恋愛小説の書き方


















1.物憂げな女性は……



「はぁ……」

 その唇から紡ぎ出されるは、物憂げなため息。その数がかれこれ、もう両の手では足り
ないくらいに達してるのだが、それは本人にも、ついでにその仕草に心を奪われている人
間達にも関係のないことだった。

 海鳴市内。昼下がりのとある喫茶店。普段であればそんな気だるげな時間を楽しんでい
るはずの学生達も――男性、女性問わず――沈黙を守っている。有線から流れるBGMで
さえ、どこかその空気にどこか遠慮をしている気配すら感じられる。

 その場所は、一人の人間によって支配されていた。長い艶やかな髪、気品を感じさせる
物腰、加えて見る人間全てを魅了するかのような物憂げな仕草……その姿は神の領域か、
魔の業か……いずれにしても、めったやたらにお目にかかれるものではない。

 喫茶店の客の中には、それこそ普段から引っ掛けた女の数を競い合っているような連中
すらいたが、彼らの技術と胆力を持ってしても、彼女に声をかけるのは憚られた。それも
そのはずだ。彼女は今のままで十分に美しいのだから。下手に手を加えてそれが損なわれ
でもしたら、目も当てられない。それは世界にとって損失であり、万人共通の見解である。
もし、彼女に平気で声をかけられる人間がいるとすればそれは――

「ごめんね、さくら。待った……かな?」

 無粋な闖入者のその声に、その場にいた人間は息を飲んだ。最初の女性を『静』とする
のなら、こちらは『動』。まるで太陽のような生命力と美しさを持ったその人物は、その
場の雰囲気など気付かぬかのごとく振る舞い、女性の前に腰を降ろす。

「待ちました。約束の時間を過ぎるなんて、らしくありませんね」
「仕事の関係で込み入った電話があってね。本当はもっと早く来るつもりだったんだよ?
言い訳がましいかもしれないけど……」
「気にしなくてもいいですよ。待っている時間を楽しむことも、最近はできるようになり
ましたから」
「得な性分だね、それは」
「私もそう思います。愛の……おかげでしょうか?」

 物憂げだった女性の顔に、微かな笑みが浮かぶ。密やかな、それでいて絶大な破壊力を
もったそれは、店の中の人間の隅々にいたるまで浸透していく。

「恥ずかしいこと言うね……」
「全然恥ずかしくなんてありません。恥ずかしいのなら、それは私への愛が足りない証拠
です」
「ん、悪かった。全然恥ずかしくなんてないよ。俺、さくらのことちゃんと愛してるから」
「分かってますよ。私だって、ちゃんと愛されてますから」

 『ははは』と、二人は笑いあいながら、店を後にする。後に残されたのは、まるでこの
世の不可思議、その全てを目の当たりにしたかのような面構えの客達のみ。あの二人が何
者なのか、そんなことを知る人間は一人として存在しない。

 あの二人についてこの場の人間が理解していること。それは、あの二人が類稀な美しさ
を持っているということと――

「…………ただのバカップルじゃないか」

 その事実。唯一つのみ。



















2.彼女様は小説家だったのです


 綺堂さくらは小説家である。昔からの本好きが功を奏したのか、大学院在籍中に投稿し
た小説が編集者の目に止まり、出版。今では国内で最も名の売れた作家の一人として、認
知されている。その彼女の功績を、彼女の家柄のせいと揶揄する人間もいるが――実際、
さくらの家はそこそこの名家である――実際に売れているのだから、ただのやっかみと言
うもの。自分の彼女は凄いんだぞ、と彼氏である真一郎の鼻も高い。のだが……

「最近、ちょっとスランプ気味なんです……」

 その内容を体現するかのように、隣りを歩くさくらには覇気がない。先程の喫茶店での
遣り取りは一体何だったのか……気にはなったが、口にはしない。女性として、文句の付
けようもないくらい魅力的であるが、どんな些細なものであっても、彼女と喧嘩をして勝
てた試しはない。『ふむ……』と、真一郎は頬に指を当て、殊更神妙そうに頷く。

