彼にとっての厄日 後編














ひとしきり忍で遊んでから月村邸を出た真一郎は明心館、風芽丘、海中を回って現在帰
宅途中である。
明心館では、晶を始めとする少女(または女性)達からチョコをもらい、それを全身全
霊でもってうらやましがる男子達を適当にしばきたおした。
学校には、最近できたらしい格闘技系の同好会の指導(普段は明心館一般の知り合いが
やっているのだが、今回は代打)の名目で行った。
別に運動するでもなく指導をして、さて帰ろうと思ったら休日のくせに唯子にばったり
会った。
逃げようとしたら問答無用で捕まって、学食で茶飲み話をしていたらチョコをもらった。
どうも帰りに寄るつもりだったらしい。
唯子は人気があるのか、そのまま話していたら真一郎達は女子の集団に包囲された。
彼女達は一人一人チョコを配っている最中だったらしく、真一郎はめでたく彼女達全員
からチョコを頂戴した訳である。





一言で言うなら大漁だろう。
ノエルにもらった紙袋には、たくさんのチョコが詰まっているがそれでも学生時代に比
べれば少なくなった物だ。
料理好きなおかげで甘いものは嫌いではないが、さすがにこれだけあると胸焼けする。
幸い、家にはくいしんぼうが二人ほどいるので無駄になることはないが、もらった手前
なるべくなら自分で食べたい。
(もてるってのも考えものだな…)
好き勝手なことまで考える始末である。
真一郎がチョコと一緒に飲むものでもリストアップしながら歩いていると―
「真一郎さん…」
足を止めると、近付いてきた足音も止まった。
走ってきたのか、息が切れている。
くすっと笑って振り向くと、そこには予想通りの少女。
「よかった…家にいったらいないって雪さんに言われて…」
「野暮用でね。少しぶらついてたんだ」
さりげなく、紙袋を目立たないように移動させる真一郎。
ありがたいことに、美由希はそれに気づいていない。
「あの…今日バレンタインだから、チョコなんて作ってみたんですけど…」
(来たか…ついに)
人知れず真一郎が戦慄していると、美由希はおずおずと包みを差し出した。
手作りだ…それは間違いない。
結局失敗して、翠屋の出来物を持ってきたとか、そんな展開では断じてないだろう。
繰り返す…手作りなのだ、美由希の。
「今日のは、けっこう上手にできたんですよ」
頬を染めて、嬉しそうに言う美由希。
その邪気のなさは…確信犯でないだけになお悪い。
美由希の料理を最後に食べたのは、確か一月前。
お泊りの時以来、美由希は妙な自信をつけてしまったらしく料理に対する苦手意識はな
くなった。
…だが、それは悲しいかな技術には結びつかず、その一月前に食べたときの腕前は…何
と言うか非常に個性的だった。
この一月で劇的に進歩…考えられなくもないが、可能性は非常にゼロに近い。
本能は危険だと告げている…が―
「ありがとう」
これを突っ返せるほど、真一郎は人間壊れていなかった。
あまりにあっさりと受け取ったので、これには美由希の方が驚いたくらいである。
「いいんですか?」
「よくないのに受け取らないよ。美由希ちゃんが作ってくれたんだったら断る訳でしょ」
真一郎の笑顔に、美由希は思わずぽ〜っとなる。
首を傾げると、美由希は急に我に帰りあたふたとしだした。
「じゃあ、私はこれで」
「美由―」
止める間もあればこそ。
美由希は、あっという間に走り去ってしまった。
小さくなっていく背中を見送って、手の中の包みをもてあそぶ。
毒か…薬か…何にしても死にはしないだろう。多分。
彼女と『秘密』を共有してからこれは避けようのない物だったのだろう。例えるなら―
「運命か…」
嫌な運命だなぁと、小さな声が響いた。










「毎年思うけど…」
テーブルの上には包みがたくさん。
高そうな物、手作りチックな物、大きいの小さいの様々である。
そう、様々。数は軽く二十を超え、三十近い。
「真一郎ってもてるのね」
「うるせ〜やい」
答える真一郎は当然チョコをぽりぽりとかじっている。
なんやかんやで三個は消化した。幸いなことにどれもおいしい。
「これは小鳥さんのですね。こっちは岡本さん…これは?」
テーブル上のチョコを調べていた雪が、ラッピングの中で場違いな板チョコを取り上げる。
真一郎はちらと見ると、
「ああ、それは御剣からだよ。前に俺が冗談でチョコ送ったら根に持ってさ…」
「がきね…」
「何とでも言ってください」
と、包みをテーブルに置く。これで四個目。
直接貰うのでなくても、毎年真一郎の家にはチョコが送られてくる。
小鳥やみなみ、葉弓といった知人から、実際には良く知らない『後援会』の残党さんか
ら送られてくるものと様々だが、どこぞの理事長の孫ほどではないが、量は多い。

