守り、導かれて 第一話
















死はすべての者に等しく訪れる。

その事実に例外がないことを知ったのは、子供の頃だった。

テロによる御神、不破両家の壊滅。

まさか、殺されるなど夢にも思わなかった人達が皆、あのテロの犠牲になった。

犯人は「龍」と呼ばれる国際的な犯罪組織。

現在は、美沙斗さんを始めとした警防隊が追っているが、まだその全容を掴めてはいな

いらしい。


話を元に戻そう。


とにかく、そのテロ事件以降生き残っていた御神は俺達四人だけだった。

美沙斗さんは手掛りを追って失踪、その時美由希は俺の「妹」になった。

それからは、まあ割と平和に暮らしていたと思う。

父さんの仕事も落ち着いて、か〜さんと再婚。

俺達家族四人で海鳴に住んでいたあの頃……本当に平和だった。




先の事実をもう一度思い知らされたのは、そんな時だった。

父さんが……死んだ。遠く離れた異国で……フィアッセを守って……

御神の剣士の最期としては……この上なく幸せな巻き引きだったかもしれない。


そして、俺は急に自分が背負うことになった責任を持て余していた。

あのままだったら、俺の体は間違いなくおかしくなっていただろう。


俺は知った。人の命の重さを……大切さを……

あの日、出会った「姉」がそう教えてくれた……










「はあ……」

肺の中に残された最後の空気を吐いて、恭也は膝をついた。

時刻は……夕刻だろう。朝からずっと鍛錬をしていたためか、とにかく感覚がない。

先程から降り始めた雨も、容赦なく彼から体力を奪っていた。


それでも、立ち上がる。今、やめることできない。

やめたら……何かに追いつかれる。そんな不安がずっと付きまとっていた。

剣士としての自分。美由希の師匠としての重責。

中学にも上がっていない子供が抱えるにしては重過ぎるそれを、彼は無理にでも受け止

めようとしていた。


誰にも頼らず……一人きりで……




音がしたような気がして、振り向いた。

目が眩む光。それが車の照明だと気付いた時には、もう取り返しのつかない距離にまで

それは迫っていた。


(終わる……俺が?)


こんな馬鹿らしい最期。

例え「天国」とやらに行けたとしても、あの父親は彼を誉めてはくれないだろう。

車が迫る。


(死にたくない!)





そして、体が宙を舞った。

浮遊感。それでも痛みは感じない。

それどころか、温かい何かに包まれて、体が心地よい。


(即死したか?)


だとしたらこれが「天国」の感覚なのだろうか、と他人事のように自問する。

ついで、地面に落ちる感触。今度も痛みはない。

柔らかな何かが自分を助けてくれた。何か……例えば、人間。


(生きてる!)


驚きと共に開いた目に飛び込んできたのは、翼だった。

光輝く翼……そして、天使。


「いった〜。あ、だいじょうぶだった?」


天使は腕の中の恭也に目を向けた。

どこまでも澄んだ綺麗な瞳。


「あ……?」

「どこか痛いの?」


天使の顔が曇る。恭也の目の前で……


「うわ!」


恭也は自分が天使――その助けてくれた女性に抱きとめられていることに気付いて、飛び

退くようにして離れた。

とたんに、足に激痛が走る。

折れてはいないが、おかしな風に捻ったようだ。

もし、助けられなかったら……その時には、恭也の剣士としての生命が終わっていたかも

しれない。


「怪我……してるの?」


いきなり突き飛ばしたのに天使――もう、あの翼は消えていた――は、心配そうに恭也の足

を見た。

そして、恭也の足を弄り始める。


「あの、大丈夫ですから……」


顔を真っ赤にして、羞恥だか何だかよく分からない心持で反論するが、


「だ〜め!怪我人はおとなしく言うこと聞くの!」


と、一喝されてしまったので、大人しく黙る。

女性はその後、しばらく恭也の足を弄っていたが、ため息をつくと自分の携帯電話を取

り出した。


「ちょっと待ってて。人を呼んで病院につれてってもらうから」

「あの……そこまで……」


言いかけて、やめた。

天使の瞳が反論を許してくれなかったのだ。


(何か……妙な流れになったな……)


そんな状況と自分が可笑しくて、恭也は小さく笑った。








「う〜ん……特にたいした怪我ではないね」

「よかった〜」


「天使」が、まるで自分のことのように安堵する。


「でも、マイナスであることにかわりはない。一週間は安静にしていること。もちろん

 運動も全面的に禁止だ。いいね?」

「…………はい、分かりました」


本心を言えばいいはずはないが、今はそうも言っていられない。

下手をすれば死んでいたかもしれないのだ。

死んで何もできなくなるよりは、技術が退行する方が何倍もましである。


「君のご家族にはこっちの方で連絡しておいた。え〜っと……」

「ああ、高町恭也です」

「それで、恭也君のお母さんが来てくれるそうだ。勤め先から直行すると言っていたか

ら、もうすぐ――」

「恭也!!」


ばたんっ!!


