守り、導かれて 第六話















第一印象という言葉がある。

俺とあいつの場合のそれは、正直最悪と言ってもよかっただろう。

だが、今でもあいつとの関係は極めて良好な形で続いている。

あえて言葉で括るのなら「悪友」ということにでもなるのだろうか?

全く、世の中というのは解らない物だ。















「新しい寮員ね……」


夕暮れ時の翠屋で知佳と差し向かいに座った恭也は、ついさきほど聞いた言葉をそのま

ま繰り返していた。


「そうなの。リスティっていう名前らしいんだけど」

「らしいって、名前も解らないのか?同じ寮に住んでるのに」

「だって、センターの人と本人が言ってる名前が違うんだもん」


わずかに頬を膨らませて、知佳はオレンジジュースを飲み干した。

恭也は考えるふりをして――何も考えていないように見えると、この姉は怒るので――首を

振った。


「また難しい女性もいたものだな。で、この俺にどうしろと?」

「どうして私が何か頼むって分かったの?」

「そういう目をしてるんだ。その目は真雪さんに似てる」

「あはは、お姉ちゃんに似てるんだ……」


決して恭也は誉めたわけではないのだが、それでも知佳は嬉しそうだった。

だいたいにして、真雪に頼まれることは難題が多いのだ。

それに似ているのだから、聞く前から簡単に済むはずがないのは目に見えている。

なのに、恭也はこの姉妹の頼みを断るという選択肢を持っていない。

理由は……言わずもがな。


「で、俺はいったい何をすればいいんだ?」


改めてそう問いただすと、知佳は何故か姿勢をただした。

意味はないのだろう。が、自分もやらなければいけない気がして恭也もそれに倣う。


「あのね、今日さざなみ寮に遊びにこない?」

「それで俺がその「リスティ」さんと対面するんだろうけど……明らかに人選間違ってな

 いか?」


自慢ではないが、恭也はお世辞にも愛想がいいとは言えない少年である。

それは自他共に認める所であるし、当然知佳や耕介達も知っていることだ。


「リスティね、誰ともお話しないの。お兄ちゃんとかが頑張ってるんだけどだめみたい

だし……この際だからってことなんだけど」

「耕介さんでだめなのに俺にできるはずないだろう」


ぼやきながら、恭也はあの管理人のことを頭に思い浮かべた。

彼とは反対に、耕介は信じられないくらいに人当たりがいい。

なんと言っても、あのさざなみ寮の管理人を男性なのに務めている人だ。

自分がそのリスティという人が打ち解けられる要因になる、というのは無理だと恭也は

理解していた。

知佳も解っているだろう。それでも……


「ね、姉からのお願い」


それでも、彼女は頼んでくる。

困っている人を放っておけない。こういう女性なのだ。


「こじれても知らないぞ。それなりの努力はしてみなくもないが」

「ありがとう!」


瞬間、はじけるように知佳は笑顔になった。

結局女性からの頼みは――とくに知佳からの頼みは――どうしても断りきれない恭也なので

あった。














がしゃん!!!


遊びにいくことを桃子に告げ、知佳と共にやってきたさざなみ寮で最初に彼を出迎えた

のは、常でない音だった。

知佳と顔を見合わせてドアをくぐると、何人かの話し声――少なくとも談笑しているよう

な雰囲気ではない――が聞こえてきた。

緊張の面持ちで居間に向かう彼女に恭也も続く。


「何があったの!?」


居間に飛び込んだ知佳の質問に答えるものは誰もいなかった。

何か盆ごとひっくり返したらしく、床には壊れた食器が散乱している。

その傍では耕介が蹲り、苦しそうに息をしていた。

そして、知佳よりも背が小さくさらに細い体つきの少女が、その耕介を冷たい目で見下

ろしていた。


「また男か……ここは女子寮じゃなかったのか?」


振り向きもせずに少女が言ったその言葉が、自分に向けられていると気づくのに恭也は

数秒を要した。

少女――リスティが振り向く。そして、その冷たい視線と絡むと目の奥がチリチリと痛ん

だ。


(!……)