「ご主人様一人で食べるんですか?」
なんとももの欲しそうに、真一郎の隣に腰掛けたざからが言う。
逆サイドには、幼体になっている久遠がこれまたもの欲しそうにしていて、どうにも食
べにくい。
「もう少し待ってね。俺にも少しだけ意があるから」
言いつつもチョコを口に運ぶ。
今度の物はホワイトチョコレートだった。
「じゃあ…」
ざからが反対側の久遠と目配せをする。
彼女達は後ろでに何かを持つと、
「じゃ〜ん!」
とでも効果音のつきそうな勢いで、何かを真一郎に差し出した。
「これは…」
手作りの人形。
フェルトで作ったらしい、それは造りがいかにも幼稚で所々綻びもあった。
でも、それ以上に作り手の心が感じられた。
それは、決して人形の『形』のせいだけではないはずだ。
「久遠…ざからと一生懸命作ったの…」
「私達もただのくいしんぼうと思われるのは嫌だったので、ご主人様に内緒で作りました」
「私が教えながらやったんですけど…がんばりましたよ?」
はい、と雪が三個目の人形を差し出す。
「私も久しぶりに針仕事なんてしたんだから感謝してね」
七瀬も照れながら、人形を差し出す。
四個の人形を受け取って、真一郎は途方に暮れる。
四個―渡された順にざから、久遠、雪、七瀬のディフォルメされた人形である。
なんと言うか、とてつもなく可愛い。
それだけに、ただ渡されると非常に困るのだが…
「これは誰の発案なの?」
「さあ…いつの間にか作るってことになってたんですけど…」
「いいじゃないの。まあ、貰ったんだから大事にしてね」
かわいい四つの人形…と言うか小さなヌイグルミは、男の部屋には似つかわしくない。
きっと無骨な部屋に置いたとしても、そこはかとない存在感をかもし出すことだろう。
でも、真一郎はそういうノリは嫌いじゃなかった。
だから、笑う。
「うん、ありがとう。大事にするよ」
つられて、皆笑った。


「ねえご主人様、もう食べてもいいですか」
「まったく、こういう雰囲気なんだからもう少しムードをね…」
「いいよ、七瀬。じゃあどれでも好きなの選んでいいよ」
「え〜っとですね…」
ざからはチョコの山を眺め回して…そこから一つを手に取って真一郎に見せた。
「これです!」
「そっか…じゃあ、俺もこれ食べることにするよ。雪さん達もどうぞ」
そう言われて、雪も久遠もチョコを選び始める。
真一郎は台所から冷えた紅茶を持ってきて、ざから達の前に注ぐ。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
雪達よりも一足先に真一郎達はチョコを口に放り込んだ。










「………」
所変わって高町家。ここでも、一人の男性が困っていた。
ソファに座って無表情にテレビを眺めている恭也の膝の上では、愛する妹が寝息をたて
ている。
テーブルには、チョコ。この妹が一生懸命作ったお菓子がのっていた。
「恭也…なのは、寝ちゃった?」
気を利かせていた桃子が、足音を殺して恭也に寄ってくる。
恭也はなのはを起こさないように細心の注意を払いながら、桃子に渡した。
「彼女いるのにごめんね。女の子を膝に乗っけちゃって」
「不穏な言い方をしないでくれ。それに、別に苦労はない」
無表情な外見からは想像もつかないが、恭也は結構なシスコンである。
誰に接するときも態度はそのままだが、この妹に対してはさりげなく甘いところがある。
それを家族に指摘されると、怒る。
それがまた証明になったりもするのだが、まあ、それで誰も困ったりはしないので、平
和なものである。
「そう言えば、台所に妙な匂いが立ち込めていたような気がするのだが…」
「ああ。美由希がチョコ作ってたらしいのよ。相川さんにあげるんだって頑張ってたん
 だって」
「それは…美由希が一人で作ったのか?」
「そう…みたいね。晶ちゃんにもレンちゃんにも手伝ってもらわなかったみたいだから」
心の中で、恭也は真一郎に同情した。
美由希の料理の出来は…残念ながら、控えめに言ってもひどい。
最近は前よりは食わされる機会は減ったのだが、その分真一郎にしわ寄せがいったのだ
ろう。
同情する…したところで恭也に真一郎の代わりを務めることはできないので、どうにも
ならないが、とにかく同情する。
「恭也、那美ちゃんに何かもらった?」
「ああ。チョコをもらった。管理人さんに手伝ってもらったらしくてな…」
「それで、何?」
「ああ…甘くなくて、うまかった」
「幸せそうね…か〜さん羨ましいわ」
「からかうだけなら―」
「はいはい。じゃあ、私はなのはを連れて行くからね。お休み恭也」
「ああ、おやすみ」
桃子が去って、居間が静かになる。
そこで恭也は息を吐いて、天井を見上げた。
笑みが込み上げる。どうも、自分は幸せらしかった。






この日、海鳴市どこかの家で救急車を呼ぶ呼ばないの騒ぎがあったのだが、それを恭也
が知ることはなかった。