守り、導かれて 第三話













照りつける太陽。雲ひとつない青空。

まさに海水浴にはうってつけのこの日に、恭也達は近くの浜辺へと遊びに来ていた。

正確には、浜辺に遊びに行く耕介達にくっ付いてきただけだが、美由希と晶は喜んでい

るので、まあいいだろう。

女性陣は波打ち際で水をかけあったり、ビーチバレーをしたりして遊んでいるが、恭也

は耕介と共に張ったパラソルの下で、何をするでもなく遊ぶ彼女らを眺めていた。

一応、着替えてはいるが、傷だらけの肌を人前に晒すのは気が引けるのである。

とは言っても、自分達の他の利用者も少ないので、このまますれば誰かが強引に誘いに

来るだろうが……


「恭也君は、泳がないのかい?」

「ええ……これですから」


恭也が羽織っている上着の袖を巻くって傷を見せると、耕介は隣に腰を降ろした。

彼も恭也と同じく一応着替えてはいるが、あまり泳いではいないようであった。


「……何を見てるんだ?」

「別に何も……ただ、海を見てました……」

「う〜ん……あまり面白くない答えだな。よし」


何を思いついたのか、耕介は邪悪な笑み――例えるなら、酔っているときの真雪のような

――を浮かべると、恭也の肩を引き寄せると、悪魔のような声で囁いた。


「あの中では、誰が好みなんだい?」

「いえ……あのですね……」

「ああ、大丈夫。恭也君の言ったことは誰にも言わないから。これ、男の約束」

「だからそういう問題では……」

「ゆうひは……ある意味完成されてるよな。君からすれば大人の魅力ってやつだ。みなみ

ちゃんと知佳はどっちかって言うと華奢だけど、それをプラスととるかは人それぞれ

だ」


まるで、普段からそういうことでも考えているかのように、耕介はつらつらと解説して

いく。

元々そういったことを考えて海を見ていたのでは断じてないが、隣でそうも言われれば、

ついつい目も行ってしまう。


(ね〜さん……華奢かな?)


スタイルという面では、例えば桃子と比べれば見劣りするかもしれないが、恭也には耕

介が言うほど、華奢ではないように思える。


「美緒……ってことはないか。いや、恭也君とはそれほど年が離れてる訳でもないからロ

リでもないか。ちなみに俺の勘では年少組の中では美由希ちゃんが一番伸びるんではないかと……」

耕介の話はまだまだ続きそうではあったが、それは聞き流して恭也は海に目をやった。

身内は皆浜辺の近くで遊んでいて、沖の方には誰も行っていない。

他の人間も見る限り、沖の方で泳いでいるのは美由希くらいの少年が一人……


「ん?」


それに違和感を持った恭也は、立ち上がると目を凝らした。


「どうした?恭也君」

「…………人が溺れてます!先に行きますから誰か連れてついてきてください!」


そう言うと、恭也は耕介の返事を待たずに上着を脱いで駆け出した。


「恭也、どうしたの?」

「人が溺れてる!」


知佳に短く堪えて、恭也は海に飛び込んだ。

水泳に慣れている訳ではないが、それでも必死に水を掻いて前に進む。

少年がいつ頃から溺れているのか知らないが、十分に持つという保証はどこにもない。


(早く、早く!死ぬぞ!)


体に鞭を打って加速したおかげで、どうにか沈む前に少年の元には着けた。


「はあ……おい、だいじょう――」


声をかけ体を掴んだ瞬間、恭也は凄い力で海に引きずり込まれた。

パニックになりそうになるのを必死に自制して、何とか水面に顔を出す。

引きずり込んだのは、少年の力。

命がかかっていて錯乱しているだけにその力も半端ではない。


「おい!落ち着け!」


言って聞くはずもなく、少年は暴れ続け、慣れない水泳で体力を削った恭也の意識も朦

朧としていく。

何とか浜辺まで泳ごうにも、死に物狂いの少年に力の限り組み付かれ、思うように動く

ことができない。


(気絶させるか?)


