「エヴァさんと喧嘩した!?」



 破損した体のままネギを抱え逃げ込んだラボで、状況説明を求めた彼女――葉加瀬聡美に

ありのままを報告すると、彼女は信じられないものを見た、とでも言いたげな顔で、茶々丸

を見返してきた。



 そんなにおかしなことだろうか? と思いながら、茶々丸は残った左腕に抱いていたネギ

を用意されたベッドに寝かしつける。ラボに泊り込みの多い聡美が頻繁に利用するため、主

の世話係ロボも兼ねている茶々丸から見て許容できないほどそこは雑然としていたが、今は

緊急時であり、ここは自分が迷惑を籠に入れて抱えて飛び込んだ他者の家である。文句を言

える筋合いではない。



「エヴァさん、何て言ってた?」

「三行半を突きつけられました。私の従者権限を破棄する、と」

「はぁ……思い切ったことするねぇ」

「そうでしょうか? 彼女にはまだ、お姉さまがたくさんいます。従者に困ることはないで

しょう」

「そうじゃないよ、茶々丸。私が言ってるのは、貴女のこと」



 準備しておいた右腕の換装用パーツの様子を見ながら、聡美は苦笑する。



「ご主人様を『裏切る』なんて、まるで人間みたいじゃない?」

「私はアンドロイドです。人間ではありません」

「それはそうだけどさ。でも、人間の心を持ってるアンドロイドがいても、私はいいと思う

のよ。茶々丸がそうだとしたら、私も製作者の一人として鼻が高いな」

「貴女がロマンチストだとは、知りませんでした」

「うん? 研究対象として興味深いってことだよ。私は科学に魂を売ったもの」

「……仮に私に人間の心が生まれたと確信しても、解体はしないでくださいね?」

「大丈夫。その時はちゃんと予告して、万全の状態で解体するから」



 頼む相手を間違えたのだろうか、と右腕の接合処置を受けながら、茶々丸は思った。消去

法で選択して、彼女しか頼れないと結論付けたからこそここにいるのだが、下手なことを言

ったらこの場で解体されかねない。



 無論、自分に人間の心が生まれるなど夢物語もいいところだが、何しろ先ほど『科学に魂

を売った』と宣言されたばかりだ。信用はしているが、用心だけはしておこうと茶々丸は心

の奥で決意を固めた。



「で、ちょっと真面目な話をするけどさ……勝てるの? エヴァさんに」

「勝たなくてはならないでしょう」



 今回の作戦の目的、『投稿地獄』の完全消滅はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル

の十五年来の悲願だ。



 そして、その達成のためにはサウザンド・マスターの血族であるネギ・スプリングフィー

ルドの血が必要とされる。偉大な彼が生きてさえいれば、エヴァンジェリンもここまで無茶

な計画は立てなかったのだろうが、彼の訃報が魔法世界に轟いて久しい。



 仮にも歴史に名を残るほどの偉大な魔法使いが、たちの悪いことにアンチョコを見ながら

中途半端にかけた呪いだ。エヴァンジェリンとて、知る人ぞ知る魔法使いである。試行錯

誤を繰り返してはいたようだが、見つけ出した方法は血族の血を用いた解呪、ただ一つのみ。



 並の一流では実行しても効果を期待できない方法だ。解呪の方法が一つでも見つかっただ

けでも、彼女の力量が伺いしれるというものだが、問題はそのために必要とするネギの血が、

人間の致死量を軽く凌駕しているということだ。



 計画が成功すれば当然、ネギは命を失うことになり、彼に味方をした茶々丸もまた、その

場でスクラップにされることだろう。



 それだけならばいい……いや、決して良くはないが、エヴァンジェリンの計画が成功した

場合には、その先がある。



 魔法学校に籍を置いている魔法学生を、それもサウザンド・マスターの遺児であるネギを

手にかけたとなれば、エヴァンジェリンはまた賞金首に逆戻りだ。しかもここは、日本の西

洋魔術師達の総本山である。いかに完全復活を遂げたとは言え、タカミチ・T・タカハタを