「仕事そのものは捗ってるみたいだったけど?」
「筆は進むんです。でも、肝心の内容が……」
「伴ってない、と。それでも、俺さくらの書く小説って好きなんだけどなぁ」
「……そう言ってもらえると嬉しいですけど」
「さくらが納得のいかないものを出すような性格じゃないってのは、分かってるけどね。
彼氏としては、その手助けをしなきゃと思う訳だけれども……」

 神妙そうな顔のまま、足を止める。耳につくのはメルヘンなテーマ、目に飛び込むのは
原色。周囲は自分達よりも一回り上の世代と下の世代の組み合わせ――要するに、親子連
れが半分以上を占めている。自分達のようなカップルもいるにはいるが、その数は疎らだ。
挙句の果てに、『あのお兄ちゃん達デートかなぁ?』という無邪気な声が、何かいけない
ことをしているようで、心に痛い。



「……これは一体、どういう趣向なのかな」
「ちょっと原点に帰ってみようかと思いまして」

 パンフレットを流し見しながら、さくら。

「今書いてる恋愛小説って、学生が主人公ですよね? 私が先輩と会ったのも学生の時で
すから、その時の気持ちを参考にしてるんですけど、しっくりこなくって……」
「それなりに昔の話だからね。細かいとこまで思い出せってのは、さすがに俺も無理かな
……」

 それこそ、普通の人間では一生お目にかかれないような、ハードな学生生活だったと思
うし、さくらと初めて思いを通わせた瞬間の気持ちは、今でもはっきりと思い出せる。た
だ、それは心の中に記憶として焼きついているものであって、簡単に言葉にできるもので
はない。仕事柄、そういったことが得意であるはずのさくらでも匙を投げているのだから、
素人である自分に、できるとも思えない。

「で、その時の記憶を思い起こそうと、こんなとこに来た訳だね」
「そうです。ですから今日のテーマは、『初心に帰った恋愛』です」
「…………それって、どんなことをすればいいの?」
「学生に戻って私に接してくれればいいです。本当は、格好もその時のものにしたかった
んですけど……」
「まあ、俺もさくらも成長したからね……」

 高校を卒業してから急激に背が伸びるなど、一年の時の自分に聞かせてやったら、どれ
ほど狂気することだろう。その代わりに、もう一つのコンプレックスだった女顔の方はま
すます磨きがかかったと、昔馴染みの間では大評判である。

 ちなみにさくらに関してはどこが成長した、とは言わない。その成長を身をもって体験
してはいるが、言ったらきっとぐーで殴られることだろう。さくらは冷静なように見えて、
大分子供っぽいのだから。

「それじゃあ、一つ頑張ってみますか」
「はい、頑張りましょうね。じゃあ、これパスポートと――」

 手渡されるパスポート入りのバンドと――

「……ってこれ、俺もつけるの?」

 それは所謂プラスチック製のカチューシャで、先にはディフォルメされたネズミの耳と
リボンがついている。周囲にはつけている人間もいるにはいるが、それは女の子か女性ば
かりなり。男でつけている人間は一人もいない。

「当然です。初心に帰った恋愛をするって、さっき言ったじゃありませんか」
「いや、言われたけどさ。でも、態々俺がこんな耳を付けることはないんじゃないのかな
〜って……」
「私だって付けますよ? ほら」

 言われて出されるのは、見覚えのありすぎるピンク色の耳。いや、ここで市販されてい
る耳は全て黒なのだから、それはそれで目立つのだろうが、さすがに付き合いの年季が違
うせいか、こんな人ごみの中でも違和感がない。

「ほら、私が『付ける』んですから、先輩も付けてください」
「…………わかったよ。しかし、先輩って久しぶりに聞いたなぁ」

 これも愛の試練なんだろうなぁ、と苦笑しつつも耳を装着。どんなに恥ずかしいと思っ
たことでも、数年前に学園祭でメイドコスプレをさせられたことを思えば、どうと言うこ
とはない……いや、軽い羞恥を味わう度にその苦い思い出が頭を過ぎるのは、軽くトラウ
マと呼べるかもしれないが、それでも大抵のことに耐えられる精神力を身に付けたと思え
ば、美少女ばかりの並居る強豪を抑えて、メイド姿で表彰台に上ったことも、『これから』
いい思い出になってくれることだろう。

