lovers the another world 第六話













「はあ…」



 何度目かのため息をついて、リンディは視線を移した。



 かれこれ三十分はその調子であるが、耕介の「女性は買い物好き」の常識に漏れず、彼

女は飽きるということを知らないらしかった。



 耕介自身は買い物には時間をかけない性質だが、彼はリンディがそんな状態になってか

らもずっと、飽きもせずに自分のことのように付き合っている。



 実際には本当に自分にも関わることなのであるが…守備範囲の外のことにこれほどまで

に付き合える精神力は、さすがに「あの」さざなみ寮管理人だけのことはある。



 その耕介本人曰く、彼女の顔を見ているだけで楽しいらしい…真雪を始めとした口の性

ない寮員達に言わせれば、もはや末期症状である。



「いい色ですね…」



 彼女の視線の先にあるのは小さなサファイアをあしらった指輪だった。



その店内に数ある指輪の中にあって、何もその指輪だけが特別目立っているということ

はない。素人目の耕介の目から見ても、その指輪はむしろ地味なほうだった。



 地味なのに、引き寄せられる。それは、とても不思議な感覚だった。



「ああ、いい色だね…」



 一瞬その指輪の値札に目が行って『げっ』と呻き声を出しそうになり、不思議から現実

へと一気に引き戻されそうになるが、耕介は何とか自分の意見を言うことに成功した。



「ええ、素敵です」



 リンディはその指輪から顔を上げると、耕介の腕を取った。



「これに決めた?」



 こくん、とリンディが頷く。もう一度目札を見て、心の中でリンディにばれないように

ため息をついてから、耕介は店員を呼んだ。



「すいません、この指輪を貰いたいんですけど…」

「お二つでよろしいですか?」

「ええ…その…」

「婚約指輪ですから」



 耕介が言いにくそうにしていると、リンディがその言葉を継いだ。店員は、無粋なこと

を聞いたとでも思ったのか、笑顔を浮かべて一礼すると店の奥へと去っていった。



 その後、色々な手続きを済ませ、耕介達は店を後にした。









「こういうことって、もう少し時間のかかる物だと思ってたんだけど…」



 海鳴臨海公園――潮風に吹かれながら、耕介達は腕を組んで歩いている。休日の午後と

いうこともあってそこそこの人間がいるので、組んだ腕に集まる視線が少しばかり恥ずか

しい。



 だがこういう時に女性は強いもので、耕介がその視線に居心地悪そうにしていると、リ

ンディは見透かしたように、より一層腕に絡んできた。



「皆さんが協力してくれましたからね」



 耕介の目を覗き込みながら、悪戯っぽく微笑むリンディ。どうあっても、腕を放してく

れる気はないらしい。



その言葉どおり、耕介達の予定はすべてが順調に進んでいた。その原因は、二人でいざ

始めようと思ったら、真雪達が当たり前のように結婚式場を探していたからなのだが…そ

れには、さすがに耕介達も驚いた。何しろ、毎日顔をあわせている耕介に全く気付かれず

にことを進めていたのだから。



 さらに、クロノにまで知らないうちにコンタクトを取っていて、こちらの予算まで把握

されている。今も、さざなみ寮では学生組を中心として、あれやこれやと結婚式に何をす

るか、の会議が行われていた。耕介達の個人的な好みが入る余地はどこにもないが、彼女

達の行動が文句のつけようもないくらいに迅速なので、いつの間にか全てを任せるという

ことになってしまった。



 日取りまでが既に決まっている。招待状は、きっと誰かが作って今頃送る人間をリスト

アップしていることだろう。親しい者だけを集めて行う小さな結婚式だが、宴会好きの集

まりのためか、そういう雰囲気を作ることには聊かも余念がない。



「本当に、早いもんだね」



 リンディと出会ってからここまで、本当にあっという間だった気がする。あの日翠屋で

出会って、ちょっと衝撃的な告白をして、二人は恋人になった。



 普通とは少し違うかもしれないが、耕介にとってそんなことはどうでもよかった。今が

楽しくて、愛する人が隣にいればそれでいい。リンディも同じ気持ちでいてくれる、と自

惚れてもいる。人に言ったら笑われるかもしれないが、耕介はそれで幸せなのだった。



「私もこちらに来た時には、こうなるなんて夢にも思いませんでした…」



 耕介の腕を放さぬまま、リンディは過去を見通すように遠い目をした。実際には、それ

ほど長い年月を過ごしてきた訳ではない。だが、時の短さを感じさせないほど、二人の時

間は満たされていた。



「リンディはさ、ここに来る前はどんなとこに住んでたの?」