考えて、即座にやめた。

救助の知識がまったくないので、それが正しい行動なのか判断がつかない。

確かにそれで運びやすくはなるだろうが、そのせいで最悪の状況を招いたら目も当てら

れない。

だが、このままだと二人とも海の底に沈む。


(ね〜さんは?)


真雪から聞いた知佳の詳しい能力が頭をかすめ、恭也は浜辺を見た。

遠目でも知佳は見つかった。表情までは伺えないが、間違いなくこちらを見ている。

意志を伝えることだって訳はない。

知佳が「力」を使えば、恭也は少年と共に一瞬にして浜辺に辿り着けるだろう。

だが、それも問題外だった。


(浜に「天使」は……おかしいしな)


知佳の翼を人前に晒すのは、できれば最後の手段にしたかった。

依然として暴れ続ける少年。

恭也も必死に説得は続けているが、少年に合わせて浮いたり沈んだりを繰り返している

うちに、段々と体力も尽きてきている。


「死ぬか……本気で」

「死なせないぞ。そう簡単には」


力強い声と共に沈もうとしていた体が支えられ、朦朧としていた意識が少しずつ覚醒し

ていく。


「よく頑張ったね。俺だったら間違いなく沈んでたよ」

「危なかったですよ……俺も」


溺れていた少年は、みなみのおかげである程度は落ち着きを取り戻していた。

どうやら、ゴムボートに乗って一人で沖まで来て、何かの拍子にそれに穴でも開いたよ

うだった。


「さ、帰ろう」


耕介は恭也と少年を抱えると、浜まで泳いで帰った。


「恭也!」


浜辺に膝をついて大きく息をしていると、美由希達よりも先に知佳が駆け寄ってきて、

恭也を抱きしめた。

振り払う気力もない恭也は大人しく知佳の腕に収まる。


「ねえ、だいじょうぶ?どこにも怪我してないよね?」

「それほどでもない……もう少し休めば問題ないと思う」

「そう……よかった」


その声に恭也も安心して、知佳から身を離そうとした。


ぱんっ!!