それを感じた瞬間、恭也は目に見えない何かを振り払うようなイメージを頭に浮かべた。

それが意外だったのか、表情のなかったリスティの顔に僅かな色が浮かんだ。


「驚いたな、精神制御ができるのかい?ピアスもつけずに、たいしたものだな」

「俺の……心を読もうとしたのか?」

「ああ。僕はそういう生き物だからね」

「ひとつ聞いてもいいか?」

「答える義理のあるものだったら、答えてあげるよ」

「これは一体どういう有様なんだ?」


恭也は惨憺たる様子の居間を目で示した。

ここにはとりあえず寮員の全員が揃っていたが、誰も彼らを仲裁しようとはしなかった。

それほどまでに、彼と彼女の間に流れる空気は変質していた。


「誰かがおせっかいを焼いた結果だよ。それより、お前はどうしてここにいるんだ?大

方そっちのが呼んだんだろうけどさ」

「俺がどこにいようが俺の勝手だろう?それに、姉さんを「そっち」なんて呼ぶな」

「僕がどんな呼び方をしても勝手だろう?あと、何か勘違いしてないか?それから聞い

てるかもしれないけど、僕は好きでここにいる訳じゃないんだ。こんな――」


ぱん!!


彼がその音を理解したのは、体が反応した後だった。

突き出された自分の右手がリスティの眼前に張られたフィールドに受け止められている。

周りに息を呑む声が聞こえたが、恭也は冷静だった。冷静に、怒る自分を自覚していた。


「おしかったな。もう少しだったのに」


リスティは心底から馬鹿にした笑みを浮かべていた。

普通の人間が素手でHGSの張るフィールドを破れるはずはない。

そんなことは彼だって解っている。だが、感情と理性は別のものだ。


「そうだな。俺もこんなに人を殴りたいと思ったことはないな」


右手に力を込めるが、フィールドはびくともしない。


「殴れば、できたらの話だけど」

「お前がどんな人生送ってきたのか知らないが……」


恭也は右手を引き戻した。

力の限り握り締められた拳には、うっすらと血が滲んでいた。


「ここの人達を疑うな。ここで、そういう態度を取るんじゃない」

「どうして僕がお前のいうことを聞かなきゃいけないんだ。お前には関係のないことだ

 ろう?」

「お前は!!」


怒りに任せて振り上げられた拳は、しかし後ろから出された腕に掴まれた。

憎々しげに振り向く恭也の目に、いつになく厳しい表情をした真雪が写る。


「なぜ止めます!」

「止めねえ訳ねえだろう。何かに怒ることは悪いことじゃないが、必ずしも正しいこと

 とは限らないからな。もっとも、婿殿がやらんかったらバ神咲がやってただろうけど

 な」


見ると、薫の手には「十六夜」が握られていた。

彼女も腹に据えかねていたのだろうが、恭也に目を向けられて肩の力を抜いた。

彼の行動を見て少しは落ち着いたのだろうが、今度何かあれば彼女が切りかかるだろう。

そんな彼女達を見ても、リスティは少しも表情を変えなかった。


「他人のために怒るんだな……」

「悪いのか?少なくともお前よりはましだ」

「一応名前くらいは聞いておいてあげるよ。危ない少年」

「高町恭也だ」

「僕はリスティ・C(シンクレア)・クロフォードだ。お前は今まで出会った中では二番

目におせっかいだな」

「誰だ、一番は」

「さあ。自分で考えるんだね」


シニカルに笑うと、リスティはフィンを広げて恭也達の前から姿を消した。









「すまないね、恭也君。巻き込んじゃって」


とりあえず回復はしたのか、今までただ蹲っていた耕介がゆっくりと立ち上がった。


「耕介さん大丈夫ですか?」

「ああ、少し力で動けなくなってただけだからね」


耕介は床に散乱した食器を見下ろした。


「それは?」

「リスティの好物らしいマフィン……だったんだけどね。この有様さ」


言って片付け始める耕介に、今まで静観していた薫達が加わる。


「恭也……」

「ごめん姉さん。やっぱり余計にこじらせた」