 この質問をするのは何度目なのか、耕介はもう覚えていなかった。忘れるほど聞いたは

ずだ…なのに、リンディの答えはいつも決まっている。



「素敵なところですよ。ここに負けないくらいの」



 これだ。前に住んでいた場所、おそらくはリンディの故郷であろうその場所の詳しい話

を、彼女はしてくれたことがない。気にならないと言えば嘘になる。何しろ惚れた相手の

ことだ、そのすべてを知りたいと思うのは、当然のこと…



「知りたいですか?」



 小首を傾げて、リンディが問う。この質問をした時に決まって返される質問だ。そして、

耕介がリンディに返す答えもいつも同じ、



「いや、そうでもないかな」



 苦笑しつつ答えるのも、いつものことだ。何度も交わされた問答…この故郷の問いに限

らず、耕介もリンディもこういう会話が好きだった。他愛もないこんな会話で笑いあうこ

とができる、そんな優しい時間が、二人の肌にあうのだ。



 故郷の話は、気長に待つことにしている。そのうち話たくなったら話してくれるだろう

し、話たくないのならそれまでの話だ。その過去の話をした所で、耕介の今の気持ちが変

わる訳ではない。だったら一生待った所で、何も問題はない。



「リンディは…さ。その…一緒になったら、どうする?」



 一緒に、のくだりにまだ照れが残っている。頬をかきながら言いにくそうに訪ねる耕介

に、リンディは微笑みながら答えた。



「さざなみ寮にお世話になれないかな…って考えています。耕介さんも一人じゃ仕事大変

でしょう?私もお手伝いできたらとか、考えているんですけど…」



 だめですか? と、視線でリンディが問いかけてくる。耕介的には全然OKなのだがい

かんせん、こればかりは一人で決められない問題である。まず、クロノがいる。いくら将

来が楽しみの美少年であるとは言え、さざなみ寮は女子寮だ。男である耕介が管理人をし

ているのはあくまで特例中の特例なのであって、いつでも男子に門戸を開いている訳では

ない。



 と言っても、適応力の高いあの住人達のことだ。事情を話せば、すぐにでもOKを出す

ことだろう。寮に男子が来ても構いはすまい。理由は簡単…何よりも、面白そうだから。



「大丈夫じゃないかな? 愛さんなら問題なく受け入れてくれるだろうし…」



 もし、それでも駄目なようだったら、愛に頼んで寮の近くに家を建ててもいだろう。さ

ざなみ寮でリンディも一緒に働けるのなら…きっと、楽しい。今だって、十分すぎるほど

楽しいのだが、愛すべき、守るべき人が一緒にいるのなら、これほど嬉しいことはない。



「いいんでしょうか…」

「いいんだよ。その方が俺も嬉しいし、リンディも嬉しいでしょ?」

「はい…」



 幸せそうに微笑んで、リンディは耕介の腕をぎゅっと強く握った。そして、離れる。リ

ンディは長いスカートを翻して振り返り、耕介の瞳を覗き込んだ。



「私は、幸せですよ」

「……俺も、幸せだよ」



 本当に、今は幸せだった。リンディが隣りにいる…ただそれだけのはずなのに、どうし

てここまで満ち足りた気分になれるのだろう。



「今日はここでお別れします」



 臨海公園の出口、さざなみ寮とリンディの住まいはここから別方向になっている。



「送っていかなくても大丈夫?」

「平気ですよ、まだ明るいですから。すぐに耕介さんにも会えますし…」

「…寂しくはない、か」

「はい。だから耕介さんも、私に会えなくても寂しくならないようにしてくださいね」

「難しいなぁ、それは…」



 いつでも一緒にいたいと思っているのだ。今だって、こうして離れようとしていること

がどうしようもなく寂しいのに、そうならないようにするなんて…考えるまでもない、無

理だろう。



「分かった。寂しくないならないように、頑張るよ」



 だが、無理でもなんでもやるしかない。そうしないと、リンディはかえって心配して笑

ってくれなくなるから。耕介は、心の中の寂しさを無理やり押し込んで、笑みを作った。



「ありがとうございます」



 リンディも笑顔で答える。そう、この笑顔が見たいのだ。また会う時に笑ってもらえる

のなら、少しくらいの寂しさなんて忘れられる。愛というのは、そういうものだ。



「それじゃ…」



 一言、リンディはそう言うと、こちら振り返らずに歩いていった。せめて、遠ざかるそ

の背中を見送りながら、耕介は、やはりため息をついた。



「やっぱり…寂しいものはさびしいよな…」



 リンディの歩いていった方角を見ながら、世にも情けない顔をした男はしばらくその場

に佇んでいた。









 もうすぐ…もうすぐだ。本当はすぐでもないのだろうけれど、形は見えてきた。あの人