何が起きたのか理解するよりも先に、恭也は尻餅をついた。

頬が熱い。

呆然として見上げると、知佳は恭也に平手を食らわせた状態のまま目に涙を浮かべ、恭

也を睨んでいた。


「どうして先に飛び出していったの!?死んじゃう所だったんだから!」

「……行かなかったら、最悪なことになってたかもしれないだろう?」

「それで一緒に溺れかけてたじゃない。お兄ちゃん達が着くのが遅かったら恭也だって

無事じゃすまなかったんだよ?」

「じゃあ、ね〜さんはさっきの子を見捨てろって言うのか!?」

「…………分かった。もういい」


知佳は恭也から目を逸らすと、母親の元にさっきの少年を送り届けて帰ってきた耕介に

歩み寄った。


「どうした?知佳」

「お兄ちゃん、ごめんね。私、先に帰ってるから……」


それだけ言うと、知佳は耕介の静止も聞かずに走り去っていった。

やり切れない思いがある。

恭也は間違ったことをしたつもりはない。それなのに、知佳は理解してくれなかった。

ゆうひとみなみは状況についてこれず、美由希と美緒は知佳に飛びかかろうとしている

晶を必死に押さえつけていてそれどころではない。


「恭也君、知佳どうしたんだ?」


耕介の問いも耳に入らずに、恭也はただ知佳の走り去った方をずっと眺めていた。


















「店長、恭也君どうしたんですか?」


翠屋において、小さいながらも寡黙な恭也は一種の人気者だった。

本人に愛想よくする気がないのだが、そこがまたうけたらしく、主婦の常連の中には不

定期にバイトに入る彼目当ての客までいるほどである。

だが、今日の恭也はいつにもまして無愛想で静かだった。


「あの年頃は悩みが多いから……」


そう答える桃子は美由希達から昨日の顛末を聞いていたが、彼に対して何も行動は起こ

していなかった。

思いつめている恭也を助けてあげたいとも思うが、当人達の問題に立ち入るのも気が引

ける。


「悩みですか?」

「そう、割と深刻みたいなんですよ……」






「ありがとうございました……」


機械的にそう言って、客のいなくなったテーブルの食器をさげると、恭也はまた定位置

に戻った。

気分は、はっきり言って最悪である。

忙しい翠屋のバイトでも引き受ければ少しは気がまぎれるかと思ってバイトを引き受け

たのだが、こういう日に限って客足は疎らである。

フロアの担当も恭也一人ではないので、暇を持て余してしょうがない。

からん……


「いらっしゃいませ……」

「そんな辛気臭い顔してると、気分はどんどん下り坂だぞ」

「…………真雪さん?」

「高町さ〜ん。恭也君ちょっと借りていいっすか?」

「どうぞ〜。好きなだけお貸しします」

「すんません。じゃあ、コーヒーいただけます?」

「は〜い」


厨房からの桃子の返事を聞くと、真雪は恭也を引きずって適当な席に着いた。

ほどなくして桃子が二人分のコーヒーを持ってきてすぐに去っていった。


「知佳がな、海から帰ってきて以来、ずっとふてくされてる」

「……そうですか」

「本人に聞いても要領を得ない。んで、耕介に聞いたらお前に聞いたほうが早いって言

うんでな。ここに顔を出したしだいだ」


砕けた口調で話しているが、真雪の目には微塵も遊びはない。

真剣に答えなければ、例え桃子の前だったとしてもこの場で殴り倒されるだろう。


「実は……」


恭也は覚悟を決めると、海で起こった出来事をなるべく正確に話し始めた。

真雪は所々頷きながら黙ってそれを聞いていたが、恭也がすべて話し終わるとため息を

ついてこう言った。


「そりゃ、あいつなら怒るな」

「どうしてですか?」

「単純なことだ。知佳がそういう奴だからだよ」

「……答えになってません」

「あいつはな、『結果的に助かった少年』と『もしかしたら死んでたかもしれない婿殿』

 を秤にかけたんだろう」

「そんな理不尽な……」

「そう思うか?親しい人間が目の前で死にかけたら理不尽にもなるだろうよ」

「ですが、俺は間違ったことをしたつもりはありません」

「あいつにも間違ったことを言ったつもりはないだろうな。あたしにも正直どっちが間

違ってないのかなんて、判断つかん」


真雪は懐から煙草を取り出して、テーブルに備え付けの禁煙のプレートを目にして顔を

顰めた。

煙草をしまい、コーヒーを口に含んでため息をつく。


「俺は、どうしたらいいんでしょうか?」

「知佳と仲直りしたいのか?」

「当然です。ですが、自分のしたことを謝るつもりもありません」

「…………頑固だよなぁお前ら二人。まあ、あたしも人のことは言えないがね。そうだな、

 花束でも抱えてデートにでも誘ったらどうだ?」

