守り、導かれて 第二話
















バスは予定通り目的地で止まった。

先に降りた桃子が自分に向かって手を差し伸べる。


「いい。もう必要ない」


ぶっきらぼうに、それでも最大限の思いやりを持ってその手を払いのけると、恭也は地

面に降り立った。

硬い感触。痛みを伴わないそれに軽い満足感を覚える。


「いい場所じゃない」


恭也達二人だけを降ろしたバスが遠ざかっていくのを見ながら、桃子が言った。


「確かに、この坂を毎日上り下りするのはいい鍛錬になる」

「か〜さんはそういうこと言ってるんじゃないんだけど……」

「解ってる。こっちも冗談のつもりだ」


恭也は膨れてみせる桃子を置いて、先に歩き始めた。

向かうのはさざなみ寮――知佳の住むその場所を訪れたことはないが、聞いた所によると

女子寮らしい。

後は、近頃管理人が男性に入れ替わったらしく、その評判もいいとのことだ。

無論、これらは桃子が来店した客から仕入れた情報である。


「知佳ちゃん、元気かしら」

「そんなこと、俺が知る訳もない」

「元気でいて欲しいでしょう?」

「そんなのはあたりまえだ。他人の不幸を願うのは、愚か者だ」


そう呟いて、恭也は足を止めた。

「さざなみ寮」――プレートにはそうある。

二階建て、恭也の予想よりも割と新しい建物で、広く、庭にはバスケコートまであった。


「広いお家ね〜」

「ああ、そうだな」


淡白な恭也の返事には応えずに、桃子は大きく深呼吸をすると、慎重にさざなみ寮の呼

び鈴を鳴らした。








「これは粗品ですが……」


そんなお決まりの文句を言って桃子が持参した包みを差し出すが、彼女自身それを粗品

と思っていないことを恭也は知っていた。

翠屋のマークの入ったそれは桃子の作り出した商品の中でも一二の出来を誇るシューク

リームである。

知佳が甘い物を苦手でないと、料理人特有の直感で判断した結果だった。


「どうも……これはご丁寧に……」


恭也達の向かいのソファに腰掛けた男性――耕介の受け取った包みを見た知佳は、見てい

てもはっきりと分かるほど、驚きの表情を浮かべた。


「お兄ちゃん!これ……翠屋の限定シュークリームだよ……」

「そんなにすごい物なのか?」

「凄いって……私だって何回も買おうとしたけど、一回も買えてないもん」

「なんでしたら今度からとっておきますよ?私、これでも翠屋の店長をやってますから」

「本当ですか!?」

「はしゃぐな、みっともない」


知佳をはさんで耕介の反対側に座った女性が、身を乗り出した彼女の腕を取って、強引

にソファに戻した。

黒髪の切れ長の目をした女性……

知佳の姉で真雪という名だと紹介されたが、彼女と似ているという印象はない。

だが、できる人間だと恭也は直感していた。


「高町さん……だっけ?悪いですね、こんな気を使っていただいて」

「いいえ。知佳ちゃんのおかげで助かったんですから、うちの恭也を差し上げても割に

合わないくらいです」

「か〜さん……」

「ん……それは魅力的な提案ですね。恭也君のような美少年が義弟になるのはあたしもや

ぶさかではありませんが……」

「お姉ちゃん……」

「でも、知佳をやる訳にはいかねぇぞ。こいつと付き合いたいなら少なくとも、あたし

から一本取れるようじゃないと駄目だ」

「あら、じゃあ恭也挑戦してみたら?」

「ああ、そうする」


高町家の二人にしてみれば何気ないやり取りだったが、真雪達はまさか乗ってくるとは

思わなかったらしく、不思議そうな目を恭也に向けた。


「……少年、まさか腕に覚えありか?」

「一応……妹と共に古流剣術をかじっていますので」

「おもしろいねぇ〜」


真雪は笑みを深くして立ち上がると、居間のドアを開け、


「バ神咲!あたしの木刀ともう一本お前の持ってきてくれ!」


