lovers the another world エピローグ







「……?」



 慣れないネクタイに四苦八苦していると、ドアが控えめにノックされた。自分の格好に

変な所がないか、ざっとチェックしてからドアを開けると、その先にいた女性は…目を丸

くしていた。



「耕介さん…今日は何かあるんですか?」

「あるけど、俺がこういう格好をするのはそんなに珍しいかな、那美」



 少しばかり拗ねた口調で言ってみると、那美は顔を僅かに引きつらせて苦笑した。



「あの、耕介さん…お世話になりました」



 じっと、そのまま那美を見つめて困らせていると、横合いから申し訳なさそうな声が助

け舟を出した。



「いやなに、俺は特別なことはしてないよ」

「いえ。耕介さんのお料理おいしかったです」

「そう言ってもらえると嬉しいな。気に入ってもらえたなら、また来てくれるかい? 美

由希ちゃん」

「はい。機会があったら是非」



 などと会話をしていると、那美はちらと部屋を覗きこんで中を確認していた。どうした?

と耕介が尋ねると、那美は首を捻りながら、



「ちょっと…人の気配がしたような気がしたんですけど…」

「そうですか? 私は何も感じませんでしたけど」



 美由希の言葉に、那美は首を捻りながらも納得したようだった。廊下に下ろしていた、

美由希の荷物の片方を持って、玄関の方に歩いていく。



「じゃあ、今度は私が美由希さんのうちにお泊りしてきますね」

「おう…っと、久遠はどうした?」

「昨日から見てませんけど、今日のうちに高町家に集合とは言ってありますから、えさの

心配はご無用です」

「そうか、なら安心だ。じゃあ那美…恭也君によろしくな」



 恭也の部分をわざと強調してやると、那美は面白いくらいに顔を真っ赤に染めてぱたぱ

たと廊下を駆けていった。その背中を眺めていると…案の定、コケた。同じくその背中を

眺めていた美由希に小さく頭を下げると、美由希も頷き返して那美を助け起こしに行く。



 その微笑ましい二人の姿が玄関の向こうに消えるまで眺めてから、耕介は部屋の中に引

き返した。寮のどこかから引っ張り出してきた大きな姿見――無論、全身おさまるはずも

ないが――を覗き込んで、久しくしたことのなかった身繕いをしながら、ぽつりと呟く。



「もてる男ってのは辛いんだな、恭也君」

「最近はもはや災害だと思って諦めていますが…」



 独り言とも取れる耕介の呟きに、『ベッドの下』から這い出してきた恭也が答える。凝っ

たらしい体をごきごきと鳴らしながら恭也は窓の外に注意深く目を向けた。



「大丈夫だよ。那美達はもう十分離れたし、今ここには俺と真雪さんしかいないから」



 その爆睡しているであろう漫画家の部屋がある辺りを見上げながら、それでも恭也はし

ばらく神経を尖らせていた。やがて満足したのか、恭也は深くため息をついて、耕介のベ

ッドに腰を降ろした。



「ほんと、疲れる生活を送ってるね…」

「今ではここが憩いの場ですよ」



 と、苦笑しながらベッドの下を指差す恭也にさすがに苦笑を返しながらも、耕介は部屋

の隅に巧妙に隠してある恭也のバックの中からミネラルウォーターを取り出して、彼に放

った。



「俺としては、早いところ落ち着くことを勧めるけど」

「それが出来れば苦労しません…」

「かと言って度々ベッドの下に隠れてるのもつまらないだろう? いいものだよ、女性と

付き合ってみるというのも」

「分かっては…いるつもりなのですけどね…」



 答える恭也の表情はどうしても暗い。二十も半ばに差し掛かって、生来の落ち着きにま

すます磨きのかかってきた恭也のこの表情だ…那美辺りが見たら卒倒するかもしれないが、

当の恭也にしてみればこれでも真剣なのだった。



 モテ過ぎて困る…何とも世の人間が聞いたら激怒しそうな悩みであるが、恭也の場合は

自身も周りの女性達も何かと特殊な存在であるためか、その苦労は想像を遥かに絶するら

しい。始めは恭也も、ある意味最高に見苦しい争奪戦を止めようとしたりもしたらしいが

…話を聞こうとすると、俯いて無言になるために聞くに聞けない。



 耕介としては、数少ない男の友人である恭也の『悩み』を解決してやりたいのだが…い

かんせん、この問題ばかりはどうしようもない。できることといえば、救いを求めて逃げ

込んできた恭也にベッドの下という名の安息の地を用意することくらいである。



 提供し始めた頃は、反対に何か人間として失礼なことをしているのでは、という悩みを

耕介が抱えたりもしたのだが、どこでも寝られることが特技との言葉に嘘はなかったらし