「じゃあ、行こうか。本気で学生になるから、覚悟してよ?」
「よろしくお願いしますね、先輩」



















3.遊園地にて


その一、お化け屋敷


 さくらが何をしたかったのかは分かる。

 いきなり出てくる『お化け』に女の子の方が驚いて、男に抱きつく。普段はそんなこと
ができるようなタイプでもないのに、『お化け』のせいでそれどころじゃない。息が届く
ような近い距離……それに気付くのはお化け屋敷を出てから。そんな自分の状態に気付い
た女の子は、今さらのように真っ赤になって、ぎくしゃくぎくしゃく、と。おそらく、さ
くらはそんな展開を望んでいたのだろうけれども――

 隣りを歩くさくらは、これでもかというくらいに落ち着き払っていた。

 仕掛けがいきなり作動しても、係の人がタイミングをはかって飛び出してきても、彼女
はちら、とそちらに目をやるだけで何事もなかったかのように通り過ぎていく。

 そのあまりのリアクションの少なさに、逆に係の人が気まずさを感じているほどだ。

 あちら予期しないところから普段馴染みのないモノが飛び出してくることで恐怖感を煽
りたいのだろうが、人間よりも遥かに鋭敏な感覚を持つ、夜の一族であるさくらに予期で
きないほどのものが、こんなところにあるはずもない。加えて、このお化け屋敷は暗いた
めに、より一層その感覚は鋭敏になっている。よって、仕掛けは作動前にその全容を把握
され、係の人は気配で居場所を悟られる。

 さて、そんんあ種の解かっている出し物で、先のような新鮮な驚きを得ることができる
だろうか……

「終わっちゃいましたね」
「そだね……」


 小結論。さくらにとってお化け屋敷なんてものは、ただちょっとだけ暗いだけの場所だ
った。








その二、ジェットコースター






 学生時代のさくらは可愛かったし、今のさくらはとても綺麗だと思う。

 そんなさくらの他人に見せられないような一面だって、真一郎は見たことがあるし、笑
った顔も怒った顔も泣いた顔も、それこそさくらの全部の表情を見てきたと言ってもいい。

 はっきり言って、自分は世界で一番さくらに表情に詳しい人間だと思う。仲のいい姪の
女の子よりも、彼女の両親にも負けないという自信だってある。それでも――

「一時間待ちだそうです」

 心なしかうきうきしている様子のさくらを、横目で見る。

 頭上からは悲鳴。甲高い女のものがほとんどだが、中には野太い男のものも混ざってい
る。少女のようにきゃ〜きゃ〜騒ぐさくら……想像するだに、新鮮だと思う。

「別に、それくらいだったらいいんじゃない?」

 むしろ、さくらのああいう姿を見るための対価としては安いくらいだ。今の自分なら、
二時間でも三時間でも待つだけの気概がある。もう、さくら研究家の血が騒いでしょうが
ない。

「先輩も、楽しそうですね?」
「そうかな? う〜ん……俺って実は、こういうのが好きなのかもしれない」
「そうなんですか? 初耳ですけど」
「いや、俺も今気付いたところだから」

 一人で遊園地に来て一人で絶叫マシーンに乗るのは、それが例え類稀な美少女であった
としても、悲しいことだ。男ならなおさらである。自分にはそんな趣味がなくて本当に良
かったと思いつつ、真一郎は何気なく今並んでいる催し物の説明書きに目を馳せ――硬直
した。

「でも、先輩が絶叫マシンが好きでよかったです。このコースター、色々な面で世界最高
のできらしくって。忍とか鷹城先輩とか、一緒に乗ってくれそうな人には声をかけたんで
すけど、誰も付き合ってくれなくって……」

 その二人のタフさは、真一郎も知るところである。彼女らならば、大抵の乗り物には付
き合ってくれるだろうが、それですら断るという。

 おそらくは、『乗ってみたいけれど、最初に乗るのはどうだろう?』と二人とも考えて
いたのだろう。とりあえず誰かに乗ってもらって、その感想を聞いてから挑戦といったと
ころだろうが、その最初の実験に付き合わされる身としては、たまったものではない。