と、二階に向かって大声で叫んだ。

ややあって……

どどどっと、そんな足音と共に二階から何やら恐い顔をした女性が降りてきた。


「仁村さん……人前でそういう呼び方せんといてください」

「いいじゃねぇか……ちゃんと木刀は持ってきたんだな」

「ええ。うちが使う物なので少しだけ長いですけど……いったい何に使うんです?」

「あっちの少年の挑戦を受けた。お客だから、まさか木刀は持ってきていねえだろうと

思ってな」

「…………まさか、あの子と真剣勝負するつもりですか?」

「しかたねえだろ?こっちも知佳がかかってんだから……」

「いえ……俺は別にそこまでは……」

「なんだ?恭也少年。まさか、知佳じゃ不満だとでも言うつもりか?」

「いえ……滅相もございません」


無論、恭也とて男である。

知佳くらいの美少女をもらえる(それが姉の勝手な口約束だとしてもだ)と言われれば、

胸の一つだってときめきもする。

だが、今の彼の興味は知佳ではなく、真雪の剣の腕に向いている。


「あの……神咲さん?その木刀頂いてもよろしいですか?」

「古いやつだし別に構わんが……」

「助かります。か〜さん、悪いがこの木刀を持ってくれ」


恭也は、女性から受け取った木刀を桃子に押し付けると、僅かに距離を開けて立った。


「どうするの?」

「加工する」


そう短く答え、懐から小刀を抜くと「徹」で木刀を切りつけた。

一同の見守る中……僅かな時間を置いて、木刀は半ばから真っ二つに割れた。


「それで、仁村さん。どこで勝負するんですか?」

「……少年は小太刀を使うのか?」

「正確には、小太刀の二刀流ですが」


急ごしらえの木刀を持って、軽く振ってみる。

いつも使っている練習用の物と長さが異なるために不自然さは残るが、具合は思いのほ

か悪くなかった。


「んじゃ、表に出ようぜ」

真雪は自前らしい使い古された木刀を肩に担ぐと、恭也を連れてさっさと外に出た。












「ルールは蹴りなし、飛び道具なし。攻撃は基本的に木刀のみだ」


場所を庭に移し、恭也達は向かい合っていた。

真雪は木刀を片手に持って立ち、恭也は耕介に調達してもらった布を腰に巻いて、二本の小太刀を交差差しにしている。


「異論はありません。審判は?」

「いらねぇだろう?お互いに反則なんてしないだろうし、決着だって……」


ゆらりと、真雪が構えた。

飄々とした雰囲気を捨てた、隙のない正眼の構え。


「絶対に分かりやすい形でつく。判定なんぞいらん」

「ですね……」


恭也は腰を落とし、両の小太刀に手を添えた。

隣接した縁側には、知佳達と桃子、それにこの仕合を聞きつけたさざなみ寮の住人達が

並んでいる。

桃子などは早くも彼女らと打ち解けたようで、仲良く甘味の話に花を咲かせていた。


(一応……心配くらいはしてくれ……)


恭也の実力に信頼を置いているからこその態度だろうが、背中を押してくれる者がいる

のといないのとでは、動きに違いが出る。

ふと、目を向けると、ちょうど恭也を見ていたらしい知佳と目が合った。

彼の視線に気付くと、知佳は笑顔を浮かべ――


「――――――――――」


何か、言った。

聞こえはしなかったが意を解した恭也は顔を真っ赤にして、真雪に視線を戻す。


「始めましょう」

「おうよ。あたしとしても、まだ知佳をやるわけにもいかねえからな」

「……小太刀二刀御神流、高町恭也」

「元・日門草薙流、仁村真雪」

『勝負!!』


言うとほぼ同時に、素早い踏み込みと共に真雪は突きを放った。

恭也は小太刀を抜くと、右に半歩動いてこれを避け、左の小太刀ですくうように真雪の

足を払った。


「やるじゃねえか!」

心からの喝采を上げ、真雪は飛び退りながら頭部を狙って木刀を振り下ろした。


がっ!!