「知佳が呼んだのか?婿殿は」

「うん。何か解決になればと思ったんだけど……」

「やはり、あの娘をこのままここに置いておくのはまずいのではないでしょうか?」


今見た以外にもこのようなことがあったのか、薫の怒りもまだ冷めていないようだった。

リスティの態度があれではそれも無理からぬことだろうが、耕介はゆっくりと首を横に

振った。


「いや、それは違うよ薫。ここに来た以上は仲間なんだ。分け隔てがあるようじゃいけ

ないと思う」

「しかし……それからずっとあれはさすがにまずかでしょう」

「俺だってこのままでいいとは思っていないさ。でも、形の上でも任された以上は意地

でも仲良くなってやるさ」


耕介は「やる」人間であることを恭也も知っている。

彼に目をつけられた以上、リスティが懐柔されるのも時間の問題だろう。

薫はぽかんと耕介を見つめていたが、やがて可笑しそうに笑った。


「耕介さんらしいですね……」

「だろ?で、悪いんだけど、恭也君はほとぼりが冷めるまでは」

「分かってます。俺もこれ以上こじらせるのは本意ではありませんからね」

「しばらくうちの妹には会えんが、くよくよするんじゃないぞ婿殿」


「そうですね……」


恭也は何の気なしに天井を見上げた。

HGSの能力がどういうものなのか、正確には知らない。

知らないが、彼はリスティに「見られている」ということを確信に近いくらい感じてい

た。




















春と言っても、海に近いこともあってか海鳴の夜は肌寒い。

それは夜の鍛錬は日課になっている恭也にとっても同じことだった。

さらに、ここ数日知佳に会っていないという事実が彼の心をさらに波立たせている。

はっきり言って、機嫌はよろしくない。


「……」


転がってきた空き缶をなんとなく蹴飛ばす。

鍛錬が日課と言っても、相手がいる訳でもない。

美由希はまだここまで付き合わせるのには未熟だし、かと言って深夜に付き合ってくれ

るような知り合いもいない。

御神流というのは孤独なのだ。

それは、士郎がなくなって一人で鍛錬するようになってからというもの、嫌と言うほど

思い知らされた。


「考えていても仕方ないか……」


マイナス方向に考えていても、いいことになるはずがない。

そう思い直して、いつもの山に向かおうとした恭也は――思い切りその場を飛びのいた。

着地して振り返ると、小太刀に手を伸ばして腰を落とす。

背後にいきなり――それこそ、恭也に気取られずに現れた気配。

それは、銀髪の少女の形をとってこちらに何も持っていない右手を翳していた。


あたかもそれ自身が一つの武器であるかのように。


「リスティ・C・クロフォード……」

「高町恭也……」


数秒無言で視線を交わした後、どちらからともなく声が漏れる。

時刻は深夜。いくらリスティと言っても、少女は出歩いている時間ではない。

だが、そんな世間の常識が抜けちているかのように、リスティは相変わらずの無表情

で恭也の隣を黙って通り過ぎていった。


「待て」


背後で足音が止まる。

呼び止められ苛立つリスティの気配が伝わってくるが、恭也は構わずに――むしろ若干の

喜びすら感じて続けた。


「何してるんだ?こんな時間に」

「お前こそ。それで強盗にでも入るつもりなのか?」

「俺はこれから鍛錬に行くんだ。そっちは家出か?」

「関係ない。お前には……」


当たらずと遠からずといった所なのか、リスティは足早にその場を立ち去ろうとした。


「あっちだ」


そんな彼女に聞こえるように、恭也はある方向を指差した。

リスティの意識がそちらの方に向く。

その先にある物。それを理解して、彼女は振り向いた。


「俺は、正直お前の態度は好きじゃない。でも、だからってお前を放っておくのは人間


として最低だ。だから……お前が行くのはあっちだ」

照れている自分を自覚しているからか、憮然としている恭也の耳に微かな、聞き逃して