はじめとした魔法先生、魔法生徒の集団を何とかできるとは考え難い。



 結果、周囲に甚大な被害を撒き散らした上に命を落とすという、エヴァンジェリンにとっ

て最悪な結末を迎えるということも、ないではない。絶縁され、自らもマスター権限を凍結

した宙ぶらりんな関係ではあるが、茶々丸だってまだエヴァンジェリンを気にしている。



 命のかかった状況では贅沢かもしれないが、出来れば何処にも人死は出したくはない。絡

操茶々丸はアンドロイドだ。アンドロイドは、人間を……ヴァンパイアだって、本来は傷つ

けてはならないのである。





「武装が欲しかったら言ってね。超さんの計画まではまだ時間があるし、大抵の物は揃うと

思うよ」

「それはありがたいのですが……いいのですか?」



 逃げた茶々丸に協力した段階で敵とみなされていてもおかしくはないが、武装を進んで貸

与したとなれば、もう言い訳することはできない。茶々丸やネギと違い、葉加瀬自身は身を

守る術を持たない上に、いざ大停電当日となれば、茶々丸もネギも彼女を守っている余裕は

なくなる。



 つまり、ここで改めて茶々丸に協力を申し出るということは、他人の戦いに首を突っ込ん

でまで、命をかける覚悟があるということだ。言ってしまえば他人である彼女が、そこまで

をする必要はない。



「狙われる可能性があるなら、少しは攻めに転じないとね」



 心配する茶々丸を他所に、葉加瀬は笑う。



「では、当日は私がここに残った方が――」

「こらこら、アンドロイドが非合理的なことを言わないの。エヴァさんをどうにかするなら、

茶々丸はネギ先生と一緒に行動しなきゃ。当日は、私のことは放っておきなさい。これでも

人脈は広い方だから、守ってくれそうな人の一人や二人、心当たりはあるんだよ?」

「……申し訳ありません。この借りは、必ず」

「戦闘データは今後の研究に有効活用させてもらうから、別にいいよ。対アンドロイド、対

魔法使い用のデータなんて、そう取れるものじゃないから……実を言うと、少し楽しみだっ

たりするの」

「流石、科学に魂を売っただけのことはありますね」

「幻滅した? こんな生みの親で」

「いいえ。合理的なのはいいことです。それが私やネギ先生の助けになるのなら、なおさら」

「うん、それなら何も問題はないね。さ、終わったよ」



 話しながらでも流石に科学狂である。仕事は速い。



 新たに装着された右腕を、握ったり開いたり……急な仕事であったはずだが、感触には問

題がない。



「作業の間にシステムもチェックしてみたよ。問題なしって出てるけど、どう?」

「問題ありません。全システム、良好です」

「よかった。じゃあ、武装の件だけど……」



 センサーの錯覚だろうか、一瞬、葉加瀬のメガネのレンズが光ったような気がした。人間

の感覚に当てはめるなら、『悪寒』に相当する電気信号が茶々丸の体を駆け巡る。アレは腕

にドリルとかおっぱいミサイルとか、そういったことを言い出しかねない、そんな目だった。



「そのことなのですが……」



 目も当てられない自分になる前に、葉加瀬の言葉を区切る。



「私はネギ先生に、仮契約を勧めてみようかと考えています」

「それはまた……茶々丸がネギ先生の従者になるの?」

「それも含めて検討しています。見たところネギ先生にはパートナーがおられない様子。戦

うとなれば、仲間は多いに越したことはないでしょう」

「でも、エヴァさんと戦うのに協力してくれるような人って……いる?」



 葉加瀬の声も、どこか暗い。



 何しろ相手は、元600万$の賞金首、『闇の福音』である。裏の世界に一度でも関わっ

たことがある人間なら、知らぬ者はいないほどのビッグネームだ。


 麻帆良は日本における西洋魔術師の総本山である。そこに務めている魔法先生、生徒の協

力が得られるのならばこれ以上の助けはないが、下手に彼らに助けを求めて話が彼らよりも

上……具体的には、魔法世界の住人にまで行くのはネギとエヴァンジェリン、どちらにとっ

