lovers the another world 第四話









「しっかし、あれだな……」



 ソファに仰け反り、煙草をふかしながら真雪が言う。



 さざなみ寮居間…声からしてだれきっている感じであるが、今日の真雪は珍しく余所行

きの格好をしていた。こういう小綺麗な格好をしていると知的な雰囲気すら漂う彼女であ

るが、内面から滲み出ている気だるさだけはどうしようもない。



「最近これと言って白熱できることがねえな。うちのお嬢どもは色恋沙汰さっぱりだしな」

「運動不足気味なんでしょう? これを機に何か趣味でも作ってみたらどうです?」

「んなもんは疲れるだけだ。人間やっぱ楽してこそだろう」



 肩をごきごき鳴らして伸びをするが、いつものラフな格好ではないために思うようには

いかないらしい。早く着替えれば、と耕介は思うのだが真雪はそれすら面倒くさいようだ

った。



「そんなこと言ってると太りますよ?」

「いいんだよ。あたしは絶対に太らん」

「…ちなみにその心は?」

「あたしが、あたしだからだ」

「よく分かりました…」

「つ〜訳だから耕介、お前が何か話題を提供しろ。あたしとしては燃えるような色恋の話

 であることが望ましいんだが」

「望ましいとか言われても、無理なものは無理ですよ」

「無理でも女くらい作れ。それとも何か? お前は男にしか――」

「そういうことを言わんでください…」



 ぽりぽりと頭を掻きながら、耕介は音を立ててお茶をすする。



「自分の他には女しかいねえ職場に七年もいて一人身じゃあ、そうも思うさ」

「仮にも親御さんから娘さんを預かっている訳ですから…それに手を出すってのは問題が

 ありません?」

「今はそうかもしれんが…昔はそうでもなかっただろう? 親と何かありそうだったのは

 バ神咲と岡本少年くらいなもんだったし」

「俺に勇気がなかったんですかねぇ」



 恋は盲目と言う。一度惹かれてしまえば耕介も今と違った道を歩んでいたのかもしれな

いが、『盲目』になる前に立ち止まってしまったらその道を閉ざされるしかない。



 ゆうひも知佳も他の女性も確かに魅力的だった。だが、その魅力的な女性に囲まれてい

たという事実がありながら、耕介は今も一人身なのだ。そこに明確な理由があるのかもし

れないし、ないのかもしれない。勇気がなかったと言ってしまえばそれまでだが、そうで

はないと思える何かが耕介にはあった。



「そういうことでもねえだろう」



 最後に紫煙を大きく吐き出し、真雪は煙草を灰皿に押し付けた。人生の娯楽とかそうい

うものは別にして、真雪が自分の一人身を案じているのは何となくではあるが分かってい

た。彼女にいたっては浮いた話の欠片すらないのだから、本気ですまなく思う。



 だからと言って今更寮生と、というのも『違う』気がする。真雪に対するすまなさは募

るばかりだ。



「気長に行きますよ。自分のすべてを賭けられるような女性(ひと)に巡り合えるまで…

ね」

「ほんっとうに気の長い話だな…まあ、頑張れ。あたしが墓の下に行くまでには見つけて

くれよ」

「…善処します」



 そして、お茶に少しだけ口を付けると真雪はソファから立ちあがった。堅苦しい余所行

きの服は奔放な真雪にとっては、窮屈でしかない。自室に着替えに行くのだろうと思った

耕介は、少し前に茶菓子をもらったことを思い出し、一緒にお茶を入れ直そうとして――



呼び鈴が鳴った。来客である。



 耕介は既に立ち上がっていた真雪と顔を見合わせるが、彼女は小さく首を横に振った。

真雪の来客でないにしても、耕介の客であるとは考えにくい。自慢ではないが、これでも

友達は少ない方だ。



 時刻は三時を少し回った所。那美を始めとして学生達はまだ学校にいるし、彼女達が早

く帰ってきたというのも、呼び鈴が鳴った段階で没だった。



 宅急便か何かだろう、と思い耕介は立ち上がった。判子を探しに棚を漁ると、真雪が無

言で目当ての物を差し出してきた。



「何で真雪さんが持ってるんですか?」

「愛から所用で預かってたんだ。ほれ、受け取れ」



 後ろ手に判子を受け取ると、耕介は居間を出て玄関へ。真雪はその対応が終わってから

二階に行くことにしたのかソファに座りなおして、まだ微妙に残っていたお茶を啜る。





「はいはい、ちょっとまってくださいねっと…」



 靴をつっかけ、判子を取り出しながら鍵を開ける。ドアの向こうには人の気配、それも

一人ではなく…複数、いや、二人のようだった。



(? 判子はいらなかったかな?)