頭上で交差した木刀でそれを受け、左の小太刀で真雪の木刀を流し、体を反転させる勢

いで今度は胴を払った。

だが、そのその時にはもう真雪は間合いの外に出ていた。












「これは……面白い展開なりましたね」

「どういうこと?」


少女――薫の言葉を聞き逃さなかった桃子は、彼女を見上げ囁くように言った。

知佳は二人の勝負に夢中になっていて、桃子達の会話には気付いていない。


「ええ。仁村さん、腕はありますが体力がないのでああいった場合は最初の一撃で決め

てしまうんです。ですが、恭也君の動きではそれも無理なので」

「長引くわけね……でも、母親として前から気になってたんだけど、あの子の腕前ってど

のくらいなの?」

「同年代ではまず間違いなく最強ですね。高校生だって……恭也君に勝てる人間はそうい

ないでしょう。これでまだ発展途上なんですから恐ろしかです」

「そっか……」

「恭也君は普段どなたから剣を教わっているんですか?」

「いつもは恭也が教えてるの。あの子に教える人は……今はいないの」


その言葉に込められた色々な意味を察し、それ以来薫は口を噤んだ。

桃子が目を戻すと、ちょうど何度目かの打ち合いが終わって二人が離れた所だった。











「疲れた……」


あまりに唐突な発言に仕合の最中であることも忘れて、恭也は肩をこけさせた。


「まだ。五分も打ち合ってませんよ?」

「三分しかもたない超人よりはましだろ。さて……」


真雪は深く息をはいて、構えなおした。



「次で決めるぞ。痛い目見たくなかったら本気でやれ」


恭也も小太刀を元の状態に戻すと手を添え、真雪の動きを全て頭に入れる。

間髪入れず、真雪の木刀が振り下ろされた。

恭也は小太刀を抜かずにこれを避けるが、真雪はそれを見越してさらに踏み込むと、返

す刀で切り上げてきた。

強烈無比な速度で迫る木刀を彼は首を逸らすだけで避け、踏み込むと、両の小太刀を抜

いた。


『小太刀二刀御神流 奥義ノ六 薙旋』


小太刀を鞘に収めた状態からの瞬速四連撃。

最初の二発。先程の斬撃を越えるスピードで繰り出されるそれらを、真雪は引き戻した

木刀で辛うじて防いだ。

だが、それだけ。

恭也が三撃目で木刀の根元を打ち、四撃目で先端を払うと、木刀は彼女の手を離れ、音

を立てて地面に落ちた。

真雪はそれを追いもせず、ただ呆然と恭也の黒瞳を見返していた。


「勝負あり……ですか?」


喉元に小太刀を突きつけられても、真雪の表情は動かない。


「仁村さん?」

「…………見たか、バ神咲。あたしが負けたぞ」

「はぁ……そうですね」

「しかも、こんな少年だ。ふ……ははっ……」


全員の見守る中、真雪は静かに笑った。

誰もそれを咎めることもできず、庭にはしばらく彼女の笑い声だけがあった。


「一つお聞きしたいのですが……日門草薙流とは、新潟の流派ですか?」

「ああ、そうだよ。思い出したくもねえが、そこの跡取予定だったんだよ、あたしは。

 で、何でそんなこと知ってんだ?」

「一度、父と一緒に訪ねたことがあります。そこで父と道場主が手合わせしました」

「…………あの時か!いや〜あの時はあたしも気分よかったぞ。なんたってあのバカ親父が

あっさり熨されたんだからな」


そう言って、真雪はまた大いに笑った。


「しっかし、強いな少年。つ〜訳だから、知佳との交際は認めよう。ただし、清く正し

くあれよ」

「ちょ……と、待ってください。別に俺はそんなつもりでやったのでは……」

「つもりがあろうがなかろうが、少年はあたしに勝ったんだ。交際の認可はその賞品み

たいなもんだから、少年の意思は関係ない。ちなみに辞退もできない、したら殺す」

「…………まあ、何となくそうなるのでは、と思っていましたが……」

「拾い物した、くらいに思ってりゃいいんだ。まあ、これからよろしくな婿殿」

「む!……」

「お姉ちゃん、恭也君困ってるよ?」

「若いときには悩むもんだ。しかも、こんなことで悩めりゃ幸せってもんだろう?」

「そうですね……うちの恭也、全然浮いた話がないものですから、知佳ちゃんなら私も安

心だし」

「高町さん、解ってくれますか」

「ええ、そりゃあもう」


ははは、と当人達を余所に保護者達は笑いあった。

知佳は複雑な表情でその二人を眺めていたが、呆然としている恭也を見て、ててと駆け

よってきた。


「恭也君、ごめんね?うちのお姉ちゃんああいう人だから……」

「………………」

「別に本当に私と付き合う必要はないから、気にしなくても……」

「……………………」

「恭也君?」

「……なんでしょう?」

「聞いてた?私の話……」

「すいません、まったく聞いてませんでした」

「もう……すごく大事な話してたんだけどな……」

「もう一回言ってもらえますか?」

「つまり、お前らはこれからどうやって付き合っていくかってことだ」

『!……』


いつの間にか移動していた真雪が、二人の肩を掴んで引き寄せる。


「まずは呼び方だな。知佳、お前は婿殿のことをなんて呼ぶんだ?」

「え?……恭也君……」

「不許可だ。で、どうする?」

「………………恭也」


知佳は消え入りそうな、本当にか細い声で囁くように言った。

抱え込まれているため、すぐ近くにある彼女の顔から熱が伝わってくる。


「まあ合格。で、婿殿は?」

「……姉さん」

「はぁ?」

「知佳姉さん……って駄目ですか?」

「条件付きで合格……まあ、許容範囲か」


と言うと、真雪は二人を捕まえたまま歩き、縁側に座らせた。

耕介や桃子達は既に居間の中に引っ込んでいて、少々反対している者(例えば薫)もい

るが、概ね静かに成り行きを見守っている。


「家から知佳を攫ってきて数年……今まで陰ながらこいつに目をつけた男どもはこのあた

しが成敗してきたが……」

「お姉ちゃん……いつの間にそんな……」

「だが、それも今日からは婿殿の役目だ。知佳に悪い虫が付かないよう、頑張ってくれ」

「俺はそんな辻斬りみたいな真似は――」


がすっ!!