 だからと言って、忍や唯子を責めることは真一郎にはできなかった。自分とて、さくら
が一緒というのでもなければ、乗ろうとも思わないだろう。それは、説明書きに書いてあ
るスペックを理解でき、よくよく聞いてみると、聞こえてくる悲鳴はおよそ切羽詰ったも
のばかりである、ということに気付くことができれば、誰でも行き着くことができる結論
だった。

 できれば乗りたくないが、目の前にはそれはもう、楽しそうなさくら。これをどうして
裏切ることができるだろうか。

 おそらく、さくらにとってはそれこそ何でもないことなのだろう。自分の期待通り、き
ゃ〜きゃ〜騒いで楽しんでくれる。問題は自分にその表情を楽しむ余裕がなさそうなこと
だが、ともすれば気絶なんて果てしなくみっともない事態になる可能性すらあるこの状況
では、そんなことも言っていられない。

「楽しみですね」

 邪気のないさくらの笑顔を見ながら、真一郎は心の中で神に祈り――ついでに、幼馴染
と未来の姪に、八つ当たりすることを決意した。











その三 なんとなく、アミューズメント


 さくらに連れられて入ったそこには、金を入れて直接遊ぶタイプの筐体が色々とあった。
風芽丘を卒業してからこっち、ゲームセンターなどには特別顔を出していなかったから、
確かに知っているはずのものでも、どこか生まれて初めて見るかのような新鮮さがあった。
自分よりももっと、こういった場所に縁のないさくらは、物珍しそうに辺りを見回してい
る。


「……初めて、ではなかったよね?」
「学生時代には、何度か。先輩とも、鷹城先輩や、仁村さんとも来たことはあります」
「唯子達とね……ちなみに、その時は何をやったの?」
「先輩がやりそうなレバーをこう……がちゃがちゃと動かすものは、しなかったですね。
シールを撮ったり、人形を取ったり……色々とやりました」
「女の子してたんだねぇ」

 まったくもって、自分には縁のなさそうな楽しみ方だ。さくらはあまり騒々しい場所が
好きではなかったから、こういう場所に顔を出す時は一人か、今はすっかりと顔を合わせ
ることが少なくなった悪友とだった。

 今は日本にいない仁村知佳や、何だか無用に偉くなってしまったリスティ=槙原など、
ああいったゲームの得意そうな知り合いも他にいるにはいたのだが、それらは何故か全て
女性で、彼女持ちの、二股をかけるなんて甲斐性のない自分には、気軽に声をかけられる
相手でもなかったのだ。

 まあ、その甲斐性がなかったおかげで、さくらと過ごす時間が増えたようなものだ。今
の彼女との関係はその甲斐性がなかったおかげともとれるから、強ち悲観することでもな
い。

 それに、今は『学生時代に戻った』という設定なのだ。他の女の子のことを考えるのは
止めよう。

「それで、さくらには何かしたいものがあったりするのかな?」
「自分で先輩を連れてきておいて何ですけど、特に何も。ただ……今日のテーマの通り、
あくまでそれっぽいことをしてみたいので、あれなんかどうでしょう?」

 さくらが何処となく楽しげに示す先には、微妙に型の遅れた大型の筐体……パンチング
マシーンがあった。人の顔の画像を取り込んでぶん殴るとか、そういった物騒なものでは
なく普通に殴るだけの物のようで、傍らには色褪せた赤色のグローブが頼りなさげにぶら
下がっている。察するに、あまり人気があるようには思えない。

「ちなみに、さくら先生のプロットは?」
「まず、男性がこれに挑戦して、女性に男らしさを示します。その後に女性も、やってみ
たいとか言い出して、挑戦。手が痛い……というのが、私の構想です」
「お約束と言えば、お約束な展開だね」