く、かの場所におさまっている時の恭也は、なんとも満たされた表情をしているのだから

世の中分からない。



「……まあ、さすがに今日は帰らないとまずいでしょうから、帰ることにします」

「そうしなさい。困った時にはいつでも協力するから」

「恩に着ます」



 空になったペットボトルをバックの中に押し込んで、恭也は軽く頭を下げた。そして、

何か食べものでも持ってこようかと耕介が口を開きかけた時、携帯電話が鳴った。液晶を

見ると、そこにあるのは『息子』の名前。耕介がすまなそうに恭也の方を見やると、彼は

小さく頷き荷物を担ぐと、窓から出て行った。



「無事に生きてくれよ…」



 冗談っぽく本気の祈りを消えていく恭也の背中に捧げて、電話に出る。



「はい、こちら槙原耕介。何かあったのか? クロノ」



 あのできた少年に何かあったとも思えないが一応確認してみる。案の定、雑踏の音と一

緒に帰ってきた彼の返答は耕介の予想の通りだった。



『いや、特に何もないよ。もうすぐ寮を出る時間だと思ってかけたんだけど…』

「いいタイミングだ。もうそろそろ出ようと思ってたところだよ。なのはちゃん、そこに

いるのか?」

『友達を見つけたらしくてね、今はちょっと離れたところにいるよ。なんか、父さんに挨

拶したいって言ってるけど、今日父さんは寮にいる?』

「ああ、多分いると思うが…自信が持てない。夕方くらいには確実にいると思うから、そ

れに合わせて来てくれ」

『分かった。なのはにもそう伝える』

「少しくらいなら遅れても構わないぞ。なんだったら、デートでもしてきたらどうだ? ど

うせ今日は入学式だけだろうから暇だろう。お前が立派にエスコートでもすれば、なのは

ちゃんも喜ぶと思うが…」



 多分にからかいの念を込めて言ってやると、電話の向こうの少年は沈黙してしまった。

姿は見えないが、表情が少ないなりに照れているのが手に取るように分かる。このまま声

をあげて笑いたい衝動に駆られるが――それでも、喉の奥から漏れる忍び笑いを消すこと

はできなかったが――それは、十数年の管理人生活で培った根性で乗り切った。



「なのはちゃんの分の夕食も用意しておくから、そういう風に言っておいてくれ」

『了解した…』



 聞き逃してしまいそうな小さな声に満足すると、簡単な確認をして耕介は電話を切った。

携帯電話をポケットに押し込み、姿見で自分の姿を最終確認する。本当、馬子にも衣装と

はよく言ったものだ。真雪などに見られたら、指をさされて爆笑されること請け合いであ

る。自分では似合わないとは思っていないのだが…人には個性というものがある、とは件

の漫画家の言だ。



 とりあえず、自分の適性に関してはもう気にしないことにして、耕介はベッドの脇に置

いてあったセダンの鍵を引っつかんだ。クロノの入学式までにはまだ少しだけ余裕がある

が、これも予定通りだ。真雪のご飯も用意だけはしてあるし、問題はない。



「さて、行きますか…」



 誰にともなく呟いた耕介は、ドアの横にある台の上にあった『箱』を引っつかむと、振

り返らずに部屋を出て行った。

















 ため息と共に電話を切る。言葉遊びには自信があるのだが、あの父親に限っては言い負

かせる気がしない。彼の人を見る目は、クロノには及びもつかないくらい卓越している。

そこはクロノも尊敬している点であるし、学びたいところである。そのせいで負かされて

いるのだとしたら…



「多分、一生勝てないだろうな。父さんには…」

「勝てないの? クロノくん」



 独り言のつもりだった言葉に返答があったことで、クロノは少しの驚きを込めた目でそ

の声の主をみやった。お気に入りの私服に身を包んだその彼女は、クロノの視線に笑顔で

答えると、彼の隣にちょこんと座った。



「ごめんね、一人にしちゃって」

「別に大丈夫だよ。それより、父さんには連絡しておいた。夕方頃に来てくれって」

「分かったけど…それよりってなに?」

「なにっていうのは…なにかな」

「だから、クロノ君は一人でいてもだいじょうぶなの?」



 多分に幼さの残る顔を息がかかるくらいに近づけて、なのはは軽くクロノを睨んでくる。

彼女なりに威嚇でもしているつもりなのだろうが、そんな仕草が…またかわいかったりす

る。一瞬、本来の性分が出てその辺をからかいたくもなるが、そこは我慢である。なのは

の性格は、この数年で理解したつもりだ。確かに彼女はかわいい…が、その容姿に似合わ

ず機嫌を損ねさせてしまった時は、存分に性質が悪くなるのである。なのはと知り合って

からまだ五年と経っていないが、怒らせた時の彼女といったら――



(いや…考えるのはよそう…)