不用意な発言をしかかった恭也に、真雪のボディブローが決まった。

咳き込む彼を気にした風もなく、真雪の独白は続く。


「花嫁を送り出す父親ってのは、こんな気分なんだろうな……」


一人で勝手に納得する真雪。こうなってしまっては、誰も彼女を止められない。

自分で決めた「決まり」が恭也によって達成された以上、彼と知佳の関係も彼女にすれ

ば一種のエンターテイメントに過ぎない。

それだけ、真雪が人を判断する勘と恭也の人柄に信頼を置いているということだが、「我

が道を行く」態度からは、そんなことは微塵も感じさせない。

ある意味、策士である。


「婿殿……こんな不出来な妹だが、よろしく頼むぞ」


男として、これほど嬉しいことはないかもしれない。

真雪の瞳は真摯に――肩を掴む手に何やら常識外れの握力がかかっていたりするが――恭也

を映していた。

ここで断るという選択肢は、色々な意味で存在しない。


「分かりました……」


知佳が、恭也を見る。

真雪は極上の笑みを浮かべ、二人の頭をがしがし撫でた。


「じゃあ、後は若い者どうしに任せる」


なんとも言えない沈黙が続く。

お互いに目も合わせず、一言も喋らない時間。とにかく居心地が悪い。


「その……知佳ね〜さん?」

「なに?」

「いや、別になんでもない」


本当は何か言おうとしたはずなのだが、呼びかけた時には頭の中から言葉は消えていた。

離れて、寮の中から自分達を観察している声も耳に届かない。

例えば、晶が見たら目を疑うほど年相応の態度を取る恭也がそこにいた。


「……私ね、弟がいるの」

「ここに?いや……ごめん」

「ううん。向こうにいた時はずっと一人だったから。遊んだ記憶とかもほとんどないの」

「それは……」


『家族とは言わない』と続けようとして、恭也は押し黙った。


「私はずっとお兄ちゃんが欲しかった。だから、お兄ちゃんがここの管理人になった時

はすごく嬉しくて……」


少しずつ、知佳は自分のことを話し始めた。

生い立ち、翼、寮に至るまでの過程。そのどれもが、恭也の生きてきた世界とは違う物

だった。

「孤独」だった……知佳はそれを笑顔で語る。

「でもね、結局私が憧れてたのは「家族」なんだなぁってここに来て思ったの」

「ここは、すごく楽しいと思う」

「うん、楽しいよ。まゆお姉ちゃんもお兄ちゃんもみんな優しいし、それに……」


知佳が、恭也の手を取る。

反射的に振り払おうとするが、それを見越していた彼女は手に力をこめた。


「こんなにかわいい、お婿さんもいるんだから」


外野の方から、ささやかな歓声が上がった。

知佳はそれを知ってか知らずか、さらに恭也に身を寄せる。


「ね〜さん?」

「ごめん。ちょっと目を閉じててもらえる?」


逆らう理由もなく、言われた通りに目を閉じる。

視覚がなくなったことで、心臓の音が煩いくらいに聞こえた。

落ち着け……といくら念じてもそれは収まることを知らない。

そっと、知佳の腕は恭也の体に回された。


「いい?ちょっと我慢しててね」

(…………我慢?)


ほとんど思考停止している頭でその言葉の意味を何とか理解した時、恭也の体は軽い衝

撃に包まれた。

次の瞬間、音が空気の流れが変わった。


「もう、開けてもいいよ」


背中からの知佳の声に目を開けると、そこには街の景色。

海の向こうに沈んでいく夕日に紅く照らされた街並みがあった。


「きれいでしょう?」


そう言って、知佳はにっこりと微笑んだ。

自分を抱えて空を飛んでいる――そんな非常識な行動も、彼女なら自然に感じられる。

何よりも、その背中に輝く一対の翼は眼前の街並みよりも、彼の目には美しく見えた。


「ああ……綺麗だと思う」

「でしょう?私もたまに飛ぶんだ。こんな体だけど、こういうのは特権だよね」

「……今度飛ぶ時には、俺も呼んでくれないか?」


子供の自分には精一杯の誘い。

仮初の関係でも、一緒にいたい。その気持ちは本物だった。

知佳は静かに恭也を見返していたが、やがて笑みを浮かべて、言った。


「いいよ。その時は、一緒に飛ぼう」