ってくれるのなら……
頼む、私の願いを聞き届けてくれ」
「……分かりました。投影は極力、人前では使わないようにします」
「ありがとう……私の役目は、奴らの監視だったね。確かこの近くには公園があったはず
だ。戦闘が終わったら、そこで落ち合おう」
口の中で小さく呪文を唱えると、軽々と民家を飛び越え、バゼットは姿を消した。
「アルトリア、先に俺が仕掛ける。お前には、俺に危害が及びそうになった時だけ、俺を
助けてほしい」
「それがどれだけ虫のいい願い事か、理解していますか?」
「だって、自分がどんな仲間を連れてるかってことは、なるべくなら悟らせない方がいい
だろう?」
「主の身の安全と秤にはかけられません。確かに、貴方は強い。修練を積めば、いずれは
私を越え、英霊にも勝てるほどになるのかもしれない。しかし、今の貴方はただの人間だ」
「だから、その時は守ってくれよって言ってるのさ。簡単なことだろ?」
確かに、言っていることそのものは簡単だが、それは同時にとても難しく、アルトリア
からすれば、とても承服できかねる願いだった。
アルトリアは、瞑目して考える。この少年は、自分のマスターとして、相応しいのか。
正義感はある。弱きのために力を使い、それで自らが傷付くことも厭うことはない。そ
れに相応しいだけの力も、資質もある。青臭さが先に立ったりはするが、人間として魅力
のある青年であることは、間違いがない。
だが……それは、アルトリアの理想とは、相容れないものだ。
切り捨てたことのない人間には、きっと理解することはできない。それは、そういう理
想を抱いて道を歩めば、いつかは必ず通る道。士郎にも、自らの手では救い切れないモノ
に直面するときが、必ず来る。
そうしたら士郎も、彼のようになるのだろうか? より多きを助けるために、より少な
きを助けるような、そんな『正義の味方』に。
詮無いことだ。アルトリアという騎士が剣を捧げることに、知ろうの行く末など関係が
ない。人間として魅力があり、その力になろうと自分が決めた、その事実だけで、共に戦
う理由など、十分だ。
「了解しました。ですが、決して手を抜くことなどなきよう、お願いします」
「こっとも了解」
言って、用意しておいた覆面を手早く装着する。外来の魔術師ならばいざ知らず、士郎
は土着の、しかも半人前の魔術師。顔を割られて本拠を知られるようなヘマはしたくない
というのが表向き――アルトリアやバゼットに説明した理由だが、本心を言えば、単に一
度はこういう『正義の味方』っぽい格好をしてみたかった、だけなのは、言わない方がい
いのだろう。
強化の魔術を体にかけ、『偽・死棘槍』を気配の数だけ投影。
「じゃあ、手筈通りに行こうか」