ても好ましくはない。



 だからと言って、その辺の生徒を捕まえてパートナーにするというのも、自殺行為だ。倫

理的にも当然問題があるが、何より足手まといになる可能性が高い。マスターによる魔力の

補助とアーティファクトの補正を考えても、それはそう簡単に覆せるものではない。



 麻帆良の息がかかっていない一般人でありながら、足手まといにならない程度には腕が立

つ……そんな都合のいい人材が、今のネギには必要なのだ。



「…………候補はいます。長瀬さん、古さん、龍宮さん、現実的な話をするなら、この辺り

が妥当でしょう」

「桜咲さんとかは?」

「彼女は近衛さんの護衛、とマスターから聞いています。本来の護衛対象を放ってまで私達

に協力するということは、聊か考え難いです」



 その近衛木乃香か、同室の神楽坂明日菜でも巻き込まれているのなら、まだ交渉の余地は

あったかもしれないが、いずれにせよ現状では桜咲刹那を仲間に引き込むのは難しい。



 今晩、エヴァンジェリンが襲ったのは宮崎のどかであり、その一部始終――ネギが助けに

入り、気を失った宮崎のどかを、一緒にいた神楽坂明日菜と近衛木乃香に引き渡したところ

までは茶々丸も確認している。その後どうしたのかまでは補足していないが、戦闘中も、こ

こまで逃げてくる過程でも発見できなかった以上、ちゃんと寮に帰っているのだろう。



「先にあげた中から、ということになりますが……」

「私から電話しておこうか?」

「いえ、長瀬さん達にも事情は直接話した方がいいでしょうし、仮契約はネギ先生にとって

は一生の問題です。目が覚めたら先生に事情を説明し、彼女達の勧誘はそれからでも遅くは

ないのではないかと」

「一生って言うけどさ、茶々丸。これで負けたら多分ネギ君、死んじゃうよ? 分かってる

の?」

「これ以上ないほどに。ですが……」



 いまだ目を覚まさないネギを見やる。死にかけた直後だというのに、その寝顔は年相応に

柔らかだ。力及ばなかったとは言え、つい先ほどまであの『闇の福音』を相手に戦っていた

など、この寝顔を見て一体、誰が思うだろうか。





 マスター、エヴァンジェリンを裏切った理由を、茶々丸はいまだに言語化できないでいる。

それはアンドロイドとしてあってはならない、生まれたばかりの自分ならその瞬間に自壊し

ていてもおかしくはないほどの、重大な命題違反だった。



 そんな命題違反を犯しても尚、茶々丸はこうして自壊せず自己を保っている。



 裏切りを許容するように、システムが変更されたのか……そうでもない。裏切りはアンド

ロイド、人間を問わず、あらゆる種族にあって最低の行為だと、今も茶々丸の奥深くに刻ま

れている。



 ならば何故……不可解なデータの渦が、茶々丸の中を駆け巡る。答えは出ない。この行為

は非合理的だ。エヴァンジェリンのマスター権限を凍結したことで茶々丸の中のプライオリ

ティにも入れ替わりがあったが、裏切りそのものは凍結よりも前のことである。裏切りを決

めた時にはまだ、エヴァンジェリンの命令が茶々丸にとって最優先だった、そのはずだ。



 彼女は『人を傷つけてはならない』という、アンドロイドが守らねばならない、最も重要

な命題を犯した。それは常識的に考えればあってはならないことだが、最古の姉にも言われ

た通り、エヴァンジェリンは『悪の魔法使い』であり、茶々丸はその従者である。



 元々、悪のアンドロイドとして作られた茶々丸だ。他のアンドロイドに比して、その制限

は驚くほど緩い。『人を傷つけてはならない』というのは茶々丸にとって、建前でしかない。



 それら、アンドロイドとして当たり前のことを覆した、茶々丸の中の新しい何か。彼の、

ネギ・スプリングフィールドを守りたい、そんな『思い』が茶々丸を支配しているのだ。





 その支配の根源を、人は心と呼ぶのかもしれない。









「私は、ネギ先生が勝つと確信していますから」