 一昔前の少女漫画のような、使い古された……ともすれば、滑稽にすら見える展開だ。

 しかし、クレーンで人形を取ってあげてり、音ゲーで決めて見せるよりは、遥かに男気
を見せることができることだろう……が、それと同時に真一郎はその計画の致命的な欠点
にも気付いてしまった。

「ささ、どうぞ先輩」

 グローブを差し出してくる、さくら。硬貨は既に投入されているらしく、BGMが流れ始め
ている。がらがらと迫り出してくるサンドバックを見ながら、真一郎はぼ〜っと思考を巡ら
せる。

 男気を見せると言うが、別に真一郎はその行為自体に自信がないではない。在宅プログ
ラマなんて不健康な仕事に就いてはいるが、これでも明心館空手の有段者だし、『あの』
巻島十蔵にも認められたほどだ。そんじょそこらの青年よりはよほど場慣れしているつも
りだし、単純な腕力だってある。

 だが、それでも。人間がいくら努力を重ねたとしても、越えることのできない壁という
ものは確かに存在するのだ。

 さくら自身はあまり意識していないようだが、彼女はああ見えてかなりの腕力があり、
加えてセンスもある。殴り合いの勝負をしたとしたら素人であるさくらに負けるつもりは
ないが、単純な力比べともなれば話は別だ。サンドバックを目掛けて拳を繰り出す。ただ
それだけの勝負であれば、自分はイカサマをしない限り、『絶対』にさくらには敵わない。

 残念ながら、誤魔化すことは不可能だ。数値という目に見える形で結果が現れる以上、
さくらが加減でもしない限り、結果が覆ることはない。反対にこちらが加減をしたら、何
の意味もない。誠意のない自分にさくらが機嫌を少しそこねるだけで終わってしまう。

 どうあったところで、数分後の結果は変わることがない。その時、拗ねたさくらを宥め
る自分を幻想する。

(それも……悪くはないかな?)

 緩みそうになる顔を精神力で引き締め、真一郎は渾身の力を込めた拳を、サンドバック
に叩き込んだ。


















その四 休憩中……


 結論から言えば、さくらはやはり拗ねてしまった。自分なりに頑張った甲斐もあって、
最高記録を更新するだけの数値は叩き出したのだが、さくらはそれをあっさりと更新――
具体的に言えば、自分の1.5倍の数値を叩き出したのだった。

 そりゃあ、さくらとて女の子だ。ただサンドバックを殴るという行為に全力で行こうな
んて思うはずもないが、いかんせん。彼女の基礎的な腕力とセンスは、機械を作った人間
が想定していた基準を遥かに追い越した場所にあったのだ。

 どよめく観衆の中、静かな怒りを燃やすさくらの手を引いて、外へ。遅めの昼食を取る
ために外に設えられたカフェに腰を落ち着ける。人の入りは上々のようだったが、それで
も人の疎らな辺りに彼女を座らせ、二人分の昼食を注文する。

 これで帰ってくるまでにナンパな男にでも絡まれていたら、それこそ血の海を見る羽目
になっていたろうが、今のさくらの機嫌の悪さを感知できない人間はさすがにいないらし
く、喧騒に溢れているはずの園内も、彼女の周りだけは隔離されたように静寂に満ちてい
た。


「サンドイッチのセットだけど……これでよかった?」
「ありがとうございます……」
「何度も言ってるかもだけどさ。そう深く考えないでもいいと思うよ? 違うってことを
気にするなんて今さらだし、俺はちゃんとさくらがかわいいってことは理解してるから」
「……先輩――真一郎さんが、私を大事に思ってくれていることは解かってます。でも…
…それとこれとは話が別です。これじゃあ、女の子としては立つ瀬がありません」
「そりゃあ、申し訳ない。俺がもっと頑張ってればよかった」
「いえ、私が最初からやりたい、なんて言わなければ済んだことでした。自分で生み出し
たことで勝手に機嫌を悪くするなんて……まるで子供ですね」

 ふぅ、と小さなため息をつき、ジュース――トマトジュースだ――に口をつける。

「真一郎さんにも迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい」
「いいって。拗ねたさくらってのも、結構、いや、凄くかわいいんだからさ。いろんなさ
くらを見れるってのは、何て言うのか、彼氏冥利に尽きるよ」
「そう言ってもらえると助かります」