と…愛する人と一緒になれる。一緒にいることができる。まだ訪れていないその時を想像

するだけで、リンディの胸は躍った。



 年甲斐もなく、頬が赤く染まっているのが分かる。これではクロノに笑われてしまう、

とドアの前まで来て思い直して、リンディは手でぱたぱたと自分の顔を扇いだ。



 そして、深呼吸…体に溜まった愛の熱を逃がして、ドアを開けた。



「ただいま、クロノ」



 おそらくまだにやついているであろう顔を見られないように、そのまま台所に逃げ込も

うとしたリンディは、部屋の中に入るなり足を止めた。



 もう日もとっくに落ちた時刻であるのに、部屋の照明はついていなかった。その薄暗い

部屋の中で、クロノは自分のパソコンのモニターを凝視していた。普段はそれほど激しい

感情を表さないその瞳に、今は『何か』が渦巻いていた。



「どうしたの? クロノ」



 その瞳に何か不安なものを感じたリンディは、思わず声をかけていた。クロノはその時

になってやっと彼女が帰ってきたということに気付いたらしく、びくっと肩を震わせて振

り返った。改めて正面から見ても、やはりクロノの表情は変わらなかった。



「どうしたの?」

「…父さんと一緒だったんだよね? 楽しかった?」



 リンディの質問には答えずに、クロノはわざとらしい笑みを浮かべてそう尋ねてきた。



「ええ、楽しかったけど…」



 不可解な思いを感じながらもリンディがそう答えると、クロノは一度瞳を閉じて頭を振

った。そして、目を開けると何も言わずにその場を退き、モニターをリンディに示す。



 リンディは何気なくそのモニターを覗き込んで――絶句した。



 信じられなかった。夢かとも思った。だが、間違いなくモニターには『その』文字が浮

かんでいて、クロノの態度もその文字が真実であることを示していた。



 そこに書かれていたのは、長い文章だった。最近のミッドの状況…それはいい。クロノ

が向こうの知り合いに頼んでいつも送ってもらっているものだ。が、今回の物は今までで

一番長く、そして一番切迫していた。最後には、要請までついている。



『リンディ・ハラオウン様、最高執政官として帰還を願います』



 間違いでは、と思い何度も読み返して見るが、決して間違いなどではなかった。この文

章が正式な物であるのは間違いがない。何しろ、少し前までリンディはこれに慣れ親しん

でいたのだから。



 その慣れ親しんでいた物が、今は遠く感じる。リンディは搾り出すような声で、神妙な

面持ちのままでいるクロノに問いかけた。



「これは…いつ来たの?」

「ついさっきだ。中央議会からの正式な要請…向こうで、どうもやっかいなことになって

るみたい」



 リンディ一人がいなくなったところで、向こうの機能がストップする訳ではない。一人

が抜けた程度で完全に動けなくなってしまう制度など、何の役にもたたない。それを熟知

していたリンディは、最高執政官であった時に自分がいなくなった時でも世界が機能する

ようなシステムを綿密に組み立てておいた。



 それが、イデアシードの事件の時に使われていた、合議制である。数人の役員の中から

一人の議長を選出し、今まで最高執政官一人で決めていたことを彼らの話合いで決める…

当たり前のようだが、彼女らのように世界の全てを管理するまでになってくると、その責

任は重大である。



 万全を期したつもりだった。それでも…どうやら、システムには穴があったようだ。引

き起こされてしまった危機的状況、もはや一人の力をなくしては解決できないまでに、そ

れは拡大してきてしまっている。



 色々な思いが、リンディの中で交錯する。だが……ミッドチルダを見捨てることは、ど

うしてもできなかった。



「指定された帰還の予定日は…」

「僕が粘って一週間後まで引き伸ばした。でも、それ以上は…」



 送られてきた資料を見る限り、今でも十分状況は切迫している。それでも、ここで一週

間という時間を捻り出せたのは、議会が優秀だったからだろう。優秀なはずだ、彼らは何

よりも世界のことを考え、リンディのことを考えてくれるのだから。



 そして、だからこそ…そんな彼らを裏切るわけにはいかない。



小さく、ため息をつく。空気と一緒に迷いを吐き出して、リンディは電話を取った。













 そして、リンディは泣きながら部屋を飛び出していった。今、この世界で彼女以外に全

てを知っている少年は、小さな拳を白くなるほどに握り締めて、それを壁に叩きつけた。



「か〜さんが……何をした!!」



 血を吐くような叫び声。だが、その声に答える者は、誰もいなかった…