 途中まで考えた所で感じた悪寒を追い払うように、クロノは目を閉じて頭を振った。



「いいや、やっぱり大丈夫じゃないよ。僕にはなのはがいないと…駄目だ」

「えへへ…でしょ?」



 一転、笑顔になるなのは。拗ねている表情もいいが、やはり彼女にはこちらの方が似合

っている。そう言ってやれば彼女はもっと笑顔になってくれるのだろうが、それは言わな

いことにする。度々そんな恥ずかしいことを言っていては自分の沽券に関わるし、下手に

出てばかりでは『尻に敷かれて』しまう…と、既に手遅れであることに気付いていない辺

り、クロノもまだまだ幼い。



「もう中学生だね、クロノ君も…」



 クロノの着る海中の制服を感慨深げに眺め、なのははそんな感想を漏らした。



「それを言うなら、なのはだってそうだろう? 学校は違うけどさ」



 クロノの中学校入学に関して、彼らの間で一悶着あったのは言うまでもないこと。なの

はの通っていた小学校はお嬢学で鳴らしている聖祥女子で、高校まで一貫教育で全国でも

有名だった。とは言っても、純粋に勉強のレベルだけで言えばそれほどの高さでもないの

で、真面目に受験勉強をすれば入れなくはないのだが…そこは女子校、クロノにいたって

は努力するだけ無駄である。



 同じ学校に入るのは無理、とクロノの方は早々と諦めをついたのだが…そこでごねてい

たのがなのはである。一時などは本気で転校することを考えていたり、桃子もその考えに

賛同していたりと、それはそれは修羅場な状況が展開されたのだが、結局はなのはにいた

ってはそのままということで落ち着いた。



 もはやテコでも動かないと誰もが思っていたなのはの考えをあっさりと動かして見せた

のが、何を隠そうさざなみ寮の古参の一人、仁村真雪である。彼女がなのはを説得した晩

のことは今でも忘れない。あそこまで強情になっていたなのはにどうやって手のひらを返

させたのか、それは今でも――いや、おそらくはクロノの一生の謎になるだろうが、真雪

は意地の悪い笑みを浮かべて答えてはくれなかった。ただ一言、『頑張れよ、美少年』なる

ありがたい言葉以外は…



「でも、近くに住んでるんだからすぐに会えるでしょ?」



 そう言って、にっこりと微笑むなのは。まことに周りの女性に関しては謎ばかりが残る

が、この笑顔を見たらそんなつまらない疑問など氷解してしまう。



「そうだね。すぐに会えるんだったら、大丈夫だね」



 『世界』の壁を乗り越えて、こうして隣にいてくれる彼女に感謝しながら、クロノはベ

ンチのに背中を預け空を見上げた。今日も空は青く、どこまでも高い。無限の広がりを見

せるそこは、きっと全ての世界を繋げている…いつか聞いた誰かのことばだ。



現実的でないが、クロノは割りとこの表現が気に入っている。どんな絆で結ばれていた

としても、やはり不安になる時はある。そんな時、目に見える何かがあれば、多少は気分

も和らぐというものだ。三年前、なのはと少々の別れを経験した時も、クロノはそんなこ

とを思ってこうして空を眺めていた。



 今日の空も、ミッドチルダで見たあの空を変わることはない。ただ、決定的に違うのは

――



「クロノ君、どうしたの? ちょっと機嫌がいいみたいだけど…」

「なのはにはやっぱりばれちゃうな…」



 悪戯を見つかった子供のような顔をして、クロノは苦笑してみせた。目で促され、機嫌

のいい理由を話そうと口を開きかけたが、言葉を紡ぐ寸前でクロノは口を閉ざした。訝し