 怒りとか空しさとか、そういった物をすべて吐き出そうとするかのように、さくらは大
きく息を吐き、笑みを浮かべた。つられて真一郎も、微笑む。

「さ、これを食べて、また色々やろう」
「はい。よろしくお願いいます。先輩」


















その五 それから色々ありまして……


 その日の真一郎の行動力は、人生の中で稀に見るほどのものだった。目に付く乗り物は
片っ端から乗ってみたし、それでいてしっかりと楽しんだ。一応、取材のような名目で来
たようなものだが、ちゃんとデートできたことに、安堵を覚える。

「今日は、綺堂先生の役に立てたかな?」

 眼下……吹奏に合わせて練り歩いているはずのパレードの目を向けながら、呟く。ムー
ディな照明の観覧車、その中。向かいに座ったさくらは夜景に向けていた視線を戻し、微
笑んで見せた。

「もちろんですよ。すごく助かりました」
「それは何より。これでスランプも脱出できたんなら、万々歳だけど……」
「もちろん、ちゃんとプロットは固まりましたよ。いきなり先輩を連れまわして、成果が
ないんじゃ、いくらなんでも申し訳ないですから」
「さくらにかけられる迷惑なら大歓迎だよ」

 常なら御免の感情、苦労も、そこにさくらが関わっているのなら楽しめる。バカップル
と揶揄されるのももはや慣れた、と言うか、最近はそう言われることを喜んでいる自分が
いる。相当に重傷だ……それでも、まあ、楽しいからいいのだが。

「学生の気分でって意識してみたけど……あまり変わらないね」
「そうですか? 『先輩』って呼び方に戻しただけで、私は何だか違う気分に感じました
けど」
「それはそうなんだろうけど、でも、気分的にはあまり変わってないかな、と思うんだ。
人の気持ちがずっと変わらないってことはないって言うけど……俺、やっぱりさくらが好
きなんだなって」
「変わってない……ということは、私はその程度なんですか? 私は、学生の時よりもず
っと真一郎さんのことが好きですよ?」
「さくらがその程度なもんか。俺はね、さくら――」

 さくらの隣りに腰かける。

 髪を伸ばして、ぐっと大人っぽくなった。スタイルも――姪の少女には自分のせいだと
言われるけれども――よくなった。顔立ちも洗練されて、今では化粧もしている。女性と
しての完成度は、学生の時よりも高い。特殊な趣味を持った方でもなければ、今のさくら
をきっと選ぶ。でも、

「俺の中では、さくらはずっと一番なんだよ。もっと綺麗になっても、お婆さんになって
も、いきなり過去に戻ったとしても、俺はさくらのことが一番好きなんだ。だから、今も
昔もこれからも、きっと変わらないんだと思う。きっと、凄く嘘っぽく聞こえると思うけ
ど……これが、俺の本心」
「口説き上手ですね? 先輩」
「さくらを今さら口説いたりするもんか。だって、さくらが俺のこと愛してくれるのって
解かるもん」
「…………忍にこの前言われたんですけど、私達って『バカップル』なんでしょうか?」
「俺からすれば、これくらいするのは普通だと思うんだけど、忍ちゃんとか世間の人の基
準からするとそうなるんだろうね」
「何か。馬鹿にされてるみたいで、少し複雑です」
「まあ、馬鹿って単語が入ってるんだから、少なからずそういう風に思われてるってこと
なんだと思うけど……」

 忍に限らず、さくらと自分の関係をしる知り合いには、一度はその単語を言われたこと
がある。彼女らに自分達を馬鹿にしたような雰囲気はなかったが、だからと言って、何度
も呼ばれてみたいとは思わない。馬鹿にされてはいなくても、やはり照れくさい。

「じゃあ、忍には今度少し反省してもらわないといけませんね」
「そこまですることはないと思うよ。忍ちゃんにも悪気は――」

 完全にないとは言い切れない。悪戯することにかけては、どうもあの少女、命を賭けて
いる節がある。流石にさざなみ寮の漫画家さんには及ばないが、近い未来、彼女があの人
に近付きそうな気がして、真一郎は少し不安である。