……と、轟音を立ててドアが開いたかと思うと、飛び込んできた女性はわき目も振らずに、

椅子に腰掛けていた恭也を抱きしめた。


「どうしてこんな無理するの!?怪我までして……恭也までいなくなったら……私は……」

「ごめん……」


本当は顔から火が出るほど恥ずかしかったが、そうとしか言えなかった。

女性――桃子はしばらくの間無言で恭也を抱きしめていたが、そうして落ち着いたのか、

まだ涙の残る顔をあげた。


「でも、無事でよかったわ。ほんと、士郎さんが守ってくれたのかしら……」

「いや、守ってくっれたのは父さんじゃなくて……」


恭也が桃子の背後に視線を向ける。

それで、彼女は初めてこの部屋に他の人間がいることに気付いたのか、慌てて恭也から

離れると、


「ありがとうございます!本当に何とお礼を申し上げたらいいか――」


ひたすら頭を下げ始めた。

ただし、「天使」ではなく恭也を送ってくれた大柄な男性の方に……


「いや、助けたのは俺じゃなくて……」

「え?」


つつ……と、全員の視線が「天使」に移動する。


「貴女が、恭也を助けてくれたの?」

「はい……一応」


視線が照れくさいらしく、真っ赤になって俯く「天使」を桃子はそっと抱きしめた。


「……ありがとう……本当に」

「その……どういたしまして」

「名前、よかったら教えてくれますか?」

「仁村知佳です」

「ありがとう……知佳ちゃん」


桃子は最期にぎゅっと抱きしめると、立ち上がった。


「近いうちにお礼に伺わせていただきます。本当にありがとうございました」

「いえ、そこまでしていただかなくても……」

「そうは参りません。知佳ちゃんは恭也の命の恩人ですから」


男性と「天使」――知佳が視線を交わす。


「俺達は国守台のさざなみ寮に住んでいます。時間は……そちらの都合のいい時で構いま

せんよ」

「必ずお伺いさせていただきます」

「でも、ちゃんと足が治るまで来ちゃだめだからね、恭也君」

「分かりました……」


言った瞬間、驚いた桃子が恭也を見るが無視する。

何を言いたいか分かっていたからだ。からかわれるのは、後ででもできる。


「では、俺達はこれで失礼します」

「バイバイ、恭也君」


無邪気な笑顔で手を振る知佳に真っ赤になりながらも、恭也は手を振り返した。


「……恭也君の足の件ですが……知佳ちゃんの助けがなければ、本当に危ない所でした」


矢沢医師はカルテを捲りながら、医者の顔になって淡々と告げた。


「すいません……」

「私に謝る必要はないよ。私は当然のことをしてるだけだ。不謹慎かもしれないが、私

は嬉しいんだ」

「嬉しい?」

「ああ。知佳ちゃんとは付き合いが長いからね。あの娘が自分に自信を持てるのなら……

 これほど嬉しいことはないよ」

「……知佳ちゃん、何か?」

「いえ、私からは何とも。……診察は以上です。お引取りになって結構ですよ」

「ありがとうございます」

「恭也君。君の無事は知佳ちゃんによって守られたんだ。くれぐれも裏切ることはしな

いように」

「分かりました」

「いい返事だ。お大事に」


笑顔で見送る矢沢医師を残して、二人は診察室を後にした。









「……何か言うことある?」


病院を出て、駐車場へと歩く道すがら桃子が口を開いた。

それには何の色もない。ただ、こちらを詮索するだけのための物。


「ごめん。反省してる」


だから、恭也は素直に謝った。

悪いのは自分。それに、助けてくれた知佳を裏切るような真似はしたくない。


「そう。なら許してあげるわ」

「もっと怒ると思った」

「なに?怒ってほしかったの?」

「いや……ありがとう」

「寄り道しないでちゃんと帰って、美由希と晶ちゃん、安心させてあげなさい」

「ああ……分かってる」

「そう。あ〜それから……」


とたんに、今まで深刻だった桃子の顔に意地の悪い笑みが浮かぶ。


「さっきの恭也はとっても素直な気がしたけど……いつもあ〜だと、か〜さん助かるんだ

けどな。恭也の笑顔でお客さん呼べるし……」

「俺をからかうんだったら、さっさと仕事に戻ったほうがいい」

「もう、そんな言い方しないの。知佳ちゃんに嫌われる――」

「早く行く!」

「はいはい……」


顔を真っ赤にして怒鳴る恭也の頭を撫で、桃子はスクーターに跨った。


「それじゃあ、か〜さんは本当に行くけど。ちゃんと帰るのよ」

「分かってる……」

「じゃあね〜」


無邪気な笑顔で手を振りながら去っていく桃子。

いつの間にか雨は止んでいて、遠くの空には真っ黒な雨雲。

そんな光景を見ながら、松葉杖に寄りかかった恭也はため息をついた。


「天使か……」


天使――文字通り神の使い。神威の代行者。

だが、無神論者の恭也の心に「天使」など存在しない。

今、恭也は生きている。それは紛れもない「天使」の存在があればこそ……

「天使か……」


「天使」は存在する。遠い神の国などではなく、この現実に……