げに首を傾げるなのはに、クロノは逆に質問する。



「魔法使いにとって最も重要なことが何だか…分かる?」

「…機嫌のいいことに何か関係があるの?」

「うん。すごく関係のあることなんだ。それで、何だと思う?」

「そうだね…知識とか杖とか…そういうものじゃないの?」

「おや? 世界を救った魔法少女は随分と魔法について知らない――っと、謝るからそん

なに睨まないでよ」



 クロノとしては冗談のつもりの発言だったのだが、元魔法少女はお気に召さなかったら

しい。愛くるしい童顔に僅かな怒りを浮かべてこちらを睨んでくるなのはに、クロノは降

参の意味を込めて手をひらひらと振った。



「そうだね。知識も重要だし発動体たる杖も必要だけど、一番重要なのは魔法を信じるこ

とさ」

「魔法を…信じる?」

「そう。何も魔法だけじゃなくてもいい。とにかく、自分でも自分以外でも、その『何か』

に対して確固たる信心を持つことが、強力な魔法使いの条件なんだ」

「信じる心があれば、誰でも魔法使いになれるの?」

「それは極端な話だけどね。でも、あながち間違いではないよ。思いは力になる…それが

強ければ強いほど、生まれる力は強い。だから…」



 強い思いが二つ…それはきっと、全てを超える。純粋で、強い思い。それが何かを成す

瞬間に立ち会えるのは、クロノにとってもこの上もない喜びだ。心の中にあるのは、あく

まで予感であって確信ではない。だが、クロノに疑念は沸かなかった。それはきっと自身

も、思いの一つだったからだろう。



「…だから?」



 隣にいる愛しい女性(ひと)…かけがえのない存在を思うのも、また魔法の一つなのだ

ろう。本気で魔法などと言うのは、一笑に付されるかもしれない。だが、笑いたい人間は

笑えばいい。魔法を信じられないような人間に、魔法を扱えるはずはないのだから――



 クロノは、微笑みを浮かべて思いを乗せた言葉を紡ぐ。その魔法が、目の前の少女にか

かることを信じて。



「だから、僕達は再会できたんじゃないかな? お互いを思っていたからこそ…さ」



 その言葉を受けて、なのははしばらくきょとんとしていた。そして、じっとクロノの瞳

を見つめていたかと思うと、急に真っ赤に染まってあたふたとしだした。なにやらいい訳

めいたことを言っているみたいだが、かなり慌てているようでまったく言葉になっていな

い。いつもは何かと言い負かされてばかりだから、なのはのこんな姿は結構新鮮だ。



 その新鮮な姿を目の端におさめながら、クロノはまた空を見上げた。そこでは太陽が、

柔らかくも暖かな光を届けている。





季節は、もう春だった。

















 時は、当たり前のように流れていく。それだけは、何をしても何を願っても変わること

はない。流れた時の分だけ、耕介は年を取った。周りの世界も…同じである。



 自立して頑張っている少女もいるし、反対に今でも変わらずに寮に住んでいる女性もい

る。変わるもの、変わらないもの…色々だ。では、自分はどうだろう? 変われたのか…

それとも変われなかったのか、どちらにしても、今耕介はここにいる。思いは変わらずに

ここにある。それなら、もう十分だ。



 セダンに寄りかかった背中を離して、耕介は紫煙を吐き出した。慣れない煙草…この間

真雪から一本だけもらったものだが、どうにもうまく吸えない。



(昔はぷかぷか吸ってたのになぁ…)