「ほら、真一郎さんだってそう思ってるんじゃありませんか」
「いや……確かにないとは言い切れないけどさ、忍ちゃんだってさくらのこと嫌いな訳じ
ゃなくてだね」
「そんなことは解かってます。真一郎さんじゃありませんけど、私だって、人が自分のこ
とを好きでいてくれるかどうか、というのは解かるつもりですから」
「伊達に付き合いが長い訳じゃないね」
「だからこそ、調子に乗った時にはしっかりと怒らないと駄目なんです。あの娘、際限が
ないんだから」

 ぷりぷりと怒るその姿は、さくらには申し訳ないが随分と可愛らしい。

 さくらは変わったと思う。しかし、それは外見の話で、こういう大人びているのにどこ
か少女のようなところは、出会った時と何も変わることがない。

 成長したさくらしか知らない人間にそのことを話せば、皆、訝しげな顔をするだろう。
彼女がその姿を見せるのは、親しい人間だけ。それも、ここまでの仕草をするとなれば、
自分くらいのはずだ。

 それ以外では最も心を許しているはずの忍の前ですら、それはありえない。さくらのこ
の子供っぽさを見れるのは、恋人である自分だけの特権だ。

「許してあげようよ」

 だからこそ、自分は忍に甘くなる。彼女がさくらに懐いていなことを知っているから。
彼女に向けられるはずの笑顔を、少しばかり奪ってしまった後ろめたさもあるから。

 さくらには及ばないけれども、あの未来の姪を、真一郎は愛している。無論、それは男
女間のそれではなく、親が子供を見るようなものであるが、それでも、忍も大切な存在な
のだ。

「許してあげようよ」
「……真一郎さんが言うなら、それでも構いませんけど……」
「うん。そういう素直なさくら、大好きだよ」

 よしよし、と頭を撫でてあげる。子供のような扱いにさくらは不満なようだったが、そ
の原始的な気持ちよさには勝てないのか、心地良さそうに目を細めている。その笑顔がと
ても魅力的だったせいなのか――

 真一郎はそっと、さくらの唇に自分のそれを重ねた。





















4.物語の後で……


「助かりました」
「本が売れたのは嬉しいけど……」

 これはちょっとどうかな、と思う。

 協力した甲斐があったのか、作家、綺堂さくらは見事スランプを脱出し、一冊の本を書
き上げた。それは世間的にも大好評で、ベストセラーがどうしたとかテレビでも騒いでい
る。

 彼氏として、彼女の作品が評価されるのは嬉しい。嬉しいのだけれども……

「内容に覚えがありすぎるってのは、さ」

 恥ずかしさのレベルも並ではない。愛を囁く時の台詞に言った覚えがあった時など、恥
ずかしさでベッドの上を転がり回ったものだ。

「バカップルって言われるのは嫌なんじゃなかったっけ?」
「別に、私達のことを書いたわけじゃないですから、私達は言われません」
「いや、唯子とか御剣とか、『お前馬鹿だろ』みたいなことを言われて、俺の人生、ちょ
っとした波乱万丈なんだけど……」
「いいじゃないですか。私達が幸せなんですから」
「……まあ、いいけどね」


















後書きです


自分の遅筆は自覚していましたが、今回は特に遅かったですね……猛省します。蛇眼さ
ん、ごめんなさい。


さて、お贈りしました『恋愛小説の書き方』でございますが、自分の中では何となく久しぶり
な真一郎メインのSSです。本編では青臭い考え方、行動が私には凄く魅力的に感じる男な
んですが今回は本編よりも時間が経過しています。時間的にはリリちゃくらいでしょうか。あ
る程度年月の経ったあの二人の姿を書きたいと思って作りました。

果たして真一は落ち着いた男になれるのか…落ち着いて考えてみると、それは甚だ疑問な
んですが、あの少年、性根がかっこいいですから。どっちにしろかっこいい男にはなってるん
だと思います。



んでは、今回はこの辺で失礼いたします。