「真面目に聞いてるんですが……」

「……あたしは相談係じゃない。まあ、自分の思ってることを全部ぶつけてみるなんてど

うだ?」

「思っていること……」


真雪の言葉を噛みしめて、頭の中で繰り返す。

恭也はいきなり立ち上がると、エプロンを外して叫んだ。


「か〜さん!俺ちょっとでかけてくる!」

「車には気をつけてね」


客の入りの少ない時間帯なので、何となく二人に注意を払っていた桃子は即座にそう答

えた。


「真雪さん、すいません。俺――」

「皆まで言うな、行ってこい婿殿。知佳なら今日はずっとさざなみ寮にいるだろう」

「行ってきます!」


言うが早いか、ちょうど入ってきた客にぶつかりそうになりながらも、恭也は翠屋を飛

び出して行った。

真雪は何となく微笑むと、コーヒーを飲んで大きく伸びをした。


「恭也は知佳ちゃんの所に?」

「ええ。いい奴ですよね、婿殿は……あ、そうだ、土産用のシュークリームできます?」

「仲直りのお祝いですか?」


全て見透かしている桃子の笑顔に、真雪は声を上げて笑った。













「お、恭也君来たね」

「はい……」


答える彼は壁に手をついて、息を荒くしていた。

勢い込んで翠屋を飛び出したまでは良かったのだが、持ち合わせが全くなかったのでこ

こまで走ってきたのだ。

常日頃から鍛錬を怠っていない彼だが、この運動はさすがに堪えてしまった。


「……水でも飲むかい?」


まさか、汗だくで来るとは思っていなかったのか、耕介も困惑している。


「いいです……それより、ね〜さんはいますか?」

「ああ、部屋にいるはずだ。二階の207号室。階段上って右手だ」

「ありがとうございます」

「頑張るんだよ」


耕介のささやかな声援を受け、恭也は寮の階段を一段ずつ上っていく。

知佳の「婿」になってからさざなみ寮には何度も足を運んでいた。

一人できたこともあったし、美由希達や幼いなのはを抱えてやってきたこともある。

いずれの時も、知佳とさざなみ寮の住人は恭也達を歓迎してくれた。


(今日は……どうなんだろうな?)



207号室の前に立つ。

中には人の気配――おそらくは知佳だろう。

まだ乱れていた呼吸をゆっくりと元に戻していく。


こんこん……


「誰?」

「俺、恭也」

「開いてるから、入っていいよ」


恭也はもう一度深呼吸すると、ドアを開けた。

知佳の部屋に入るのはこれが初めてだったが、想像していたよりも簡素な部屋だった。

机には趣味らしいパソコンが置かれ、ぬいぐるみのような装飾品は思いのほか少ない。


「適当に座って」


そう言われても、勝手に何かを使うのも気が引けたので、恭也は知佳の向かいの床に腰

を下ろした。

知佳はベッドに座って、不機嫌そうな顔で恭也を見ている。


「……何か言うことはある?」

「ある。でも、俺は謝りに来たんじゃない」

「一応、聞いてあげる」

「考えてみたけど・・俺はやっぱり間違ったことはしてないと思う。もし、今度同じこ

とがあっても、きっとああする。でも、俺はね〜さんと喧嘩したくない。だから、俺

のすることを認めてほしい」


考えるまでもなく、自分の言っていることは無茶なことだ。

それは、恭也自身よく分かっているつもりだった。

だが、この考えだけは譲れない。

したいことをできなくて、守りたい者を守れないようでは自分は絶対に後悔する。


「めちゃくちゃなこと言ってるの、分かってる?」

「分かってる。俺は意志を曲げるつもりもないし、ね〜さんと喧嘩もしたくない」

「……どうしても?」


ひどく、知佳が寂しそうな顔をする。

決心がぐらつく……だが、ここで曲げる訳にはいかない。


「……どうしても」


そして、重い沈黙の流れた後、知佳は深くため息をついた。


「…………許してあげる」

「ね〜さん?」

「でも、約束してほしいことがるの」


知佳は立ち上がって、恭也の後ろに回ると彼を抱きしめた。


「恭也のこと、なるべく理解するようにするから、私には絶対に嘘はつかないで。私に

は本当のことを言ってね」

「いいのか?それだけで……」

「そんなこと言ってると、まゆお姉ちゃんだったらすごいこと言われちゃうんだから。

 優しい私に感謝してね」

「ありがとう、ね〜さん」

「もう、終わったんだから気にしないの。あ、せっかく来たんだし何か食べてく?翠屋

ほどじゃないけど、美味しいケーキがあるんだ」

「すまない……甘い物は苦手なんだが……」

「じゃあ、恭也の分は一番甘い物にしてあげるね」

(やっぱり、根に持ってるんじゃないか……)


そう無邪気に微笑む知佳に、恭也は初めて「悪魔」を感じたのだった。