 何分、波乱万丈の高校生活だったために伝説には事欠かない始末である。今でも耕介の

地元長崎では、『例の事件』込みで彼の悪名が知れ渡っているために、里帰りをする度に年

配の知り合いに会うと、逃げ出したくなる。もっとも、決して逃がしてはくれないが…



 そんな嫌な思い出を振り払うように頭を振って、耕介は大きく紫煙を吸い込んだ。苦み

ばしった煙が全身に広がったような気さえするが、どうにか咽ないで再び息を吐き出す。



下界のことなど知ったことかと雲は当たり前のように空を流れ、風は緩やかに耕介の隣

を通り過ぎて行く。変わるものの中での、変わらないもの…耕介と一緒に時を歩んできた

風景は、あの時と変わらずにここにある。変わらない、この胸の思いと共に。



 ちら、と腕時計を確認する。そろそろ行かなければクロノの入学式には間に合わないだ

ろう。恋人であるなのはですら参加しているのに、耕介が参加しないのでは示しがつかな

い。



「やれやれ…」



 年寄り臭い言葉と共に耕介は大きく伸びをすると、煙草を携帯用の灰皿(リスティから

の借り物)に押し込んだ。彼の周りに残っていた紫煙を春の柔らかく暖かな風が運んでい

く――









そして、木々が鳴った。丘へと続く道を、風が駆け抜けていく。何を感じた訳でもない、

強いてあげるとすれば予感があったからだ。笑って無視できるほどの小さな胸騒ぎ、だが

それは…きっと…



「――――さん」



 風が阻んだ声…全てを聞き取らなくても分かる、それはずっとずっと待ち望んでいた声

だった。体の奥から湧き上がってくる感情を抑えて、耕介は右手の指輪を外した。空を見

上げて零れそうになる涙を堪えて、言葉を紡ぐ。



「俺の魔法は…まだ、かかったまま?」

「そうみたいですね。耕介さんには、意外と魔法使いの才能があったみたい…」



 くす、と小さな笑い声と共に耕介は背後から抱きしめられた。背中にかかる息と温もり

…待ち望んでいたものが、ここにある。耕介は手の中の指輪を握り締めて――



 振り返りざまに耕介はリンディを抱きしめていた。腕の中におさまったリンディは、再

会を約束した時と何も変わることはない。その長くて綺麗な髪も、緑色の瞳も、すべてが

あの時のまま…



「貴方の魔法は、ちゃんと働きました。だから、私は今ここに…貴方の腕の中にいます」

「もう、離れなくてもいいんだな? これからはずっと――」



 不意に重ねられる唇。不意打ちの行為に目を見開いていると、リンディはぱっと耕介か

ら離れて、左手を翳してみせた。その薬指には、あの日の魔法の証。



「これからはずっと離れません。例え世界が邪魔をしても、私は貴方の隣にいます。それ

が…私のたてる誓いです」

「誓いなんて、この際どうでもいいよ」



 握ったままだった指輪を左手にはめ直し、耕介はゆっくりとリンディに歩み寄った。髪

をかきあげて頬を撫でる。そして、再び唇を重ねた。



「もう、戻ってきたんだ。誓いなんかなくたって、俺はもうリンディを離さない。今度の

は魔法じゃないけど…いいだろう? これでも」

「はい…」



 嬉しそうに頷くリンディの頭を撫でると、耕介は彼女を車に促した。慣れない正装をし

ている耕介に対して、彼女もどこか異国風な感じはするがスーツを着ていた。お誂え向き

なことこの上ないが、耕介に車という見慣れない組み合わせを不思議に思ったのか、リン

ディは小首を傾げて、疑問を口にした。



「今日は…何かあるんですか?」

「クロノの入学式だよ。あいつ、海中に入学したんだ。なのはちゃんも会場にいるはずだ

から、挨拶でもして驚かせてやってくれ」

「なのはさんも来るんですか? 楽しみですね」

「あの時から少し成長してるから、見たら驚くかもしれないけど」

「だいじょうぶですよ。何しろ私達は、お友達ですから」



 そう言って、笑顔。見慣れていた、待ち望んでいたもののはずなのに、何故だか耕介は

気恥ずかしくなって目を逸らしてしまった。急に挙動不審になった彼をリンディが見逃す

はずもなく――また、その理由が隠しとおせるはずもなく――彼女はずいっと顔を近づけ

た。



 ここまで近寄られては、さすがに目を逸らす訳にもいかない。何とかしよう…そう思っ

た耕介は記憶の中を引っかき回して、あることを引っ張りだした。



「そう言えば…さ。あの時、リンディは何ていうつもりだった?」

「…あの時?」

「俺達がもう一度会おうって約束をした時、何か言いかけてなかった?」

「ああ、あれですか……聞きたいですか?」



 尋ねてくるリンディの表情に、待ってましたと言わんばかりの会心の笑みが加わる。流

れを変えるつもりで話を振った耕介は地雷を踏んでしまったことを直感したが、この笑み

の前ではもはや逃げられない。



「……すごく、聞きたい」

「しょうがないですね。じゃあ言いますから、よく聞いてくださいね、耕介さん――」



 思いの乗った言葉、それを『魔法』と呼ぶのだとすれば、この言葉は間違いなくそれ

だったろう。そして、その『魔法』は耕介を相手にした時に、最高の効果を発揮する。離

れていた時間の分だけ思いの篭った『魔法』がどれほどのものなのか、それはまさに神の

みぞ知るところだった。



 すっと笑みを消して耕介の耳に顔を寄せると、リンディは小さな声でたった一つの言葉

を紡いだ。今までの思いと、これからの祈りを込めて…





「――耕介さん……大好き」