 首を捻りつつ、一応宅配員相手の対応を思い浮かべながらドアを開けると――



「こんにちは」



 宅配員とは似ても似つかないような笑顔を浮かべた、見覚えのある女性が二人いた…









「粗茶ですがどうぞ」



 受け皿に乗った寮では一番上等なお茶を二人の前に差し出し、自分もその向かいに座る。

翠屋のお茶に比べたら大抵の茶は粗茶だろうが、幸いにも二人――桃子とリンディは気に

入ってくれたようだった。



「すいません、急にお伺いしてしまって…」

「いやなに。あたしらも暇してた所ですから、ちょうどよかったですよ」



 桃子の言葉に答えたのは、結局二階には行かないことにしたらしい真雪だった。彼女は

こんな平日の昼間に余所行きの服を着て、暢気に粗茶を啜っている。



「それで、どういった御用件で?」



 内心突然の桃子達の来訪にどきどきしながらも尋ねる。すると、彼女達はふと顔を見合

わせ、耕介達の前に翠屋の印の入った紙袋を差し出した。大きさからして、翠屋のお持ち

帰りの中でも一番値の張るものであろう。



 それを何故? と耕介が視線で問い返すと、答えようとした桃子を手で制してリンディ

が口を開いた。



「お礼です。この前、私を助けていただきましたから」

(助けた…俺が? リンディさんを…)