しまいそうなくらい小さな笑い声が聞こえた。

恭也は、世界の破滅でも聞いたかのような顔で振り向いた。


「失礼な奴だな。僕が笑っちゃいけないのか?」


振り向いた時にはもうリリスティは笑っていなかったが、もう刺のような印象は残って

いなかった。


「いや……そういうことはなくてだな。なんと言うか、意外な物を見た気がしたんだ」


言い訳がましく並べ立てる恭也に、リスティは今度こそ確かな笑みを浮かべた。

不覚にも、少しだけそれに見とれてしまった恭也はリスティから目を逸らす。


「今気づいたよ。お前は、それなりにからかいがいのある奴みたいだな」

「それは――」


何か色々と言い返そうとしてリスティに目を戻した時には、既に彼女の姿は掻き消えて

いた。


『Thanks』


ただ一言だけ、感謝の言葉を残して……


















狐にばかされた気分だった。

恭也の中で、何時の間にかあの夜のことは夢だということになっていたのかもしれない。

それほどまでに、あの夜は信じられなかった。

だが、耕介に呼び出され久しぶりにさざなみ寮を訪れた恭也が見たものは紛れもない現

実であるらしかった。


「どうしたんだ恭也君。……ああ、知佳ならもうすぐ帰ってくると思うけど」

「それ以前にこれはいったいなんですか?」


呆然と、目の前の光景を示す恭也に耕介は首を傾げる。


「何って……ゲームだろう?恭也君の家にはないのかい?」


確かにないが、恭也が聞いているのはそんなことじゃない。

ゲームの機種よりもソフトの名前よりも気になることが他にあった。


「勝った」

「負けたのだ〜」


見ると、テレビの画面は二分割され、向かって右側にいるキャラクターがなにやら楽し

そうに舞っていた。

何のゲームかは知らないが、とにかくそっちが勝ったんだなくらいには恭也にだって判

断はつく。


「?……ああ、来てたんだね。いらっしゃい」

「ああ……おじゃましてます」

「おかしな奴だな。頭でも打ったのか?」


心配されている……自分が、リスティに?


頭が、あるはずがないこれは夢だという信号を発している。

恭也もどちらかと言えばその信号に賛成だが、夢として片付けるにはどうにも感覚がリ

アル過ぎた。

記憶も極めて鮮明だ。

これが現実ということは。どうやら受け入れなければならないらしい。


「リスティ、美緒。お菓子があるけど食べるか?」

「食べるのだ!」

「何か飲み物もつけてほしいな」

(やっぱり……夢かもしれないな)


恭也があっさりと結論を翻していると、それを感じ取ったリスティが目ざとく振り向い

た。


「さっきからそこで失礼なこと考えているけど……僕より恭也の方が無表情じゃないか」

「待て、クロフォード。今のは聞き捨てならないぞ」

「耕介〜正直に答えてね。僕と恭也、どっちが無表情?」

「リスティ……あまり俺を困らせないでくれよ……」


台所からお菓子と飲み物をお盆に乗せて持ってき耕介は、自然にリスティの頭を撫でた。


それだけで彼女は目を細めて、気持ちよさそうに……笑った。

ここは素直に喜ぶべきなのだろうが、恭也の心を満たしているのはどうしようもない悔

しさだった。


「耕介、恭也はやっと自分が無表情だってことに気づいたみたいだ」

「それはもういい。それより何があったんですか耕介さん。クロフォードが笑うなんて、

 俄かには信じられませんが……」

「何って……なあ?」

「子供には解らないことだよ」


そう決め付けられて憮然とする恭也を見て、リスティはまた笑った。





その日、知佳が帰ってきてからも恭也はずっと耕介がどうやってリスティの人当たりを

やわらかくしたのかを考えていたのだが解らず、真雪や知佳に聞いてみたらさらに大笑

いされてしまった。

結論として、「耕介はすごい」という事実だけがこの後しばらく彼の中に残ることにな

る。