 覚えのなかった耕介は、ばれないように心の中で首を捻ってしばらく考えていたが、そ

れが数日前翠屋の一件のことを言っているのだと分かると、ぽんと手を打って微笑みを浮

かべた。



「あれは大したことではないですよ。お礼をされても…何か照れくさいのですが」

「おい耕介。助けたってどういうことだ?」

「あれ、言ってませんでしたっけ? この前俺翠屋に行ったんですけど、その時に少しあ

りまして…」

「途方に暮れていた私を助けてくださったんですよ」



 リンディがあまり補足になっていない補足をする。それで真雪が全て分かるはずもなく、

かと言って客である桃子達が一から十まで話してくれるはずもない。結局、真雪はこの場

で気にするのは諦め、テーブルの上に置かれた紙袋を引き寄せ耕介に押し付けた。



「このでくのぼうが人様の役に立ったんなら幸いですよ。お菓子までいただいて、ありが

とうございます」

「真雪さん、でくのぼうってなんすか?」

「言葉のあやだあや。気にすんなよ」



 人前ということもあって、耕介も真雪もばれないように小声で話していたのだが、桃子

にもリンディにも聞こえていたらしく、二人は小さく笑った。



「賑やかな御家庭ですね」

「いえ、お恥ずかしい限りです…」



 真雪の後頭部に手を回して、自分と一緒に強引に頭を下げさせる。後が怖い…と言うか、

既にテーブルの下で足をぐいぐい踏まれている。そこはかとなく痛いが、愛想笑いで誤魔

化しつつ、



「とにかく、お菓子ありがとうございました。うちの皆で美味しくいただかせていただき

ます」

「そう言っていただけると、持ってきた甲斐がありました」

「うちは女の子ばっかりですからね。甘い物は俺も含めて皆好きですよ」

「耕介さんもお好きなんですか?」

「こう見えても結構甘党なんですよ」

「だからこんなにも無駄にでかくなっちまったんだな」

「関係ないじゃないですか…」

「でかすぎるのも問題だろう。ねえリンディさん、こいつどう思います?」

「耕介さん…ですか? 素敵だと思いますけど…」



 ストレートな物言いだった。あまりにもそうなので、話を振った真雪本人もあっけに取

られ、ぽかんとリンディを見返している。桃子も似たような顔をしている、きっと自分も

同じような感じなのだろう。



 リンディは、そんな三人を不思議そうに眺め首を傾げた。



「なにか?」

「いや…真面目に返してくるとは思わなかったんで…」



 真雪にしては珍しく歯切れの悪い物言いだった。懐から煙草を取り出そうとするが、客

の前であることを思い出したのか、寸前でやめた。



「仁村さんは、耕介さんと?」



 どこか落ち着きのない感じの真雪に、今度はリンディが問いかける。言葉足らずではあ

ったが、彼女はその意図を汲み取り笑みを浮かべた。



「いやいや、そんなことないっすよ。こいつは今までとんと女っ気なしでしたから」

「そういうこと、あんまり人に言わんでください…」



 実際には『とんと』ではなかったのだが、さすがにそれは耕介の人生の秘密ベスト3に入

るくらいの物であるので、真雪も知らないらしい。



「本当…なんですか?」



 リンディの顔には『信じられない』といった言葉がありありと浮かんでいた。リンディ

のような女性に男として高く見られているというのは悪い気はしないが、面と向かって言

われると、どこかくすぐったかった。



 耕介が照れくさそうに小さく頷くとリンディは安堵したような、何とも微妙な表情でた

め息をついた。



「今ならお買い得ですよ。でかくて邪魔な時もありますが、料理もできるし掃除もできる。

一家に一人いても損はないと思いますが」

「だから、好きででかくなったんじゃありませんて…」

「それに、邪魔というのは失礼ですよ。私にはもったいないですけど…でも、それでもい

いと言ってくださるなら、私は――」



 そこまで言って、リンディははたと言葉を止めた。意識せずに喋っていたらしく、彼女

は小さくすいませんと言うと、頬を染めて俯いてしまった。その姿はまるで少女のようで

初々しい。



「旦那さんは御健在で?」

「いえ…今はクロノと二人で暮らしています。耕介さんと同じ、一人身です」



 幸せと言うか、いい拾い物をしたとでも言うべきか、リンディは真雪の問いを頬を染め

たまま肯定した。朴念仁の耕介でも、人並みにではあるが、女性には興味がある。その朴

念仁の目から見ても、リンディは魅力的で自分を惹きつける物があった。



 運命という都合のいい言葉がある。世間一般では信じない人間の方が多いだろうが、人

外魔境とも呼ばれるさざなみ寮で暮らしている耕介は、その言葉を信じる少ない方の一人

だった。



 耕介は何よりも自分の直感を信じる。消え行く霊剣に力を分け与えた。はねっかえりの

超能力者の少女をさざなみ寮に引き止めもした。今にしても向こう見ずな行動をしたと思

うが、少しも後悔はしていなかった。



「リンディさんさえよろしければ…ですけど」



 信じる、後悔はしない。誰にも見えなくても感じられなくても、耕介には解かった。



「今度、料理を教えましょうか? 桃子さんには及びませんけど…」



 これには、真雪も桃子も驚いた。驚いたついでにリンディと耕介を見て、何がしかの反

応を待つ。



 リンディは、顔を上げて耕介を見つめた。彼女も耕介と同じことを感じ取ったらしい。

これが――



「はい、耕介さんさえよろしければ…



 ――これが、世界を意図する二人を繋ぐ運命なのだ…と。











「どうかしましたか?」

「…いや、真面目に答えられるとは思ってもいなかったんすけど…」



 話を振った真雪は気まずそうに頬を掻きながら、耕介を見る。見られてもすることがあ

るはずもなく、とりあえずリンディを見ると、彼女は微笑んでくれた。それでさらに気恥

ずかしくなって、目を逸らす。



「リンディさん、こいつ貰ってくれませんか?でかくて邪魔ですが家事全般できますし、

一家に一人いると結構便利ですよ。今ならお買い得です」

「お買い得とか言っては失礼ですよ。耕介さんでしたら…私は、この身を任せてもいいと

思っています」

『…』



 今度こそ本気で、その場にいた全員が沈黙した。リンディが冗談をいうような人間でな

いことは誰もが承知している。かと言って本気だとしたら…お買い得なのは、どう考えて

もこちらの方だった。



「失礼ですが…リンディさん、旦那さんは?」

「今は、クロノと二人で暮らしています。耕介さんと同じ一人身です」



 本気の…少しの悪戯心もない目でリンディはこちらを見つめている。たじろいでいるの

は耕介だけ、真雪も桃子もフォローもできずただただ二人を見つめている。



 自分がどう思っているか、この場でどう答えるべきか…ここで、自分の人生が決まって

しまう。





「こちらこそ…お願いしてもいいですか?」



 それは、実質的なプロポーズだった。

 二人の視線がリンディに向く。彼女はまるで天使のように微笑んで、



「はい、私達をよろしくお願いします」